幸せの料理

 思いがけず、ずっと気にかけていた方の消息を知った。

 もう、はるか遠い昔の話だ。その方は、私が短大時代に、たった10日間だけアルバイトをしたフランス料理のお店にいた方で。

 初めてみたとき、「大っきらいだ。この人のことは絶対好きになれん」と、いきなりものすごい反感を感じたのを覚えている。今思うと、かなり失礼なのだが、当時の私は「二枚目は自分の容姿を鼻にかけて、嫌な奴に違いない」という、妙な固定観念にとらわれていた。

 だから、バイトの面接に出かけたとき。その人が現れて、「面接の方ですね」とにっこり微笑んだ時、私は毛を逆立てて威嚇する猫のように、心中で反感を丸出しにして警戒した。
 いかん、この手の人がまともであるわけはない。用心しなきゃ、と。

 美しい顔立ちに、すらっとしたモデル体型。

 ゴージャス感を売りにした、キラッキラの店内。清潔な白シャツに、黒いロングエプロンだったろうか。全身から、軽く、発光していた。いや、真面目な話(^^;たたずんだその人は、息をのむほど美しかった。

 私は「大嫌いだ~」と心の中で大声で叫びつつ(今思うと、ほんと失礼極まりない)、その人に案内され、オーナーと面接。クリスマスの繁忙時期、10日間だけのバイトはとんとん拍子に決まった。

 そんなわけで、本当に失礼な反感とともに始まった私のバイト生活だったのだが、私の固定観念は、あっさり覆る。10日間は、私には十分すぎる時間だった。

 2つ年上のその人を、もう4日目頃には、尊敬と憧れの目でみつめていたと思う。私も、2つ年をとったら、こんなに素敵な人になれるのかな~と。2歳差とは思えないほど、大人だった。とにかく、新人に対して優しかったし、きちんと目を配ってくれて、困ったときにはこちらが助けを求める前に、すかさずフォロー。

 仕事ぶりも、凄かった。店では、オーナーであるムッシュの元、数名の若き料理人たちが修業を積んでいたけれど、その人は、中でもムッシュが特別、目をかけている一人だった。調理もするし、客が入る時間帯には着替えて、ギャルソンに変身。

 すごいなー、すごいなー。
 もうとにかく、尊敬して感謝していた。どれだけ助けてもらったかわからない。

 特に、裏方でお茶を用意する仕事では、注文がたてこんでくると、どのテーブルに何を用意していいのか、わけがわからなくなってくる。同じ紅茶でも、ストレートティー、ミルクティー、それによって茶葉も違えば、抽出の時間も異なる。加えてエスプレッソも、マシンの操作に慣れず、戸惑う。

 あーどうしよー。もうこんなに注文来ちゃったよ~。

 泣きたい気持ちでお茶を作っていると、彼は現れた。もう、スーパーマンに思えた。その人も、ギャルソンの仕事で大忙し(クリスマスは当然、満席である)なのに、手伝いに来てくれた。

 (まあ、今思うと、自分が運ばなきゃいけないのに、一向に準備されない飲み物にしびれをきらしたんだろうなあ・・・)

 「まだ作ってないのは、これだね。いいよ。僕がやってあげる」

 次の瞬間。ものっすごい高速で、魔法のように注文通りの飲み物が完成していく。手先は超スピードで動いているのに、体は、まるで音楽に合わせ踊っているかのように、楽しげにリズムをとっていた。顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。

 まじで? なに? すごすぎる。どんだけ軽くさばいてるんだ、この人。

 私は隣で、馬鹿のようにぽかーんと口をあけて、その人の早業を見ていた。

 その人が教えてくれたのは、人に対する優しさと、笑顔だ。さりげない心配り。連日の長時間勤務(実は私は他の早朝バイトとのかけもちをしていた)でへとへとになった私を、軽い冗談で笑わせる心遣いも嬉しかった。
 まだお客さんの入る前の時間帯。余裕のあるときに、茶目っ気たっぷりの表情で、発泡スチロールの箱を指さす。

 「これ、な~んだ?」
 「え? わかんないです」
 「赤ちゃんが使うのは、おまる。そしてこれは、オマール海老でした~」

 めっちゃ笑顔のイケメン。そして、その端正な唇から紡ぎだされる、なんとも素朴なギャグ。ふたをあけた箱の中では、まだ生きているオマール海老が、もそもそと動いていた。

 この時以来、私はオマール海老には特別な思いを抱くようになった。コース料理で、メインが選べる場合、そこに「オマール海老」の文字を見ると、つい懐かしくて注文してしまう。

 そして、極めつけの瞬間が来る。

 疲労がピークに達していた、クリスマスイブの夜。従業員はみんな、へとへとだった。当然、私も疲れていたが、その人はもっと疲れていたと思う。彼はバイトではなく正社員だったから、労働時間も長い。責任も重い。

 2回転したディナーも終わり、片付けのときだったと思う。その人は私の傍にやってきた。私がよっぽどヘロヘロになっていたのだろう、優しく声をかけてくれた。

 「大丈夫? 疲れてるでしょ。あともう少しだからね」

 極上の笑み。その人は、大笑い、というのではなく。いつも静かに笑う人だった。アルカイックスマイル?

 背の高いその人を、私は見上げる格好になっていた。至近距離に、その人の目があって。私は、その人の白目が、充血しているのを見た。

 その瞬間、悟った。
 ああ、本当はこの人の方が、私の何十倍も疲れているのだと。無理もない。私が出勤するときには、もうこの人は出勤してて。私が帰った後も、この人は残って片づけをしていく。
 バイトと正社員との違いがあるから、正社員の方が大変なのは仕方ないとはいえ、人間の体である。疲れているのは、間違いないのである。

 だけど、この人は、一度だって疲れたなんて弱音は吐かなかった。疲れてる素振りなんて、絶対に見せなかった。私がヘロヘロになっていたら、笑わせて励ましてくれた。
 そして今も。こんなに充血した目で、他人を思いやる気持ちを持った人なんだ。

 体中、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 私は間違っていた。綺麗な人だから、どうせチャラチャラした人なんだと、最初から歪んだ目で見ていた。でもこの人は本当に料理が好きで、料理人の道を真摯に邁進していて。仕事を、人を、真正面から見てる人なんだなあって。

 当時の私は若く、「笑う」ということに対して、斜に構えていた。笑ったら負け、的な考えを持っていたのも事実。
 もちろん、全然笑わなかったわけではない。愛想笑いなら、ちゃんとできた。だけど、他人の前で心から笑う、とか。素直に笑う、ということに対して、自分の中では、妙な葛藤みたいなものがあった。

 いろいろあって、すごく悩んで苦しかった時期だったし。もがいていた暗闇の中で、笑うことに対して、ネガティブになっていた。裏返せば恐怖心なんだけど。笑うことが、恐かったのかもしれない。笑ったら損、笑ったら負け、そんな風に思っていた。

 でもその人は。
 苦しい中でも笑っていた。暗闇に射す光、とは、このことだろうか。そのとき、どれだけ私が深い感銘を受けたのか、たぶんその人自身は全く知らなかったと思う。
 ただ、あの時点で私は「笑う」ことに対してポジティブになっていた。もう、笑うことに対して、抵抗は全く、なくなっていた。

 笑顔は力だ。
 あのとき、充血した目で笑ってくれた人。私の疲労感は一瞬にして消えた。その夜、とても寒い夜だったはずなのに、外に出ても全く寒さを感じなかった。感動していたから。
 不思議なくらい、体は温かくて、ふわふわと高揚感があった。

 あんなに綺麗な人が、あんなに惜しまず笑ってくれるのに。
 私はなにを恐れて、笑わないのか。それは、傲慢すぎるだろう、と、自分を諌めた。今日から笑おう。

 そして、その日を境に、私は本当に、笑うようになった。どんな言葉より、その日の体験が、劇的に私を変えたと思う。あの日がなかったら、今の私はいない。

 そして、そんな劇的な体験をしてしまったものだから、私は以後、あまりにも尊敬しすぎて、その人に近付けなくなってしまった。私にとってその人は、神様みたいに神々しく、輝いて見えた。

 バイト終了日。
 一番年上のコックさんが、言ってくれた。
「ディナーは高いけど、ランチなら学生さんでも食べられる値段だし、ぜひ、また食べにおいでよ」
 「はい」と笑顔の私。でも、心の中では叫んでた。来られるはずない。もう、その人に近付くことは、苦痛でしかなかった。あまりにもまぶしくて、顔を見るだけで、胸が痛かった。

 そして、その人から聞いた、最後の言葉。

 「また来年も(クリスマスの繁忙期には)、来る?」

 「来年のことは、まだわかりません」

 またしても、笑顔で答えながら、私は心の中でつぶやいていた。絶対来ない。来れるはずがありません。あなたに会うことが苦しいんです。あなたがいなければ来られます。でもいるなら無理~~。

 そして、バイトが終了した日から、本当に、二度と、私はそのレストランに行くことはありませんでした。

 実際、無理でした。お店の近くの道にさしかかっただけで、心臓がばくばく言い始める。足が前に進まない。だってその店には、その人がいる。考えただけで、胸が張り裂けそうでした。行けるはずない。考えただけで、苦しくなる。

 翌年、またクリスマスの時期には、別のバイトをしていました。その人のことを考えながら。元気にしているだろうか。相変わらず、バリバリ働いているんだろうなあ、と考えながら。

 そうして、月日が流れ、私はあちこちに引越し、そんな中で、なんとなくテレビの特集を見ていると。地方のおいしいレストランを紹介する番組に、なんと、あの店が出ているではありませんか。
 私は画面に釘付けになりました。でも、ムッシュとマダムは出たけど、その人は登場しなかった。お店を辞めたんだと、そのとき直感で思いました。

 それからもずっと気にかけていたけど、ある時友人にこの話をしたら、言われました。

 「いや~、それだけ綺麗な人なら、料理の道というより、水商売に行ってる気がするな~。本人にその気がなくても、誘惑多いでしょ。料理って厳しい世界だというし、ホストとかバーテンとかさー。そっち系に行ってる気がする。それに若い頃いくら綺麗でも、今は案外太ってると思うね。立派に中年太りしてるでしょ。そんなもんだって」

 確かに・・・そんな気もしました。料理人というには、あまりにも綺麗すぎたような。その美貌は、むしろ足を、引っ張ることになるのではないかと。

 ところがつい最近、ふとしたことでその人の消息がわかりました。

 その人はお店を辞めて、外国に修行に行って、それからいくつかの有名店に勤めて。今は、自分のお店を出していたのです。すごいすごい。やっぱり変わってない~。着実に自分の道を歩んでる人だ。尊敬します。

 そして、それを知ったのは、私がちょうど、落ち込んでいるときでした。このタイミングもすごい(^^;

 これはもう、行ってきて爪の垢もらってこい、ということだと思うので、その人のお店に行って、ご飯食べてくることにしました。思いきり落ち込んでいる今だからこそ、きっとエネルギーがもらえると思う。

 もちろんその人は、私のことなんて全く覚えてないでしょう。たかだか10日間、それも1度だけ、バイトに来た人間のことなど。私も、何を言うつもりもありません。その人はきっと厨房にいて、客と顔を合わせることなどないでしょうし。ただ、しっかり、味わってきます。
 料理には、その人の心がつまってると思うから。その人の料理を食べたら、きっと何か、また動く力をもらえるような気がするのです。

 その人のたどってきたであろう、厳しい道のことを思いました。きっと、いろんなことがあったはず。でも、くじけなかった。やっぱり尊敬します。そして、当時教えてくれた笑顔の力に、心から感謝しています。

 本人には一生言えないので、ネット上でつぶやきました~ヽ(´▽`)/

 ありがとうございました。

金環日蝕を眺める

 金環日蝕を見ました。

 二週間前に専用グラスを買って、楽しみに待ってました。最初、空が曇っていて、部屋で待機していたところ、窓の外にさーっと光が射してきたではありませんか。

 それっと部屋を出て、グラス越しに覗いてみると・・・見事に、少し欠け始めた太陽が見られました。太陽が欠ける、月のようになる、なんて、不思議な気分・・・。

 目に悪い、とは知りながら、グラスを外して、一瞬、肉眼で見てしまいました。グラス越しだと、欠けた形だけをくっきりと観察することになるのです。グラスがあると、色や、太陽以外のものは真っ暗で、なにも見えません。
 裸眼で見たらどうなるんだろう、今目の前にはどんな景色が広がってるんだろう。その好奇心に抗えず、見上げた空に映ったものは。

 いつもとまったく変わらない太陽。
 肉眼だと、形の変化なんてわからないんですね。ただただ眩しく。目がチカチカして、すぐに視線を逸らしました。これ、日蝕専用グラスで見なかったら、欠けてることに気付かないレベルかも。

 そのまま、専用グラスで観察を続けます。辺りには特別の音もなく、光の大幅な減少も感じられず。

 でも、グラスを覗きこむと、欠けた割合はだんだんと大きくなり。ついにリングが現れた瞬間・・・・。

 また、ちらりと肉眼で見てしまいました。
 どうしても見たかった~。どんな感じになっているんだろうと。

 一瞬見た太陽は。空の色は、さすがに暗く、普段とは違う光量の減少を感じさせ。
 浮かびあがった光は、私の中のイメージがそうさせるのかなんなのか、青白く見えました。あの、リングの部分が。ぼーっと青白く発光しているように、見えました。

 薄暗い空に輝く、青白いリング。とても、幻想的な光景です。

 すぐに、専用グラスでの観察に戻りました。金環が見られるのはだいたい5分くらいしかなく。その間、ときおり、薄い雲が、微妙に太陽にかかったりするときもあって。
 雲がかかると、グラスにはなにも映らなくなります。真っ暗。

 日蝕が天文現象であると知らなかった昔の人は、大変な恐怖を感じたといいますが。

 真昼間の皆既日蝕ならともかく、今回のような金環日蝕や部分日蝕なら、気付かない人も多かったんじゃないかな~なんて、思っちゃいました。完全に真っ暗になるわけではないから。
 少し欠けたくらいでは、肉眼ではその欠けた部分、わからないです。太陽の光が強すぎて、それを裸眼で見るのは無理だから。あれ、少し暗いなあ、くらいに感じたのではないかと。

 そしてその暗さも、「雲が出てきたのかな」なんて思ったかもしれないですね。

 よく晴れた日に、燦々と太陽の光が降り注いでいたのに、雲が出てさーっと辺りが暗くなる、夏の夕立ちを、思い出しました。

 日本の広範囲で金環日蝕が見られたのは、なんと932年ぶりということで、本当に珍しい現象なのだとわかります。今日パソコンで「きんかんにっしょく」と打ちこんだとき、一発で漢字変換できなかったのにも、納得です。それだけ、稀な現象ということで。

 貴重なものが見られて、幸せな朝でした。

静謐な世界を夢見る人

 みかんの「はるか」を食べながら、「静謐」という言葉について、考えている。

 「はるか」は、皮がオレンジじゃなく黄色、ずばりレモン色。見た目は酸っぱそうにしか見えないのだけれど、食べてびっくり。見かけほど酸味がなく、さっぱりとした甘さでパクパクいける。

 そのギャップや味も楽しいが、なにより名前がいい。

 「はるか」って、好きな名前なのだ。ちなみに、女優の綾瀬はるかさんも好きだ(^^) 特にマックスファクターのCMがよい。

 「はるか」には、どんな漢字が似合うだろう。

 「遥か」「晴香」。とっさに思いつくのはこの2つ。前者は、どこまでも続く空。田園風景。遠くに霞む山々。思わず深呼吸したくなる。

 後者は、人の名前。響きがキリっとしていて、強い意志を秘めているようで。
 強い人が好きだ。この名前から浮かぶイメージは、凛とした強さ。

 イメージと言えば、「静謐」という言葉がもたらす、湿度も好き。静けさと一緒に、冷たさと、適度な湿り気を感じるのだ。

 「静謐」って、氷に似ている、と思う。温かさに溶けていく水の音。凍りついた水が、音もたてずに姿を変えていく。

 溶けた水は、若葉の先に滑り落ちて、水玉は5月の緑を映すだろう。

 といいつつ、「静謐」なんて言葉、知識としては知っていても、その意味を深く考えることなんて今までなかった。

 考え始めたのは、「静謐」な世界を待つ、なんて表現をした人がいたからだ。その言葉を聞いた日から、事あるごとに、ふっと考えてしまう。
 どんなだろうなあ。静謐な世界。

 逆に言えば、どれだけの喧騒に、その人は囲まれているのだろうか。うるさければうるさいだけ、その先にある、透き通った世界を待ち望んでいるんだろうか。

 自分と同じ世界を、人もまた生きているとは限らない、と思う。その人の目に映る世界は、今どんなだろう。
 私はその人じゃないのだから、その人が見ているものをそのまま、見ることなんてかなわないわけですが。見られたらいいのにって、思いました。見てみたいです。

 

 時間がたてばたつほど、「静謐」な世界のイメージは、どんどん膨らんでいきます。 

雲の海にて

 雲の海に浮かぶ月の、幻想的な光景を見ていました。満月まであと3日。

 上空の風の流れは強くて、刻々と形を変える雲に、月は隠されたり、また輝きを増したり。月の光が雲に当たると、不思議な陰影が生まれます。それは本当に、心を打たれる景色です。

 懐かしいような、せつないような。なんとも形容しがたい気持ちが生まれます。この気持ちはなんなんだろう、と。

 私は古い洋館や、廃墟や、大きな建物のガランとした静寂が好きなのですが、それを見たりその場に立ったときと同じような、感情が涌き出るのを感じました。

 根底にあるものは、いつも同じような感情です。でもそれをうまく形容できる言葉がなくて。一番近いのは、郷愁とか、ノスタルジィ、でしょうか。

 どうしてこんな気持ちになるのだろうと思いつつ。その気持ちは不快なものではないから。その感情に、自然と心を委ねるのですけれども。その感情の成分には、悲しさや寂しさも、含まれているような気がします。

 本当なら、悲しさも寂しさも、負の感情ではないかとおもうのですが。どうして自分は敢えてそうした感情の涌き出るこうした光景を好きなのか。それを望んでいるのか、謎です。

 甘いお菓子の中に、ほんの一つまみの塩を加えることで、さらなる甘さが期待できるから? それを深層心理で知っているから?

 月の美しい情景は、単純に楽しく、幸せな感情だけではなく。むしろ、痛みにも容易に置き換えられるような、なにかを掻き立てると思います。

 ベートーベンの月光、第一楽章は、今日の月によく似合います。

白い猫と沈丁花

 沈丁花という言葉は知っていた。その花が、良い香りも持つことも知っていた。ただ、これが沈丁花なのだとはっきり認識して眺めたのは、その家の庭先が初めてだった。

 仕事である作業をすることになり、私を含めた三人は、とある民家に集まった。

 指定された住所にあるのは、ビルではなく、普通の家。
 あえて言うなら、そこは注文住宅だったと思う。間取りが一般的ではなかったから。

 どの部屋も、ゆったりとした広さだった。使われている材料も、高級そうなものばかりで。

 がらんとした室内には、家具はない。すでに運び出されてしまったのだろう。会社が、売家を買ったのだ。ただ、大きなピアノだけが一台、残されたままだった。

 三人が作業するための大きなテーブルと、椅子。そしてパソコン一式は、すでに用意されていた。。

 この家に、生活感のあるものはない。静けさの漂う室内で、私たち三人は黙々とPCに向かった。

 作業スペースは二階にあったが、お昼には私は一階に下りた。一番日当たりのいい部屋が、そこにはあり。大きな掃き出し窓から、陽光がまぶしく降り注いでいた。

 その窓を開けた。網戸越しに、外の景色をぼんやりと眺める。

 不意に、足元に動くものの気配を感じた。その緊張は、「ニャー」という声と共に解けた。

 なんだ、猫か。白い毛の猫は、あまり毛艶がよくなかったけれど。人に慣れ、こちらを警戒するどころか寄ってくるところからして、野良猫ではない、と思う。

 猫は再び、「ニャー」と声をあげる。鷹揚な態度。なにかをしきりに訴えかけているようだ。エサでもほしいのかと思い、網戸をあけてみると猫は、すかさずするりと、部屋へ入りこもうとした。

 「入っちゃだめ」
 慌てて私は、猫を手で追い払う。すぐに網戸も閉めた。猫は恨めしそうに私を眺め、しばらく不服そうに座っていたが、やがてゆっくりと、どこかへ去って行った。

 この民家での作業は、10日間。
 すぐに私は、この猫の事情を知ることになった。この猫は野良猫ではない。この家に住んでいた猫なのだ。
 家の裏手には、猫ハウスが置いてあった。それはもともと室内用のもの。だが今の猫には、この猫ハウス以外に居場所がない。

 だから、隙あらば室内へ入ろうとするのだ。

 猫にしてみれば、ある日突然、慣れ親しんだ家人がいなくなり、自分の居場所が屋外になったのだもの。そりゃあ、以前のように、家の中へ帰ろうとして当たり前だ。

 人間世界の事情など、売買など、猫にはわからない。猫にしてみたら、突然やってきた私たちこそが、余所者なのだ。

 勝手に人の家の中に入ろうとするなんて、ずうずうしい猫だな、と思っていた私の気持ちは、180度変わった。飼い主に捨てられたことも知らず、元の家に入ろうとする哀れさが、痛々しかった。

 かといって、私が猫を勝手に家に入れるわけにもいかない。そうかといって、自分の家に連れ帰るわけにもいかない。私はただ、その猫をみているしかなかった。

 近所の人が、可哀想に思って猫の餌は定期的に置いているようだった。そして猫は、私が最初に思っていたよりずっと、年をとっているようだった。鷹揚なしぐさにみえたのは、高齢で俊敏な動きができないからだと、だんだんわかってきた。

 10日間の作業のうち。ひどく、雨が降った日があった。一日の作業を終え、帰ろうと玄関を出たとき。気になって、猫ハウスをのぞいてみた。

 激しい雨から身を避けるように。猫はハウスの奥で、体を小さく丸めていた。私は、せめて雨が入口から少しでも入らないようにと、風の向きを考え、猫ハウスの位置をずらすくらいしかできなかった。

 そしてある日、ピアノが家から運び出されていった。
 急な引越しで、ピアノを処分する時間も、なかったのだろうか。この家の売買は、このピアノも込みで行われたのだろうか。
 業者は淡々と、ピアノを移動させ、去って行った。

 良いピアノだった。ありし日には、誰がこのピアノを弾いたのだろう。この家、そしてピアノ。恵まれたこの家に、いったいなにがあったのだろう。そして、残された猫。

 猫をそのままにしているのは、会社の温情のようだった。猫は高齢だったし、屋外で長生きはできないと、予想したのだろう。
 猫ハウスの中で、うつらうつらと眠る猫は、どんな夢をみているのだろうか。楽しかった時代のことだろうか。

 10日間の作業を終えた日。辺り一面に、なんともいえない芳香が漂った。香りの元は、沈丁花だった。その家には、それはそれは立派な沈丁花が、大きく育って咲き乱れていたから。

 これが沈丁花か。私は花に顔を寄せ、胸いっぱいにその香りを吸いこんだ。そしてその香りと花の形を、しっかり胸に焼き付けた。

 沈丁花の香りが漂う季節になると、いつもあの家のことを考える。そして、あの名前も知らない猫のことも。