ドラマ『愛していると言ってくれ』感想 その3

 ドラマ『愛していると言ってくれ』の感想を書きます。これで感想を書くのは3度目になります。時間を置いてみると、自分の中で新しい思いも生まれたりするんですよね。最初に見たときには、気付かなかったようなこともあったり。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

 ふっと、もう一度見たくなったので見ました。懐かしのこのドラマ。

 感想を手短に書きますと、このドラマって結局のところ、「晃次が恋におちて、フラれる話」なんだなあ、としみじみ。

 人が恋におちるって、そうそう、こういうことなのよねっていう、いわば恋のあるある(^^;

 誰かを好きになるのは理屈じゃなくて。トヨエツの演じる晃次は、決して積極的でもなく、出会いを求めていたわけでもなく。どちらかといえば人を避けて、誰かと親しくなることを恐れていたような人だったと思うのですが。そんな人でも、偶然見かけた常盤貴子さん演じる紘子に出会ったその瞬間から、勝手に心は走り出す~という。

 紘子の顔が好み? しぐさが? 笑顔が? リンゴをとってもらったときの反応が? そのすべてが、晃次にとっては、ズキューンときちゃったんだろうなあと思いました。でなければ、紘子にああいう照れたような顔は見せなかっただろうし、夜の公園で稽古中のところを、そっと見てたりしなかっただろうなあ。

 まあ、大前提として、人さまの家のリンゴを勝手にとってはいけませんが(^^; たとえ枝が、道路にはみ出していたとしてもね。

 私、最初にこのドラマを見たとき、印象としては紘子の愛情>晃次の愛情だったのです。特に物語の前半は。若くて無邪気で、なんのためらいもなく素直に愛情をぶつけてくる紘子が、もう一方的というくらいに晃次に向かっていって、それに引きずられるように晃次も次第に、紘子を好きになる、みたいな。あくまで紘子主体の、そんな印象があったのですが。

 今見返すと、これ、ひとめぼれしてるのは晃次の方だ~ということに気付いてしまいました。もう最初から、惹かれてます。

 リンゴをあげて、相手を見たときにズッキューンときて。でももう会うこともないと思っていたら、夜の公園で偶然に見かけて。相手がそれを覚えててくれて、話しかけてくれて。それからまた、絵を描いてるときに再会して。本当はドキドキしているのに、紘子はなにも気にせずに気軽に話しかけてくれて、でもうまく答えられなくて。最初からうまくいかないとわかっているし、何も期待なんてしていないけど、それでも心は勝手に走り出す。

 だから、目で追ってしまう。紘子の姿を。公園の売店。褒めてくれた色の絵の具を投げてみたり。

 唐突に去っていったのは、反応をみるのが怖かったからだね。相当、変な行動だもんね(^^;

 いやいや、でも相当だわ。晃次って、女の子に絵の具投げたりするキャラか?っていう。

 普段は絶対そんなことしないと思うよ。他の誰にも。それくらい、どうしようもなく恋におちちゃってたんだなあってことが、今はわかる。

 公園の野外舞台も、見てたの1度じゃないもんね。

 そしてもう言い逃れできない最大の証拠は、家に招いたことだなあ(^^) いくら足にけがしたからって、自分の家に入れないよね、もし他の人だったなら。紘子だから、家に入れてしまったのだと思う。名前も知らない、ほぼ初対面に等しい異性の家に、なんの抵抗感も抱かずいそいそと行ってしまう紘子も紘子だけど。いや、まずいでしょ。たまたま晃次はいい人だったけど。

 聞こえないってどんな感じか聞かれて、「夜の海の底にいるような感じ」だなんて、正直に話す義理なんてないのに。好きな人の前では、自分をわかってほしいっていう気持ちがわいたのかな。

 好きっていう気持ちは自然なもの。コントロールできないもの。勝手に走り出して、その人がそばにいるだけで嬉しくて、幸せな気持ちになって。

 それをあらためて、考えさせられたドラマでした。

 晃次も紘子も、好きになろうとして相手を好きになったのではなく。いつの間にか、そうなることが必然だったように。お互いを必要としていた。

 第1話で、晃次が自分が描いた絵を紘子にプレゼントしたシーン。もう、これはプロポーズといってもいいんじゃないかと。画家の作品て、その人の心そのものだもんね。僕の心を君にっていう意味。きっと、無意識なのかわかっててやってるのか、その両方なのか。絵の具どころじゃないですよ、もう絵、そのものですもん。

 でもその後すぐに、何も告げず引っ越してしまったのはなぜなのか。

 私はそこに、晃次の諦めを感じます。

 どうせ、うまくいかない。幸せにする自信もない。こんな自分だから。好きだけど、さよなら。せめて君に、僕の心を。この絵を。

 引越を告げるほど(関係を深めたいと願うほど)晃次は自分自身にうぬぼれてなんかいなかったのだと思います。

 そしてこのドラマ。もうひとつの見どころは、岡田浩暉さん演じる健ちゃんの片思い。本能的なものって、どうしようもないんだなあということを、これでもかとばかりに突き付けられた気がします。

 健ちゃんは、紘子とお似合いだから。条件的なことを考えても、紘子と健ちゃんはぴったりなわけですよ。幼馴染だから、同じような環境で育ってる。年も近い。お互いの家族のことだって、よく知っているだろう。加えて健ちゃんは、紘子を愛してる。きっといつまでも大切にしてくれる。なのに、どうしても駄目なんだ。健ちゃんじゃないんだよね。いい人、友人としては好き。でもそれは、恋人じゃない。

 もう全話通してだもんね。惜しみなく注がれる愛情。優しさ。見返りを求めずに、健ちゃんはいつも傍にいて、見守ってくれて。

 でも努力じゃないんだ。誰かを好きになる気持ち。紘子はどうしても、健ちゃんを好きにはなれなかった。

 なのに紘子が健ちゃんと一夜を共にしたってのも、本当に愚行だと思いますが。翌朝の紘子の表情がね、これがまたものすごく素直で。どよ~ん、てしてるの(^^; これ、相手が晃次だったときの、あふれる幸福感との対比がすごい。もうその時点で、健ちゃんとの未来は、一生無理だろと。見てる私は思ってしまいました。嫌なのを我慢して、こんなはずじゃなかったって思いながら健ちゃんと夫婦になるのは間違ってる。いつか破綻する。

 ただね、好きでも一緒に幸せにはなれないっていうのは、あるんだなあと思いました。

 紘子の決定的なセリフです。

>あなたと一緒にいてもつまんない。
>だって手話ってすごい疲れるし、それに
>好きなCDだって一緒に聴けないもん

 私がもし晃次の立場だったら。この瞬間に、すべてが終わります。

 紘子はひどいこと言ってるけど、でもそれって、紘子の本音で。それをどうこう言っても仕方ない。だってそれは本当の気持ち。普段は我慢してるだけで、それはいつも、紘子の中にくすぶり続ける気持ちだから。

 喧嘩だから、売り言葉に買い言葉だから、というのは言い訳にならない。いいも悪いもなく、紘子にその思いがあるなら、二人はこの先、一緒に暮らしていけない。いつかまた、紘子は爆発するし、晃次は傷つく。

 私なら、この時点で完全に諦めます。

>悪かったね

 そう返した晃次は大人だなあ。あそこでごちゃごちゃ言っても、紘子は興奮してまた何か、叫び出すだけだろうし。

 それでも結局、暴言を許して先に進もうとしたのは、晃次がどうしようもなく紘子を好きだったから、なんでしょうね。理屈では、いろいろわかっていても。

 私は以前の感想で、最終回のラスト、紘子はともかくとして晃次には、やり直す気持ちはないだろうと書きましたが。よくよく考えてみると、もしそうなら、わざわざリンゴをとってあげることはなかったかなあという気がしてきました。

 あのとき、リンゴをとろうとしていたのが紘子だと、晃次にはわかっていたはずです。知らん顔して、立ち去る選択もあったのに。敢えてあそこで紘子と再会したのはなぜか。

 やっぱり好きだから?なのかな。忘れられなくて、だからせっかくのチャンスに目をつぶることができなかったのかと。自分でも馬鹿だと思いつつ、紘子の前に姿を見せずにはいられなかった。そして、紘子が以前と変わらぬ笑顔で微笑んでくれたら?

 また始まってしまうのでしょうか、二人の新しい物語。

 本当に終わらせたつもりなら、完全に諦めたなら、街ですれ違ったって、気付かないふりするもんなあ。好きって気持ちは、本当にどうしようもないものです。不幸になるとわかっていても、その人を求めてしまう。一緒になっても、またいっぱい喧嘩して、いっぱい傷つくだろうに。それでも。

 目の前に現れたら、知らんふりはできないものなのかもしれません。 

「ドラマ『愛していると言ってくれ』感想 その3」への8件のフィードバック

  1. 私も、懐かしくなって、さっき全話を見終えました。
    最後のりんごを取ってあげて再会するシーンをよく覚えてて、
    あれから二人はやり直したのだろうか?と何度も自分の中で
    考えたことを思い出しました。

    私も、実は左耳だけ聞こえません。
    全然聞こえない世界とは、全く違うけれど・・・

    彼も彼女も、出会って
    自分がいる世界と違う世界の人に恋をしてしまい、
    うまく行ってるうちは、手話も自然で苦労とも思わず、
    一緒に生きていくという意味は
    それが手話で会話をすることも 
    いずれ、きっと生活の一部になり
    日常になるということを、
    彼女はまだ女優の卵だったから
    まだ若くて、わからなったんだろうなと。

    あのひと夏だったから、手話は非日常の上の
    努力の中での会話術の一つだったから
    わかりあえないで、すれ違ってしまった。

    その障害をなんとか二人が努力して、その壁を乗り越えようと
    少しずつ何かをわずかに積み上げながら、どうしようもない
    障害を乗り越えられたら、どんなに素敵だろうと思いつつ。

    二人は、どうなったのか?
    私は、あの絵を完成させた時点で
    晃次さんは彼女を待っているだろうと、
    二度と会えなくても、僕は前の自分の失敗の轍を踏まず、
    行きてる限り待っていると、愛し続けてる
    自分をもう隠さない態度で
    生きていくと決めて、あの紘子の絵を完成させたんだと思っています。

    女優って、手話で生活する相手とイヤだとか言ってるような
    自分ではダメで、生半可でできる世界じゃないと
    3年できっとあの時点でわかったと思います。

    だから、再会のときを3年後にしたんだと思いました。

    だいたい、晃次さんはケンちゃんと寝たこと・・・
    根にもってないくらい大人だったし。
    彼女を束縛しようともしてなかった。

    相思相愛って、束縛なんてし合うことなく、
    相手が何をおいても、生きていくうちに必要不可欠の
    人間の二人じゃないと夫婦にはなれないのですよ

    うちは、大恋愛じゃなかったけど
    今は、私に障害ができて夫に苦労させちゃってますが
    それでも、捨てられないのはきっとこんな私でも、世の中の中の
    誰よりも人見知りの夫の気難しいとこ理解できてる一人だから
    結婚20年を迎えられるまでになったんだと思います。

    あの再会から、素敵な夫婦になっててくれたらいいなと
    やっぱり、最後のシーンで願ってしまいました。

  2. 暁 悠さんこんにちは。熱いコメントをありがとうございます(^^)
    最後のりんごのシーン。私ももう一度見てみましたが、あれから二人はやり直したような気がしますね~。

    何故かというと、紘子がその気になっているからです。晃次は物語の後半、ずーっとずーっと、いつだって紘子を受け入れてきたんですよね。拒んだり、迷ったりしてるのはいつも紘子の方。

    最終回も、お互いの気持ちを確かめ合ったのに、別荘まで行ったのに、健ちゃんへの罪悪感から晃次を受け入れなかったのは紘子でした。愛してると言ったのに、バスで去っていったのは紘子でした。
    晃次にしてみたら、ここまでついてきてくれたのに何故?という気持ち、絶対あったと思うんですよね。顔にも出さなかったし、紘子を責めることもしなかったけど。

    だから、晃次は待っていたのかもしれませんね。いや待っていたというと、期待していたみたいになるから違うかな。ただただ、ずっと好きだった、その愛情は消えなかった、のだと思います。
    いつか紘子が自分のところへ戻ってくれる、っていう期待ではなく。ずっと好きだった。ただそれだけで。

    偶然、また同じリンゴの木の下で出会い。リンゴを投げた。それは、「今でも君が好きだ」という、意思表示だったのかなと思います。それに対して、紘子は、晃次の目を真っすぐに見て、小さくうなずいた。それを見て、晃次もうなずいた。

    言葉はないけど、目と目で通じ合う~♪というのはこういうことなのかと。晃次はいつでも受け入れOKだったのだから。後は紘子の気持ち次第で。

    >女優って、手話で生活する相手とイヤだとか言ってるような
    >自分ではダメで、生半可でできる世界じゃないと
    >3年できっとあの時点でわかったと思います。

    そうですか~。そう思いますか(^^) 私は紘子が3年で成長したとはあんまり思わないんですよ。たぶん紘子はずっと、出会ったときのまま、変わらないんじゃないかと。
    晃次の耳のことをなんのためらいもなく受け入れ、楽し気に手話を覚えて晃次を特別扱いしなかった紘子。喧嘩して、晃次が傷つくことをさらっと口にしてしまう紘子。どちらも紘子で、たぶんこの先も変わらないかな~と。

    ひょっとしたら、あの再会の後。さらっと以下のようなセリフを言い出しかねない女の子。それが紘子ではないかと言う気がします。

    「晃次さん。あのね、私女優がんばってるよ。まだまだ全然だけど。それに私、結婚を考えてる人もいるよ。もうあの頃の晃次さんのときみたいに、彼を傷つけたりしない。ちゃんと成長したから」

    晃次の気持ちなど一切考えず、笑顔で言いきりそうな無邪気さが、紘子にはあります。そこが紘子の良さでもあり、欠点でもあるのかな。

    ただ、紘子に嘘やごまかしはない。駆け引きも、裏の意味もない。その純粋さが、晃次には救いなのかなと思うのです。

    結婚20周年おめでとうございます!

    >相思相愛って、束縛なんてし合うことなく、
    >相手が何をおいても、生きていくうちに必要不可欠の
    >人間の二人じゃないと夫婦にはなれないのですよ

    素敵な言葉です(^^)

  3. いま、時が流れ2020年6月10日、愛していると言ってくれを見ております。

    お二方みたいな素晴らしい考察は書けませんが、誰かの考察を妄想しながら楽しむ事ができます。

    晃次が昔の彼女を家に入れ、一晩が過ぎたこと、子供を気にかける、そんな優しさは無邪気な紘子にはきついなぁ、私もきついなぁと思いながらも、晃次のしなやかさと涼しげな感じに心を持っていかれそうになります。

    晃次は宮崎美子のような、ニコッとした女の子が好きなら、紘子のような無邪気な女の子が好きなら、その真っ直ぐな眼差しに似合うような行動をとって欲しいと思いました。

    紘子は晃次を信じれなかったと涙を流して謝りましたが、これだけ光と会っていた、指輪がベッドにある、泊めた、家に行った、全て紘子が先に気づいたら私も信用できないなぁと。それで信じてくれは、ない。

    晃次は自分が大切にしたい人を大切にする、優しそうでそれは晃次を愛する人にとっては酷でもあるんだとわかって欲しいと願いながら見ていました。

    そりゃ、なんかいも光のこと隠されて、光にいじわる言われて…俺を信じろ って…晃次、話せないとはいえ、言葉で伝えることはできるよね。早めに言えるよねって思う。
    でも晃次は余計な心配をさせたくなくて隠した。というが、それは紘子のような性格には逆効果ってことをわからないなら2人はどんなに一緒にいてもすれ違うよ。

    でも、素直に2人がうまく行って欲しいと願ってしまう私は未だ独身37歳。

  4. 匿名さんこんばんは。
    たぶん2人の性格の根本的なものはこれからも変わらないので、もし再会して巡り合ってもまた遠からず喧嘩して、互いに傷付けあって、別れるのだなあ、というのが私の予想です(^^;
    確かに光は意地悪な女性だったけれど、もし光がいなくても、モテモテ晃次にはきっと第2第3の光がどこかのタイミングで現れただろうし、そのとき紘子はやっぱり彼を信じられずに、責め、なじり、他の誰かと寝るようなことをしたんじゃないかと、そんなことを想像しております。
    実は一番最初に書いた「愛していると言ってくれ」の感想を、非公開にしておりました。それをもう一度公開しましたので、よかったら読んでみてください。私は、光を家に上げてしまったり、嘘をついた晃次の行動が、むしろ晃次の魅力だと思ってるんですよ(^^) あそこで光を追い返したり、あるいは紘子に正直なことを言うのは、冷酷で、しかも子供っぽいような気がして。
    これだけ時間がたっても、視聴者それぞれいろんな考え方があって熱く語れるドラマ、中身が濃いですね~。またこんなドラマが見たいです。

  5.  2020年7月に私の地域で放送があり、初めて見て、このドラマにとても心をつかまれました。1週間で2周視聴して、これは、晃次の恋愛と成長の物語なんだろうと思っています。カロンさんの第1話からの解説は「もう、その通りですよね!」と、同志に出会ったぐらいの感動を覚えながら読ませていただきました。

     光さんとの再会で、彼女もいくつか晃次の心にくさびを打ち込んでいますね。自分を捨てて他の男とお見合いして結婚したと思っていた女性が、「あなたの気をひきたくてやったこと」だというのですから、勝手な言い分と驚いたことでしょう。でも、一理ある、と晃次は気づくからすごい。それだけ、自分を振り返れる大人であり、光との再会で、晃次は紘子と交際で得たものとは違う形の成長を得たのだと思います。別れ際に「榊くんの、その笑顔がずるい」といわれた意味を晃次はまだ、この時はわからなかったと思います。

     晃次は、幅広い交友関係を持っているわけではないけど、妹をはじめとする特に彼を深く愛してくれる女性たちとの葛藤や行動に真摯に向き合って、自分を俯瞰し成長させている気がします。

     実母との再会も、「会いたいのか、会いたくないのか」自分の気持ちはよくわからない。雑誌のインタビューで母が自分を捨てた表現されていることが「あなたを傷つけないか」気にかかっている。それが、彼の人間的魅力でもあるけれど、同時に自分の愛憎に向かい合うことを避けて生きてきた歴史を感じさせます。この時、あの強引な紘子が、母との再会を勧めつつ、見守ろうとしています。晃次が自分の気持ちに向かい合おうとしていないことに、紘子は感覚的に気づいているんだ、さすが、と思いました。

     12話では、キーホルダーを見て泣く紘子を晃次は抱き続けることはできなかっただろうな、と思いました。紘子の嗚咽が辛くて、また、そっと身体を離してしまったんだろうな。今まで通りの、優しい晃次。強引に自分の気持ちをぶつけない晃次。翌朝海辺で「私はずるい」といって、健ちゃんのもとに戻ろうとする紘子に、「そんな紘子だから好きになった。」「わかっているよ」みたいなかっこいいこと言っていますね。光さんにいわれた「ずるい」といわれた笑顔、晃次の諦観みたいな笑顔は、愛する人を振り切ろうとする女性の後ろ髪をひくからずるいんだけど、でも何よりも魅力です。だから、女性の勝手な言い分ではあるけど「ずるい」になるんですね。

     だけど、おそらく婚約時代の光との別れとの違いは、晃次が紘子に「声をきかせてほしい」「愛しているといってくれ」と言わずにはいられなかったことだろうと思います。あふれ出る気持ちを素直に相手にぶつける。相手を困惑させても、泣かせても、辛くさせても、愛する気持ちを確かめたい…今までの晃次だったら、しなかったことでしょう。最後の最後に、晃次はこうやって気持ちをぶつけることができて、次に進む途が拓けたんだろうな、と思いました。 
     晃次にとっては、紘子という愛した人間の絵を描くこと、それを他人の評価にさらすという2つのステップの達成につながったのではないかと思います。

     伊豆で晃次と別れてから、9月5日付の手紙を受け取った紘子は、「この手紙が何年も私を励ましてくれる」「いつかこの返事を渡したい」と再会を視野に入れることが可能な希望を手にいれています。そして、3年間、晃次の周辺に出没した形跡は感じられません。リンゴの木の位置すら怪しくなっているくらいですから。

     一方、晃次は紘子が帰郷し健ちゃんと結婚したと思ているはずですから、心折れなかったのか、ちょっと不思議です。カロンさんはどう思われますか?

     私が考えた晃次のストーリーは、以下の通りです。

     別離の苦しみから逃れるために、思い出深い吉祥寺の家を引き払った。ところが、別離後の早い段階で、紘子が東京にいるという情報を何らかの形で得ることになる。栞が健ちゃんと連絡をとったとか、オーディションに向かう紘子をタクシーの中からみたとか。つまり、あの日以降、紘子は健ちゃんとも別れ東京に残り、自分の道を歩もうとしていると理解できるくらい、月日は経っていな頃。だから、晃次は自分の内面と向かい合い整え、紘子を探す(迎えに行く)準備を始める。同じ東京の空のもとにいると思うことが、晃次の支えになる。紘子の好きな海で上半身を違う方向に向けながら、晃次を見つめる構図は、晃次の「自分には人を愛する、相手を理解する、心の声を聴くことができるだろうか」といった葛藤を経て出来上がったものとなる。別れてから毎年、リンゴの実る頃には、紘子の姿を探して、あの店によく行っていた。紘子に見てもらいたかったから、評価を恐れず絵はコンテストに応募した。母が雑誌の記事で自分を探しに来てくれたように、紘子も気づいてくれるかもしれないと思ったから。リンゴに季節だから授賞式パーティより、あの店で紘子を探す方が大事だった。リンゴの季節がすぎたら、晃次はもっと積極的に紘子を探しアクセスを試みるつもりだった。そして、そこに紘子がいた。まぶしいくらいの笑顔の紘子。はにかんで、ほっとした表情の晃次。「ずっと探していた。」

    妄想、長文失礼しました。

  6. くまさん、こんばんは。熱いコメントをありがとうございます。このドラマ、本当に時が経っても、変わらず多くの人に愛されてますね。いろんな方の考察が読めて興味深いです。

    紘子と健ちゃんが結婚したと思っている晃次が、心折れなかったかどうかですが、心は折れなかったと思いますよ~。というか、ただひたすらに、晃次は紘子をずっとずっと、好きでいたんだろうなあと思います。紘子が誰を選ぼうと、どんな人生を歩もうと、とにかく晃次はただ、彼女を思い続けただろうなと。
    痛みで言うなら、紘子が健ちゃんと一夜を共にして、それを告白してきたときの方がずっと痛かっただろうなあと思います。あれは晃次も、後悔したと思うんです。自分が光を家に入れたことが発端だったから。

    たぶん、人との距離、壁を作るという点では、晃次は筋金入り。女性にたやすく心を許さないでしょうけど、そんな晃次があっさり、どっぷり恋に落ちた相手が紘子で。多分そんな相手は人生に2度とは現れないんじゃないかと。その一方で紘子は、晃次と別れた後も、明るく楽しくたくさんの恋愛を経験しそうです(^^;
    だからもう、晃次は待つしかない。いつか紘子がもう一度目の前に現れてくれるその日まで。いや、その日が来るかどうかはわからないけれど、晃次にできるのはもはや、待つことしかない。
    だって、あの海のそばの家でお互いの気持ちを素直に話し合い、それでも紘子はキーホルダーを見ただけで健ちゃんを思い、晃次を拒絶した。これはへこみますよ。もう自分から、積極的には行けない。二度と、拒絶されたくないと思うでしょう。翌朝、晃次は紘子が自分の元に残ってくれることを最後まで望んでいた。そして紘子は「愛している」と何度も言ってくれたのに、それでも去っていく紘子。晃次にしてみたら、「いや、俺愛されてるんだよね?なのにどうして?」と割り切れない気持ちだったでしょう…。

    くまさんの考えた晃次のストーリー、面白かったです。確かに晃次は、リンゴの実る頃には必ず、あの店で紘子を待っていただろうなあと。それしか連絡をとる手段がないから。でも私は、晃次がそれ以上積極的に紘子を探したか、ということに関しては、ないかな~と思ってしまいます。もう毎年毎年、ひたすらあの席で、思い出を鮮やかに蘇らせながらじーっと待つ晃次の幻が見えます(^^; 紘子が来なかったらおじいちゃんになっても、ずっとずっと。そして成就しない思いだけに、葛藤のエネルギーは作品に反映されて、素晴らしい絵をたくさん生み出すことになったかもしれません。

    最終回では、紘子は再び晃次の前に現れたけれど。二人の再出発を匂わせるような最後でしたが、そうではないパターンも、容易に想像できてしまいます。また会えた喜びと期待で、静かに興奮している晃次の前で、「私、結婚したんです。晃次さんは?」と満面の笑みで、無邪気に聞く紘子とか。普通にありそう(^^; そんなときでも、晃次は内心の動揺を押し隠し、くまさんの言う「ずるい」笑顔で紘子の結婚を祝すのでしょう。

  7. カロンさん、コメントありがとうございます。
    もう、一度じっくりみて「私、案外マニアかも、オタク?」っていうくらい、いろいろ考えてみました。妄想爆進中です。少し、お付き合いください。

     まず、晃次というか、このドラマのトヨエツの魅力「モノを投げる」。最初のリンゴ、あれ結構なスピードで投げてる。初対面の人にあのスピードで投げる?っていうくらい(最後のリンゴも同様です)。つぎに、公園の水道でクサっていた紘子を見つけて、絵の具投げ。この時はちょっと変わった投げ方ですが、投げた絵具が変なカーブを描かないようストレートコースを狙ったんだと思います。(常盤さん、よくとった!)。第三話で栞が抱きついていたのを目撃して飛び出した紘子を追っかけ(これが、マジの追っかけっこで、走る姿がどっちも本気ですごい)。マジで走りながらポケットに手を入れ、コインをつかんで投げる。この一連の動作が秀逸!の投げシーン。体幹力を感じさせる力強いきれいな投げシーンです。コインが首に当たった紘子が「痛っ」て立ち止まるけど、あの投げっぷりだと、当たったら相当痛いはず。でも、身体がぶれずにあれだけできるのはすごい。さらに、FAX用紙を丸めてごみ箱が3度ほど出てきますが、それぞれ、感情表現の一環として、投げるスピードや丸め方、全部変えています。そして、12話の駅、落ちていたチラシを紙飛行機にしてゴミ箱に向かって投げる、これは2話で紘子がやっていたこと(既視感)を狙っているんだろうけど、紘子を見つけたとたんホームを全力ダッシュして、まずあの紙飛行機を横パスの要領(チラシとは思えないスピード感)で投げ捨て、そして、ポケットに手を入れコインをつかみ、反対ホームに投げ込もうとステップを踏みこみますが、電車に遮られ投げられず、投げたいのに投げられ焦燥感と会えなくなるという恐怖感を身体の動きで激しく美しく表現しています。「ひろこー!」って叫ぶまでの、数秒の全身の動き、これに気づいてから、もうトヨエツにファンレター書きたくなりました(笑)。

     カロンさんのお返事読んで、「なるほどな」と思って、いろいろ考えたんです。私は前回、「傷心の晃次は吉祥寺の家を引っ越し」と軽く流したけど、本当にそうなんだろうか?って。カロンさんのおっしゃる「晃次はひたすら紘子を待つ」のであれば、家を離れる必要性はあったのかな?「暗い海の底」にいて「地上にあこがれている」自分を自覚し変化を欲していた晃次には、あの天井の高い陽光のさすアトリエこそ人を描き始めたるのに最適の場ではなかったか。ニース芸術祭で大賞をとった紘子の絵。ニースは陽光・海。恋人を象徴しています。あの家を捨てる(紘子の思い出を捨てる)必要があったのだろうか?これは、いまだに自分の中で決着していません。

    長文、妄想失礼しました。

  8. くまさん、深い考察のコメントありがとうございます。
    モノを投げるという七変化、言われてみて初めて気付きました。トヨエツの演技すごいですね。もともとスポーツの素質がある人が、じっくり考えて表現していたんだなあと改めて感動しました。くまさんがトヨエツにファンレター書いたらもしかして返事が来そうなくらい、繊細な考察だと思います(^^)
    私は吉祥寺の家は引越してないと思う派なのです。晃次が自分から積極的にアプローチしないことを決めたなら、もう紘子からのアクションを待つしかなくて。吉祥寺の家は紘子が晃次を訪ねてきてくれるかもしれない数少ない貴重な場所なので、あそこでずーっと待っていたんじゃないかなあと妄想します。待つしかない晃次の情念の爆発が、賞をとるような絵の制作につながったのではないかと。
    あの、リンゴの木の元で二人が再会したとき。晃次は涼しい顔をしていたけど、紘子の姿をちらっと見た瞬間、心臓が爆発するくらいの喜びが体中を駆け巡ったんじゃないかと、そしてそれを必死に、悟られないようにクールを気取ったんじゃないかと。そんなことを考えると可愛いなあと思って微笑ましいです。

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