オペラ座の怪人 観劇記 (劇団四季) その1

先日、初めてオペラ座の怪人を舞台で見た。CDで何度も何度も繰り返し聞いた、耳慣れた音楽。舞台を見る前に、あまりにも何度もCDを聞いたので、空想が膨らみすぎて、実際に舞台を見て驚いた部分もあった。

以下、ネタバレになる部分もあるので、未見の方はご注意ください。

出演者は、ファントム 高井治 クリスティーヌ 佐渡寧子 ラウル 石丸幹ニなど。(敬称略)

電通四季劇場「海」は、全館禁煙というのがまずよかった。ロビーの煙くささに悩まされることなく、快適に観劇できた。ただ、チケット売り場横のカフェが、たばこ臭くて参った。あそこを通るたびに、息をとめてしまう。全館禁煙にするなら、チケット売り場横の喫煙スペースもなんとかしてほしい。あそこのカフェを禁煙にして初めて、全館禁煙の意味が出てくると思う。

それと女性用トイレが、和式と洋式混合なのでびっくりした。新しくできたピカピカの劇場なんだから、全部洋式でいいと思う。使いやすさは断然洋式である。なぜ、あえて和式を作ったのか不思議。

さて、舞台を全部見終わった感想を一言でいうと、「可哀想なファントム」という一語に尽きる。それは、クリスティーヌの愛を得られなかった、という意味ではない。それ以前に、「なんであんなクリスティーヌを好きになっちゃったの?」という意味である。

一番のクライマックス。ラウルの命を救うために、ファントムにキスをするクリスティーヌ。そこにはあまり悲壮な決意というものが感じられなかった。むしろ、「わかったわよ! なんでもすればいいんでしょ!」 というクリスティーヌの怒りというか、やけっぱちの感情があふれていた。

2度キスするんだけど、2度目はもう、見ていて気の毒になってしまった。プライドの高いファントムにとって、明らかに愛のないキス。恋のライバルのために捧げられたキスは、ファントムにとって虚しいものだっただろう。たぶん、そのときはっきりと、クリスティーヌに失望したんだと思う。

クリスティーヌを抱きしめようとして、結局できなかった手が物悲しかった。せめて、同情ではない別の、ラウルに対するものとはまた別の愛情を、クリスティーヌから感じられたらよかったのに。そしたら舞台はもっと、せつないものになっていただろう。

高井ファントムの声は魅力的だった。声量もあるし、クリスティーヌが魅入られるのも十分納得できる。歌の技術もそうだけど、声そのものに艶があっていい感じ。ただ、クリスティーヌへの愛は、今ひとつ感じられなかったかな。観客の私もクリスティーヌに共感しなかったくらいだから、それも無理はないかなと思ってしまった。

佐渡クリスは、序盤の歌にちょっとがっくりしてしまった。みんながブラボーというほどには、光るものがなかったような気がする。最初から最後まで、全然ファントムのことを好きじゃないんだろうなあ、という感じ。ラウルのことを好きだから、邪魔をするファントムをうるさがっているような雰囲気を感じてしまった。

ただ、佐渡クリスのいいところは、相手の歌に刺激を受けてどんどん変化していくところ。ラウルと歌うとき、あるいはファントムと歌うとき、どんどん相手のうまさに呼応して、自分の歌が変化していくところが見事だった。ソロで歌うときは普通なのだが、ラウルやファントムと歌うときは、数倍うまく歌っていたと思う。全然、迫力負けしていなかった。思わずひきこまれる力があった。

ソロで歌っているとき、迫力はなくてもいいけどもう少し、透明感というか光るものがあったらよかったと思う。

石丸ラウルは、お坊ちゃまぶりがすごくキャラに合っていると思う。恵まれた育ちや、子爵としての自信が声にそのまま現れていた。あふれる正義感はまぶしいばかりで、それを目にしたファントムの苛立ちや嫉妬は自然なものだ。ファントムが欲しかったもの、あったらいいなと願っているものを全部持っている人をうまく演じていた。華があるから、舞台に立ったとき人目をひく。

まっすぐで、正直で、世の中の暗い部分をなにも知らずに育ってきた、という雰囲気がよく伝わってきた。まさにラウルは、はまり役。

ファントムをちっとも愛していないクリスティーヌ、というのは、私にとって衝撃だった。ラウルとファントムの間で揺れ動くところがひとつの見せ場だと思っていたので。舞台を見る前に、いくつかインタビュー記事を読んだのだが、佐渡さんはクリスティーヌがラウルを選んだのを当然と考えていたみたいだ。それに対して高井さんは、なぜクリスティーヌがラウルに走ったのか不思議だ、と思っているようである。

舞台の上に、そうした佐渡さんの思いはしっかり現れていたような気がする。あまりにも、あまりにも愛がなかったから・・・・。

そういうクリスティーヌ像をつくることも、解釈の一つとして面白い。結局、誰からも愛されなかったファントム。それはそれで、悲劇の主人公だ。

これは私の勝手な感想なのだけれど、もし私がファントムだったら、「ラウルの命を救いたければ俺を選べ」と無理難題をつきつけて、あげくに、「わかったわよ!」と投げやりのキスをされたら、たぶんすごくショックを受ける。心のこもっていないキスだってことは、肌で感じるから。キスの後、またショックを受ける。待ち望んでいた愛しい人のキスが、なんの喜びももたらさない。それどころか、ひどく惨めな気分をもたらすだけのものだと知ったから。一片の愛情もない。いつか愛してくれるという希望さえ持てない、心を100パーセントラウルに捧げたキス。

その後、これでもかとばかりに、怒りのこもった軽蔑のキス。2度目のキスをされたら、心は完全に砕け散るだろう。そもそも、どうしてクリスティーヌを好きになったのか、自問自答しそう。心に抱いていた理想と、現実のクリスティーヌの違いにがっくりきて、100年の恋も一気に冷めるな。

指輪を返しにきたクリスティーヌにかける言葉は、この場合、過去形がふさわしい。もう、愛情などないのだもの。このときの佐渡クリスの雰囲気も、「同情」「哀れみ」「恐れ」「警戒」だった。そこに、愛情はなかったように思う。

長文になったので続きはまた明日。オペラ座の怪人は大好きなので、語り始めると止まらない。

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