ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その19

 8月8日マチネ&ソワレ 帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未見の方はご注意ください。

 マチネ。大塚ちひろサラに浦井健治アルフレートでした。最近は泉見アルフでの観劇が多かったので、浦井アルフを楽しみにしていたのですが、あれ・アレレ・・・。なに、この物足りなさはなに?と、欲求不満になってしまったのでした。

 今回の席は1階S席下手前方という、かなりの好位置。浦井アルフはお人形のように美しく、女性のような線の細さ、貴族的な物腰。相変わらずの王子様キャラでした。だけど、泉見アルフにあるような情熱が感じられないのです。ズバリ言ってしまうと、「サラのこと、別にどうでもいいんだろうなあ」ということです。

 浦井アルフの見た目は好きです。立ち姿も美しい。ああいう気品は出そうと思って出せるものではないと思うし、おとぎ話の王子様だったら、これ以上のはまり役はないでしょう。

 でも、アルフレートとしたら、私は泉見さんの方が好きになってしまったかも・・・。いえ、かもではないですね。今回、観劇して気付きました。泉見さんのアルフレートを見た後だと、浦井さんを薄く感じてしまうのです。初めて見たときは浦井アルフの方が好きだったのに、泉見さんの熱演にすっかり魅せられてしまった。

 浦井アルフのサラへの愛情を、薄いなあと感じてしまいました。アルフの、臆病な若者なりの勇気というのが一つの見所だと思うのですが、そういうものがあんまり見えなかった。

 

 浦井アルフで好きなところを3点挙げてみます。まず1点目。「恥ずかしいです。でもできない」この言い方は、いつ聞いても笑えるのです。客席も毎回、この台詞で沸いているような気がします。

 2点目は、ヘルベルトに襲われてヒャーヒャー言って逃げるところ。通路をぐるっと回って舞台に戻ってくるまで、ずっと悲鳴を上げ続けているのですが、これは面白いです。アルフの情けなさが際立つ、効果的な演出だと思います。

 3点目は、最後に血を吸われてからの一言。「悪くないね」を、わりと自然な調子で言っているのが好きです。ここは、変に悪ぶると不自然さを感じてしまうのです。泉見アルフの「悪くないね」よりも、浦井アルフの言い方の方が好き。

 大塚ちひろサラについては、以前からの感想と変わりませんでした。大塚サラは、どことなく世慣れた感じがしてしまって、新鮮さがないのが残念かも。どこにでもいるような現代娘で、それはあなただったかもしれないし私だったのかもしれない、と観客に思わせるための演出だったら、その点では成功ですね。大塚サラを見ていると、すでに街には何度も遊びに出ていて、遊び仲間もたくさんいる人のように感じてしまうのです。そもそも、外へ自由に出かけること、自分の欲望に忠実に従うことを罪悪だと感じていないあっけらかんとしたものを感じます。親からとめられているからそれをしないだけであって、自分の内なるモラルとの葛藤はないように思えます。

 

 

 そういえば大塚さんは写真撮影のときに「エロかわいい」がテーマだというようなことを演出サイドから言われていたようですが、「エロかわいい」って、サラのイメージとちょっと違うような気がする。エロなんてものは、意図的に見せるものではないと思うし。むしろ、あからさまではないところに存在するんじゃないかと思うわけです。剱持さんは、「真面目にあんまり考えるな」と言われたそうですが、そういうアドバイスの違いにも、2人のもともとの性格の違いが現れているなと感じました。同じサラという役でも、演じる人によって個性がそれぞれあります。

 私は「エロかわいい」という言葉、もともと好きではありません。それを用いるとき、そこには色気も可愛らしさもなく、ただ下品さが前面に出ている気がするのです。若い女性の色気なんてものは、意図的に作り出すものではなく、無意識に出てくるものだと思っています。

 サラは、もともと真面目で素直な子という設定なのではないでしょうか?それが成長するに伴い、束縛する親への反発だったり、自分が知らない外の世界への憧れが出てきて、モラルと誘惑の板ばさみになるのだと思います。それを演じるには、剱持さんの方が合っているように思います。

 ヘルベルトは、「牙つけるの早!!」という感想です。歌いながら、しかもアルフの背中に一瞬隠れてその隙につけるという早業なんですね。出演者の牙つけの中で、一番の器用さだと思いました。ヘルベルトとの相性で言ったら、浦井アルフです。なんの根拠もないんですが、ただ舞台を見ていて、ヘルベルトは浦井アルフのようなタイプが好みだろうなと思ったのです。気のせいか、ヘルベルトの両アルフへの愛には差があるような・・・。浦井アルフのときにはヘルベルトの執念を感じました。

 クコール。回を重ねるごとに不気味というよりどんどん可愛くなっているのは、それでいいんでしょうか(笑)。でも、よくよく考えてみるとかなり可哀想な境遇です。シャガールに忌み嫌われているのは、伯爵がバックについているという以前に、やはりその容姿でしょう。クコールの生きる場所は、伯爵のお城しかないのだろうと想像できます。雪に閉ざされた村の中。異形のクコールはあまりにも目立ちすぎる。闇の世界の住人にしか受け入れてもらえない。それでも、シャガールのところへ来たときに「こんにちは」と深く頭を下げる姿がいじらしいです。

 クコールは、十字架や日光が大丈夫なところを見ると、吸血鬼ではなく人間ですね。でも、人間側には受け入れてもらえない。

 いつも一生懸命だし、心優しい人なんだなあと思います。モーニングティーをいそいそと用意するしぐさ。ベッドで眠る教授の布団を、ぽんぽんとあやすように叩くしぐさ。それでも、ただ容姿が異形のものであるというそれだけで、アルフにも受け入れてもらえない。「いやー」と叫びながら去っていくクコールですが、その気持ちはわかります。きっと、アルフや教授に喜んでもらいたかったのですよね。「ありがとう」って笑って欲しかったのです。でもそんな簡単なお礼の言葉ですら、クコールにとっては高嶺の花。

 伯爵に甘える姿も、せつないものがあります。唯一、優しい言葉をかけてくれるのが伯爵なのかな。ヘルベルトは、クコールをただの使用人として冷たく扱っていそうなイメージ。城の住人と交流があるようにも思えないし、やっぱり伯爵だけがクコールにとっては救いなのでしょう。

 誉めてもらいたいから、お客様のお世話は張り切りますよね。クコールがいてよかったと言われたい。クコールに任せてよかったと言われたい。伯爵の腰に頭突きをしたり、すりすりと甘えるしぐさは、そんなクコールの心の声を表しているのだと思いました。

 

 最後、狼に襲われて死んでしまうところも哀れでした。結局人間社会でも生きられず、吸血鬼にもなれず。伯爵には可愛がられたといっても、それはしょせん「使用人に対する愛」でしかなかったと思うし。

 エンディング、欲望に身を任せた吸血鬼たちが楽しそうに踊り狂う中に、クコールの姿がない。クコールは、どちらの世界にも属さない異端児だったということでしょう。

 次回は、ソワレの分の観劇記を書きます。

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