『エルの絵本 【魔女とラフレンツェ】』Sound Horizon その1

Sound Horizonの『エルの絵本 【魔女とラフレンツェ】』という曲についての感想です。

ライブ映像だと、表現が直接的すぎてあまり好きな曲ではなかったのですが、映像なしで何度も聴くうちに、ぐいぐい引き込まれていきました。大人な曲なので、18禁だと思いますが(^^;

曼珠沙華の学名がリコリスだと、初めて知りました。この音の響きがなんとも・・・。不思議な響きですね。別世界を感じさせます。

曼珠沙華という言葉で、目の前には群生する禍々しい花のイメージが広がりました。曼珠沙華(彼岸花)が恐いと感じるのは、その派手な色や美しい形にも関わらず、花束に使われることもなく、「異質なもの。通常の花とは別枠」という暗黙の了解があるから?ですかね。

なによりドキリとするのは、葉がないこと。お彼岸の頃、突然赤い花が咲き乱れ、あっという間に散ってしまうイメージがあります。人目を引かずにはいられないほどの赤、それなのに、あるべきはずの葉がどこにもない。

まるで造花をいきなり地面に突き刺したかのように見えるその姿が、心に不安をかきたてるのです。この花はいったい?と。

私が子供の頃、彼岸花はお寺のそばに群生していたので、よけいに、「死」や、「墓」というイメージと繋がるのかもしれません。

毒を持つ植物ではあるけれど、長時間水にさらすことによって毒抜きが可能で、球根は戦時中に食用とされたこともあったとか。

「生」と「死」。二面性を持つ美しい花。その花が咲き乱れて、そして楽園がある。

曼珠沙華は、どちらの世界に咲くのだろう、と思います。

ラフレンツェのいるこちらか。死者の佇むあちら側か。

どちらの川岸にも、同じ曼珠沙華が咲き乱れているのでしょうか。

鮮やかな赤色に、密かに毒を隠して。ラフレンツェの純潔の結界が破られたから、冥府にしか咲かないはずの花が、狂い咲いたとも考えられます。

『Elysion~楽園幻想物語組曲~』というアルバムの中で語られる、楽園への尽きない憧れ。この世界観が大好きです。楽園は救いで、その楽園に手を伸ばして伸ばして、でも届かない。そのもどかしさは、大なり小なり、誰もが経験するところではないでしょうか。

今頃になってわかったのですが、「エル」は、ラフレンツェの子供だったんですね、きっと。そんな気がします。だから『エルの楽園 「→ side:E →」』という曲の中に、男のつぶやきが入っているのかと。

「エル」を溺愛する男が、なぜその母である女性を愛さないと言いきっているのか不思議でした。でもこの「魔女とラフレンツェ」を何度も聴いているうちに、だんだん謎が解けてきたような気がします。

ラフレンツェが、巫女のような女性だったから。

そもそも、彼は最初、ラフレンツェに子供を産ませようとしたのではなく、ラフレンツェの力を利用して、自分が少年の日に恋に落ちた、あの「エリス」を生き返らせようとしたのかなあと。

その辺りはギリシア神話のオルフェウスとエウリディケをモチーフにしているみたいですが、日本のイザナギ・イザナミ神話も彷彿とさせるものがありますね。

ちょっと長くなりましたので、続きは夜12時過ぎにUPします。

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『迷路の花嫁』横溝正史著

『迷路の花嫁』横溝正史著を読みました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未読の方はご注意ください。

もともと横溝正史の小説はあんまり好きじゃない。特に短編ものは、途中で読むのをやめてしまうほど、私の趣味には合わなかった。映像化された『犬神家の一族』は面白いとおもったけど。

というわけで、あまり期待せずに読み始めたのだが、これは進めば進むほど、どんどん引き込まれる作品だった。

物語は、小説家の松原浩三が、心霊術師の建部多門を追いつめていく、という話です。この多門というのがひどい男で、たくさんの女性が泣かされているのですが、その一人ひとりを松原が救っていく。それも、その場限りではなく、その女性達が長く、幸せでいられるように、キューピット役を務めたりなんかして。

心霊術師の多門は、オカルト商法そのままに、女性達の弱い部分につけこんでいくのですね。

殺人事件が絡んだミステリー、謎解きというよりも、人間模様が興味深かったです。

基本は松原が正義で、多門が悪なんですけども。読後によくよく考えると、松原にも男のエゴ、みたいなものが垣間見えて、必ずしも彼は品行方正な紳士ではないなあと。

多門に囚われていた(軽い洗脳だったと思う)奈津女を鶴巻温泉に連れて行く松原ですが、この辺りの描写が強引なのだ。結局奈津女は、相手が変わっただけで、本当に自由の身にはなっていないから。

そりゃ、多門に比べたら、松原の方がよほどいい人。多門の元で暮らし続けるよりは、松原のところに逃げた方が幸せだと思う。だけど、逃げ出す代わりに、俺のものになれ的な、有無を言わせない強引さはどうかと思った(^^;

結果的には、奈津女は松原を好きになってめでたしめでたしだが、好きでもない相手に迫られるのはどうなの?みたいな。退路を断って、決断を迫るようなやり方が好きじゃないなあ。

松原にとっては、奈津女は好みの女性で、ラッキーという感じだったんだろうけど。弱みにつけこむのって、やっぱり卑怯な気がする。

ヒーローである松原だから許されてるのかもしれないが、これが別の、ぱっとしない普通の人だったら、読者の嫌悪感は相当強いと思う。

私がこの作品で一番好きなカップルは、元軍人の千代吉さんと瑞枝さんだ。千代吉さんは、瑞枝さんを守ろう、大切にしようという気持ちがありありと伝わってきて、かっこいいなあと。最初の頃、瑞枝さんに惹かれながらも、「結婚してください」と言えないその謙虚さが、せつなかったです。

ずうずうしくないところが素敵。瑞枝さんの幸せを祈るからこそ、うかつなことは口に出せない。ただ、自分にできる全力で、彼女を守ろう、役に立とうとするところがいいなあと思いました。瑞枝さんは瑞枝さんで、優しくて、でも正義を貫く人。

自分だけのことを考えたら、もっと楽な方法はあったかもしれない。でも、瑞枝さんは恭子さんとの約束があったから、逃げ出さずにじっと耐えていた。危険を冒してでも、恭子さんや他の人たちを助けようとした気持ちが、素晴らしいと思いました。

奈津女に対しても、「自分のようになってはいけない。早く逃げて」と諭していた。

自分が不幸だから、相手の不幸を願うのではなく。自分が不幸だからこそ、同じような人間を増やしてはいけないと、心を砕く。その優しさが心にしみました。

千代吉、瑞枝、そして蝶太はきっと、いい家族になれるでしょう。

私、瑞枝が火事の夜に、千代吉の家へ逃げてくるシーンが大好きなのです。好きだけど、決して2人の人生が交わることはないと諦めていた千代吉が、思いがけず訪ねてきてくれた瑞枝の姿を目の前にして、どんなに嬉しかったかわかるから。

私も昔、もう会えないとわかっていた人と、思いがけず再会して本当に嬉しかったことがあるので。そのときの自分の気持ちが蘇って、胸にじーんときました。千代吉の気持ちがわかります。

信じられないという気持ちと、相手が今、目の前にいるのだという現実と。

きっと千代吉も濁流のような歓喜の感情に全身を震わせて。目の前にいる人の顔を、ただただ見つめていたんだろうなと。

千代吉からは、言えないですもん。千代吉は、何も言える立場じゃない。幸せにできる自信も根拠もなくて、だから、一方的に焦がれて、瑞枝の幸せを祈るしかなくて。

でもその瑞枝が自ら、来てくれたのです。まさに奇跡。

本来の主人公である松原よりも、千代吉や瑞枝に感情移入してしまった作品でした。

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『石畳の緋き悪魔』Sound Horizon

Sound Horizonの二期の活動の中で、Revoさんが歌うようになった。私はRevoさんのヴォーカルがあんまり好きじゃなくて、なんで作詞作曲・演奏に専念しないんだろう、なんて思っていたのだけれど。

この歌を歌うRevoさんはすごくいいです。Revoさん以外が歌うことなんて、考えられないくらいに。

Sound Horizonの音楽は、まるで童話の世界に迷い込んだように一つの世界を作り上げています。『石畳の緋き悪魔』の中で踊るのは、焔の悪魔シャイタン=Revoさんと、美シキ夜ノ娘ライラ。

ああ、この世界観好きだなあと、しみじみ何度も聴いてしまいました。ライラという名前の響きも好き。そして、ライラの前で必死に乞うシャイタンも好き。

悪魔なのに、力関係が逆転してるというか、上から目線なんだけど実際に屈服しているのは悪魔の方だという、この状況。

強く宣言したその後で。一層、甘く誘う。

悪魔なんだけど、必死感がにじみ出ていて泣けます。ああ、本当にその娘のことが好きなんだなあって。必死なのです。好かれたい。気に入られたい。どうすれば好きになってくれるの?って。

悪魔が優しく、歌うシーンもじーんときます。ここ、ちょっとだけ「レ・ミゼラブル」のバルジャンとコゼットを連想してしまった。心を通わせれば、生まれる歌がある。

こんな美しいメロディで、甘い言葉を囁かれたら、ライラも悪魔に惹かれるでしょうね。抗えるはずがない。それに、この曲に出てくる悪魔は、なんだか可哀想なのです。なんだろうなあ。声が泣いてるっぽくて。

虚勢を張っても、寂しさが透けてみえるというか。

その寂しさも、悪魔なだけにそりゃもう、永い永い年月で。

たとえライラが受け入れてくれなくても。出会ってしまった以上は悪魔はライラを忘れない。もし拒絶されたら、それこそ永い永い時間を、ライラの幻を描いて苦しむだろうなあ、と思わせる声。

私はSound Horizonの真骨頂は、あらまりさんのいた一期にこそある、と思っていましたが。二期には二期のよさがあることに、気付きました。エリスやエルを歌っていたあらまりさんは唯一無二ですが、でも、ライラはあらまりさんではないのです。

Revoさんがライラのために歌うその心が、伝わってくる曲でした。

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『セシルの週末』松任谷由実

今日は、某浄水場を右手に眺めながら歩いてた。ちょうど夕暮れ時で、オレンジの光が広大な土地を照らすのが、柵越しに見えて、頭の中をくるくると廻り始めたメロディは、松任谷由実さんの『セシルの週末』。

この曲いいなあ。ユーミンは正直、個人としては苦手なんだけど、アーティストとしては凄い人だと思う。『ベルベット・イースター』や、『翳りゆく部屋』、『守ってあげたい』『リフレインが叫んでる』などなど、名曲がいっぱい。

『リフレインが叫んでる』は、初めて聴いたのが何気なくかけてたラジオで、たった一度聴いただけで心を鷲掴みにされたもんね。曲も詩も、強烈だった。

『セシルの週末』は、じわじわ来た感じ。今日の夕焼け、そして浄水場の情景は、なぜかこの曲を思い起こさせて、胸がチクチク痛んだ。

単純な痛みじゃない。いろんな昔の感情が蘇るから。

aikoさんもこの曲をカバーしている。aikoさんの方が声が綺麗だ、と思う。ユーミンの声は、いわゆる美声というものではない、と思う。だけどユーミンの歌う『セシルの週末』には不思議な説得力があって、私はユーミン派なのである。

決して同情を誘うような歌い方をしていない。だからよけいに、歌の中の女の子のまっすぐな気持ちが、そのままストレートに胸に沁みる。

誰になにを言われようとも、自分の信じる人に認めてもらえたら、その瞬間に人は変わっていくんだなあと思う。

曲の中の女の子。自分の良くない部分も、全部わかっていて、自分が周りからどう思われてるかも敏感に察知していて。自分を貶めて、それで投げやりになっているんだけども、差し出された救いの手を素直につかめるだけ、汚れてないんだなあと思った。

本当に絶望していたら、もう手をつかむことさえできないだろうからね。

「求めよ、さらば与えられん」という聖書の言葉を思い出した。たとえば誰かの手を借りて、苦境を抜け出そうとするならば。まずは、助けてくださいと、求めることが必要なわけで。

歌詞の中の女の子はきっと、暗闇の中で手を伸ばしていたんだろうなあ。そして、それに気付いて差し出された手。その手を信じて、その手にすがった。

だからもう恐くない。

だからもう、それ以外のものはいらない。

陳腐な言い方だけど、本当の愛に気付いたら、それ以外のものはいらないという感覚、わかるような気がする。願望は果てがないというけれど、究極の幸せって、愛だよなあ。

いい詩や曲に出会ったとき、私はよく感情移入するんだけれども。

このセシルの週末の主人公が、変わり始めたときの感覚、今日の夕焼けの中で体感したような気がした。なんでこの状況でセシルの週末?っていう疑問はおいておくとして(^^;

理屈じゃなくて、ふっと不思議な感情に囚われる瞬間があるのだ。

ああこの光景。この匂い。どこか懐かしい、せつない空気の色。

昔、ある人が私に、「このときこんなことがあって、こんなものを見て、そしてこんな気持ちになりました」というメールを送ってきたことがあって。

それを読んだとき、私はまざまざとその情景を脳裏に浮かべて、まるで自分がその場にいたような気持ちになったのだ。「わかりますか?」と、その人は問いかけていた。言葉ですべてを説明するのは難しいから。そのときの空気のすべて、感情のすべてを伝えようとして、でも言葉ではとても全部は伝えきれない。

もどかしさも含め、私はその人が見たものを体感した・・・ように思った。

もちろん、誰かの認知したものを、自分も同じように感じたと思うのは、幻想にすぎないかもしれないけれど。頭の中など、視覚で確認するわけにもいかず、2人はそれぞれ別のことを思っているのかもしれないけれど、でもそのときたしかに私は、その人が見たであろう景色を見たし、その人の感じたものをそのままダイレクトに感じた気がしたのだ。

不思議な感覚だったなあ。

言葉は、手がかりにしか過ぎず。

私も、そのすべてを言葉で上手に表すことはできなかった。だからもどかしいその人の気持ちも、よくわかった。

後日、本人に会ったときにメールの話になり、「わかります」と言ったら、その人は嬉しそうに笑った。

そのとき、たぶんこのとき感じたものは、他の人には決してわからないだろうなあと思った。他の人は他の人で、私たちとは違う場所で、随時違う感情を共有しているんだろう。感じ方、センスというのは人それぞれで。努力とは違う領域にある。

同じ感覚を共有する瞬間、これは奇跡に近いものがあるのかもしれない。

同じ相手だとしても、いつも起こるわけではないから。

『セシルの週末』を聴いた人には、それぞれの物語があるんだろう。私は夕陽の中で、静かな決意を胸に秘め、昨日よりも確実に強くなった女の子を想像した。

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『檻の中の遊戯』Sound Horizon

今日はずっと、Sound Horizonの『檻の中の遊戯』を聴いていた。

ジャズっぽい曲で、最初からぐっときたわけではないが、妙に印象的だった曲。今日みたいにキンモクセイの芳香が街中を包む秋の日には、ぴったりだと思う。

例のごとく、断片的な言葉が並んでいて、明確な答えなどないSound Horizonらしさがあふれている。ああ、でもこの曖昧な境界線が好きだ。

私は散歩が好きだが、その途中にお気に入りの洋館が幾つかある。どんな人が住み、どんな生活をしているのか、妙に気になるそれらの洋館の中で、もしかしたらこの『檻の中の遊戯』のような光景が繰り広げられているのかもしれない・・・なんて。

この曲の内容そのものが、夢オチというものもありえるなあ、と思う。すべてが男の妄想だったという展開。だから、彼女は何度でも蘇り、男は檻の中で何度も悪夢にうなされる。

永遠に、2人の気持ちはすれ違ったままだ。

相手を欲しいと願っても、力づくで心を手に入れるのは、絶対に無理。どんな人でもそうだろう。たとえなにがあっても、無理なものは無理。心が動くのは、理屈じゃない。

脅そうが懇願しようが、心が通じる通じないというのは、これはもうセンスだと思う。

たった一言でわかりあえる相手もいれば、一晩語りつくしても、まるで正反対の方向を向いたまま、一歩も近付くことのない間柄もある。

手に入らないものを好きになってしまった悲劇。

でも、不思議なんだよね。

手に入れたところで、わかりあえるわけじゃないのに。どうしてそんな相手を好きになるんだろう。

あらまりさんの歌い方が好きだ。淡々と歌っていて、それがこの曲によく合っている。無表情な人形の唇から紡ぎだされる声みたい。

この曲は、生生しく歌ってしまうと、それだけで現実感が出てきてしまって駄目になると思う。

生気のない声だからこそ、まるで異世界の出来事のようで、現実と幻想との境目もよくわからず、安心して聴ける。

聴き手は、他の誰かの夢の世界に迷い込んだような、その人の願望とも悪夢ともわからないような霧の中の世界を体感する。

きっと手に入れたら、がっかりするかもしれない。でもわからない相手だからこそ、その向こうに自分の望むものがあるんじゃないかと期待して、人は夢をみてしまうんだろうか。

秋の夜長に、心にしみる名曲です。

『エルの楽園[→ side:E →]』Sound Hrizon

『エルの楽園』PVを見ました。スクリーミング・マッド・ジョージさんが演出されてます。

ああ~好きだこの世界観。と、何度も観直してしまいました。

『エルの天秤』という曲に続くお話だと思うのですけれども。『エルの天秤』で、男は病弱な娘のために悪事に手を染め金を稼ぎ、恨みをかって刺し殺されてしまいます。

とはいえ、はっきりした答えなどない、曲同士の繋がりですから、たぶん・・・という想像でしかないのですが。

曲の最初に、じまんぐさんの語りが入ります。郷愁を誘うようなレトロなメロディ。

矛盾する二つの宣言は、どういう意味なんだろう?

たぶんこの男というのは、『エルの肖像』で、エリスという肖像画の少女に恋をした少年の成長した姿で、後に仮面の男ABYSSとして、哀れな救われない魂を呼び集めながら永遠にパレードを続ける男と同一人物なんだろうけれど・・・。

想像するに、男の娘は病弱で、その薬代を稼ぐために男は必死だったようです。

刺されて、それでも必死に娘の家へ帰ろうとする姿が鮮やかに浮かび上がります。曲が、一つの物語として成立している。

最初の一節だけで、Sound Horizonの世界にどっぷりはまってしまいます。赤い血の跡を、独特な表現で描き出すセンスに脱帽です。

もうね、男にとっては自分の娘を助けたいという一心だけが体を動かしていて、だから死に瀕したとき、他のことなんて全部忘れちゃったんだと思う。ただ手に握り締めたコインの感覚だけが、これで助けられるという満足感につながり、笑ってるの。幸福感に満たされている。

傍から見たら異常な状況でも、男の心中には幸せな情景しか描かれていない。

この金貨があれば、医者にも診せられる。薬も買える。誕生日のプレゼントだって、なんでも好きなものが買ってやれる。

喜ぶ娘の笑顔を想像して、それが嬉しくて、だんだん思考に靄がかかって。

PVの中では、エルと男が向き合う場面が描かれてます。

エルを演じるあらまりさんと、男を演じるREVOさんが、交互に映し出されるシーンが好きです。Revoさんの目から流れ落ちる涙。無邪気に、問いかけるあらまりさん・・・。

エルは基本的に人形なのですが、中世の村娘っぽいコスチュームのあらまりさんに切り替わるところがまた、素敵なのです。

濃い目の化粧。上からのライティング。光と影のグラデーション。疑うことを知らない、楽園を信じて好奇心に目をキラキラさせてる娘と、現実を知る父親の涙。

2005年のライブのときには、この男を演じたのはじまんぐさんでしたが。PVではRevoさんが演じておりまして、それは大正解だと思いました。PVに関しては、Revoさんがやらなくては、この映像の重みが出せない。

実際、あらまりさんはこの曲のCDを最後にRevoさんの元を離れ、Sound Horizonを脱退したわけで。別離の痛みを思うと、このPVに見るRevoさんの涙が、一層胸に迫ります。もちろん、これを撮影した時点では、誰もそんな未来など予想していなかったと思いますが。

才能に惚れる、才能に触発される。という意味で。

Revoさんとあらまりさんはお互いに強く影響し合ったのだと思います。この2人がいたから、楽園幻想物語組曲の構想が生まれたのだと思うし。

じまんぐさんが男を演じたら、それは全く違う映像になっていたでしょう。だからこそ、スクリーミング・マッド・ジョージさんは偉大だなあ、と思うのです。男の役に、Revoさんをもってきたから。Revoさんの目の奥にある愛情、そのせつなさに心を打たれました。

楽園を願い、楽園を夢想するのは人の常。

いつかどこかにあるかもしれない楽園のこと。

山のあなた・・・ですね。

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楽園パレード

前回の日記の続きです。sound horizonの「Elysion~楽園パレードへようこそ」について語ります。

ライブにはライブならではの演出、CDを聴いているのとはまた違った味わいがあるわけですが、スクリーミング・マッド・ジョージさんの演出でいいなあと思ったところを、今日は語ってみたいと思います。

まず、じまんぐダンス。じまんぐさん、なんともいえない胡散臭さで笑えました。これはCD聴いてるだけじゃ見られないですからね。『笛吹き男とパレード』の曲で、客席下りするんです。そして通路を練り歩くわけですが、この動きがなんともおかしくて、面白い。

仮面とマントがよくお似合いでした。

ロボットみたいにカクカク揺れて。

シャボン玉?飛ばしたり、お客さんとの触れあいも十分ありつつ。これは楽しいでしょうねえ。舞台をただ見ているだけでなくて、お客さんがその世界に入り込める。だって目の前にあの、胡散臭い(笑)仮面の男がいるんだもの。

連呼が笑える。さすがじまんぐ・・・。

このときの、あらまりさんの衣装も好きです。これは、『エルの楽園』PVのときと一緒の服でしょうか。どちらも演出はマッド・ジョージさんですが、いいセンスだなあと思いました。

『エルの肖像』の肖像画も綺麗だったなあ。

私はあれがすべての始まりだったという解釈をしているので、絵にはこだわりがありますが、幻想的で素敵でした。

廃屋であの絵を見つけて、まるで雷に打たれたみたいにショックを受けて、それから少年の長い旅が始まるわけですねえ・・・しみじみ。

ラフレンツェとエルは、あらまりさんがお面をつけてます。このお面もかなりマッド・ジョージさんがこだわって作っただけあって素晴らしいものでした。

歌うときに支障がないように、という配慮だと思いますが、お面といってもちょうど法令線から上の部分だけです。これは遠くから見ると全く違和感ないだろうし、いいアイデアだなあと思いました。

全体を覆ってしまうと歌いにくいし、動きが制限されてしまう気がするので。

正面はラフレンツェ、背面は魔女の装いです。一人二役。うまく作ってあるなあと思いました。

ただ、ラフレンツェが禁を破るときの映像とか動きが、これだけはライブの中で唯一、もう少しなにか他の方法はなかったかなあと思ってしまった場面です。(^^; いかにもという定番だったので、見ていてちょっと照れくさかった。

エルとラフレンツェに関してのみ、お面にしたというのはさすがだと思いました。楽園パレードに加わるABYSS五人娘とは違って、人間ではない面を表現したかったのではないでしょうか。

ABYSS五人娘は元々、まったく普通の人間だと思うのですが、エルとラフレンツェは少し魔族の血が入っているというか、そういう設定なのかなと。

エルは「エルの楽園」PVでも人形で表現されてますね。これは、エル=肖像画のエリスに似せて作った少年の理想、ということなのかなあと。人形に命が吹き込まれてエルになった。だからエルは普通の人間じゃない?

ライブの演出で一番好きなのは、やはり、『エルの肖像』で紗幕が上がって一気に盛り上がるところと、それから『エルの楽園 side A』。

Elysion(楽園)とAbyss(奈落)が背中合わせにあることを感じました。それは、前回の日記にも書きましたが、あのグレムリンぽい天使?にも現れてる。醜悪と美の奇妙な取り合わせ。

『yield』のタンバリン持って踊るあらまりさんは可愛かったです。あの振付いいなあ。歌詞の最後はひどく残酷なものなのに、曲とあらまりさんだけ見てると、ほのぼのしてきます。

『stardust』の真っ赤なドレスも、あらまりさんにぴったりでした。バラを抱えて客席降り。歌いながら一輪ずつ配るのは、最高の演出です。お客さんも、ドキドキしちゃいますね。あれ生のお花だといいなあ。

もし生なら、切り口のところにエコゼリーのような保水剤をつけていてほしいですね。細かいことですが、もらったお客さんが帰宅するまで、全く水がないのではお花が可哀想なので。

まるでミュージカルのような、すばらしいライブでした。これ、やり方によっては帝国劇場で舞台としても興行できるんじゃないかと思いました。音楽も重厚で、一つの物語として出来上がっている。お芝居としてやるなら、もう少し話の流れをわかりやすくしなければいけないかもしれないけど(謎が多すぎるから)、ミュージカルとして見てみたいと思いました。

最後に、あらまりさんの衣装とメイク、すごく似合ってました。あれだけ舞台で何曲も歌い続けることができるなんて、すごいです。

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『Elysion ~楽園パレードへようこそ~』 Sound Horizon

2005年に行われた、sound horizonのライブ映像を見た。

すごいものを見てしまった(^^;

3つの才能が集合して、素晴らしい作品を作り上げてる。

まずなにより、作詞・作曲を手がけるREVO(レヴォ)さん。

そして、ヴォーカルとナレーションを担当するaramary(あらまり)さん。

最後に、演出担当のスクリーミング・マッド・ジョージさん。

もちろん、他にもJimang(じまんぐ)さんとか、楽団のみなさんとか、舞台を支える皆さんがいるのだが、前述の3つの才能が合わさって大変なことになってます。

この世界、好きだなあと思った。ライブというより、ミュージカルを見ている感じ? 曲の合間、合間にナレーションが入る。多彩な音。意味深な言葉。

あっという間に、幻想の世界へ引き込まれました。

1つ1つの曲は独立してるんだけど、実はそれが全部つながっているようで・・・。全部が合わさったとき、まるでファンタジー小説のような世界が広がるのです。

解釈については、見た人の数だけいろいろあると思いますが、私なりに感じたことを書いていきます。

なんだかこの音楽聴いていると、小説が書きたくなりますね。

これは、楽園を求める人間の業を歌った、長い輪廻の物語だと思いました。

すべての始まりは、『エルの肖像』だという気がします。少年は、深い森の中。廃屋にある、白い少女の肖像画を見て魅入られてしまうのです。

ライブの中で、あらまりさんが歌い上げると同時に、紗幕がさーっと上がり、演奏陣が前へ。フルートが響き渡って、鳥肌が立ちました。場の空気が、一気に盛り上がります。

少年が肖像画の少女に恋をして、壮大な旅が始まるのです。

なにが起こるんだろうというワクワク感で、胸がいっぱいになります。このときのあらまりさんの衣装が素敵。中世の村娘風の、コルセットとスカート。

メイクもいけてます。この、衣装とメイクのセンスがいいですね。マッド・ジョージさんいい仕事してるなあと思いました。

彼はハリウッドでは有名なSFX(特殊効果)アーティストなのですよね。実は今まで苦手だったんですけども。刺激的な作品が多すぎて・・・。でもこのライブの細部にまで渡る、マッド・ジョージさんの世界観は偉大です。

マッド・ジョージさんは『エルの楽園 side A』でも黒子として、妖精の人形を動かしてました。この人形がまた、いい味出してます。

楽園で泣く人などいないというエルの話を聞いてあげる妖精。天使を模しているのでしょうか?でも顔はグレムリン(^^;

そのギャップがなんとも言えません。醜悪な顔のグレムリンが、軽やかな天上の調べに乗って現れ、清らかな乙女エルの傍を舞ってるんですよ。なんて不思議な光景!でもそれが逆に、Elysion(楽園)という名のこのライブにぴったり合っているのです。

エルが死後に行ったと思われるElysionですが、それと背中合わせに、エルの父親が堕ちた奈落があるのではないでしょうか? だから悲しむ大勢の人の声を、エルは聞いたのかなあと思いました。

肖像画に恋をした少年は、肖像画の少女「エリス」を探し続ける。そして「エル」という娘を得るが、「エルの楽園 side E」にあるように、父と娘は亡くなり、2人の魂はそれぞれ別の場所へ。

少年=エルの父=仮面の男は、死後も永遠にエリス=エルを捜し求めて、似た境遇の、不幸の匂いのする女性たちを楽園パレード(死者の行進?)に招き入れ、彷徨い歩く。

これは私の個人的な解釈なので、別の人が見ればまた別の解釈があるでしょう。無限の可能性がある音楽だと思いました。

それは終わらない、どこまでも続く救いのないパレードで。誰もが楽園を求めるのに、どうしてこんなことに?人間の幸せって・・・と考えさせられます。

ちょっと長くなったので続きはまた後日。

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古き良き時代の安全地帯

安全地帯の『あなたに』を聴いている。若き日の玉置浩二さんの声は、深みがあって美しい。安全地帯の全盛期。

石原真理子さんとの不倫が騒がれたとき、玉置さんは全く表に出てこなくて、石原さんが記者会見で泣いていたのを覚えている。あんなに綺麗な曲を作る人なのに、冷たいな・・・と思った。

でもその頃、2人が不倫で、最高に盛り上がっていた頃に玉置さんが創作意欲を刺激されてかいた曲は、どれも名作ばかり。私が安全地帯で好きな曲といえば、『プルシアンブルーの肖像』『悲しみにさよなら』『碧い瞳のエリス』『熱視線』などです。

これ聴いていると、容易に石原真理子さんの顔が浮かんでしまう。石原さんがいなければ生まれなかったのかなあ、なんて思ってしまう曲ばかり。相手にのぼせているときって、どれだけ一緒にいても時間が足りないし、感性が刺激されて後から後から曲が湧いてきて、それはたぶん玉置さんが歌手でなかったとしても、きっと曲を作らずにはいられなかったと思うのです。

そして、歌詞のセンスも素晴らしい。この時期、松井五郎さんは安全地帯の専属のような形で作詞をされていましたね。後に、あるインタビュー記事でお顔を拝見したときに、あまりにも予想通りで驚きました。内面の優しさが、にじみでてくるような穏やかな表情。

あらためて当時の曲を聴くと、歌詞から発信されるメッセージの優しさに胸を打たれるのです。もし玉置さんが作詞してたら、もっと勝手で、激しい言葉になっていた気がします。

たしか、当時玉置さんの奥さんだった人は、売れない時代をずっと支え続けた人で。離婚が騒がれたとき、バンドのメンバーが全員反対したと聞きました。

この一時期。まるで夢のように、心を鷲掴みにするような名曲を連発したのは、玉置さんを支えた奥さんがあり、本気で心配したバンドメンバーがあり、そして石原さんがいたからなのかなあと思います。それらの要素がパズルの破片のように、吸い寄せられて集まって、一つの美しい絵画を作り上げた。

当時の玉置さんの曲は好きです。

恋愛してたんでしょうね。それも春の陽だまりみたいな穏やかな恋じゃなくて、真剣勝負のにらみ合いのような。周囲全部を敵にして、自分も泣いて、相手も泣かせて、傷つけて傷ついて、ボロボロになりながらそれでも離れられない、みたいな。

作詞家の松井五郎さんて、臆病なほど相手の気持ちを探って、自己完結してしまう人なのかなあ、なんて考えてしまいました。

でもこの繊細さがよいのですよ。

相手の心の中にずかずか土足で踏み込んでいくような真似は、絶対しない。いつもどこかに逃げ道を用意してあげて、そして見てる。ただ見てる。綺麗だなあって。

美しいものを、美しいなあって賞賛する気持ち。見てるだけで、幸福に満たされて、現実感がなくなっていくその過程。

自分の思いの深さと同じものを、相手が持っているとは限らないことをわかっていて、それを気にする気持ち。成就しない悲しさ。この一瞬さえ、ちゃんと存在するならそれでいいって、わりきってしまう孤独。

いろんなものがつめこまれています。

『初恋』中原みすず著

『初恋』中原みすず著を読了。あの有名な、三億円事件をめぐるお話。以下、ネタバレを含んでおりますので、この本を未見の方はご注意ください。

もともと、映画化されたときに「ん?」と興味をひかれていた。地下鉄に貼ってあったポスター。宮崎あおいちゃんが出ていたっけ。三億円事件と初恋。この奇妙な取り合わせ、一体どんな話なんだろう、と気になっていた。

それから、元ちとせさんの歌う主題歌「青のレクイエム」。これが名曲なのだ。

静かなピアノに合わせて歌う声が、耳に残っている。

 

ということで、期待を持って原作を読んでみた。

全体の文章センスは好き。ただ、表紙の装丁はどうだろう? 内容に全く合っていないと思った。いろんな色のクレヨン?で塗ったブロックはまるで絵本のようで。この本が伝えたかった、岸とみすずの心の交流とはそぐわない。

みすずのイメージは、宮崎あおいちゃんとは違っていた。好きな女優さんではあるけれども、みすずとは違う。あおいちゃんでは童顔過ぎる。

私が想像したのは、どこか日本人離れした違和感のある女性。完全に大人に成長する前の、不安定さのある女の子。見る角度、その日によって、大人びて見えたり、子供のように見えたり、表情がどんどん変わっていく女性だ。

そして必須条件は目の奥の暗さ。それがある女優さんが演じたら、素敵な作品になっただろうなと思った。

私はみすずと岸の交流を、美しいファンタジーだと思って読んでいた。ただ、結局はお嬢さんとお坊ちゃまなのだなあ、という冷めた目で見る部分もあった。

あの時代。日本は今よりずっと貧しかった。大学の、それも私学に通えるのは、それだけでもずいぶん恵まれたことだったと思う。進学したくても経済的に無理で、家庭のために高卒で働きに出た子も、多かったんじゃないだろうか。あるいは、高校に通いながら放課後は家計を助けるためにアルバイトしていた子。

そんな子たちからみすずと岸を見れば、ため息しか出ないだろうなあ。

ジャズ喫茶で仲間と話せる余裕。

それが欲しくて、叶わなかった子も、たくさんいただろう。

みすずは孤独で、可哀想な子だろうか?うーん。本を読んだ限りでは、私はあまり、せっぱつまったものを感じなかった。もっと厳しい状況の子がたくさんいることも知っているし。家庭に恵まれない寂しさは気の毒ではあるけれども、逆を言えば世の中は、そんなに恵まれた人ばかりとは限らない。

たとえば、晩御飯のこと。結局、お金は渡されていたわけで。そりゃ一人で食べるのは味気ないかもしれないが、空腹を耐える情けなさ、辛さはなかったわけで。

新宿御苑で襲われたみすずの心の傷。それがもし本物なら、ジャズ喫茶にはとてもじゃないが、入れなかっただろうと思う。見知らぬ、複数の、不良と呼ばれる人たちがいる場所だから。

寂しいから、そこに出入りすることができたなら。その傷の深さも、人生を変えてしまうほどには大きくなかったということだ。

岸は、みすずの目には魅力的に映っただろうなあと思う。どこか斜に構えて人生を見ている目。仲間内で一人だけ浮いているその空気に、神秘的なものを感じたのだろう。

だが、冷静に考えると、とんでもない奴なのだ。

本当にみすずを大事に思っていたら。大切な人を、まして自分よりも世間をわかっていない年下の子を、事件に関わらせたりするだろうか。東大に通うだけの知性を持っていた人に、それを判断する能力がなかったとは思わない。

三億円を奪うことが、権力への仕返し?打撃を受けるのは、本当に悪い人たちなのか?

インドを放浪し、やがて行方不明になってしまう生き方。あくまで自分中心だったと思う。そのことが、誰かのために、世の中のためになったんだろうか?

みすずの子供時代。伝書鳩を飼えるのは余裕があったということだと思う。本当に意地悪な叔父夫婦なら、なにがなんでも、許さなかっただろうから。

失われた青春、というけれど、あの時代。青春もなにも、生きるために、家族のために、ただただ働き続けた人たちが大勢いた。進学の夢を諦め、他のことを考える余裕もなく。

そのことを思うと、なんとなく、これは「恵まれた人たちの物語だな」という気がする。

この物語がフィクションなのかどうか、結局ぼかして書いてあるけれど。時効を迎えた三億円事件に、著者がなにかしら関わりのあった人だというのは、本当のような感じがした。

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