『レベッカ』観劇記 その1

 4月12日ソワレ。舞台『レベッカ』観劇記です。座席はセンター後方でした。辛口なところもありますが、あくまでも個人的感想ですのでご了承ください。かなり正直な気持ちで書いてます。ファンの方は、もしかしたら気分を害することもあるかと思いますので、そういう可能性のある方は見ないほうがいいかもしれません。それと、完全にネタバレしてますので、未見の方はご注意ください。

 

 『レベッカ』を観終えて、シアタークリエを出た私はヘトヘトでした。かすかな頭痛もあり。こんなに心をがしがし揺さぶられるとは、思ってもみなかったのです。

 感動、というのとはちょっと違うかな。感動というと、「めでたし、めでたしで終わる壮大なスペクタクルロマン」というイメージが、私にはあるのです。そういう言葉のイメージからいくと、『レベッカ』は違いますね。

 そうですね、本当に個人的な感想ですけども。なにか、胸の中に皮膚を突き破って直接手を入れられて、心臓をぎゅっと握られて、その手を激しく揺さぶられたって感じですか(^^;

 めでたしめでたし、の物語ではあると思います。救いがあったから。でも、なんというかとても激しい物語で、かつ、心に響く部分がたくさんありました。

 頭痛いのに、観劇記書くのもなあ・・・いう気持ちもありますが、今、興奮状態で自分の感じたままを書き綴らなければ、きっと明日になったら忘れてしまう部分もあると思うので、がんばって書きます。

 まず、最初にクリエの劇場内に入ると、波の音が流れていました。これ、いい感じです。もうすでに、日本ではなくて異国にいるという感じで。潮の匂いを想像しました。波の音って、落ち着くんですよね。聞いてるだけで癒されるので、ゆったりした気分のまま座席に座ってました。

 プロローグ。「夢に見るマンダレイ」綺麗でした~。演出の山田和也さんの感性が、光ってるって感じですね。これ、本家のウィーンでもこんな感じなのでしょうか。幻想的な雰囲気が素敵です。「わたし」役の大塚ちひろさんの声が、透き通ってました。

 マンダレイの使用人?影の人たちがすーっと浮かび上がるような感じで、それがまたいい雰囲気なのです。

 ヴァン・ホッパー夫人役の寿ひずるさん。存在感たっぷりで茶目っ気を見せてくれました。歌うまいですね。観客全員、すぐに、ヴァン・ホッパー夫人の世界へ引き込まれたというか。あれじゃ、「わたし」じゃなくても、夫人のペースに対抗できる人はそうそういないでしょう。わが道を行く、という強引さは、見ていてすごく面白かったです。マキシムとのかけあいが、これまた絶妙。

 強引なんだけど、嫌味がなくて。なんだか可愛らしいという(^^)

 『レベッカ』ってミステリーで、ドキドキする恐い作品かと思いきや、ヴァン・ホッパー夫人のおかげで、前半はすごくテンポよく、面白く見られますね。これ、大事だと思いました。メリハリがつきますもん。全編通じてハラハラドキドキじゃあ、体に悪い。

 笑えるシーンがあると、それだけ観客の緊張も解けるし、舞台と客席の一体感が増すような気がしました。

 ヴァン・ホッパー夫人に釘付けになっていたおかげで、マキシム役、山口祐一郎さんの登場を見逃してしまいました。いつのまにか、舞台にマキシムが立ってたという・・・。大の山口ファンの私としては、考えられないことです(^^;それくらい、ヴァン・ホッパー夫人、強烈なキャラを見事に演じてました。

 モンテカルロでのマキシムは、『そして誰もいなくなった』のロンバードに似てます。明るくて、軽い感じでした。あまり影を感じなくて、それは少し残念だったですね。小説の原作を読んだときには、なにかを内に秘めた得体の知れない人物、というイメージを描いたんですが。これは演出の山田さんの指示なんでしょうか、それとも山口さんの演技プラン?

 

 しかし、よく考えてみると、脚本というか、セリフそのものが軽かったですね。ということは、クンツェさんなのかな。マキシムと「わたし」が親しくなる過程を、もう少し詳しく見たかったなあと思いました。舞台のマキシムは、なんだかガツガツしているように見えてしまった。「わたし」に関して積極的すぎて。

 ここ、けっこう重要だと思うんですよね。「わたし」は、愛情を確信して結婚したわけじゃないから。(小説読んだ私の、勝手な解釈ですけど)

 たぶんこの時点では、「わたし」にとってのマキシムは、突然現れた王子様で、自分に優しくしてくれて、今までの世界から救い上げてくれた人で。でも、わかりかねる人であったと思うんですよね。なに考えてるんだろう、みたいな。奥さん亡くして、寂しいのかな。なに考えてるのかな。でもわからない。ときどき、自分の肩越しに、別の世界を見てる人。

 「わたし」が、もしかしてマキシムは、一時の気の迷いで結婚したんじゃなかろうかと、後にどんどん不安になるくらい、妙に人を避けるというか、距離感のある人物であってほしかったです。

 舞台だと、マキシムがアメリカの青年に見えてしまったのです。避暑地でウブな女の子を見つけた、成金のおぼっちゃま。声をかけることにも、誘うことにも、結婚にもためらいがない、みたいな。女性をエスコートするスマートさが、壮年英国貴族の落ち着いたスマートさではなく、女性慣れしたドンファン的なものに思えてしまって。

 

 ヴァン・ホッパー夫人のコミカルなシーンとは対照的に、マキシムの抱える闇を観客に想像させるような、そういう展開だったら、もっとよかったのになあと思いました。ヴァン・ホッパー夫人との絡みでは、とことん笑って。でも「わたし」と向き合ったとき。そして崖に立ったとき。

 落差の激しい、まるきり違う冬の表情を見せてくれたら、客席の緊張は高まったかもしれません。

 モンテカルロでの「わたし」役、大塚ちひろさんは、華があって美しい。でもそれが、逆にもったいないなあと思いました。

 最初はもっと、やぼったい感じの方がよかったかも。おどおどしていて、セリフもつっかえつっかえしゃべるみたいな。声も小さく、ぼそぼそした感じで。とはいえ、セリフとして聞こえなければならないから、そういうのは線引きが難しいでしょうけど。

 ずばり、地味な女の子には見えなかったということで。だって美しいんですもん。はっきりいって、舞台の華でした。大塚さんがいると、ぱーっと辺りが明るくなる。声にも、自信があふれているように感じました。実際、歌うまいですし。きっとヴァン・ホッパー夫人の使いっぱしりで終わる人生ではないだろうなと、そう思わせるものがありました。

 ただ、ここで本当に冴えない、ぱっとしない、自信喪失なやせっぽちな少女を印象付けておくと、後の大変身がもっと活きてくるかなあという気がしました。マキシムによって変わっていく過程が、もっと劇的になったかなあと。

 マキシムと出会わなければ、この子の一生は単調な繰り返しそのものだっただろう。そこにはドラマのようなサプライズは起こりようもなかっただろうな、と、観客の誰もが納得するような、イケてない女の子が見たかったです。

 マンダレイで使用人たちが主人の到着準備をするシーンは、『モーツァルト!』や、『エリザベート』にも、そっくりなシーンがありました。デジャビュ。

 

 ダンヴァース夫人役のシルビア・グラブさんは、声質がダンヴァースにぴったりでした。声を聞いただけで、陰湿なものがじわじわと伝わってくる。ただ、狂気はあまり感じなかったかも。迫力はありましたが。

 それと、レベッカのことを歌うときに、一瞬だけ、夢見るような、陶酔するようなニュアンスが欲しかったです。それがあると、一層ダンヴァース夫人の病的な部分が際立つから。

 長くなりましたので、続きは後日。順次アップしていきます。

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