明と暗の観点で夢のキャスティングをしてみた

 前回の続きです。4月からシアタークリエで上演されるミュージカル「レベッカ」について、あれこれ思ったことを書いていきたいと思います。

 以下、原作のネタバレも含んでいる文章ですので、ご注意ください。

 以前私は、ダンヴァース夫人役で、保坂知寿さんが見てみたいと書いたことがある。今になって、それ以上にやってほしい役が出てきてしまった。

 それはずばり、「わたし」役なのである。

 もちろん、年齢的には合わない役かもしれない。でも、役者は年齢じゃないと思う。特にミュージカルの場合、テレビと違って客からそんなにアップで見られるわけではないのだ。遠目に見て違和感がなく、かつ歌に感情がこめられるなら、それでいいと私は思う。

 演劇の世界では、年齢の枠を作らない方が幅が広がる。

 知寿さんは、よくよく考えてみると、ダンヴァース夫人というよりは「わたし」がハマる気がするのだ。

 ダンヴァース夫人の持つ「暗」のイメージ。「わたし」の持つ「明」のイメージ。

 知寿さんに似合うのは、「わたし」役の方だ。

 役者さんにはそれぞれ、その人の持ち味がある。個性というか、努力しなくても、にじみでてくる雰囲気。

 山口さんは「暗」だし、知寿さんは「明」なんだよね。

 もちろん、本当の性格がどうなのか、そんなことはわからない。あくまで、表面的にぱっと見て、私が感じているイメージ。

 レベッカという物語の中で、マキシムが「わたし」に惹かれたのは、「わたし」の持つ光の特性だと思う。

 マキシムに寄せる、まっすぐな心。明るさ。暖かさ。そういうものが、マキシムの持つ傷を癒したんじゃないだろうか。少なくとも、「わたし」と出会ったマキシムは、そこに自分の痛みを軽減するなにかを見出し、それにすがって再婚したんだと思う。それが、その時点では「愛」とまでは呼べないにせよ。

 自分の中に暗さがあるから、光を求め。冷たくて、凍えて、寒いから温かさを求めた。それが、マキシムが「わたし」の中に見出した光であり、熱だったのかなあと思うのです。

 知寿さんの、舞台に立ったときの華がそのまま「わたし」に重なれば。すごく素敵な舞台になりそうです。観客だって、すぐに引き込まれてしまうでしょう。マキシムと一緒になって、「わたし」を好きになってしまう。

 マキシムという人間は。

 結局、レベッカをとても、愛していたんだなあと思う。というか、私だったら、そういう脚本にするだろうなあ。その方がドラマチックだから。

 本当に心から愛していた人に裏切られたら。真っ暗です。もう何にも見えなくなる。レベッカを憎む? 憎むよりも、悲しいと思う。ただひたすら、悲しい。マキシムの思ったレベッカではなかった。マキシムの思ったレベッカが、現実には存在しないというその事実に、打ちのめされる。

 でも、マキシムが心底、レベッカに恋した過去は、そのまま残ると思うんですよね。甘い記憶と共に。そのとき、マキシムがレベッカを愛おしいと思ったその気持ちだけは、真実だから。

 館に残るレベッカの不気味な気配。ダンヴァース夫人がレベッカを敬愛しているから、ということだけが理由ではないような気がします。

 マキシムの思いが、そこにはあったのではないかと。

 否定しながらも、愛の幻影はいつも、そこにあったということで。

 癒していくのは、「わたし」です。

 「わたし」の光が、マキシムの闇を照らし、凍りついた心を溶かす。

 虚勢を張っていても、マキシムはきっと、救いを求めてたんだろうなあ。少しでもこの痛みが和らぐなら・・・そして、手を伸ばした先には、「わたし」がいる。

 「わたし」には、マキシムを理解することはできないでしょう。

 それは、「わたし」がマキシムのような底を見たことがないから。でも、それでいいんです。マキシムもきっと、すべてをわかってもらおうなんて、わかってもらえるなんて思っていない。

 ただ、陽だまりのような心地よさに、浸っていたかったのかな。

 ダンヴァース夫人は、「暗」だと思うので、私が以前希望として書いていた森公美子さんだとキャラが違ってくるかなあ。声量あるので、迫力は出ると思うのですが、シルビアさんの方が雰囲気は合ってるような。

 あの扮装写真の、じわじわくる恐怖感。シルビアさんがここまでハマるとは思いませんでした。あとは歌。劇場いっぱいに、鳴り響かせてほしいです。ダンヴァース夫人が歌えないと、舞台のスケールが小さくなってしまう。

 もし森さんがダンヴァースを演じたら。

 少しコミカルになってしまいそう。「レ・ミゼラブル」のテナルディエ夫人の印象が強いから。

 ダンヴァース夫人には、声量もそうですが、歌声の中に狂気をはらむという難しい技術も要求されると思います。妄執ですね。ストイックに突き詰めすぎて、その対象を失くしたときに、狂ってしまった。物悲しさと、激情と。

 「わたし」をじんわりと、360度囲いこんで。気がついたら這い出る隙間など一ミリもなかった、みたいな、そんな攻め方をして欲しいです。

 これ、2006年の「ダンス・オブ・ヴァンパイア」のように、演出次第では大化けする演目ではないでしょうか。自分なりに想像のキャスティングしたり、演出を想像したりするうちに、ワクワクしてきました。楽曲もいいですしね。

 シルビアさんは、雰囲気はドンピシャでハマっているのですが、やはり声量が少し、心配です。それさえクリアすれば、素晴らしいダンヴァース夫人になると思う。

 「わたし」役の大塚ちひろさんは・・・。うーん、すみません。正直な話、あまり「わたし」のイメージではないかなあ・・・。ちょっと、違う。上手く言えないけど、大塚さんは果たしてマキシムを好きになるのだろうかってところに、疑問があって。

 「ダンス・オブ・ヴァンパイア」のサラのイメージで見ているっていう部分もあるかもしれないけど、わりと今どきの女の子っぽい雰囲気なので。

 マキシムの持つ謎めいたオーラに、惹かれそうもないというか・・・。

 

 実際舞台が始まってみないと、それぞれの出演者がどれだけ予想外の演技をみせてくれるか、それはわかりません。楽しみです。

もしも私がレベッカポスターを作るなら

 いつの間にか、東宝ミュージカル「レベッカ」のHP画像が新しくなっていた。その構図が、どうにもイケてない。

 

 私、レベッカには期待しているのですよ。それだけに、あの画像はどうかと思います。以下、レベッカに関して私の戯言が続きますが、あくまで個人的な意見ですし、ストーリー上のネタバレも含んでいますのでご注意ください。

 まずなにより。山口さんのカツラが似合ってない・・・。なんでかなあ。下の方に小さく写っているキャスト紹介と、同じカツラっぽいのに。下の方の写真は、すごく好き。冷たい目をして、うかつには近付けない威厳を漂わせたマキシム。カッコイイ。

 なのにどうしてあのトップページの大きな写真だと、浮いてみえるんだろうか。いかにも「カツラかぶってま~す」みたいな。

 

 髪型に関しては、「わたし」役の大塚ちひろさん、「ダンヴァース夫人」役のシルビアさんは、いい感じ。特にシルビアさんは、ひっつめた髪が神経質っぽくて、キャラに合っている。きっとダンヴァース夫人は完璧主義者だろう。だから、毎朝、鏡の前で何度も念入りに、髪を整える。おくれ毛の一本一本を、丁寧に撫でつけて。

 鏡の前で一心不乱に、鬼気迫る勢いで身支度を整えるダンヴァース夫人の姿が、容易に想像できる。そんな、扮装写真なのである。

 その強い視線の先には、おそらくレベッカがいる。

 レベッカの姿は画像としてはないけれど、きっとダンヴァース夫人は目の前にありありと、レベッカの姿を思い描いているんだろうなあ。まだ生きていたときとなにも、変わらないように。

 ダンヴァース夫人の出来上がりが最高なだけに、マキシムと「わたし」の、構図のまずさが目立つ。なにがいけないって、マキシムが「わたし」の肩を抱き、同じ方向を見つめているところがそもそも間違いだと思う。

 物語の前半で二人の心はかけ離れていると思うから。スピード結婚した二人ではあっても、お互いに全く、わかりあえてはいない。「わたし」が抱くマキシムへの恋慕、それと同じ位大きな不安。頼りたいのにその人がみえない。その人がなにを考えているかわからない。

 館のあちこちに残るレベッカの気配、それに怯える「わたし」の表情ではない、と思う。

 なぜ、マキシムが「わたし」を背中から抱いているんだろう。そっと重ねられた二人の手。この画にキャプションをつけるとしたら、こんな感じだ。

 「さあ行こう。僕たちの行く手になにがあっても、君を守るから」

 「ええ。信じてる。あなたと一緒なら、どんな未来も恐くはないわ」

 昭和の香がするのは気のせいでしょうか(^^;

 愛する相手に愛されて、それを確信できたなら。ちっともミステリーにはならないんですよ。だって、それってただのハッピーストーリーですもん。どんな苦難があっても、むしろそれは愛を深める小道具にしかならない。

 たぶん、「わたし」がマキシムの愛を確信していたら、この話は最初から成り立たないかと。どんなにレベッカの気配が館を支配しようと、恐くないですからね。

 私、思うのです。マキシムと「わたし」は、少なくとも結婚の時点では、それぞれ違った方向を向いていたんだろうなって。だから私がもしポーズを指定できるとしたら、こうしますね。

 マキシムと「わたし」が抱き合っている。「わたし」は、マキシムを理解しきれない不安と、愛する人に抱きしめられた幸福感と、その二つが混ざり合った表情で。でも、幸福感が勝っている。不安との対比は、8:2ぐらい。新婚だし(^^;

 マキシムの広い背中を、「わたし」の指がしっかりと抱いている。

 若くて、何も知らないお嬢さんな手。白くて、幸福を信じている手。

 一方マキシムは。「わたし」を抱きしめて、なのに心ここにあらずという表情。厳しい目で、遠くを見てる。その何かはマキシムの心を苛み、かきむしり、痛みは常に、心から消えることはなくて。

 通い合わない心、というのが、一目でわかるポスターにするなあ、私なら。

 だ、大丈夫なのかしら、この人たち・・・という違和感のあるカップルに仕立てて、それを、柱の影からじっと見つめるダンヴァース夫人、みたいな。

 ダンヴァース夫人の目には敵意を。

 マキシムの目には、レベッカを。

 マキシムの目。漫画で言うなら、「ガラスの仮面」の真澄さん状態で。白目って感じでしょうか。顔に斜線が入ったイメージでいきたいですね(^^;

 今の構図のままだと、なんだか、<愛し合う二人を襲う悲劇! 仕組まれた罠! ~私達の愛は永遠に変わらない~ 次回、ご期待ください>みたいなんですよ・・・。

 それ、ちょっと違うと思うんです。

 「わたし」がマキシムに対して抱く不安が、全然表に出てなくて。それこそが、この物語のカギになるはずなのに。

 ちょっと長くなってしまったので、続きはまた次回。