映画『美女と野獣』 感想

  映画『美女と野獣』を見ました。以下、感想を書いていますがネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 童話の世界が、現代の映像技術でどう表現されるのか、わくわくしながら見に行ってきました。
 結果。圧巻です~~。おとぎ話の世界がリアルに、目の前に広がっていました。野獣の心を象徴するような、荒れ果てた寂しいお城。植物に覆いつくされ、飲み込まれていくような石壁。領土を取り囲む、意志を持った魔法の森。こういうファンタジーや幻想的な色づかい、大好きです。

 この映画を見終って、感想を一言述べるとするならば、これに尽きます。

 古今東西、美しい少女はその美しさゆえに、残酷(^^;

 映画の中のセリフ、すべて完璧に覚えているわけでないので、細かい部分は間違っているかもしれませんが。たとえばこんなシーンがあったんですよ。
 恐ろしい容貌の野獣と、ダンスをする代わりに、家族との面会を要求するベル。たしか、昔読んだ童話では、心優しい少女として描かれていましたが、映画のベルはずいぶん強く、勝気な面を持っています。

 二人きりの舞踏会。私がリードするからと、ベルは最初から自信満々です。その上から目線はどこから来るんだ、と突っ込みたくなるくらいです。どちらかといえば、消極的な野獣と。勝ちを見据えたかのような、余裕のベル。二人きりの舞踏会。

 踊るうちに、あれ、なんだかいい雰囲気です。ベルは、取引とは思えないほどリラックスした表情で。野獣に対しまるで好意を持っているかのように、安心して身を任せ、踊り続けます。まあ、ああいうダンスはそういうものだと言われればそれまでですが、二人の距離はみるみる縮まって、まるで本当の恋人同士みたい。

 当然、野獣は勘違いします。うん。あれは私が野獣でも、勘違いしてます。たとえ始まりがあんなであっても、踊り続けるベルの表情には、親しみと好意があふれていたから。

 野獣の口から、自然に言葉がこぼれるのです。

>愛してくれるか?

 その瞬間、ベルは表情を一変させ、あらん限りの力で野獣を思いっきり突き飛ばします。親の仇に初めてあったかのような、ものすごい勢いで。

 私は見ていて、野獣が気の毒になってしまいました。ないわ~。いくらなんでもあれはないわ~。ひどすぎる。
 野獣が自分を好きなことを知っていて、ダンスを取引の材料にしたあげく。嬉しそうに幸せそうに笑ってみせて。安心しきった表情で、体を預けるようにして踊ってみせたのに。

 野獣は聞いただけです。なにも無体なことをしようとしたわけではありません。ただ、嬉しくなって、期待してしまっただけではありませんか。たとえベルが実際野獣を嫌いだったとしても、あの豹変ぷりは鬼畜です。

 全身全霊で野獣を突き飛ばし、憎悪に燃えた目で見据えたあげく、いくつものひどい言葉で罵ります。

 王子の格好なんてして! だとか。別にいいじゃありませんか(^^; まあ実際王子なのですし。体は呪いで野獣かもしれませんが。そこでさらっとそういう言葉が出てくるベルの方が怖いです。

>残酷で孤独な野獣のくせに!!

 言いますかねえ、そんなこと。つまり、「あんたみたいな野獣が、人間の私に愛されることを願うなんて、身の程知らずも甚だしい!」ってことですよね。なんという特権意識。
 野獣は自分が野獣であることを恥じています。その姿の醜さも、わかりすぎるほどわかっています。その人にこんなこと、言うのか。そりゃひどいわ。心に野獣を持つのは、むしろベルの方です。

 勘違いさせるようなことするなよ~、と思ってしまいました。
 野獣を誘惑して、それに乗ってきたらとたんに手のひら返し、あんまりではないですか。

 この、ベルの残酷っぷりが、物語の前半で存分に表現された上での、ラストシーン。

 死の淵にある野獣の、弱々しい問いかけ。

>いつの日にか、俺を愛してくれるか? 

 私は胸を衝かれました。そうだよね・・・前回思いっきり失敗してるからね。彼女の笑顔に惑わされ、もしかしたらこんな自分でも愛されるんじゃないかと夢をみて、次の瞬間、すべての期待を粉々に打ち砕かれた絶望。

 「いつの日にか」という言葉にこめられた野獣の弱さを、私は思いました。
 愛されていないことはわかってる。でもいつの日にか。遠い未来でもいい。少しでもその、可能性があるなら。約束じゃなくていいから、ほんの少しの希望があるなら、それでいいから。

 そのとき、ベルは前回とは違いました。間髪入れずにこう答えます。

>もう愛してる

 よかったね~よかったね~野獣さん。と、私は思わず野獣に祝福のコメントを、心の中で呟いてしまったのでした。前のがあんまりひどすぎたからね(^^; もう同情するしかなかったですもん。

 野獣役のヴァンセン・カッセルは、王子というにはちと年上? そして王子というには少しワイルドすぎるような気もしました。王子というより、王子のお父さん、王様のほうが似合うかなあ。

 こういうのは、フランス人と日本人の感覚の違いなのかもしれない、と思いました。フランスだとたぶん、華奢で若い役者さんは、浅い印象であまり人気がないのかな。フランス人が魅了を感じるのは、これくらい渋い、大人な俳優さんなのかなあと。

 ベル役のレア・セドゥさんは実年齢よりもずいぶん若く、少女そのものに見えました。あどけなく無垢で、その反面、強か、残酷。
 野獣が用意した心づくしのドレスが、どれもよく似合っていました。私が一番好きなのは、一番最初に用意された白のドレス。清楚で可愛かったなあ。純粋さを象徴するような乙女ドレスでした。野獣はどんな気持ちであのドレスを用意したんだろう、と。

 物語の中で解き明かされた、野獣の秘密は、???とすっきりしないものでした。

 愛した女性が森の精であることに気付かず、自らの手で殺してしまった取り返しのつかない罪。永遠の後悔。

 私は思いました。その森の精(プリンセス)の立場が、ベルの出現によって、おかしなことになってしまってるなあと。あんなにプリンセスを愛していたはずの野獣が、あっさりベルに心奪われ、最後はベルの愛を手に入れてめでたしめでたしって、なんか変じゃないか?
 あなたが本当に愛していたのは、プリンセスではなかったの?
 その人を失ったから、あなたは野獣になったようなものなのに。そして、深い悲しみの中で、閉ざされ荒れ果てたお城の中で、忌み嫌われる姿に変わり果てた姿を呪いながら、荒んだ時間を過ごしていたはずなのに。

 プリンセスにしてみたら、「幸せになってね」ということなのでしょうか。ベルに、野獣(王子様)の幸せを託したということなのでしょうか。私はもうあなたとは生きられないけれど、私のことなど早く忘れて、別の女性と幸せで人間らしい人生を生きてほしいと、そういうことなのでしょうか?

 その辺が謎でした。

 フランス映画なので、全部フランス語で語られる物語なのですけれども。ぼそぼそっと囁くような響きが、物語によく合っていたと思います。

 個人的には、ベルの一番下のお兄さんが、野獣の役でもよかったような気がします。そして野獣は。

 ベルにあそこまで忌み嫌われるほど、醜くも恐ろしくもありませんでした。鼻のあたりは猫科。ライオンぽいです。毛並みがよく整っていて、思わず触りたくなってしまいました。すごく毛並みがいいのです。触れたらきっと、すべすべしていると思います。

 もし私がこの映画を作ったとしたら。野獣の外見をもっと恐ろしく、嫌なものにしたでしょう。そして、ベルをもっと、優しく描いたと思います。到底受け入れられない外観の野獣に、最初は同情から、そして深く静かに惹かれていくさまを、ゆっくり描写したと思います。野獣の秘密は・・・今回とはまた、別の物にして。

 『美女と野獣』は、まるで夢の中でみるような、幻想的な物語、映画でした。

映画『永遠のゼロ』 感想

 映画『永遠のゼロ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 この映画も泣きました。
 原作の小説を読んだ時にも泣きましたが、映画も握りしめてたハンカチが重たくなるほどに泣きました。

 戦闘シーンや零戦の映像はさすが、映画ならではの迫力で、小説では想像できない部分も見事に描かれていました。

 ただ、全体的な感想としては、やはり小説には敵わない、と思います。無理ないことではありますが、小説のエピソードをたくさん削ってしまっているんですよね。すべてを描けば長時間になりすぎてしまうので、仕方ないことだとはわかっていますが。

 それと、この映画はエンドロールが流れ始めても、誰も席を立ちませんでした。私が今まで映画を見た中でも、こんなことは初めてで、驚きました。同時に少し、嬉しかったです。みんなが同じ思いを共有していたのだと思って。

 よかったのは、なにより宮部久蔵を演じた岡田准一さん。まさに宮部のイメージでした。優しくて丁寧な言葉遣いがよく似合う。キャスティングした人はいい仕事したな~と思います。なにより、宮部が小説のイメージ通りの人でなかったら、他がどんなに完璧でも、この映画は失敗していたと思います。
 岡田さんは宮部久蔵、そのものでした。

 そして景浦役の田中泯さん。あまりにもハマりすぎていて、もしかして本当にそういう経歴のある人なのか?と思ってしまうくらいでした。
 死線をくぐり抜けてきた凄みと影を感じます。

 ただ、小説と違うのは、健太郎は景浦邸を二度訪ねているんですね。私は小説の描き方の方が好きです。映画と違って、小説では

>俺は奴を憎んでいた

 と、宮部に対する反感や憎悪をはっきりと口にする景浦ですが、景浦がそういう男だからこそ、その過去の行為がまた際立つと思うので。
 映画だと、最初から宮部に対する好意が浮かび出て、それがちょっとどうかなと思いました。
 あと、小説にあった、景浦の用心棒の青年が、「いい話を聞かせていただきました」と深々と頭を下げるシーン、これも大切な情景だと思うのですが、映画だと省かれていたのが寂しかった。
 とどめに、映画では、健太郎が借りた名簿を雨に濡らすのが、ありえない~と思いました。景浦が何十年も大切に保存してきた名簿を借りておいて、あの扱いは失礼すぎます。いくら驚いたとしても。自分が雨に濡れたとしても、あの名簿を雨に濡らしてはいけない。
 健太郎は若いですが、それくらいの礼儀はわきまえた青年だと思います。あの演出はどうかと思いました。

 若い頃の景浦を演じているのは新井浩文さん。景浦の荒れた心をうまく表現していたとは思うのですが、惜しいのは、宮部に対する敬服や懺悔、言葉にならない激しい感情が、少し弱かったような。
 荒ぶる心は見えたけれど。そこから変化していく宮部に対する気持ち、というのが見えづらかったです。
 私が思っていた景浦の表情とは、少し違ったかなあと。

 松乃役の井上真央さんは、ミスキャストだと思いました。美しさは松乃にぴったりなんですが、なにより汚れていなさすぎます。髪も肌も、貧しい暮らしには似つかない輝きで、違和感がありすぎです。
 女優さんなので、あまり汚い荒んだ姿をさらすのは、事務所的にNGだったのかなあと想像しますが、だったら松乃役はやれないです。
 あのように、ちっとも生活に疲れていない姿で松乃を演じたのは、気の毒にも思いました。作品から浮いてしまっているようで。本当はご本人も、もっと髪を乱してでも、ちゃんとした松乃をやりたかったのではないかな。

 松乃が生活に疲れ果てていない、という点で。大石が訪ねてくる場面の感動が、半減してしまっていました。
 艶やかな肌、ふっくらした頬、きらきら輝く瞳。それで松乃の追いつめられた暮らしぶりを描こうとしても、無理があります…。
 どん底の中で、もし宮部の外套を着て現れた大石を見たら、彼を宮部と見間違うシーンはもっと、激しいものになったのではないかと、そう思います。暗く沈んだ瞳が、激しい歓喜で見開かれる瞬間。松乃の爆発的な喜びは、一層、観客の胸を打つものになったのではないかと思うのですが。

 あと、この映画の中で一番「これはない」と思ったのは、「許して下さい」と頭を下げる大石に対して、松乃が「帰って下さい」というシーンです。

 

 これは本当に、あり得ないと思いました。
 宮部が心から愛した松乃です。その松乃が、夫が命を託した青年から夫の最後を聞いて、いくら動揺したからといって、このような冷たい言葉を吐けるでしょうか。
 大声で泣いてしまうかもしれない。取り乱して、みっともない姿をみせるかもしれない。それはわかります。けれど、自分を責める青年に対し、「帰ってくれ」などという言葉は、決して投げつけない女性だと思います。

 あれでは大石が気の毒すぎです。

 慶子と、新聞社に勤める高山のエピソードは、映画ではごっそり削られていて残念でした。その代わりに、三浦春馬さん演じる健太郎と、仲間たちの合コンシーンが撮られていました。
 三浦春馬さんには岡田准一さんの面影があって、健太郎の感じた憤りが、画面からストレートに伝わってきました。
 祖父を、そしてあのとき命を落とした日本人を、侮辱する発言。席を立って当然です。私が健太郎でも、席を立っていたと思います。

 エンドロールの背景には、美しい雲の映像。宮部が飛んだ空を、観客も疑似体験する演出なのでしょうか。飛行機から撮ったと思われる雲の姿は、まるで夢のような美しさでした。この雲を抜けて、空を自由自在に駆けた宮部の生涯。彼は最後の出撃のときも、この雲を見たのだろうかと、そんなことを思いました。

 そして流れるのはサザンオールスターズの『蛍』という曲。

 サザンは好きですが、この曲は映画には合っていないかなと思いました。曲はいいのですが、この映画と合っているかと聞かれたら、それは違うかなと。

 零戦は蛍ではないし。宮部も蛍ではないと思うからです。
 じゃあどんな曲がよかったかと言われると、難しいのですが…。
 空をイメージした曲がよかったかなあと思ったりします。せっかくあれだけ美しい雲の映像があるのだから、それに似合う、空の曲がいいなあ。穏やかで、温かくて、壮大な曲。
 空の曲だったらよかったのにと思います。

 映画は素晴らしかった。そして、原作の小説は映画よりさらに、素晴らしかったです。
 日本人であることを誇りに思います。

映画『容疑者Xの献身』 感想

 映画『容疑者Xの献身』のテレビ放送がありました。以下、感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

 東野圭吾さんの原作も読んだことありますが、映画も素敵だなあと思いました。福山雅治さん演じる湯川先生が、いかにも理系の変人(褒めてます)(^^)という感じで、湯川先生がみつめるからこそ、堤真一さん演じる石神の悲しみが、より一層胸に迫ります。

 湯川先生の目線が、いいんです。
 同情に似た、でも同情とは違う、悲しみに似た、でもそれとも違う、なんだかわけのわからない、でも、温かいもの。

 石神は、自分を救ってくれたと感じた花岡靖子(松雪泰子さん)に、恋していたんですね。一方的で、どうしようもない、終わりの見えてる思い。

 靖子の知らないところでもう一つの殺人を犯し、同じ立場、殺人者となることでひそかな陶酔にひたっていたのだろうか、と思いました。あの殺人は、必要のないものだったような気がします。
 完全犯罪を目論むなら、もっといい方法があったはずなのに。なぜ彼は、ひそかに殺人者になったのだろうと。

 春琴抄の佐助のことを、思い出しました。そうすることでしか、同じ舞台に上がれなかったのかな、と。

 靖子は、石神に犯行を隠蔽してもらったことで、彼に負い目を感じることになります。その負い目がある限り、石神が夢見たであろう、対等な関係の二人にはなれない。

 キャスティングに関しては、松雪泰子さんはあまりに明るくて、翳がないように思えました。暴君の元夫から逃げ出した悲壮感がないというか。元ホステスにも見えなかったな…。
 やさぐれ感がもう少しあると、石神との関係ももっと、複雑になったのかもしれないです。

 石神が靖子を見初めたのには、彼女の持つ暗さも、一因ではないかと思うので。これはもう完全に、私見ですけど。
 もちろん、親子のにぎやかな明るさに惹かれつつも、その一方で、靖子の苦労の過去や、苦い後悔を、どこかで嗅ぎつけたからこその恋、だったのではあるまいかと。

 ただ明るくて楽しいだけの人だったら、石神はあそこまで、親子に執着したのかどうか、疑問です。

 そしてもう一人。キャスティングが合わないかもと思ったのが、工藤邦明役のダンカンさん。

 すみません、私の目には怪しい人にしかみえない~(^^; 画面の中にいるダンカンさんの雰囲気は、誠実というよりも得体のしれない不安をかきたてるもので、その人に靖子を託そうとする石神の天才性には大いなる疑問がわいてしまうわけです。
 いいの? あの工藤さんを見て、本当に大丈夫って思ったの?と。聞きたくなってしまいました。
 目が笑ってない怖さがあるというか。役作りだったのかな? でも工藤は、石神が認める「花岡親子を幸せにできる器のでかい男」であるわけで、そうするとちょっと、雰囲気違うかなと思いました。

 この映画、以前にもテレビ放送されていて、私はこれ見るの2度目だったんですが。最初に見たときは、結末を見たときに、号泣する石神の心にはほんの少しの、嬉しさみたいのもあったんじゃないかな、と思ったんですね。
 いや勿論、すべてを墓場までもっていくつもりで組み立てた、完璧理論ではあったんだけれども。湯川のおせっかいで靖子が自分の真心を知ってくれた、そのことに対する嬉しさも、ほんの一かけらだけ、存在していたんじゃないかと。

 でも2度目に見た今回。違った感想を持ちました。石神は、あのような謎解きを、全く望んでいなかったんではないかと。
 それは、すべてに完璧を求める人だったから。自ら組み立てた理論の、ほんの小さな綻びも見逃すことはできない、完全なる美を求める性格の人だったから。
 心から愛する人のために、人生をかけて作りあげた壮大な脚本。それを完璧に演じることで、ある意味、石神の恋は成就していたんだろうなあと思いました。一生、本当のことが靖子にわからなくても、それでよかったんだと思います。真相を知っているのが自分だけでも、そのことを思うだけで、長い刑務所での生活を幸福に送ることのできる、自信があったのではないでしょうか。

 私も罪を償いますからと靖子に泣かれたとき、計画が崩れたショックと、とうとう彼女を守れなかったという絶望で、石神の精神は限界を迎えてしまったのでしょう。

 だって、石神が求めていたのは単純に、靖子の愛だと思うんですよ。でもそれが無理だとわかったとき、彼が次に目指したのは、靖子を守る騎士の役だった。決して知られることのない思いで構わない、それが石神の美意識だったわけで。

 助けてくださってありがとう。私たち親子のためにそこまでしてくださってありがとう、と二人に感謝されること。そして、申し訳ない、石神さんにそこまでさせてしまった、と親子の心に一生消えない影が生まれること。それは最も、石神が望まない結末だったのではないかなあ。

 石神は、感謝なんて要らなかっただろうし。(愛なら欲しいけど)(^^;
 靖子の心に負担をかけるようなことなど、したくはなかっただろうし。だって、目指すはナイトですから。

 殺人を犯すことで、歪んだ共犯者意識に、酔っていた部分はあるのかなあと想像しますが。完全犯罪が湯川によって崩されたのも、勧善懲悪の観点からみれば当然かな。
 もし殺人ではない別の方法で、石神がその身を生涯、密かに靖子のために捧げたなら。湯川もその秘密を、きっと守ってくれただろうなあと思います。

 主題歌の『最愛』もいい歌ですね~。

>愛さなくていいから
>遠くで見守ってて

 なんだかここの、つよがりが泣けます。愛さなくていいからなんて、絶対思ってないくせに~っていう。言えば言うほど、別の思いがあふれだしてしまうような。

 ここの「愛さなくていいから」っていうところがいかにも石神の気持ちを彷彿とさせるのです。

 石神のその後…。きっと最後まで、自分の計画の破綻を、認めることはないだろうなあと思いました。それを認めることは、靖子を永遠に失うことだからです。

映画『テルマエ・ロマエ』感想

 映画『テルマエ・ロマエ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。

 古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス(阿部寛さん)が、タイムスリップして日本へやって来る。現代日本でお風呂の技術やアイデアに触れ、それをローマに持ち帰り再現し、大評判になる・・・というお話です。

 もう、この設定聞いただけで面白そう(^^)と思っちゃいます。
 実際、前半部分は笑える場面がたくさんありました。私たちにとっては当たり前だけど、そりゃ古代の人から見たら不思議だろうなあっていうことが、銭湯にはたくさんあって。

 描かれた富士山の絵を、ベスビオ火山と勘違いするところもよかった。出会う日本人の顔を、「平たい顔族」と表現するセンスも凄いです。
 ルシウスは、平たい顔族を、ローマが征服した異民族、奴隷と思っていて、「奴隷のくせになんて進んだ文明をもっているんだ」と、あくまで上から目線なのも笑えます。

 人のよい銭湯の常連らしきおっちゃんたちが、あれこれルシウスの世話をやくのが微笑ましかった。そうですよね~。あれだけ濃い顔の人で、どうやら言葉も通じなくて、銭湯のこともよくわかってなさそうだったら、気になってつい面倒みちゃいますよね。

 フルーツ牛乳に感動するルシウス。

 牛の乳なのに果実の香りがして甘いって・・・。その発想はなかったなあ。うん、でも確かにその通り。

 映画見てたら、フルーツ牛乳飲みたくなりました。お風呂の後に飲むと、美味しいんだよね。コーヒー牛乳もいいし、マミーも好き。

 ヒロイン真実(上戸彩)さんが勤める、浴室のショールームにタイプスリップしてくる場面も最高でした。

 そこで、ジャグジーにも出会っちゃうのね。
 ルシウスの脳内では、ショールームで知る最新機能のほとんどは、その裏で奴隷が大勢働いていることになっていて。そこらへんの、事実とのギャップが面白かった~。
 トイレに入れば音楽が流れるんだけど、ルシウスは当然、隣室で奴隷たちが演奏していると思っていて・・・。そういう勘違いがいちいち、笑えました。

 前半は本当にコミカルなシーンが多かったのですが、その分後半は、少し間延びしてしまったようにも感じました。

 歴史が変わってしまうことに、なぜ真美はそこまで危機感を抱き奔走したのかなあ、とか、そのへんも謎です。真美が古代ローマ史マニアで、あのへんの時代のことをよく知っていて、というなら話はわかるのですが、そうでもなさそうだし。

 後半はもう少し、なんとかならなかったのかなあと思いました。前半のテンポがすごくよかっただけに、残念な感じがしました。

 ルシウスと真実を、変に恋愛モードにさせなかったところは正解だと思います。ちょっとした憧れというか、ほんわかしたムードがとても可愛かった。それくらいでとどめておいたところが、好感持てました。
 だからこそ、真美の体が透き通り、別れが近付いたときの切なさが美しかった。

 満点の星空。揺れる炎。初めての笑顔。

 泣きながら、だけどちゃんと、真美も人生におけるお守りのようなものをしっかりと、ルシウスからもらって、現代に帰って行くんだなあと。だから、安心して見ていられました。

 ルシウスはたくさんのものを、真美やおっちゃんたちから学んだけれど、その逆もしかり。
 真美は、ルシウスの生き方に、大きな感銘を受けたのだと思います。

 見終わってつくづく思ったんですが、この映画、阿部寛さんなくしては成立しなかったな~と。もう、ルシウスが愛しすぎる(^^)

 平たい顔族とのギャップがすごい。そして、筋肉質で美しい体。まるでギリシャの彫刻のようでした。ルシウスの生真面目で、仕事に対しては妥協を許さない生き方。それは、素の阿部寛さんにも通じるものがあるのかなあ~、なんて、考えてしまいました。

 思い返してみますと、阿部さん。映画は『はいからさんが通る』の少尉役でデビューでしたね。あの役は正直、あまり合っていなかったと思いますが(あれは、キャスティングした人に責任があります。ドイツ人とのハーフで、色素の薄い美青年って、その設定からして無理があると思う)、このルシウス役はもう、阿部寛さんがぴったりすぎて、他の人など思いつかない。

 ルシウス役をを阿部さんがやってなかったら、映画のよさは半減してたと思います。

 真実役の上戸さんも可愛かったなあ。普通の格好しただけで、なんでこんなに可愛いんだろうっていう。
 実家の旅館に帰ってくるシーン、いろいろ着こんで大変なことになってるんですが、普通だったらむさくるしい感じになるのに、上戸さんだとオシャレなんだな。

 あと、ケイオニウス役の北村一輝さん。異彩を放ってた。
 女好きの設定なんですが、女性を口説くそばから、殺してそうなオーラが出てるのは何故~(^^;
 恐いんです。狂気のようなものを感じて、ゾクっとしてしまった。青ひげ、みたいな・・・。
 味のある役者さんなのですね。本当に独特で、目立ってたと思います。

 それから個人的にすごく驚いたこと。旅館のおっちゃんたちの一人、館野を演じた竹内力さん・・・いつの間にこんなに貫録がついたんだろうっていう・・・・。

 私の知ってる竹内さんは、アイドル枠だったんです。たしか、セーターの本とかにも載ってたような。例えるなら、野村宏伸さんみたいな感じだったのに、いつのまにこんなにイメージ変わったんだろう。同一人物です、と言われても、にわかには信じられないくらいでした。

 この映画の中で、私が一番綺麗だなあと感動した場面は、ルシウスがアントニヌスに大事な話があると告げる前の、回廊シーンです。

 映像の、光と色の加減がなんとも言えず素晴らしかった~。

 古代の荘厳な建築に射す、夕暮れ、少し手前の光。(あれ、夕暮れだと思うけど、違うかな~)
 柱の表面の凹凸が、絶妙な影を作っていて。

 胸を打つ光景でした。その向こうになにがあるのか、そこは映し出されてなかったけれど。きっとあそこは小高い丘で、あと1時間かそこらで、辺りはもっと赤く、染まり始めるのかなあって。

 正確には、まだ夕焼けって時刻ではなかったのかもしれないですが。ほどなく始まる夕暮れの寂しさを、その色を、想像させる光の色だったんですよね。昼の眩しい、透明な強い光とはまた違っていたような。

 『テルマエ・ロマエ』、見に行って良かったです。

映画『はやぶさ』感想

 映画『はやぶさ』を観た後、プラネタリウムで星空を堪能しました。

 以下、映画の感想を書いていますが、ネタばれを含んでいますので未見の方はご注意ください。

 映画は、竹内結子さん演じる水沢恵が、とてもいい味を出していたと思います(^^)
 元々好きな女優さんだったんですが、可愛いのに地味、そして挙動不審、というキャラを見事に演じてらっしゃいました。

 人の目をきちんと見られない気弱さ、その一方で好きなものに一直線になれる情熱、不可能な量の翻訳をきっちり期限までに仕上げてしまう天才ぶり、いろんな表情を見せる水沢に、どんどん惹きこまれていきましたよ。

 そして、水沢だけではなく、「はやぶさ」プロジェクトを成功に導いた多くの人たち。水沢以外は、みんな、モデルの方がいたみたいですね。誰もが本当に魅力的で、みんなの努力が実り、無事打ち上げとなったときの映像では、思わず涙が出てしまいました。

 ここまで来るのが、大変だったんだなあって。

 当たり前ですけど、一人の力じゃなくて。
 宇宙が好きで、「はやぶさ」に託したそれぞれの熱い夢が、結集してやっと形になった瞬間だったから。

 鹿児島の内之浦で打ち上げがあったとき、それを現地の方々が、老若男女、みんなわくわくして嬉しそうに見上げてるんです。それを見たとき、胸が熱くなりました。

 無数の力が合わされば、奇跡が起こる。

 目に見えない人の思いも、重なれば大きな流れをつくる。

 ロケットの発射を、みんなが子供にかえったような無心な目でみつめている姿。

 開発に携わった方々の思いも、もちろんですが、その他にもたくさんたくさん。いろんな人の気持ちが、「はやぶさ」を応援していたんだなあと。

 宇宙はあまりにも大きくて、謎だらけで。

 私も日常に疲れたとき、ふと宇宙のことを考えると、不思議な気持ちになります。
 人はどこから来たのだろう。
 この世界は、なんなのだろうと。

 そして、たまにプラネタリウムへ行って星の話などを聞きますと、自分が悩んだりしていたことが、とても小さなことに思えてきます。

 宇宙の大きさに比べたら、どうでもいいや(笑)という。

 あんまり、あんまりにも圧倒的で。宇宙凄いよ。本当に。

 頭のいい科学者が、全力で立ち向かっても、なかなかその全貌をつかめないほどの巨大な宇宙。調べても調べても、答えはもっともっと、その奥、もっと深くへ。

 だから宇宙は、多くの人を魅了してやまないのでしょう。

 この映画は、人間賛歌だなあ、と思いました。
 登場人物一人一人が、愛おしくなります。

 皆さんそれぞれ、すごい科学者だと思うのですが、一方で日常生活は科学とはまったく関係のないところでの葛藤があったり。

 私が印象深く覚えているシーン。鶴見辰吾さん演じるエンジン開発担当責任者の喜多が、マンションの理事会?に出席している最中、携帯に仕事の緊急連絡が入る、という場面です。
 どうみても、高級マンション、という感じではなくて。
 本当に庶民的な、よくあるマンションの会合、という風景の中。

 喜多さんは、周囲に謝りながらその場を抜け、職場へ一直線に向かうのですが。どこにでもありそうな理事会の平凡な風景と、電話の内容、最先端科学の対比がとても、強烈なインパクトでした。

 世界でも有数の最先端の技術を扱う人であっても、人間で。一歩、仕事を離れれば、私たちと変わりないような日常の生活があるんだなあって。

 夢を追い続けることの素晴らしさ、も、この映画を見て思いました。

 どんな仕事も、結局は、「夢」とか「好き」という気持ちがあってこそだと、そう思いました。だからがんばれるのだと思います。
 この、「好き」という気持ちだけは、その人本人にもコントロール不可能な、不思議な感情で。

 この映画を見たから、というわけではないのですが、実は私も最近、自分がずっと憧れていた職場に、就職しました。覚えることも多くて大変なのですが、やはり「好き」という気持ちがあると、がんばれてしまいますね。
 「好き」という気持ちは魔法のようなもので。
 仕事を進めていく上での、尽きないガソリンのような感じです。

 映画の中で、高嶋政宏さん演じるカメラチームリーダーの坂上は、水沢にとても素敵なアドバイスをしていたと思いました。

 水沢は、最初は兄のために宇宙関係の仕事を選んだのかもしれませんが、実は自分自身も、宇宙のことが大好きだったんだと思います。でも、それに気付いていなかった。

 映画の冒頭で、西田敏行さん演じる的場と、講演会後に嬉しそうに言葉を交わす水沢の姿に、それは表れていました。あれは兄のために、的場に近付いたのではなく。水沢自身が講演の内容に興奮し、思わず話しかけずにはいられなかった、そういう場面だったと思うのです。

 兄のためではない。自分が宇宙が好きで、この仕事を選んだのだ。
 水沢がそれに気付いたとき、彼女はもっともっと、大きな力を発揮できるんだろうなあと思いました。

 そして、そんな貴重なアドバイスをしてくれた坂上自身は、プロジェクト途中で契約終了となり、はやぶさの成功をスタッフとして見届けることもできず現場を離れるという現実・・・。

 映画の終わりの方で、なぜか坂上が砂漠に現れたシーンは、余計なものだったと思います(^^;
 あそこは、水沢が坂上の不在を意識するところがあれば、それだけでよかったなあ。
 坂上が再登場してしまうと、いかにもテレビ的というか、映画的なハッピーエンディングのようで。
 あのまま、ほろ苦い砂漠シーンで良かったような気がします。

 ところで、坂上が契約切られた(というか、契約終了で、再契約がなかった?)のは、やはり上の人間に予算のことなどで噛みついていたからでしょうか。
 登場するなりいきなり、くってかかるシーンだったので、恐いキャラだなと一瞬思ってしまったのですが。でもよく考えると、上に盾突く人は、部下にしてみたら頼りになる上司だなあって。
 坂上が率いるカメラチームは、上からの無茶な要求に四苦八苦していたわけで、でも末端の部下が上層部に物は言えないし、あそこではっきり意見を言った坂上の行動は、中間管理職としては立派なものだったなあと思います。

 坂上が、マイ定規で焼き魚の身をほぐすシーンは、大好きでした。科学者にありがち(といったら偏見か)な変人ぶりが、面白すぎます(^^)

 坂上は、はやぶさプロジェクトの成功を見届けたいという気持ちは大いにあったでしょうが、契約終了で現場を離れることになっても、さばさばと割り切っていたのが素晴らしかった。彼のような人なら、この先どこへいってもいい仕事をしてくれそうです。
 とはいえ本当は、彼のような人ほど、残って日本の宇宙開発のために働き続けてほしかったですが・・・。

 この映画で一番不満だったのは、冒頭の的場の講演場面。講演を聞きにきた人達を、「興味ない人たち」に描いてしまったことです。これはちょっと見ていて、あまり気分のよいものではありませんでした。
 たしかに、一般人は宇宙のこともよくわからないし、専門的知識もないし。
 でも、ああいう場にわざわざ出てくる、というのは、宇宙に関心の高い人たちだと思うんですよね。それを、いかにも「なんとなく来たけど、宇宙のことなんて興味ないし、な~んにもわかりません」的にデフォルメして描いてみせるのは、馬鹿にしてるようにもみえて、なんだかなあと。

 生瀬勝久さん演じる、謎のはやぶさファンの姿は面白かったです。はやぶさプロジェクトの成功後、なぜかきっちりと片付いた素敵なお部屋。あれ、この人、もしかしてちゃんとした人だったのかな~と思いきや、「明日ハローワーク行こう」発言に、プッと吹き出してしまいました。いや、明日じゃなく、今日行こうよ、みたいな。

 『はやぶさ』、上演時間は長めですが、かなりお勧めの映画です。これを観た日の夜は、絶対星空を眺めたくなります。

 私は映画の後、ご飯を食べてプラネタリウムへ直行しました。