ドラマ『アシガール』感想 その2

前回のブログの続きです。私の好きなドラマ『アシガール』の名場面について語ります。以下、ネタバレ含みますので、ドラマを未見の方はご注意ください。

さて、名場面を語ろう、と思ったのですが。あれもこれも、たくさんあって選び切れない(^^;

一番好きな回で言うと、第8回と最終回の2つが好きです。第8回については、もうこれが最終回でもよかった、くらいの完成度でした。これが最後でも全く構わない。納得の終わり方。

第8回がどうやって終わるかというと、主人公の唯ちゃんが現代に帰っていくのです。タイムマシンがそれを最後にもう使えず、二度と戦国時代に戻れないというのを知らずに…。またすぐ若君と会えると思いこんでいるもので、かなり能天気な唯ちゃんに対し、永遠の別れを覚悟して、それを隠している若君の表情がせつない。

でもさ、まあそうなるよね、と。

若君様は、一度は現代を経験してしまった。そこでご両親や弟や、平和な世の中を見た後で、唯を戦国時代に留め置くっていう選択肢はないわね。

無邪気な唯と、精神的に大人な(さすが家督を継ぐ男子)忠清さまとの差が、せつない。唯には本当のことを言わず、ぐっとこらえて、送り出す姿がかっこよかったです。まさにイケメン。

私が中でも好きだったのは、若君がひとりで馬に乗って帰るときの哀愁かな。ついさっきまでの、唯のまぼろしを見るんだよね。流れる音楽も静かで、なにも特別なものじゃない、特別な夜じゃないって感じでさ。

出会うはずのない二人が出会って、またふっと、離れただけのことっていう。どこにでもあるような、世の無常を思わせるような、だからこそ胸に迫るものがあります。

第8回が最終回でもいいと私が思ったのは、若君が全力を尽くしたのがよくわかったから。やり残した後悔がないからこその、すっきり感があったのです。万感の思いでちゃんと唯にお礼も言ったしね。

悲しいし寂しいけど、でもどうしようもないもの。人それぞれ、背負った運命は違うから。もしあのまま唯と別れて二度と会えなかったとしても、若君はしっかり生きていっただろうなと思う。唯を生涯忘れないで、胸に秘めたまま阿湖姫と結婚し、高山と戦い。羽木家の嫡男として、まっすぐに生きただろうなと思うのです。

唯はどうだろう。あのままもし戦国に帰れなかったら。案外時間が経てば、記憶が薄らいで、若君のいない人生をそれなりに堪能したような気がする(^^; だってドラマの唯にはあんまり、若君への情熱を感じなかったからなあ。コメディだからそういう演出だったのかもしれないけども。

ああ、でも欲を言えば。もう少し、若君を好きな、それが画面からダダ漏れな唯であってほしかった。コメディ要素もいいけど、もっともっとせつないドラマにしてほしかったなあ。

と、第8回が大好きな私ですが、最終回もなかなかよかったです。最後の若君の笑顔がたまりません。ああ、こういうふうに笑えてよかったねえと、しみじみ思いました。こんなふうに笑える相手に出会えたなんて、若君様しあわせ者だよ(^^) 唯ちゃんを大事にするんだよ~と、声をかけたくなりました。

そうそう、他にもうひとつ好きな場面があります。唯の顔に鉄砲の弾傷があるのをみつけて、若君様がとても心配そうにするシーンです。もう、若君の心中が画面にあふれてきて、見ている私もいたたまれない気持ちになり。

そりゃ、自分のせいで好きな女子の顔面に怪我を負わせたら申し訳なくて罪悪感に苛まれるよなあ。痛かっただろうと思うし、傷が残らないかと心配だし。なにより、弾があと少し逸れていたら唯の命はなかった。そのことを思うと、もうたまらない気持ちになるよね。

そのとき、いつもは天然であまり察しのよくない唯が、そのときだけは、若君の心中を敏感に読み取って、嘘をつくのね。傷は、山の木の枝のせいだと。鉄砲の玉ではないと言外に、若君を思いやる。あー、こういうお互いの思いやりっていいなあ(^^) 見ててにんまりしてしまう。若君すっかり御見通しなところもイイ。

このドラマ、どうしてこんなに若君が魅力的なのかな、と思ったのですが、理由のひとつには、表情をあまり出さないということもあるのかなと。無表情っていうのも変ですが、若君は人の話を聞いてぱっと顔色を変えたり、そういう反応がないのね。むやみに心中を悟らせない教育を受けてきたのか、確かに、上に立つ人はどしっと、動じない方がいいんだろうし。そして、寡黙。普通のドラマだったら、相手の言葉にすぐ反応して言葉を返すのに、若君はもどかしいくらい黙ってて、どうしてもという厳選された言葉を口にしてる感じがする。そういうところが、若君の魅力になっていると思います。

若君は殺陣も所作も言葉遣いも美しかったです。時代衣装も似合って。そして若い。若いのに老成してる部分もあって、それは、そうしなければ生き抜けない戦国の世の厳しさをうかがわせて、痛ましくもあり、また、頼もしくもあり。

演じた健太郎さんは当時二十歳ということで、大正解だったと思います。もっと年齢が上なら、全然違う若君だったはず。ドンピシャの配役だと思いました。キャスティングした人すごいなあ。

ドラマ『昼顔』でデビューしたとのことで、ああそういえばあの高校生役か、と。でもあの人を、この若君役に、とは私だったら全然思いつかない。こんなに化けると思わない(^^;

ドラマ『今日から俺は』も何回か見ましたが、若君の片鱗がかけらも残っていないことには驚きました。まさに若君を「演じて」いたのだなあと。健太郎さん自身は、決して若君じゃない(当たり前だけどね)、ということをつくづく思うのでした。

逆に、何を演じてもその人が出る、というタイプの役者さんもいますね。どちらが優れてるとかではなく、それは役者さんのタイプなのだと思います。

たとえば、今回のドラマで言えば、加藤諒さん(宗熊)とか、村田雄浩さん(宗鶴)とか、ともさかりえさん(吉乃)とか、田中美里さん(久)などは、私にとっては、何を演じてもその人の個性が色濃く出る役者さん、に見えます。

宗熊ではなく、加藤諒さん、に見えてしまうのです。今回の宗熊役はよかった~。加藤さんが宗熊じゃなかったら、唯と宗熊のシーンがものすごくつまらないものになっていたはず。加藤さんの個性が、宗熊というキャラを見事に作り上げていました。もはや、宗熊が加藤諒さんなのか、加藤諒さんが宗熊なのか、切り離せない。

村田雄浩さんは、私にとってはドラマ『雪の蛍』の元彦さんで。渡鬼でもなんでも、元彦さんに見えるし、今回もやっぱり「あ、雪の蛍の板前さんだ」と思って見ていました。それだけ強烈な個性なのです。ともさかさんも、私は吉乃ではなく、ともさかさんだ~という目で見ていました。

あまりにも個性がある役者さんは、役よりもその人そのものが出てしまう、というところがあると思います。それが役にはまればOKなのですよね。

あとひとり、いいなと思ったのが、はんにゃの金田哲さん。若君と剣の稽古をするシーンが凄かったです。上手い! これは剣道経験者だからですよね。背筋をぴんと伸ばした姿勢から繰り出される無駄のない動き。若君を圧倒してました。これは指南役だわ~、若君敵わないわ~。

芸人のはんにゃ、でなくて。まさにそこにいたのは、天野家の嫡男。ドラマの中で光ってました。

全体的に、このドラマは映像として、綺麗だったな~。光が印象的に使われていました。朝の光、昼の光、夕暮れの光、月の光、ろうそくの光。それぞれに照らされる唯と若君様の表情、そのひとつひとつが美しかったです。

実は続編の放送を楽しみに待つ反面、自分の中に、もう見なくてもいいか、という気持ちも少しだけ生まれてきています。それは、本編がとても美しく終わっているから。唯や若君のその後を知りたいような、知りたくないような。続編が、あの美しい世界を壊してしまうものなら、見たくはないのです。それくらい完成された、良い終わり方でした。

ドラマ『アシガール』感想 その1

去年NHKで放送されたドラマ『アシガール』。今年のクリスマスイブに続編スペシャルが放送されるということなので、今から楽しみにしている。

とはいえ、私は本放送のときは、見てなかったのよね(^^; 理由は単純に、当時ときどき見かけた予告編がつまらなかったから、それに尽きます。ラブコメ、それも、どうみても子供向けというテイストが、視聴意欲を削ぎました。

あれもったいなかったな~と思います。もう少し予告映像工夫したら、若者だけでなく、もっと大人の年齢層も取り込めたのに。

タイムトラベルもの、ということで。設定からしてそりゃあ、あり得ないことのオンパレードなのですが。でもこのドラマの良さは、人物設定がよく作りこんであることと、衣装や言葉遣い、所作の美しさ、そして清忠役と成之役にあると思っています。薄っぺらくないのです。静かに、深い。

以下、思いつくままに語っていきたいと思いますが、ミスキャストだと思う部分についても遠慮なく書くつもりです。ドラマの全部を褒めるわけではなく、熱心なファンの方は気分を害する可能性もあるので、その点ご注意ください。また、ネタバレも含んでおります、お気を付けください。

 

 

 

なによりも、私がこのドラマを好きなのは、伊藤健太郎さん演じる若君、忠清がかっこいいからです(^^) 外面ももちろんですが、内面も素晴らしい。

ただ原作漫画もちらっと読みましたが、原作の若君のイメージとはちょっと違いますよね~。漫画だと、クールな感じの美青年。ドラマ版だとクールという感じでもなくて。私はドラマの方が好きですけど。

ドラマ放映当初は若君のキャスティングについて賛否両論あったみたいですが、無理もありません。漫画のイメージ通りのキャスティングかというと、それは違う。ドラマと漫画は全くの別物、と考えたほうがいいような気がします。設定がほぼ同じというだけで。

私は漫画のファンではなく、ドラマのファンなので、健太郎さんをべた褒めします。うん、素晴らしい。この人が演じていなかったら、私はこのドラマ、こんなに語ることはなかったと思う。

若君様の何が魅力的って、おひさまみたいなところです。まっすぐに、素直に、すくすくと育った人の良さがある。大切に育てられたっていうのがわかる。そして、その恵まれた育ちや容姿を鼻にかけるところがなく、家督を継ぐものとして、私心よりも公を優先しようとする責任感がある。

じいの自慢の若君というのがよくわかります。そりゃ、こんないい子に育ったら、じいやも鼻が高いはず。

このドラマには、もう一人大事な登場人物がいて。それが、忠清の腹違いの兄、成之。演じているのは松下勇也さんなのですが、これまたぴったりなのです。何にもいわないでそこにいるだけで、陰鬱なんだもの(^^; じとーって漂ってくるなんともいえない怨念。

健太郎さんと松下さんをキャスティングした人、このドラマの成功の立役者なのでは? 他がどんなによくても、この二人の役を別の人がやっていたら、こんなに魅力的な作品になったとは思えない。

兄、成之がいるからこそ、忠清という人物が引き立ったのだと思います。兄弟での確執、そこからの和解、二人の成長。二人がとても対照的で、そこが面白い。

若君は剣術も得意で、馬も楽々乗りこなし、戦での度胸もあり、たくさんの家臣に囲まれている。

その一方、先に生まれたはずの兄は、母親の身分のせいで、まるで存在しないかのような扱い。ひっそりと、目立たぬように母と二人、生きてきた。生け花が好きで、物腰も武家というより公家。

兄上さんの目に、忠清はどう映ったか、想像に難くないです。まぶしかったと思う。自分がないもの、すべて持っているように思えただろうし。そして、成之の場合、母親が抱いていた恨みの念も自分が背負ってしまって、合計二人分の復讐心を抱えていたような。けっこう息詰まる生活ですよね。母親が背負わせてしまった負の重さ、あると思うのです。二人きりの生活で、息子は母の恨みつらみを否定できないから。

『ガラスの仮面』の二人の王女を思いだしてしまった。同じこと連想した人、いると思う(^^)

でも兄上さん、基本、いい人なんだよなあ。主人公である足軽の唯を、酩酊させて部屋へ連れ込んだときも。若君が来るのを知って、若君に嫉妬させるべく抱き寄せるんだけど、その抱き寄せ方が優しいのだ。そーっと、宝物を扱うみたいに、遠慮しつつ、という感じで。

酷い人だったら、もっと酷い状態の唯を、若君に見せたと思う。若君を激高させ、恨みを晴らすために。あんなふうに、成之は宝物をそーっと抱くみたいな姿だったからこそ、若君はあんなもん(怒り)で済んだけど。

それと、兄弟で初めて本音で喧嘩し、剣を交えたときも。結局唯の行方をしゃべっちゃってるからね。悪い人なら黙って知らないふりをつづけたでしょう。若君の唯への気持ちをよくわかっているから、つい口をついてしまったのだと思うし、そうしてしまった根底には、どこかで弟を思いやる気持ちがあったのでしょう。

成之がいたからこそ、若君さまがより凛々しく、輝いてみえました。忠清が後半、どんどん魅力を増していったのは、成之あればこそです。

しかしそんな成之が、最終的に恋した相手は、阿湖姫。私はええーー!! とずっこけました。阿湖姫が、私の目にはあまり魅力的に映らなかったから。私からすると、彼女の女性としての魅力度は、歌詠みで若君を辟易させた、あの、ふきさんと同じレベルなのです。なんで兄上さま、阿湖姫なんだろ??

阿湖姫役は、川栄李奈さん。可愛いんだけど、姫というイメージはあまりなかったような気がします。どちらかというと、村娘という感じで。唯役の黒島結菜さんの方が、阿湖姫役は合っていたかなあと。姫姿の黒島さんはとても綺麗だったから。阿湖姫は、可愛いというより、綺麗が似合う役だと思いました。そうでないと、唯と対照的でなくなる。

ここで告白してしまいますが、私は黒島結菜さん、唯役というのはちょっとイメージ違うかなと思っているのです…。ファンから怒られてしまいそうですが、あくまで個人的な意見なのでご容赦を(^^;

走る姿があんまり速そうに見えないのと、唯にしては綺麗すぎるんですよね。足軽の扮装してても、小僧というより少女に見える。

唯が足軽のとき、足軽に見えないというのは決定的で。うーむ。これが、ほんとに男の子にしか見えない感じだったら、女性の着物を着て、「ふく」として若君様と語らうシーンも、もっとずっと活きてくると思うんですよ。そのギャップが。

でも、唯は普段から、普通にきれいな女の子に見えたから。きれいな女の子が、きれいな着物に着替えました、というのを見せられても、感動があんまりなかった。

あと何よりも、黒島さん演じる唯から、若君様への熱量を感じなかったのが、とてもとても残念でした。いやー、唯が唯である一番の証明って、若君様への熱い思いじゃないのかと。それがない唯は、唯じゃない(^^;

一目で若君に魅せられて、あとはただただ突っ走って、己の命すら差し出して守り抜く。それが唯という人物像なら。その原動力になるのは、若君に対する圧倒的な恋心。汲んでも尽きぬ、膨大なエネルギーでもって、唯は若君を追いかけたと思うのですよ。だけど、画面に映る唯は、冷めていたように思えました。

抑えても抑えきれない気持ち。気が付いたら目で追っている。そばにいるだけで、幸福感に満たされる、自然と笑顔になる、言葉でなくても全身から気持ちがあふれ出す…そういうのを一切、感じなかったんですよね、ドラマの唯からは。

単純に、惜しいと思いました。これ、もっと「好き好き光線」絶賛放射中の、無条件に若君様を愛し続ける唯なら、さらに面白かっただろうなあと。それで、演じる役者さんは美形じゃない方がいいなあ。

そうすると、阿湖姫との対比が際立つからね。才色兼備で性格もいい阿湖姫を見て唯が、「若君様が阿湖姫様を選ばれるのは当然、誰が見てもお似合い」と思い、苦しみながら身を引こう、あくまで足軽の立ち位置のままでいようとする過程に、説得力が生まれるでしょう。

実のところ、あまり若君様を好きでない唯、に見えてしまいました。

次回は、私の好きなシーンについて語りたいと思います。

コメントについてのお知らせ

当ブログは、2018年8月に、契約しているレンタルサーバーを通じてJASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)から、複数の記事の削除を求められました。記事の中に歌詞が含まれていたからです。そのため、指摘された21個の記事(ドラマカテゴリーのものも有)はすべて記事ごと削除し、また今回指摘を受けなかった記事も、音楽カテゴリーに関してはすべてチェックし、少しでも歌詞が載っているものは歌詞部分を全部消去しました。

削除した記事にコメントを下さった皆様、本当に申し訳ありませんでした。コメントだけを残すということができなかったため、記事と同時にコメントも削除する形になってしまいました。<m(__)m>

経緯については、著作権を考えるその1著作権を考える その2 をお読みください。

大坂なおみさんとMr. Murasaki guy

全米オープンテニスで大阪なおみ選手が優勝したのだが、その優勝セレモニーが物議を醸していた。さっそくそのときの映像を見てみると、これが予想以上にひどかった。せっかく優勝したのに、あのブーイングはないでしょう(;;)

いたたまれず、サンバイザーのつばを下げて涙をみせないようにして泣いている姿がかわいそうで。

でも、その後がもっとひどい。なんと、全米テニス協会会長がスピーチでセリーナに向かって「これは皆が求めていた結果ではない」だの、「セリーナはチャンピオンの中のチャンピオン」とか言い放ったのだ。

It’s not the finish everyone looking for today

You are a champion of the all champions

英語の聞き取りは得意じゃないけど、でも上記のようなことを言っていたと思う。

 

これは泣くよ。「セリーナこそチャンピオンだ!」という意味であろう観客からのブーイングで涙を流した大阪選手に、とどめの一撃だと思った。だって、会長も暗に、「みんな本当はセリーナに勝ってほしかったんだけどね。試合は負けたかもしれないけど、真のチャンピオンはセリーナよ」と解釈できるような宣言をしたんだから。

そのときの二人の表情が対照的。

セリーナは満足そう。なおみは悲しそう。

司会の男の人、気のせいかなおみに同情するような感じに見えたな。公平でなきゃいけないから、そこは気を付けていただろうけど。でもなおみに対して話しかけるとき、とても目が優しかった。気持ちわかる~。観客や会長からのあの仕打ちを目の前にしたら、なおみを心配せずにはいられなかっただろう。

でもなおみのスピーチは完璧だった。観客に謝ったけど、それは卑屈なものではなく。彼女の気持ちは、セリーナにも、応援した観客にも、十分伝わったと思う。その時点でみんな、ブーイングの愚かしさに気付いたはず。

涙をこらえながら、皮肉になるわけでも、理不尽さに憤るわけでもなく、ただ観客に感謝し、最後にセリーナへの感謝を述べたなおみ。セリーナも、セレモニー最初の方では複雑な思いもあったかもしれないけど、なおみの終始一貫した謙虚な態度に、それ以上エキサイトすることはなかった。気持ちも鎮まったみたい。

あのブーイングを受けていた時。大観衆の、天から降ってくるようなブーイングの中。なおみにとっては、まるで世界中が敵みたいに思えただろうけど。そのことに焦ることも、怒ることもなかったのは立派だったな。周りに流されず、周囲への敬意を忘れないこと。そうすれば、いずれみんな、わかるときがくる。

今回のことはばっちり映像に残ってしまったので。セリーナにとっては恥ずかしい過去になってしまった。試合中の審判への侮辱を見てると、この人は子供なんだなあって思う。負けたくない。負けたくないから駄々をこねる。

私はすっかり、大阪なおみ選手が好きになってしまった。用意されたのではない本音のスピーチがあれとは、なんていい子なんだ(^^)

その後日本へ来たなおみに、さっそく記者会見の場が設けられたのだが、これがまた面白かった!

大事にしている日本語や好きな言葉を聞かれて、答えがなんと「紫」で、その理由がGlass maskであり、Mr.Murasaki guy だと言うのです。通訳さんは「ガラスの仮面」はきちんと訳せたのに、Mr. Murasaki guyを「紫さん」と言いきったのが面白かった。

それ、明らかに速水さんのことだ~(^^) 正しくは「紫の薔薇の人」ですね。でも、なおみは rose って言葉はどこにも使ってなかったし、英語だとMr.Murasakiなのね。そして少女漫画に疎い通訳さんとしては、そう訳すしかなかったのか。微笑ましいです。「紫さん」である速水さんを思うと、笑えてきます。確かに、間違ってはいない。「紫さん」だもんなあ。

会場にいる記者の人も男性が多いせいなのか、「紫さん」にあまり反応していないのが印象的でした。これ、「ガラスの仮面」を知っている人が多い場だったら、なおみの回答で会場が一気に盛り上がったような気がします。

なおみ選手の、今後の活躍が楽しみです。

著作権を考える その2

前回のブログの続きです。読んでいない方は、まずはこちらをお読みください→『著作権を考える その1』

 

著作権は大事です。保護されるべきものだと思っています。ただ、好きな曲の感想を書くのに、歌詞の転載一切まかりならず、という現状は、ちょっと違うんじゃないかな~と、今回、自分がレンタルサーバーのアカウント停止になったケースで、そう思いました。

熱く語った気持ちが、今はすっかり冷めました(^^;

語った歌詞自体に対する「好き」という気持ちが、もうなくなってしまっています。感想を批評としてみてくれないなら、もういいや、っていう。そうまでして語るべき作品でもないか、と。

じゃあ、そういうお前はどうなんだよ、という話ですが。私は作詞した作品を発表したことはないので、ブログの文章に関する著作権についての思いになってしまいますが、自分の文章に関してはこんな風に考えています。

例えば、私が書いた文章を、別の人が書いたようにして記載されるのは嫌です。それと、ただまるごと、感想も批評もなしで、転載されるのも嫌だなあ。

逆を言えば、私が書いた文章であるということを明示して、その文章に対しての感想(批評)を書いてくれるのであれば、全然問題ありません。むしろ、うれしいかも。おお、そういう意見もあるのね~とか、そういう風に捉えたかあ、とか。あんまり罵倒されたらへこみますが(^^; でも、感想はやっぱり、単純に嬉しい。それと、感想を書くのは自由だと、そう思ってます。そもそも、絶対に、誰にも感想を書かれたくなかったら、ネット上に出さなければいいだけの話だと思っています。

JASRACに関しては、今回本当に驚きました。著作権保護は大事な仕事ですが、その範囲が、ちょっと行き過ぎているように感じます。歌詞に関してだけ、強烈な保護があり、感想を書けない、という現状。

人それぞれ感じ方はあると思いますが、私は、JASRACのいう『該当記事に歌詞の記載があることを理由とした、「送信防止措置依頼」』に、強い疑問を感じました。もちろん、何文字以上載せたら自動的にアウト、というような単純な条件が設けられないのはわかっています。でも、グレーゾーンであるがゆえに、JASRACがそう判断したらそうなのだ、という裁定の仕方は、一方的な意見の押しつけになってしまう危険性と、隣り合わせです。

 

私は今日、ブログの音楽カテゴリーの記事をすべて見直し、自主的に引用歌詞部分を削除しました。JASRACの指摘を受けていない記事です。

JASRACから指摘を受けた21個の記事については、歌詞部分を削除して掲載、ではなく、このまま記事をまるごと非表示とすることにしました。JASRACから直接言われたわけではありませんが、JASRACから「送信防止措置依頼」を受け、アカウントを停止する措置にふみきったレンタルサーバーからの指示は、「該当記事を非表示にすること」のみでした。他の選択肢はありません。修正してみてもらう、ということは駄目ということですね。もう、あの21個の記事については、諦めるしかありません。該当記事にコメントをつけて下さった方、申し訳ありませんでした。

今書いていて思いましたが、今後は音楽の歌詞に限らず、小説の感想を書く時の文章の一部引用なども、やめた方がいいのかもしれないですね。結局、言われてアカウント停止になったら、書いた記事をまるごと非表示にせざるをえない。そこに交渉の余地がないことは、今回の件で思い知りました。

今のところ、歌詞についてのみJASRACからの指摘を受けたのですが、今後、小説やドラマのセリフなど、そういうところからクレームが入ったらと思うと、恐ろしいです。時間をかけて書いた記事も、すべて非表示にするしかなくなってしまう。その危険性があるなら、最初から書かない方がいい。

なんだかなあ。もっと言葉は自由なもののような気がするけれど。私がこういう表現したんだから、絶対使っちゃダメ、とか、そういうものでもなく。

まるごとパクる、なんてのは論外ですが(^^; そうでなければ、素晴らしい表現について感嘆したり、熱く語ったり、ということで、広がっていく世界もあると思うのです。

言葉は、誰かのもの、独占されるべきもの、ではないと思っています。

著作権を考える その1 

さて、突然のレンタルサーバーからのメール、

「この度日本音楽著作権協会(JASRAC)より「送信防止措置依頼」が届きましたため、お客様がお使いのアカウントをロリポップ!の利用規約に基づきロックいたしました」

これが届いたのが7月26日。

今日は8月3日です。これまでの経緯を簡単に振り返ってみます。

1.レンタルサーバーからアカウント停止メールが届く(7月26日)

2.メールを読んで、メール記載のURL(著作権侵害の該当記事)をクリックするものの、アカウントが停止されているため、記事は表示されず。レンタルサーバーから来たメールによると、レンタルサーバーのユーザー専用ページの〔サポート〕から連絡ください、とのことなので、「いきなりアカウント停止で困っています」と連絡する(7月27日)

3.   その日のうちに返信がきたものの、要は「連絡いただいた件は、担当にて確認のうえ、あらためてご案内差し上げます。なお、現在確認にお時間をいただいており
回答が 2018/07/30 以降となる場合がある」との内容で、なんの解決にもなっていないことに驚く(^^;  (7月27日)

4.メール内に、アンケートフォームがあったため、記載のURLにて不満を書く。事情がわからないまま3日もアカウント停止はひどいと。(7月27日)

5.レンタルサーバーからの連絡はないものの、アカウントロックは解除されていたので、メールで指摘されたURLの該当記事を確認することができた。指摘の該当記事21個を非表示にした(7月28日)

6.7月30日に、レンタルサーバーからメールが届く。内容は、アカウントロックを解除したので、該当記事を非表示にした上で、8月2日12時までに非表示済の連絡くれということ。アカウントロックの理由に関しては、『このたびこの度日本音楽著作権協会(JASRAC)より、
該当記事に歌詞の記載があることを理由とした、「送信防止措置依頼」が届きました」』とだけあった(7月30日)

7.該当記事を非表示にしたので確認してください、とレンタルサーバーに連絡する(8月2日)

8.レンタルサーバーから、確認しました、とのメール届く(8月2日)

 

ざっと、こんな流れでした。一連の流れで、一週間です。でも、著作権違反と指摘を受けた記事については、「非表示にする」ことで終わったのかもしれませんが、この先も他の記事が、いつ指摘を受けるかわからない状態です。

それらをひとつひとつ、確認しながら、歌詞が少しでも載っていたら「非表示」にしなければならないのか…悲しい気持ちになります(^^;

それぞれの記事、メインは「歌詞」ではなく、それに関しての自分の気持ちを綴ったものだったので。記事にはコメントをいただいていたものもあって、非表示はコメントを書いてくださった方にも申し訳なく。時間と気持ちをこめて書いてくださった文章ですから

でも、このままにしておいたら、いずれまた「アカウント停止」→「指摘を受けた該当記事を非表示化」の無限ループになるのは目に見えています。その前に、自分のブログ内の記事をもう一度見直さなければ。

非表示にするくらいなら、歌詞を載せた部分を削除する方がいいかな、と思ったりします。要は、歌詞が載っていなければ著作権違反にはならないわけで。今回指摘をうけた21個の記事のうち、いちばんびっくりしたのは、全4494文字のうち、歌詞部分が40文字の記事のケースでした。歌詞は1パーセントに過ぎない割合です。でもそのことで、著作権違反とされて記事全体の非表示を求められるなら、歌詞部分だけを削除した方がずっといい。

結局、今は、歌詞を(たとえほんのわずかでも)載せて感想を書く、というのは許されないことなのだということがわかりました。引用元を明らかにしようが、引用部分を他と区別しようが、JASRACが該当記事に歌詞の記載があることを理由とした、「送信防止措置依頼」をレンタルサーバーに送れば、問答無用でアカウント停止です。

どういうものが著作権違反となるかは、結局のところ明確な規定がありません。何をすれば絶対大丈夫、という条件はないのです。引用元を明らかにしたり、引用部分を他と区別できるようにしたり、という点をクリアしたとしても、「歌詞を引用ではなく利用している」と、JASRACから判断されればそれまで。

私が今までブログで書いてきた記事に関しては、歌詞部分を削除していこうと思っています。歌詞が一文字も入っていない記事なら、著作権に違反することもないですから。

そして、今後書くものについては、一切の歌詞掲載をやめます。今までは、感想と言う形で歌詞の一部をとりあげることがありましたが、それをやるとJASRACに指摘され、アカウント停止になることがよくわかったので(^^;

一度は、運営事業者がJASRACと許諾契約を締結しているブログサービスにブログを移動することも考えました。そういうブログサービスなら、歌詞掲載も、個別にJASRACの許可を得なくてもいいそうなので。

でもよく考えてみると、なんかおかしいなって思うのです。たとえば短歌でも俳句でも、短い言葉であっても。誰のなんという作品かを明示した上で、この言葉の使い方が好きだとか、この言葉はこんなイメージを惹起するとか、そういう感想を書くことは、著作権違反には当たらないと思うんです。それを指摘されたという話も聞きませんし。本の感想であっても、一部分をとりあげて、この部分が好き~とか、この書き方がいいとか、それを書いたからといって「著作権違反でブログのアカウント停止」という話は聞いたことがない。ドラマのセリフだってそう。著作権はありますが、じゃあそれをとりあげてセリフの感想を書いたところで、著作権違反だからアカウント停止になるのか?

JASRACが管理する曲の歌詞に関してのみ、とても厳しく監視されている、と思います。

おそらく、JASRACとしては、厳しい監視や指摘をすることによって、すべてのブログサービスがJASRACと許諾契約を結ぶことを目指しているんでしょう。確かに、私も一度は、そうしたサービスへのブログ移行を考えました。

でもよくよく考えると、なにか納得いかない(^^; それでいいのかなあって。一文字たりとも歌詞の転載は認めない、感想を書くことも許さないって、それは著作権保護の枠を超えているんじゃないかと、そんなふうに思えてなりません。

私はむしろ、JASRACと許諾契約を結んでいないブログサービスを応援したい。

ということで、JASRACと許諾契約を結んでいる(歌詞掲載のできる)ブログへの移行はやめました。歌詞掲載のある記事については、歌詞部分を削除することで、今後の突然のアカウントロックを阻止したいと思います。とりあえず、音楽カテゴリーの記事から始めていきます。そして、新たに書く記事には、二度と歌詞を引用しない、使わない、ということで対策とします。

レンタルサーバー自体の移行については、ロリポップとの契約がまだ一年あるので、ひとまず更新の時期にまた考えようと思います。というのも、別のサーバーになったからといって、突然のアカウント停止が避けられるかというと、そうでもないようなので。

どこのサーバーも、JASRACからの、「該当記事に歌詞の記載があることを理由とした、送信防止措置依頼」を受けたら、たぶん同じような対応になると思うんですよね。うちはそういうとき、一方的なアカウント停止はしませんよ~、内容で判断しますよ~、ユーザーの意見も聞きますよ~、なんて、そんな対応を売り物にしているサーバーは今のところないようです。

たしかに、サーバー側としては、面倒なことに巻き込まれたくないですし。アカウント停止することによって、JASRACが納得してくれたら、それで万事オッケー。ユーザー側が該当記事を非表示にすれば、淡々とアカウント復活させるだけのこと。ユーザーとしてもそれ以上争う人はいないでしょう。それ以上争うのなら、裁判するしかないし、ユーザーとしてもそこまで大事にしたくない、というのが一般的な反応だと思います。

長くなるので、著作権についての話は次の記事に続きます…

著作権侵害でロリポップがアカウントを停止し、一時、ブログ閲覧不可となりました

私はこのブログの運営に関し、レンタルサーバーのロリポップを契約しています。

平成30年7月26日、ロリポップからメールが来ました。

>さて、この度日本音楽著作権協会(JASRAC)より「送信防止措置依頼」が届きましたため、
>お客様がお使いのアカウントをロリポップ!の利用規約に基づきロックいたしました。

(中略)

>【侵害されたとする権利】
著作権法第21条の複製権及び第23条の公衆送信権(送信可能化を含む。)

 

そして、対象URLとして、21個の記事が挙げられていました。しかし、クリックしてみても、すでにアカウント停止のため、記事は表示されません。エラー表示が出るだけです。

メールには、ユーザー専用ページ内の〔サポート〕より弊社へご連絡くれ、と書いてありました。連絡すれば、詳細と対応方法について案内してくれるとのこと。

27日に、さっそくサポートのフォームから、ロリポップに送信をしました。

メールが届いたのは26日ですが、それに気付いたのが27日だったので。すると、夕方にこのような返信がありました。

>ご連絡いただきました件について、担当にて確認のうえ、

>あらためてご案内差し上げます。

>なお、現在確認にお時間をいただいており
>回答が 2018/07/30 以降となる場合がございます。

連絡をすれば詳細と対応方法を案内するというので連絡したのに。担当に確認をとるだけで3日かかるかもしれない? それまで待つしかない? 考えられない返信でした。しかもアカウントはロックされ、ブログは閲覧できないままの状態…

品質向上のためのアンケートが、同じメールに記載されていたので、さっそく対応が遅すぎることと、いきなりのアカウント停止の不条理さを書いて送信してみましたが。

あまり良い対応は期待できないですね(^^;

現時点(平成30年7月28日14時)で、まだロリポップからのメールは来ていません。

そもそも、著作権には気を遣って書いていたつもりのブログでしたが、これでダメというなら、指摘を受けた21個の記事に限らず、他の記事も著作権侵害として削除を求められる可能性が高いです。

いや、削除を求められる、というよりも、警告や注意など一切なく、いきなりレンタルサーバー側(ロリポップ)からアカウント停止される、ということですね。私はブログに連絡先のメールアドレスを載せていますが、JASRACからの連絡は何もありませんでしたし、ロリポップから来た最初のメールは警告でも削除依頼でもなく、「アカウントを停止しました。サポートに連絡くれれば、対処方法教えます」というものでした。

またこんな事態(いきなりブログが閲覧不可になる)が起こるのは避けたいです。ですので、他のサーバーへの移転を考えています。

今日は7月28日。ブログが表示されるかどうか、あらためて確認してみると、今日の時点ではなぜか、アカウントが復活し、普通に閲覧できるようになっています。アンケートに対応への不満を書いたのを、ロリポップが考慮してくれたのか?

おかげで、指摘を受けた21個の記事は、メールに記載のURLをクリックして、すべて確認することができました。

でも、正直なところ、「これが著作権違反??」という思いが大きいです。改めて見直してみても、「えええ???」と言う気持ちです。

ブログに歌詞を記載するとき、私が気を付けていたのは、

1.誰の何という曲かという明記

2.歌詞部分には>マークを付けて引用部分がわかるようにする

3.その歌詞に対する感想、批評をしっかり書く(ただ歌詞を載せて終わり、ではない)

問題はないと思っていましたが、今回の事態でJASRACの見解は違うのだろう、ということがわかりました。まだロリポップからもJASRACからも説明は受けていないので具体的に何が悪い、というのはわかりませんが、とにかく、指摘を受けた21個の記事は非公開の設定をします。

ちなみに、指摘を受けた記事というのは、音楽のカテゴリーだけに限りません。2013年10月6日に書いた、“ドラマ『愛していると言ってくれ』感想” という記事も含まれます。この記事はドラマの感想がほとんどなのですが、主題歌の歌詞を三行分書いて、そのことについても思ったことを書いているので、その三行の引用が、引用でなく「利用」と、JASRACは判断したのでしょう。歌詞の記載は三行、文字数では40文字です。ちなみに、記事全体の文字数は、4494文字です。

私以外にも歌詞について書いてるブログは多いのに、どうして他の人は大丈夫なのだろうという疑問がわいたのですが、大手のブログサービス、たとえばSeesaaブログや、楽天ブログ、Yahoo!ブログなどはJASRACと許諾契約を締結しているため、ブログをやっている個人ユーザーが、JASRACに個別に許可を得ずとも歌詞の掲載をできるようになっているそうです。ニコニコ動画やYouTubeもそうなのだとか。知らなかった…

結局のところ、何をもってブログの歌詞掲載を「引用」とするのかは、すべてJASRACの判断ということになります。明確な規定はありません。総合的に判断して、ということなのでしょうが、いくらこちらが「引用」のつもりでも、「引用ではない」とJASRACが判断すれば、それで終わりです。

非公開にした21個の記事に、コメントをつけてくださった方、申し訳ありません。以上のような理由で、やむなく非公開の設定をとりました。それによって該当記事のコメントが見られなくなってしまいました。

またいつ、ブログが閲覧不可になるかわかりませんが、ひとまず、現状報告です。

映画『昼顔』 感想

映画『昼顔』を見ました。感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 

 

地上波初放送、ノーカット版ということで、興味深く見ました。ちなみにテレビドラマで放映されてたときも見てました。ドラマ版の感想としては、利佳子(吉瀬美智子さん)サイテー、加藤(北村一輝さん)勘違い俺様男、紗和(上戸彩さん)欲望むきだし過ぎ、北野(斎藤工さん)据え膳乗っかり、でした。

映画の感想を一言で言うなら、「乃里子(伊藤歩さん)が離婚に同意してたら一秒で終わった話」です(^^;

不倫は周りを傷つける、というのは本当にその通りなんですけど、不幸な結婚生活も、それと同じくらい罪深いものだと思います。すべての結婚が、うまくいくわけではなくて。互いに永遠を誓っても、その先の生活の中で、「こんなはずじゃなかった」というのが出てきてしまうのは仕方ないことで。

人間は理性があるから動物とは違う社会生活を営み、結婚という契約があるわけですが。本来動物でしたら、「好き」がそのまま繁殖行為につながり、情や制度でカップルを続けることはない。

動物と同じになれ、というわけではないですが、ある程度の相性、というものは、結婚生活に不可欠ではないかと思いました。

なんだか知らないけど好き、だとか。馬が合う。みたいなことです。努力ではなく、一緒にいるのが心地よい、安心する。そしてなにより、相手と一緒にいたい、と自然に思えること。

結婚し、一緒に生活をしてみて、どうしても相手と合わないとわかったら。あるいは、相手以上に好きな人がもしもできてしまったら。離婚もアリだと思うし、むしろその状況で不毛な同居生活を続ける方が、誰の得にもならない。夫や妻、どちらかが「絶対離婚しない」と言ったところで、相手の気持ちが離れてしまったら、意地を張る権利などないと思うのです。結婚は奴隷契約ではない。相手の気持ちを縛ることはできない。

ただし、子供がいる場合は別ですね。子供がいたら、安易に別れるべきではないと思う。離婚は親の都合であって、子供にとって自分の父親と母親が別れることほどつらいことはない。そして、離婚したからといって、親子の縁は切れないのです。夫婦の縁は切れても、親子の縁は切れない。

子供がいるなら、親の気持ちよりも子供を優先すべき、と思います。親にはそれだけの責任がある。だから、産む前に相手との生活をきちんと見極めないといけません。離婚するのなら、子供を授かる前に、です。ただ、あまりにも相性が悪すぎて大ゲンカが日常、というところまできたら、いくら子供がいても別れた方がいいのかもしれない。「子供のために離婚を我慢した」なんて、言われながら育つ子供は不幸すぎます。

要は、結婚は慎重に、出産はさらに慎重に、相手を見極めて、ということですよね。それでも失敗したら、それはもう、離婚するしかない。

ドラマを見ていたときには、紗和の北野先生への好き度合が、とても大きいなあと思っていました。本能で惹かれる感じです。

でもそれに対して、北野先生は同じだけ愛情を返してくれる、というよりも。紗和に流されて据え膳を…という感じに見えました。それは、ドラマで紗和の方から初めてキスしようとしたとき、思いっきり突き飛ばしていた態度で思いました。背徳感からそうした、というよりも、紗和をそこまで好きではなかった、という証拠のような気がして。

背徳感というなら、ふたりっきりで秘密のお出かけという時点でもう裏切ってますしね。その上で、本当に好きな相手といい雰囲気になって、キスされそうになったら、普通はそのまま流されてしまうのではないかなあ。

ドラマで紗和を突き飛ばした、あの瞬間。あれこそ本能のようなもので。迫ってくる相手に言いようのない嫌悪感を抱いた瞬間、にしか見えませんでした。

ただ、紗和の熱量がねえ。北野先生にしてみたら。突き飛ばして傷付けたのをすまなくも思っただろうし、それだけ愛されてるっていうことへの優越感もあっただろうし。最初は、ちょっといいかな、くらいで付き合い始めたものの、紗和の熱情に押されて押されて、不倫の高揚感もあって、妻との生活に感じていた違和感を背景に、どんどん紗和との逢引にのめりこんでいった、というように見えたのです。

ドラマでは、逃避行先の別荘で二人が引き離されるとき、子供みたいに泣きわめいていたのがとても印象的でした。もう結婚すればいいじゃん(^^;と思いましたよ。私が妻なら、そんな夫を見たらドン引きして自分から別れるなあ。そこまで好き合ってるなら、どうぞお好きに、という感じです。子供がいなければ、大人だけの話し合い。

私には、北野先生に執着し続ける乃里子が異常に見えました。あの人と結婚生活続けるのはちょっと厳しい。

ドラマで生木を引き裂くように別れさせられた二人。映画は、その三年後を描いています。三年後、偶然に再会した二人は、当然のようにまた、燃え上がります。そりゃそうだ、という感じで、乃里子に気の毒という感情が一切わかない展開です。

もう、ドラマの時に十分描いてましたからね。北野夫婦の破綻。紗和は離婚しましたが、そりゃそうだろうと思いました。あれだけの大騒ぎがあれば、離婚になるでしょう。その点、紗和の夫は紗和に対しての愛情もちゃんとあったし、常識もあった。壊れた関係を続ける不毛さを、ちゃんとわかっていたのですね。北野夫婦が別れなかったこと。乃里子が意地で、北野先生を奴隷のように自分の思い通りにさせたこと、そこが、悲劇の発端だったような気がします。

映画では、北野先生と紗和のいちゃつきっぷりがなんとも(^^) 北野先生からしたら、紗和は決して自分のプライドを脅かさない存在。その安心感。同じ業界にいるわけではないので、妻とライバル関係にはならないですしね。乃里子との生活に疲れた北野先生にとって、一途に自分を慕ってくれ、家事もばっちりな紗和の存在はどんどん大きくなったでしょう。

自転車二人乗りのときの、紗和の幸せそうな顔。高校生か!と。

その一方、相手の気持ちをつなぎとめるために、自殺未遂をやらかした乃里子。こういうのは最低です。なんなんだこの人。北野先生が送ってきた、目に見えないトゲだらけの夫婦生活、垣間見えました。この人はいつも、こうして夫を支配してきたのかな。おそらく、「あんたは一度私を裏切ったんだからね」という、一段上の態度、無言の圧力が常に存在する、冷え冷えとした夫婦生活だったことでしょう。

映画を見ているうちに、どんどん乃里子が嫌いになり、紗和と北野先生を応援し始める自分がいました。だからこそ、最後のあの事故で、怒りがピークに達しましたね。

もはや不倫じゃなくなってる。この状況で、北野先生との結婚を無理やり続けようとするのは、相手に対する暴力だ。殺してまで自分に従わせようとする傲慢さ。最後、問い詰められて車中で死んだ目をする北野先生が印象的でした。諦めたんですね、すべてを。乃里子は狂ってた。

映画の中で、紗和と北野先生がお互いに疑心暗鬼になるシーンは、よかったです。あれが現実だなと思うから。

紗和の、自分が裏切ったことがあるから相手を信じられない、みたいなセリフがずしりときました。

なにも乃里子がヒステリーをおこすまでもなく。不倫の末に一緒になったカップルは、最初から重荷を負うのです。お互いに、「また不倫をするのでは?」という、答えのでない永遠の枷を。不倫に罰を、というのなら、それが一番の罰なのではないですかね? 解きようのない重い鎖です。一生涯つきまとう不信だから。同じことを、また繰り返すかもしれないという疑惑。

それを乗り越えて結婚生活を送れたなら、二人は本物なんでしょう。

最後の最後で、紗和の妊娠、にはびっくりしました。これは北野先生と紗和、ダメすぎるな~。離婚も成立しないうちに妊娠とか、無責任すぎる。いい大人がなにやってるんだか。

北野先生が乃里子との生活、もうこれ以上我慢できなくなってしまった経緯は理解しますし、同情もするけれど。だからといって紗和と、子供ができるようなことするなよ~と思いました。そこは我慢してほしい。いずれ一緒になる、ちゃんとする、と決意したなら。どうして待てないのか。せめて、それこそが乃里子への誠意であり、紗和への優しさじゃないのかと。いくら紗和が能天気に誘ったとしてもね。

乃里子があまりにもアレなので(^^; 紗和と北野先生を温かい目で見てしまうのですが、結局のところどっちもどっちなのかもしれません。そんな映画でした。

『モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐― 』第9話 感想

モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐― 第9話 を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

 

 

第8話は、旅行中だったので見ていません(^^; 第8話を見ない上で第9話を見たのですが、私にとってはそれだけ「どうしても見たいドラマ」ではなかったということで。それでも、最終回を見た後では、感想を書いてみたくなりました。主人公を演じたディーン・フジオカさんが、とても良かったので。

貴族然とした、冷たい表情の端々に現れる人間ぽさ、人の良さみたいなもの。復讐してても、拭いきれない虚しさ。

復讐劇の最後は、真海が暖であると、つまり人は、他人になどなりきれないと、そういう結末であったと思います。

これ、復讐するのが暖でなく、幸男だったら。そして神楽や入間だったら。復讐相手を、確実に全員殺していたでしょう。ためらわず。

暖はそういう人ではなかったから。悪にはなりきれない。幸福そうなカップル、信一朗と未蘭に、昔の自分たちの姿を見た時点で、なんかもう復讐の遂行なんて無理な雰囲気になっちゃってた。

「許さない」と叫ぶ信一朗を見る、暖の悲しい目。不幸な結末しか待っていない復讐の醜さを、自らの哀れな姿を、見せつけられているようで。あれは信一朗じゃなく、自分自身の姿だったんですね。

このドラマに今ひとつ入りこめなかった理由は、すみれがあまり魅力的でなかったからです。暖にとって、復讐の一番の原動力になるすみれが、それだけ大切で、かけがえのない存在には思えなかった。

自分が暖だったら、すみれの言動に幻滅して、愛は消えてたなあ。少なくとも、暖が真海として現れた時点で、すぐに反応するすみれであってほしかった。あれほど愛し合って信じ合った間柄であれば。

たとえ他の人と結婚しても。

暖は死んだと聞かされていたのだし、幸男の本性を見抜けなかった、その事実は仕方のないこととしても。それでも暖と再会したら。なんのためらいもなく「暖!」と呼んで、「生きてたのね。よかった!」と泣いてくれるすみれなら。暖が執着するのも無理ないし、すみれを取り戻そうとする暖の姿に悲壮感が増したと思うのですが。

いくら年月が、苦難が容貌を変えてしまったとしても。暖を暖と見抜けなかった、そのことはどう考えても、それがすみれの真実なのです。

もし再会のとき、すみれがとっさに駆け寄り、暖を抱きしめて、「お帰り、暖」とでも呟いていたら。あるいは。他の人と結婚しているその事実の前に、ためらって駆け寄ることは出来なくて、すんでのところで踏みとどまって。理性で必死に他人行儀を装いながら、それでもこらえきれない涙で、「暖!」と名前を呼んでくれたら。

物語は一層、せつないものになったでしょうけど。結局、すみれの中で暖は、過去の人になってしまっていたから。そんなすみれを追いかけて、暖が取り戻すことに意味を見出せない。

>あんたがちゃんと待っていれば、真海さんはこんなことしなかった

愛梨のセリフに、ふんふんとうなずいてしまいました。いや、本当にそう思う。

他の人への憎しみより、すみれへの愛情の方が勝ってたでしょうから。もしすみれが暖を待ち続けていて、「復讐なんてやめよう、二人で幸せになろう」なんて言っていたら、暖はその通りにしたと思う。

暖はすみれをなくした。だから取り戻そうとした。だけど、暖の好きだったすみれはもう、どこにもいませんでした、と。そういうお話だったような気がします。いないものを、取り返せないのだから復讐は無駄なこと。

最後の晩餐シーンは、オペラ座の怪人を意識したもののように思いました。駄目だと知りつつ、すみれに嘘をつかせる暖。

無理やり、結婚の言質をとったところで、虚しいだけなのにね。それでも言わせずにはいられなかった。失った未来。欲しかった幻。

幸男と神楽を尋問して、彼らの真実を見せつけた上ですみれに問うた暖。選択は、すみれにゆだねられた。それでもすみれは、気持ちの上では、暖を選ばなかった。暖への愛情ではなく、幸男や神楽、娘、多くの人を復讐から救うために暖を選んだ。暖の中では、その瞬間、すべてが終わったでしょう。

>やっぱり 最後に愛は勝つんだ

このセリフの意味。それは、暖が、本当にすみれを愛してたということではないかと。

ここでKANを持ってくるセンスは好きです(^^)

もうどの方向から見ても、どこをひっくり返しても、暖の好きだったすみれはいない。暖を愛してくれたすみれはいない。そういうことですね。

その一方で、暖はすみれを愛し続けていた。ずっとずっと。すみれの心が自分にないとわかっても。

それがわかったとき、暖は幸男も神楽も解放しました。無意味な存在となったすみれを含めて。

暖らしいです。憎い相手を殺すのではなく、自分を消そうとした。もう何も、残っていないから。生きる意味を見失った。

最後は意味深な映像で終わっていましたけど。あの砂浜を歩く人影は、暖なのか。

私は、暖はあのまま死んでしまったような気がします。人影は、視聴者への救いであって。あのまま消えてしまうのは、あんまり寂しいので。暖の絶望は、この先を生きるにはあまりに深く。

それにしても、もう少し愛梨が魅力的な存在だったらなー。そう思う最後でした。暖が惹かれる要素が全く見えず。だから、暖が愛梨と踏み出す新しい生活、というのが想像できませんでした。

『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』第7話 感想

ドラマ『モンテ・クリスト伯―華麗なる復讐―』第7話を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 

 

主役の柴門暖を演じるディーン・フジオカさん。このドラマに合ってますね~。冷たい表情がとても似合うのです。目の奥が凍ってる感じ。端正な目鼻立ちは、笑顔がない方がより、強烈なインパクトを残します。

私、この方を初めて見たのは朝ドラの五代役だったのですが、とにかくオーラがある俳優さんだなと思いました。好き嫌いでなく、目を引きつけられるのです。それで、見ているとゾワゾワするのです。

なんだろうこのゾワゾワ感。見ていると、不安になる。

だからそのディーン・フジオカさんが、復讐する男を演じると聞いたとき、単純に見てみたいな~と思いました。ディーンさんて、熱さ寒さで言えば寒さだし、喜劇悲劇でいったら悲劇の方が似合う。

そして7話の感想ですが、7話のクライマックスは、ディーンさん演じるモンテ・クリスト伯の仮面が剥がれた瞬間でした。切なくて、暖の表情に魅入られました。

復讐に燃える暖も、かつての恋人、すみれ(山本美月さん)の前では、自分を偽ることができない。動揺でモンテ・クリスト伯を演じられなくなる。

すみれを見たときの悲しい顔。

不意に現れたすみれに、「お引き取り願います」と強い言葉を浴びせた時点で、言葉とは裏腹、もうすみれに負けてる(^^; その後、目を合わせることもできず背中を向けたままなのは、すみれを前にしたらなにもかもばれてしまうと、それがわかってるから。

すみれからみたら、ずーっと背中を向けたまま。なにを考えてるのか、どんな表情してるのか、わからない真海。

だけど視聴者からは、すっかり暖の顔に戻り、すみれの誤解にくやしさをにじませる真海の表情が、よく見える。この辺りのカメラワークが秀逸です。

>わかったよ、最初に会った時から

このセリフは重い。きっと、暖が一番諦めて、そして欲していた言葉だから。それ聞いた瞬間、もう全部許しちゃってるね~たぶん。すみれのことは、何もかも。

それまでは、理不尽な怒りかもしれないけど、暖はすみれに怒っていたと思うのだ。なんでよりによって幸男(大倉忠義さん)なんかと結婚するんだ、と。わかってくれ! 気付いてくれ! どうしてよりによって、幸男なのか?と。

自分だって、幸男がそういう裏切りをする男だと全く気付かずに罠にはめられたわけだから、すみれに「気付け」というのも無茶な話なのですが。

暖は、すみれにそこまで求めるのは無理とわかっていてなお、怒らずにはいられなかったと思うのです。理屈じゃない怒り。

その怒りの原点に、「初めて真海として会ったとき、すみれが暖と気付いてくれなかった」ことがあったのではないでしょうか。

実際、すみれは気付いていたようには思えますが、少なくともその時、「あなたは暖よね?」というストレートな言葉がなかったから。

本当に大好きだった人ならわかるはず。長い囚われの日々が姿形を変えたとしても。すみれなら、目の前にいて、見つめ合ったら。

暖は、心の中でそう考えていたんではないだろうか。すみれが、気付いて声をかけてくれることを祈っていたように思う。たとえそのことが、復讐計画を妨げることになったとしても。

結局、真海として初めて向き合ったときにすみれは、暖の名前を呼んでくれなかった。その事実が、暖を傷つけたことは想像に難くありません。

>でもそのとき、幸男が救ってくれた

すみれの言葉に、思わず拳を握りしめる暖。悪いのは幸男ではなく自分だと、何度も繰り返すすみれ。すみれの誤解を聞き流せずに、真海の仮面がボロボロと崩壊し始める。

必死に感情を押し殺そうとするけど、苦しさに顔が歪みます。

>あなたは何もわかってない。悪いのは幸男なんだよ。

ここの、「あなたは」っていう他人行儀な言葉に、暖の最後の抵抗を感じました。それは、真海の仮面をかぶり、復讐を最後まで遂行することへの固い決意です。でも次の瞬間、我慢できずに振り返ってしまうのよね(^^;

振り返ってすみれと至近距離で見つめ合った暖の目は。怒りよりも悲しみが勝っていたような。憎しみや怒りではなく、悲しみ。だって、そもそも自分たちを引き裂いたのは幸男で、すみれはそれを知らずに幸男と結婚し。子供までもうけていたのだから。こんな悲劇はない。

幸男を単純に憎み、復讐できたならまだいい。でも、その幸男の妻が、自分の愛する人だったら? どうすればいいというんだろう。暖の戸惑いと悲しみが、溢れていました。真実をぶちまけたところで、すみれを困らせるだけで何も解決はしないのだけど。それでも、言わずにはいられなかった、暖の深い悲しみ。

衝撃の告白に、すみれがどう反応したのか、そこは省略されていましたが。それはもう、茫然自失って感じだったのかなあと想像します。

とにかく。子供がいますからね。幸男との間に生まれた子供。その子にとっては、大切な父親なわけです。もはや、切り捨てることができない血の繋がり。それだけに、暖の告白はすみれにとって絶望以外の何物でもない。

このドラマ。悪役の高橋克典さんと新井浩文が、役にぴったりはまってます。大倉さんは、いい人にみえてしまうところがちょっと惜しい。もうちょっとゾっとする怖さがあってもいいかも。二面性というか。

稲森いずみさんもいいですね。登場しただけで、目を引きます。

江田愛梨役の桜井ユキさんは、凄みがないところが残念かなあ。過去の傷をあまり感じられないのです。それと、真海に対しての愛情があんまり伝わってこなくて。どちらかといえば、入間瑛理奈役の方が似合うのではないかと、そんなことを思いました。

7話のラスト。たぶん、愛梨は幸男を助けてしまったのでしょうね。でもそれは、幸男の子供に、自分の子供時代を重ねた、というだけではなく。きっと真海のことが好きだから、幸男を死なせることができなかった。

幸男が死ねば、真海が何の憂いもなくすみれ親子を助けることがわかっていたからです。なんなら、すべての復讐が終わった後、真海はすみれと結婚するかもしれない。愛梨はそこまで予想したのではないかなあ。それまでずっと真海と行動を共にしてきて、真海のすみれへの深い愛情を、誰よりもわかっている人でしょうから。

すべての復讐が終わった後、愛梨は真海と共に生きる道を夢見ているのでしょう。では真海は。暖は、何を望むのでしょうか。

続きが気になります。