ドラマ『愛していると言ってくれ』の感想を書きます。これで感想を書くのは3度目になります。時間を置いてみると、自分の中で新しい思いも生まれたりするんですよね。最初に見たときには、気付かなかったようなこともあったり。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未見の方はご注意ください。
ふっと、もう一度見たくなったので見ました。懐かしのこのドラマ。
感想を手短に書きますと、このドラマって結局のところ、「晃次が恋におちて、フラれる話」なんだなあ、としみじみ。
人が恋におちるって、そうそう、こういうことなのよねっていう、いわば恋のあるある(^^;
誰かを好きになるのは理屈じゃなくて。トヨエツの演じる晃次は、決して積極的でもなく、出会いを求めていたわけでもなく。どちらかといえば人を避けて、誰かと親しくなることを恐れていたような人だったと思うのですが。そんな人でも、偶然見かけた常盤貴子さん演じる紘子に出会ったその瞬間から、勝手に心は走り出す~という。
紘子の顔が好み? しぐさが? 笑顔が? リンゴをとってもらったときの反応が? そのすべてが、晃次にとっては、ズキューンときちゃったんだろうなあと思いました。でなければ、紘子にああいう照れたような顔は見せなかっただろうし、夜の公園で稽古中のところを、そっと見てたりしなかっただろうなあ。
まあ、大前提として、人さまの家のリンゴを勝手にとってはいけませんが(^^; たとえ枝が、道路にはみ出していたとしてもね。
私、最初にこのドラマを見たとき、印象としては紘子の愛情>晃次の愛情だったのです。特に物語の前半は。若くて無邪気で、なんのためらいもなく素直に愛情をぶつけてくる紘子が、もう一方的というくらいに晃次に向かっていって、それに引きずられるように晃次も次第に、紘子を好きになる、みたいな。あくまで紘子主体の、そんな印象があったのですが。
今見返すと、これ、ひとめぼれしてるのは晃次の方だ~ということに気付いてしまいました。もう最初から、惹かれてます。
リンゴをあげて、相手を見たときにズッキューンときて。でももう会うこともないと思っていたら、夜の公園で偶然に見かけて。相手がそれを覚えててくれて、話しかけてくれて。それからまた、絵を描いてるときに再会して。本当はドキドキしているのに、紘子はなにも気にせずに気軽に話しかけてくれて、でもうまく答えられなくて。最初からうまくいかないとわかっているし、何も期待なんてしていないけど、それでも心は勝手に走り出す。
だから、目で追ってしまう。紘子の姿を。公園の売店。褒めてくれた色の絵の具を投げてみたり。
唐突に去っていったのは、反応をみるのが怖かったからだね。相当、変な行動だもんね(^^;
いやいや、でも相当だわ。晃次って、女の子に絵の具投げたりするキャラか?っていう。
普段は絶対そんなことしないと思うよ。他の誰にも。それくらい、どうしようもなく恋におちちゃってたんだなあってことが、今はわかる。
公園の野外舞台も、見てたの1度じゃないもんね。
そしてもう言い逃れできない最大の証拠は、家に招いたことだなあ(^^) いくら足にけがしたからって、自分の家に入れないよね、もし他の人だったなら。紘子だから、家に入れてしまったのだと思う。名前も知らない、ほぼ初対面に等しい異性の家に、なんの抵抗感も抱かずいそいそと行ってしまう紘子も紘子だけど。いや、まずいでしょ。たまたま晃次はいい人だったけど。
聞こえないってどんな感じか聞かれて、「夜の海の底にいるような感じ」だなんて、正直に話す義理なんてないのに。好きな人の前では、自分をわかってほしいっていう気持ちがわいたのかな。
好きっていう気持ちは自然なもの。コントロールできないもの。勝手に走り出して、その人がそばにいるだけで嬉しくて、幸せな気持ちになって。
それをあらためて、考えさせられたドラマでした。
晃次も紘子も、好きになろうとして相手を好きになったのではなく。いつの間にか、そうなることが必然だったように。お互いを必要としていた。
第1話で、晃次が自分が描いた絵を紘子にプレゼントしたシーン。もう、これはプロポーズといってもいいんじゃないかと。画家の作品て、その人の心そのものだもんね。僕の心を君にっていう意味。きっと、無意識なのかわかっててやってるのか、その両方なのか。絵の具どころじゃないですよ、もう絵、そのものですもん。
でもその後すぐに、何も告げず引っ越してしまったのはなぜなのか。
私はそこに、晃次の諦めを感じます。
どうせ、うまくいかない。幸せにする自信もない。こんな自分だから。好きだけど、さよなら。せめて君に、僕の心を。この絵を。
引越を告げるほど(関係を深めたいと願うほど)晃次は自分自身にうぬぼれてなんかいなかったのだと思います。
そしてこのドラマ。もうひとつの見どころは、岡田浩暉さん演じる健ちゃんの片思い。本能的なものって、どうしようもないんだなあということを、これでもかとばかりに突き付けられた気がします。
健ちゃんは、紘子とお似合いだから。条件的なことを考えても、紘子と健ちゃんはぴったりなわけですよ。幼馴染だから、同じような環境で育ってる。年も近い。お互いの家族のことだって、よく知っているだろう。加えて健ちゃんは、紘子を愛してる。きっといつまでも大切にしてくれる。なのに、どうしても駄目なんだ。健ちゃんじゃないんだよね。いい人、友人としては好き。でもそれは、恋人じゃない。
もう全話通してだもんね。惜しみなく注がれる愛情。優しさ。見返りを求めずに、健ちゃんはいつも傍にいて、見守ってくれて。
でも努力じゃないんだ。誰かを好きになる気持ち。紘子はどうしても、健ちゃんを好きにはなれなかった。
なのに紘子が健ちゃんと一夜を共にしたってのも、本当に愚行だと思いますが。翌朝の紘子の表情がね、これがまたものすごく素直で。どよ~ん、てしてるの(^^; これ、相手が晃次だったときの、あふれる幸福感との対比がすごい。もうその時点で、健ちゃんとの未来は、一生無理だろと。見てる私は思ってしまいました。嫌なのを我慢して、こんなはずじゃなかったって思いながら健ちゃんと夫婦になるのは間違ってる。いつか破綻する。
ただね、好きでも一緒に幸せにはなれないっていうのは、あるんだなあと思いました。
紘子の決定的なセリフです。
>あなたと一緒にいてもつまんない。
>だって手話ってすごい疲れるし、それに
>好きなCDだって一緒に聴けないもん
私がもし晃次の立場だったら。この瞬間に、すべてが終わります。
紘子はひどいこと言ってるけど、でもそれって、紘子の本音で。それをどうこう言っても仕方ない。だってそれは本当の気持ち。普段は我慢してるだけで、それはいつも、紘子の中にくすぶり続ける気持ちだから。
喧嘩だから、売り言葉に買い言葉だから、というのは言い訳にならない。いいも悪いもなく、紘子にその思いがあるなら、二人はこの先、一緒に暮らしていけない。いつかまた、紘子は爆発するし、晃次は傷つく。
私なら、この時点で完全に諦めます。
>悪かったね
そう返した晃次は大人だなあ。あそこでごちゃごちゃ言っても、紘子は興奮してまた何か、叫び出すだけだろうし。
それでも結局、暴言を許して先に進もうとしたのは、晃次がどうしようもなく紘子を好きだったから、なんでしょうね。理屈では、いろいろわかっていても。
私は以前の感想で、最終回のラスト、紘子はともかくとして晃次には、やり直す気持ちはないだろうと書きましたが。よくよく考えてみると、もしそうなら、わざわざリンゴをとってあげることはなかったかなあという気がしてきました。
あのとき、リンゴをとろうとしていたのが紘子だと、晃次にはわかっていたはずです。知らん顔して、立ち去る選択もあったのに。敢えてあそこで紘子と再会したのはなぜか。
やっぱり好きだから?なのかな。忘れられなくて、だからせっかくのチャンスに目をつぶることができなかったのかと。自分でも馬鹿だと思いつつ、紘子の前に姿を見せずにはいられなかった。そして、紘子が以前と変わらぬ笑顔で微笑んでくれたら?
また始まってしまうのでしょうか、二人の新しい物語。
本当に終わらせたつもりなら、完全に諦めたなら、街ですれ違ったって、気付かないふりするもんなあ。好きって気持ちは、本当にどうしようもないものです。不幸になるとわかっていても、その人を求めてしまう。一緒になっても、またいっぱい喧嘩して、いっぱい傷つくだろうに。それでも。
目の前に現れたら、知らんふりはできないものなのかもしれません。