オペラ座の怪人(映画)を語る その2

昨日の続きです。ネタバレありますので未見の人はご注意を。

 カルロッタが予想以上によかった。気持ちいい高音を、これでもかとばかりに聞かせてくれる。自信が体中からあふれている感じ。誰もが跪かなければ気がすまない、わがままで高慢でプライドが高くて、そしてそれだけの実力を十分に備えている歌姫。

 表情もよかったし、言葉が少しなまった英語であるところもおもしろかった。

 クリスティーヌと対照的な、完成された歌の技術、というものが楽しめた。ファントムの言うとおり、この先にピークがくることはないだろう。だけど、頂点に立った、もしくはそれを下りかけたベテランのうまさ、というものはきちんと見せていてくれた。

 わがままっぷりが気持ちいいです。ここまでつきぬけてくれたら、見ていて気持ちいい。カルロッタがそういうキャラでいてくれないと、クリスティーヌが引き立たないから。単純で、ほめられるとまんざらでもなさそうに、にやりと笑う、そういうところがツボでした。クリスティーヌに見せるむきだしのライバル心がよかった。力関係は、オーナーより歌姫の方が上なんだろうか? アンドレとフィルマンのコンビが、一生懸命ご機嫌をとりもつシーンは笑いました。メロディとセリフが、ぴったり合っていたように思います。

 私の好きなシーン、そして曲は、ドンファンの勝利を上演しているときの Point of no return です。ここのクリスティーヌVSファントムはよかった。ドンファンの勝利、そのものが不気味な雰囲気なのですが、そういう舞台を背景に歌うこの曲の美しさ。うっとりでした。この曲の物悲しさ。あふれる激情を理性で抑えて、ピアンジになりすまして歌うファントムの、クリスティーヌをみつめるその目。

 書いていたら感動が甦ってきました。ファントムにとって、顔は最大のコンプレックス。この顔のために、人生から幸せはすべて奪われたと思っている。だからこそ舞台の上で、他人になりすますことで初めて、素直な気持ちでクリスティーヌに告白できたのではないでしょうか。仮面をかぶり、別の人間の役を演じているシチュエーション。でも、歌っているのは自分の本心。これ以上は隠せないあふれる思いを、真正面からクリスティーヌにぶつける。こういう形でしか告白できなかったのは、小心者ゆえだと思いますが、その弱さがせつないです。

 クリスティーヌは、彼がファントムだとわかっていながら音楽の魔力に絡みとられ、どうしようもなく引き寄せられ、心を委ねていく。その過程が、すごく繊細に表現されていたと思います。映画だからこそ、細かい表情がみられる。ファントムに連れ去られる恐怖は絶望なんだけれど、どこか甘美な香りも秘めていて、その誘惑に抗えないクリスティーヌ。

 

 そしてファントムは、屋上で聞いたラウルの愛の歌と、同じものを歌うのです。ここらへんのファントムの心情を思うと、泣けますね。あのとき、屋上で両思いの2人を見て、彼はどんなにかラウルに成り代わりたいと思ったんだろうと。ああいうふうに愛を囁いてほしかったんでしょう。そして自分も、堂々と、クリスティーヌを見つめて笑顔をみせたかったんでしょう。現実の自分は、仮面で顔を隠し、舞台で演じるふりをして、心を打ち明けることしかできない。その心細さ、臆病さ。彼のプライドからいったら、ラウルと同じ歌で告白するなんて恥ずかしいことだったと思うんです。だけど、そうしたのはうらやましかったから。あのときの2人がうらやましかった。あのときと同じクリスティーヌを手に入れたかった。それなのにまたしても、肝心なところで仮面をはがされ、最後まで愛の歌は歌えない。

 

 地下に下りたファントムとクリスティーヌ。その後はもう、ファントムの美学などふっとんでしまいます。プライドもなにもかなぐり捨てて、ただ一途にクリスティーヌの愛を乞う。そうやって無理やり手に入れた愛情など、虚しいとわかっていてもそうせざるを得ない。追いつめられたファントムにとって、もう失うものはなにもなかったんでしょう。

 最後まで正義のヒーローだったラウルと、あまりにも対照的なファントムの姿がせつないです。ファントムとラウル、そしてクリスティーヌが、自らの思いをそれぞれに歌い上げるシーンは、歌はいいのですがもう少し工夫がほしかった。それは、ラウルの首に縄がかけられるところがちょっと、ドタバタしすぎだったから。

 人間離れした、超絶的な技でラウルを捕えてほしかったなと思います。そうすれば、ファントムの圧倒的な力が伝わってくる。クリスティーヌの言葉次第で、ラウルの命は簡単に消える、そういう、緊張の糸がぴんと張り詰めるシーンにしてほしかった。

長文になったので続きはまた明日。

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オペラ座の怪人(映画)を語る その1

映画「オペラ座の怪人」を観た感想。いい!!! かなりいい!!! CDをさんざん聞きまくって、自分の中にかなり詳細な世界が出来上がっている私のような人間には、舞台よりもこの映画の方が合っていたと感じた。以下ネタバレしてますので、未見の方はご注意を。

 主役の3人が本当に魅力的。まずファントム役ジェラルド・バトラーね。仮面に隠された顔以外は、はっきりいって美男子です。自信にあふれていて、歌もうまいしセクシー。そりゃ、クリスティーヌもふらふら魅入られてしまうというものです。

 そして泣き顔がまた、可愛い。子供みたいだなあと感じた。思わず「よしよし」と抱きしめてしまいたくなる可愛さです。

 クリスティーヌ役エミー・ロッサム。いつもなにかを夢見ているような、という形容がぴったりきますね。透き通った声が耳に心地いい。完成されていない、危うさをもった歌声がクリスティーヌにぴったり。ファントムに惹かれる表情が真に迫ってました。ラストシーンで、同情と愛情と尊敬の入り混じった表情を見てしまったら、そりゃファントムも惚れ直すってものです。ラウルと無邪気に盛り上がるのも、可愛らしかった。全身から若さがあふれてました。肌もつやつやで、若いって素晴らしいなと思ってしまった。

 ラウル役パトリック・ウィルソン。長髪がよく似合ってました。若くてまっすぐで、ファントムとはことごとく対照的。リアル「白馬に乗った王子様」でした。クリスティーヌを愛し、命がけで守ってます。舞台版を見たときにはラウルのこと、あまり好きじゃありませんでした。でも映画版ラウルは、本当にいい人なんです。こんなにいい人なら、そりゃクリスティーヌがラウルの元へ走ったのも無理はない。このラウルを見てしまうと、「ファントムの方が素敵じゃん。なんでクリスティーヌはラウルを選んだの?」とは言えなくなってしまう。

 

 映画版が舞台よりいいなと思ったのは、なにより音楽ですね。音がすごい迫力だった。それと歌が、「これ歌い終えたら倒れます」くらいの気合が入っていて、ずしんと重みがありました。これは映画だからできること。舞台だと毎日ですから、ここまで気合入れたら体壊します。

 あと、映像がとにかくきれい。雪に映える真っ赤なバラとか、色彩のセンスがいい。そして、舞台のシーンはとにかくゴージャス。マスカレードのあの人数。あの動き。圧巻でした。

 細かい動きまではっきりみせてくれるのも、映画ならではですね。私は舞台でオペラグラスを使うのは嫌いなので、よほどいい席でない限り細かい表情や動きなんて舞台では見えません。でも映画では、細かいしぐさや人の表情がじっくり見られました。

 冒頭のオークションシーンから、時代がさかのぼってオペラ座の舞台裏が映し出されるシーン、大好きです。舞台の稽古中の、雑然とした雰囲気。名もない多くの俳優、踊り子たちの生き生きとした姿。なんだかせつなかったのです。こういう風景、大好きです。これを見られただけでも、映画をみた価値はあったと感じました。当時のオペラ座の雰囲気が、よく伝わってきます。

 私が唯一泣いたのは、屋上にてラウルとクリスティーヌが愛を確かめ合うシーン。ファントムが影に潜んでいて、ずっと2人のやりとりを聞いているところが可哀想でした。ファントムの渡したバラが、クリスティーヌの手からこぼれおちてしまう。2人が楽しそうに去っていった後、それを拾い上げて嫉妬に狂うファントムの声が、なんともいえません。空に向かって思いきり叫ぶファントムの姿が、印象に残りました。

 マスカレードのシーンはよかったー。まさに仮面の渦。あれだけの人数、きらびやかな色彩の波をみせられると、圧倒されて言葉を失ってしまいます。でもファントム登場とともに、波がさーっと引いてしまう。仮面舞踏会でも、異形のオーラは人の波に溶け込めなかったんでしょうか。

~続きの感想はまた明日~

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オペラ座の怪人 観劇記 (劇団四季) その2

昨日に続いて、劇団四季の「オペラ座の怪人」について語る。ネタバレありなので、未見の方はご注意ください。

全体の中で、心に残ったシーンをいくつかあげてみる。

1 1番最初のオークションシーン。ラウルの声がよかった。昔を懐かしむ声で、だけどいろんな思いがこめられていて、複雑な感情がよく出ていた。クリスティーヌのことを心底大事にしていたんだな、と感じた。動きはいかにも老人。

2 仮面をクリスティーヌに初めて剥ぎ取られたファントムが、背中を丸めながらうずくまるシーン。実は、1番心に響いたのはこのシーンだったかもしれない。口汚く罵りながら、泣いてるようにも思えた。

3 1番最後。セリフの訳がいいのだ。これはかなりの名訳だと思う。英語詞よりも、むしろ日本語の方がいい。壮大なひとつの物語の終焉を実感する。ファントムの声に含まれている達成感というか、絶望を通り越したすがすがしさが救い。

泣けなかったのは意外だった。CD聞いてボロボロ泣いたから、きっと舞台ではその迫力に圧倒されるだろうなと思ったんだけれど。その原因はやはり、私の思っていたクリスティーヌと違ったからかな。もちろん、いろんな解釈があって当然だし、佐渡さんが演じたのもまた、1つのクリスティーヌ像だったんだろうし。

ただ私は、クリスティーヌには、ファントムを愛してほしかったのだ。ラウルという、非の打ち所がない白馬の王子様に求婚されながら、どうしようもなくファントムの才能、なによりも音楽に魅入られていく姿が見たかった。私が見た舞台のクリスティーヌは、ファントムになんの好意も抱いていないようにみえたから、それはちょっと悲しかった。

たぶん、そういうクリスティーヌに愛情を注ぐのは、難しいことなんじゃないだろうか? ファントムだって、まったく愛情がない、嫌悪されている相手に執着はしないと思う。ずっと見守って、ただひたすらに愛情を求めたのは、クリスティーヌが自分に惹かれていることを知っていたからだ。

舞台でオペラ座の怪人を演じるなら、そのときだけは役になりきって本当の恋人同士のような愛情や、嫉妬を感じてほしいと思うのだが、あれほどにラウルとラブラブなクリスティーヌを見てしまうと、ファントム役の高井さんも感情移入が難しかったと思う。クリスティーヌはファントムのことを、ストーカーのように思っているんじゃないかと、客席にいた私にはそう見えた。

役者さん同士の相性もあるんだろうか。違う組み合わせなら、また違う感想なのかもしれない。

それと舞台を見ていて思うのは、これほどの大作を毎日同じ人が演じるのは無茶じゃないかなーということ。オペラ座の怪人は、いろんな感情が爆発する舞台だ。愛情、嫉妬、怒り、絶望。それをあますことなく表現して、かつあの難しい歌の数々をきちんと歌い上げて、それを連日というのは厳しすぎるような気がする。本気で演じ、100パーセントの力を出しきったら、翌日はせめて一日休養しないと体力も心も回復しないと思う。

明日があると思えば、自然とセーブすることにもなると思うのだ。理想を言えば、ファントム役とクリスティーヌ役は、3日に1度の出演ペースがいいんではないかと。シングルキャストである必要はない。違う人が演じれば違う個性が出て面白いし、休養して回復すれば歌いたくてたまらなくなるはず。それだけの魅力がある楽曲だもの。翌日から2日休めると思えば、1回の舞台にかけるエネルギーの量は違ってくるんじゃないのかな。

あと、オーケストラの人数をもう少し増やしてくれたらうれしい。オペラ座の怪人は、その曲の美しさが最大の魅力。役者がいくら上手に歌っても、オーケストラの迫力がないとちょっとさみしいから。

以上、実際に舞台を見た感想を思いつくままに語ってみた。明日は映画版「オペラ座の怪人」の感想を書く予定。

オペラ座の怪人 観劇記 (劇団四季) その1

先日、初めてオペラ座の怪人を舞台で見た。CDで何度も何度も繰り返し聞いた、耳慣れた音楽。舞台を見る前に、あまりにも何度もCDを聞いたので、空想が膨らみすぎて、実際に舞台を見て驚いた部分もあった。

以下、ネタバレになる部分もあるので、未見の方はご注意ください。

出演者は、ファントム 高井治 クリスティーヌ 佐渡寧子 ラウル 石丸幹ニなど。(敬称略)

電通四季劇場「海」は、全館禁煙というのがまずよかった。ロビーの煙くささに悩まされることなく、快適に観劇できた。ただ、チケット売り場横のカフェが、たばこ臭くて参った。あそこを通るたびに、息をとめてしまう。全館禁煙にするなら、チケット売り場横の喫煙スペースもなんとかしてほしい。あそこのカフェを禁煙にして初めて、全館禁煙の意味が出てくると思う。

それと女性用トイレが、和式と洋式混合なのでびっくりした。新しくできたピカピカの劇場なんだから、全部洋式でいいと思う。使いやすさは断然洋式である。なぜ、あえて和式を作ったのか不思議。

さて、舞台を全部見終わった感想を一言でいうと、「可哀想なファントム」という一語に尽きる。それは、クリスティーヌの愛を得られなかった、という意味ではない。それ以前に、「なんであんなクリスティーヌを好きになっちゃったの?」という意味である。

一番のクライマックス。ラウルの命を救うために、ファントムにキスをするクリスティーヌ。そこにはあまり悲壮な決意というものが感じられなかった。むしろ、「わかったわよ! なんでもすればいいんでしょ!」 というクリスティーヌの怒りというか、やけっぱちの感情があふれていた。

2度キスするんだけど、2度目はもう、見ていて気の毒になってしまった。プライドの高いファントムにとって、明らかに愛のないキス。恋のライバルのために捧げられたキスは、ファントムにとって虚しいものだっただろう。たぶん、そのときはっきりと、クリスティーヌに失望したんだと思う。

クリスティーヌを抱きしめようとして、結局できなかった手が物悲しかった。せめて、同情ではない別の、ラウルに対するものとはまた別の愛情を、クリスティーヌから感じられたらよかったのに。そしたら舞台はもっと、せつないものになっていただろう。

高井ファントムの声は魅力的だった。声量もあるし、クリスティーヌが魅入られるのも十分納得できる。歌の技術もそうだけど、声そのものに艶があっていい感じ。ただ、クリスティーヌへの愛は、今ひとつ感じられなかったかな。観客の私もクリスティーヌに共感しなかったくらいだから、それも無理はないかなと思ってしまった。

佐渡クリスは、序盤の歌にちょっとがっくりしてしまった。みんながブラボーというほどには、光るものがなかったような気がする。最初から最後まで、全然ファントムのことを好きじゃないんだろうなあ、という感じ。ラウルのことを好きだから、邪魔をするファントムをうるさがっているような雰囲気を感じてしまった。

ただ、佐渡クリスのいいところは、相手の歌に刺激を受けてどんどん変化していくところ。ラウルと歌うとき、あるいはファントムと歌うとき、どんどん相手のうまさに呼応して、自分の歌が変化していくところが見事だった。ソロで歌うときは普通なのだが、ラウルやファントムと歌うときは、数倍うまく歌っていたと思う。全然、迫力負けしていなかった。思わずひきこまれる力があった。

ソロで歌っているとき、迫力はなくてもいいけどもう少し、透明感というか光るものがあったらよかったと思う。

石丸ラウルは、お坊ちゃまぶりがすごくキャラに合っていると思う。恵まれた育ちや、子爵としての自信が声にそのまま現れていた。あふれる正義感はまぶしいばかりで、それを目にしたファントムの苛立ちや嫉妬は自然なものだ。ファントムが欲しかったもの、あったらいいなと願っているものを全部持っている人をうまく演じていた。華があるから、舞台に立ったとき人目をひく。

まっすぐで、正直で、世の中の暗い部分をなにも知らずに育ってきた、という雰囲気がよく伝わってきた。まさにラウルは、はまり役。

ファントムをちっとも愛していないクリスティーヌ、というのは、私にとって衝撃だった。ラウルとファントムの間で揺れ動くところがひとつの見せ場だと思っていたので。舞台を見る前に、いくつかインタビュー記事を読んだのだが、佐渡さんはクリスティーヌがラウルを選んだのを当然と考えていたみたいだ。それに対して高井さんは、なぜクリスティーヌがラウルに走ったのか不思議だ、と思っているようである。

舞台の上に、そうした佐渡さんの思いはしっかり現れていたような気がする。あまりにも、あまりにも愛がなかったから・・・・。

そういうクリスティーヌ像をつくることも、解釈の一つとして面白い。結局、誰からも愛されなかったファントム。それはそれで、悲劇の主人公だ。

これは私の勝手な感想なのだけれど、もし私がファントムだったら、「ラウルの命を救いたければ俺を選べ」と無理難題をつきつけて、あげくに、「わかったわよ!」と投げやりのキスをされたら、たぶんすごくショックを受ける。心のこもっていないキスだってことは、肌で感じるから。キスの後、またショックを受ける。待ち望んでいた愛しい人のキスが、なんの喜びももたらさない。それどころか、ひどく惨めな気分をもたらすだけのものだと知ったから。一片の愛情もない。いつか愛してくれるという希望さえ持てない、心を100パーセントラウルに捧げたキス。

その後、これでもかとばかりに、怒りのこもった軽蔑のキス。2度目のキスをされたら、心は完全に砕け散るだろう。そもそも、どうしてクリスティーヌを好きになったのか、自問自答しそう。心に抱いていた理想と、現実のクリスティーヌの違いにがっくりきて、100年の恋も一気に冷めるな。

指輪を返しにきたクリスティーヌにかける言葉は、この場合、過去形がふさわしい。もう、愛情などないのだもの。このときの佐渡クリスの雰囲気も、「同情」「哀れみ」「恐れ」「警戒」だった。そこに、愛情はなかったように思う。

長文になったので続きはまた明日。オペラ座の怪人は大好きなので、語り始めると止まらない。