オペラ座の怪人(映画)を語る その3

昨日の続きです。ネタバレありますので、映画を未見の方はご注意ください。

クリスティーヌがファントムに指輪を返したのは、私は決別だと思っています。地上に戻った後、こっそり捨ててもよかったわけです。だけど彼女はそうせずに、ファントム自身の手にきっちり返した。

クリスティーヌなりの誠意だったのかなあと思います。変な期待など、持たせる方が残酷だから。私が選んだのは、ラウルなのよと、それをファントムに確認させるための儀式だったのではないでしょうか。あなたに惹かれていた、尊敬していた、愛情があった、だけど私が選び、これから共に生きていくのはラウルなのです、と。

小さな声で、それでも I love you と告げずにはいられなかったファントム。立派です。そうだよね、そうだよね、と思わず慰めてあげたくなりました。結果がどうあれ、ファントムは本当にクリスティーヌが好きだったんですよ。受け入れてもらえないと知りつつ、それでも最後にかける言葉は、やっぱりI love you だったというのが、ファントムの純真さだと思うのです。自分を取り繕うことはしなかった。マスクもない。醜さは十分わかっている。素の自分で、クリスティーヌに愛を告白した。

鏡を割るシーンが好きです。ファントムの世界の終焉にふさわしいと思う。自らの手で、鏡を粉々にしていく姿が、壮絶でした。やっとみつけたオペラ座の地下という安住の地を、彼は終わりにするんだなあと思って。クリスティーヌの思い出の残る地下の湖。そのお城で、なにごともなかったように暮らしつづけるには、あまりにも思い出が痛すぎる。

クリスティーヌは、ファントムを本当に愛していたのか? 私は、愛していたんだと思う。それは、ラウルに対しての思いとはまた別の感情であって、愛している=あなたと一緒に暮らしたいという類のものではなかったけれど。クリスティーヌはたしかに、音楽の才能を、他の誰より愛していた。歌はファントムそのもの。原点がファントムだから、歌を仕事にしている限り、きっとファントムのことは忘れられなかっただろう。だから、ファントムを地下に残して、ラウルと地上に戻ったクリスティーヌは、ファントムだけでなく歌をも捨てたんだと思う。

墓場によき母、よき妻という言葉が刻まれていたのは、それを示していたんではないだろうか。舞台を下りて、ラウルとともに歌を歌わない人生を歩んだ。だから、ファントムを捨てることができたんだ。

だけどあまりにも強烈な記憶だから、なにかあるたびにふっと思い出したんだろう。そのクリスティーヌの心に深く住み着いたファントムの影を、ラウルはわかっていたんだろうな。だけど、心の底にあるものはどうしようもない。クリスティーヌが死んでなお、ラウルはファントムの幻影にとりつかれていた。

最後、クリスティーヌがファントムに指輪を返すシーンについてもう一度考えてみる。しつこいようだけれども、ここは重要なシーンだと思う。ファントムが、弱々しくI love you と告げるけれど、クリスティーヌは複雑な表情で指輪を返し、去っていく。この、指輪を返すというのは、決別の意味だ。もう終わり。これでおしまい。あなたを思い出すものを、持っていくわけにはいかない、みたいな。

私にはクリスティーヌの気持ちがわかるような気がするのですよ。1番大きいのはファントムに対する思いやり。はっきりさせないままの方が残酷だし。それに加えて、自分の気持ちの中のけじめ、というのもあったはず。指輪を返すという行動が、クリスティーヌにもファントムにも必要な儀式だったと、そう思います。あなたとは違う世界に行きますと宣言することで、次のステージに進める。

ファントムも、クリスティーヌの意図するところは十分に理解したでしょう。そういう繊細な人だから。最後の最後の、1パーセントの望みまで失ってしまって、ファントムの世界が音をたてて崩れ落ちた。だからこそ、最後のセリフに重みが出てくるんですよね。

鏡を壊してまわるのは、その象徴。もうね、すがすがしいくらい、痛みを通り越して痛みを感じないくらい、完璧な失恋。救いは、クリスティーヌがファントムを一人の人間として受けとめた上で、ラウルを選んだことかな。キスもしたし。ファントムはうれしかったと思うよ。同情だけじゃない、ラウルを助けるためだけじゃない、ファントムのために捧げた部分は確実にあったと思うから。そういうものは、実際に唇に触れてダイレクトに伝わってきたんじゃないだろうか。

長文になったので、続きはまた明日。

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