オペラ座の怪人(映画)を語る その6

「オペラ座の怪人」映画を見に行ってきました。2度目です。最初に見たときには気づかなかったところや感想なんかを書きたいと思います。ネタバレありますので、十分にご注意ください。

まずはじめに。ラウルが金髪じゃない、ということに気付きました。あまりにも王子様だったので、私の脳内では金髪のイメージになっていたのですが、改めてみたら、髪はもっと暗い色でした。以前、感想を書いたときに「金髪」と書いてしまったので、そこは削除しておきました。

映画を2度見て、あらためてラウルに惚れ直してしまった。勇気があり、まっすぐで、ハンサムで、しかも子爵。そりゃ魅力的ですよ。ただの金持ちのボンボンじゃないですから。クリスティーヌがファントムの餌食になることを、本気で心配していますからね。

屋上で愛を確かめあうシーン。「恐がらなくていい。僕が守ってあげる」そういうことをじーっと目をみつめながら言われたら、そりゃたいがいの婦女子は、ぼーっとなってしまいますよ。クリスティーヌがラウルに恋してしまったのは当然。言葉だけでなく、実際にラウルはちゃんと行動してるしね。クリスティーヌの部屋の前で見張りとか(彼女自身がラウルの目を盗んで、父親の墓場に行ってしまったけど)、ファントムとの命を賭けた決闘だとか。

この2つの行動だけでも、ラウルの株は上がったと思う。お金の力でボディガードを雇うとか、そういう方向に向かわなかった。自分の手で、自分が苦労して彼女を守ろうとしたところがいいですね。

「いらない」という印象を持ったのは、マダムジリーが出てくるシーンで3つ。まず、ラウルに食事に誘われたクリスティーヌのいる部屋、その鍵をファントムが締める。それを見ているマダムジリー・・・・・・これは余計なショットだと思いました。まるでマダムジリーが、ファントムの仲間のような印象を与えてしまいます。ファントムは孤独だという設定なのに、マダムジリーとの接触があまりに多いと、それは違うということになってしまう。

さらに言うなら、メグが鏡の秘密に気付いて、引き戸の向こうの湖へ続く道を発見するシーン。歩き始めたところをマダムジリーに引き戻されるのですが・・・・・なぜマダムジリーは、メグの行動がわかったんでしょう? ファントム並に神出鬼没。

ファントムを追いかけて、ラウルが鏡のトリックにひっかかるシーン。このとき助けに入るのがマダムジリー。ここまでくると、ファントムの部下なのか?という気持ちにさえなります。どうして肝心なときになると、マダムジリーが登場するのか。もちろん、その後のマダムジリーがファントムの過去を語るシーンも、要らないと思いました。ちょっとエレファントマンをイメージさせるような映像もあり、この映画のオリジナリティが失われるのでは、と気になりました。

ドンファンの勝利を演じているときの、主役3人の表情は本当に素晴らしいですね。ファントムの情熱、それにひきずられるように、覚悟を決めたかのように堂々としたクリスティーヌ、2人の結びつきの強さに呆然とするラウル。

ラウルの、悲しい表情がよかったです。嫉妬して、圧倒されて、それでも2人の不思議な音楽の結びつきを認めざるをえない。それは、会場全体がそうでした。誰もが、ファントムとクリスティーヌの歌声に尋常ではないものを感じ、心を奪われる。

その後、クリスティーヌがファントムの仮面をはがすとき、彼女の表情に納得してしまいました。そうか。彼女はなにも意地悪で仮面をはがしたわけではないのです。その前の、クリスティーヌがファントムをみつめるその目の優しさ。その目が言っていました。「バカね。顔のことなんて、気にしなくていいの」

あれほど情熱的に、あれほど激しく愛を告白しながら、仮面の向こうに隠れたまま出てこられないファントムのコンプレックスを、知り尽くした表情でした。クリスティーヌは、「わかっているのよ。もう恐れなくていい」とでも言いたげにマスクを取ります。だけどその瞬間、一斉に起こるどよめき。クリスティーヌ以外の人が、ファントムの素顔を見ておののきます。劇場中の人間の恐怖を全身に感じて、ファントムは自分はやはり、世間から拒絶されたのだと実感したでしょう。この後のシャンデリア落下シーンは、映画ならではの迫力。舞台では、安全確保のためにもあそこまでリアルな演出はできません。

きれいで豪華で、自分の生い立ちとは正反対の輝きをまとったシャンデリア。ファントムはそれを壊すことで、きらびやかな世界への怒りを表現したのかなとも思います。どうあがいても、受け入れてはもらえなかったと。

最後、ラウルとファントム、そしてクリスティーヌの対決シーン。ラウルが首に縄をかけられ、苦しそうに歌うのは残念でした。あそこは、首をしめられながら歌ってほしくない。最高の楽曲と歌詞なのだから、感情をこめて思いきり歌ってほしい。首は絞められてはいないけれど、ファントムの指先一つですぐに死が訪れる、そういう緊張感を描いてほしかった。ファントムの超人的な魔術師としての才能をみせつけるかのように、人間離れしたあざやかな技でラウルを捕えてほしかった。

あまりにもドタバタしすぎていて、人間臭すぎると思いました。

これは、全体的に言えることです。もっとファントムの存在を幻想的に描いてくれたらよかったのにと思います。人間なのか、それとも本当に幽霊なのか。同じ人間であることが信じられないくらいの、才能をアピールしてほしかった。

いいなと思ったのは、ラウルと共に去っていくクリスティーヌが、振り返ってファントムを見ているシーン。ここで振り返っているところがポイントです。その顔が・・・・なんともいえません。クリスティーヌの愛が見えますね。過去への惜別だったのでしょうか。

映画を2度目に見て再認識したのは、カルロッタ役のミニ−・ドライヴァーの演技が素晴らしいということ。この人の声の調子や表情は絶品です。思わず引きつけられてしまう。映画の中で、本当にいい味を出しています。いくら見ていても飽きない。面白い。

クリスティーヌを苛めるキャラではありますが、なんだか憎めません。

名曲に包まれて、ファントムを鑑賞するのはとても贅沢なことでした。また見に行きたいと思います。

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