選挙戦で桜咲く

地元の市議会議員選挙があり、私もウグイス嬢として連日、目の回る忙しさでした。まさか選挙カーに乗ることになるとは、貴重な経験でした。

7日の深夜、祈るような思いでみんなで選挙事務所に集まり、当選がわかったのが日付変わって間もなくのこと。テレビで見たことのあるあの光景、だるまに目を入れたり、花束贈呈があったり、万歳三唱があったり。

受かった候補者はもちろん大喜びですが、落ちた人のことも考えると、その人の分までがんばってほしいなあと思います。一票の重み、気をひきしめていかないと、です。

選挙に参加してみて、気が付いたことなど、書いてみたいと思います。一番びっくりしたのが、「人にはそれぞれ、固有の思いがある」ということでした。自分にとっては当たり前でも、他人にとっては違うこともあるのです。自分には嬉しいことでも、他人には迷惑だったり。

たとえば、私の個人的な認識だと、選挙カーの広報って迷惑だったのです。大声で候補者の名前を呼び続けるだけとか、意味がないと思っていたし。だけど、地元を選挙カーで回る中で、「うちの方はまわってこないけどなんで来てくれないの?」とか、「こっちにも来てほしかったのに」というお声が多々、事務所に寄せられ。

なんと、選挙カーを楽しみに、心待ちにしてらっしゃる方も、少なからずいらっしゃったのです。そういう方には、行かないと、逆にお叱りを受けるのです。「応援しようとして待っていたのに、なぜこっちの地域は回ってこないのか」と。また、広場で集会をしていた一団をお見かけしたときには、イベントをやっていらっしゃるということで、邪魔になってはいけないと選挙カーは別の道を通り、私たちウグイス嬢も一時、広報を中断したのですが、その後複数の方からお叱りを受けました。「なんで目の前通ってくれなかったの?応援したかったのに」と。

難しい~(^^; だって、うるさいというお叱りも、1回はありましたからね。とある住宅街を通ったとき、クレームがありました。気持ちはよくわかります。でもその一方で、やらなきゃやらないで、クレームがあるんです。応援したくて、待ってる方もいるのです。

これは、電話での活動も同じことでした。私は個人的には、後援会から電話があっても「別に電話いらないのになあ。面倒だなあ」と正直、思ってしまうのですが、その電話を待っている方もいらっしゃいまして。

うるさいと迷惑に感じる方がいる一方で、心待ちにしている方もいる。うーん、これが政治なのですね。10人いれば、10人の考え方があるということを、痛感した選挙戦でした。

実際にウグイス嬢をやってみて、もう一つ痛感したのが、手を振って応援してくださる方のありがたさ(^^) ウグイス嬢は、目に見える範囲のすべての人に手を振ります。人がいなくても、住宅に向かって手を振ります。そうすると、通行人の方が軽く会釈してくれたり、手を振り返してくれることがあって、これが本当に嬉しい! もちろん、候補者を支持しているというわけではなくて、たまたま選挙カーから手を振られたから、反応した、という方も多いと思うんですよ。でも、支持するしないに関わらず、手を振り返してくれたりするとそれだけで疲れがふっとぶくらい嬉しいものなのです。

私は今まで、選挙カーに手を振り返したことなど恥ずかしくてほとんどなかったのですが、これからはどんな選挙カーでも、出会ったら手を振ろうと思いました(^^) 実際に応援する、しないにかかわらずです。それくらい、手を振り返してくれるのはウグイス嬢にとってありがたく、力をもらえるプレゼントでした。

また、意外な事実も発見。声が枯れるかと思いましたが、それは全然大丈夫でした。喉も痛くなりません。交代しながら広報するので、しゃべりっぱなしということがなく、最後まで声は大丈夫でした。特に飴をたくさんなめたり、水をたくさん飲んだり、ということもないですね。マイクがあるから、特別大声を出すこともないですし。

初日は原稿を見ながらの広報。日を重ねるにつれ、暗記して、状況に応じてのパフォーマンスが可能となりました。子育て世代が多いような新興住宅地では、若い世代に向けた政策をアピール。高齢者が多い地区では、福祉政策をアナウンス。短い時間の中で、いかに名前を覚えてもらえるか、また、政策に共感してもらえるか、工夫しながら精進しました。

一緒に過ごした他のウグイス嬢さんたちも、それぞれ個性があって面白かったです。原稿はあらかじめ用意されていますが、多少アレンジすることもOKなので、日が経つにつれて個性が際立ってきます。ひとり、とても面白いウグイス嬢さんがいて、選挙戦の終盤に漫才のような広報をしたりして、車内にいる皆が、候補者含め、爆笑してしまいました。

きっと、聞いていた人も目が点になってしまったかも。いつもというわけではありませんが、まれに、そういう面白い広報があっても、それはそれで目新しく、みんなの関心を引き付けることになるのではないかと、そんなことを思いました。

ウグイス嬢も、どれが正解とかどれが上手いとかはなくて、いろんな個性が集まることで、結果として総合的な力が高まったように感じます。かなりの気迫をこめた広報があった後で、ふっと肩の力を抜いたゆるやかな広報に代わったり。いろんな受けとめ方をする有権者がいるのだから、発信する立場のウグイス嬢もまた、いろんな形のアピールがあっていいんだなあということを学びました。

貴重な体験でした。いろんな方とお知り合いになれたし、地元の話で盛り上がったりして、楽しかった~(^^)

しかも最後に、当選という最高のプレゼントをもらいました。これがなにより、嬉しかったです。

家と家との距離は絶対にあけた方がいい その2

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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以前に書いた「家と家との距離は絶対あけた方がいい」の記事、結構読んで下さる方が多いみたいです。それだけ、お隣との関係に悩まれる方が多いのかなあと想像してます。きっと、これから家を建てますという方ではなく、実際に家を建ててみて、いろんなトラブルが出てきて困ってネット検索している方がメインでしょうね。

ということで、前回の記事を「その1」として、今回、「その2」を書いてみることにしました。もう建ててしまっている方には参考にならないかもしれませんが、これから新築を考えている方にはぜひ、知っていただきたいポイントです。

その1に当たる記事を書いて以降、うちの周囲はますます建築ラッシュで、田んぼがどんどん減少してしまいました。のどかな田舎の風景がなくなるのは、本当に寂しいものです。稲穂の揺れる光景は、日本人の心の故郷ですからね。それがなくなるというのは、食料自給の意味も含めて、あまり歓迎できることではないと思います。

ただ、高齢で耕す人がいなくなった田んぼを、そのままにしておけば草が生え放題で、近隣に迷惑をかけてしまいますし。埋め立てて住宅地にする、というのも仕方のない時の流れなのかもしれません。

ということで、うちの近所の分譲された土地に、新たに2軒の家が建つのを興味深く見守っていたのですが、この2軒のお宅は案の定、お互いにぎりぎり寄せて建ててしまったのですよ…。これ、初めて家を建てるときには、お施主さんが気が付かない盲点なんでしょうね。もっと住宅メーカーが、きちんとアドバイスしてあげるべきだと思う。

一度建ってしまったら、何十年そのままです。内装は変えることができても、建物の位置までは動かせない。断言しますけど、土地の狭い都市部や商業地はまた別として、田舎では特に、「隣地境界線からきちんと距離をとって家を建てる」ないと後々、お互いに嫌な思いをしますよ。

最低でも、自分の敷地内に足場を組めるスペースを考えなくてはいけません。いくら現状で境界にしっかりしたフェンスがないからといって、相手の土地を利用した足場でないと利用できない建物の位置だとしたら、確実にトラブルになります。そしてその足場も、ぎりぎりではなく、プラスアルファ、余裕をもって組めるぐらいのスペースを考えた方が賢明です。

私が見た2軒の家は、ぎりぎり足場は敷地内に組めているようにみえましたが、互いに軒を長めに出しているため、屋根と屋根とが異常なほどくっついています。壁には窓がいくつかついていますが、開けたら目の前がお隣さんで、圧迫感はかなりのものでしょう。窓が、本来の意味を失くしてしまってます。壁同士の距離で見てもあまりスペースがあいていないので、生活音などもある程度聞こえてしまうのでは?という感じです。

それと、その狭いスペースにエアコン室外機を置いたら、これはモメそうですね…。風の吹き出しとか、音の問題とか。もし電気温水器を置いたら、境界との間で人が通れそうもない。

結局、気を付けるといっても、単純な話なんですけどね。自分の家の周りは、大人一人がゆったり通れるだけの空間をつくって、ということです。民法では50センチですけど、1メートルはとった方がいいと思います。家は必ずメンテナンスが必要ですが、壁の塗装や屋根の修理、どんなときにも、お隣とある程度の距離があれば迷惑は最小限に抑えられます。

また、もし隣が非常識な人で、境界ギリギリに家を建てたり、車庫を作ったりしても、自分が境界からスペースを保っていれば、なんとか我慢することができるでしょう。でもお互いに、どちらもギリギリの距離で建ててしまったら…かなりつらい生活になりそうです。

身を寄せ合うようにして、くっついて建てられた2軒の家。他人事ながら、もう少し余裕をもてばよかったのに、と思って見ています。たぶんお施主さんも同じ思いなのではないでしょうか。相手の家がどの程度の距離に建つか、自分の家が境界からどのくらい離れるか、そういうことって、意外に盲点です。でも、とてもとても、重要な要素ですね。今後の生活の質に、ずっと関わってくる。

うちは田舎なので、一軒家はだいたい、70坪前後のお宅が多いです。だから、家の周囲にしっかりスペースをとること、そんなに難しくないと思います。だけど、南側にめいっぱいお庭のスペースをとりたい、だとか、北側は無駄なスペースをなくしてギリギリまで境界線に寄せたい、とか、そういう「欲」が、結果的に大損を招くのではないでしょうか。

大きな視野でみると、隣地とはほどよい距離を保ったほうが、絶対に上手くいきます。工事のときも、迷惑は最小限にすみますし、気を遣わなくても自分の敷地内ですべて終わらせることができるわけで。

でも、相手の敷地、相手の好意ありきの、相手の敷地を利用しなければ建てられない、メンテナンスできない、というのは、避けるべきですね。

また近所で、こんなケースがありました。目一杯、境界によせて車庫を建てたお宅がありまして。もちろん敷地内になにを建てようと、基本的にそれは自由なのでしょうが、問題は、ギリギリすぎて、隣地を踏まないと工事ができない仕様だということなのです。

壁から境界線まで15センチないのです。当然、大人一人立つこともできないくらいのスペース。車庫といっても窓もあるし、施工は外側から行うため、どうしても隣地を踏まなければ建築は不可能な状態です。お隣にお願いして、工事を行ったらしいのですが、正直、施主の気持ちが理解できません(^^; できるだけ自分の土地を有効利用すべく、ぎりぎりの位置に建てたいのはわかりますよ。でも、隣地を踏まなければ建てられない、メンテンスできない、というのは、あまりにも自分の欲にとらわれすぎた建て方だと思います。

建てて終わり、ではないですからね。今後、修理のたびに、「すみません、入らせてください」と頼むのかな? 今は良くても、土地の持ち主が変わったらどうだろうか。もし相手が変な人で、対抗するように同じような車庫を建てられたら、メンテナンスも無理だし、窓も意味がなくなるけど、そこまで考えているのかな?

家は建てて終わりではなく、そこからご近所さんとの長いご縁が始まります。トラブルの種は、少しでも減らしておいた方がいいですよね。そのためにも大切なのは、家の周囲をぐるっと、大人一人が余裕で歩けるくらいのスペースをキープすること。そのスペースは決して無駄ではありません。必要なものです。お互いにそうした、相手に配慮した者同士が隣り合ったら、もめることなんて何もないでしょう。

家と家との距離は、絶対にあけた方がいい。本当にそう思います。建ててしまってから後悔しても遅いです。トラブルがあって嬉しい人なんて誰もいません。新築のとき案外気が付かない、でも大切なポイントだと思います。

映画「闇の歯車」 感想

映画「闇の歯車」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意下さい。

いや~この映画、瑛太に始まり、瑛太に終わった作品でした。今まで瑛太をイケメンと思ったことは一度もないのですが、佐之助を演じた瑛太の暗い色気が半端ないです。これ、瑛太が佐之助を演ってなかったら、もっと凡庸な作品になっていたんではないでしょうか。

この作品に出ている瑛太は間違いなく、「色男」でした。現代劇より、時代劇の方が合ってるんじゃないかなあ。今まで瑛太がどんなドラマに出ていても、ふ~ん、と流していた私の目が、予告の時点で釘づけになりましたもん。誰、この人?って。

それも、正統派の正義の味方、じゃないところが合っているんですよね。背負う闇が、透けて見えて。やさぐれた影の部分に、思わず目を奪われるのです。

伊兵衛を演じた橋爪功さんも、裏で糸引く感じがなんともいえないドス黒さで、最初の柔和な商人顔からどんどん変わっていく姿に引き込まれました。佐之助とはいいコンビ。

伊兵衛は人の弱さにつけこむんだけど、決してごり押しをしないのね。時間をかけて、相手が自分から「やる」と決意するのを待つ。見事に絡み取られた佐之助。押し込みという悪事を働くのに、どうして素人複数を巻きこむのか。それは、迷った人を流れに乗せるっていうシステムでもあるんじゃないでしょうか。

自分だけじゃない。他にも仲間がいるっていう。そうでないと、少なくとも若旦那の仙太郎さんがなぜ一味に加わってるのか、その意味がわからないもの。腕っぷし弱そうだし、弥十の開錠技術みたいな特技もないし。

弥十を演じた大地康雄さんも凄みがありました。うらぶれてるんだけど、なにか裏がありそうな佇まいだったり。ただの酔っ払いが管を巻いてるのとは、ちょっと違う感じ。

伊黒清十郎を演じた緒方直人さんは、実直な感じが役にぴったりでした。最後、あれはわざと討たせたんですね。それもあっさりではあまりにも相手に無礼だから、それなりに討ちあった後で、というところに繊細な心遣いを感じます。まじめに優しく生きてきただろうに、どうして?という人生になってしまいましたが、あれはやはり、女性に弱かったということなんだろうなあ。すがりつく人を拒めなかった。

映画の中で、私が最後になってやっと気付いた点があるんですが、押し込み後、なぜかきえさんをそっとつけまわす佐之助の真意は、きえさんを守ることにあったんですね。なんだ~勘違いしてた。てっきり未練で追いかけ回してるのかと思っていたよ。おくみさんに逃げられたもんだから、再会したきえさんに執着してるのかと。この佐之助という人も、女性には弱いのですなあ。

それと、伊兵衛が捕まったとき、佐之助を知らないと言い放った場面。私は「あれ、伊兵衛は意外にいい人なんだなあ。佐之助がきえさんを守ろうとする気持ちに感動して、佐之助を助けてあげたのかしら」なんて思ったのですが。

牢屋での賄賂シーンを見てわかりました。いや、これ伊兵衛は生き残る気まんまんなのですね。これで最後なんて思ってない。誰かの気持ちにほだされるほど、やわな神経はしていない。佐之助を知らないと言いきったのは、保身以外のなにものでもない。あそこで佐之助もろとも破滅するのではなく、生き残る可能性に賭けた、ということなのだと。

登場人物のほとんどが破滅する中、真のボスは居酒屋のおっちゃんというところも、意外な感じがしてよかったです。案外、ああいう凡庸な日常の中にとんでもない真実が隠されていたりするんだなあ。

だけどツッコミどころがひとつ。佐之助は元々殺しにだけは手を染めてなくて、それが最後の自分の中での矜持みたいになっていたけど(押し込みも殺しはなしで、という前提だったし)、あれだけためらいもなく人を刺せる人が、殺しにだけは過剰反応するっていうのが解せませんでした。いやいや、人を刺してる時点で殺人と変わらないでしょう。たまたま助かってるだけで、亡くなってもおかしくない。

それと、あれだけの大金、預かってたお金を奪われた商家のその後は、たとえ命を奪われなくても死んだも同然で。自死に追い込まれることがわかりきっていながら、「押し込みでも殺さないからOK」みたいなところが、偽善に思えてなりませんでした。直接手を汚さないから何なの?っていう。結局、やってることは殺人だと思うのです。

映画全体、決して明るくはなくて、みんな幸せにはなれないし、でも引き込まれる作品でした。役柄によって、ものすごく輝く役者さんがいる、ということも知りました。時代劇の瑛太は、一味違います。

今年の抱負

2019年の抱負を語ります。

でもまずその前に、2018年の抱負、英語の勉強がどうなったかの発表です。

結果、駄目でしたね~。日本語と同じくらいペラペラに喋ることが目標だったし、TOEICも受験しようと思っていたのですが、どちらも叶わず。

まあ、TOEICに関しては、今受けてもダメだなというのが自分でわかっていたので、もう少し後で、もうちょい後で、と考えているうちに一年が終わってしまいました…。

英語のスピーキングに関しては、そのための対策としてとにかく英語に触れることを心がけていました。できるだけ英語のテレビ番組を見るようにしたのです。

BSで面白そうな番組を捜し、時間の許す限り見ました。でも結局のところ、真剣さが足りなかったかなと思います。それと、圧倒的に量が不足していた感じです。

英語の学習に、一番適しているかなと思ったのは、BBCニュース。基本的にアナウンサーがずーっと喋ってるし、早口だし、CMもほとんど英語なので無駄がないのがいいところ。ただし、内容は政治経済スポーツが多く、自分に興味がない話題だと、視聴意欲は削がれます。

私はアフリカのマーケットをぶらぶら歩いて、珍しい食品などをリポートするような番組が好きなのですが、BBCではあまりやっていません。見る時間帯にもよるのかな。たまにそういう内容を見かけると、集中して見ることができるし、内容も自然と頭に入ってくる感じ。異国の文化、景色に触れられるようなプログラムがたくさんあるといいんだけど。

アフリカや、砂漠の国に興味があります。日本と全く違う色彩や音楽、建築などなど。そういう番組をやっていると、引き込まれて見入ってしまいます。

あと2018年前半によく見ていたのが、アニマルプラネットの「猫ヘルパー」でもこれも、だんだん飽きてしまって、後半は見なくなってしまった。いつも似たようなパターンが多く。

自分勝手な飼い主と猫の組み合わせが、ほとんどでした。対策としては、まず飼い主の意識改革。結局、飼い主次第で動物の問題行動は直るんだなあという印象です。

敏腕猫ヘルパーのジャクソン・ギャラクシー。とてもいい人なんだけど、刺青がえらいことになってます。ある回で、問題が解決したお祝いに依頼人をタトゥーショップに連れて行ってあげて、二人で記念タトゥーをいれるという衝撃の展開もあったりして。少しずつジャクソンに親近感を持ち始めていた私はドン引きしました。なんというか、やっぱり遠い人なんだなあ。そういう世界もあるのね。

「猫ヘルパー」を見なくなった分、視聴機会が増えたのが「デンバー動物クリニック」でした。犬や猫だけじゃなくて、いろんな動物が見られて、しかも可愛い。見てるだけでほっこりです。でも、英語を聞く量としては、ニュース番組に比べて全然少なくなってしまうのが残念。獣医さんの右腕に、「外科侍」という刺青が入っているのが気になりました。日本人が見ると、違和感満載の造語です。

ドラマでは、「クリミナル・マインド」を時々見てましたが、毎回殺人、それも凄惨なシーンが多くて、だんだん気持ちが沈んできてしまい。結局、あまり見なくなってしまいました。

2019年は、やはりBBCを中心に見ようかなと思っています。発音も綺麗だし、一番効率的に英語のインプットができるのかなと。そして年末には、今度こそTOEICを受けて、客観的に自分のレベルを見つめ直し、今後の励みにしたいと思っています。

2019年にやろうと思っていること。

1. 電子ピアノを買って「幻想即興曲」の暗譜

2. 乗馬(競技ではなく、趣味として乗れるようになりたい)

3. 高野山へ行く

4. 英語が日本語と同じくらい流暢にしゃべれるようになる

5. ブログをもう1つ始める

6. 前から行きたくて、どうしても行けなかったレストランへ行く

7. 綺麗になる

7の、綺麗になるっていうのは唐突で抽象的ですけども。今は本当に、そうなりたいと思うんですよね。じゃあ今まではそう思わなかったのかというと、うん、思わなかった(^^; それより、強い人になりたかった。筋肉をつけたかった。

私、洋服のセンスがかなり悪いので、そういう美的感覚を磨いていきたいです。お化粧はあまり興味ないけど、素肌は綺麗になりたい。

5の、ブログをもう一つ始める件に関しては、備忘録を兼ねて毎日の出来事を細かく記録していくブログを始めようかなと思っています。「冥王星からこんにちは」とは全く別の場所で、名前も高萩カロンではなく、別人として、です。

「冥王星からこんにちは」は、私のリアル知人が見ても身バレがないように、内容を制限して書いているので、こっちに日常を書くわけにはいかない。いっそ二つのブログに分ければ、思う存分書けるかな~と。

以上、2019年の抱負でした。年末には、全部達成した~と言えるようにがんばりたいと思います。

霧の三峯神社、そして海の写真

2018年三峯神社を再訪したとき、初日は霧で、二日目は更に深い霧で、神秘的な光景を見ることができました。そのときの写真がこれ。

初日

これはたしかお仮屋への道を撮ったんだと思う。

二日目

もはや目の前が何も見えないほどの濃い霧。駐車場を撮ったような記憶がある。

こんなに深い霧、普通の場所なら怖いですが、そこは霊験あらたかな三峯神社。安心感がありました。目に見えないなにかに守られているという絶対的な信頼感。

一度は霧の三峯神社を経験してみたいと思っていましたが、興雲閣に一泊したおかげで、貴重な体験をさせてもらいました。

そして2019年のお正月、海へ行ったときの写真です。太平洋岸の、穏やかな波と空。ぼーっと座っているだけで癒されます。

だんだん日が暮れてくると、光の色がもの寂しい。

やがて日が沈むとき、オレンジの光が海面に反射して、桃源郷へ続くようなかりそめの道が浮かび上がります。太陽の形がシャープじゃなく、手作りめいた、いびつな形になるのがいい。

いったん日が暮れるとすぐ真っ暗なので、急いで海岸を離れました。神社と違って、海の傍は少し怖いです(^^; 夜の海というのも見てみたい気はするし、きっと綺麗なんだろうけど。

海風に吹かれていたら、雑念がきれいさっぱり。体が軽くなりました。

2019年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。平成最後のお正月を、のんびり過ごしております。年末には1年を振り返る投稿をしようと思っていたのですが、気が付いたらもう年が明けていました(^^; 

今年の初夢は、やっぱり学校でした。私はこの、「学校」の夢をよくみます。いつも同じ建物ではなく、学んでいることも毎回違うのですが、今年はホテルのような豪華な施設を歩き回っていたのが印象的でした。エレベーターが二基、近い位置にあり。扉が開いたので乗ろうと思ったら、係員が待機していて、私は一瞬気圧されて、乗るのをやめてしまった。

学食がとても充実していて、たくさんのおいしそうなお店が入って、フードコートの様相。中でも、フリーで提供されているソフトクリームのコーナーが気になって行ってみると、機械が壊れて、いろんな味がごちゃまぜになっているという。味の混ざったソフトクリームの生地を、機械が混ぜているのを眺めていました。おいしそう〜と思いながら。

勉強に関しては、夢の中で学んでいたのは、「紙」についてでした。現代は紙を使いすぎている、また、リサイクルが足りない、という話を聞きながら、古紙を仕分ける作業をしていました。

そんな初夢でした。「学校」の夢はよくみるけど、いつも建物が素敵で、広い施設の中をあちこち歩き回るのは中々楽しいものです。夢でも、わくわくするのはいいものですね。

去年、1年を振り返るブログを書かなかったので、今日は2018年のことを思い返して書いてみようと思います。

2018年、私にとっては「旅」の一年でした。近場の旅を除いて、長期の旅行だけでも5回は行ったかな。

4月に九州縦断。別府から桜島まで。6月は東北。太平洋岸を北上して、その後花巻へ入る。8月は北海道を反時計回りに一周。10月は箱根。11月は湯谷温泉と三谷温泉。

あと、恒例となっている伊勢のお参りも。これは、今後も毎年続けるつもりです。2018年は2度、お参りすることができました。

2018年で満足して、もう行かないだろうなと思ったのは、三峯神社です。神社の宿泊施設、興雲閣に泊まって、早朝のご祈祷も経験して、とても貴重な体験をさせてもらってすごくよかったのですが、残念だったのがひとつ。

拝殿の前、略式参拝の場に、前の方のお参りがすむまでここでお待ちください、的な案内が書いてあったんですよね~。これはちょっと、私にはう~ん、という感じで。

近年、神社のお参りで2列になるところが、結構目立つのですが。私はあれ、よくないと思っているのです。だって、神様が一度に2人のお願いしか聞けないなんて、そんなわけないじゃ~ん、て。昔は、誰でもあいたところからどんどん詰めて、お参りしてましたよね。どうしても賽銭箱の前、真ん中で拝まないと気が済まないっていう人は、その場所が空くまで待つのかもしれませんが。大多数の人は、とにかく空いたところに、どんどん詰めてお参りをすませていたと思うんですよ。だから混雑といっても、そんなにたいしたこともなく。

でも今は、一度に二人ずつ、みたいに並んでしまうところもけっこうあって。そうなると、横からお参りしづらくなってしまう。「今私の順番で、私が神様に祈ってるんですけど」みたいな無言の圧力を感じてしまって、横に並びづらかったり。

変ですよね~。あれなんとかならないかなあ。丁寧なようでいて、全く意味のない習慣だと思います。うちの近所の神社でも、昔はそんなことなかったのに、今は初詣に2列の長い行列ができるようになってしまって、私はもう空いているときにしかいかなくなりました。2列の行列がバカバカしく。

でも、三峯神社は、それを推奨してるんだなあと思って。拝殿の前では並んで、前の人が終わるのを後ろでお待ちくださいってことなんだなあと思ったら、「もう来るのは今回が最後でいいかな」という気持ちになりました。

ちなみに、伊勢神宮、内宮だと、ちゃんと係の方が、「並ばないでください」って声かけしてくれるんですよね。だからいつも、私は端の方の空いてるところにいって、お参りするようにしてます。真正面が好きな人は真正面でお祈りすればいいし、私は端っこで十分です。神様は、場所あんまり関係ないと思っているので。

昇殿参拝して、一組ずつ名前を読み上げてもらうようなご祈祷のときはもちろん、別の話ですよ。玉串奉奠などもありますし、一組ずつのお参りになるのも当然だと思います。でも略式参拝で賽銭箱の前で、前の人のお参りが終わるのを待つ、というのは、なにか違う気がしてしまうのです。

正式参拝でなく略式参拝の場でも、整列して前の人のお参りが終わるのを石段の上で待たなくてはいけない、というのがどうにも心にひっかかりました。ですので、もう私が三峯神社に行くことはないかなと思います。

ちなみに三峯神社は、2017年に初めて行って、そのときに感激してまた来たい、今度は泊まりたいと思って、2018年の秋に再訪しました。年々人出が多くなって、なんと毎月一日の白い氣守は、車の渋滞があまりにひどくて中止になったんですね~。確かに、2017年よりもさらに、2018年に行ったときの方が参拝の方は多かったような気がします。

私は前日に西武秩父駅前にあるビジネスホテルに泊まり、次の日チェックアウト後にバスで三峯神社へ行ったのですが、平日にも関わらずバスはほぼ満席でした。立っている人はいなかったのですが、あれほど山の中の、あまり交通の便のよくない神社に関わらず、バスが満席ってすごいことだと思います。それだけ人を呼ぶ、というのは、やはりご利益があるということなのでしょう。

私の場合は、特に願掛けをしたわけではなくて、単に、三峯神社の雰囲気が好きで、再訪しました。2017年のときは晴れて、霧が出なかったものですから、今度は霧の中がいいなあと思っていたらまさにドンピシャ。興雲閣にチェックインしたときから小雨が降っていて、翌朝は深い霧。荘厳な空気を全身で体感することができました。

お風呂もよかったです。2017年には、日帰りだったので帰りのバスの時間があって入れなかったのですが、2018年には泊まっていくのでゆっくり、入ることができました。エネルギーチャージできる、元気が出るお湯です。※HPによると、当面の間、お風呂の故障で日帰り入浴は中止とのこと。(2019年1月3日現在)※

チェックアウトした後、駐車場にあるバス停までの道が、ものすごい霧だったことを覚えています。すぐ目の前も見えないくらいの、深い霧。まさに、思い描いていたような霧の中、最後にもう一度お参りして、三峯神社を後にしました。

三峯神社では、小教院のコーヒーゼリーがおいしくてお勧めです。建物も歴史を感じるし、彫刻など内装も素敵で、ゆったりした気持ちになれます。おいしいお水を使っているから、ゼリーもおいしいのかな。お仮屋にお参りしたあと、立ち寄るのがいいかなあと思います。ほっとできる空間。

三峯神社は、山を登っていく過程も大好きです。バスの運転手さんが本当に運転上手。狭い道ですれ違いなどもありますが、さすが、という感じでいつも感心させられます。安心して乗っていられるし、山の景色がいいんですよね~。

そうそう、三峯神社に近い観光スポット、ちちぶ銘仙館もかなりおすすめです。参拝の帰り、電車に乗る前に立ち寄ると満喫できます。繭から製糸、織、染、銘仙への工程が一度に学べて面白い。デザインや色も華やかで心躍ります。売店で絹製品も買えるので、ぜひ。私は絹の手ぬぐいというか、マフラーを買いましたが、外出時に首巻にして重宝してます。なんの香りなのか、糊なのかな? 微かに香りがついていて肌触りがよく、風の強い日でも首元が温かくて愛用してます。

私は三峯神社参拝の前日、御花畑駅で降りてホテルに向かったのですが、夕暮れの光、そしてライトに照らされた秩父市役所、秩父歴史文化伝承館、秩父宮記念市民会館が、荘厳で胸が苦しくなるほど美しかったです。なんの建物かわからなくて、後で調べました。一度通り過ぎた後、あまりに綺麗でもう一度戻って眺めたほどです。

佇まいがなんとも、雅で味があるんですよね。刻々と夜の帳が下りる中、浮かび上がる建物の姿が不思議と、胸を打つ光景でした。どんな物語があの建物の中で繰り広げられているんだろうと、まるで異次元の世界の風景をみるようで。

昼間見ると、別に普通なんですが(^^;

でも、あのとき。薄暗くなる中、どんどん暗くなる中で、浮かび上がったあの建物群に感じた気持ち。印象深く、胸に残っています。

三峯神社、お正月は人出が凄かったでしょうね。私が行った、秋の、なんでもないような平日でもバスは満席だったのですから。それでも行きたい、と思わせるだけの魅力がある、神社なのだと思いました。

ドラマ「アシガールSP」感想

ドラマ「アシガールSP」の感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

いやー、一言でいって、「よかった」です(^^) 続編とかスペシャルと銘打つものが、本編と同じクオリティを持つことは稀だと思うんですが、よくぞ90分であれだけの世界を描いたなあと。

本編のダイジェスト版を見た後だけに、90分がどれほど短いものか、よーくわかってます。だからこそ、スペシャルが本当に丁寧に、視聴者の期待に応えるべく、考えられて作られたことがわかります。

ドタバタラブコメではあるんだけど、深いのです。途中、真剣に考えちゃったもんね。若君様の選択肢に何があるんだろう。どうすることが幸せなんだろうかと。

一度和議を結んだのに高山の裏切り、みたいに唯は思っちゃってるみたいですが、織田信長が登場した時点で、もう高山には選択の余地なんてない。従うか、抗うかのみ。そこに高山の意志など存在しないでしょう。

それと、羽木家も腹をくくらねばならない時が、来たんですよね。皆が一時的に城を逃れて、近隣に逃げたところで信長が見逃すわけないじゃ~ん、ていう。全国統一目指してるんだから、そこはきっちりと、つぶしていくと思う。じゃあどうすればいいのか。圧倒的な兵力の違い。戦えば滅亡。ならば、降伏して信長に仕えるか、戦って死ぬかの二択になってしまう。逃げても、結局は殿と若君の首だけは取られることになるだろうし。

とりあえず、小垣城へ向かう若君。時間稼ぎにしかならないことを知っていても、まあ、それくらいしかできることはないよね。唯に知らせなかったのは当然。着いていくと駄々こねられても困る。しかしまさか夜着で追いかけていくとは、唯は、本当に目の前の自分たちのことしか考えていないのだなあとしみじみ。

ドラマの中で、唯の考えが浅いところが時々気になりました。若君は一族全体の行く末を考えて行動しているんだけど、唯はあくまで自分と若君の未来に焦点を絞る。平成生まれの女子高生で、若君より2歳下だと仕方ないことなのか。でも、あれだけ若君と一緒に行動してお城での生活もあったんだから、もうちょっと心が成長してもよくないか?

一番「ええー!!」と思ってしまったのが、明日降伏する(切腹する)と決めている若君に、結婚をせまるところでした。ここは唯に対してイラっとしてしまった。いや、それどころじゃなくない? 祝言とか挙げてる場合じゃなくない? それは唯にしてみたら一番の願いかもしれないけど、若君の立場や気持ちを思いやったら、今それ言う?

私の中で、唯の評価がダダ下がりです(^^;

まあ確かに、唯のおかげで今、若君が生きているというありがたさはあるけども。でも唯だって、若君がいなかったら何度も死んでるよね。毒キノコやら戦闘やら。若君は命の恩人じゃん。そして若君の立場を思うなら、あの場で祝言の話とかするかなあ。

そして、「待てぬ」の若君がツボでした。そりゃあの状況で「待って」とか、唯が間違ってる(^^;でも結局待ってあげる若君は優しすぎて、どんだけ完璧な人なのかと。

あと、現代に帰ろうとする唯に、背中を向けるところもよかったです。そりゃあ、見てられないよね。胸が張り裂けるよ。それ以前に、唯がいなかったら…みたいなことを言う若君にも、キュンキュン(死語)させられました。

若君の孤独、について考えてしまった。領民、家臣、大勢の命を預かる責任の重さ、己ひとりの幸福を追求するわけにはいかないよ。そこが、どこまでも能天気な唯との違いなのです。でもその唯しか、いないのです。普通の姫相手だったら、表面上の勇ましさだけを取り繕わなければならないから。いろいろ本音で話せる相手は貴重です。その人が妻になってくれるなら、どんなに心強いか。でも、その人を危険にさらすわけにはいかない。逃がす手段があるなら、逃がさねばならない。二度と会えない場所であっても。

そんな若君の苦悩が、胸に響くシーンでした。唯とはどんどん親しくなっているだけに、本編の第8回以上の苦しさがあったのではないでしょうか。

死なない約束をしたから、屈辱に耐えても、切腹ではなく生きる選択をした若君。当時の状況を聞いて、すすり泣く臣下の者たち。唯の甘さを叱責するおふくろ様。おふくろ様もすごくいいセリフだったと思います。

しかしやはり、唯は唯でした。変わってない。わかってない。

だって、若君様が相賀の娘と結婚するのを、ぶち壊しにいくんだもの。いや、私は相賀の娘との婚儀の書状を、成之さまが持ちだしたとき、「その手があったか」と一瞬喜んだのですよ。だって、それこそ婿になることで、若君の命は救われるし、落ちのびていく羽木家の皆を、陰でこっそりサポートできるじゃないですか。婿としての発言力がどれほどのものかはわからないけど、少なくとも現状の、敗残の将としての生殺し状態からは逃れられる。そして、若君が皆を助けられる、唯一の道。

落ちのびたとして、城を失った羽木家の暮らしが、いいものであるはずもなく。親戚とはいえ、世は戦国。もし信長に「差し出せ」と命じられれば、そこに羽木家の居場所などない。

相賀の家の、戦の使い捨て駒なら、遠からず若君様には死、あるのみ。己の命を長らえ、羽木家を救うには、相賀の娘との婚儀は願ってもないチャンスのはず。

皆に賛同され、婚礼をぶち壊すべく意気揚々と走っていく唯の姿を見て、私は複雑な気持ちになりました。だって、悲しいかもしれないけど、この時点で唯が現代に戻れば、すべては上手くいくのでは? と思ったから。唯にだって、帰りを待つ親がいる。なにより、今唯が身を引けば、一番丸く収まるのに。婚礼ぶち壊して、その後、二人で現代に行くことが、若君の幸せなの? 残された一族のこと、若君が憂えないはずないのに。

月の人を演じる唯と共に、逃げ出す若君の殺陣は、ひたすら美しかったです。恋人を守る男性の図って、本当にかっこいい(^^) 唯の手を引きながら、無敵の強さで道を切り開く姿にほれぼれしました。眼福、眼福。あの後、じいが責めを負わされたであろうことには、心が痛みますが、じいを連れて逃げられないしなあ。

現代パートでは、若君が違和感満載でした。カツラが合ってないのかな。なんともいえない、「コレジャナイ」感。やはり若君には戦国が合う。現代のイケメンではない。それに、ちっとも幸せそうじゃない。もしも現代で二人がずっと暮らしたら…若君は唯に決して愚痴をこぼさないだろうけど、半分死んだような生活になると思いました。魂はずっと、戦国に残したままで。

たぶん、楽しいふりしてたんだろうなあとは思います。唯のために。唯が望むことを叶えてあげて、唯の恩に報いて。でも一瞬だって、若君は一族が暮らす戦国の世を、忘れた瞬間はないと思う。

若君役の伊藤健太郎さん、ぴったり役にハマっていました。佇まいが武士なのです。強く、優しく、思慮深く。

ドラマを見終わって、これはもちろんフィクションなんだけど、似たようなことは戦国時代、全国で起きていたんだろうなあと、そんなことを思いました。小国が、吸収、合併、滅びていく例は、無数にあったでしょう。だけど統一する強大な権力がなければ、それはそれで、地方での小競り合いは続いたでしょうし。

戦国どころじゃない。つい最近だって。明治維新もまた、多くの悲しみがあったはず、と、そんなことを思いました。今まで武士だった家が、武士でなくなる。そのことの重みです。もう社会構造が、根底からひっくり返ったのですから、衝撃はどれほどのものだったのかと。表に出てこないどれだけの人生が、激変したのかなあと。

ドラマ「アシガール」、好きです。しばらくは思い出して、いろいろ考えると思います。

ドラマ「アシガール」ダイジェスト版 感想

ドラマ「アシガール」ダイジェスト版を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未見の方はご注意ください。また、感想は辛口ですので、その点もご了承ください。

NHKドラマ「アシガール」のダイジェスト版の放送が、23日にありました。1時間25分の放送でした。元のドラマが、38分×12回=456分のところを、どうやって短縮するのか、はしょりすぎて意味不明になっても嫌だし、初見の人にもドラマの良さが伝わるよう何を捨て何を残すのか、編集を楽しみに見ました。

見終わった素直な感想。いやー、縮めるのって難しいね(^^; 印象深いたくさんの名場面が抜けていて、残念でした。でも納得でした。とにかく、今回のダイジェストは85分間ですから。

いろいろあってこその二人のセリフ、表情なので。いくら名場面と言っても、それをすっ飛ばして名場面だけを映したところで、感動はない。それくらいなら、いっそ流さないほうがいい。私の大好きな第8回の素敵シーンもセリフも、ほとんど出てこなかったですが、むしろそこだけ唐突に流されても嫌なので、あれでよかった。

編集は最高だったと思います。どうしてもぶつ切りになってしまって流れがおかしいところは、ナレーションでうまく繋いでいて、違和感がありませんでした。

ただ、あらためてダイジェスト版を見て、すごく気になったというか、惜しいなあと思ったのが唯役の黒島結菜さんのこと。

キャラとして、唯のイメージに合わないと思いました。クールすぎるのです。若君に一直線という情熱を感じなかった。セリフや態度は、もちろん演技としてきちんとされていたのですが、言葉にならない、あふれでるなにか、を感じられなかった。ものすごくもったいなかったです。もし唯がもっともっと、理屈ではない若君への恋心に突き動かされる女の子だったら、さらに切ないドラマになっただろうにと。

一番それを感じたのは、若君様のプロポーズシーンでした。愛しい人の命が助かったこと、その喜びを抱きしめ合いながら分かち合う、という盛り上がりの場面。

目を閉じた若君様が無表情なのは、あまりにも唯が淡々としてるからかな~と思ってしまいました。ああ、もちろん言葉は、「若君さま大好き」でしかない唯なのですが、最初から画面を通して彼女から伝わってくるものが、とても温度の低い何か、なのでした。一目ぼれから始まり、ますます熱が高まった末の、命がけの紆余曲折を経て、ではなかったのです。そういう唯を相手にしている若君様の、だからこそのあの無表情というか、妙に納得してしまうものがあった。

ああやって、好き同士が抱きしめあったら普通はもっと、違うオーラが出ないかなあと思ったのでした。お互いに、相手に対しての愛しさが、こらえてもこらえきれない気持ちがあふれ出て、それがまた相手の情熱に触れて、相乗効果となってぐるぐる回り出す、みたいな。

そういうのが見たかったけど、あの場面はそうではなかった、ような気がします。淡々と、淡々と。唯の目に、若君様は恋しい人に映っていなかったような。

若君様は、唯より多少温度が低くてもいいと思うんですけどね。あくまでも若君様であって、いかなるときも己の置かれた立場を忘れる人ではない。唯のことは好きだろうけど、それは無条件の何か、ではないと思うのです。

若君が唯を好きになったのは、唯が命がけで若君を助けにくる、そんな女の子だったから。歌を詠み、美しい着物を着てしとやかに殿の帰りを待つ、そんな典型的な女子像ではなく。足軽の格好で、馬と並走して走り、どんな危険にも臆さず一途に自分を慕い。あけすけに物を言い、時には自分の命を投げ出してまで愛する人を守ろうとする。

若君にしてみたら、それは心惹かれると思いますよ。戦や人生を語れるというだけでも、好感を持つでしょう。そんな人が自分を慕ってくれるなら、好意を抱かない方が不自然。

若君の愛情は、じんわりでいいような気がします。でも唯はなー。唯はもっとあけすけに、一筋に大好き光線を発する女の子であってほしかった。それが唯の魅力だと思うので。

舞台が荒唐無稽な設定でも、それをふっとばすくらいの元気キャラだといいなあと妄想します。唯の放つエネルギーに、皆が巻きこまれていくの。若君もまたしかり。大きな渦に飲み込まれて。そういうの、見たかったなあ。

黒島さんの唯だと、後先考えずに、とにかく走っちゃう、というよりも、知的な女の子に見えてしまうのです。

伊藤健太郎さんの若君が、あまりにもはまっているだけに、唯に対する違和感がもったいないというか。それと、唯の走る姿があまり魅力的でない、というのも残念です。

たぶん、ちらっと見ただけのCMでも、走る姿で魅せることってできるんじゃないかな? 楽しそうに駆け抜ける姿、走ってればそれでOKな姿、一目見た人が、お?これは面白そうなドラマだなあ、と感じさせるくらいの本気走り。走るのがものすごく速い人って、周りの目を奪いますよ。

ドラマだとどうしても、女の子っぽい走りに見えてしまって。速いという設定も嘘くさく感じてしまって。そうなると、子供向けのラブコメなんだろうなという印象がぬぐえなくなってしまってもったいない。

今の年齢の伊藤健太郎さんを若君役に抜擢したのは本当に大正解だったと思うし、ダイジェスト版の85分ではとても語りきれないほどの物語で、すごく面白いドラマ。展開が単調ではなくて、視聴者を飽きさせない。そして、衣装とか、街並とか、他にも主人公2人を囲む周りの俳優さんが実にいい。安っぽくなく真にせまっているのです。

結局、役にはまるかどうかというのは、ある意味、賭けもあるのかなあ。キャスティングは、本当にその役に合うかどうかでなく、事務所の力関係もあるだろうし。合う合わないは、俳優の責任ではなく。人にはそれぞれ持ち味があって、たまたまそういう役に巡り合うかどうか。

今日の夜、続編が放送されるのを楽しみにしています。本当は4Kで17時から見たいけど、うちが加入しているケーブルテレビは4Kに対応してないので、21時からの放送を待つしかない。なんだよNHK~、4Kだけのスペシャルコンテンツが気になるじゃないか~(^^;

21時が待たれます。

ドラマ『アシガール』感想 その2

前回のブログの続きです。私の好きなドラマ『アシガール』の名場面について語ります。以下、ネタバレ含みますので、ドラマを未見の方はご注意ください。

さて、名場面を語ろう、と思ったのですが。あれもこれも、たくさんあって選び切れない(^^;

一番好きな回で言うと、第8回と最終回の2つが好きです。第8回については、もうこれが最終回でもよかった、くらいの完成度でした。これが最後でも全く構わない。納得の終わり方。

第8回がどうやって終わるかというと、主人公の唯ちゃんが現代に帰っていくのです。タイムマシンがそれを最後にもう使えず、二度と戦国時代に戻れないというのを知らずに…。またすぐ若君と会えると思いこんでいるもので、かなり能天気な唯ちゃんに対し、永遠の別れを覚悟して、それを隠している若君の表情がせつない。

でもさ、まあそうなるよね、と。

若君様は、一度は現代を経験してしまった。そこでご両親や弟や、平和な世の中を見た後で、唯を戦国時代に留め置くっていう選択肢はないわね。

無邪気な唯と、精神的に大人な(さすが家督を継ぐ男子)忠清さまとの差が、せつない。唯には本当のことを言わず、ぐっとこらえて、送り出す姿がかっこよかったです。まさにイケメン。

私が中でも好きだったのは、若君がひとりで馬に乗って帰るときの哀愁かな。ついさっきまでの、唯のまぼろしを見るんだよね。流れる音楽も静かで、なにも特別なものじゃない、特別な夜じゃないって感じでさ。

出会うはずのない二人が出会って、またふっと、離れただけのことっていう。どこにでもあるような、世の無常を思わせるような、だからこそ胸に迫るものがあります。

第8回が最終回でもいいと私が思ったのは、若君が全力を尽くしたのがよくわかったから。やり残した後悔がないからこその、すっきり感があったのです。万感の思いでちゃんと唯にお礼も言ったしね。

悲しいし寂しいけど、でもどうしようもないもの。人それぞれ、背負った運命は違うから。もしあのまま唯と別れて二度と会えなかったとしても、若君はしっかり生きていっただろうなと思う。唯を生涯忘れないで、胸に秘めたまま阿湖姫と結婚し、高山と戦い。羽木家の嫡男として、まっすぐに生きただろうなと思うのです。

唯はどうだろう。あのままもし戦国に帰れなかったら。案外時間が経てば、記憶が薄らいで、若君のいない人生をそれなりに堪能したような気がする(^^; だってドラマの唯にはあんまり、若君への情熱を感じなかったからなあ。コメディだからそういう演出だったのかもしれないけども。

ああ、でも欲を言えば。もう少し、若君を好きな、それが画面からダダ漏れな唯であってほしかった。コメディ要素もいいけど、もっともっとせつないドラマにしてほしかったなあ。

と、第8回が大好きな私ですが、最終回もなかなかよかったです。最後の若君の笑顔がたまりません。ああ、こういうふうに笑えてよかったねえと、しみじみ思いました。こんなふうに笑える相手に出会えたなんて、若君様しあわせ者だよ(^^) 唯ちゃんを大事にするんだよ~と、声をかけたくなりました。

そうそう、他にもうひとつ好きな場面があります。唯の顔に鉄砲の弾傷があるのをみつけて、若君様がとても心配そうにするシーンです。もう、若君の心中が画面にあふれてきて、見ている私もいたたまれない気持ちになり。

そりゃ、自分のせいで好きな女子の顔面に怪我を負わせたら申し訳なくて罪悪感に苛まれるよなあ。痛かっただろうと思うし、傷が残らないかと心配だし。なにより、弾があと少し逸れていたら唯の命はなかった。そのことを思うと、もうたまらない気持ちになるよね。

そのとき、いつもは天然であまり察しのよくない唯が、そのときだけは、若君の心中を敏感に読み取って、嘘をつくのね。傷は、山の木の枝のせいだと。鉄砲の玉ではないと言外に、若君を思いやる。あー、こういうお互いの思いやりっていいなあ(^^) 見ててにんまりしてしまう。若君すっかり御見通しなところもイイ。

このドラマ、どうしてこんなに若君が魅力的なのかな、と思ったのですが、理由のひとつには、表情をあまり出さないということもあるのかなと。無表情っていうのも変ですが、若君は人の話を聞いてぱっと顔色を変えたり、そういう反応がないのね。むやみに心中を悟らせない教育を受けてきたのか、確かに、上に立つ人はどしっと、動じない方がいいんだろうし。そして、寡黙。普通のドラマだったら、相手の言葉にすぐ反応して言葉を返すのに、若君はもどかしいくらい黙ってて、どうしてもという厳選された言葉を口にしてる感じがする。そういうところが、若君の魅力になっていると思います。

若君は殺陣も所作も言葉遣いも美しかったです。時代衣装も似合って。そして若い。若いのに老成してる部分もあって、それは、そうしなければ生き抜けない戦国の世の厳しさをうかがわせて、痛ましくもあり、また、頼もしくもあり。

演じた健太郎さんは当時二十歳ということで、大正解だったと思います。もっと年齢が上なら、全然違う若君だったはず。ドンピシャの配役だと思いました。キャスティングした人すごいなあ。

ドラマ『昼顔』でデビューしたとのことで、ああそういえばあの高校生役か、と。でもあの人を、この若君役に、とは私だったら全然思いつかない。こんなに化けると思わない(^^;

ドラマ『今日から俺は』も何回か見ましたが、若君の片鱗がかけらも残っていないことには驚きました。まさに若君を「演じて」いたのだなあと。健太郎さん自身は、決して若君じゃない(当たり前だけどね)、ということをつくづく思うのでした。

逆に、何を演じてもその人が出る、というタイプの役者さんもいますね。どちらが優れてるとかではなく、それは役者さんのタイプなのだと思います。

たとえば、今回のドラマで言えば、加藤諒さん(宗熊)とか、村田雄浩さん(宗鶴)とか、ともさかりえさん(吉乃)とか、田中美里さん(久)などは、私にとっては、何を演じてもその人の個性が色濃く出る役者さん、に見えます。

宗熊ではなく、加藤諒さん、に見えてしまうのです。今回の宗熊役はよかった~。加藤さんが宗熊じゃなかったら、唯と宗熊のシーンがものすごくつまらないものになっていたはず。加藤さんの個性が、宗熊というキャラを見事に作り上げていました。もはや、宗熊が加藤諒さんなのか、加藤諒さんが宗熊なのか、切り離せない。

村田雄浩さんは、私にとってはドラマ『雪の蛍』の元彦さんで。渡鬼でもなんでも、元彦さんに見えるし、今回もやっぱり「あ、雪の蛍の板前さんだ」と思って見ていました。それだけ強烈な個性なのです。ともさかさんも、私は吉乃ではなく、ともさかさんだ~という目で見ていました。

あまりにも個性がある役者さんは、役よりもその人そのものが出てしまう、というところがあると思います。それが役にはまればOKなのですよね。

あとひとり、いいなと思ったのが、はんにゃの金田哲さん。若君と剣の稽古をするシーンが凄かったです。上手い! これは剣道経験者だからですよね。背筋をぴんと伸ばした姿勢から繰り出される無駄のない動き。若君を圧倒してました。これは指南役だわ~、若君敵わないわ~。

芸人のはんにゃ、でなくて。まさにそこにいたのは、天野家の嫡男。ドラマの中で光ってました。

全体的に、このドラマは映像として、綺麗だったな~。光が印象的に使われていました。朝の光、昼の光、夕暮れの光、月の光、ろうそくの光。それぞれに照らされる唯と若君様の表情、そのひとつひとつが美しかったです。

実は続編の放送を楽しみに待つ反面、自分の中に、もう見なくてもいいか、という気持ちも少しだけ生まれてきています。それは、本編がとても美しく終わっているから。唯や若君のその後を知りたいような、知りたくないような。続編が、あの美しい世界を壊してしまうものなら、見たくはないのです。それくらい完成された、良い終わり方でした。

ドラマ『アシガール』感想 その1

去年NHKで放送されたドラマ『アシガール』。今年のクリスマスイブに続編スペシャルが放送されるということなので、今から楽しみにしている。

とはいえ、私は本放送のときは、見てなかったのよね(^^; 理由は単純に、当時ときどき見かけた予告編がつまらなかったから、それに尽きます。ラブコメ、それも、どうみても子供向けというテイストが、視聴意欲を削ぎました。

あれもったいなかったな~と思います。もう少し予告映像工夫したら、若者だけでなく、もっと大人の年齢層も取り込めたのに。

タイムマシンもの、ということで。設定からしてそりゃあ、あり得ないことのオンパレードなのですが。でもこのドラマの良さは、人物設定がよく作りこんであることと、衣装や言葉遣い、所作の美しさ、そして清忠役と成之役にあると思っています。薄っぺらくないのです。静かに、深い。

以下、思いつくままに語っていきたいと思いますが、ミスキャストだと思う部分についても遠慮なく書くつもりです。ドラマの全部を褒めるわけではなく、熱心なファンの方は気分を害する可能性もあるので、その点ご注意ください。また、ネタバレも含んでおります、お気を付けください。

なによりも、私がこのドラマを好きなのは、伊藤健太郎さん演じる若君、忠清がかっこいいからです(^^) 外面ももちろんですが、内面も素晴らしい。

ただ原作漫画もちらっと読みましたが、原作の若君のイメージとはちょっと違いますよね~。漫画だと、クールな感じの美青年。ドラマ版だとクールという感じでもなくて。私はドラマの方が好きですけど。

ドラマ放映当初は若君のキャスティングについて賛否両論あったみたいですが、無理もありません。漫画のイメージ通りのキャスティングかというと、それは違う。ドラマと漫画は全くの別物、と考えたほうがいいような気がします。設定がほぼ同じというだけで。

私は漫画のファンではなく、ドラマのファンなので、健太郎さんをべた褒めします。うん、素晴らしい。この人が演じていなかったら、私はこのドラマ、こんなに語ることはなかったと思う。

若君様の何が魅力的って、おひさまみたいなところです。まっすぐに、素直に、すくすくと育った人の良さがある。大切に育てられたっていうのがわかる。そして、その恵まれた育ちや容姿を鼻にかけるところがなく、家督を継ぐものとして、私心よりも公を優先しようとする責任感がある。

じいの自慢の若君というのがよくわかります。そりゃ、こんないい子に育ったら、じいやも鼻が高いはず。

このドラマには、もう一人大事な登場人物がいて。それが、忠清の腹違いの兄、成之。演じているのは松下勇也さんなのですが、これまたぴったりなのです。何にもいわないでそこにいるだけで、陰鬱なんだもの(^^; じとーって漂ってくるなんともいえない怨念。

健太郎さんと松下さんをキャスティングした人、このドラマの成功の立役者なのでは? 他がどんなによくても、この二人の役を別の人がやっていたら、こんなに魅力的な作品になったとは思えない。

兄、成之がいるからこそ、忠清という人物が引き立ったのだと思います。兄弟での確執、そこからの和解、二人の成長。二人がとても対照的で、そこが面白い。

若君は剣術も得意で、馬も楽々乗りこなし、戦での度胸もあり、たくさんの家臣に囲まれている。

その一方、先に生まれたはずの兄は、母親の身分のせいで、まるで存在しないかのような扱い。ひっそりと、目立たぬように母と二人、生きてきた。生け花が好きで、物腰も武家というより公家。

兄上さんの目に、忠清はどう映ったか、想像に難くないです。まぶしかったと思う。自分がないもの、すべて持っているように思えただろうし。そして、成之の場合、母親が抱いていた恨みの念も自分が背負ってしまって、合計二人分の復讐心を抱えていたような。けっこう息詰まる生活ですよね。母親が背負わせてしまった負の重さ、あると思うのです。二人きりの生活で、息子は母の恨みつらみを否定できないから。

『ガラスの仮面』の二人の王女を思いだしてしまった。同じこと連想した人、いると思う(^^)

でも兄上さん、基本、いい人なんだよなあ。主人公である足軽の唯を、酩酊させて部屋へ連れ込んだときも。若君が来るのを知って、若君に嫉妬させるべく抱き寄せるんだけど、その抱き寄せ方が優しいのだ。そーっと、宝物を扱うみたいに、遠慮しつつ、という感じで。

酷い人だったら、もっと酷い状態の唯を、若君に見せたと思う。若君を激高させ、恨みを晴らすために。あんなふうに、成之は宝物をそーっと抱くみたいな姿だったからこそ、若君はあんなもん(怒り)で済んだけど。

それと、兄弟で初めて本音で喧嘩し、剣を交えたときも。結局唯の行方をしゃべっちゃってるからね。悪い人なら黙って知らないふりをつづけたでしょう。若君の唯への気持ちをよくわかっているから、つい口をついてしまったのだと思うし、そうしてしまった根底には、どこかで弟を思いやる気持ちがあったのでしょう。

成之がいたからこそ、若君さまがより凛々しく、輝いてみえました。忠清が後半、どんどん魅力を増していったのは、成之あればこそです。

しかしそんな成之が、最終的に恋した相手は、阿湖姫。私はええーー!! とずっこけました。阿湖姫が、私の目にはあまり魅力的に映らなかったから。私からすると、彼女の女性としての魅力度は、歌詠みで若君を辟易させた、あの、ふきさんと同じレベルなのです。なんで兄上さま、阿湖姫なんだろ??

阿湖姫役は、川栄李奈さん。可愛いんだけど、姫というイメージはあまりなかったような気がします。どちらかというと、村娘という感じで。唯役の黒島結菜さんの方が、阿湖姫役は合っていたかなあと。姫姿の黒島さんはとても綺麗だったから。阿湖姫は、可愛いというより、綺麗が似合う役だと思いました。そうでないと、唯と対照的でなくなる。

ここで告白してしまいますが、私は黒島結菜さん、唯役というのはちょっとイメージ違うかなと思っているのです…。ファンから怒られてしまいそうですが、あくまで個人的な意見なのでご容赦を(^^;

走る姿があんまり速そうに見えないのと、唯にしては綺麗すぎるんですよね。足軽の扮装してても、小僧というより少女に見える。

唯が足軽のとき、足軽に見えないというのは決定的で。うーむ。これが、ほんとに男の子にしか見えない感じだったら、女性の着物を着て、「ふく」として若君様と語らうシーンも、もっとずっと活きてくると思うんですよ。そのギャップが。

でも、唯は普段から、普通にきれいな女の子に見えたから。きれいな女の子が、きれいな着物に着替えました、というのを見せられても、感動があんまりなかった。

あと何よりも、黒島さん演じる唯から、若君様への熱量を感じなかったのが、とてもとても残念でした。いやー、唯が唯である一番の証明って、若君様への熱い思いじゃないのかと。それがない唯は、唯じゃない(^^;

一目で若君に魅せられて、あとはただただ突っ走って、己の命すら差し出して守り抜く。それが唯という人物像なら。その原動力になるのは、若君に対する圧倒的な恋心。汲んでも尽きぬ、膨大なエネルギーでもって、唯は若君を追いかけたと思うのですよ。だけど、画面に映る唯は、冷めていたように思えました。

抑えても抑えきれない気持ち。気が付いたら目で追っている。そばにいるだけで、幸福感に満たされる、自然と笑顔になる、言葉でなくても全身から気持ちがあふれ出す…そういうのを一切、感じなかったんですよね、ドラマの唯からは。

単純に、惜しいと思いました。これ、もっと「好き好き光線」絶賛放射中の、無条件に若君様を愛し続ける唯なら、さらに面白かっただろうなあと。それで、演じる役者さんは美形じゃない方がいいなあ。

そうすると、阿湖姫との対比が際立つからね。才色兼備で性格もいい阿湖姫を見て唯が、「若君様が阿湖姫様を選ばれるのは当然、誰が見てもお似合い」と思い、苦しみながら身を引こう、あくまで足軽の立ち位置のままでいようとする過程に、説得力が生まれるでしょう。

実のところ、あまり若君様を好きでない唯、に見えてしまいました。

次回は、私の好きなシーンについて語りたいと思います。