昔住んでいたマンションを偲びつつ、考えたことなど

 私が今の地に引越すまで住んでいた以前のマンションは、隠れ家のような静かなところだった。構造上、私の部屋は他の部屋と隣接していなかったので、まったく音に悩まされたことはない。
 都会だから、土地の形がちゃんとした長方形じゃなかったのだ。
 オーナーは、少しでも多くの部屋を作ろうと思ったのだろう。法規制と土地の形の間で綱引きが行われた結果、誕生したのはちょっと変わった形の建物。

 その部屋で、私は息をひそめるように、静か~に5年、暮らしていた。
 自分で言うのもなんだけど、本当に地味で、静か~な暮らしだったと思う。引越しが多い私としては、ずいぶん長く住んだ方である。

 独特の形の小さなベランダは、エアコンの室外機が多くの部分を占めていて、狭かった。
 ごちゃごちゃと建ち並んだビルやマンションのせいで、ベランダから見える空は365度視界良好とは言えず、星を見るには不利な状況。

 流星群を見るときには、深夜にこっそり非常階段で、7階の踊り場まで上がった。遠くには、西新宿の高層ビルの夜景が見えた。たいていの住人はエレベーターを使うので、階段で(まして7階)誰かと鉢合わせする可能性は低いと思ったのだが、一度だけ深夜にも関わらず誰かが階下から上がってくる音が聞こえて、非常にあせった。
 もし鉢合わせしたら、向こうもさぞかし驚いたし、怖かったろうと思う。真夜中に非常階段に佇む人影なんて、不審者すぎる(^^;

 私の部屋から唯一よく見えたのは、隣のマンションの一室。
 永谷園の景品?と思われる、バスタオルがよく干してあった。あのおなじみのパッケージそのままのバスタオルは、目立ってた。

 5年間、そのバスタオルは使い続けられ、風にはためくその色は、順調に経年劣化していった。色褪せても、部屋の持ち主は大切に、そのバスタオルを使っているようだった。
 それを見るたび、「ああ、まだ同じ人が住んでるんだ」と、なんとなく親しみを覚えていた。洗濯物を干すその人を見たことは一度もないので、いったいどんな人が住んでいたのか、とうとう最後までわからなかった。
 あの人は、今もあそこに住み続けているのだろうか。

 私の部屋は、当時不動産屋さんに最初に勧められた物件で、即決したのだったが直感に間違いはなかった。「暗い部屋」と思ったけれど、静かに暮らしたいと思っていたから、それがよかった。

 ほら、こんなところに間接照明がありますよ~、オシャレでいいじゃないですか、という営業さんの笑顔が記憶に残っている。
 たしかに、壁にはなぜか、間接照明がついていた。だが、その照明のスイッチを押すことは、五年間で一度もなかった。

 その部屋を引越す、一年くらい前からは、管理人室の前で封書やダイレクトメールをまき散らす、迷惑な人(一回も顔見たことないけど)とのバトルが始まった。

 その人は、郵便受けの前で封書やダイレクトメールを読んだ後、必要なところだけを抜いて、それ以外のチラシを、ぽいぽい辺りに捨ててしまうのだ。

 みんなが使う、共用部分である床や、管理人室の棚の前に、チラシの類がしょっちゅう汚く散らかっていた。宛名の部分もそのままポイ捨てしてあったので、何号室の誰か、ということはすぐにわかった。外国の人らしき名前だった。チラシを捨てるゴミ箱も常備されていたのに、その人はいつも、ポイ捨て。

 私はいつも、そのチラシを拾って、ゴミ箱に捨てていた。
 その人が捨てる→みつけた私が、ゴミ箱に捨てる。それが毎日の日課になった。

 不毛な追いかけっこは、いつまでも続いた。いつか、その人が気が付いて、ちゃんとゴミ箱に捨ててくれる日が来るんじゃないかと思っていたが、とうとう、引越す日まで、その人が改心してくれることはなかった。
 (ちなみに、引越したのはその人とは全然関係ない、別の事情である)

 今も、ときどきあのマンションの事を考えることがある。
 私が拾わなくなったから、また、チラシは散乱しているんだろうかと。そしたらその人は、「この頃チラシが片付かないな~」なんて、少しは不思議に思うんだろうか。
 いや、思わないだろうなあ(^^; 散らかっていることに、不快感なんて覚えないだろう。無関心だから、できたんだろうから。

 そして、三年前に引越してきた、この、地方のマンション。単純明快、地震に強い長方形。
 まず、明るい。日の差し込み具合が、段違いだ。そして、両隣とはベランダで、仕切り一枚でつながっている。(非常時の際は、ここを破って避難して下さい、というあれである)

 ベランダでつながっているということは、日常生活がある程度、わかってしまうということにもつながる。窓を開けていると、隣の声が響いてくるから。

 当初、私の両隣は女性だった。どちらの部屋の女性も、恋人がいた。時折、明るい笑い声やおしゃべりが聞こえてきたが、幸せそうで微笑ましかった。やがてその女性は二人とも、引越していったけれど、私は「結婚したんだろう」と勝手に想像している。

 そして、新しく引越してきたのは、ちょっぴり迷惑なギャル(^^;であった。

 なにが迷惑って、とっかえひっかえ、男性を部屋に入れて大騒ぎすることなのである。最初は、かなり面食らった。まあ、あれよね。引越したばかりで、浮かれてるのよね、きっと。などと、いいほうに解釈しようとした。

 引越しパーティーで、浮かれているのだろうと。時間が経てば、日常に戻るだろう、と甘く考えていたが、状況は時間がたっても、あまり変わらなかった。

 

 一時期よく来ていた男性とは、何度か、大喧嘩していた。そりゃあもう、凄まじい物音と怒鳴り声と、女の子の泣き声と。大丈夫なのか、と心配になったりもした。しかし、男女の仲はよくわからない。大喧嘩の数時間後には、窓全開で、なんの恥じらいもなくエロい声が響いていたり(^^;
 せめて窓は閉めてほしい・・・・というか、閉めるだろう、普通。頼まれても、そういう声なんか聞かせたくないだろう、と思うのは、私が古い人間だからなのか。

 しかしさすがに、朝五時に、その手の声で目が覚めたときにはさすがに、私もブチ切れた。こちらが窓を閉めているにも関わらず、聞こえてくるほどの音量。これが続くのなら、おちおち眠ってもいられない。
 後で管理会社に電話すると、即「すみませんでした。すぐ、職場に連絡しますから」との回答。
 どうやら、私以外にもずいぶん苦情の電話が入っていたとみえる。しかし、職場に電話って、すごいな。普通は、まず全部屋に騒音注意の紙を投函するとか、そういう穏便な方向だと思っていたけど。

 迷惑な隣室の、真上の部屋の人は、ほどなく引越していきました。連日の騒音に、とうとう耐えられなくなったと思われます・・・。

 ある日、隣室でまた、大喧嘩があった。翌日。私が帰宅したところ、なんと隣室のドアの前で、男がひとり座りこんでいるではないか。ギャルを待っているのだろう。喧嘩したから、入れてもらえないのか?

 しかし、私にとっては気持ち悪いことこの上ない。遅い時間でもあり、内心かなり動揺したものの、部屋に入らないわけにはいかないので、平静を装いつつ、解錠してドアを開けた。
 そして、万一を考え、そのとき使っていた電子錠の暗証番号は、即効変えた。解錠の際の音で、番号の解析は可能だから。気にしすぎかもしれないが、とにかく気持ち悪いのは確かで。

 その日からしばらく。ギャルは部屋には帰ってこなかった。大喧嘩して、あの男性と切れるために、引越したのかな、と勝手に想像していたのだが、甘かった。しばらくたつと、ギャルはちゃっかり戻って来た。それまで部屋に戻らなかったのは、その男性と縁を切るために、一定の時間が必要だったのだろう。

 ギャルが戻ってきた、ある日の早朝。彼女はベランダで、洗濯物を干しつつ、大声で携帯電話をかけていた。ベランダの声は、そこらじゅうに響き渡るということに気付いていないようだ。
 その声に起こされる私。勘弁してくれよ~と眠い目をこすっていると、内容が丸聞こえになってるのにも気付かない彼女の、長電話が耳に飛び込んでくる。

 びっくりした。
 恐らく相手は男性だろうけど、お金を要求してたから(^^;
 それって売春だよね・・・とドン引きする。しかし、なんというか、すごい子だな~と。
 恥ずかしい、という感覚は、本当に人それぞれなんだなあ。私だったら、そんな内容、絶対に隣人になんか聞かれたくないけど。部屋の中でこそこそ話すならともかく、あっけらかんとベランダで大声で話す、その神経が凄い。

 そして、彼女の甘い声に引かれ、やってくる男性もまた凄い、と思った。

 需要あるんだな。なんだか、すさまじい。古今東西、遍く存在する職業であることを、実感する。

 男性は、美人局の心配は、しないのだろうか。
 ギャルの部屋に、男性の出入りは絶えない。彼らは、怖くはないのだろうか。おそらく、飲み屋で知り合った可愛い女の子に「うちに遊びに来て」と囁かれ、ほろ酔い気分でやってくるんだろうけど。
 部屋に上がった瞬間、怖いお兄さんに「てめえ、オレの女に手を出しやがって」と凄まれる展開も、まんざら確率が低いわけではないと思うのだが。

 知り合ったばかりの女性の部屋に安易に上がれば、美人局ではなくても、前彼とのトラブルにまきこまれたり、以後その女性に執拗に依存されたり、恐ろしい可能性のパターンはいくつもあると思う。
 だが、甘い蜜に惹かれる蟻のように、男性はギャルの部屋へ、次次とやって来る。彼らは、ギャルが不特定多数を相手にしていることを、知っているのだろうか? 
 それとも、自分だけが特別だと、甘い夢を見ているのだろうか?

 

 プロのお店ではなく、素人の女性と遊ぶのはひとつのファンタジーでもあるのだろうか、などと想像した。たとえその女の子が、時折お金を要求したとしても。それは、商売とはまた無縁で、これもひとつの恋愛の形だと、脳内では納得するのだろうか。

 正直に言えば、できれば隣人は、普通の職業であってほしいなあと思ってしまう。贅沢かもしれないけど。それと、静かな人であってほしいなあ。

 だが、ギャルが隣人になったのも、なにかの縁なのだろう。人は、縁のない人間とは、決して知りあうことはないと、そう思うから。ギャルの姿を通じて学ぶことが、きっと何か、あるんだろう。などと、無理やり自分に言い聞かせている、この頃である(^^;

海へ行こう

 夏が終わった。8月が終わればもう、秋はすぐそこである。
 日が沈むと、虫の音が季節の変わり目を告げている。

 夏の思い出といえば、私は先日、海へ出かけた。太平洋岸の、なだらかな砂浜が続く場所へ。
 たまに、無性に海へ出かけたくなるときがある。平日の昼間が、お勧めなのである。ほとんど人がいなくて、一人になれるから。

 表向き穏やかな波が楽しめる場所なのだが、実は離岸流が発生するため、海水浴場にはなっていない。遊泳禁止。
 けれど、表面上の波の大人しさに騙されて、昔から何人もの人が亡くなっている。

 

 危険な場所だが、泳がずに波打ち際で遊ぶくらいなら、大丈夫。
 海水浴場になっていないため、観光客もほとんどいない。広い砂浜を独り占めだ。

 靴を脱いで濡れた砂浜に素足を踏み入れると、沈みこんでいく感覚が心地いい。

 波から離れた場所にトートバッグを置いて、私は波打ち際でぼーっと水平線を見ていた。空には雲がたちこめていて、強い日差しを遮っている。見えない紫外線は容赦なく降り注いでいるだろうけれど、あからさまな焼けつく光がない分、過ごしやすい日だった。

 波の音。細かな飛沫が、風に煽られて散っていく。天然ミストシャワーだ。

 ふと足元に目をやると。うごめく小さな影が数個。

 んん? と見やれば、なんとあさりが、波で打ち寄せられたのか砂の上で、もぞもぞと動いているではないか。見ていると、素早い動きで砂の下へ潜ってしまった。

 自分の目が信じられずに、その場所を指で掘ると、まさに先ほど潜ったばかりのあさりが、ちゃんと出てきた。

 すごい~。こんなの初めて見た。

 急きょ、潮干狩りならぬ、あさり拾いを敢行。砂を掘る必要はなかった。波に打ち寄せられたあさりを、ただ、拾うだけ。

 あさりに混じって、小石も打ち寄せられていた。だけど、小石は砂浜に上がった後も動かないので、あさりと区別するのは簡単。

 慌てて砂に潜ろうとするのは、あさりだ。
 波が引いた後、うごめく影を、狙えばいい。

 しばし、あさり取りに夢中になる。あさりも運が悪かった。いつもなら誰もいない砂浜なのに。潜ってしまえば、カラスも狙わない。安全な場所だったけれど。

 あさりが波で打ち上げられるなんて、珍しい現象なのかもしれない。
 そういえば私は昔(10年以上前だが)、アカウミガメの赤ちゃんが一斉に、海へ帰っていく場面に遭遇したことがある。
 保護されて、人間の手で埋められた卵ではない。(そういうのは、ちゃんとした場所に保護されているから)

 私が見たのは、何百匹という赤ちゃんの自然の孵化だったと思う。そのときもやっぱり、私の周りには誰もいなかった。私はたまたま海が見たくなり、一人で砂浜に座り、ぼーっとしていたのだ。

 自然の神秘である。
 卵が産み落とされてからの日数、気温、湿度、潮の加減、アカウミガメにとっての、最良の日が、その日、その時だったのだろう。

 自分のすぐそばをヨタヨタと這う小さなカメの姿に驚いて辺りを見回すと、そこらじゅうで、同じカメが海に向かって歩いていた。その光景は、今も胸に残っている。自分一人で見るにはもったいないくらいの、貴重な場面だった。

 生まれたばかりで、なにも知らないのに。海の方角はわかるのだ。そして、そこへ行かなければならないということも、赤ちゃんにはわかっていたのだ。

 海は優しい。
 海を見ていると、心が静まる。

 いろんなサプライズがあるから、また海にはやって来たくなる。

 帰りがけ、ハマボウフウを摘んでお土産にした。自然の恵みは素晴らしい。過酷な直射日光、激しい塩風、少ない雨。植物が生育するには厳しい環境なのに、広範囲に自生するハマボウフウは、しっかりとこの地に根付いている。

 5月の頃の柔らかい茎とは違って、少しかたいけれど美味である。独特の香味は、クセになるおいしさだ。
 私は酢味噌で食べるのが好きだけど、生でかじってもOKだ。摘みながら、茎の固さを確認すべく、口に放り込んでみると塩味がちょうどよかった。

 なんのドレッシングもいらない。抜群の塩加減。

 与えられた環境の中で生きる、とはこういうことなのか、と考えさせられもした。

 ハマボウフウは、化成肥料のまかれたフカフカの畑で、たっぷりの水分をもらって育てられる出荷野菜を、羨んだりはしないだろう。そして、その立場を望むこともないだろう。

 ハマボウフウにとっては、今いるこの地がすべて。
 弱い株は枯れ、強い株は生き残り。黙々と増えていくだけ。いいも悪いも、幸せも不幸せも、ない世界がここにはある。

 私が勝手に、「すごい生命力の植物だな~」と感心するだけで、当のハマボウフウにしたら、すごいもなにも、それがハマボウフウのすべて、なのだ。

 なんてことを考えながら、海をあとにした。

 ハマボウフウもあさりも、とても美味しかった。

食べられる花びら、フェイジョア

 フェイジョアの花びらは、食べることができるのである。

 知らなかった。その実は毎年食べてたけど、まさか花びらが食べられるなんて、知らなかった。

 満開のフェイジョアの木。芳香はない。おしべが散って、地面を赤く染めていた。その中にどうして白い花びらがないのか、不思議だったけれど。

 ある日。フェイジョアの木に近付くと、一斉に物凄い数の鳥が飛び立っていった。食べるものなどないだろうに、なぜ? 一瞬疑問に思ったけれど、そうか。考えてみたら、鳥はあの白い花びらを食べていたんだなあ。

 白い花びらをちぎって、口に入れてみた。甘味がある。それは、果実と同じ風味だ。ちょっと、バナナに似てる。南国のスピードで進む時間みたいに、まったりした味である。

 花びらを食べながら、そよ風に吹かれていた。空は晴れていた。

 平和な午後である。

幸せの料理

 思いがけず、ずっと気にかけていた方の消息を知った。

 もう、はるか遠い昔の話だ。その方は、私が短大時代に、たった10日間だけアルバイトをしたフランス料理のお店にいた方で。

 初めてみたとき、「大っきらいだ。この人のことは絶対好きになれん」と、いきなりものすごい反感を感じたのを覚えている。今思うと、かなり失礼なのだが、当時の私は「二枚目は自分の容姿を鼻にかけて、嫌な奴に違いない」という、妙な固定観念にとらわれていた。

 だから、バイトの面接に出かけたとき。その人が現れて、「面接の方ですね」とにっこり微笑んだ時、私は毛を逆立てて威嚇する猫のように、心中で反感を丸出しにして警戒した。
 いかん、この手の人がまともであるわけはない。用心しなきゃ、と。

 美しい顔立ちに、すらっとしたモデル体型。

 ゴージャス感を売りにした、キラッキラの店内。清潔な白シャツに、黒いロングエプロンだったろうか。全身から、軽く、発光していた。いや、真面目な話(^^;たたずんだその人は、息をのむほど美しかった。

 私は「大嫌いだ~」と心の中で大声で叫びつつ(今思うと、ほんと失礼極まりない)、その人に案内され、オーナーと面接。クリスマスの繁忙時期、10日間だけのバイトはとんとん拍子に決まった。

 そんなわけで、本当に失礼な反感とともに始まった私のバイト生活だったのだが、私の固定観念は、あっさり覆る。10日間は、私には十分すぎる時間だった。

 2つ年上のその人を、もう4日目頃には、尊敬と憧れの目でみつめていたと思う。私も、2つ年をとったら、こんなに素敵な人になれるのかな~と。2歳差とは思えないほど、大人だった。とにかく、新人に対して優しかったし、きちんと目を配ってくれて、困ったときにはこちらが助けを求める前に、すかさずフォロー。

 仕事ぶりも、凄かった。店では、オーナーであるムッシュの元、数名の若き料理人たちが修業を積んでいたけれど、その人は、中でもムッシュが特別、目をかけている一人だった。調理もするし、客が入る時間帯には着替えて、ギャルソンに変身。

 すごいなー、すごいなー。
 もうとにかく、尊敬して感謝していた。どれだけ助けてもらったかわからない。

 特に、裏方でお茶を用意する仕事では、注文がたてこんでくると、どのテーブルに何を用意していいのか、わけがわからなくなってくる。同じ紅茶でも、ストレートティー、ミルクティー、それによって茶葉も違えば、抽出の時間も異なる。加えてエスプレッソも、マシンの操作に慣れず、戸惑う。

 あーどうしよー。もうこんなに注文来ちゃったよ~。

 泣きたい気持ちでお茶を作っていると、彼は現れた。もう、スーパーマンに思えた。その人も、ギャルソンの仕事で大忙し(クリスマスは当然、満席である)なのに、手伝いに来てくれた。

 (まあ、今思うと、自分が運ばなきゃいけないのに、一向に準備されない飲み物にしびれをきらしたんだろうなあ・・・)

 「まだ作ってないのは、これだね。いいよ。僕がやってあげる」

 次の瞬間。ものっすごい高速で、魔法のように注文通りの飲み物が完成していく。手先は超スピードで動いているのに、体は、まるで音楽に合わせ踊っているかのように、楽しげにリズムをとっていた。顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。

 まじで? なに? すごすぎる。どんだけ軽くさばいてるんだ、この人。

 私は隣で、馬鹿のようにぽかーんと口をあけて、その人の早業を見ていた。

 その人が教えてくれたのは、人に対する優しさと、笑顔だ。さりげない心配り。連日の長時間勤務(実は私は他の早朝バイトとのかけもちをしていた)でへとへとになった私を、軽い冗談で笑わせる心遣いも嬉しかった。
 まだお客さんの入る前の時間帯。余裕のあるときに、茶目っ気たっぷりの表情で、発泡スチロールの箱を指さす。

 「これ、な~んだ?」
 「え? わかんないです」
 「赤ちゃんが使うのは、おまる。そしてこれは、オマール海老でした~」

 めっちゃ笑顔のイケメン。そして、その端正な唇から紡ぎだされる、なんとも素朴なギャグ。ふたをあけた箱の中では、まだ生きているオマール海老が、もそもそと動いていた。

 この時以来、私はオマール海老には特別な思いを抱くようになった。コース料理で、メインが選べる場合、そこに「オマール海老」の文字を見ると、つい懐かしくて注文してしまう。

 そして、極めつけの瞬間が来る。

 疲労がピークに達していた、クリスマスイブの夜。従業員はみんな、へとへとだった。当然、私も疲れていたが、その人はもっと疲れていたと思う。彼はバイトではなく正社員だったから、労働時間も長い。責任も重い。

 2回転したディナーも終わり、片付けのときだったと思う。その人は私の傍にやってきた。私がよっぽどヘロヘロになっていたのだろう、優しく声をかけてくれた。

 「大丈夫? 疲れてるでしょ。あともう少しだからね」

 極上の笑み。その人は、大笑い、というのではなく。いつも静かに笑う人だった。アルカイックスマイル?

 背の高いその人を、私は見上げる格好になっていた。至近距離に、その人の目があって。私は、その人の白目が、充血しているのを見た。

 その瞬間、悟った。
 ああ、本当はこの人の方が、私の何十倍も疲れているのだと。無理もない。私が出勤するときには、もうこの人は出勤してて。私が帰った後も、この人は残って片づけをしていく。
 バイトと正社員との違いがあるから、正社員の方が大変なのは仕方ないとはいえ、人間の体である。疲れているのは、間違いないのである。

 だけど、この人は、一度だって疲れたなんて弱音は吐かなかった。疲れてる素振りなんて、絶対に見せなかった。私がヘロヘロになっていたら、笑わせて励ましてくれた。
 そして今も。こんなに充血した目で、他人を思いやる気持ちを持った人なんだ。

 体中、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 私は間違っていた。綺麗な人だから、どうせチャラチャラした人なんだと、最初から歪んだ目で見ていた。でもこの人は本当に料理が好きで、料理人の道を真摯に邁進していて。仕事を、人を、真正面から見てる人なんだなあって。

 当時の私は若く、「笑う」ということに対して、斜に構えていた。笑ったら負け、的な考えを持っていたのも事実。
 もちろん、全然笑わなかったわけではない。愛想笑いなら、ちゃんとできた。だけど、他人の前で心から笑う、とか。素直に笑う、ということに対して、自分の中では、妙な葛藤みたいなものがあった。

 いろいろあって、すごく悩んで苦しかった時期だったし。もがいていた暗闇の中で、笑うことに対して、ネガティブになっていた。裏返せば恐怖心なんだけど。笑うことが、恐かったのかもしれない。笑ったら損、笑ったら負け、そんな風に思っていた。

 でもその人は。
 苦しい中でも笑っていた。暗闇に射す光、とは、このことだろうか。そのとき、どれだけ私が深い感銘を受けたのか、たぶんその人自身は全く知らなかったと思う。
 ただ、あの時点で私は「笑う」ことに対してポジティブになっていた。もう、笑うことに対して、抵抗は全く、なくなっていた。

 笑顔は力だ。
 あのとき、充血した目で笑ってくれた人。私の疲労感は一瞬にして消えた。その夜、とても寒い夜だったはずなのに、外に出ても全く寒さを感じなかった。感動していたから。
 不思議なくらい、体は温かくて、ふわふわと高揚感があった。

 あんなに綺麗な人が、あんなに惜しまず笑ってくれるのに。
 私はなにを恐れて、笑わないのか。それは、傲慢すぎるだろう、と、自分を諌めた。今日から笑おう。

 そして、その日を境に、私は本当に、笑うようになった。どんな言葉より、その日の体験が、劇的に私を変えたと思う。あの日がなかったら、今の私はいない。

 そして、そんな劇的な体験をしてしまったものだから、私は以後、あまりにも尊敬しすぎて、その人に近付けなくなってしまった。私にとってその人は、神様みたいに神々しく、輝いて見えた。

 バイト終了日。
 一番年上のコックさんが、言ってくれた。
「ディナーは高いけど、ランチなら学生さんでも食べられる値段だし、ぜひ、また食べにおいでよ」
 「はい」と笑顔の私。でも、心の中では叫んでた。来られるはずない。もう、その人に近付くことは、苦痛でしかなかった。あまりにもまぶしくて、顔を見るだけで、胸が痛かった。

 そして、その人から聞いた、最後の言葉。

 「また来年も(クリスマスの繁忙期には)、来る?」

 「来年のことは、まだわかりません」

 またしても、笑顔で答えながら、私は心の中でつぶやいていた。絶対来ない。来れるはずがありません。あなたに会うことが苦しいんです。あなたがいなければ来られます。でもいるなら無理~~。

 そして、バイトが終了した日から、本当に、二度と、私はそのレストランに行くことはありませんでした。

 実際、無理でした。お店の近くの道にさしかかっただけで、心臓がばくばく言い始める。足が前に進まない。だってその店には、その人がいる。考えただけで、胸が張り裂けそうでした。行けるはずない。考えただけで、苦しくなる。

 翌年、またクリスマスの時期には、別のバイトをしていました。その人のことを考えながら。元気にしているだろうか。相変わらず、バリバリ働いているんだろうなあ、と考えながら。

 そうして、月日が流れ、私はあちこちに引越し、そんな中で、なんとなくテレビの特集を見ていると。地方のおいしいレストランを紹介する番組に、なんと、あの店が出ているではありませんか。
 私は画面に釘付けになりました。でも、ムッシュとマダムは出たけど、その人は登場しなかった。お店を辞めたんだと、そのとき直感で思いました。

 それからもずっと気にかけていたけど、ある時友人にこの話をしたら、言われました。

 「いや~、それだけ綺麗な人なら、料理の道というより、水商売に行ってる気がするな~。本人にその気がなくても、誘惑多いでしょ。料理って厳しい世界だというし、ホストとかバーテンとかさー。そっち系に行ってる気がする。それに若い頃いくら綺麗でも、今は案外太ってると思うね。立派に中年太りしてるでしょ。そんなもんだって」

 確かに・・・そんな気もしました。料理人というには、あまりにも綺麗すぎたような。その美貌は、むしろ足を、引っ張ることになるのではないかと。

 ところがつい最近、ふとしたことでその人の消息がわかりました。

 その人はお店を辞めて、外国に修行に行って、それからいくつかの有名店に勤めて。今は、自分のお店を出していたのです。すごいすごい。やっぱり変わってない~。着実に自分の道を歩んでる人だ。尊敬します。

 そして、それを知ったのは、私がちょうど、落ち込んでいるときでした。このタイミングもすごい(^^;

 これはもう、行ってきて爪の垢もらってこい、ということだと思うので、その人のお店に行って、ご飯食べてくることにしました。思いきり落ち込んでいる今だからこそ、きっとエネルギーがもらえると思う。

 もちろんその人は、私のことなんて全く覚えてないでしょう。たかだか10日間、それも1度だけ、バイトに来た人間のことなど。私も、何を言うつもりもありません。その人はきっと厨房にいて、客と顔を合わせることなどないでしょうし。ただ、しっかり、味わってきます。
 料理には、その人の心がつまってると思うから。その人の料理を食べたら、きっと何か、また動く力をもらえるような気がするのです。

 その人のたどってきたであろう、厳しい道のことを思いました。きっと、いろんなことがあったはず。でも、くじけなかった。やっぱり尊敬します。そして、当時教えてくれた笑顔の力に、心から感謝しています。

 本人には一生言えないので、ネット上でつぶやきました~ヽ(´▽`)/

 ありがとうございました。

金環日蝕を眺める

 金環日蝕を見ました。

 二週間前に専用グラスを買って、楽しみに待ってました。最初、空が曇っていて、部屋で待機していたところ、窓の外にさーっと光が射してきたではありませんか。

 それっと部屋を出て、グラス越しに覗いてみると・・・見事に、少し欠け始めた太陽が見られました。太陽が欠ける、月のようになる、なんて、不思議な気分・・・。

 目に悪い、とは知りながら、グラスを外して、一瞬、肉眼で見てしまいました。グラス越しだと、欠けた形だけをくっきりと観察することになるのです。グラスがあると、色や、太陽以外のものは真っ暗で、なにも見えません。
 裸眼で見たらどうなるんだろう、今目の前にはどんな景色が広がってるんだろう。その好奇心に抗えず、見上げた空に映ったものは。

 いつもとまったく変わらない太陽。
 肉眼だと、形の変化なんてわからないんですね。ただただ眩しく。目がチカチカして、すぐに視線を逸らしました。これ、日蝕専用グラスで見なかったら、欠けてることに気付かないレベルかも。

 そのまま、専用グラスで観察を続けます。辺りには特別の音もなく、光の大幅な減少も感じられず。

 でも、グラスを覗きこむと、欠けた割合はだんだんと大きくなり。ついにリングが現れた瞬間・・・・。

 また、ちらりと肉眼で見てしまいました。
 どうしても見たかった~。どんな感じになっているんだろうと。

 一瞬見た太陽は。空の色は、さすがに暗く、普段とは違う光量の減少を感じさせ。
 浮かびあがった光は、私の中のイメージがそうさせるのかなんなのか、青白く見えました。あの、リングの部分が。ぼーっと青白く発光しているように、見えました。

 薄暗い空に輝く、青白いリング。とても、幻想的な光景です。

 すぐに、専用グラスでの観察に戻りました。金環が見られるのはだいたい5分くらいしかなく。その間、ときおり、薄い雲が、微妙に太陽にかかったりするときもあって。
 雲がかかると、グラスにはなにも映らなくなります。真っ暗。

 日蝕が天文現象であると知らなかった昔の人は、大変な恐怖を感じたといいますが。

 真昼間の皆既日蝕ならともかく、今回のような金環日蝕や部分日蝕なら、気付かない人も多かったんじゃないかな~なんて、思っちゃいました。完全に真っ暗になるわけではないから。
 少し欠けたくらいでは、肉眼ではその欠けた部分、わからないです。太陽の光が強すぎて、それを裸眼で見るのは無理だから。あれ、少し暗いなあ、くらいに感じたのではないかと。

 そしてその暗さも、「雲が出てきたのかな」なんて思ったかもしれないですね。

 よく晴れた日に、燦々と太陽の光が降り注いでいたのに、雲が出てさーっと辺りが暗くなる、夏の夕立ちを、思い出しました。

 日本の広範囲で金環日蝕が見られたのは、なんと932年ぶりということで、本当に珍しい現象なのだとわかります。今日パソコンで「きんかんにっしょく」と打ちこんだとき、一発で漢字変換できなかったのにも、納得です。それだけ、稀な現象ということで。

 貴重なものが見られて、幸せな朝でした。