オペラ座の怪人(映画)を語る その7

とても気分が沈んだので、またオペラ座の怪人を見に行ってきた。なぜ気分が沈むとオペラ座なのか・・・・。やっぱり好きだから。ストーリーも音楽も美術も、あの時代のあの空気を感じると、なんともいえない気持ちになる。

以下、ネタバレありなので、未見の方はご注意!

映画を見るのは3回目だけど、一つ勘違いをしていることに気付いた。それは、ドン・ファンの勝利で、クリスティーヌがファントムの仮面をはがすシーン。悲鳴が、上がっていない。舞台だと、ここは悲鳴が上がるシーンである。繰り返し、繰り返しロンドンキャストのCDを聞いていたこともあり、なんとなくここは悲鳴が上がってるイメージだったんだけど、映画では観客のざわめき(どよめき)だけなのだ。以前書いた観劇記は、それに関して少し修正しておいた。

なんだか納得。映画だと、クリスティーヌの表情がよく見える。あんなに優しい表情でマスクを剥がすのは、「もう隠さないで」という意思表示だと思う。自分で剥がしておいて自分で恐怖の悲鳴を上げたら、クリスティーヌはただの残酷な人になってしまう。2人を見守るラウルの表情が、よかった。

今回もよく泣いた。この映画を見ていると、ファントムに共感したり、クリスティーヌに共感したり、音楽や美術に触発されて、過去のいろんな記憶が甦ったり、自分の中の感情が揺り動かされる。特に前半部が秀逸。あの、オークションシーンから、どんどん時間が遡っていくところなどは圧巻。モノクロからカラーへの移り変わりと、バックに流れる音楽の相乗効果で、胸がいっぱいになった。オペラ座の舞台裏のざわめき、私はああいうシーンがとても好き。役名すらない大勢の人たちの、一人一人の人生を思ってしまう。

流れるovertureの響きは悲しい。それは、ファントムの運命の厳しさを表してもいるけれど、その他大勢のオペラ座の人たちにとっても、その後の人生は決してばら色じゃなかったという象徴に思える。思い通りになんていかない。あがいても手の届かないものがある。それは誰にだって、ありうる話なわけで。

ファントムが子供のように駄々をこねて、力ずくでクリスティーヌの愛を得ようとするのはせつない。そんなふうに手にいれたところで、絶対虚しいよと、忠告したくなってしまう。無理やり自分を選ばせたって、その後の長い人生をどう生きるというのか。あの地下の湖で、ファントムがクリスティーヌと幸せに暮らすことなどありえない。美学に反してまで、ひたすらクリスティーヌを求めるファントムは哀れで、滑稽で、いたたまれない。マスクもなく、髪を振り乱してクリスティーヌに愛を乞う。脅しているのはファントムなのに、追いつめられているのはファントムで、クリスティーヌをみつめる目は泣いていて。

今回は、字幕をほとんど見ずに鑑賞した。戸田奈津子さんの字幕を頼りに見ていると、勘違いしてしまう場面がいくつもある。本当にこの映画のよさを楽しむためには、字幕でなく英語をそのまま聴く方がよほどいい。字幕は、「オペラ座の怪人」の世界を本当に愛してる人にやってほしかったなあ、と思う。

そしてラウル。王子様である。私、映画のラウルはかなり好き。いい人だと思うし、クリスティーヌがあっという間に婚約してしまうのも当然。舞台のラウルより映画のラウルの方がかなり、男前度は高いと思うのである。顔の問題じゃなくて、行動がね。とにかく一生懸命だし、クリスティーヌを全力で守ろうとする態度はあっぱれ。きっとクリスティーヌと結婚してからも、よき夫、よき父親だったんだろうなあと思う。しかし彼は彼で、一生ファントムの影におびえたんだろうなあ。クリスティーヌの心の中から、ファントムの姿は消えなかっただろうし、だからこそお墓にあのオルゴールを供えたんだろう。

ラウルはいい人。だけど、ラウルには決してわからなかったであろうファントムとクリスティーヌの絆。ここらへんが映画の見所なのだ。そういうものって、言葉じゃないんだよね。目を見て、それだけで通じ合う瞬間があること、そういう経験がある人も多いんじゃないだろうか。だからといって、その人と結婚して幸せになるとは限らないんだけど。一緒にいたからといって、幸せとも限らない。だけど他の誰にも見出せない共通性があると、不思議と惹かれあう。心を許しあう。

ドンファンの勝利。2人をみつめるラウルが涙ぐんでいるのが私にはツボだった。決して越えられない境界線がたしかにある。そこになにかがあるのはわかる。だけど自分には手を出せない、理解できない。ただ見ているだけしかできない葛藤。

ファントムの気持ちも、痛いほどわかる。歌いながら、クリスティーヌの心に囁きかけていた。どうして私から逃れようとするのか、わかっているくせに。ラウルには決して理解できない音楽を、その陶酔を私たちは分かち合えるのに。歌いながら、クリスティーヌの声に合わせながら、ファントムの自信と不安が交錯する。私はこの曲が一番好き。オペラ座の怪人で使われている曲の中で、一番ぐっとくる。

なんだか以前に書いた感想と似たようなものになってしまったが、映画を見て思いきり泣いて、名曲に酔いしれた。今、このときに映画が作られたことに感謝したい気分。私自身が今までの人生の中で、たぶん今一番悩んで、苦しんで、迷っている時期なのだ。そういう苦しい気持ちの中で、なんどもこの映画を見たことを、私はたぶん一生忘れないと思う。きっとこれから先、オペラ座の怪人の映画を見るたびに、自分自身の悩みや迷いのことを思い出すはず。

映画館はかなり混んでいた。女性客が多い。帰り道、他の人が感想などしゃべっているのが聞こえてきた。「私、ファントムは嫌いだな。あの人が邪魔するからよくないんだよ」

うーむ、そういう見方もあるよな、そりゃそうだよな、ラウルは非の打ち所がない完璧な王子様だしな、などと、心の中で思って苦笑してしまった。実際、ラウルを選んだ方がクリスティーヌは幸せだったと思う。

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