今住んでいるところに唯一つ不満があるとすれば、それはベランダから空が少ししか見えないことだ。しかも雑居ビルに囲まれるように建っている立地のため、ベランダで空を眺めていると、隣のアパートや向かいのビルから丸見え。
なんとなく気になってしまい、あまり空を眺めることもなくなってしまった。
ただ、最近すごく「一晩中ぼーっと星を見ていたいなあ」という気持ちが強くなって、そんなときにいい夢をみた。
幼稚園の庭で、なにも遮るものがない視界の中、満点の星を見ていた。夏だというのにオリオン座が中心となり、それはそれは綺麗な星空だった。
やがて、東の空が白くなり、明るくなってくる。
私は幼馴染と家に帰ることになるのだが、「もう少しこの星を見ていかない?」と彼女を誘う。しかし彼女は子供がまだ小さいので、その世話をしなければならず早々に立ち去る。
そのときの寂しい気持ちと、でも子供が待ってるならそっちが優先だよな、という納得の気持ちと、白んでいく空に煌く星の輝きが、とても印象的な夢だった。
明るくなっていく空、とはいっても、明るさよりはまだ夜の闇の方が勝っていて、星を見るのには全く支障はない。
ただ、真っ暗な夜の闇とは、違うのだ。東の空には確かに夜明けの兆し。その不思議な空の色合いを、感慨深く見ていた。
いい夢だったなあ。なにかいいことありそうな予感がする。
そしてまた、今日はこんな夢を見た。
歩道橋の上に立っている。そして、「ああ、またこの夢か」と思う。
いつも見る、「高いところから、恐怖に怯えながら下りる夢」なのだ。これは、私にとって定番の夢。現実にも高所恐怖症だが、高いところにいて恐い思いをするのは、定期的に見る夢なのだ。
さすがに現実の世界では、歩道橋くらいなら平気なんだけど。観覧車やジェットコースターなどは、友達と一緒にその場の雰囲気でエイヤっと乗ってしまい、後から必ず悔やむことになる。
夢の中の私は、歩道橋の階段を上りきったところに立っていて、道路の向こう側にある大きな神社に行こうとするが、下を見るのが恐くて渡れない。下は大きな道路で、たくさんの車が走っている。
とてもじゃないけど、向こう側に渡れないなあ・・・。と絶望的な気分になる。それがまた、長いのだ。現実にはありえないけど、道路を渡る歩道橋の長さはなんと80メートルくらいあるように見えて。
仕方ない。いったん歩道橋を下り、信号を探して向こう側に渡ろう、と思う。そうはいっても、見渡す限り信号機はなくて、かなりの遠回りになることが予想される。もう一度、このまま歩道橋を利用することを考えるが、どうしても高さが恐くてやっぱり無理だという結論に達する。
そして、階段を下り始める。普通に下りることは、恐くてとても無理。だから座り込んで、一段一段、お尻を少しずつ下に移動するようにして、下りていく。そのうち、下から恐そうな人が上ってくるのに気付く。
「ほらね、ほらやっぱり。あの人はきっと私に気付いてしまう。でも逃げる場所はない。逃げ切れない」
夢の中の私は、そう覚悟するのだが近付いたその人は、まるで私など目に入っておらず、ふいっと消えてしまう。
よかった。全部杞憂だった。恐怖感が大きすぎると、動けなくなってしまう。恐怖の幻想に囚われて、私は無駄な心配ばかりしていたのではないだろうか。この歩道橋だって、崩れることはないし、私が落ちてしまうこともない。ただ、「恐い」と思うから渡れないのだ。
もう一度、戻って渡ろうか。
そう思ったところで、目が覚めた。
夢の中の神社の、緑が綺麗だった。大木から清浄な気が放たれているみたいだった。今日は近所の神社のお参りに行ってこようかな。