別冊花とゆめ2012年4月号『ガラスの仮面』美内すずえ 著 感想

別冊花とゆめ2012年4月号『ガラスの仮面』美内すずえ 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

読み終えてまず思ったのは。

こりゃ、紅天女の主演ゲットは、マヤで決まりだろうなと。
子供みたいに純粋に楽しんでお芝居をするマヤに、亜弓さんは勝てない、と思います。

ものすごい気合いで、自らのアイデンティティを賭けて、その証明手段として紅天女を選んでいる亜弓さんの演技・・・きれいかもしれないし凄みはあるかもしれないけど、それって、阿古夜のせつなさ、だせるのかなあ?と。

完璧な存在が、初めてみせる脆さ、みたいなものが、この「紅天女」というお芝居のメインテーマになってくるのではないかと思うのですが。人ではない存在が、人に恋して崩れた、その弱さこそが、魅力の舞台になるのかと。

亜弓さんの場合、そもそもハミルさんと恋愛関係が成立するのかどうか、疑問です。ハミルさんが魅力的に感じられないのは私だけ? 亜弓さんがどうしようもなくハミルさんに惹かれていくっていうシチュエーションが、この先あるんだろうか??

障害を乗り越えることで、自分の中のあらたな一面を発見し、それを舞台の上で表現する。亜弓さんの場合、ハミルさんとの恋愛うんぬんより、目のことが最大の障害になるのかな。
でもそれだったら・・・。あくまで、自分という個人の中での枠組みになってしまう。他人は関係なく、亜弓さん個人の中の問題。

やっぱり亜弓さんは、「演じよう」と努力する限り、「そのものになりきって、それを楽しむ」マヤには勝てない気がする。

そしてマヤは。
速水さんを失うんだろうなあ。自分の魂のかたわれとめぐりあい、その歓喜を知ったあとでの別離。

そのとき初めて知った感情を、舞台の上で表現することで、昇華させることで、救われるのかもしれない、なんて。そんなことを想像してしまいました。

出会えたことに意味がある、というなら。
速水さんと出会ったことで、マヤは紅天女を手にいれるのだろうか、なんて、つらつらと考えてしまいました。

もう、このへんは本当に想像にすぎないですけど。今月号を読んだら、そんな気がしました。

今月号で印象的だったシーンは、二か所あります。
まずは、これ。速水さんが紫織さんを見舞うときの表情。

なんだかもう、典型的なまでの仮面かぶり顔というか(^^;

すごくバリアー感じます。もう見た瞬間、ああ、こりゃだめだわっていう。私が紫織さんなら、この顔みた瞬間に諦める。こんな顔して見舞いにくる速水さんを、見たくない。

心なんて、まったくそこにはないような。
ビジネス、義理、大人としての理性。

>おはようございます紫織さん
>きょうは顔色がいいようですね

その台詞の、字面の優しさと内面のギャップがまた、せつないです。そういう台詞を相手に言わせる自分の卑怯さを、紫織さんは何も感じないんだろうか。まあ、感じないからあんな自殺未遂をしたんだろうけど。

そんな速水さんの仮面の向こう側も見ずに、顔を赤らめて、ありがとうございますと嬉しそうに答える紫織さん。ああ、この返答で、おそらく速水さんの心はまた1キロメートルくらい、彼女から離れていったんだと思う。偽りの笑顔をはりつけたまま。

そして、私がいいなあと思ったシーンは、車の後部座席で、ぼんやりと車窓を眺める速水さんの横顔だったり。

紫織さんの前にいるときの、「速水真澄」を演じていたときの鎧は脱げて。

私も、透明人間になってその横顔を見ていたいなあ、と思ってしまいました。その人の心って、やっぱり顔に映し出されると思うんですよ。気をゆるめて、心のバリアを解いた瞬間の表情。
そのときにこそ、その人そのものが、あらわれるんだと。

英介は、ほどなく真澄のマヤへの気持ちを知ってしまうんだろうなあ。そのときは、ためらいなくマヤをつぶしにかかりそうです。パフェ食べていたときの好々爺ぶりは、あくまで、マヤとの間に特別な利害関係がなかったからであって。

ひとたびその存在が邪魔になれば。
えげつない手段で、潰しにかかりそうな気がします。そして、それを阻止すべく、真っ向から対決する速水さん。

ところで、今月号にはガラスの仮面国民的名シーンと題うった特別企画が載っていましたけれど。この企画の意味がわからないというか、これを面白いという人、いるんだろうか・・・。

いや、過去の名シーンを集めるっていうのはいいんですけど、それをコスプレさせて再現というのが、なんとも・・・。どうせコスプレさせるなら、いろんな人に、真剣にやってもらいたかったです。別に有名人でなくてもいいので、実写版の絵が見たかったなあ。

以上、今月号の感想でした。

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