『女神の恋』~小田龍之介の魅力はどこにあるか

前回『新金色夜叉』の話を書いたので、今日は『女神の恋』の話を書こうと思います。私が今まで見たドラマの中で、どれだけ嵌ったかの順位をつけると1位は女神、2位が新金色なのです。なんといってもこれ、私が、俳優山口祐一郎さんのファンになるきっかけになったドラマなのです。

以下、ネタバレ有で書きますので、このドラマを未見の方はご注意ください。

あらすじは次の通り。

主人公は松本明子が演じる末松吉子。35歳独身で、同じ会社の北岡(辰巳琢郎)との結婚を夢見てる。北岡はバツイチで、結婚する気なし。

そこで吉子が考えたのは、二人きりの旅行。雰囲気を盛り上げて北岡の気持ちを一気に結婚へと持っていこうとたくらむのだが、貸切のはずのゴージャスなコテージはダブルブッキングされており。しかも北岡の到着が遅れて、吉子は売れない作家の小田龍之介(山口祐一郎)と二人で泊まることになる。

最初は喧嘩ばかりだった二人がやがて心を通わせ合い・・・というよくある少女漫画的、いやハーレクインロマンス的展開なのですが、脚本もキャスティングも映像も、とにかくよくできてました。

キャスティングということで言えば、主人公に松本明子さんと山口祐一郎さんを持ってこなかったら、この作品は全く違ったものになっていたでしょうね。まさに奇跡の配役だと思いました。

演技うんぬんの前に、ハマリ役ってあると思うのですよ。

そういう意味で、アッコさんも山口さんもぴったりでした。

どのくらいよかったかというと、発売されたDVDを買ってしまった位、です。私は本やCDなど、部屋の荷物を増やすようなものはよっぽどのことがない限り買わないので、そういう意味では本当に例外中の例外のドラマです。

私が一番好きなシーンは、龍之介がトラクターを運転して、その横に吉子が乗っている場面。このときの、龍之介の目に惹かれました。

吸い込まれそうな、ブラックホールの目。そのとき私が感じたものを言葉にするのはとても難しいのですが、ああいう空虚な目の人を、初めて見ました。

そのときの龍之介の気持ちを思うと、じーんと胸にせまるものがあります。眠りこんだ吉子の頭に頬を寄せ、桜がちらほら舞うのどかな陽射しの中を、ゆっくりとトラクターが進むのです。

平和で幸福な情景ではありますが、寂しくて、せつないのですよ。何故か。

それは、龍之介が「吉子との別れ」を心に決めていたからではないかと、私は勝手にそう思っているのです。まあ、別れるもなにも、そもそも付き合ってはいないですけど(^^;

龍之介は、バツイチで子供がいます。作家のプライドにこだわり、出版社が望むような作品を書かなかったから、経済的に行き詰って妻には愛想を尽かされました。子供は妻が引き取ります。そして、最後の望みをかけた作品も出版社からは却下され、作家としての人生は終わりました。

この先のことは白紙です。そんな状態で、吉子を好きになったのです。

そりゃ、吉子にプロポーズなんてできないはずです・・・。これからどうやって生きていくのか、白紙ですもん。この状態で能天気に吉子に告白するような男なら、なんの魅力もありませんね。

妻子を幸せにできなかった力不足、家庭を壊してしまった罪悪感、そんな十字架を抱えているからなおさら、天真爛漫な吉子が眩しく、好意を抱き、そして自己完結してしまったのですね。

この思いが報われることはないと。むしろ、自分はこの人に近付きすぎてはいけないと。

でも、あの瞬間だけは近くにいたかったんだろうなあと思いました。せめて、トラクターを運転しているこの時間だけは、恋人でいたかったんではないでしょうか。途中、吉子は目を覚まして、自分が龍之介に抱き寄せられていることに気付いて驚きますが、また眠ったふりをします。

その一連の動き。龍之介は全部わかっていて、フッと一瞬笑って、それから遠い目をするんですよね。ブラックホールな目です。あまりにも印象的で、テレビに釘付けになりました・・・。

素敵すぎます。なんかね、情けないっちゃ情けないんですけどね。龍之介はスーパーマンじゃないんですよ。なにもかも失って、でも吉子のことは好きで。

幸せになってほしいって思ってて、そのためには自分が協力できることはなんでもしてあげたいって思ってて、でも、将来吉子のその横に、自分は立つ資格がないんだってこと、わかってるんだなあ。

この静かな決意、諦めみたいなものが、美しい映像で描かれてました。

他にも名シーンはたくさんあります。でもこの場面の完成度は突出していると思いました。ちょうどいい光の加減。トラクターの速度。ちらほら舞い散る桜の醸し出すのどかな光景。すべてが見事に調和して、その締めになっているのが、龍之介のブラックホールな目。

ちなみに、このドラマの中で私が嫌いなのは、傷心の北岡を吉子が受け入れてしまうところです。これは最低でした。そんな吉子は嫌いだー。龍之介だって、本当なら一気に冷めてしまうのでは?と思いました。

だらしないというか、節操がないというか。

私がもし脚本を書くなら、ギリギリまで吉子が迷う姿を描きますが、最終的には拒絶させますね。北岡が無理やり部屋に入り込む。ドアの傍で龍之介を見つめる吉子。すがるように吉子に絡みつく龍之介の視線。

それで一回ドアは閉まり。龍之介の目に怒りと絶望の光が宿った後で、再びドアが開く、みたいな。

「バカにしないでよ!!」という威勢のいい吉子の声と共に、ドアから突き飛ばされて出てくる北岡。

そういう強さと潔癖さを持った吉子だったなら、龍之介はますます惚れたと思います。そういう展開の方が、絶対よかったと思うなあ。

それで、その後、涙でぐしゃぐしゃの顔になった吉子の髪を、龍之介がクシャクシャっとするシーンなど、もしあったら最高です。ここはセリフなくてもいいなあ。吉子が泣き続けて、それを龍之介が困ったような、でも嬉しそうな、優しい笑顔でひたすら、クシャクシャする。撫でるのではなく、不器用に、クシャクシャっとなるところがポイント。

ちょっと長くなりましたのでこのへんで。続きは、気が向けばそのうちに書くかもしれません。

ドラマ『新金色夜叉』

 舞台『マリー・アントワネット』。また見たい、という気持ちにならないのは、主人公をはじめとする登場人物に共感できないから、というのが理由の一つである。それは、『エリザベート』も同じ。

 『エリザベート』は人気があるけれど、私にとっては『マリー・アントワネット』と同じカテゴリー。主人公に同情できない設定は、観劇意欲を激しく損なう。どうして『エリザベート』が人気なのか、不思議・・・。

 ではどんな設定ならいいのか。主人公に共感できることがまず大前提。その上で、報われない愛。女性の心をつかむなら、この設定はオーソドックスで不変の鉄則ではないだろうか。

 私がこの鉄則を踏襲していると思うのは、10年以上前に放送された昼ドラの『新金色夜叉』である。

 昼ドラとしては『愛の嵐』が有名だが、私は愛の嵐よりも新金色夜叉の方が好きだ。あまり話題作にはならなかったことが不思議なくらい、よくできた作品だと思う。

 以下、『新金色夜叉』の感想ですが、ネタバレ含むのでご注意ください。

 原作は、ご存知、尾崎紅葉。ただし、ドラマの脚本は、かなり改変されている。基本的な設定以外は、今の時代に合わせた貫一像が描かれているので、ドラマを見て感激したからといって原作を読むとがっかりする。(それは私だよ・・・・)

 ドラマのあらすじはこんな感じ。 

 幼なじみの(というか一緒に育った)貫一と宮さん。結婚を誓い合ったはずが、美貌の宮さんはお金持ちの富山に見初められ、そのまま嫁いでしまう。傷心の貫一は富山と宮への復讐を誓う。学校も辞め、高利貸に弟子入りして金融を学び、やがて罠を仕掛けて富山を没落させる。没落した富山は、励ます宮につらくあたる。そんな宮を見て、貫一の心に再び宮への愛が蘇る。宮も、優しい貫一に惹かれていくが、当時、不倫は姦通罪にも問われるご法度。二人は苦悩しながら、それでも心を通わせていき・・・・・。

 まさにメロドラマの王道という展開です。

 ここで肝心なのは、宮さんに共感できるかどうかということ。これで宮さんが嫌味で自分勝手な女性なら、「あーはいはい、勝手にして」と思ってしまうでしょう。でも宮さんが愛らしく、素直な女性であったなら。宮さんに対する同情も生まれるし、宮さんが抱く貫一への憧れに共感して、二人の恋を応援しようという気持ちにもなるでしょう。

 ずいぶん前のドラマなので、記憶が曖昧な部分もあります。間違っている部分があったらご容赦ください。

 私が一番感動したのは、宮さんへの復讐心で鬼となった貫一が、富山を没落させた後、それでも宮さんを救わずにはいられなかったシーンです。

 貫一が弟子入りした高利貸の師匠。この人が、借金のかたに宮さんを手込めにしようとするのです。するとそこに、ヒーロー貫一が登場。師匠を殴り倒して、宮さんを救います。

 この場面を見て、私はいっぺんにこのドラマに引き込まれてしまったのです。だって、それまでの貫一さんはものすごーく冷淡で、宮さんに対して怒りしか示さなかった。宮さんがいくら「これ以上、富山へ復讐するのをやめて」と言っても、決して復讐の手を緩めなかった。

 それなのに・・・。好色な師匠が宮さんを手に入れようと家に向かったのを知ったとき、それまでの憎しみが一瞬で吹き飛び、ただただ彼女の無事を願って現場に駆けつけた。そして恩ある師匠を、ためらいなく殴り飛ばした。

 まさにヒーローでした。それまで鬼の仮面をかぶり、決して宮さんに心を許さなかった貫一が、宮さんを見つめて「大丈夫?怪我はない?」と案じたときの心配顔。かっこいい・・・・思わずテレビの前で固まってしまいました(^^;

 思えば貫一はかなりストイックな人で。復讐のために富山を追いつめながらも、富山を没落させることは宮を苦境に追いやるということで。本心では宮さんを愛しているから、宮さんを憎みながらも、ふとした瞬間に彼女への哀れみが復讐心を上回りそうになり。

 そんなとき、貫一は腿をペンで刺して、自分の心に活を入れたのでした。「宮に負けるな」って。そのとき、貫一の心の中には、幼い日の可愛らしい宮の顔が蘇ったのでしょうね。そして愛しさが、憎しみを消してしまいそうになった。そんな思いを振り払うために、肉体的な痛みで宮への愛情を押し殺す。

 たった一人。部屋で「宮に負けるな」と呟いてペンを腿に刺した行動。私は驚きと同時に貫一の、宮への深い愛情を知りました。

 宮さんには気の毒な面がいくつもあります。そもそも、「金に目が眩んだ」と貫一に批判を受ける富山との結婚ですが、宮さんはまだ17歳。それを責めるのは酷かなあと・・。お金持ちという背景を別にしても、紳士で大人な富山は魅力的な人物に映ったでしょうし。貫一が子供の頃の約束を盾に、「僕と結婚するっていったくせに」となじってみたところで、そういうのは自由意志なわけで。

 宮さんが、結婚当時17歳と幼かった点については、後に貫一も自分で言及してましたけどね。

 それに、没落した後の富山がまた、ひどかった。宮さんは富山が無一文になっても、献身的に尽くし、彼の再起を助けようとしました。でも富山はうまくいかないことに自暴自棄になり、宮さんに暴力を振るったり、ひどいことばかり・・。

 絶望的な結婚生活。昔のように優しくなった貫一さんに、宮さんがどんどん傾いていくのも、仕方のないことのように思えます。視聴者は、どうにもならない状況にやきもきするしかありません。たかがドラマ、されどドラマです。この先どうなるんだろう・・。続きが気になって仕方ない。こう思わせたら、ドラマとしては大成功でしょう。

 高利貸の愛人をやっていた赤樫満枝が、貫一を誘惑するシーンも秀逸でした。この役をやっていたのは星野博美さん。美人で色っぽくて、そんな境遇に身を落とすまでの影を感じさせる人。魅力的なのに、どう誘惑しても貫一はなびかない。

 「これじゃ蛇の生殺しじゃないか」と言う、その声はものすごくインパクトがありました。今でもはっきり覚えています。

 決して欲望に流されない貫一の頑固さ、ストイックさがかっこよかったなあ。

 私はこのドラマを見ていて、貫一にも宮さんにも共感したのです。だから、二人がどうにもならない状況におちいるのを、ハラハラしながら見ていた。そして、貫一のストイックさ、宮さんのけなげさに泣かされたのです。

 これ、舞台化したらけっこうおもしろい作品になるのではないかなあ。

 ドラマの主題歌は、BEGINの『恋しくて』でしたね。これもぴったりでした。

恋しくて
BEGIN,ERIC CLAPTON,白井良明
インペリアルレコード

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