紫織さんに同情する、ただ一つのこと

 地上の星だって、空の星に負けず劣らず、美しいのである。
 先日、観劇のために久しぶりに高層ホテルに泊まって夜景を眺めたのですが、目の前に広がる宝石のような光の美しさに、うっとり心を奪われた一夜でありました。
 上空を見上げると、台風一過の夜空に、満月は煌々と輝き。その光に負けて、星はあまり見えなかった。その分、眼下には一晩中消えない地上の星が、ずっと光を放ち、目を楽しませてくれたのです。

 私は、紫織さんには全く共感も同情もしていなかったのですが、高層階で都会の夜景を見て思いました。

 紫織さんが都会の夜景を好きだと言ったことを、速水さんが婚約解消理由の一つにしたこと(価値観の違いということで)は、よくよく考えてみると気の毒だったというか、筋違いだよな・・・と。

 紫織さんとは、『ガラスの仮面』という漫画に出てくる、ヒロインの恋のライバルです。蝶よ花よと育てられたお嬢様は、都会育ち。空の星より、地上の星に親しみを覚えても、おかしくはないわけで。

 24時間人工的な灯りが消えない東京では、見える星の数も、限られてしまいます。実際に山奥の、真っ暗な空に降るような星空を見たら感動もするし、自然の神秘に圧倒されもするでしょうが。今、紫織さんが夜景の方が好きだと言っても、それをもって「この人とは感性が合わない」とするのは、どうなんでしょう。

 言い訳にすぎない、と思ってしまいました。
 確かに速水さんは、紫織さんに対していわゆる「生理的に無理」状態なんだと思いますが。
 それは、別に都会育ちの紫織さんが「夜景が好き」だったからではなく。

 まあ、紫織さんという人間そのものが、恋愛対象ではなかったと、ただそれだけのことだと思います。

 もしあのとき、紫織さんがマヤだったら。
 マヤが都会育ちで、田舎の満天の星空を(梅の里含め)一度も見たことがなく。速水さんと一緒にいる高層階の窓辺で同じような発言をしたら。ということで、妄想シチュエーションが浮かびましたので書いてみました。以下、勝手な創作ですので、そういうのが大丈夫な人だけどうぞ。

 (完全な創作です)

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マヤ☆速水さん、ほら。星は見えないけど夜景がきれいですよ。

真澄☆ハハハ。チビちゃんが夜景を好きだなんて、食欲だけじゃないんだな。

マヤ☆もう。馬鹿にしないでください。(頬を膨らませて拗ねる)

真澄☆おれは・・地上の光より、空の星が好きだ。

マヤ☆速水さんこそ、ロマンチストなんですね。星が好きなんて。でも都会じゃ星はよく見えないでしょう?

真澄☆そうだな。だが、人気のない山奥なら、天の川まではっきり見えるぞ。きみは、見たことがないのか。

マヤ☆あたし・・見たことないです。でも・・いつか見てみたい。(夢みるように、遠くをみつめる)

真澄☆地上の光が邪魔しない暗闇で見る星空は、圧巻だ。それを見たら、きみの考えも変わるかもしれないな。

マヤ☆本当に? あたし・・あたし・・・(速水さんと一緒に見たい。でも、そんなこと言えるわけがない・・・)

真澄☆(マヤと一緒に星を見ることができたらどんなにいいか。しかし、夢だな。叶うことのない夢)

マヤ☆・・・・・・。

真澄☆・・・・・・。

マヤ☆あたし、行ってみようかな。

真澄☆なんだ、いきなり。(戸惑いの表情)

マヤ☆今度の日曜、お休みなんです。あたし、行ってみます。速水さんが好きな満天の星空、見てみたいから。

真澄☆・・・・・・。(どういう意味だ。おれが好きな星空を、見たい、だと・・・?)(白目)

マヤ☆ひとりになって考えたいこともあるし。天の川見たいです。(あたしの願いは、永遠に叶わない)

真澄☆おれも行こう。

マヤ☆え? (嬉しいけど、速水さん忙しい人なのにどうして?)

真澄☆きみはおっちょこちょいだからな。真っ暗な山で迷子にでもなったら困る。チビちゃんには保護者が必要だろう?

マヤ☆あたしチビちゃんなんかじゃありません!

真澄☆口の端に、チョコレートソースついてるぞ。

マヤ☆(真っ赤になって唇をごしごし手で拭う)

真澄☆おれも・・・見たいんだ、久しぶりに。

マヤ☆あたしのこと心配して言ってくれてるんなら、本当に大丈夫ですから! それに、速水さんは婚約者がいるんだし、あたしなんかと一緒にいたら・・・。

真澄☆(途端に白目になる。こめかみに縦線)

マヤ☆(紫織さん・・・速水さんにお似合いの、きれいな人・・・あたしなんか・・・)

真澄☆(これが最後だ。マヤと一緒に、満天の星空が見たい。それを最後に・・・)

マヤ☆本当に、あたし一人で大丈夫ですから・・。

真澄☆遠慮するな(穏やかな微笑が浮かんでいる)

真澄☆きみは紅天女の主演を競う、大事な体だ。きみが嫌だといっても、付き合わせてもらおう。(マヤと星空が見られる・・・)

マヤ☆・・・・・・・。(嬉しい。速水さんがあたしを気遣うのは、あたしが紅天女候補だからって、それはわかってるけど。それでもいい。速水さんと一緒にいられるなら。)

真澄☆・・・・・・・。(マヤ。満天の星空、きっときみも気に入ってくれるだろう)

(熱くみつめあう二人。言葉はない)

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 以上、完全な想像でした。
 いやー、これ書いてみて思ったのですが、この星問答。相手が紫織さんじゃなかったら、このシチュエーションはラブシーンへの序章でしょう(^^;

 相手が紫織さんだから、速水さんは引いただけで。
 むしろ、それを口実に「おれにはこの人は無理」と婚約解消を正当化できて、ほっとした面もあるのかなあ。
 速水さんは心の奥底でいつも、紫織さんと自分の相違点を、数え上げていたのではないかと。ここも違う、あそこも違う。結婚なんて、絶対に無理だ、と。

 「夜景が好き」と言われても、相手がマヤだったら、喜んで星の見える山奥へ連れて行ってあげるでしょう。自分が好きな星空を、嬉々として一緒に眺めるでしょう。

 それに。紫織さんだって。
 もし速水さんが山奥に連れて行ってくれて二人っきりで星を眺めたら。

 「星は、こんなに美しいものなんですのね。わたくし、地上の銀河よりこの、天空の星空が好き」

 頬を染めながら、あっけなく考えを改めるんじゃないかと。お世辞じゃなく、感動すると思いますよ。初めて見る満天の星空。隣に、最愛の速水さんがいれば、気持ちは当然盛り上がりますしね。そりゃあ、都会の夜景より、二人きりで見た特別な星空の方を好きになるでしょう。
 じゃあ、そうなったら速水さんが紫織さんを好きになるかというと、その可能性は果てしなく低い、ような。

 まあ、要するに。同じことを言ったりやったりしても、好きな人だったら全面的に肯定ということですよね。
 紫織さんが速水さんに好かれようと思って、速水さん好みの言動を心がけたとしても、結局は駄目だと思う。
 同じことやっても、マヤだと許されて、紫織さんだと許されない。理不尽といえば理不尽だけど、誰かを好きになれば、それが現実なのかなあという気がします。

 ○○だから好き・・・っていう、条件付きの愛情は。つきつめてしまえば、条件じゃないと思うんです。
 だって、まったく同じ条件の人がいて、その人を好きになるかといえば、そんなことはないわけで。

 唯一無二の人。
 他に、誰にも代わることなんてできない。
 どうして好きになったのかもわからない。その人だから、好きになったんです。速水さんにとっては、マヤがそういう存在だった。

 マヤがいなければ。速水さんはそれなりに穏やかな結婚生活を送ることになったのかなあ、と想像しました。魂のかたわれに出会ってしまったからこそ、それ以外の人と過ごすことに耐えられないわけで。
 出会わなければ知らなかった感情。
 出会わなければ持たなかった希望。

 苦しいけど。でもそれを知らずに過ごす穏やかな生活より、知ってしまった後の世界を、速水さんは選ぶだろうと思いました。 

亜弓さんの試練が、別のものだったなら

 今月号の別冊花とゆめは買いません。

 だって、亜弓さんとハミルさんがメインで、マスマヤ話は出てこないみたいだから(^^;
 私は、速水さんとマヤのその後の展開が見たくて続きを楽しみにしているのだ。到底、買う気になれない。

 亜弓さんに関しては、コミックスになったときに読めれば十分、とか思ってしまう。ほとんど興味がない。
 亜弓さんの苦悩って、傍から見ていると浅く思えてしまうんだよなあ。

 共感も同情もできない。生ぬるい感情。

 むしろ、亜弓さんの試練は目より、生家の没落だったほうが、ドラマチックで説得力があったかもしれないと思う。

 親の七光りから抜け出したい彼女が、すべてを失って初めて、親のありがたさに気付く、とか。

 以下、ちょっとだけ想像してみました。
 あくまで個人的な想像なので、不快に思われる方もいるかもしれません。そうしたパロディでも大丈夫な方だけ、以下をお読みください(^^;

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 姫川監督が、私財を投じて作った大作が興行的に大失敗。多額の借金を抱えて姫川邸には債権者が押し寄せる。

 仲のよかった夫妻の大喧嘩。亜弓さんの前で繰り広げられる口汚い罵りあい。

 やめて、と駆け寄った亜弓さんを突き飛ばす、優しかったはずのパパ。現実から逃れるように、共演者との不倫にのめりこんでいくママ。

 今まで当たり前だと思ってきた幸せの価値を、初めて知る亜弓さん、とか。

☆わたしが今まで信じてきたものはなんだったの?
☆いらないと思ってた。パパの愛も、ママの愛も。そこから逃げ出したくてたまらなかった、姫川の名が、今はこんなにも懐かしくて、温かい。
☆今初めて、マヤ、あの子の気持ちがわかった。あの子はずっと一人で戦ってきたのね。親の名前も、味方もなく、たった一人で。

 姫川家のスキャンダルは、芸能マスコミの格好の餌食となり。今まで亜弓さんをもてはやしていた大勢のとりまきは、さっと波の引くように姿を消し。

 ひとりぼっちになった亜弓さん。
 姫川監督は債権者の激しい督促に耐えかねて、失踪。姫川歌子は親子ほど年の離れた、若手俳優との恋にのめりこみ。
 姫川家は崩壊。

 住み慣れた姫川邸を、明日には出ていくことになり、真夜中にたった一人。家具すべてを売り払い、がらんとした邸内。月の光の射しこむ窓辺で、過去を振り返る亜弓さん、とか。

 そこに登場するハミルさん・・・。

☆アユミ。ワタシはここにいます
☆ハミルさん。もういらっしゃらないと思っていましたわ。
☆写真を撮っても、イイデスカ。
☆今の、わたしを?
☆アユミは、カワリマセン。ワタシのカメラに映るアユミは、なにひとつカワラナイ。
☆ハミルさん・・・

 そして、彼女はハミルさんのもってきたサンドイッチを食べるのだ。最初はおずおずと、そして最後にはすごい勢いで。

☆みっともないところをお見せしてしまったわ。
☆どんなアユミも、うつくしいデス。
☆もう何日も、ろくに食べていなかったの。食べるものがないだなんて、笑っちゃうわよね。
☆アユミ。
☆マヤ。あの子も、こんな思いをしたことがあったのかしら。ご両親がいない、誰も助けてくれる人がいない天涯孤独の身で。あの子は演劇をやり続けてきたのね。こんなことになって初めて、わたしはあの子に近付けた気がする・・・。

 

 亜弓さんが白目で、そう呟くのだ。

 うーん、想像できてしまう。
 それでね。きっと亜弓さん、疲労と精神的ストレスで頬もこけて顔色悪くて、凄愴な表情しているんだけど、きっと綺麗なんだよね。ハミルさんにとっては、女神さまみたいに映るんだ。

 身惚れちゃうの。もう、魂抜かれたみたいに、ぼーっと見ているだろうね。バックは宇宙だったりして。

☆そのとき、わたしとアユミは、世界に二人しか存在しなかった・・・。
☆二人を阻むものはなにもなく。二人は同じ空間に、ただそこに存在していたのだ。
☆わたしの前には本物の、紅天女がいた。

☆月の光を浴びた、わたしだけの紅天女・・・。

 なんて、ハミルさんのモノローグが入ったり。

 以上、勝手に想像したパロディでした。

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 こういう経験して、紅天女に挑むのなら。きっと亜弓さんを応援したくなるだろうと思う。
 全部。今まで忌み嫌っていた七光り。そのすべてを失くして初めて、自分がどれだけ守られていたか、気付いたり。

 その上で、なにも持たずに、自分ひとりだけで挑戦しようと、前進しはじめたなら。

 うん。亜弓さんの紅天女、見てみたいって思う。
 どんな風に演じるんだろうって。きっと、すごいものになるような気がする。

船上の一夜 その2

 船上の一夜 その2を書きました。
 こちらは限定公開記事になります。読みたい方は、お手数ですがメールにてお知らせください。

 その際、ハンドルネームとガラスの仮面の何が好きか、簡単に(二、三行で結構です)書いていただければ嬉しいです。

 いや~、みなさん、どういうところが好きで、ガラスの仮面を読み続けてるのかなあ?という、単なる興味です。

 ちなみに私は、マヤちゃんと速水さんの、臆病な関係性が好きで、読み続けてます。

 最終回はどうなってしまうんだろうと考えると、ドキドキしますね。

船上の一夜 その1

 今日、ふと思ったのですが、『ガラスの仮面』で、紫織さんが出港したあのアストリア号を追いかけ、小型艇かなにかで追いついて乗りこんでいたら、どうなっていたのかなーと。

 当然、伊豆の約束もあり得ないし、「完敗だ」も幻に終わるわけで。それよりなにより、修羅場だったろうなあ、とか想像してしまいました。追いつくのは、食事もダンスも終わって、二人が部屋で寛いでいたところだったりして。
 もし紫織さん自らサプライズで用意した愛の(笑)スイートルームで、マヤが眠っていたりとかしたら、ヒステリーをおこした彼女が大騒ぎしそうです。そばに速水さんがいたら、一応、見苦しいところをみせまいとぐっと堪えるのかな。

 以下、☆印は妄想です。

☆「どういうことですの?説明してくださるかしら、マヤさん」
☆「紫織さん、彼女を部屋に入れたのはぼくです」
☆「真澄様は黙っていてくださる? わたくし、マヤさんから事情を聞きたいのですから」

 う~ん、まるでお昼のメロドラマにありそうな設定じゃありませんか(^^; ちょっと触れれば爆発しそうなほど、怒りをMAXにためた紫織さんの迫力ある姿が想像できます。その後ろで、宿泊の責任者がおろおろしてたり。
 そもそも予約したの、紫織さんだしなー。
 部屋に案内しろと言われたら、せざるをえないし、係が修羅場を予想してこっそり速水さんに婚約者の到着を知らせようにも、紫織さん、「部屋はどこなのっ! 早く案内してっ!」とか叫びつつ、勝手に歩きだしてしまったら、もう観念するしかないというか。鷹宮のお嬢様のご機嫌を損ねたら、自分の首が危ないということで。

 ドラマなら、速水さんとマヤが部屋で素直にお互いの気持ちを語りあい、いい雰囲気になったところで、突如、紫織さんが扉を派手に開けて入ってくるんだろうなあ、とか想像しました。

 以下、妄想の二次創作文です。当然、原作者様、出版社様には一切関係ありません。あくまで個人の想像文なので、パロディとして楽しめる方だけ続きをお読みください。原作にない場面なども、出てくる可能性があります。一応タイトルに「その1」とはついてますが、続きを書くかどうかは、まだ未定。書きたくなったら書きます。

 今までは、二次創作の文章を含むものを、ブログの「ガラスの仮面」カテゴリーに入れていましたが、今後は創作部分の割合が多いものは、「ガラスの仮面(二次創作)」という新設のカテゴリーに入れることにしました。

 では、パロディOKという方だけ、以下の作文をどうぞ~。


(渋滞のため、アストリア号に乗り遅れてしまった紫織が、やっと船の発着場にたどりつくところから書き始めています)

☆☆☆☆☆

 埠頭に到着したとき、すでに船の姿はなかった。出発時刻は疾うに過ぎている。鷹宮の名を出せば多少の時間は待っていてもらえたのかもしれないが、真澄を罠にかけるように誘い出したことへの後ろめたさもあり、できるだけ目立たぬようにしたいという気持ちから、敢えて船へはなにも連絡をしなかった。

 
 もしかしたら、自宅へは連絡が入っているのかもしれない。
 上得意の客が、姿を現さなかったのだから。

 紫織はリムジンの中で、今日何度目かの深いため息をついた。わたくしは間違ったことをしようとしているのだろうか。この渋滞も、偶然ではなく天の声なのかもしれない。
 でなければどうして、このタイミングで船の出発に間に合わないという事態になるというのだろう。

 「お嬢様、申し訳ございませんでした」

 運転手は青い顔をして、何度も頭を下げる。いつもならにっこり笑って、いいわ、と軽く流すところだが、今日の紫織にはそんな余裕はなかった。

 「高速艇を手配してちょうだい」

 「え?」

 ぽかんと、自分をみつめる運転手の顔が、紫織の神経をたまらなく逆撫でした。

 「いいから早くなさい。わたくしはどうしても、あのアストリア号に乗らなくてはならないのよ。あの船には真澄様が待ってらっしゃるの。失礼はできないわ」

 「しょ、承知いたしました」

 運転手は慌てて、携帯電話を片手に、あちこちへ連絡を取り始めた。アストリア号を追いかけるなどと…。実のところ今、この瞬間まで、考えてはいなかった紫織である。しかし考えるよりも先に、言葉が勝手に飛び出していた。大げさにはしたくない気持ちもあるが、、かといってこのまま、引き下がるわけにはいかない。なんとしても、今夜は必ず真澄様に会わなくては。妙な胸騒ぎが彼女を駆り立てていた。紫織はもう一度ため息をつくと、車の外へ出た。風が少し、冷たい。

 真澄様…紫織を、はしたないとお思いにならないで。こうでもしなくては、あなたはわたくしに向き合ってはくださらないから。紫織は恐いのです。あなたの心が、どこかにいってしまいそうで。

 僕だけをみていればいい、と。
 そう言ってくれたのは真澄様でしたのに。あのときから紫織は、あなただけをみつめているのです。それなのにあなたは。

 北島マヤの顔が、ふっと紫織の脳裏をよぎった。

 あんなつまらない子。真澄様が本気になるわけなどないわ。紫のバラを贈りあの子を援助したのは、憐れみ、それ以外の感情など、あるはずがない。けれど、この不安感はどうしたことでしょう。恐い。
 真澄様、お願いです。どうかわたくしだけを見ていて。こんな気持ちにさせないでください。今、あなたの元に参りますから。

 祈るような気持ちで、海の向こうを見据えた。夜の帳が下りた埠頭は暗く、いくら目をこらしたところで、真澄の乗ったアストリア号が見えるはずはないのだけれど。
 

 寒い。早く、真澄様に会いたい。

 紫織のはやる気持ちにも関わらず、高速艇の手配には予想外の時間がかかった。彼女が想い人に再会するのには、まだしばらくの時間が必要なのだった。

☆☆☆☆☆

 一方、アストリア号の船内。
 食事を終え、ダンスにも疲れた真澄とマヤは、スイートルームへの長い廊下を無言で歩いていた。

 マヤは、迷いのない真澄の足取りと背中に、いつもとは違う恐さを感じていた。

 速水さん、さっきまで優しかったのに。急に黙っちゃった。ダンスホールではあんなに楽しそうだったのに、やっぱりあれは、社交辞令だったんだ。
 そうだよね。あたしみたいな子供相手に踊ったって、本当に楽しめるはずなんてない。あたしは代理なんだ。もともと紫織さんと一緒のはずのクルーズだもん。

 きっと思い出してるんだ。紫織さんのこと。
 ここにいるのは、あたしじゃなくて、紫織さんだった。結婚前の大切なデート。あたしは御邪魔虫なんだ。

 紫織のことを考えると、マヤは泣きたくなる。

 小切手まで使って、縁切りを迫られるなんて。
 そんなことをしなくたって、あたしは速水さんに好かれてなんてない。あたしはただの紅天女候補で。それだから速水さんはあたしに構ってくれているだけなんだから。

 思いがけず、こうして速水さんと同じ船に乗って。食事まで一緒にできて嬉しかった。でももう期待しちゃだめだ。忘れなきゃだめだ。どんなに好きでも、あたしなんかに釣り合う人じゃない。

 紫織さんとなら…誰がみてもお似合いだ。
 もうすぐ…結婚してしまう人…でも、それでも…あたしはやっぱりあなたが好きです。

 気持ちがあふれそうになるのと同時に、涙がこぼれそうになるのを、マヤは必死で堪えていた。長身の真澄が早足で歩くのに、ついていくだけで精一杯だった。

☆☆☆☆☆

 そのとき真澄もまた、心中で激しく葛藤していた。

 ああ、理屈ではわかっている。あの部屋にマヤを連れていくのが、どんなに馬鹿げたことか。紫織さんが後になってそれを知れば、破滅だ。

 破滅、か。
 いったい誰にとっての破滅だというのか。
 俺か、マヤか、大都の全てか。

 いっそ、すべてを投げ捨ててしまえば、どんなにすっきりするだろう。

 いや、おれはどうかしている。なんのために速水の養子であり続けた? いつの日か義父から全部を奪い取るはずだったのに。それだけのために生きてきたはずなのに、マヤ。きみを目の前にすると、おれの心は狂い始める。

 嘘でもいいから、今夜は一緒にいてほしい。だが、きみは嫌がるだろう。それを知りながら、それでもおれは、きみを連れて行こうとしている。

 満室なんてものは、言い訳にすぎん。
 鷹宮の名があれば、予備の部屋をマヤのために用意させることなどたやすいだろう。だがおれは君のために別室を用意させようとはしなかった。

 
 そう、ダンスホールに向かう前にも、支配人は、マヤに気付かれないようそっと、離れた場所におれを誘導し、囁いた。そのやりとりを、思い出す。

 「速水様。紫織様のご自宅にお電話を入れましたが、どうやら渋滞で船の出発には間に合わなかったようです。それと、お連れのお嬢様でございますが、別にお部屋をご用意いたしました。お申し付け下さればすぐにご案内できます」

 さすがに、よくできた対応だ。不貞のゴタゴタなどよくある話で。すべて心得ておりますが、とばっちりはご遠慮願いたいというわけか。
 そうだな。紫織さんとおれは婚約中の身。そのおれが、紫織さんではない別の女性と同じ部屋に泊まったとなれば、鷹宮家の怒りの矛先は、おれだけではなく船会社にも向かうだろう。

 「いや、心配はいらない。このクルーズは人気で、今日は満室と聞いている。わざわざ別室など、用意しなくていい」

 そのとき、おれの口からはすらすらと、そんな言葉が出たのだ。
 支配人は、意外な展開に一瞬、動揺の色が隠せなかった。

 「しかし、速水様…」

 「いいといったら、いいんだ。食事も、紫織さんの代わりに彼女ととったが、後からきみたちに迷惑のかかるようなことはないから、安心したまえ」

 それでもなにかを言いたそうな支配人だったが、さすがにそれ以上口出しするのは越権行為と悟ったのか、会釈をして去って行った。

 廊下を真っ直ぐに歩きながら、おれは自問自答していた。今、ものすごく馬鹿なことをしようとしている…今ならまだ、間に合うのかもしれない。マヤを部屋に入れて、そしてどうする? 食事は済んだ。後はなにを?
 おれを憎むマヤに、いったいおれはなにを話すというんだ?

 マヤは紫織さんを追いかけ、小切手を返すためにこの船に乗った。目的は達した。彼女がこれ以上、おれに付き合う義理などどこにもない。

 それなのにどうして、おれはまだマヤを解放してやらないんだ。簡単なことなのに。別室を用意させ、係に案内を頼めばそれでおれの役割は終わる。マヤも喜んで、その部屋に向かうだろう。

 マヤを手放さないのは、おれの醜い執着心、それだけだ。

 いいだろう、チビちゃん、きみが決めてくれ。部屋に入り、少しでも嫌がる素振りが見えたら、おれは部屋を出ていく。決してもう、近付いたりしない。そう。決めるのはきみだ。

 答えはもう、わかってはいるが。
 そう思い、真澄の唇にふっと、苦笑が浮かんだ。華やかな食事やダンスに、マヤは酔ったのだろう。いつものようなあからさまな憎しみをぶつけてくることはなかったが、冷静になれば、きっと迷惑そうに訝しげにおれを見るだろう。これ以上一緒にいたくはないと、嫌悪感をその目に浮かべるだろう。

 そうされなければ自分からその絆を断ち切れないほど、マヤに惹かれている己を、真澄は苦々しく自覚するのだった。