オペラ座の怪人 観劇記 (劇団四季) その2

昨日に続いて、劇団四季の「オペラ座の怪人」について語る。ネタバレありなので、未見の方はご注意ください。

全体の中で、心に残ったシーンをいくつかあげてみる。

1 1番最初のオークションシーン。ラウルの声がよかった。昔を懐かしむ声で、だけどいろんな思いがこめられていて、複雑な感情がよく出ていた。クリスティーヌのことを心底大事にしていたんだな、と感じた。動きはいかにも老人。

2 仮面をクリスティーヌに初めて剥ぎ取られたファントムが、背中を丸めながらうずくまるシーン。実は、1番心に響いたのはこのシーンだったかもしれない。口汚く罵りながら、泣いてるようにも思えた。

3 1番最後。セリフの訳がいいのだ。これはかなりの名訳だと思う。英語詞よりも、むしろ日本語の方がいい。壮大なひとつの物語の終焉を実感する。ファントムの声に含まれている達成感というか、絶望を通り越したすがすがしさが救い。

泣けなかったのは意外だった。CD聞いてボロボロ泣いたから、きっと舞台ではその迫力に圧倒されるだろうなと思ったんだけれど。その原因はやはり、私の思っていたクリスティーヌと違ったからかな。もちろん、いろんな解釈があって当然だし、佐渡さんが演じたのもまた、1つのクリスティーヌ像だったんだろうし。

ただ私は、クリスティーヌには、ファントムを愛してほしかったのだ。ラウルという、非の打ち所がない白馬の王子様に求婚されながら、どうしようもなくファントムの才能、なによりも音楽に魅入られていく姿が見たかった。私が見た舞台のクリスティーヌは、ファントムになんの好意も抱いていないようにみえたから、それはちょっと悲しかった。

たぶん、そういうクリスティーヌに愛情を注ぐのは、難しいことなんじゃないだろうか? ファントムだって、まったく愛情がない、嫌悪されている相手に執着はしないと思う。ずっと見守って、ただひたすらに愛情を求めたのは、クリスティーヌが自分に惹かれていることを知っていたからだ。

舞台でオペラ座の怪人を演じるなら、そのときだけは役になりきって本当の恋人同士のような愛情や、嫉妬を感じてほしいと思うのだが、あれほどにラウルとラブラブなクリスティーヌを見てしまうと、ファントム役の高井さんも感情移入が難しかったと思う。クリスティーヌはファントムのことを、ストーカーのように思っているんじゃないかと、客席にいた私にはそう見えた。

役者さん同士の相性もあるんだろうか。違う組み合わせなら、また違う感想なのかもしれない。

それと舞台を見ていて思うのは、これほどの大作を毎日同じ人が演じるのは無茶じゃないかなーということ。オペラ座の怪人は、いろんな感情が爆発する舞台だ。愛情、嫉妬、怒り、絶望。それをあますことなく表現して、かつあの難しい歌の数々をきちんと歌い上げて、それを連日というのは厳しすぎるような気がする。本気で演じ、100パーセントの力を出しきったら、翌日はせめて一日休養しないと体力も心も回復しないと思う。

明日があると思えば、自然とセーブすることにもなると思うのだ。理想を言えば、ファントム役とクリスティーヌ役は、3日に1度の出演ペースがいいんではないかと。シングルキャストである必要はない。違う人が演じれば違う個性が出て面白いし、休養して回復すれば歌いたくてたまらなくなるはず。それだけの魅力がある楽曲だもの。翌日から2日休めると思えば、1回の舞台にかけるエネルギーの量は違ってくるんじゃないのかな。

あと、オーケストラの人数をもう少し増やしてくれたらうれしい。オペラ座の怪人は、その曲の美しさが最大の魅力。役者がいくら上手に歌っても、オーケストラの迫力がないとちょっとさみしいから。

以上、実際に舞台を見た感想を思いつくままに語ってみた。明日は映画版「オペラ座の怪人」の感想を書く予定。

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