ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その9

 7月15日ソワレ 帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を見てきました。8度目の観劇です。以下、ネタバレも含んでいますので未見の方はご注意ください。

 

 今までで一番感動した回でした。って、いつもそんなことを言っているような気もしますが、本当なのです。それだけ進化しているのでしょうか。『抑えがたい欲望』で、伯爵の思いがひたひたと体中を包み込んで、動けなくなりました。そしてそのまま、拍手もできませんでした。あまりにも感動してしまって、動くことすらできずに、余韻に浸っていました。その状態が、そのままサラ噛み付きシーン、そして舞踏会の始まりまで続きました。

 

 実はその日劇場で、マチネを見た友人に会った際、「祐一郎さん、ちょっと声の調子が悪かった」という報告を受けていたのです。だから、「そうかー、今日はちょっとお疲れの日なのか」と残念に思っていたのですが、とんでもない。ソワレには見事に復活です。それにしても山口ファンは、歌の調子に関しては厳しいのかも。別の友人も、後で「マチネは変だった。あれは手抜きだ」と断言していたので。手抜きってことはないと思いますけどね。舞台に臨む姿勢は人一倍厳しい人だと思うので。調子が悪いことはあっても、手を抜くことはありえない。千秋楽まで力の配分に気をつけて走り抜ける慎重さはあるだろうけど。

 山口ファンは、ほんのちょっとした変化にも敏感なんでしょう。何度も通う人が多いから。

 私が聴いた限りでは、ソワレは最高でした。

 伯爵は伯爵としてそこに存在していて、孤独の影をひきずっていました。サラやアルフの前では完璧な悪を演じる一方で、独りになったときにみせる本音がせつない。

 吸血鬼同士でもわかりあえないんだろうなあと思いました。仲間をいくら増やしても、伯爵と深いところで分かり合える人はいなくて、だからいつまでたっても独りぼっち。墓場で仲間達と「人間を倒そう」とワイワイ盛り上がるようなこともなく、ただ冷めた目で世界を見つめている。月のない闇夜に一人になったときだけ、素直な気持ちで過去を振り返る。

 伯爵は、教授たちが城にやってきたとき、本当に嬉しかったんだと思います。輝く髪の娘をなぜ失わなければならなかったのか、その謎を教授が解いてくれるのではないかと、どこかで期待する気持ちがあったんではないでしょうか。何万冊もある本の前で狂喜乱舞する教授の姿を見ると、なんとなく私はせつない気持ちになるのです。過去に、伯爵は恐らく必死で本を読みあさったんだろうなあと、その姿が想像できるから。時間だけはたっぷりあります。輝く髪の娘を失った後、その理由を、答えを捜し求めて、伯爵は書庫で膨大な資料を丹念に読み込んでいったのではないでしょうか。

 あの本の山は、その遺産に思えてならないのです。

 その遺産の前で、無邪気に喜ぶ教授・・・・幸せな人です。

 「抑えがたい欲望」の中で、「この私がわからない自分でさえ」と嘆くのは、一番知りたいことがわからない伯爵の悲鳴だと思いました。救いを求めてる。どれだけ時間をかけても、すべての本を読みつくしても、謎は解けなかった。その絶望の果てが、神を否定することだったのでは、と思うのです。

 だけど救いを求める気持ちは完全に消去できないし、人間としての良心もある。だから十字架への恐怖は続く。それは心の奥底で、神様を信じているから。

 コウモリの研究を愛読していた伯爵は、教授の論理的思考に期待していたでしょう。もしも教授と通じ合えたなら、吸血鬼となった自分の謎を解くことができるかもしれないと。そうすれば、あの娘を失わねばならなかった運命を、受け入れることができます。

 ところが教授とアルフは、あくまで吸血鬼退治が目的。手を組める隙などどこにもありません。コウモリとなって屋上に現れた伯爵は、期待していた分、怒りが倍増したんではないかと思います。

 期待は、ときに重荷ですね。夢なんてみなければ、落胆せずにすんだのに。教授に絶望し、アルフを誘惑する伯爵の歌が大迫力です。余裕と自信に満ちて、圧倒的な攻めの構え。威厳にみちて、堂々の存在感。うっとりと聞きほれました。 

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