オペラ座の怪人(映画)を語る その6

「オペラ座の怪人」映画を見に行ってきました。2度目です。最初に見たときには気づかなかったところや感想なんかを書きたいと思います。ネタバレありますので、十分にご注意ください。

 まずはじめに。ラウルが金髪じゃない、ということに気付きました。あまりにも王子様だったので、私の脳内では金髪のイメージになっていたのですが、改めてみたら、髪はもっと暗い色でした。以前、感想を書いたときに「金髪」と書いてしまったので、そこは削除しておきました。

 映画を2度見て、あらためてラウルに惚れ直してしまった。勇気があり、まっすぐで、ハンサムで、しかも子爵。そりゃ魅力的ですよ。ただの金持ちのボンボンじゃないですから。クリスティーヌがファントムの餌食になることを、本気で心配していますからね。

 屋上で愛を確かめあうシーン。「恐がらなくていい。僕が守ってあげる」そういうことをじーっと目をみつめながら言われたら、そりゃたいがいの婦女子は、ぼーっとなってしまいますよ。クリスティーヌがラウルに恋してしまったのは当然。言葉だけでなく、実際にラウルはちゃんと行動してるしね。クリスティーヌの部屋の前で見張りとか(彼女自身がラウルの目を盗んで、父親の墓場に行ってしまったけど)、ファントムとの命を賭けた決闘だとか。

 この2つの行動だけでも、ラウルの株は上がったと思う。お金の力でボディガードを雇うとか、そういう方向に向かわなかった。自分の手で、自分が苦労して彼女を守ろうとしたところがいいですね。

 「いらない」という印象を持ったのは、マダムジリーが出てくるシーンで3つ。まず、ラウルに食事に誘われたクリスティーヌのいる部屋、その鍵をファントムが締める。それを見ているマダムジリー・・・・・・これは余計なショットだと思いました。まるでマダムジリーが、ファントムの仲間のような印象を与えてしまいます。ファントムは孤独だという設定なのに、マダムジリーとの接触があまりに多いと、それは違うということになってしまう。

 さらに言うなら、メグが鏡の秘密に気付いて、引き戸の向こうの湖へ続く道を発見するシーン。歩き始めたところをマダムジリーに引き戻されるのですが・・・・・なぜマダムジリーは、メグの行動がわかったんでしょう? ファントム並に神出鬼没。

 ファントムを追いかけて、ラウルが鏡のトリックにひっかかるシーン。このとき助けに入るのがマダムジリー。ここまでくると、ファントムの部下なのか?という気持ちにさえなります。どうして肝心なときになると、マダムジリーが登場するのか。もちろん、その後のマダムジリーがファントムの過去を語るシーンも、要らないと思いました。ちょっとエレファントマンをイメージさせるような映像もあり、この映画のオリジナリティが失われるのでは、と気になりました。

 ドンファンの勝利を演じているときの、主役3人の表情は本当に素晴らしいですね。ファントムの情熱、それにひきずられるように、覚悟を決めたかのように堂々としたクリスティーヌ、2人の結びつきの強さに呆然とするラウル。

 ラウルの、悲しい表情がよかったです。嫉妬して、圧倒されて、それでも2人の不思議な音楽の結びつきを認めざるをえない。それは、会場全体がそうでした。誰もが、ファントムとクリスティーヌの歌声に尋常ではないものを感じ、心を奪われる。

 

 その後、クリスティーヌがファントムの仮面をはがすとき、彼女の表情に納得してしまいました。そうか。彼女はなにも意地悪で仮面をはがしたわけではないのです。その前の、クリスティーヌがファントムをみつめるその目の優しさ。その目が言っていました。「バカね。顔のことなんて、気にしなくていいの」

 あれほど情熱的に、あれほど激しく愛を告白しながら、仮面の向こうに隠れたまま出てこられないファントムのコンプレックスを、知り尽くした表情でした。クリスティーヌは、「わかっているのよ。もう恐れなくていい」とでも言いたげにマスクを取ります。だけどその瞬間、一斉に起こるどよめき。クリスティーヌ以外の人が、ファントムの素顔を見ておののきます。劇場中の人間の恐怖を全身に感じて、ファントムは自分はやはり、世間から拒絶されたのだと実感したでしょう。この後のシャンデリア落下シーンは、映画ならではの迫力。舞台では、安全確保のためにもあそこまでリアルな演出はできません。

 

 きれいで豪華で、自分の生い立ちとは正反対の輝きをまとったシャンデリア。ファントムはそれを壊すことで、きらびやかな世界への怒りを表現したのかなとも思います。どうあがいても、受け入れてはもらえなかったと。

 最後、ラウルとファントム、そしてクリスティーヌの対決シーン。ラウルが首に縄をかけられ、苦しそうに歌うのは残念でした。あそこは、首をしめられながら歌ってほしくない。最高の楽曲と歌詞なのだから、感情をこめて思いきり歌ってほしい。首は絞められてはいないけれど、ファントムの指先一つですぐに死が訪れる、そういう緊張感を描いてほしかった。ファントムの超人的な魔術師としての才能をみせつけるかのように、人間離れしたあざやかな技でラウルを捕えてほしかった。

 あまりにもドタバタしすぎていて、人間臭すぎると思いました。

 これは、全体的に言えることです。もっとファントムの存在を幻想的に描いてくれたらよかったのにと思います。人間なのか、それとも本当に幽霊なのか。同じ人間であることが信じられないくらいの、才能をアピールしてほしかった。

 いいなと思ったのは、ラウルと共に去っていくクリスティーヌが、振り返ってファントムを見ているシーン。ここで振り返っているところがポイントです。その顔が・・・・なんともいえません。クリスティーヌの愛が見えますね。過去への惜別だったのでしょうか。

 映画を2度目に見て再認識したのは、カルロッタ役のミニ−・ドライヴァーの演技が素晴らしいということ。この人の声の調子や表情は絶品です。思わず引きつけられてしまう。映画の中で、本当にいい味を出しています。いくら見ていても飽きない。面白い。

 クリスティーヌを苛めるキャラではありますが、なんだか憎めません。

 名曲に包まれて、ファントムを鑑賞するのはとても贅沢なことでした。また見に行きたいと思います。

オペラ座の怪人 通常版 [DVD]

メディアファクトリー

このアイテムの詳細を見る

そして誰もいなくなった 観劇記 その2

 昨日に続き、そして誰もいなくなったの観劇記です。以下、思いきりネタバレしてますので、ご注意ください。

2005年2月5日土曜日12時開演

 前日の観劇で全体をチェックできたので、今日は山口祐一郎さんを中心に見ました。そこで気が付いたのですが、ロンバードは1幕で、鋭い視線で周囲の人間を観察してるのですねえ。昨日はそこまで気付かなかった。特にブロアに対しては、最初からうさんくさいと思っているようで、ちらちらと視線を送り、なにかを探ろうとしているかのようです。さすが視線をくぐりぬけてきた軍人。それぐらいの観察力がなければ、危険は察知できないですもんね。

 そういえば、途中で「誰が誰を疑っているか」みんなで話し合ったとき、判事を疑っていたのはロンバードだけだったっけ。真実を見抜いていたのか。

 

 そのわりに、女に弱いというのが弱点なんだろうなあ。劇中、殺人がおこるたびにショックを受けるヴェラに、いつも寄り添って気を遣ってあげてた。倒れないよう座らせてあげたり、そっと手をかけたり。最後なんて、ヴェラと2人きりになって、彼女を殺人鬼と疑っているくせに、いざ目の前で倒れたら思わず助けようとするんだもの、いい人すぎる。しかも、その後リボルバーを奪われて撃たれてしまうなんて。

 それだけじゃありません。たまたま弾が外れたからよかったようなものの、めでたしめでたし、でヴェラと抱き合うなんて甘すぎ。自分を本気で殺そうとした人ですよ? 私だったら、絶対信用なんてできないですけどね。

 まあ、お芝居だしハッピーエンドにしなきゃということで、こういうオチになっているのかもしれません。だけどロンバートがこの先死ぬとしたら、絶対女がらみの事件のような気がする。窮地を切り抜ける軍人としての勘も、女性を前にしたら鈍りまくりって、どうなんだろう? 

 山口さん演ずるロンバードの、飄々とした感じに好感が持てました。緊迫した空気の中でも、冗談を言ったり、いつもと変わらぬ調子で堂々としてた。ときどき、取り乱しちゃうようなときもあったけれど、できればずっと飄々としていて欲しかったです。それで、最後の最後でヴェラと2人きりになったときに取り乱す、というふうになれば、もっとラストシーンが盛り上がったような気がします。

 カーテンコールのときに気付いたのは、カーテンコールの登場の仕方、退場の仕方が、もしかしたらすべて台本通り?ということです。その場のノリとか、客席の拍手に答えるというよりも、動作が厳密に決められているような印象を受けました。そういうところが、アガサ・クリスティらしいといえばらしいカーテンコールだなと、そう思いました。

そして誰もいなくなった 観劇記 その1

 ル・テアトル銀座で上演されている、「そして誰もいなくなった」を見に行ってきました。その観劇記です。ネタバレしてますので、未見の方はご注意ください。

そして誰もいなくなった(2005年2月4日金曜日18時30分開演)

 再演ということで新鮮味はないかな~と正直思っていたのですが、山口さんの「レクイエム」を聞くために出かけました。初演のときに、ものすごくあの歌には慰められました。

 出演者が2人、初演とは変わっていましたが、これがびっくりするほど効果的に全体の雰囲気を新鮮にしていましたね。初演のとき、それぞれの出演者がぴったり役柄に当てはまっていたので、後で入った人は損だな、大変だなと思っていたのは大間違いでした。

 いい味出してます。まず、エミリー役の金沢碧さん。私は前回の沢田亜矢子さんも好きですが、役としては金沢さんの方が合っていたと思います。ちょっと陰気で、堅物な老婦人の雰囲気がよく出てました。沢田さんの場合、どうしても明るい感じになってしまうんですよね。そこへいくと金沢さんは、なにかギャグでも言おうものならにこりともせずに、切って捨てるような冷たさを感じました。エミリーの融通のきかない頑固さを表現するのが、金沢さんはうまいなと思いました。

 ただ、沢田さんに関して忘れられないのは、「お船を見てるんですか、将軍」のセリフ。独特の言い回しが、妙に耳に残って離れません。金沢さんがそのセリフをいうときにも、私の頭の中では沢田さんの声のセリフが響いてました。ここだけは、本当に沢田さんの個性が光ってましたね。丁寧なんだけど、内心馬鹿にしたような意地悪な声。この一語がこれだけ記憶に残るというのも、すごいことだと思います。

 そして、初演時と変わった出演者の2人目、うえだ峻さん。この方は、前半、エセルが死ぬまでの演技がすごくよかったです。この前半は、前任者の三上直也さんより、うえださんのキャラの方が私は好きですね。背の低さを利用して、ピアノに乗っかるコミカルな演技だったり、恐妻家をうかがわせるようなセリフのやり取りだとか。

 ただ、エセルが死んだあとの放心状態が、今ひとつ不自然に見えてしまって残念でした。妻の死にショックを受けているというよりも、演技してます、という感じになってしまって。歩き方とか、うまくいえないけど不自然な感じに見えてしまうんですよね。ここは、三上さんがうまかった。ショックが大きすぎて、精神を病んでしまったんじゃないか、みたいな恐さを感じさせてましたから。

 ただ、とにかく前半のテンポのある芝居は見事です。思わずひきこまれてしまいました。三上さんのときは、力関係は夫の方が上に見えましたが、うえださんは完璧に、奥さんの方が上ですね。そういうところの見せ方がおもしろかった。

 最初に出演者の一部が初演時と変わると聞いたとき、残念だなという思いがあったんですが、こういうふうに交代があると全体が新鮮になるんですね。今回、劇を見終わってそう思いました。変わった役柄だけでなくて、それを受けて周りも変わってくる。

 山口さんのレクイエムは圧巻でした。これは、曲のよさとの相乗効果もあります。いくら山口さんが歌っても、どうしても響いてこない、また聞きたいと思わない曲というのは確かにあります。

 でもこのレクイエムは、何度でも聴きたくなる。最初の囁くような歌い方が特に好き。死者を悼む歌なわけですが、これを聞くと心が癒されるのを感じます。許しを得たような気分になるんですよ。「大丈夫。あなたは大丈夫」そう言われているようで、へこんだ気持ちが上向いてくる。安らぎを与えたまえ、というのが、私のために祈ってくれてるみたいに感じるわけですよ。ここらへんがファンのイタイところであります。自覚しています。

 その後、声量を増して、朗々と歌い上げる。まさにミュージカルの帝王の本領発揮という感じです。どこまで届くんだろう、この声という感じです。もう体全体を耳にして聞いてます。ピアノの悲しい伴奏にのせて、祈りの声が響き渡ります。

 ミュージカルの帝王、という表現も、この場合ちょっと違うかな。私がこの歌を聴いているときに想像しているのは、オペラの会場です。満員の観客を前にマイクの前に立ち、体全体を使ってダイナミックに歌い上げる山口さんの姿を想像してしまいます。ピアノを弾く演技、というのもけっこうやっかいなもので、歌だけに集中できませんよね。もしも歌だけに集中できたなら。満員の観客の期待をすべてエネルギーに換え、ただ自分の声だけにすべての感情を乗せて歌うことができたなら。どんなすごい歌になるのかな、とワクワクします。

 2003年の公演のとき、この歌をシアターアプルで聴いたときの自分を、まざまざと思い出しました。あれから時間が流れ、私の周囲もずいぶん変わりました。でもこうして聴いているその瞬間は、あのときと変わっていないのです。

 レクイエムへ入るまでの流れは、かなり自然な感じでした。エミリーの死にショックを受け、頭を抱えてピアノに突っ伏すロンバード。ロンバードは、もともと悪い人間ではないです。優しさも、思いやりもある。口が悪いのと照れ屋なので誤解されている部分はありますが、実際には部下のために命を投げ出すような、そういう気概を持った軍人なんですよね。ロンバードはピアノが弾けるから、せめてエミリーの魂よ安らかに、と、ピアノで彼女の死を悼むのは自然なことだと思います。

 これ聴いているときに思いました。山口さんも、曲があればなんでもいいってわけじゃないんだなあと。いい曲に出会ったとき、奇跡のような相乗効果が生まれるのです。曲だけでも駄目、いい声だけでも駄目。その両方が出会わなければ、人の心を動かすような奇跡は生まれない。

 

 

 そして誰もいなくなったの公演で、特筆すべきは書割です。背景になっている空がすごくきれいなのです。照明の加減で、澄んだ青空になったり、真っ赤な夕焼けになったり、凶事を予感させる曇天になったり。雲の様子が本物の空みたいで、きれいだなーと思って眺めてました。同じ空でも、照明によって表情を変える、というのがおもしろかったです。

オペラ座の怪人(映画)を語る その5

 昨日の続きです。ネタバレ含んでいますので、映画未見の方はご注意ください。 

 残念だったな、と思う点をさらに挙げてみます。

 クリスティーヌが、最初からラウルを幼馴染と気付いているところが気になりました。私なら、ハンニバルでカルロッタの代役を務めた日、クリスティーヌはラウルを幼馴染と気付いていない、という設定にしますね。舞台版だと、そうなっていましたけど。その方がドラマチックだと思うのです。

 思いがけない舞台の成功。賞賛の嵐。なにがなんだかわからないような興奮の中、美しく立派に成長した幼馴染と再会。ロマンスが生まれるには、十分な環境でしょう。こういう偶然の再会というシチュエーションが、物語をより、盛り上げると思うのです。

 いぶかしげなクリスティーヌの顔が、相手を幼馴染と知ってみるみる輝く、そういう絵が見てみたいです。

 クリスティーヌを地下のお城へ連れて行くとき、馬を使っていたこと。これはちょっと、あまりにも突飛すぎて違和感を覚えました。外の世界ならともかく、地下に馬。イメージがちょっと違う。クリスティーヌの手を引き、ただ歩いていくというだけでよかったと思うのです。馬を使っていたので、「どうやって飼っているんだろう」とかよけいなことを考えてしまいました。

 ファントムが自分のお城に置いていた、リアルな等身大クリスティーヌ人形。これはまずいでしょう。あまりにも不気味すぎです。私は思いっきりひきましたね。ここまでいっちゃうとちょっと異常な雰囲気になってしまうので、やめてほしかった。これを映像でとるなら、もっと他に撮る物があったんじゃないかと思ってしまいました。

 小さいお人形ならOKです。オペラの作曲をするのに、登場人物を動かしたりしてイメージを膨らませるのには必要かもしれないですし。でもあの、リアル人形は駄目。ひきます。ドン引きです。

 気を失ってしまったクリスティーヌを軽々と抱え上げ、天蓋つきのベッドにそっと寝かせるシーンはとても素敵でした。大切な宝物を見るかのような、ファントムの目が優しいのです。女性にとって、天蓋付きのベッドは永遠のお姫様アイテム。

 それだけに、あのリアル人形のインパクトは、ファントムのよさを台無しにしてしまうような気がします。どんな顔をしてあの人形をみつめていたのかと思うと、寒すぎます。

 マダム・ジリーの告白も、いらなかったような気がします。ファントムの過去については、あえて触れなくてもよかったんじゃないかと。もし触れるのなら、原作にあったようなペルシアの王様のために宮殿を作ったとか、建築・音楽、さまざまな才能にあふれていたけれど、追われ追われてオペラ座の地下に住み着いているとか、そういうところに焦点をあててほしかった。

 見世物として扱われていたのを逃げ出して、マダム・ジリーが助けた、というのはあまりにもありがちな話に思えてしまいました。

 マスカレードのシーン。ラウルとずっと寄り添っているのが気になりました。舞台だと、踊っているときに2人を引き離すような邪魔が入るのですが、こういうシーンはぜひ入れて欲しかった。

 オペラ座の怪人(ロンドン・オリジナルキャストレコーディング)CDの歌詞カードのようなシーンが欲しかったです。絢爛豪華な仮面舞踏会。ラウルと楽しく踊っているのに、人の波にもまれてどんどん引き離されてしまう。ラウルを探してさまようけれど、どの人も仮面をつけていて、誰が誰だかわからない。音楽は鳴りつづける。次第にクリスティーヌの不安が高まってくる。楽しげな音楽が、逆に不安を煽っていく。次々現れる仮面の向こうに、ファントムの影を感じて、クリスティーヌの顔がだんだん不安で曇っていく。

 

 ラウルは必死でクリスティーヌに駆け寄ろうとするけれど、人波がそれを邪魔する。やがて彼女を見失う。そしてファントム登場。

 私だったら、上記のような撮り方をしたいですね。それに、ラウルがクリスティーヌの傍にいないのだったら、彼が会場を離れるのにも納得できるし。

 映画だと、クリスティーヌをその場に残したままラウルが立ち去るのです。普通、彼女も一緒に連れていくんじゃないでしょうか。危ないじゃないですか、ファントムが現れたというのに。彼の狂気を知っていながら、クリスティーヌの傍を離れるラウルはうかつですね。

 思いつくままにつらつら挙げてみました。もう少しこうだったら、というシーンは、細かいところを言ったらきりがありません。でも、全体的には本当に素晴らしい映画になっていたと思います。なによりも音楽が圧倒的。

 アンドリュー・ロイド=ウェバーの才能がつくりだした、奇跡のような曲の数々。何度聴いても飽きません。特に、最後のファントム、クリスティーヌ、ラウルの三人が同時に歌うシーンは、ぜひ英語詞を手に入れて目を通すことをお勧めします。字幕だと、一部しか訳してませんから、もったいないです。三人がそれぞれ、自分たちの思いをどう叫んでいるのか、それがわかって映画を見るとよけいに感動が増すでしょう。

 最後にちょこっとだけ毒を吐きます。映画のために書き下ろされたという新曲は、期待していたわりに、ぐっときませんでした。才能ある人の作品が、必ずしも全部才能にあふれているというわけではないのだな、と思ってしまいました。いろんな奇跡が重なって初めて、後世に残るような名作が出来上がるのだなと。

 以上、「オペラ座の怪人」映画版の感想でした。

オペラ座の怪人 通常版 [DVD]

メディアファクトリー

このアイテムの詳細を見る

オペラ座の怪人(映画)を語る その4

 昨日の続きです。ネタバレありますので、映画未見の方はご注意ください。 

 いいところばかりじゃなく、残念だった点もあげてみます。まず、1番がっかりしたのはなんといっても、墓場のシーン。あの胸元はなんだったんでしょう。胸をはだけすぎ。外は雪が降っているのに、不自然すぎる。観客に対するサービス? 演出のセンスが悪すぎだと思いました。クリスティーヌって、そういう女性じゃないと思う。もうあの胸が気になって気になって、いくらクリスティーヌが真剣に歌ってても、私の頭の中は「胸・・・白い胸・・・」という言葉でいっぱいでした。

 それと、墓場でファントムとラウルが剣を交えるシーン。これは要らないなと思いました。舞台のときのように、なにか魔術めいた火の玉でラウルを追いつめ、ラウルとクリスティーヌが間一髪逃げ出すという設定にした方がよかったんじゃないかと。なんといっても、ファントムがラウルに剣で負ける、そしてクリスティーヌに助けられるなんて姿は、見たくありませんでした。

 ラウルは子爵でおぼっちゃまですから、雑草のように生き、這い上がってきたファントムの方が力は強くて当たり前でしょう。

 

 ときどき、時代が交錯するのも気になりました。最初オークションシーンから、当時のオペラ座に時代が逆行するのはいいんですよ。でも話の流れの中で、年老いたラウルのシーンがちょこちょこ出てくるのは気になってしまった。あれは要らないと思う。1番最後のシーンが、また年老いたラウルになるのはよかったと思いますが。

 それと、これだけは言っておきたいことがあります。字幕が気になりました。インパクトの強い言葉が、作品のイメージを台無しにしてしまっているところがありまして。 passion-play「情熱のプレイ」です。これはあんまりだと思いました。ファントムとクリスティーヌの情熱のプレイ・・・・・・。別の話になってしまいそうです。直訳すると、受難劇だそうです。私も知らなかったんですけど、でも少なくとも「情熱のプレイ」が変だということは直感しました。

 それと、肝心なところで意訳をしていて、これでは観客が誤解してしまうと思ったのが You are not alone の訳なのです。「あなたに惹かれていた」だったかな? そういうふうに訳しているのがどうにも納得いきませんでした。そういう意味じゃないと思うんです。惹かれてたとか、そういうことはファントムだってわかってたと思う。そうじゃなくて、ファントムにとって「一人じゃないわ」って言ってもらうことの持つ意味とか、それを口にするクリスティーヌの気持ちとか、それを伝えないでどうするの? という感じ。意訳することで、意味を狭めてしまっていると思う。そこに含まれたいろんな意味を匂わせるには、直訳することが必要だったんです。

 私が思うに、You are not alone って言葉はファントムにとって、とても大切な言葉。普通の状態でその言葉を聞いたら、きっとすごく嬉しかったと思う。だけど、「俺を選ぶかラウルを選ぶか、はっきりしろ」なんて脅した後にそんなことを言われたら、うれしいというより悲しかったと思う。

 あなたと一緒に生きます。ずっと一緒です。だから、あなたはもう一人じゃありません。そういう意味でクリスティーヌは言ったのかなと。でもそれは、「だからといってあなたを愛しているわけじゃない」という宣言でもあったかと思うのです。全然愛してない、とまで言っちゃうとそれは嘘だけどね。惹かれてる。愛してる。

 だけどその愛は、あなたと一緒に暮らしたいっていう愛じゃないんだよね。一緒に暮らすのはラウルのため。ラウルの命を救いたいから、そのための魔法の呪文が You are not alone なのです。その呪文に効力を与えちゃったのはファントム自身だから、もう墓穴掘っちゃってます。追いつめられて混乱してるから、仕方ないとも思いますが。

 ファントムは、自分で言っちゃってますもんね。俺を選ばなければラウルを殺すと。そういう状態でクリスティーヌに You are not alone と言われてしまうこのせつなさ。ここでI love you とは言えないです。嘘になってしまう。You are not alone というのは、クリスティーヌなりの本音だったと思います。ファントムと地下で暮らしていくことを、選んだのですから。この You are not alone には、大きくわけると二つの意味があったんじゃないかなと思います。一つは文字通り、あなたは一人じゃない。これからは私がいる、という意味。そしてもう一つは、「私はラウルの命を救いたい。ラウルを愛してます」という意味。ファントムはわりと繊細な人だと思うので、この後者の意味を、瞬間的に察知したと思いますね。

 その後のキスは、たぶん言葉で語るよりいろんな思いがあふれたでしょう。クリスティーヌの、ラウルへの愛、ファントムへの愛。そしてたぶんファントムは、クリスティーヌがラウルを愛する気持ちを、とてもよく理解したのでしょう。その上で、自分に対してみせてくれた優しさ、実の親からも得られなかった抱擁をかみしめ、求めるばかりだった愛情を、こんどは返そうという気持ちになったんだと思います。

 そうなんです。ファントムは、クリスティーヌに幸せになってもらいたかったから、彼女をラウルと共に地上へ返した。クリスティーヌがラウルを深く愛しているのを知っても、ファントムがクリスティーヌを愛する気持ちは変わらなかった。それどころか、増したでしょうね。

 ラウルはなんといっても、クリスティーヌのために命を賭けた男です。恋のライバルとして憎き相手ではありますが、でも大切な彼女を託す相手としては頼もしいわけです。安心して渡せます。激しい嫉妬を押し殺してでも、クリスティーヌが大切だった。守りたかった。

それがファントムの本音かなあと思います。幸せになってくれ、と心から願ったはずです。

 長文になりましたので、続きはまた明日。

オペラ座の怪人 通常版 [DVD]

メディアファクトリー

このアイテムの詳細を見る

オペラ座の怪人(映画)を語る その3

 昨日の続きです。ネタバレありますので、映画を未見の方はご注意ください。

 クリスティーヌがファントムに指輪を返したのは、私は決別だと思っています。地上に戻った後、こっそり捨ててもよかったわけです。だけど彼女はそうせずに、ファントム自身の手にきっちり返した。

 クリスティーヌなりの誠意だったのかなあと思います。変な期待など、持たせる方が残酷だから。私が選んだのは、ラウルなのよと、それをファントムに確認させるための儀式だったのではないでしょうか。あなたに惹かれていた、尊敬していた、愛情があった、だけど私が選び、これから共に生きていくのはラウルなのです、と。

 小さな声で、それでも I love you と告げずにはいられなかったファントム。立派です。そうだよね、そうだよね、と思わず慰めてあげたくなりました。結果がどうあれ、ファントムは本当にクリスティーヌが好きだったんですよ。受け入れてもらえないと知りつつ、それでも最後にかける言葉は、やっぱりI love you だったというのが、ファントムの純真さだと思うのです。自分を取り繕うことはしなかった。マスクもない。醜さは十分わかっている。素の自分で、クリスティーヌに愛を告白した。

 鏡を割るシーンが好きです。ファントムの世界の終焉にふさわしいと思う。自らの手で、鏡を粉々にしていく姿が、壮絶でした。やっとみつけたオペラ座の地下という安住の地を、彼は終わりにするんだなあと思って。クリスティーヌの思い出の残る地下の湖。そのお城で、なにごともなかったように暮らしつづけるには、あまりにも思い出が痛すぎる。

 クリスティーヌは、ファントムを本当に愛していたのか? 私は、愛していたんだと思う。それは、ラウルに対しての思いとはまた別の感情であって、愛している=あなたと一緒に暮らしたいという類のものではなかったけれど。クリスティーヌはたしかに、音楽の才能を、他の誰より愛していた。歌はファントムそのもの。原点がファントムだから、歌を仕事にしている限り、きっとファントムのことは忘れられなかっただろう。だから、ファントムを地下に残して、ラウルと地上に戻ったクリスティーヌは、ファントムだけでなく歌をも捨てたんだと思う。

 墓場によき母、よき妻という言葉が刻まれていたのは、それを示していたんではないだろうか。舞台を下りて、ラウルとともに歌を歌わない人生を歩んだ。だから、ファントムを捨てることができたんだ。

 だけどあまりにも強烈な記憶だから、なにかあるたびにふっと思い出したんだろう。そのクリスティーヌの心に深く住み着いたファントムの影を、ラウルはわかっていたんだろうな。だけど、心の底にあるものはどうしようもない。クリスティーヌが死んでなお、ラウルはファントムの幻影にとりつかれていた。

 最後、クリスティーヌがファントムに指輪を返すシーンについてもう一度考えてみる。しつこいようだけれども、ここは重要なシーンだと思う。ファントムが、弱々しくI love you と告げるけれど、クリスティーヌは複雑な表情で指輪を返し、去っていく。この、指輪を返すというのは、決別の意味だ。もう終わり。これでおしまい。あなたを思い出すものを、持っていくわけにはいかない、みたいな。

 私にはクリスティーヌの気持ちがわかるような気がするのですよ。1番大きいのはファントムに対する思いやり。はっきりさせないままの方が残酷だし。それに加えて、自分の気持ちの中のけじめ、というのもあったはず。指輪を返すという行動が、クリスティーヌにもファントムにも必要な儀式だったと、そう思います。あなたとは違う世界に行きますと宣言することで、次のステージに進める。

 ファントムも、クリスティーヌの意図するところは十分に理解したでしょう。そういう繊細な人だから。最後の最後の、1パーセントの望みまで失ってしまって、ファントムの世界が音をたてて崩れ落ちた。だからこそ、最後のセリフに重みが出てくるんですよね。

 

 鏡を壊してまわるのは、その象徴。もうね、すがすがしいくらい、痛みを通り越して痛みを感じないくらい、完璧な失恋。救いは、クリスティーヌがファントムを一人の人間として受けとめた上で、ラウルを選んだことかな。キスもしたし。ファントムはうれしかったと思うよ。同情だけじゃない、ラウルを助けるためだけじゃない、ファントムのために捧げた部分は確実にあったと思うから。そういうものは、実際に唇に触れてダイレクトに伝わってきたんじゃないだろうか。

長文になったので、続きはまた明日。

オペラ座の怪人 通常版 [DVD]

メディアファクトリー

このアイテムの詳細を見る

オペラ座の怪人(映画)を語る その2

昨日の続きです。ネタバレありますので未見の人はご注意を。

 カルロッタが予想以上によかった。気持ちいい高音を、これでもかとばかりに聞かせてくれる。自信が体中からあふれている感じ。誰もが跪かなければ気がすまない、わがままで高慢でプライドが高くて、そしてそれだけの実力を十分に備えている歌姫。

 表情もよかったし、言葉が少しなまった英語であるところもおもしろかった。

 クリスティーヌと対照的な、完成された歌の技術、というものが楽しめた。ファントムの言うとおり、この先にピークがくることはないだろう。だけど、頂点に立った、もしくはそれを下りかけたベテランのうまさ、というものはきちんと見せていてくれた。

 わがままっぷりが気持ちいいです。ここまでつきぬけてくれたら、見ていて気持ちいい。カルロッタがそういうキャラでいてくれないと、クリスティーヌが引き立たないから。単純で、ほめられるとまんざらでもなさそうに、にやりと笑う、そういうところがツボでした。クリスティーヌに見せるむきだしのライバル心がよかった。力関係は、オーナーより歌姫の方が上なんだろうか? アンドレとフィルマンのコンビが、一生懸命ご機嫌をとりもつシーンは笑いました。メロディとセリフが、ぴったり合っていたように思います。

 私の好きなシーン、そして曲は、ドンファンの勝利を上演しているときの Point of no return です。ここのクリスティーヌVSファントムはよかった。ドンファンの勝利、そのものが不気味な雰囲気なのですが、そういう舞台を背景に歌うこの曲の美しさ。うっとりでした。この曲の物悲しさ。あふれる激情を理性で抑えて、ピアンジになりすまして歌うファントムの、クリスティーヌをみつめるその目。

 書いていたら感動が甦ってきました。ファントムにとって、顔は最大のコンプレックス。この顔のために、人生から幸せはすべて奪われたと思っている。だからこそ舞台の上で、他人になりすますことで初めて、素直な気持ちでクリスティーヌに告白できたのではないでしょうか。仮面をかぶり、別の人間の役を演じているシチュエーション。でも、歌っているのは自分の本心。これ以上は隠せないあふれる思いを、真正面からクリスティーヌにぶつける。こういう形でしか告白できなかったのは、小心者ゆえだと思いますが、その弱さがせつないです。

 クリスティーヌは、彼がファントムだとわかっていながら音楽の魔力に絡みとられ、どうしようもなく引き寄せられ、心を委ねていく。その過程が、すごく繊細に表現されていたと思います。映画だからこそ、細かい表情がみられる。ファントムに連れ去られる恐怖は絶望なんだけれど、どこか甘美な香りも秘めていて、その誘惑に抗えないクリスティーヌ。

 

 そしてファントムは、屋上で聞いたラウルの愛の歌と、同じものを歌うのです。ここらへんのファントムの心情を思うと、泣けますね。あのとき、屋上で両思いの2人を見て、彼はどんなにかラウルに成り代わりたいと思ったんだろうと。ああいうふうに愛を囁いてほしかったんでしょう。そして自分も、堂々と、クリスティーヌを見つめて笑顔をみせたかったんでしょう。現実の自分は、仮面で顔を隠し、舞台で演じるふりをして、心を打ち明けることしかできない。その心細さ、臆病さ。彼のプライドからいったら、ラウルと同じ歌で告白するなんて恥ずかしいことだったと思うんです。だけど、そうしたのはうらやましかったから。あのときの2人がうらやましかった。あのときと同じクリスティーヌを手に入れたかった。それなのにまたしても、肝心なところで仮面をはがされ、最後まで愛の歌は歌えない。

 

 地下に下りたファントムとクリスティーヌ。その後はもう、ファントムの美学などふっとんでしまいます。プライドもなにもかなぐり捨てて、ただ一途にクリスティーヌの愛を乞う。そうやって無理やり手に入れた愛情など、虚しいとわかっていてもそうせざるを得ない。追いつめられたファントムにとって、もう失うものはなにもなかったんでしょう。

 最後まで正義のヒーローだったラウルと、あまりにも対照的なファントムの姿がせつないです。ファントムとラウル、そしてクリスティーヌが、自らの思いをそれぞれに歌い上げるシーンは、歌はいいのですがもう少し工夫がほしかった。それは、ラウルの首に縄がかけられるところがちょっと、ドタバタしすぎだったから。

 人間離れした、超絶的な技でラウルを捕えてほしかったなと思います。そうすれば、ファントムの圧倒的な力が伝わってくる。クリスティーヌの言葉次第で、ラウルの命は簡単に消える、そういう、緊張の糸がぴんと張り詰めるシーンにしてほしかった。

長文になったので続きはまた明日。

オペラ座の怪人 通常版 [DVD]

メディアファクトリー

このアイテムの詳細を見る

オペラ座の怪人(映画)を語る その1

映画「オペラ座の怪人」を観た感想。いい!!! かなりいい!!! CDをさんざん聞きまくって、自分の中にかなり詳細な世界が出来上がっている私のような人間には、舞台よりもこの映画の方が合っていたと感じた。以下ネタバレしてますので、未見の方はご注意を。

 主役の3人が本当に魅力的。まずファントム役ジェラルド・バトラーね。仮面に隠された顔以外は、はっきりいって美男子です。自信にあふれていて、歌もうまいしセクシー。そりゃ、クリスティーヌもふらふら魅入られてしまうというものです。

 そして泣き顔がまた、可愛い。子供みたいだなあと感じた。思わず「よしよし」と抱きしめてしまいたくなる可愛さです。

 クリスティーヌ役エミー・ロッサム。いつもなにかを夢見ているような、という形容がぴったりきますね。透き通った声が耳に心地いい。完成されていない、危うさをもった歌声がクリスティーヌにぴったり。ファントムに惹かれる表情が真に迫ってました。ラストシーンで、同情と愛情と尊敬の入り混じった表情を見てしまったら、そりゃファントムも惚れ直すってものです。ラウルと無邪気に盛り上がるのも、可愛らしかった。全身から若さがあふれてました。肌もつやつやで、若いって素晴らしいなと思ってしまった。

 ラウル役パトリック・ウィルソン。長髪がよく似合ってました。若くてまっすぐで、ファントムとはことごとく対照的。リアル「白馬に乗った王子様」でした。クリスティーヌを愛し、命がけで守ってます。舞台版を見たときにはラウルのこと、あまり好きじゃありませんでした。でも映画版ラウルは、本当にいい人なんです。こんなにいい人なら、そりゃクリスティーヌがラウルの元へ走ったのも無理はない。このラウルを見てしまうと、「ファントムの方が素敵じゃん。なんでクリスティーヌはラウルを選んだの?」とは言えなくなってしまう。

 

 映画版が舞台よりいいなと思ったのは、なにより音楽ですね。音がすごい迫力だった。それと歌が、「これ歌い終えたら倒れます」くらいの気合が入っていて、ずしんと重みがありました。これは映画だからできること。舞台だと毎日ですから、ここまで気合入れたら体壊します。

 あと、映像がとにかくきれい。雪に映える真っ赤なバラとか、色彩のセンスがいい。そして、舞台のシーンはとにかくゴージャス。マスカレードのあの人数。あの動き。圧巻でした。

 細かい動きまではっきりみせてくれるのも、映画ならではですね。私は舞台でオペラグラスを使うのは嫌いなので、よほどいい席でない限り細かい表情や動きなんて舞台では見えません。でも映画では、細かいしぐさや人の表情がじっくり見られました。

 冒頭のオークションシーンから、時代がさかのぼってオペラ座の舞台裏が映し出されるシーン、大好きです。舞台の稽古中の、雑然とした雰囲気。名もない多くの俳優、踊り子たちの生き生きとした姿。なんだかせつなかったのです。こういう風景、大好きです。これを見られただけでも、映画をみた価値はあったと感じました。当時のオペラ座の雰囲気が、よく伝わってきます。

 私が唯一泣いたのは、屋上にてラウルとクリスティーヌが愛を確かめ合うシーン。ファントムが影に潜んでいて、ずっと2人のやりとりを聞いているところが可哀想でした。ファントムの渡したバラが、クリスティーヌの手からこぼれおちてしまう。2人が楽しそうに去っていった後、それを拾い上げて嫉妬に狂うファントムの声が、なんともいえません。空に向かって思いきり叫ぶファントムの姿が、印象に残りました。

 マスカレードのシーンはよかったー。まさに仮面の渦。あれだけの人数、きらびやかな色彩の波をみせられると、圧倒されて言葉を失ってしまいます。でもファントム登場とともに、波がさーっと引いてしまう。仮面舞踏会でも、異形のオーラは人の波に溶け込めなかったんでしょうか。

~続きの感想はまた明日~

オペラ座の怪人 通常版 [DVD]

メディアファクトリー

このアイテムの詳細を見る

オペラ座の怪人 観劇記 (劇団四季) その2

 昨日に続いて、劇団四季の「オペラ座の怪人」について語る。ネタバレありなので、未見の方はご注意ください。

 全体の中で、心に残ったシーンをいくつかあげてみる。

1 1番最初のオークションシーン。ラウルの声がよかった。昔を懐かしむ声で、だけどいろんな思いがこめられていて、複雑な感情がよく出ていた。クリスティーヌのことを心底大事にしていたんだな、と感じた。動きはいかにも老人。

2 仮面をクリスティーヌに初めて剥ぎ取られたファントムが、背中を丸めながらうずくまるシーン。実は、1番心に響いたのはこのシーンだったかもしれない。口汚く罵りながら、泣いてるようにも思えた。

3 1番最後。セリフの訳がいいのだ。これはかなりの名訳だと思う。英語詞よりも、むしろ日本語の方がいい。壮大なひとつの物語の終焉を実感する。ファントムの声に含まれている達成感というか、絶望を通り越したすがすがしさが救い。

 泣けなかったのは意外だった。CD聞いてボロボロ泣いたから、きっと舞台ではその迫力に圧倒されるだろうなと思ったんだけれど。その原因はやはり、私の思っていたクリスティーヌと違ったからかな。もちろん、いろんな解釈があって当然だし、佐渡さんが演じたのもまた、1つのクリスティーヌ像だったんだろうし。

 ただ私は、クリスティーヌには、ファントムを愛してほしかったのだ。ラウルという、非の打ち所がない白馬の王子様に求婚されながら、どうしようもなくファントムの才能、なによりも音楽に魅入られていく姿が見たかった。私が見た舞台のクリスティーヌは、ファントムになんの好意も抱いていないようにみえたから、それはちょっと悲しかった。

 たぶん、そういうクリスティーヌに愛情を注ぐのは、難しいことなんじゃないだろうか? ファントムだって、まったく愛情がない、嫌悪されている相手に執着はしないと思う。ずっと見守って、ただひたすらに愛情を求めたのは、クリスティーヌが自分に惹かれていることを知っていたからだ。

 舞台でオペラ座の怪人を演じるなら、そのときだけは役になりきって本当の恋人同士のような愛情や、嫉妬を感じてほしいと思うのだが、あれほどにラウルとラブラブなクリスティーヌを見てしまうと、ファントム役の高井さんも感情移入が難しかったと思う。クリスティーヌはファントムのことを、ストーカーのように思っているんじゃないかと、客席にいた私にはそう見えた。

 役者さん同士の相性もあるんだろうか。違う組み合わせなら、また違う感想なのかもしれない。

 それと舞台を見ていて思うのは、これほどの大作を毎日同じ人が演じるのは無茶じゃないかなーということ。オペラ座の怪人は、いろんな感情が爆発する舞台だ。愛情、嫉妬、怒り、絶望。それをあますことなく表現して、かつあの難しい歌の数々をきちんと歌い上げて、それを連日というのは厳しすぎるような気がする。本気で演じ、100パーセントの力を出しきったら、翌日はせめて一日休養しないと体力も心も回復しないと思う。

 明日があると思えば、自然とセーブすることにもなると思うのだ。理想を言えば、ファントム役とクリスティーヌ役は、3日に1度の出演ペースがいいんではないかと。シングルキャストである必要はない。違う人が演じれば違う個性が出て面白いし、休養して回復すれば歌いたくてたまらなくなるはず。それだけの魅力がある楽曲だもの。翌日から2日休めると思えば、1回の舞台にかけるエネルギーの量は違ってくるんじゃないのかな。

 あと、オーケストラの人数をもう少し増やしてくれたらうれしい。オペラ座の怪人は、その曲の美しさが最大の魅力。役者がいくら上手に歌っても、オーケストラの迫力がないとちょっとさみしいから。

 以上、実際に舞台を見た感想を思いつくままに語ってみた。明日は映画版「オペラ座の怪人」の感想を書く予定。

オペラ座の怪人 ロングランキャスト

ポリドール

このアイテムの詳細を見る

オペラ座の怪人 観劇記 (劇団四季) その1

 先日、初めてオペラ座の怪人を舞台で見た。CDで何度も何度も繰り返し聞いた、耳慣れた音楽。舞台を見る前に、あまりにも何度もCDを聞いたので、空想が膨らみすぎて、実際に舞台を見て驚いた部分もあった。

 以下、ネタバレになる部分もあるので、未見の方はご注意ください。

 出演者は、ファントム 高井治 クリスティーヌ 佐渡寧子 ラウル 石丸幹ニなど。(敬称略)

 電通四季劇場「海」は、全館禁煙というのがまずよかった。ロビーの煙くささに悩まされることなく、快適に観劇できた。ただ、チケット売り場横のカフェが、たばこ臭くて参った。あそこを通るたびに、息をとめてしまう。全館禁煙にするなら、チケット売り場横の喫煙スペースもなんとかしてほしい。あそこのカフェを禁煙にして初めて、全館禁煙の意味が出てくると思う。

 それと女性用トイレが、和式と洋式混合なのでびっくりした。新しくできたピカピカの劇場なんだから、全部洋式でいいと思う。使いやすさは断然洋式である。なぜ、あえて和式を作ったのか不思議。

 さて、舞台を全部見終わった感想を一言でいうと、「可哀想なファントム」という一語に尽きる。それは、クリスティーヌの愛を得られなかった、という意味ではない。それ以前に、「なんであんなクリスティーヌを好きになっちゃったの?」という意味である。

 一番のクライマックス。ラウルの命を救うために、ファントムにキスをするクリスティーヌ。そこにはあまり悲壮な決意というものが感じられなかった。むしろ、「わかったわよ! なんでもすればいいんでしょ!」 というクリスティーヌの怒りというか、やけっぱちの感情があふれていた。

 2度キスするんだけど、2度目はもう、見ていて気の毒になってしまった。プライドの高いファントムにとって、明らかに愛のないキス。恋のライバルのために捧げられたキスは、ファントムにとって虚しいものだっただろう。たぶん、そのときはっきりと、クリスティーヌに失望したんだと思う。

 クリスティーヌを抱きしめようとして、結局できなかった手が物悲しかった。せめて、同情ではない別の、ラウルに対するものとはまた別の愛情を、クリスティーヌから感じられたらよかったのに。そしたら舞台はもっと、せつないものになっていただろう。

 高井ファントムの声は魅力的だった。声量もあるし、クリスティーヌが魅入られるのも十分納得できる。歌の技術もそうだけど、声そのものに艶があっていい感じ。ただ、クリスティーヌへの愛は、今ひとつ感じられなかったかな。観客の私もクリスティーヌに共感しなかったくらいだから、それも無理はないかなと思ってしまった。

 佐渡クリスは、序盤の歌にちょっとがっくりしてしまった。みんながブラボーというほどには、光るものがなかったような気がする。最初から最後まで、全然ファントムのことを好きじゃないんだろうなあ、という感じ。ラウルのことを好きだから、邪魔をするファントムをうるさがっているような雰囲気を感じてしまった。

 ただ、佐渡クリスのいいところは、相手の歌に刺激を受けてどんどん変化していくところ。ラウルと歌うとき、あるいはファントムと歌うとき、どんどん相手のうまさに呼応して、自分の歌が変化していくところが見事だった。ソロで歌うときは普通なのだが、ラウルやファントムと歌うときは、数倍うまく歌っていたと思う。全然、迫力負けしていなかった。思わずひきこまれる力があった。

 ソロで歌っているとき、迫力はなくてもいいけどもう少し、透明感というか光るものがあったらよかったと思う。

 石丸ラウルは、お坊ちゃまぶりがすごくキャラに合っていると思う。恵まれた育ちや、子爵としての自信が声にそのまま現れていた。あふれる正義感はまぶしいばかりで、それを目にしたファントムの苛立ちや嫉妬は自然なものだ。ファントムが欲しかったもの、あったらいいなと願っているものを全部持っている人をうまく演じていた。華があるから、舞台に立ったとき人目をひく。

 まっすぐで、正直で、世の中の暗い部分をなにも知らずに育ってきた、という雰囲気がよく伝わってきた。まさにラウルは、はまり役。

 

 ファントムをちっとも愛していないクリスティーヌ、というのは、私にとって衝撃だった。ラウルとファントムの間で揺れ動くところがひとつの見せ場だと思っていたので。舞台を見る前に、いくつかインタビュー記事を読んだのだが、佐渡さんはクリスティーヌがラウルを選んだのを当然と考えていたみたいだ。それに対して高井さんは、なぜクリスティーヌがラウルに走ったのか不思議だ、と思っているようである。

 舞台の上に、そうした佐渡さんの思いはしっかり現れていたような気がする。あまりにも、あまりにも愛がなかったから・・・・。

 そういうクリスティーヌ像をつくることも、解釈の一つとして面白い。結局、誰からも愛されなかったファントム。それはそれで、悲劇の主人公だ。

 これは私の勝手な感想なのだけれど、もし私がファントムだったら、「ラウルの命を救いたければ俺を選べ」と無理難題をつきつけて、あげくに、「わかったわよ!」と投げやりのキスをされたら、たぶんすごくショックを受ける。心のこもっていないキスだってことは、肌で感じるから。キスの後、またショックを受ける。待ち望んでいた愛しい人のキスが、なんの喜びももたらさない。それどころか、ひどく惨めな気分をもたらすだけのものだと知ったから。一片の愛情もない。いつか愛してくれるという希望さえ持てない、心を100パーセントラウルに捧げたキス。

 

 その後、これでもかとばかりに、怒りのこもった軽蔑のキス。2度目のキスをされたら、心は完全に砕け散るだろう。そもそも、どうしてクリスティーヌを好きになったのか、自問自答しそう。心に抱いていた理想と、現実のクリスティーヌの違いにがっくりきて、100年の恋も一気に冷めるな。

 指輪を返しにきたクリスティーヌにかける言葉は、この場合、過去形がふさわしい。もう、愛情などないのだもの。このときの佐渡クリスの雰囲気も、「同情」「哀れみ」「恐れ」「警戒」だった。そこに、愛情はなかったように思う。

 長文になったので続きはまた明日。オペラ座の怪人は大好きなので、語り始めると止まらない。

オペラ座の怪人 ロングランキャスト

ポリドール

このアイテムの詳細を見る