映画『昼顔』 感想

映画『昼顔』を見ました。感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 

 

地上波初放送、ノーカット版ということで、興味深く見ました。ちなみにテレビドラマで放映されてたときも見てました。ドラマ版の感想としては、利佳子(吉瀬美智子さん)サイテー、加藤(北村一輝さん)勘違い俺様男、紗和(上戸彩さん)欲望むきだし過ぎ、北野(斎藤工さん)据え膳乗っかり、でした。

映画の感想を一言で言うなら、「乃里子(伊藤歩さん)が離婚に同意してたら一秒で終わった話」です(^^;

不倫は周りを傷つける、というのは本当にその通りなんですけど、不幸な結婚生活も、それと同じくらい罪深いものだと思います。すべての結婚が、うまくいくわけではなくて。互いに永遠を誓っても、その先の生活の中で、「こんなはずじゃなかった」というのが出てきてしまうのは仕方ないことで。

人間は理性があるから動物とは違う社会生活を営み、結婚という契約があるわけですが。本来動物でしたら、「好き」がそのまま繁殖行為につながり、情や制度でカップルを続けることはない。

動物と同じになれ、というわけではないですが、ある程度の相性、というものは、結婚生活に不可欠ではないかと思いました。

なんだか知らないけど好き、だとか。馬が合う。みたいなことです。努力ではなく、一緒にいるのが心地よい、安心する。そしてなにより、相手と一緒にいたい、と自然に思えること。

結婚し、一緒に生活をしてみて、どうしても相手と合わないとわかったら。あるいは、相手以上に好きな人がもしもできてしまったら。離婚もアリだと思うし、むしろその状況で不毛な同居生活を続ける方が、誰の得にもならない。夫や妻、どちらかが「絶対離婚しない」と言ったところで、相手の気持ちが離れてしまったら、意地を張る権利などないと思うのです。結婚は奴隷契約ではない。相手の気持ちを縛ることはできない。

ただし、子供がいる場合は別ですね。子供がいたら、安易に別れるべきではないと思う。離婚は親の都合であって、子供にとって自分の父親と母親が別れることほどつらいことはない。そして、離婚したからといって、親子の縁は切れないのです。夫婦の縁は切れても、親子の縁は切れない。

子供がいるなら、親の気持ちよりも子供を優先すべき、と思います。親にはそれだけの責任がある。だから、産む前に相手との生活をきちんと見極めないといけません。離婚するのなら、子供を授かる前に、です。ただ、あまりにも相性が悪すぎて大ゲンカが日常、というところまできたら、いくら子供がいても別れた方がいいのかもしれない。「子供のために離婚を我慢した」なんて、言われながら育つ子供は不幸すぎます。

要は、結婚は慎重に、出産はさらに慎重に、相手を見極めて、ということですよね。それでも失敗したら、それはもう、離婚するしかない。

ドラマを見ていたときには、紗和の北野先生への好き度合が、とても大きいなあと思っていました。本能で惹かれる感じです。

でもそれに対して、北野先生は同じだけ愛情を返してくれる、というよりも。紗和に流されて据え膳を…という感じに見えました。それは、ドラマで紗和の方から初めてキスしようとしたとき、思いっきり突き飛ばしていた態度で思いました。背徳感からそうした、というよりも、紗和をそこまで好きではなかった、という証拠のような気がして。

背徳感というなら、ふたりっきりで秘密のお出かけという時点でもう裏切ってますしね。その上で、本当に好きな相手といい雰囲気になって、キスされそうになったら、普通はそのまま流されてしまうのではないかなあ。

ドラマで紗和を突き飛ばした、あの瞬間。あれこそ本能のようなもので。迫ってくる相手に言いようのない嫌悪感を抱いた瞬間、にしか見えませんでした。

ただ、紗和の熱量がねえ。北野先生にしてみたら。突き飛ばして傷付けたのをすまなくも思っただろうし、それだけ愛されてるっていうことへの優越感もあっただろうし。最初は、ちょっといいかな、くらいで付き合い始めたものの、紗和の熱情に押されて押されて、不倫の高揚感もあって、妻との生活に感じていた違和感を背景に、どんどん紗和との逢引にのめりこんでいった、というように見えたのです。

ドラマでは、逃避行先の別荘で二人が引き離されるとき、子供みたいに泣きわめいていたのがとても印象的でした。もう結婚すればいいじゃん(^^;と思いましたよ。私が妻なら、そんな夫を見たらドン引きして自分から別れるなあ。そこまで好き合ってるなら、どうぞお好きに、という感じです。子供がいなければ、大人だけの話し合い。

私には、北野先生に執着し続ける乃里子が異常に見えました。あの人と結婚生活続けるのはちょっと厳しい。

ドラマで生木を引き裂くように別れさせられた二人。映画は、その三年後を描いています。三年後、偶然に再会した二人は、当然のようにまた、燃え上がります。そりゃそうだ、という感じで、乃里子に気の毒という感情が一切わかない展開です。

もう、ドラマの時に十分描いてましたからね。北野夫婦の破綻。紗和は離婚しましたが、そりゃそうだろうと思いました。あれだけの大騒ぎがあれば、離婚になるでしょう。その点、紗和の夫は紗和に対しての愛情もちゃんとあったし、常識もあった。壊れた関係を続ける不毛さを、ちゃんとわかっていたのですね。北野夫婦が別れなかったこと。乃里子が意地で、北野先生を奴隷のように自分の思い通りにさせたこと、そこが、悲劇の発端だったような気がします。

映画では、北野先生と紗和のいちゃつきっぷりがなんとも(^^) 北野先生からしたら、紗和は決して自分のプライドを脅かさない存在。その安心感。同じ業界にいるわけではないので、妻とライバル関係にはならないですしね。乃里子との生活に疲れた北野先生にとって、一途に自分を慕ってくれ、家事もばっちりな紗和の存在はどんどん大きくなったでしょう。

自転車二人乗りのときの、紗和の幸せそうな顔。高校生か!と。

その一方、相手の気持ちをつなぎとめるために、自殺未遂をやらかした乃里子。こういうのは最低です。なんなんだこの人。北野先生が送ってきた、目に見えないトゲだらけの夫婦生活、垣間見えました。この人はいつも、こうして夫を支配してきたのかな。おそらく、「あんたは一度私を裏切ったんだからね」という、一段上の態度、無言の圧力が常に存在する、冷え冷えとした夫婦生活だったことでしょう。

映画を見ているうちに、どんどん乃里子が嫌いになり、紗和と北野先生を応援し始める自分がいました。だからこそ、最後のあの事故で、怒りがピークに達しましたね。

もはや不倫じゃなくなってる。この状況で、北野先生との結婚を無理やり続けようとするのは、相手に対する暴力だ。殺してまで自分に従わせようとする傲慢さ。最後、問い詰められて車中で死んだ目をする北野先生が印象的でした。諦めたんですね、すべてを。乃里子は狂ってた。

映画の中で、紗和と北野先生がお互いに疑心暗鬼になるシーンは、よかったです。あれが現実だなと思うから。

紗和の、自分が裏切ったことがあるから相手を信じられない、みたいなセリフがずしりときました。

なにも乃里子がヒステリーをおこすまでもなく。不倫の末に一緒になったカップルは、最初から重荷を負うのです。お互いに、「また不倫をするのでは?」という、答えのでない永遠の枷を。不倫に罰を、というのなら、それが一番の罰なのではないですかね? 解きようのない重い鎖です。一生涯つきまとう不信だから。同じことを、また繰り返すかもしれないという疑惑。

それを乗り越えて結婚生活を送れたなら、二人は本物なんでしょう。

最後の最後で、紗和の妊娠、にはびっくりしました。これは北野先生と紗和、ダメすぎるな~。離婚も成立しないうちに妊娠とか、無責任すぎる。いい大人がなにやってるんだか。

北野先生が乃里子との生活、もうこれ以上我慢できなくなってしまった経緯は理解しますし、同情もするけれど。だからといって紗和と、子供ができるようなことするなよ~と思いました。そこは我慢してほしい。いずれ一緒になる、ちゃんとする、と決意したなら。どうして待てないのか。せめて、それこそが乃里子への誠意であり、紗和への優しさじゃないのかと。いくら紗和が能天気に誘ったとしてもね。

乃里子があまりにもアレなので(^^; 紗和と北野先生を温かい目で見てしまうのですが、結局のところどっちもどっちなのかもしれません。そんな映画でした。

映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』 感想

 映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 この作品は、原題が Seeking a Friend for the End of the World なんですけども、日本語のタイトル『エンド・オブ・ザ・ワールド』の方が、原題よりも合っているなあと思いました。だって、主人公は友達を探していたわけじゃないから。彼が探したのは、地球最後の日にふさわしい、心から愛する人とのロマンチックな日々。

 結果は、ほろ苦く、でも温かかった。

 アメリカ映画なのだから、最後は絶対大団円。もしかして、奇跡が起こって、地球に衝突するはずの小惑星が直前で軌道を変えたとか、そういう大どんでん返しがあるんじゃないかな、なんて私の期待は、あっさり裏切られたわけですが。

 うん。なんだろう、この観終えた後の、胸に残るほんのりとした温かさは。二人とも、そこから先を生きられなかったことはわかるのに。それでも、二人はとても幸せな気持ちで、旅立ったような気がして。

 『エターナル・サンシャイン』の製作に携わったのと同じ人が、『エンド・オブ・ザ・ワールド』の製作にも名を連ねていました。わかる~(*^-^) この温かさは、同じものだ。同じテイスト。

 エターナル・・の方は、異性の愛。そしてこの、エンド・・の方は、友情かな、と、私は思いました。ちょっとだけ表現は違うけど、でもその根底には、深い愛があるのです。だから私もその愛に触れて、ほっとしたし、癒された。

 そうか、そう考えてみると、原題の Seeking a Friend の言葉に託された製作者の思いも、わからなくはない。

 恋人を求めたけど、それは違うと気付いて、だけれどもかけがえのない、人生最後の日にそっと寄り添ってくれる、大切な友人をみつけました、という話なのかなあと。

 私は主人公のドッジとペニーの間に、いわゆる、恋を見出すことはできませんでした。ドッジは、ペニーのことを女性として好きなのではないと思う。ただドッジは、友人としてペニーの幸せのために手を差し伸べたのだと思います。そばにいて、添い寝して「大丈夫だよ」って言ってあげることが、ペニーにとって一番の慰めになると知っていたから。

 そしてペニーも。地球最後の日を前に怯えて、緊張して、非日常の中で気持ちが昂って、それを恋だと思ってるけど、冷静になってみたら絶対、ドッジはタイプではないと思う(^^;

 二人は元の性格が違いすぎるからね。

 ペニーは子供っぽいところがあって、あと数日で命が終わるという極限状態を独りで耐えることはできなくて、誰かを求めた。ドッジはその手をとった。たとえ地球最後の日であっても、彼は泣いている小さな女の子をほっておけない人だったから。そういうことなんだと思いました。

 この映画の終わり方が好きです。静かで、穏やかで、優しい空気が流れて。ふっと意識がとぎれる。そんな終わり方。後味がいい。ペニーがどんな気持ちで最後を迎えたのか、よくわかる。

 ドッジはたぶん、高校時代の恋人オリヴィアに今手が届く、となったときに気付いてしまったんだろう。ああ、なにもかも幻だったって。思い出のままならずっと、美しい。好きだった気持ちも、好かれていたことも、当時は本当のことだったろうけど、もうあの日の二人はいない。
 昔のオリヴィアなら、手紙を寄こさなかった。言外に助けてのメッセージをこめて、離婚を知らせることは決してなかっただろうから。

 ペニーが眠っている間に、お姫様だっこして彼女を小型飛行機に乗せる姿がかっこよかったです。
 ドッジは嘘をつかなかった。飛行機の約束、ちゃんと守ってあげた。きっと起きてたらペニーはあれこれ言い訳して、ぐずぐずと飛行機に乗らなくて、そしたら時間がもったいないから。黙って飛行機に乗せてあげたドッジの優しさ。そして、限られた時間を、快く息子のために使う父の優しさ。

 映画の中には、人生最後の日々を、思い思いに過ごす人々の姿が描かれます。暴動や、略奪もあり。

 でも虚しいよね。最後に人を傷つけて、楽しいだろうか。たとえ裁かれないとしても。投石し、火を放ち、雄叫びをあげて。うーん、これはわからない感覚だ。もはやお金目当てではないし、純粋に暴動を愛する、そういう人たちもいるということか。

 パーティーで、乱痴気騒ぎ、というのはわからなくもないですが。でもこれも、本当に性格によるでしょうね。ドッジにとっては、むしろこうした大騒ぎは苦痛でしたね。

 見終って、私もしみじみと考えてしまいました。残された時間が3週間なら、私はなにをするだろうかと。

 旅行で行ってみたい場所はあるのですが、きっと交通機関はマヒしているだろうからそれは無理だろうし、世界が混乱する中で遠出するのは少し怖い。

 一番に思いついたのは、庭か、もしくは近所にある、うちの畑で。青い空でも眺めながら、きっと一日中、のんびりゴロゴロするだろうなあと。ピクニックじゃないけど、水筒と、それからサンドイッチなんか持って行って。
 そして、夕日の美しさを堪能するのだ。茜色に染まる雲、光と影のバランス。やがて暗くなったら、西の空に金星が輝くのを見る。レジャーシートに寝っ転がって、星座をみつける。この季節は蚊も多いだろうから、蚊取り線香もっていかなくては。

 私、たぶん、それを最後の日までずっと続けるね。ときどきは、自転車にも乗るかもしれない。風をきる感覚が気持ちいいから。それでまた庭や畑に戻って。大きく深呼吸したり、咲いてる花を愛でたり。空気に混じるハマユウの香りをかぎ分けたり。

 そうか、私の究極のゴールって、そこだったのかと。自分でも少し、驚きました。最後の日にやりたいことって、あんまり大したことじゃなかった。ていうか、今でも休日にはやっているようなことだった(;;;´Д`)ゝ

 じゃああれだな、私ってものすごく幸福な日々を送っているんだな、日常で。

 そんなことを、気付かせてくれた映画です。

映画『イントゥ ザ ウッズ』感想

 映画『イントゥ ザ ウッズ』を見ました。以下、感想を書いていますがネタバレ含んでいますので、未見の方はご注意ください。

 おとぎ話が嫌いな女性はいない・・と思います。私もその一人です(゚ー゚) ということで、おとぎ話の有名キャラが多数出演、しかもディズニー、きっと絵本の世界が現代技術で美しく立体的に再現され、かつハッピーエンドなんだろうなあという期待の元、行ってまいりました。

 結果、私の予想していたストーリーとは、全然違っていました(^^; 

 いえ、嫌いじゃないんですけど。
 映像は確かに美しかったですし。
 でも、予告のCMだと、子供が喜びそうな感じに作られてましたが、これ完全に大人向けです。子供が見たら、ぽか~んで、訳がわからずつまらないだろうなあと思いました。

 大人の目からみた童話、お話の中に隠された数々の暗喩を感じ取る、という映画ですね、これは。

 始まりはいきなりのミュージカル風です。歌が始まってワクワクしましたし、前半は進行もスピード感ありましたが、後半は長すぎ。そして後味も悪いです。

 物語の主人公がみんな、善人ではないところがシュールでした。

 おとぎ話の、めでたしめでたしのその後、ですね。
 後半のメインは、『ジャックと豆の木』に出てきた巨人夫婦VSおとぎ話の主人公達、なんですけども。これが、悪役であるはずの巨人夫婦が気の毒で・・最後巨人の妻が死ぬシーンは、何とも言えない後味の悪さが。

 巨人の妻にしてみれば、踏んだり蹴ったりなんですから。
 地上から小さな男の子がやってきて。可愛がってあげてたのに竪琴や金の卵を盗まれ。あげくに夫がその子に殺された。そりゃあ、復讐にやってくるのも無理ないというか。

 それなのに、総攻撃受けちゃいますからね。死ぬほどの罪を、彼女は犯したのだろうか、という。

 登場人物達はみんな、それぞれ一癖ある童話の主人公。

 特に目を惹いたのは赤ずきんちゃんを演じたリラ・クロフォード。純真無垢な赤ずきんちゃん、という一般的なイメージとは全く違う、オリジナルな赤ずきんちゃんを見事に演じていました。歌がうまく、大人びた物言いや堂々たる振る舞いは、可愛いというよりも、どちらかといえばその逆方向の印象をもたらしていたような。

 ジョニー・デップ演じる狼は、思っていたほど重要な役ではありませんでした。ジョニー・デップである必要があったのかどうか。疑問です。

 そして、私は彼女の演じる赤ずきんちゃんが、映画『エスター』の女の子に見えて仕方なかったです。年齢的に、女優さんが同一人物のはずはないのですが。

 というか、パン屋さんで無銭飲食の赤ずきんちゃんて、どうなんだろう(゚ー゚;
 映画が始まってそうそう、驚かされました。これからどうなってしまうんだろうかと。しかも、おばあちゃんのためだからいいじゃん、という言い訳のあげくに、パン屋の奥さんの好意に乗っかり、さらに多くのパン、そしてそれを運ぶバスケットまで要求って、どれだけ厚かましいんだかわかりません。

 それを許すパン屋の奥さんは、人がいいのを通り越して、詐欺師に騙される典型的な人に思えました。とめる旦那さんの方がまともだと思いますが、奥さんに強く言えないところが優しくて、いまどきの夫ぽいです。

 パン屋さんのお隣には、悪い魔法使いのおばあさんが住んでいます。でも、一応物語上は、悪い魔女になってるんですが、悪いというよりも、気の毒な人で。

 この魔女のメタファーは、いわゆる「毒母」でしょう。親としての権限で、娘の一生を縛り付けようとする、一見、よき母。

 隣人に豆を盗まれたのは、魔女のせいじゃないのに。母親の言葉は魔女を永遠に縛り付ける。縛り付けすぎて、肉体にも変化が起きてしまうほどに。たぶんあれは呪いじゃない。魔女の自責の念が、顔も体も、変えてしまったような気がしました。
 本当は、呪いなんてなかったのかもしれません。母親の言いつけを守れなかった魔女自身の、自傷行為のようなものだったりして。意識的ではなくとも。

 そしてそんな毒母に育てられた魔女自身も、自覚なきまま、立派な毒母に成長します。可愛がって可愛がってラプンツェルを育て、小さなときから教えこみます。私の言葉だけが真実。外には危険がいっぱい。私の言うことさえ聞いていれば、守ってあげる。お前はいつまでも私のそばにいるのだよ、と。

 しかしラプンツェルはあっさり王子様と駆け落ち。魔女はひとりぼっちになり。あげく、王国崩壊の危機に、自分なりの解決策を見出すものの、周囲にそれを全否定され、やけになったあげく自死のような最後。

 あれ、アメリカ映画って最後は必ずハッピーエンドじゃなかったっけ? 魔女が孤独と怨嗟の中で救いもなく消えていくのを、私は気の毒な思いで見ていました。

 うーん、一般的なアメリカ映画だと、ここで救いの手が差し伸べられるか、もしくは生き返るんだけど。結局そのまま・・・。

 王子様二人が、自分の恋こそ悲恋だと、どちらが悲劇のヒーローかを、競うようにして歌うシーンは笑ってしまいました。王子様、かっこいいというより、ちょっとお間抜けな感じです(^-^; そしてシンデレラの王子様は、日本人が思う王子様よりもワイルド系? 西洋だと、無精ひげの王子様がセクシーなのかしら?と。日米の違いを感じました。
 たぶん日本だと、もっとこう、男っぽくないイメージが、王子様にはあると思います。髭はないなあ。

 そして、ねばねばピッチで、シンデレラを捕まえようとする姑息さが、どうにも王子様ぽくない。それに、シンデレラをみつける方法が、靴のみって、ほんと、よく考えてみると激しく変です。顔は?声は?スタイルは? 三日間も踊った相手の判別法が、靴? 靴のサイズさえ合えば、誰でもいいのかと。

 あげく、いきなり不倫シーンが始まってしまうのには驚きました。まさに大人の映画です。ディズニー映画ということで、子供も見るのにいいのか? これはあらかじめ、大きく宣伝しておくべきだと思いました。あくまでも、大人向けの童話ですよ、と。

 そして不倫の代償は。
 王子のあっさり心変わりの描写は、不倫の儚さを見事に描いてますね。あげくの、信賞必罰。罰というのには、あまりにも重いのかもしれませんが。
 こうなって初めてあの人のすばらしさに気付いたの、と、女性がまるで何事もなかったかのように、日常に戻ろうとした矢先、あっさり・・・でした。
 私はここでもやはり、どこかに救いがあるんだろうと思っていて。実は大丈夫でした、とか、魔女の魔法で、とか逆転があるのかと思っていたのですが、本当にそのまま・・だったので、少し驚きました。救いがなくて。

 パン屋の夫婦は、あれだけ子供に固執していたのに。夫婦ともに、いざ子供が生まれたら、あっさりと、子供を裏切るようなことをしていましたね。妻は王子様と。夫は赤ん坊をシンデレラに押し付けて。

 大人のような知恵を持たないジャックを騙し、赤ずきんちゃんやシンデレラ、ラプンツェルから持ち物を強奪した、でも許されると思っていた。なぜなら「子供がほしい」から。そのためなら、許されると本気で信じていた、妻の姿が強烈でした。
 そのために他人を傷つけてもいいと考える時点で、間違っているのになあ。

 ラストは、なんともいえないものでした。
 ハッピーエンド・・・なのか、一応・・・いや、なんか違う、気が(^^;

 後半部分は、要らなかったような気がします。前半のスピード感がよかったです。歌も素晴らしい。

 into the woods, into the woods と何度も繰り返されるフレーズに、期待感が膨らみました。思わず駆け出したくなるような、軽快なメロディ。これからどんな物語が始まるんだろうと、わくわくするような曲でした。

映画『美女と野獣』 感想

  映画『美女と野獣』を見ました。以下、感想を書いていますがネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 童話の世界が、現代の映像技術でどう表現されるのか、わくわくしながら見に行ってきました。
 結果。圧巻です~~。おとぎ話の世界がリアルに、目の前に広がっていました。野獣の心を象徴するような、荒れ果てた寂しいお城。植物に覆いつくされ、飲み込まれていくような石壁。領土を取り囲む、意志を持った魔法の森。こういうファンタジーや幻想的な色づかい、大好きです。

 この映画を見終って、感想を一言述べるとするならば、これに尽きます。

 古今東西、美しい少女はその美しさゆえに、残酷(^^;

 映画の中のセリフ、すべて完璧に覚えているわけでないので、細かい部分は間違っているかもしれませんが。たとえばこんなシーンがあったんですよ。
 恐ろしい容貌の野獣と、ダンスをする代わりに、家族との面会を要求するベル。たしか、昔読んだ童話では、心優しい少女として描かれていましたが、映画のベルはずいぶん強く、勝気な面を持っています。

 二人きりの舞踏会。私がリードするからと、ベルは最初から自信満々です。その上から目線はどこから来るんだ、と突っ込みたくなるくらいです。どちらかといえば、消極的な野獣と。勝ちを見据えたかのような、余裕のベル。二人きりの舞踏会。

 踊るうちに、あれ、なんだかいい雰囲気です。ベルは、取引とは思えないほどリラックスした表情で。野獣に対しまるで好意を持っているかのように、安心して身を任せ、踊り続けます。まあ、ああいうダンスはそういうものだと言われればそれまでですが、二人の距離はみるみる縮まって、まるで本当の恋人同士みたい。

 当然、野獣は勘違いします。うん。あれは私が野獣でも、勘違いしてます。たとえ始まりがあんなであっても、踊り続けるベルの表情には、親しみと好意があふれていたから。

 野獣の口から、自然に言葉がこぼれるのです。

>愛してくれるか?

 その瞬間、ベルは表情を一変させ、あらん限りの力で野獣を思いっきり突き飛ばします。親の仇に初めてあったかのような、ものすごい勢いで。

 私は見ていて、野獣が気の毒になってしまいました。ないわ~。いくらなんでもあれはないわ~。ひどすぎる。
 野獣が自分を好きなことを知っていて、ダンスを取引の材料にしたあげく。嬉しそうに幸せそうに笑ってみせて。安心しきった表情で、体を預けるようにして踊ってみせたのに。

 野獣は聞いただけです。なにも無体なことをしようとしたわけではありません。ただ、嬉しくなって、期待してしまっただけではありませんか。たとえベルが実際野獣を嫌いだったとしても、あの豹変ぷりは鬼畜です。

 全身全霊で野獣を突き飛ばし、憎悪に燃えた目で見据えたあげく、いくつものひどい言葉で罵ります。

 王子の格好なんてして! だとか。別にいいじゃありませんか(^^; まあ実際王子なのですし。体は呪いで野獣かもしれませんが。そこでさらっとそういう言葉が出てくるベルの方が怖いです。

>残酷で孤独な野獣のくせに!!

 言いますかねえ、そんなこと。つまり、「あんたみたいな野獣が、人間の私に愛されることを願うなんて、身の程知らずも甚だしい!」ってことですよね。なんという特権意識。
 野獣は自分が野獣であることを恥じています。その姿の醜さも、わかりすぎるほどわかっています。その人にこんなこと、言うのか。そりゃひどいわ。心に野獣を持つのは、むしろベルの方です。

 勘違いさせるようなことするなよ~、と思ってしまいました。
 野獣を誘惑して、それに乗ってきたらとたんに手のひら返し、あんまりではないですか。

 この、ベルの残酷っぷりが、物語の前半で存分に表現された上での、ラストシーン。

 死の淵にある野獣の、弱々しい問いかけ。

>いつの日にか、俺を愛してくれるか? 

 私は胸を衝かれました。そうだよね・・・前回思いっきり失敗してるからね。彼女の笑顔に惑わされ、もしかしたらこんな自分でも愛されるんじゃないかと夢をみて、次の瞬間、すべての期待を粉々に打ち砕かれた絶望。

 「いつの日にか」という言葉にこめられた野獣の弱さを、私は思いました。
 愛されていないことはわかってる。でもいつの日にか。遠い未来でもいい。少しでもその、可能性があるなら。約束じゃなくていいから、ほんの少しの希望があるなら、それでいいから。

 そのとき、ベルは前回とは違いました。間髪入れずにこう答えます。

>もう愛してる

 よかったね~よかったね~野獣さん。と、私は思わず野獣に祝福のコメントを、心の中で呟いてしまったのでした。前のがあんまりひどすぎたからね(^^; もう同情するしかなかったですもん。

 野獣役のヴァンセン・カッセルは、王子というにはちと年上? そして王子というには少しワイルドすぎるような気もしました。王子というより、王子のお父さん、王様のほうが似合うかなあ。

 こういうのは、フランス人と日本人の感覚の違いなのかもしれない、と思いました。フランスだとたぶん、華奢で若い役者さんは、浅い印象であまり人気がないのかな。フランス人が魅了を感じるのは、これくらい渋い、大人な俳優さんなのかなあと。

 ベル役のレア・セドゥさんは実年齢よりもずいぶん若く、少女そのものに見えました。あどけなく無垢で、その反面、強か、残酷。
 野獣が用意した心づくしのドレスが、どれもよく似合っていました。私が一番好きなのは、一番最初に用意された白のドレス。清楚で可愛かったなあ。純粋さを象徴するような乙女ドレスでした。野獣はどんな気持ちであのドレスを用意したんだろう、と。

 物語の中で解き明かされた、野獣の秘密は、???とすっきりしないものでした。

 愛した女性が森の精であることに気付かず、自らの手で殺してしまった取り返しのつかない罪。永遠の後悔。

 私は思いました。その森の精(プリンセス)の立場が、ベルの出現によって、おかしなことになってしまってるなあと。あんなにプリンセスを愛していたはずの野獣が、あっさりベルに心奪われ、最後はベルの愛を手に入れてめでたしめでたしって、なんか変じゃないか?
 あなたが本当に愛していたのは、プリンセスではなかったの?
 その人を失ったから、あなたは野獣になったようなものなのに。そして、深い悲しみの中で、閉ざされ荒れ果てたお城の中で、忌み嫌われる姿に変わり果てた姿を呪いながら、荒んだ時間を過ごしていたはずなのに。

 プリンセスにしてみたら、「幸せになってね」ということなのでしょうか。ベルに、野獣(王子様)の幸せを託したということなのでしょうか。私はもうあなたとは生きられないけれど、私のことなど早く忘れて、別の女性と幸せで人間らしい人生を生きてほしいと、そういうことなのでしょうか?

 その辺が謎でした。

 フランス映画なので、全部フランス語で語られる物語なのですけれども。ぼそぼそっと囁くような響きが、物語によく合っていたと思います。

 個人的には、ベルの一番下のお兄さんが、野獣の役でもよかったような気がします。そして野獣は。

 ベルにあそこまで忌み嫌われるほど、醜くも恐ろしくもありませんでした。鼻のあたりは猫科。ライオンぽいです。毛並みがよく整っていて、思わず触りたくなってしまいました。すごく毛並みがいいのです。触れたらきっと、すべすべしていると思います。

 もし私がこの映画を作ったとしたら。野獣の外見をもっと恐ろしく、嫌なものにしたでしょう。そして、ベルをもっと、優しく描いたと思います。到底受け入れられない外観の野獣に、最初は同情から、そして深く静かに惹かれていくさまを、ゆっくり描写したと思います。野獣の秘密は・・・今回とはまた、別の物にして。

 『美女と野獣』は、まるで夢の中でみるような、幻想的な物語、映画でした。

映画『永遠のゼロ』 感想

 映画『永遠のゼロ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 この映画も泣きました。
 原作の小説を読んだ時にも泣きましたが、映画も握りしめてたハンカチが重たくなるほどに泣きました。

 戦闘シーンや零戦の映像はさすが、映画ならではの迫力で、小説では想像できない部分も見事に描かれていました。

 ただ、全体的な感想としては、やはり小説には敵わない、と思います。無理ないことではありますが、小説のエピソードをたくさん削ってしまっているんですよね。すべてを描けば長時間になりすぎてしまうので、仕方ないことだとはわかっていますが。

 それと、この映画はエンドロールが流れ始めても、誰も席を立ちませんでした。私が今まで映画を見た中でも、こんなことは初めてで、驚きました。同時に少し、嬉しかったです。みんなが同じ思いを共有していたのだと思って。

 よかったのは、なにより宮部久蔵を演じた岡田准一さん。まさに宮部のイメージでした。優しくて丁寧な言葉遣いがよく似合う。キャスティングした人はいい仕事したな~と思います。なにより、宮部が小説のイメージ通りの人でなかったら、他がどんなに完璧でも、この映画は失敗していたと思います。
 岡田さんは宮部久蔵、そのものでした。

 そして景浦役の田中泯さん。あまりにもハマりすぎていて、もしかして本当にそういう経歴のある人なのか?と思ってしまうくらいでした。
 死線をくぐり抜けてきた凄みと影を感じます。

 ただ、小説と違うのは、健太郎は景浦邸を二度訪ねているんですね。私は小説の描き方の方が好きです。映画と違って、小説では

>俺は奴を憎んでいた

 と、宮部に対する反感や憎悪をはっきりと口にする景浦ですが、景浦がそういう男だからこそ、その過去の行為がまた際立つと思うので。
 映画だと、最初から宮部に対する好意が浮かび出て、それがちょっとどうかなと思いました。
 あと、小説にあった、景浦の用心棒の青年が、「いい話を聞かせていただきました」と深々と頭を下げるシーン、これも大切な情景だと思うのですが、映画だと省かれていたのが寂しかった。
 とどめに、映画では、健太郎が借りた名簿を雨に濡らすのが、ありえない~と思いました。景浦が何十年も大切に保存してきた名簿を借りておいて、あの扱いは失礼すぎます。いくら驚いたとしても。自分が雨に濡れたとしても、あの名簿を雨に濡らしてはいけない。
 健太郎は若いですが、それくらいの礼儀はわきまえた青年だと思います。あの演出はどうかと思いました。

 若い頃の景浦を演じているのは新井浩文さん。景浦の荒れた心をうまく表現していたとは思うのですが、惜しいのは、宮部に対する敬服や懺悔、言葉にならない激しい感情が、少し弱かったような。
 荒ぶる心は見えたけれど。そこから変化していく宮部に対する気持ち、というのが見えづらかったです。
 私が思っていた景浦の表情とは、少し違ったかなあと。

 松乃役の井上真央さんは、ミスキャストだと思いました。美しさは松乃にぴったりなんですが、なにより汚れていなさすぎます。髪も肌も、貧しい暮らしには似つかない輝きで、違和感がありすぎです。
 女優さんなので、あまり汚い荒んだ姿をさらすのは、事務所的にNGだったのかなあと想像しますが、だったら松乃役はやれないです。
 あのように、ちっとも生活に疲れていない姿で松乃を演じたのは、気の毒にも思いました。作品から浮いてしまっているようで。本当はご本人も、もっと髪を乱してでも、ちゃんとした松乃をやりたかったのではないかな。

 松乃が生活に疲れ果てていない、という点で。大石が訪ねてくる場面の感動が、半減してしまっていました。
 艶やかな肌、ふっくらした頬、きらきら輝く瞳。それで松乃の追いつめられた暮らしぶりを描こうとしても、無理があります…。
 どん底の中で、もし宮部の外套を着て現れた大石を見たら、彼を宮部と見間違うシーンはもっと、激しいものになったのではないかと、そう思います。暗く沈んだ瞳が、激しい歓喜で見開かれる瞬間。松乃の爆発的な喜びは、一層、観客の胸を打つものになったのではないかと思うのですが。

 あと、この映画の中で一番「これはない」と思ったのは、「許して下さい」と頭を下げる大石に対して、松乃が「帰って下さい」というシーンです。

 

 これは本当に、あり得ないと思いました。
 宮部が心から愛した松乃です。その松乃が、夫が命を託した青年から夫の最後を聞いて、いくら動揺したからといって、このような冷たい言葉を吐けるでしょうか。
 大声で泣いてしまうかもしれない。取り乱して、みっともない姿をみせるかもしれない。それはわかります。けれど、自分を責める青年に対し、「帰ってくれ」などという言葉は、決して投げつけない女性だと思います。

 あれでは大石が気の毒すぎです。

 慶子と、新聞社に勤める高山のエピソードは、映画ではごっそり削られていて残念でした。その代わりに、三浦春馬さん演じる健太郎と、仲間たちの合コンシーンが撮られていました。
 三浦春馬さんには岡田准一さんの面影があって、健太郎の感じた憤りが、画面からストレートに伝わってきました。
 祖父を、そしてあのとき命を落とした日本人を、侮辱する発言。席を立って当然です。私が健太郎でも、席を立っていたと思います。

 エンドロールの背景には、美しい雲の映像。宮部が飛んだ空を、観客も疑似体験する演出なのでしょうか。飛行機から撮ったと思われる雲の姿は、まるで夢のような美しさでした。この雲を抜けて、空を自由自在に駆けた宮部の生涯。彼は最後の出撃のときも、この雲を見たのだろうかと、そんなことを思いました。

 そして流れるのはサザンオールスターズの『蛍』という曲。

 サザンは好きですが、この曲は映画には合っていないかなと思いました。曲はいいのですが、この映画と合っているかと聞かれたら、それは違うかなと。

 零戦は蛍ではないし。宮部も蛍ではないと思うからです。
 じゃあどんな曲がよかったかと言われると、難しいのですが…。
 空をイメージした曲がよかったかなあと思ったりします。せっかくあれだけ美しい雲の映像があるのだから、それに似合う、空の曲がいいなあ。穏やかで、温かくて、壮大な曲。
 空の曲だったらよかったのにと思います。

 映画は素晴らしかった。そして、原作の小説は映画よりさらに、素晴らしかったです。
 日本人であることを誇りに思います。

映画『容疑者Xの献身』 感想

 映画『容疑者Xの献身』のテレビ放送がありました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

 東野圭吾さんの原作も読んだことありますが、映画も素敵だなあと思いました。福山雅治さん演じる湯川先生が、いかにも理系の変人(褒めてます)(^^)という感じで、湯川先生がみつめるからこそ、堤真一さん演じる石神の悲しみが、より一層胸に迫ります。

 湯川先生の目線が、いいんです。
 同情に似た、でも同情とは違う、悲しみに似た、でもそれとも違う、なんだかわけのわからない、でも、温かいもの。

 石神は、自分を救ってくれたと感じた花岡靖子(松雪泰子さん)に、恋していたんですね。一方的で、どうしようもない、終わりの見えてる思い。

 靖子の知らないところでもう一つの殺人を犯し、同じ立場、殺人者となることでひそかな陶酔にひたっていたのだろうか、と思いました。あの殺人は、必要のないものだったような気がします。
 完全犯罪を目論むなら、もっといい方法があったはずなのに。なぜ彼は、ひそかに殺人者になったのだろうと。

 春琴抄の佐助のことを、思い出しました。そうすることでしか、同じ舞台に上がれなかったのかな、と。

 靖子は、石神に犯行を隠蔽してもらったことで、彼に負い目を感じることになります。その負い目がある限り、石神が夢見たであろう、対等な関係の二人にはなれない。

 キャスティングに関しては、松雪泰子さんはあまりに明るくて、翳がないように思えました。暴君の元夫から逃げ出した悲壮感がないというか。元ホステスにも見えなかったな…。
 やさぐれ感がもう少しあると、石神との関係ももっと、複雑になったのかもしれないです。

 石神が靖子を見初めたのには、彼女の持つ暗さも、一因ではないかと思うので。これはもう完全に、私見ですけど。
 もちろん、親子のにぎやかな明るさに惹かれつつも、その一方で、靖子の苦労の過去や、苦い後悔を、どこかで嗅ぎつけたからこその恋、だったのではあるまいかと。

 ただ明るくて楽しいだけの人だったら、石神はあそこまで、親子に執着したのかどうか、疑問です。

 そしてもう一人。キャスティングが合わないかもと思ったのが、工藤邦明役のダンカンさん。

 すみません、私の目には怪しい人にしかみえない~(^^; 画面の中にいるダンカンさんの雰囲気は、誠実というよりも得体のしれない不安をかきたてるもので、その人に靖子を託そうとする石神の天才性には大いなる疑問がわいてしまうわけです。
 いいの? あの工藤さんを見て、本当に大丈夫って思ったの?と。聞きたくなってしまいました。
 目が笑ってない怖さがあるというか。役作りだったのかな? でも工藤は、石神が認める「花岡親子を幸せにできる器のでかい男」であるわけで、そうするとちょっと、雰囲気違うかなと思いました。

 この映画、以前にもテレビ放送されていて、私はこれ見るの2度目だったんですが。最初に見たときは、結末を見たときに、号泣する石神の心にはほんの少しの、嬉しさみたいのもあったんじゃないかな、と思ったんですね。
 いや勿論、すべてを墓場までもっていくつもりで組み立てた、完璧理論ではあったんだけれども。湯川のおせっかいで靖子が自分の真心を知ってくれた、そのことに対する嬉しさも、ほんの一かけらだけ、存在していたんじゃないかと。

 でも2度目に見た今回。違った感想を持ちました。石神は、あのような謎解きを、全く望んでいなかったんではないかと。
 それは、すべてに完璧を求める人だったから。自ら組み立てた理論の、ほんの小さな綻びも見逃すことはできない、完全なる美を求める性格の人だったから。
 心から愛する人のために、人生をかけて作りあげた壮大な脚本。それを完璧に演じることで、ある意味、石神の恋は成就していたんだろうなあと思いました。一生、本当のことが靖子にわからなくても、それでよかったんだと思います。真相を知っているのが自分だけでも、そのことを思うだけで、長い刑務所での生活を幸福に送ることのできる、自信があったのではないでしょうか。

 私も罪を償いますからと靖子に泣かれたとき、計画が崩れたショックと、とうとう彼女を守れなかったという絶望で、石神の精神は限界を迎えてしまったのでしょう。

 だって、石神が求めていたのは単純に、靖子の愛だと思うんですよ。でもそれが無理だとわかったとき、彼が次に目指したのは、靖子を守る騎士の役だった。決して知られることのない思いで構わない、それが石神の美意識だったわけで。

 助けてくださってありがとう。私たち親子のためにそこまでしてくださってありがとう、と二人に感謝されること。そして、申し訳ない、石神さんにそこまでさせてしまった、と親子の心に一生消えない影が生まれること。それは最も、石神が望まない結末だったのではないかなあ。

 石神は、感謝なんて要らなかっただろうし。(愛なら欲しいけど)(^^;
 靖子の心に負担をかけるようなことなど、したくはなかっただろうし。だって、目指すはナイトですから。

 殺人を犯すことで、歪んだ共犯者意識に、酔っていた部分はあるのかなあと想像しますが。完全犯罪が湯川によって崩されたのも、勧善懲悪の観点からみれば当然かな。
 もし殺人ではない別の方法で、石神がその身を生涯、密かに靖子のために捧げたなら。湯川もその秘密を、きっと守ってくれただろうなあと思います。

 主題歌の『最愛』もいい歌ですね~。

>愛さなくていいから
>遠くで見守ってて

 なんだかここの、つよがりが泣けます。愛さなくていいからなんて、絶対思ってないくせに~っていう。言えば言うほど、別の思いがあふれだしてしまうような。

 ここの「愛さなくていいから」っていうところがいかにも石神の気持ちを彷彿とさせるのです。

 石神のその後…。きっと最後まで、自分の計画の破綻を、認めることはないだろうなあと思いました。それを認めることは、靖子を永遠に失うことだからです。

映画『テルマエ・ロマエ』感想

 映画『テルマエ・ロマエ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

 古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス(阿部寛さん)が、タイムスリップして日本へやって来る。現代日本でお風呂の技術やアイデアに触れ、それをローマに持ち帰り再現し、大評判になる・・・というお話です。

 もう、この設定聞いただけで面白そう(^^)と思っちゃいます。
 実際、前半部分は笑える場面がたくさんありました。私たちにとっては当たり前だけど、そりゃ古代の人から見たら不思議だろうなあっていうことが、銭湯にはたくさんあって。

 描かれた富士山の絵を、ベスビオ火山と勘違いするところもよかった。出会う日本人の顔を、「平たい顔族」と表現するセンスも凄いです。
 ルシウスは、平たい顔族を、ローマが征服した異民族、奴隷と思っていて、「奴隷のくせになんて進んだ文明をもっているんだ」と、あくまで上から目線なのも笑えます。

 人のよい銭湯の常連らしきおっちゃんたちが、あれこれルシウスの世話をやくのが微笑ましかった。そうですよね~。あれだけ濃い顔の人で、どうやら言葉も通じなくて、銭湯のこともよくわかってなさそうだったら、気になってつい面倒みちゃいますよね。

 フルーツ牛乳に感動するルシウス。

 牛の乳なのに果実の香りがして甘いって・・・。その発想はなかったなあ。うん、でも確かにその通り。

 映画見てたら、フルーツ牛乳飲みたくなりました。お風呂の後に飲むと、美味しいんだよね。コーヒー牛乳もいいし、マミーも好き。

 ヒロイン真実(上戸彩)さんが勤める、浴室のショールームにタイプスリップしてくる場面も最高でした。

 そこで、ジャグジーにも出会っちゃうのね。
 ルシウスの脳内では、ショールームで知る最新機能のほとんどは、その裏で奴隷が大勢働いていることになっていて。そこらへんの、事実とのギャップが面白かった~。
 トイレに入れば音楽が流れるんだけど、ルシウスは当然、隣室で奴隷たちが演奏していると思っていて・・・。そういう勘違いがいちいち、笑えました。

 前半は本当にコミカルなシーンが多かったのですが、その分後半は、少し間延びしてしまったようにも感じました。

 歴史が変わってしまうことに、なぜ真美はそこまで危機感を抱き奔走したのかなあ、とか、そのへんも謎です。真美が古代ローマ史マニアで、あのへんの時代のことをよく知っていて、というなら話はわかるのですが、そうでもなさそうだし。

 後半はもう少し、なんとかならなかったのかなあと思いました。前半のテンポがすごくよかっただけに、残念な感じがしました。

 ルシウスと真実を、変に恋愛モードにさせなかったところは正解だと思います。ちょっとした憧れというか、ほんわかしたムードがとても可愛かった。それくらいでとどめておいたところが、好感持てました。
 だからこそ、真美の体が透き通り、別れが近付いたときの切なさが美しかった。

 満点の星空。揺れる炎。初めての笑顔。

 泣きながら、だけどちゃんと、真美も人生におけるお守りのようなものをしっかりと、ルシウスからもらって、現代に帰って行くんだなあと。だから、安心して見ていられました。

 ルシウスはたくさんのものを、真美やおっちゃんたちから学んだけれど、その逆もしかり。
 真美は、ルシウスの生き方に、大きな感銘を受けたのだと思います。

 見終わってつくづく思ったんですが、この映画、阿部寛さんなくしては成立しなかったな~と。もう、ルシウスが愛しすぎる(^^)

 平たい顔族とのギャップがすごい。そして、筋肉質で美しい体。まるでギリシャの彫刻のようでした。ルシウスの生真面目で、仕事に対しては妥協を許さない生き方。それは、素の阿部寛さんにも通じるものがあるのかなあ~、なんて、考えてしまいました。

 思い返してみますと、阿部さん。映画は『はいからさんが通る』の少尉役でデビューでしたね。あの役は正直、あまり合っていなかったと思いますが(あれは、キャスティングした人に責任があります。ドイツ人とのハーフで、色素の薄い美青年って、その設定からして無理があると思う)、このルシウス役はもう、阿部寛さんがぴったりすぎて、他の人など思いつかない。

 ルシウス役をを阿部さんがやってなかったら、映画のよさは半減してたと思います。

 真実役の上戸さんも可愛かったなあ。普通の格好しただけで、なんでこんなに可愛いんだろうっていう。
 実家の旅館に帰ってくるシーン、いろいろ着こんで大変なことになってるんですが、普通だったらむさくるしい感じになるのに、上戸さんだとオシャレなんだな。

 あと、ケイオニウス役の北村一輝さん。異彩を放ってた。
 女好きの設定なんですが、女性を口説くそばから、殺してそうなオーラが出てるのは何故~(^^;
 恐いんです。狂気のようなものを感じて、ゾクっとしてしまった。青ひげ、みたいな・・・。
 味のある役者さんなのですね。本当に独特で、目立ってたと思います。

 それから個人的にすごく驚いたこと。旅館のおっちゃんたちの一人、館野を演じた竹内力さん・・・いつの間にこんなに貫録がついたんだろうっていう・・・・。

 私の知ってる竹内さんは、アイドル枠だったんです。たしか、セーターの本とかにも載ってたような。例えるなら、野村宏伸さんみたいな感じだったのに、いつのまにこんなにイメージ変わったんだろう。同一人物です、と言われても、にわかには信じられないくらいでした。

 この映画の中で、私が一番綺麗だなあと感動した場面は、ルシウスがアントニヌスに大事な話があると告げる前の、回廊シーンです。

 映像の、光と色の加減がなんとも言えず素晴らしかった~。

 古代の荘厳な建築に射す、夕暮れ、少し手前の光。(あれ、夕暮れだと思うけど、違うかな~)
 柱の表面の凹凸が、絶妙な影を作っていて。

 胸を打つ光景でした。その向こうになにがあるのか、そこは映し出されてなかったけれど。きっとあそこは小高い丘で、あと1時間かそこらで、辺りはもっと赤く、染まり始めるのかなあって。

 正確には、まだ夕焼けって時刻ではなかったのかもしれないですが。ほどなく始まる夕暮れの寂しさを、その色を、想像させる光の色だったんですよね。昼の眩しい、透明な強い光とはまた違っていたような。

 『テルマエ・ロマエ』、見に行って良かったです。

映画『はやぶさ』感想

 映画『はやぶさ』を観た後、プラネタリウムで星空を堪能しました。

 以下、映画の感想を書いていますが、ネタばれを含んでいますので未見の方はご注意ください。

 映画は、竹内結子さん演じる水沢恵が、とてもいい味を出していたと思います(^^)
 元々好きな女優さんだったんですが、可愛いのに地味、そして挙動不審、というキャラを見事に演じてらっしゃいました。

 人の目をきちんと見られない気弱さ、その一方で好きなものに一直線になれる情熱、不可能な量の翻訳をきっちり期限までに仕上げてしまう天才ぶり、いろんな表情を見せる水沢に、どんどん惹きこまれていきましたよ。

 そして、水沢だけではなく、「はやぶさ」プロジェクトを成功に導いた多くの人たち。水沢以外は、みんな、モデルの方がいたみたいですね。誰もが本当に魅力的で、みんなの努力が実り、無事打ち上げとなったときの映像では、思わず涙が出てしまいました。

 ここまで来るのが、大変だったんだなあって。

 当たり前ですけど、一人の力じゃなくて。
 宇宙が好きで、「はやぶさ」に託したそれぞれの熱い夢が、結集してやっと形になった瞬間だったから。

 鹿児島の内之浦で打ち上げがあったとき、それを現地の方々が、老若男女、みんなわくわくして嬉しそうに見上げてるんです。それを見たとき、胸が熱くなりました。

 無数の力が合わされば、奇跡が起こる。

 目に見えない人の思いも、重なれば大きな流れをつくる。

 ロケットの発射を、みんなが子供にかえったような無心な目でみつめている姿。

 開発に携わった方々の思いも、もちろんですが、その他にもたくさんたくさん。いろんな人の気持ちが、「はやぶさ」を応援していたんだなあと。

 宇宙はあまりにも大きくて、謎だらけで。

 私も日常に疲れたとき、ふと宇宙のことを考えると、不思議な気持ちになります。
 人はどこから来たのだろう。
 この世界は、なんなのだろうと。

 そして、たまにプラネタリウムへ行って星の話などを聞きますと、自分が悩んだりしていたことが、とても小さなことに思えてきます。

 宇宙の大きさに比べたら、どうでもいいや(笑)という。

 あんまり、あんまりにも圧倒的で。宇宙凄いよ。本当に。

 頭のいい科学者が、全力で立ち向かっても、なかなかその全貌をつかめないほどの巨大な宇宙。調べても調べても、答えはもっともっと、その奥、もっと深くへ。

 だから宇宙は、多くの人を魅了してやまないのでしょう。

 この映画は、人間賛歌だなあ、と思いました。
 登場人物一人一人が、愛おしくなります。

 皆さんそれぞれ、すごい科学者だと思うのですが、一方で日常生活は科学とはまったく関係のないところでの葛藤があったり。

 私が印象深く覚えているシーン。鶴見辰吾さん演じるエンジン開発担当責任者の喜多が、マンションの理事会?に出席している最中、携帯に仕事の緊急連絡が入る、という場面です。
 どうみても、高級マンション、という感じではなくて。
 本当に庶民的な、よくあるマンションの会合、という風景の中。

 喜多さんは、周囲に謝りながらその場を抜け、職場へ一直線に向かうのですが。どこにでもありそうな理事会の平凡な風景と、電話の内容、最先端科学の対比がとても、強烈なインパクトでした。

 世界でも有数の最先端の技術を扱う人であっても、人間で。一歩、仕事を離れれば、私たちと変わりないような日常の生活があるんだなあって。

 夢を追い続けることの素晴らしさ、も、この映画を見て思いました。

 どんな仕事も、結局は、「夢」とか「好き」という気持ちがあってこそだと、そう思いました。だからがんばれるのだと思います。
 この、「好き」という気持ちだけは、その人本人にもコントロール不可能な、不思議な感情で。

 この映画を見たから、というわけではないのですが、実は私も最近、自分がずっと憧れていた職場に、就職しました。覚えることも多くて大変なのですが、やはり「好き」という気持ちがあると、がんばれてしまいますね。
 「好き」という気持ちは魔法のようなもので。
 仕事を進めていく上での、尽きないガソリンのような感じです。

 映画の中で、高嶋政宏さん演じるカメラチームリーダーの坂上は、水沢にとても素敵なアドバイスをしていたと思いました。

 水沢は、最初は兄のために宇宙関係の仕事を選んだのかもしれませんが、実は自分自身も、宇宙のことが大好きだったんだと思います。でも、それに気付いていなかった。

 映画の冒頭で、西田敏行さん演じる的場と、講演会後に嬉しそうに言葉を交わす水沢の姿に、それは表れていました。あれは兄のために、的場に近付いたのではなく。水沢自身が講演の内容に興奮し、思わず話しかけずにはいられなかった、そういう場面だったと思うのです。

 兄のためではない。自分が宇宙が好きで、この仕事を選んだのだ。
 水沢がそれに気付いたとき、彼女はもっともっと、大きな力を発揮できるんだろうなあと思いました。

 そして、そんな貴重なアドバイスをしてくれた坂上自身は、プロジェクト途中で契約終了となり、はやぶさの成功をスタッフとして見届けることもできず現場を離れるという現実・・・。

 映画の終わりの方で、なぜか坂上が砂漠に現れたシーンは、余計なものだったと思います(^^;
 あそこは、水沢が坂上の不在を意識するところがあれば、それだけでよかったなあ。
 坂上が再登場してしまうと、いかにもテレビ的というか、映画的なハッピーエンディングのようで。
 あのまま、ほろ苦い砂漠シーンで良かったような気がします。

 ところで、坂上が契約切られた(というか、契約終了で、再契約がなかった?)のは、やはり上の人間に予算のことなどで噛みついていたからでしょうか。
 登場するなりいきなり、くってかかるシーンだったので、恐いキャラだなと一瞬思ってしまったのですが。でもよく考えると、上に盾突く人は、部下にしてみたら頼りになる上司だなあって。
 坂上が率いるカメラチームは、上からの無茶な要求に四苦八苦していたわけで、でも末端の部下が上層部に物は言えないし、あそこではっきり意見を言った坂上の行動は、中間管理職としては立派なものだったなあと思います。

 坂上が、マイ定規で焼き魚の身をほぐすシーンは、大好きでした。科学者にありがち(といったら偏見か)な変人ぶりが、面白すぎます(^^)

 坂上は、はやぶさプロジェクトの成功を見届けたいという気持ちは大いにあったでしょうが、契約終了で現場を離れることになっても、さばさばと割り切っていたのが素晴らしかった。彼のような人なら、この先どこへいってもいい仕事をしてくれそうです。
 とはいえ本当は、彼のような人ほど、残って日本の宇宙開発のために働き続けてほしかったですが・・・。

 この映画で一番不満だったのは、冒頭の的場の講演場面。講演を聞きにきた人達を、「興味ない人たち」に描いてしまったことです。これはちょっと見ていて、あまり気分のよいものではありませんでした。
 たしかに、一般人は宇宙のこともよくわからないし、専門的知識もないし。
 でも、ああいう場にわざわざ出てくる、というのは、宇宙に関心の高い人たちだと思うんですよね。それを、いかにも「なんとなく来たけど、宇宙のことなんて興味ないし、な~んにもわかりません」的にデフォルメして描いてみせるのは、馬鹿にしてるようにもみえて、なんだかなあと。

 生瀬勝久さん演じる、謎のはやぶさファンの姿は面白かったです。はやぶさプロジェクトの成功後、なぜかきっちりと片付いた素敵なお部屋。あれ、この人、もしかしてちゃんとした人だったのかな~と思いきや、「明日ハローワーク行こう」発言に、プッと吹き出してしまいました。いや、明日じゃなく、今日行こうよ、みたいな。

 『はやぶさ』、上演時間は長めですが、かなりお勧めの映画です。これを観た日の夜は、絶対星空を眺めたくなります。

 私は映画の後、ご飯を食べてプラネタリウムへ直行しました。

映画『エクリプス』の感想

 映画『エクリプス』見てきました。

 以下、感想を書いていますがネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

 『エクリプス』です。トワイライトシリーズの第三弾。一作目の『初恋』は見たのですが、二作目の『ニュームーン』は見ませんでした。原作を読んだので、ニュームーンの回は滅入るなあと思ったのと、その頃ちょうど、仕事が忙しい時期だったので。

 そして『エクリプス』。

 先日プラネタリウムを見たときに、星空の説明で今月21日に皆既月食があることを知りました。そうかー、eclipseか。そういえば、今ちょうど映画でやっていたんだっけ? 見に行ってみようかな。

 そんな軽い気持ちで、あまり期待せずに映画館へ向かいました。

 

 夜の回です。カップルが多いかな?と思いきや、館内は99パーセントが女性。これは、エドワード役のロバート・パティンソンの人気によるところが大きいのでしょうか?

 私の右隣には、身を寄せ合ったカップル・・・もとい、親子でした。なんと、小学2年生くらいの女の子と母親。

 いいのかなー。この映画、恋愛ものだから男女の際どいシーンもあるし、上演終わるの9時過ぎるんだけど。おまけにこれ、戦闘シーンとか、怖いと思うよ。一応吸血鬼ものだし、子供には刺激が強すぎるんじゃ・・・

 などなど、私は余計なおせっかいとは思いつつ、子供のことを心配してしまいました。子供が見たがる映画とも思えないし。これはやっぱり、お母さんの趣味なんだろうね。

 家で一人にさせとくより、連れてきたほうが安全と思ったのかなあ。でもでも、これを子供に見せるのはかなり、まずいんじゃないかなあ。

 そして、私の左隣には、私と同年代の女性二人組。

 大きなポップコーンと飲み物をしっかり用意して、鑑賞準備は万全。

 内容は、ほぼ原作どおりでしたけど、『初恋』のときとは大分感じが変わっていました。なにより、せつなさがない(^^;

 このトワイライトシリーズ。一言で表せば、人間の女の子ベラと吸血鬼の男の子エドワード(永遠の17歳)の恋物語なんですけどね。簡単に成就するわけではなく、そもそも人間のまま吸血鬼と添い遂げることなんてできないということで、女の子は苦悩するわけですよ。

 吸血鬼になり、永遠の命を手に入れれば、家族とは離れざるを得なくなる。友人たちにも本当のことは言えない。すべてを捨てて、吸血鬼になる覚悟はあるのか?という。

 そして、吸血鬼の男の子も難しい選択を迫られる。

 愛する人を、人間のまま見送るべきか、それとも永遠の命を与え、ともに生きるか。

 永遠の命=永遠の幸せ、ではない。というところがポイントだと思います。永遠であることは、むしろ究極の牢獄にも匹敵するのではないか、という。

 そこらへんは、ミュージカルの『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観たときにも、すごく考えさせられましたね。

 まあ、根底にはこの、吸血鬼になるべきか、ならざるべきかという命題があり。それを彩るかのように、さまざまな難題がベラに降りかかるのです。狙われるベラ。それを守るエドワード。ベラを愛するエドワードのライバル、オオカミ族のジェイコブの存在。

 『エクリプス』では、『初恋』のときと監督が変わったので、その影響もあるのでしょうか。あの一作目の初々しさはどこにもありませんでした。

 ベラがたくましくなっている(^^;

 強いです。精神的に、完璧にエドワードを超えちゃってるよ、という。

 ベラとエドワードが見つめあうとき、安定感があるんですよね。なんていうかこう、長く連れ添った夫婦的な。

 一作目のときは、まだまだ二人はお互いに、不安感をにじませていたんですけど。相手の愛情を無条件には信じられないですから。瞳を探りあう、その悲壮感がとても純粋で、美しいと思いました。心を打たれた。

 初めて誰かを好きになったときって、こんな感じだよねーと。

 でも今回の作品では、二人の間に強い絆を感じました。

 ベラとエドワードを演じた二人は、プライベートでも付き合っているという噂がありますが、それもうなずける感じです。勝手な憶測ですが。

 そして、エドワードが、完全にお尻に敷かれちゃってます。ベラが握った主導権。エドワード、逆らえません(^^;

 エドワードのライバル、ジェイコブを演じたテイラー・ロートナー。いい感じにたくましくなっていたと思います。筋肉が素晴らしい。ベラを軽々とお姫様抱っこしたのがすごいです。いくら軽くても、大人の女性をひょいと抱き上げてすたすた歩くなんて、なかなかできません。

 対してエドワード役のロバート・パティンソン。いい人っぷりが全面に現れてました。きっと役を離れても、優しいひとなんだろうなあ。

 ただ、永遠の高校生、17歳にしては少し、大人びてみえたかも。外見がもう少し幼いままだったら、永遠の命を生きる葛藤も、より強く伝わってきたはずだと思いました。

 それと、原作のイメージである、ミステリアスな部分があんまりなかったのが残念でした。

 原作だともう少し、謎めいた感じがあるのですが。

 ベラと相思相愛になってなお、ベラを不安にさせるような。

 心の奥に隠す本心を、観客もベラと一緒に手に汗にぎりながら追い求めるような、そんなエドワードだったらもっと、よかったなあと思いました。

 本当に個人的な感想なのですが。心を完全に許しあい、安心しあったベラとエドワードだと、魅力が半減してしまうのですよね。もうちょっとだけ、ドキドキしたかったです。

 ベラを演じたクリステン・スチュワート。一作目のときより、ずいぶん強くなったなあと。それは、全身に自信がみなぎっているからかもしれません。

 エドワードとジェイコブ、二人に愛されてる、それは間違いないっていう自信。だから、心の揺れをあまり感じませんでした。そこが残念。

 顔立ちは、原作のイメージそのものなんですけども。一作目のヒットで一気に人気が出たことも、この作品での自信あふれる演技につながっているのかな。

 映画の中では、戦闘シーンの迫力がすごかったです。CGを駆使したリアルな映像。耳をつんざくような悲鳴。

 そのたびに、隣の小さな女の子のことが心配になってしまいました。

 この子、大丈夫かなあ。こういうのって、夢に出たりしそうだよね。ゾンビみたいな吸血鬼のオンパレード映像。

 そして、映画の中ではベラが、エドワードとジェイコブを二股にかけ、女王様状態だったわけですが。それをあんまりだと思ったのか、私の左隣の女性が、そのさらに左に座る、自分の連れに向かって愚痴る、愚痴る(^^;

 気持ちはすっごいわかりますけども。要所要所で、ベラに対する不満をぶちまけるのは、笑えてきてしまいました。自宅でテレビを見てるのとは違うんだよ~、と、心の中でツッコミを入れつつ。

 たしかにね。ベラの仕打ちはあんまりですもん。

 一番ひどかったのは、エドワードがすぐそばにいるのに、怒ってるジェイコブを宥めようと、彼にキスをせまる場面。

>I’m asking you to kiss me.

 いやー、すごいです。ある意味。普通言えないですよ、こんな台詞。こんなこと言っちゃったそのすぐ後じゃあ、エドワードにあわせる顔がない。普通の人なら、ですけど。でもベラは特別な血を持つだけあって(褒めてます)(^^; 平然とこんなこと言っちゃうんですね。

 私は心の中で、叫んでました。

 あれーー!! ジェイコブにはきっぱり友達だって言ってたじゃん。恋人とかそういうのは無理とか、そういうのはっきり言ってたのに、なぜキスしろと? 訳わかりません・・・。そりゃ、ジェイコブも混乱するって。

 私の心を代弁するかのように、私の左隣の女性は憤懣やるかたないといった様子で、友人にベラの悪口をまくしたてていました。

 まあ、そりゃあそうですよね。誰だって同じことを思いますよね。きっと左隣の女性はエドワード役のファンなんだろうし。そしたらベラの振る舞いには、我慢できませんよね。

 『エクリプス』、もし副題を付けるとしたら、『ベラと二人の下僕たち』かもしれないと思いました。

 愛しちゃったほうが負けなんですね。許さざるをえないということで。

 

 結婚している友人が、力説していたのを思い出しました。

 「女はねえ、自分が好きな相手と結婚するより、好きだと言ってくれる相手と結婚するほうが、幸せになれるのよ」

 好きな相手だと、わがままでさえも、新鮮な魅力になるのかもしれません。

 次回作、見に行くかどうかは、未定です・・・・。

Twilight (The Twilight Saga)
クリエーター情報なし
Little, Brown Books for Young Readers
New Moon (The Twilight Saga)
クリエーター情報なし
Little, Brown Books for Young Readers
Eclipse (Twilight Saga)
クリエーター情報なし
ATOM
Breaking Dawn (Twilight Saga)
クリエーター情報なし
ATOM

映画『探偵物語』の感想

 映画『探偵物語』を久しぶりに見ました。以下感想を書いていますが、ネタバレしていますので未見の方はご注意ください。

 この映画、大学受験でしばらく芸能活動を休止していた薬師丸ひろ子さんの、復帰第一作ということで話題になりましたね。同時上映が「時をかける少女」でしたが、この二作品は対象年齢が違いすぎたと、今さらながら思います。

 「時をかける少女」は小学生にもお勧めできる作品ですが、この「探偵物語」は大人向き。

 昔見たときには、なんだかよくわからず、あまりいい印象がありませんでした。覚えてるのは、ラブホテルの殺害シーン、女性の裸だったり、松田優作さんの恐い印象だったり。

 そしてあの、エンディングの長い長いキスシーン。かなりドキドキしたのを覚えています。優作さんが恐かった(^^; ひろ子ちゃんを食べちゃうんじゃないかというくらいの勢いだったので。

 そしてあらためて、今この映画を見まして。

 大人になってみると、印象が違うな~と思いました。

 薬師丸ひろ子ちゃん演じる女子大生、新井直美が、松田優作さん演じる探偵、辻山と一緒に、殺人事件の解明に挑む、というあらすじなのですけれど。

 登場人物に味があって面白いです。

 

 最初から最後まで、直美の父親は登場せず。広いお屋敷で長谷沼さん(岸田今日子さん)と二人きりの描写は、直美の孤独感をうまく表現していたと思います。

 家が無駄に広い、というね。

 快く思っていない長谷沼さんと二人きりって、実質あの家に一人で住んでいるようなもので、直美が誰かを(恋人を)求める気持ちはよくわかりました。

 そしてその恋人候補が、大学の先輩で永井(北詰友樹さん)であることも、必然だった。

 これがまた軽くてダメな人なんだよね。ダメなんだけど、でも直美が憧れる気持ちがよくわかる。遊んでてカッコよくて、女扱いに慣れてる感じ。

 直美がどこかで、傷ついてもいいって思ってるのが伝わってきたなあ。

 一週間後には、彼女はアメリカへ行っちゃうわけで、なにか思い出がほしかったんだろう。暖かくて、それを思い出すだけで、「自分にだって素敵な思い出がある」なんて夢をみられるような。

 辻山が、「直美の叔父です」と言って、永井をホテルから追い出すシーンは笑ってしまった。

 そりゃ、永井もゴタゴタはごめんだと逃げ出すはずです。

 辻山には、永井の気持ちなんか、手に取るようにわかっただろうし。仕事(直美のボディーガード)ということ以前に、直美を哀れむ気持ちもあったと思う。目の前の偽りの幸せに手を伸ばしても、どうせ、後で泣くのは目に見えてたから。

 この映画で光っていたのは、辻山の前妻役の幸子(秋川リサさん)。

 秋川さん、いい味出してました~。辻山とお似合いだったです。どうしようもなく弱い人間で、ずるくて、だけど憎めない。幸子は一人で暮らせない人間なんだろうと思いました。とにかく誰かが傍にいてくれないと、一日だって過ぎていかない人なんでしょう。

 辻山とも、憎みあって別れたわけじゃないっぽい。

 だから、関わりを持ち続けようとする。なにかあれば頼ろうとする。

 それって、辻山にとっては、すごく迷惑なことなんですけどね。もう関係ないのに。困ったときだけ巻き込むってどういうことだよ、という。

 だけど、完全にそれを突っぱねることのできない優しさが、辻山の魅力で。

 

 幸子と辻山、ある意味お似合いでした。

 でもこの二人は、長く一緒にいちゃいけませんね。

 どちらのためにもならないと思う。

 その点、最後にきっぱり別れを告げた辻山は、さすがでした。

 いつもヨレヨレのスーツ着てる辻山ですが、なんだかカッコイイのです。なんでだろう。背が高いからかな? 直美との身長差がすごかった。

 できればあまり部屋に入れたくない辻山と、強引にでも入ってしまいたい直美との、心理戦が面白かったです。

 事件が解決した後、ちゃぶ台でお茶を淹れる辻山の姿が、妙にアンバランスで。

 すっきり片付いた畳の部屋。お互いに落ち着かなくて。

 直美が告白しようとした瞬間、そうさせまいと口をはさんだ辻山の優しさにじ~んとしました。

 それを言っちゃあおしまいよってことですよね。言わせまいとした辻山の気持ちが、なんとなくわかります。だって、言われたって、受けとめることなんてできないから。

 直美のことを大切に思うからこそ、その気持ちを十分理解した上で、言わせまいとしたんですね。言わなければ、直美が傷つかずにすむから。

 しかし直美本人は、もうヤケクソとばかりに、帰り際に言い捨てて出て行ってしまいましたけど。若さは無敵ですなあ。周りをみる余裕がないというか、とにかく言わずにはいられなかった。胸にある気持ちを吐き出さずにはいられなかったということで。

 

 そしてあの有名な、空港でのキスシーン。

 昔見たときには、あまりに生生しくて、激しくてドン引きだったんですけど。今回あらためて見て、辻山の優しさがよくあらわれたシーンなのだ、ということに気付きました。

 はじめ、彼は本当におずおず、と怖れるように手を重ねてるし。

 最後、がばっと抱きしめてるところがいいなあって。すごく大切なものを、全身全霊で抱きしめてるって感じで。小柄な直美が、身動きできないくらいに抱きすくめられてる姿に、愛情を感じました。あのハグには、辻山の気持ちのすべてがこもっていたんだと思います。

 辻山だって、直美のこと好きになってたはず。だけど、彼に抱きついたままの直美の腕を、外したのは彼のほうでした。

 そして最後に、軽い小鳥キス。そのとき直美が、すがるような目で辻山を見るのがせつなかったです。「行くな」って言ってほしかったんだろうなあ。「待ってる」っていう言葉でもよかったはず。でも辻山は一切視線を逸らさずに、目だけで別れを告げた。

 言葉がなくても、わかりあっちゃう空気がなんとも言えませんでした。

 今さらなにも請うこともしない、直美の姿もよかった。

 そしてずーっと、ずーっと見送っている辻山の姿に誠意を感じましたね。目をそらさないで、最後まで見ててあげる、見送ってあげるっていう。だってそれが最後だから。もう会うことはないから。どんなに寂しくても、背中を向けたりしなかった。

 これ、主題歌がまたいいんですよね。

 透明感のあるひろ子ちゃんの歌声が、胸に響くエンディングでした。

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