ドラマ『愛していると言ってくれ』感想 その3

 ドラマ『愛していると言ってくれ』の感想を書きます。これで感想を書くのは3度目になります。時間を置いてみると、自分の中で新しい思いも生まれたりするんですよね。最初に見たときには、気付かなかったようなこともあったり。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

 ふっと、もう一度見たくなったので見ました。懐かしのこのドラマ。

 感想を手短に書きますと、このドラマって結局のところ、「晃次が恋におちて、フラれる話」なんだなあ、としみじみ。

 人が恋におちるって、そうそう、こういうことなのよねっていう、いわば恋のあるある(^^;

 誰かを好きになるのは理屈じゃなくて。トヨエツの演じる晃次は、決して積極的でもなく、出会いを求めていたわけでもなく。どちらかといえば人を避けて、誰かと親しくなることを恐れていたような人だったと思うのですが。そんな人でも、偶然見かけた常盤貴子さん演じる紘子に出会ったその瞬間から、勝手に心は走り出す~という。

 紘子の顔が好み? しぐさが? 笑顔が? リンゴをとってもらったときの反応が? そのすべてが、晃次にとっては、ズキューンときちゃったんだろうなあと思いました。でなければ、紘子にああいう照れたような顔は見せなかっただろうし、夜の公園で稽古中のところを、そっと見てたりしなかっただろうなあ。

 まあ、大前提として、人さまの家のリンゴを勝手にとってはいけませんが(^^; たとえ枝が、道路にはみ出していたとしてもね。

 私、最初にこのドラマを見たとき、印象としては紘子の愛情>晃次の愛情だったのです。特に物語の前半は。若くて無邪気で、なんのためらいもなく素直に愛情をぶつけてくる紘子が、もう一方的というくらいに晃次に向かっていって、それに引きずられるように晃次も次第に、紘子を好きになる、みたいな。あくまで紘子主体の、そんな印象があったのですが。

 今見返すと、これ、ひとめぼれしてるのは晃次の方だ~ということに気付いてしまいました。もう最初から、惹かれてます。

 リンゴをあげて、相手を見たときにズッキューンときて。でももう会うこともないと思っていたら、夜の公園で偶然に見かけて。相手がそれを覚えててくれて、話しかけてくれて。それからまた、絵を描いてるときに再会して。本当はドキドキしているのに、紘子はなにも気にせずに気軽に話しかけてくれて、でもうまく答えられなくて。最初からうまくいかないとわかっているし、何も期待なんてしていないけど、それでも心は勝手に走り出す。

 だから、目で追ってしまう。紘子の姿を。公園の売店。褒めてくれた色の絵の具を投げてみたり。

 唐突に去っていったのは、反応をみるのが怖かったからだね。相当、変な行動だもんね(^^;

 いやいや、でも相当だわ。晃次って、女の子に絵の具投げたりするキャラか?っていう。

 普段は絶対そんなことしないと思うよ。他の誰にも。それくらい、どうしようもなく恋におちちゃってたんだなあってことが、今はわかる。

 公園の野外舞台も、見てたの1度じゃないもんね。

 そしてもう言い逃れできない最大の証拠は、家に招いたことだなあ(^^) いくら足にけがしたからって、自分の家に入れないよね、もし他の人だったなら。紘子だから、家に入れてしまったのだと思う。名前も知らない、ほぼ初対面に等しい異性の家に、なんの抵抗感も抱かずいそいそと行ってしまう紘子も紘子だけど。いや、まずいでしょ。たまたま晃次はいい人だったけど。

 聞こえないってどんな感じか聞かれて、「夜の海の底にいるような感じ」だなんて、正直に話す義理なんてないのに。好きな人の前では、自分をわかってほしいっていう気持ちがわいたのかな。

 好きっていう気持ちは自然なもの。コントロールできないもの。勝手に走り出して、その人がそばにいるだけで嬉しくて、幸せな気持ちになって。

 それをあらためて、考えさせられたドラマでした。

 晃次も紘子も、好きになろうとして相手を好きになったのではなく。いつの間にか、そうなることが必然だったように。お互いを必要としていた。

 第1話で、晃次が自分が描いた絵を紘子にプレゼントしたシーン。もう、これはプロポーズといってもいいんじゃないかと。画家の作品て、その人の心そのものだもんね。僕の心を君にっていう意味。きっと、無意識なのかわかっててやってるのか、その両方なのか。絵の具どころじゃないですよ、もう絵、そのものですもん。

 でもその後すぐに、何も告げず引っ越してしまったのはなぜなのか。

 私はそこに、晃次の諦めを感じます。

 どうせ、うまくいかない。幸せにする自信もない。こんな自分だから。好きだけど、さよなら。せめて君に、僕の心を。この絵を。

 引越を告げるほど(関係を深めたいと願うほど)晃次は自分自身にうぬぼれてなんかいなかったのだと思います。

 そしてこのドラマ。もうひとつの見どころは、岡田浩暉さん演じる健ちゃんの片思い。本能的なものって、どうしようもないんだなあということを、これでもかとばかりに突き付けられた気がします。

 健ちゃんは、紘子とお似合いだから。条件的なことを考えても、紘子と健ちゃんはぴったりなわけですよ。幼馴染だから、同じような環境で育ってる。年も近い。お互いの家族のことだって、よく知っているだろう。加えて健ちゃんは、紘子を愛してる。きっといつまでも大切にしてくれる。なのに、どうしても駄目なんだ。健ちゃんじゃないんだよね。いい人、友人としては好き。でもそれは、恋人じゃない。

 もう全話通してだもんね。惜しみなく注がれる愛情。優しさ。見返りを求めずに、健ちゃんはいつも傍にいて、見守ってくれて。

 でも努力じゃないんだ。誰かを好きになる気持ち。紘子はどうしても、健ちゃんを好きにはなれなかった。

 なのに紘子が健ちゃんと一夜を共にしたってのも、本当に愚行だと思いますが。翌朝の紘子の表情がね、これがまたものすごく素直で。どよ~ん、てしてるの(^^; これ、相手が晃次だったときの、あふれる幸福感との対比がすごい。もうその時点で、健ちゃんとの未来は、一生無理だろと。見てる私は思ってしまいました。嫌なのを我慢して、こんなはずじゃなかったって思いながら健ちゃんと夫婦になるのは間違ってる。いつか破綻する。

 ただね、好きでも一緒に幸せにはなれないっていうのは、あるんだなあと思いました。

 紘子の決定的なセリフです。

>あなたと一緒にいてもつまんない。
>だって手話ってすごい疲れるし、それに
>好きなCDだって一緒に聴けないもん

 私がもし晃次の立場だったら。この瞬間に、すべてが終わります。

 紘子はひどいこと言ってるけど、でもそれって、紘子の本音で。それをどうこう言っても仕方ない。だってそれは本当の気持ち。普段は我慢してるだけで、それはいつも、紘子の中にくすぶり続ける気持ちだから。

 喧嘩だから、売り言葉に買い言葉だから、というのは言い訳にならない。いいも悪いもなく、紘子にその思いがあるなら、二人はこの先、一緒に暮らしていけない。いつかまた、紘子は爆発するし、晃次は傷つく。

 私なら、この時点で完全に諦めます。

>悪かったね

 そう返した晃次は大人だなあ。あそこでごちゃごちゃ言っても、紘子は興奮してまた何か、叫び出すだけだろうし。

 それでも結局、暴言を許して先に進もうとしたのは、晃次がどうしようもなく紘子を好きだったから、なんでしょうね。理屈では、いろいろわかっていても。

 私は以前の感想で、最終回のラスト、紘子はともかくとして晃次には、やり直す気持ちはないだろうと書きましたが。よくよく考えてみると、もしそうなら、わざわざリンゴをとってあげることはなかったかなあという気がしてきました。

 あのとき、リンゴをとろうとしていたのが紘子だと、晃次にはわかっていたはずです。知らん顔して、立ち去る選択もあったのに。敢えてあそこで紘子と再会したのはなぜか。

 やっぱり好きだから?なのかな。忘れられなくて、だからせっかくのチャンスに目をつぶることができなかったのかと。自分でも馬鹿だと思いつつ、紘子の前に姿を見せずにはいられなかった。そして、紘子が以前と変わらぬ笑顔で微笑んでくれたら?

 また始まってしまうのでしょうか、二人の新しい物語。

 本当に終わらせたつもりなら、完全に諦めたなら、街ですれ違ったって、気付かないふりするもんなあ。好きって気持ちは、本当にどうしようもないものです。不幸になるとわかっていても、その人を求めてしまう。一緒になっても、またいっぱい喧嘩して、いっぱい傷つくだろうに。それでも。

 目の前に現れたら、知らんふりはできないものなのかもしれません。 

ドラマ『高校教師』 感想

 1993年放送のこのドラマ。今あらためて見ると、昔と感想が違います。
 以下、ネタバレ含んだ感想ですので、ドラマ未見の方はご注意ください。

 

 昔見たときは、いろいろありながらも純愛の話だと思ったんですよね。
 でも今は違う。

 今、改めて見たときに、、桜井幸子さん演じる二宮繭と、持田真樹さん演じる相沢直子の、「ずるさ」を感じてしまう自分がいました。

 同時に、脚本を書いた野島伸司さんの、強烈な女性不信感も伝わってきたような…。こんなふうに女性を見ていた人が結婚できた、ということが不思議に思えてしまい。その後の人生で、なにがあったんだろう。聞いてみたいです(^^;

 キャスティングはぴったりでしたね。
 羽村隆夫を演じた真田広之さんは正統派二枚目で。だけど画面を通して見る羽村先生はとにかくダサく。

 これ、上手いな~と思いました。
 本当に洗練されてない人がこの役をやったら、惨めすぎて見るのがつらくなってしまうと思うから。真田広之さんだからこそ、羽村先生になれたというか。 
 不本意ながらバスケ部顧問になり、運動神経のなさを生徒から批判されるシーンとか、見てると本当に運動一切駄目な人に見えて、すごいと思いました。実際にはスポーツ万能だろうになあ。

 羽村先生は、ぎりぎりのバランスが重要だと思いました。
 果てしなくダサいってのも困るのです。誰にも見向きもされない、視聴者から見てもなんの魅力もない人であってはならないという。
 かといって、モテすぎてもダメ。婚約者を失ったときの悲壮感が出なくなってしまうから。生徒からキャーキャー言われてたら、繭につけこまれる心の隙が生まれなくなってしまう。

 つけこまれる、とか言ったら言い過ぎなのかもしれませんが。
 今、あらためてドラマを見ると、繭をひどいなあと思ってしまうのです。

 実際、繭の立場だったら。本気で羽村先生を好きになればなるほど、近づけなくなるのが自然ではないのかなあ。
 助けてって、無記名で手紙を書くのは、まだわかる。
 でも、あんな風に明るく積極的に、大胆に近付くことが、果たして愛なんだろうかっていう。

 自分が女子高生だったときのことを、思い返してみました(^^;
 当時のことを思い出してみると、高校生ってもう立派に、大人みたいなことを考えていて。相手の立場を思いやるってことも、十分できるわけです。

 繭が羽村先生に近付けば、羽村先生はどんどん立場をなくして。
 そして繭は、羽村先生が弱ってるところに、すっと入りこんだのがずるいなあと思ってしまったり。

 真面目な先生ですから、たぶんどんな誘惑をされても、プライベートが順調なら決して一線を越えること、なかったと思うんですよね。そもそも、女子高生と二人きりでデートとか、ありえない。

 それが、ずるずる繭に押しきられる形になったのは、自分が傷ついていたところに優しく近付いてきたひとだった、というのが大きいかと。
 本当に好きだったのか? それは愛なのか? それよりも同情と、たまたまそこに、彼女がいた、というのが理由だったのでは?

 羽村先生が繭に向けた感情は、恋愛というよりももっと、別のものだったような気がするのです。

 繭のそれは、恋愛感情だったのかもしれないけれど。
 でもそこには、羽村先生への立場を思いやる、気遣いのようなものがなくて。私は繭を好きにはなれませんでした。
 好きになればなるほど、だから動けなくなるっていうのがなかったような。
 繭はあくまで、自分中心のように見えてしまい。

 「助けて」「あなたが好き」「助けて」

 繭の心中は、すべてそれで占められているようで。

 助けてほしかった? でも、羽村先生のことは思いやれない? 子供だから? 十分大人に見えるのに?
 誘惑すれば、きっと羽村先生は自分を選んでくれる。そんな繭の気持ちが透けて見えたのは、私が汚れた大人になったからなのでしょうか(^^;

 相沢直子に関しても、共感できないところが多かったです。
 被害者になったのに、京本政樹さん演じる藤村先生をまだ、慕っているようなふしが見える部分とか。

 うーん、それはないと思う。ああいう事件がおこってなお、先生への愛情が勝る、とか。あり得ないなあと思いつつ見ていました。脚本を書いた野沢さんが、そういう目で女性を見ていたとしたら、女性不信もいいところで。

 直子はあんなことがあった後で、藤村先生への愛情を残していただけでなく、赤井英和さん演じる新庄先生にたやすく、なんの警戒心もなく近付き、心を許してしまうとか、そのへんがすごく不自然に思えました。本当なら近付けないと思う。むしろ以前よりももっと。

 藤村に生理的な嫌悪感をもよおすようになってなお、脅迫に屈せざるを得ない悲劇、ならまだわかるのですが。

 藤村先生を演じた京本政樹さんのキャスティングはぴったりでした。美形で、生徒から大人気で、でも目の奥に闇があって何かが壊れてる。

 優しい顔で正論を説く、その裏の顔のギャップがすごかった。
 赤井英和さんの新庄先生と、見事なまでに対照的なのがいいんですよね。最初は新庄先生が偏屈で嫌味な人物かと思いきや、実は誰よりも生徒思いで、熱血漢で。
 無骨だし口下手だし、特別かっこよくもない新庄先生が一番、教師としてはまともだったような。

 高校教師。1993年には、普通に22時から放送されていたんだなあ。内容はかなり重いし、本当は深夜枠でもおかしくないかと。うっかり子供が見てしまったら、かなり影響を受けそうです。

 電車に乗り、繭にもたれるように、目を閉じた羽村先生。はっきりしない最後も当時、話題を呼びましたが。
 私はあれを、心中だと思いました。
 もう死ぬしかない、と決めたのは、繭のような気がします。主導権は、繭にあったような気がするのです。繭が生きようと訴えたら、羽村先生もきっと、そうしたはずだと。たとえ罪人になったとしても、です。

 結局、羽村先生は繭に引きずられてしまったのだと思いました。いろんな意味で。もちろん大人なのだから、羽村先生にも大きな責任はありますが。

 でもこれは、純愛のドラマではない、と、思いました。

 自分が羽村先生の立場だったらどうしただろうか、と考えてしまいます。

ドラマ『相棒 season13』最終回 感想

 あまり熱心に見ていたドラマではなく、むしろ見ていた回の方が少ないくらいなのですが。最終回は気になっていたので、見た感想を少しだけ書いてみたいと思います。ネタバレありですので、未見の方はご注意ください。

 

 水谷豊さん演じる杉下右京に感じた違和感・・・。

 右京さんは、犯罪者になってしまったカイト君に、「待っています」なんて言う人ではないと思う・・・。

 ここが、どうしても??でした。右京さんて、そういうキャラじゃないと思うなあ。絶対許さないと思うけど。そして、二度とカイト君に会うこともないと思うのです。

 逆に、会ってどうするというんだろう。なんて言葉をかけるんだろう。二度と、信頼できないだろうに。

 右京さんのキャラだと、あの空港でもしカイト君が話そうとしても、そのまますーっと立ち去ってしまうんではないかと。無言のまま。何を言われても、振り返ることなくそのまま行ってしまいそうです。
 もちろん、カイト君のことを憎んでるとかではなく、自分自身を許してないと思うんですね、右京さんは。
 一緒にいながら、上司でありながら気付けなかったことを。
 だから、カイト君に請われたところで、今さら彼と話すことなんて絶対ないだろうなあ、と思うわけです。

 あそこで、「待っています」だなんて、一番右京さんに似つかわしくない言葉で。右京さんはそんな、嘘をつくだろうかと。

 待ってて、どうなるんでしょう。二度と一緒に仕事ができるわけではないのに。かといって、お友達として仲良く、という存在でもないわけで。お世辞とか同情とか、そういうものは右京さんに似つかわしくないのに、カイト君に変な期待持たせて、どうなるというのか。涙するカイト君は、その言葉の虚しさを知っていたように思えました。

 待ってるわけないし、未来なんてないもんなあ。右京さんから、本音でない偽りの言葉が出てくるくらいに、二人の距離が離れてしまったことを知ってしまったからこその、カイト君の涙なのかもしれません。

 でもカイト君も変だった。
 普通、空港には行かないだろうと思いました。行ってどうするのかと。三年も右京さんと一緒にいて、どんな人かよくわかっているだろうに。空港で優しい言葉を聞きたかった? 許してほしかった?

 カイト君が動揺したり泣いたりするのは、初めて右京さんに自分の犯罪を告白する、そのときしかないと思いました。そのときこそ、二人の関係が決定的に断絶するときですから。なのに、そこでは案外平然としてて、空港で大泣きって、不自然な感じです。

 逆に、自然だと感じたのは、カイト君が、二件目以降の犯行の理由を「わからない」的に言っていたところ。

 これは正直な感想なのではないかと思いました。

 たぶん、いろんな要素が混ざり合っていたのではないかと。犯罪者への憤りもあり、ヒーロー扱いされることの心地よさもあり、そして何より、どこかで右京さんへの反発もあって。

 カイト君なりに、正義と信じていたものが、右京さんの前では全否定されるから。

 いろんな思いがあって、ふらふらと犯行を重ねていたのかなあと。一つの明確な理由や、定義があったわけではなく。だから、犯行理由を問われたとき、真摯に答えようとすればするほど、「よくわからない」になってしまうのかなあ。○○だろう、と言われればそんな気もするし、××だろうと言われれば、それも否定できないし、みたいな。

 あと、カイト君は案外孤独だったんだなあと思ったのは、恋人の悦子さんのことです。彼女はなんで最初の犯行で、彼の心の闇に気付かなかったのか。結局、同棲していて、子供までできる間柄であっても、心の深い部分で語り合うことはなかったんだなあと。
 だから、もうどうしようもないところまで追いつめられて初めて、カイト君がダークナイトだったと気付いたわけで。遅い、遅すぎる。

 最初の犯行、それから二度目、三度目、カイト君にはものすごい葛藤があったはずです。同棲してる恋人で、心の深いところで繋がっていたら、それは気付かないはずないだろうなあと思うのですが。
 むしろ、右京さんよりも、悦子さんこそカイト君の心に近かったはずなのになあ。

 このドラマは、いつも杉下右京を演じる、水谷豊さんの目の鋭さにどきりとさせられます。怖いなあと思ってしまう。普通刑事ドラマって、主役はいい人のはずなんですけども。
 でもそういうところが、逆にドラマの魅力にもなっているんでしょう。最終回の余韻が、数日たった今もまだ、私の心に残っています。 

ドラマ『永遠のゼロ』 感想

 ドラマ『永遠のゼロ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。ちなみに一夜は見ておらず、二夜と三夜だけを見た感想です。

 ドラマは三夜放送されるということで、映画よりも時間が長い分、映画で見られなかったいろんなエピソードがきっちり描かれるのではと期待していたのですが、残念でした(^^; なにがって、キャスティングです・・・。

 どうしてかなー。一番ひどいと思ったのが、景浦役の、柄本明さん。柄本さんが悪いんじゃなく、柄本さんを起用した人が間違っていると思いました。柄本さんの場合、どうしても志村さんとのコントの印象が強いし、見ていて「これは景浦じゃない」という違和感がすごくて。
 映画版の田中泯さんがはまり役だっただけに、とても残念です。景浦の役は、このお話の重要な鍵のはずなのに。そこを外してしまうと、ドラマ全体の仕上がりが間延びしたものになってしまう。

 せっかく、これだけの時間を使って描くのになあ、と残念でなりません。飛行機の特撮とか、ロケ地の建物には予算の関係上そんなに費用はかけられなくても、役者さんの演技で魅せてくれたら素晴らしいものになったと思うのです。一人一人がじっくりと宮部を語る、それだけの時間が十分にあったのに。今回、ドラマ化に関して、映画よりも一番有利な点はそこです。長い時間をかけて描けるということ。だからこそ、キャスティングがすごく大切だったのになあ。

 なぜ景浦役を柄本明さんにしたのでしょう。

 あと、演出もひどいと思いました。景浦が宮部の孫と会うときの、部屋着のようなくたびれた服と、無精ひげ。景浦は元暴力団幹部のはずなのに、宮部の孫に会うとき、そのような格好をするのは考えられません。本当なら、もっときりっとした格好で現れたはずです。たとえ年をとっていたとしても。
 そして目の奥には凄みを宿していたでしょうし、触れれば切れるような空気を、ときに漂わせるような人物だったと思うのです。背筋もぴんと伸びて。

 柄本さんだと、キャラが違いすぎます。田中泯さんの演じた景浦のことを、何度も思い返してしまいました。田中泯さんの異様なオーラは、映画を見終えた後も、強い印象をいつまでも観客の心に残していたと思います。

 ともかく、この景浦役のミスキャスティングがドラマの方向性を、決定づけてしまったような気がしました。他に良い点があっても、総合的にみたとき、このミスキャストの負を挽回できていないです。

 他に気になったのは、戦後の松乃があまりにも綺麗な服を着て、髪も乱れず顔にも生活の疲れがなく、苦労したという設定に説得力がまるで感じられない点です。特に、大石とレストランで食事をしたり、その後、話をしたりするシーンなどは、戦後というよりも現代の空気を感じました。真っ白なブラウスの襟。貧しいながらも精一杯のおしゃれというよりは、普通の、豊かになった時代の日本を思わせました。70年代くらいの印象です。

 松乃が景浦に助けられるシーンも、想像していたのとずいぶん違っていました。きれいな着物を着て、決して不幸にはみえない、やさぐれてもいない松乃の姿。囲われ者といっても、それなりに幸せそうにさえ見えてしまった。だから景浦が助ける意味が、薄れてしまうのです。景浦が投げつけた財布から、札束が舞うのも興ざめでした。

 景浦は松乃を助けに来たのではなく、たまたま組の抗争で押し入ったら、そこに松乃がいたという設定。これもなんだか、残念な気がしました。
 
 苦しんでいる松乃を知り、闇に乗じてたった一人で乗り込む。そして松乃に財布を投げ、「生きろ」と万感の思いをこめて叫ぶ景浦であってほしかったです。

 これは映画のときもそうでしたが、戦後の松乃の窮乏ぶりが描かれていないと、大石が登場する意味がなくなってしまうと思うのです。松乃が豊かで幸せであるのなら、大石が助ける必然性もないし、関わることそのものが、単なるメロドラマになってしまいますから。

 ドラマの中で、若いときの大石を演じた中村蒼さんは、はまり役だと思いました。生真面目な感じが、まさに大石、という感じで。宮部の目に、妻子を託せる相手として、映るだけの力を持っていたと思います。真面目さや責任感だけでなく、誰かを守るために必要な知性も、十分に感じられて。

 広末涼子さんの演じる慶子もよかったな。高山と藤木の間で、傷つきながら、打算もありながら、祖父を知ることで変わっていく姿が見事でした。
 あと、永井を演じた小林克也さんもよかった。最初、小林克也さんと気付かなかったです。あまりにも自然な演技で。
 
 ドラマは、映画にはかなわなかったと思いました。キャスティングと演出さえ違っていれば、超える可能性は十分あったと思いますが。残念です。

ドラマ『愛していると言ってくれ』 感想 その2

 ドラマ『愛していると言ってくれ』の感想を書きます。以下、ネタばれも含んでおりますので、ドラマ未見の方はご注意ください。

 

 私が以前に書いた感想に対してコメントをいただき、その返信を書いているうちにいろいろと想像がふくらみました。長文になったのでコメント欄でなく、本文の方に第2弾のドラマ感想を載せることにしました。いや~想像の翼は果てしなく、です(゚▽゚*)

 最終回の映像に、もし続きがあったとしたら、二人はどうなったでしょうか。
 私が想像したのは、次のような光景です。

ーーーーーーーー想像始まりーーーーーーーーーーー

紘子:ねえ、この後・・・時間ある? 話したいの。
榊:(優しく笑って、首を振る)

(以下、手話での会話が始まる)

榊:元気そうだね。
紘子:ありがとう。晃次さんも。(恥ずかしそうに、上目づかいで)
榊:女優がんばってるね。テレビで見た。
紘子:晃次さんこそ、グランプリとったでしょう。おめでとうございます(ぺこりと頭を下げる)
榊:知ってたの?
紘子:週刊誌で見たの。晃次さんがんばってるんだなあって。私もがんばってます。

(榊は笑顔でうなずき、軽く頭を下げて去っていこうとする。)

紘子:待って。このまま帰っちゃうの? (目に必死な光が宿る)
榊:そのほうがいい。
紘子:せっかく会えたのに。もっと話したいこと、いっぱいあるのに。
榊:君の活躍を祈ってるよ。さよなら。

去っていく背中に、紘子が叫ぶ。

紘子:やっと会えたのにー!!

ーーーーーーーーーー想像終わりーーーーーーーーーーー

 最終回の映像に続きがあるなら。こんなところじゃなかったかなと思ったりします。榊さんは紘子と一緒になれば、お互いにまた傷付くことを知っていると思うので。過去の楽しかった思い出はそのまま、大事に心にしまって、去っていったんじゃないかと思います。聞こえないけど、背中で紘子が叫んでるのは感じたはずで、それでもちっとも気付かないふりをして歩みをとめなかったのではないでしょうか。

 紘子がやり直すチャンスがあるとしたら。別荘がラストチャンスでした。今さらけんちゃんのために泣く、というのはなんだかな~。けんちゃんからしたら、紘子が晃次と一晩過ごすって言う時点で、もう終わってると思うんですよね。そこでなにがあろうと、なかろうと。もう関係ないというか。海が見たくて一緒に行っちゃうこと自体が、裏切りなんですから。
 だから、泣きだして晃次を悲しませることは、誰を救うことにもならなかった。けんちゃんはもう、あの時点で十分裏切られていた。榊さんは、せっかく勇気を出して、弱い自分の過去もさらけ出して、真正面から紘子に向かい合ったのに、土壇場で紘子に泣かれるとか気の毒すぎます。

 泣いた紘子にそれ以上進めない優しさも。紘子、結構ひどいことしてるなあと。

 たぶん紘子は、そこで全部終わったんだってことを、3年たっても気付いてないんじゃないかな。そこまで深く、晃次の気持ちを理解はしていなくて。だから、3年たって同じリンゴの木の下で再会して、戸惑いながらも、これからまた彼と新しい関係を始められるんじゃないかと、期待してたと思うんですよね。

 でも榊さんは違うだろうなあ。
 そうでないからこそ、あの別荘で、泣いた紘子を前に、それ以上手を出せなかったんだと思うのです。

 懐かしい思い出ではあっても。再会して、うれしかったにせよ。二人でつくる未来はもう、ありえない。

 私は、最終回の続きをリアルに想像してしまいました。嬉しそうに無邪気に、お茶でもと誘う紘子と。笑顔で首をふる榊さんと。

 目に浮かぶようです。

ドラマ『二千年の恋』 感想

 ドラマ『二千年の恋』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでいますので未見の方はご注意ください。

 2000年に放送されたドラマです。当時は全く興味がなく、本放送は見ていませんでした。そもそもタイトルに「恋」が入ってる時点で、見る気は失せます。安易すぎる…愛とか恋とかいれときゃ、一定の視聴者は食いついてくるとか、そういう意図があったのかな。

 タイトルも、それから国際スパイものだという設定も、陳腐すぎて当時全く興味をそそられませんでした。

 そしてあらためて2014年、このドラマを見て思うのは、やっぱり荒唐無稽だなーと。
 あまりにも現実離れしていたり、つじつまがあわないようなことが多すぎて、冷めた目で見ていました。主人公である金城武さん演じるユーリと、中山美穂さん演じる理得(リエル)が、どちらも美男美女、美しいというところだけが見所で。

 私はコッテコテの恋愛ドラマって決して嫌いではないのですが、それなりに真実味のあるお話でないと、物語に入りこめないんですよね。いくらドラマとわかっていても、ちゃんと説得力が欲しいのです。ユーリは国際スパイという設定でしたが、もしこれが現実の話なら、理得がらみで不用意に勝手な行動をとるユーリは、お話のもっと最初の方で同胞から危険視され、命を奪われていたような気がします…。

 スパイが情報収集のために近付いた相手と、恋に落ちる。これ、絶対に許されないことでしょう。一番危険なことでしょう。私情が任務を左右するようになったとき、それを許しておくほど、組織は甘くないのではないかなあ。
 だから、理得を守ろうとユーリが彼女をホテルに匿ったとき、請われて一晩彼女と一緒にいたとき、もうその時点で、ユーリのボスはユーリを許さなかったと思う。決定的すぎる。
 連絡もなく、長時間行方不明になっちゃったんだから。仕事中のユーリが。

 理得をどうこうしたところで、不信はぬぐえないはず。もうユーリそのものに対する信用がゼロで、ユーリは即刻、仲間から殺されてもおかしくなかったと思います。

 二人きりで、いろいろ素直に話すシーンはロマンチックでしたけども。現実味はまるでなかった。そんな時間を過ごせば、もう、何事もなかったかのように、ユーリは仲間の元に戻れるはずなんてないのに。そのことに対するユーリの覚悟が、見えてこなかった。

 そもそも、ユーリがスパイっぽくない…。
 それは最初から思ってました。金城さんが気のいいお兄さんにしか見えないから。スパイの凄みも、陰も見えなかった。
 どうしても隠しきれない人の良さが、金城さん演じるユーリにはありました。お気楽なあんちゃん。のんきで楽天的な自由の国の好青年に見えました。むしろ。

 だからどんなに、ドラマでユーリの運命の過酷さを説明されても、どこか遠い出来事のようで。その重さを、実感することはできませんでした。

 ところがです。このドラマで私が心を奪われてしまったシーンは、最終回の最後の最後に出てきたのでした。

 それは、家族全員を国に殺され、弟も父もその手にかけたという壮絶な人生をいきたユーリが、理得を人質にとられ、究極の選択を迫られるシーンです。

 そのときのユーリの表情は、忘れられないものでした。
 fayrayさん演じるナオミは、爆弾のスイッチを、人質にとった理得の心臓の前にかざします。スイッチを撃てば、理得を撃つことになる。ユーリは撃たないだろう、とナオミは確信しています。

 ユーリの目から涙が流れて。ユーリは理得を撃ちます。そのときの表情が凄いのです。ナオミに対する怒りや苛立ちではなく。静かな哀しみが、涙と共に流れて。

 理得がそのとき、スコープ越しに小さくうなずいたのを。「撃って。たとえ私が死んでも、みんなを守って」という彼女の心の声だと、ユーリが解釈したのであろうことは容易に想像できますが。
 なんだか、その前に、ユーリは理解してしまったような気がしたのです。理得の意志がどうであれ、ユーリは撃つことをもう決めていたように思います。ナオミは絶対に引かない。二択しかない。なら答えはひとつだと。

 もちろん、理得が暴れて、撃たないで、死にたくないと抵抗するのを目の前で見たら、ためらったかもしれないですが。理得はそんな女性ではありませんし。

 理得と生きる、新しい人生なんてどこにもなかったんだと。人質にされた理得を見たときに、誰よりも早く深く、ユーリは悟ってしまったような気がしてならないのです。だからこその、哀しみの涙だったような。全部わかってしまい、悲しい結末がすぐそこにあることを知っての涙。

 ドラマで映像として描かれた、荒唐無稽な過去よりも。もっとたくさんの、もっと苦しい出来事が、どんなにかユーリにはあったんだろうと、そう思わせる表情でした。表現が大げさでないぶん余計、心にしみました。
 ユーリの過去が、垣間見えたようで。

 

 自分の銃弾が、多くの人の命を救う一方で。大切な相手の命を奪ってしまう。ユーリの苦悩。彼女を失えば、自分も生きてはいけない。私はユーリの指にかかる引き金の重みを、まるで自分のことのように感じながら、画面に見入ってしまいました。

 その後がまた、ユーリらしくて。撃ったのは自分だから、彼女が確実に死ぬであろうことも、誰よりもわかっているわけです。そしてふらふらと、放心状態で理得の元へ歩み寄り、警官隊に撃たれて理得の横に崩れ落ちるのですが。理得のすぐ横であっても、決して理得の上に倒れないところがまた、ユーリの優しさであると思いました。

 最後なら、普通は触れたいと思いませんか。顔でも手でも。抱きしめたいと思えば、理得に覆いかぶさるようにして崩れ落ちてもおかしくないと思うんですよね。でもそしたらきっと、痛いし重い。だからこそ、わざと、真横に倒れて。それで理得のことを見るんですよ。

 許しを請うように? 救いを求めるように? 理得が目を開けて、視線が合ったら、ユーリは一瞬だけかすかに笑って、すぐに目を閉じて。この、微笑すれすれの演技がすごいと思いました。
 実際には表情は笑ってないかもしれないです。でも見えるんですよね。笑ってるユーリが。

 演出もすごいし、それにぴったりはまったのが金城さんだったと思います。

 ただ、理得が妊娠していたという後日談は蛇足だと思いました。う~ん、本当にこのドラマ、そういうところがやりすぎというか、陳腐というか。むしろ、そういう設定はない方が、二人の最後にはふさわしかったと思います。余韻が台無しになるといったら、言いすぎかな。

 このドラマ、最後の金城さんの演技が、しみじみと心に残ります。全11話ですが、最後の表情にやられました。それまでの10話の物足りなさが、ふっとんでしまう勢いです。

ドラマ『ガラスの家』 主題歌が頭の中を、いつまでもぐるぐると。

 後を引く、そして噛めば噛むほど味の出るスルメのようなドラマ、『ガラスの家』。あらためて、全話を見ました。不思議な余韻を残すドラマです。
 第4回を見て、もういいや~と思ったのになあ(^^;

 見逃していた初回も見ました。なんだか、テイストが思いっきり昼ドラの際どいもので、実は初回が一番、大人向けだったような気がします。じっくん(斎藤工さん)のセリフが、凄かったり。NHKのドラマじゃないなあと。
 私は最初、この作品を2回目から見始めて、ずいぶんアダルトなドラマだと思ったけど、アダルト度は1回目の方が上でした。怪しい雰囲気に包まれております。

 まあ、無理ありますよね。男所帯で3人家族のところに黎ちゃん(井川遥さん)がお嫁に来たら。そりゃあ、ひと波乱あって当たり前です。というか、息子二人は成人してるんだから、家出ること考えないとな~。私が仁志や憲司(永山絢斗)さんだったら、迷わず家を出ますけどね。自分自身の心の平穏のために。
 大豪邸で部屋の物音が一切聞こえないくらいの、お城みたいな構造ならともかく。あの家で同居は無理。絶対無理。

 そういえば今日、美容院で雑誌『VERY』の12月号に出てた井川遥さんの特集記事を見たんですが。綺麗だったなあ。特に4枚目。

 井川さんは、キメキメのドレス姿より、なんでもないラフな格好の方が、美しさが際立つような気がします。
 その記事、たしか4枚目の写真ですね。大き目のニットに、デニムパンツ、フラットシューズという姿が、はっとするほど魅力的でした。もしこの場に仁志がいたら。この姿の黎さんが笑顔で駆け寄ってきたら、そりゃあもう受け入れてしまうだろうなあと。そう思わせる、輝きを切り取った写真でした。

 このドラマのことを考えてるときに、井川さんの載った雑誌をたまたま手にとるだなんて、これはもう、ブログに感想かかなきゃなと思ったので、書いてます、今(^^)そしてドラマを見直してみて、斎藤工さんのかっこよさに陥落。

 いや、違うな。斎藤工さんではなく、斎藤さんの演じる仁志が、素敵なんですよね。仁志の生真面目さと優しさに、うっとりしてしまう。

 私は特に、ドラマ前半部の仁志が好きですね。モラハラ夫のかずさん(藤本隆宏)が黎ちゃんを理不尽に責め立てるとき、反射的にさっとかばうところがいいのです。もう、計算とかじゃなく、言葉や体が勝手に反応してるみたいなところが。この人を守らなければ、という隠しきれない思い。そして、いちいちそれに苛立ち、さらに嫉妬をつのらせるかずさんの姿が、ドラマを盛り上げます。

 かばった場面で、一番心に残ったのは、かずさんの誕生祝いの夜。

>いい気になるな

 かずさんがえらい勢いで黎ちゃんを怒鳴りつけます。見てる私も、一瞬ひるんでしまうくらいの怒声。
 自己主張する黎ちゃんを、力で抑えつけようとする姿は醜い。私はこのとき、かずさんが黎ちゃんを殴るんじゃないかと思って恐かった。

 でもその瞬間、さっと黎ちゃんをかばうように駆け寄った仁志は偉い。もう勝手に体が動いてるって感じで。大切に思ってる人が危険にさらされたら、反射的にああなってしまうのは自然なことなんだろうな。

>そんな言い方するなよ

 いつも父親に敬語で話す仁志の、強い口調。頼もしいなあ。黎ちゃんを守るためなら、そんな風に強くなれるのか。

 しかし仁志の萌えセリフは、他にもあります。
 黎ちゃんと二人で、庭で月を見上げるシーン。

>悲しいときは、いつも月がきれい

 黎ちゃんのなにげないセリフは、でも彼女の唇からこぼれると魔法の言葉に変わります。この人は僕が守らなければ、仁志のそんな強い感情を誘発する、魔性のつぶやき。
 この人は、いつもひとりで、そうやって月を見ていたんだなあって想像してしまいますもん。

 そして、飛べなかったハードルをついに、飛んでしまう仁志。

>黎さん、一緒にこの家を出よう
>行くところがないなんてことはないから
>そんなことには、僕がさせないから

 うぉー、ついに言っちゃったのね。今まではっきりした言葉だけは、心の中に封じ込めてきたのに。視聴者にも黎さんにも好意はバレバレだったけども。それを形にすることは、今まで決してなかったのに。

 この状況で、こんなことを言われて、よろめかない黎さんはむしろ、なんて貞淑な妻だろうと思いました。
 だってさ、夫は、帰る実家をもたない妻に、平気で「出てけ」なんて言っちゃえる人なんですよ。それは絶対に言ってはいけないセリフなのに。

 一緒に月を見ながら聞いた仁志の言葉は、黎さんの心に、一番深く届いたんじゃないかと。
 それを言われてなお、仁志の胸には飛びこまない黎さん。

 そりゃ確かに、仁志は義理の息子という立場ですから、軽々しく動けないのはわかりますが。人の気持ちは理屈でどうこうなるものではないし。
 もうすでに、かずさんと黎さんの結婚生活は破綻している、と私は思います。この先、一緒にいれば傷が深くなるだけのような。

 それに対して。初めて出会ったときから。仁志と黎さんは不思議と惹かれあっていたわけで。
 黎さんが仁志に声をかけたのもそうですし。声をかけられた仁志も、その瞬間から、黎さんに魅入られてしまっていたように思えました。こういうのは、理屈じゃないですね。波長が合う、というのでしょうか。

 ドラマの中で、二人は当たり前のように、心だけで会話してしまっていました。否定しながら。戸惑いながら。

 対するかずさんは、暴言と、それからうってかわったような甘えっぷりで、黎さんを縛りつけようとしていた。自分から離れていかないようにと。裏返せば、そうでもしないと、黎さんが遠くなってしまうのを、わかっていたんですよね。
 黙っていても傍にいる存在なら、暴言も甘えも必要ないから。

 昔、ある人から聞いた言葉を思い出しました。喧嘩する夫婦は、元から性格が合わないんだと。合うもの同士なら、努力もなにも必要ない。ただ普通に生活するだけで、自然と穏やかな関係でいられると。

 そんなものなのかもなあ、と思います。何故か気が合う、とか。何故か惹かれる、とか。そうした直感は実は、なにより真実だったり。
 初対面でなにも感じないなら、そこには何もないのかもしれませんね。もし運命があるなら、その人がそういう相手なら、なにも感じないはずはない、と思います。

 ところでこのドラマ、実は伏線だったんだけど、それを回収しないまま終わってしまったんじゃないかと思わせる点が2か所あって。
 1つは憲司の怪我。怪我の意味がよくわかりません。思わせぶりな描写だったのに、結局最後までなにごともなく、拍子抜けしました。
 2つ目は、仁志とかずさんの関係です。かずさんは憲司には寛容なのに、仁志には厳しい。期待がそれだけ大きいといってしまえばそれまでですが、私は、よそよそしさを感じました。ひょっとして、仁志はかずさんの実子ではない? 仁志とは血がつながっていないとか? だとしたら、かずさんが仁志にみせた激しい嫉妬もまた、違う意味を帯びてきますね。

 かずさんのモラハラぶりと、途中で手のひらを返すように黎さんに冷たくなった憲司の姿には、共通するものを見出せますが。
 仁志はかずさんの息子で、かずさんに育てられたのに。なぜああいう優しさを身に付けることができたんだろうと。押し付けない愛情だから。いつも辛抱強く自分を抑えて、黎さんが動くのをちゃんと、待っててあげるから。

 スルメドラマです。
 そして、後からじわじわ来ます。頭の中で、西野カナさんの主題歌が、いつまでも鳴りやみません。たぶんしばらくは、私はこのドラマのことを考え続けると思います。

ドラマ『ガラスの家』最終回 感想

 ドラマ『ガラスの家』最終回を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

 最終回はやはり気になる…ということで、見ました。いいなあと思うシーンも確かにあったのですが、全体的な感想としては、「もったいないなあ」です(^^;

 設定とかキャスティングはかなりよかったと思うのですが、話の筋のところどころが、ちょっとなぜそこにいく?みたいな感じで、入りこめなかったり。

 じっくんの言う悲劇、のスケールのあまりの小ささに、最後までどんでん返しを期待してしまったりとかね。
 だって、村木という政治家に裏切られたことが、そんなに悲劇だとも思えなくて。就職先がひとつつぶれたとか、信じていた人にいざとなったら知らん顔された、とか、それを悲劇と呼ぶのだろうかっていう、ね。
 それが、あの崖の上での悲愴な二人の姿とは、どうしても結びつかない。
 あんな表情で立ち尽くすには、もっともっと、なにかすごいことがあったはずなのに。

 崖のシーンそのものは、映像として美しかったと思います。
 黎ちゃんに呼ばれて、振り向いた瞬間のじっくんの顔がよかった。巻いてたストールの、繊細な感じが印象的で。あれはじっくんの内面を表していたのでしょうか。演じていた斎藤工さんはモデル出身だそうですが、まさにモデル、という感じでした。その瞬間が、絵になっていた。

 このドラマ、最初に斎藤さんの演じるじっくんを見たときには、全くなんの魅力も感じなかったのですが、回を重ねるごとにどんどん魅力的な男性になっていきましたね。

>ぼくは、お父さんのいい息子でいられなかった

 このセリフは、ぐっときたなあ。
 仁志は本当に今までいい子で来たと思うので。一般的に父と息子の対立は、息子の成長過程に必要な通過儀礼のようなものとはいえ、いい子の仁志が父を傷付けるような行動に出たこと、そりゃあもう、本人の中ではものすごく葛藤があったんだと思います。

 黎さんのことも。公務員改革のことも。
 それこそ何百回も、心の中で自問自答していたと思うのです。本当にこれでいいのだろうか。自分は間違っていないだろうかと。父と対立して選んだ自分の道が、正しいのかどうか。そんなものに答えはないからこそ、悩むわけです。数字で結果が出る問題でもない。答えは自分の中にしかない。だからこそ、なかなかふっきれない。

 なにもかも失くした(実際には、要は仕事を辞めて恋愛もうまくいかなかった、ただそれだけなんですけどね)と思いこんで深く落ち込んだ仁志が、最後に辿りついたのが、飛行機事故のあの崖だったというところが、泣かせます。
 小さな頃にお母さんを亡くして。傷付いたのは黎ちゃんや、かずさんだけじゃない。仁志はお母さんに会いたかったんでしょう。

 私は以前の感想で、黎ちゃんとかずさんが惹かれあった理由のひとつに、同じ悲しみを共有できたから、みたいなことを書いたんですけど、それを言うなら仁志にもその資格はあるんだと、あらためて気付きました。

 黎ちゃんと生きていくことを決めた仁志。黎ちゃんと再会した(黎ちゃんが追いかけて来てくれた)からだけではなく、その再会の場所が、あの崖だったというところがポイントだったかも。まるで亡くなったお母さんが後押ししてくれたような、そんな気持ちになったから、黎ちゃんとの新生活を始める勇気がもてたのかな。

 私が仁志というキャラを好きになったのは、一貫した「静」の部分ですね。特に、黎ちゃんが仁志の部屋を訪ねてきたときのシーンに、彼の良さが表れていたように思います。
 激昂しなかったから。
 普通、もう少し荒れると思うんですよ。ああいう風に、いままでずっと拒絶されてきた黎ちゃんがいきなり、ぐいぐい迫って来て。180度態度が変わったら、もっと感情的になるんじゃないでしょうか。
 俺がこんな状態だから、同情してるのかよ?みたいな。

 そういう黎さんを素直に受け入れない、だけでなく。怒りの方向に、エネルギーが向いちゃいそうな気がするんです、普通は。自分への苛立ちも含め、黎さんに当たってしまってもおかしくない。でも仁志は静かだったなあと。

 そもそも、訪ねてきた黎さんを部屋に入れてあげるという、地味な優しさだとか。私が仁志だったら入れてないです。なにを今更?と思うし、会わせる顔なんてないし、会いたくない。堕ちた自分を、みせたくない。黎さんがいつまでもドアの外で粘ったら、私だったら怒っちゃうかもしれない。いい加減にしてくれ。もう帰ってくれと。

 部屋に入れてあげたのは、黎さんに対する優しさ以外のなにものでもないわけで。あのとき、仁志が黎さんに会いたかったとは思えないから。
 一方的なこと言われて、いろんなことまくしたてられて。きっと仁志には仁志の言いたいこともあっただろうけど、それ以上に彼はあのとき、一人になりたかったはず。

 

 では次に、かずさんについて語りましょう。最終回で際立った、かずさんの名セリフはこれ。

>君はなぜ仁志を好きになった?

 離婚届をもらいにきたという黎に、そう尋ねたかずさん。直球すぎて、その向こうにかずさんの悲しさが透けてみえました。

 うんうん、そうだよねー、気になるよねー。自分のなにが負けていたのだろうかって、聞きたくなるよね。答えは黎さんしか知らないんだから。でも黎さんにだって、本当のことはわからない。
 なんだかわからないけど好きになる、それが恋愛だもんなあ。

 私はこのセリフのときの、藤本隆宏さん演じる一成さんの声が好きです。やっぱりこの声も、静かなんです。いろんな思いをぐっと封じ込めた、とても静かな声。怒ったり、問い詰めたりはしていないのです。ただ、静かな問いかけ。

 このときのセリフと対照的なのが、以前、黎さんを追っかけてたときのじっくんの声だったりします。ドア越しの告白。ドア開けてさえもらえないのに。

>身勝手でもいい。それでも黎さんが好きだよ

 このセリフからあふれ出る仁志の若さと、かずさんの理性で感情を封じ込めた感じが、見事に対照的なんです。二人の個性の違い、年齢の違い、それが声に表れている。
 声って大事だな。声にはどうしようもなく、心が表れてしまう。

 このドラマは素敵なキャスト、たくさんの可能性を秘めた設定だったのに、最後は消化不良で終わってしまった感じがします。

 たとえば残念だったのは菊池桃子さん演じる尾中が、あまり活躍しなかったこと。もっといろいろ話の筋にからんでくるかと思いました。不思議なキャラで裏がありそうだったのになあ。

 それからかずさんも、もっと豹変するかと思いました。そのことでさらに家族がバラバラになり、黎さんや仁志が苦悩する展開かと思いきや、かずさんは意外に、最後までいい人…。
 仁志を海外に異動させるときも、異動先がイギリスだなんて、親の愛以外のなにものでもないかと。むしろ出世コースに思えました。

 あと、梅舟惟永さん演じる芥川賞作家の後藤に関しては、セリフにも行動にも全く共感できず、見ていて不快感だけが残りました。兄が無理だから弟にっていうのが、本当に理解できないです。受け入れる弟の気持ちもさっぱりわかりません。後藤とけんちゃんのコンビは、物語の中でむしろ、お話の興を削いでいたように思えました。
 後藤とけんちゃんの仲を認めないかずさんは、ものすごくまともな親ではないかと思います。

 結局もう少し、かずさんとじっくんの対決を違う方向から描いていたら、物語はもっと深くなっていたのではないかと、そんな気がするドラマでした。

ドラマ『ガラスの家』第5回 感想

 ドラマ『ガラスの家』第5回の感想を書きます。以下、ネタばれを含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 エンディングが凄かったです。

 パーティー会場から手に手をとって逃げ出した二人。思いは通じ合っちゃったし、もはや全然義理の親子ではなくなってしまった黎(井川遥)ちゃんと仁志(斉藤工)。

 私の中では、このドラマは最終回を迎えてしまいました。第5回ではなく、最終話です。あくまでも私の中では、ですが。

 だってこれ以上の盛り上がりはないな~と。
 気持ちが完全に通じ合っちゃって、逃げ出して。その先にこれ以上の盛り上がりなどあるはずもなく。

 決して批判しているわけではありません。今回もすごく面白かった。面白くて、そして最高に盛り上がって、終わってしまったような。
 二人の心の揺れが、独白が、せつなかったです。

 黎ちゃんがどんどん追いつめられていく感じも。それを冷静に、あくまで自分の気持ちを抑えつつじっと見守る仁志の忍耐も。うまく描かれていたなあと思います。

>黎さんは必ず来る

 そう確信する仁志の心の声。呼応したのは黎のこんな言葉。

>さようなら

 家を出ると決めた仁志に、一緒に行こうと言われても、きっぱり断った黎。そりゃそうですよ。そんなぐちゃぐちゃな展開。倫理的にも、良心に照らし合わせても、無理無理無理の100乗くらい。
 たとえどんなに一成(藤本隆宏さん)がひどい夫であったとしても、優しいその息子の言葉に甘えて、なんてことは許されるわけありません。

 ただ、仁志の一貫した静かな決意と自信には、見ている者の、心を打つものがあったなあと思います。暴言を吐き、強権で黎を縛ろうとする一成と対照的な、穏やかで温かい仁志の愛情。
 惹かれれば惹かれるほど、悲しくなりますよね。
 そりゃ、黎ちゃんもケーキやけ食いするよな、と思ってしまいました。

 あのシーン好きです。やるせなさが画面いっぱいにあふれていた。一生懸命やったのにね。一成とうまくやっていこうと思って、自分なりに努力したのに空まわり。たった一人で食べるホールケーキの味。
 想像すると胸がつまります。

 あれ食べたのも、黎の努力のひとつかなあ、なんて思いました。あれを、「なによ、かずさんのバカッ!」と悪態ついて、ためらいなくゴミ箱に捨てられる人だったら、もっと違う展開になっていただろうに。
 黎は黎なりに、努力し続けていたことが。その苦しさが伝わってきました。

 でもパートの話は、黎ももう少し考えればいいのになあと。一成と結婚した以上、妻としてパーティーの同席とかは当然、これからも頻繁にあるわけで。語学を磨くことも、妻としての愛情なんじゃないのかな、とか。
 それは、一成が結婚前に説明しておくべきこと、といえばそれはもう、その通りなんですが。

 一成の妻として、ああいう場で適切な振る舞いができるようになること、それは黎にとって、簡単なことではないと思います。時間もかかるし、パートなどしている時間はないんじゃないかと。
 なぜそれがわからない?という一成の気持ち、黎に伝わっていないのが悲しいですね。まずはパーティを経験すればいい。そうすれば、だんだん自分の立場がわかってくるだろう、一成はそう考えていたのかもしれませんが。

 ちょっと乱暴すぎましたね。理解するというより、委縮して悲しくなって、会場を抜け出してしまった黎。
 そこに、救いの王子様があらわれたら?

 そんな都合のいい偶然、あるわけないよ~、というつっこみを見事に裏切り、現れた仁志くん。見つめ合う二人。もう、超えるべきハードルなんてどこにもありません。ただ近付くだけ。ただ、手を繋ぎ合うだけ。目をみれば、すべてわかりあえる。言葉より雄弁に語るもの。

 もどかしく走り出した黎の足から、脱げてしまった金の靴。まるでシンデレラです。履きなれない靴を脱ぎ捨てて、本当に好きな人のところに走っていった。

 でもなあ。どうなんだろう。本当に好きというより、今の生活から逃げ出したくて、優しさに飢えていて。目の前に差し出された手をとってしまった、ようにも見えました。
 そりゃあ、あれだけ黎の心に寄り添ってくれる、理想的な王子様がいたら。たとえそれが恋愛ではなくても。頼ってしまうでしょう。

 最後、二人を乗せたエレベーターが、上がっていくのが意外でした。てっきり下がると思っていた。1階に下りて、タクシー呼んで、どこか遠くへいくのかなあ、なんて。とにかく、一成のいる場所から、少しでも遠く離れようとするんじゃないかと思ったんですが。
 同じ建物の中で、嫌じゃないのかな。
 上がった先にあるのは、仁志の泊まる部屋? 仁志くんは仕事の途中だったようだけど、あんな唐突にいなくなってしまって、大丈夫なんでしょうか。

 面白いドラマだと思いますが、内容はNHKじゃないと思いました。NHKが火曜夜10時にやってはいけないと思いますΣ(;・∀・)

ドラマ『ガラスの家』第4回までの感想

 ドラマ『ガラスの家』の第4回までの感想を書きます。以下、ネタばれを含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 なんとなく見ていたテレビで予告をやっていて、少しだけ興味をひかれたので第2回の放送から見始めました。第2回目から見るっていうだけでも、ある意味「どうでもいい」的な期待感だったわけですが、これが意外なヒットで。毎回かかさず見るようになりました。

 あらすじはといいますと、NHKらしからぬ、昼ドラのようです(^^;

 財務省主計局長の澁澤一成(しぶさわかずなり)というエリート官僚が、黎(れい)という美しい女性と再婚するのですが、一成には仁志(ひとし)と憲司(けんじ)という成人した二人の息子がいまして。

 仁志も黎さんを好きになっちゃうのです。
 義母なのに。でも年齢からいうと、一成より仁志のほうがお似合いというのも皮肉でして。

 そして仁志は父と同じ財務省勤務。父の政敵である若き政治家を慕い、仕事の面でも父と対立していきます。

 長男であり、父のレールに乗っかって生きてきたおぼっちゃま君の目覚め、ですな。
 俺の言う通りにしていれば間違いはない、という父親に、なんの疑問も持たなかった幼い日のぼっちゃんはどこにもいないのです。

 仕事の上でも、父親とは意見を違えるし。
 家に帰れば、黎さんのことを好きになっちゃうし。

 悩み多き青年です。でも、そうやって大人になっていくんでしょう。

 ともすれば泥沼で暗くなるドラマに、明るさを添えるのが次男の憲司君。明るさに救われます。まあ、明るくしてなきゃやってられないか。父親の再婚というだけでも大事件なのに、その相手を兄ちゃんが好きになっちゃうとか、どんなメロドラマだよっていう話で。

 ドラマといえば、一成と黎は、どちらもフランスでの飛行機事故で、身内を失くしているんですね。一成は妻を。黎は両親を。

 同じ痛みを共有した二人が惹かれあうのは、必然かもしれません。同じ経験をしたものだけがわかりあえる、なにかがあったのかもしれない。

  キャスティングがいいですよ。

 まず黎さんは井川遥さんが演じてます。なんか可愛い。美人だけど、思わず手を差し伸べてしまいたくなる弱さを持ってて、泣かれると反則だなと思います。 
 声出さずに、涙だけがぼろぼろ落ちるの。
 これ横で見たら、そりゃあ仁志が「俺が守る」みたいに奮起しちゃうの、無理ないと思う。
 おまけに一成は黎を見下した愛し方しかしないし。

 行くところがない相手に、出てけとか言ってる時点でひどすぎるもんね。
 働きたいっていう黎を、侮辱する言葉で委縮させてるし。
 言葉でがんじがらめに縛りつけて。都合のいい妻でいさせようとする身勝手な愛情。
 ペットじゃないのにね。

 一成を演じるのは藤本隆宏さん。この方もいい味出してます。
 一成はたしかにひどい夫なんですが、藤本さんが演じる一成はひどく不器用さを感じるんですよね。別に意地悪で黎を縛り付けてるわけじゃないっていう。

 信念があるんでしょう。仕事にも、家庭にも。それは当事者にしてみたらものすごく迷惑で非常識な信念ではありますが。一成の生真面目さ、不器用ゆえの悲哀を感じたりもするんです。
 もっと狡猾な人なら、素直に嫌いになれるんだけど、みたいな。

 まあ、他人だから言えるんですけどね。私が黎の立場なら、もう第2話で家を飛び出した時点で絶対戻ってない(^^; 無理無理。一緒に暮らせない。謝って帰った黎ちゃんを、偉いと思いました。あれはできないわ~。

 あと、仁志を演じる斉藤工(たくみ)さんも、役柄にぴったりです。繊細で、感情を抑えた演技がすごいなあと思います。

 好き好き光線を出しすぎないところが切なくて。
 まあそりゃそうだろうなあっていう。好きになっちゃいけない相手を、好きになっちゃうわけですから。
 ていうか、息子二人は成人してるんだから、父親が若い女性と再婚したら家を出るっていう選択肢はなかったのかな。新婚で、家の中でいちゃつかれたら嫌でしょうに。

 まあドラマだから。一緒に暮らす中でこそ生まれる葛藤を、描いているわけですな。離れて暮らして恋心が育たなかったら、ドラマにならない。

 このドラマ、エンディングの曲もいいのです。西野カナさんの『さよなら』という曲。歌詞はあまり好きじゃないのですが、言葉の意味をふっとばすような、圧倒的なパワー、切なさでせまるメロディ。

 音楽が伝えるものってすごいなあと思いました。歌声も甘く耳に心地よいです。誰かを好きになれば、同じだけ悲しくなるっていうことを、表現しているような音だと思いました。

 あとエンディングの花の毒々しさが。
 毒々しいなんて言ったら言い過ぎかもしれませんが、決して、ただ「綺麗」とか、「ポップな」花じゃないんですよね。毒がある、ように見えるのは気のせいでしょうか。
 同じ赤でも、鮮やかな赤だったり、柔らかな赤ではなく、毒の混ざった赤、みたいな。
 でも、だからこそ魅力的で。思わず近付きたくなる。辺りにはきっと、人を惑わせるような香りが漂っているんだろうなと、想像してしまいました。

 井川さん演じる黎ちゃんは素敵です。仁志がどんどん惹かれていく気持ちがわかります。 また来週も見たいと思いました。