『レベッカ』観劇記 その3

 昨日のブログの続きです。舞台『レベッカ』に関して書いていますが、完全にネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

 そしてボートハウス。トレンチコートに帽子姿のマキシム。帽子がイマイチ似合わないかな・・・と思っているうちにマキシムの歌『神よ なぜ』が始まりまして。

 

 最後に「ああ強くなろう 過去など乗り越えて」と歌い上げて締めるまで、私は心臓を、鷲掴みにされるような気持ちで聴き入っていました。

 実は、私が一番『レベッカ』の中で好きなのはこの曲なのです。まさかこういう曲に出会うとは、思ってもいませんでした。何故このときに、この曲を歌うの?と思いながら激しく動揺して、感情を思いっきり、山口マキシムの声で揺さぶられていまして。

 それより前に、「わたし」への愛から歌った

>私に力を

>こんな夜こそすべてを忘れられたら

 というのは、結局、甘い睦言のひとつに過ぎなかったと思うんです。

 他力本願的な。

 こうなったらいいね、なんて、新婚夫婦が語る、将来の夢みたいなもので。

 それほど真剣に、マキシムが決意しているわけではなくて。責任感のない、ふわふわした砂糖菓子。甘くて満たされる。

 だけどこのときの、『神よ なぜ』は覚悟が違う。

 

 なにか、わかるような気がしたんですよね。逃げ出したい過去があって、思い出したくもないことがある気持ち。もちろん普段は、そんなの忘れるようにして、なるべく考えなければいい話なんですが。

 ことあるごとに、ふっと胸をよぎる思い、みたいなものはあるわけで。どんなに忘れようとしてもね。強烈な記憶は、いつもつきまとって、なかなか自由にはなれない。気付くと行動のすべては、ぜんぶそのときの影に縛られてる、みたいな。

 だから、マキシムがこんなことを歌うと、はっと胸をつかれるのです。

>もしここを出ても またつきまとう過去は

>逃げ切れない それならここに残り

>今立ち向かえたら 苦しみのすべて消せるのか

 ひょえー、そうだったのか、と。つまり、マキシムは「わたし」を愛してない。いやらしい言い方だけど、「わたし」を利用して、「わたし」がくれる真っ直ぐな愛を武器に、過去と対決しようとしたんだなあっていうのがわかったのです。

 このへんで、すっかりマキシムの気持ちになりきっちゃってる私は、オヤジ脳なのかもしれません(^^;「わたし」じゃなくて、完全にマキシムの方に共感してしまっていて。なるほど、なるほどと。

 まあ、単純な話なんですけどね。マンダレイから逃げ出して他所の土地で暮らせば、マキシムは一生、レベッカの幻影から逃れられない。マンダレイが、レベッカそのものになってしまう。

 マンダレイを自分のものにする、取り戻すためには、どうしてもレベッカとの対峙が必要だったんです。逃げてたら、一生無理。

 

 マンダレイに、自分の足で立つこと。そして、マンダレイの景色、レベッカの思い出に、「わたし」と一緒にいる、別の風景を上塗りしていくこと。その直接対決でしか、消せない記憶がある。

 モンテカルロの丘は、前哨戦だったわけですね。そして決戦の地。マンダレイでマキシムは誓う。「強くなろう」と。その思いが、痛いほど伝わってきました。

 実際、人間はみんな、過去に縛られて生きてる。本当になにもかも、死んでしまった過去なら、時間が解決してくれることもある。でもその、部分、部分で、息づくものがあれば、それは現在にわたって、大きく影響し続けて。その影響は、黙っていたからといって、弱まるものではなくて。ならば、いつかは立ち向かわなければ、未来がない。

 完膚なきまでに打ちのめされれば。嫌でも、自分の弱さを知ります。だから、強くなりたいと願う。弱い自分が惨めだって、泣くしかなかったって、わかりすぎるほど、わかってるから。

 

 強くなりたいと願うのは、弱くて泣くだけの、自分を知っているから。

 ああ、もういろんな感情がこみあげて。ひたすらマキシムの声に、耳を澄ませてました。山口さんの表現力はすごいです。今日の山口さんは特に、なにかが乗り移ったかのように歌ってた。

 

 本日のクライマックスは、ここでした。マンダレイのお屋敷炎上シーンを、はるかに凌ぐものがありました。この曲が終わったら、私はしばらく、頭が真っ白で。その後、一定時間、目の前の舞台が目に入らなくて。

 その後もたしかに歌があり、セリフがあり、セットがそこにはあるのだけれど。感覚器官を通しての情報はあっても、心にまで到達しないという感じでした。

 心はもう、さっきのマキシムの歌で飽和状態。これ以上なにも、入る余地がない。心は静かに振動し続けて、その震えが、なかなか止まらない。

 ということで、観劇記を終わります・・・というのもなんなので、(まだ一幕の途中だし)、とにかく最後まで、気になったシーンやセリフについて書いていきます。

 でも正直な話、今日のこの『神よ なぜ』以降は、かすんで見えました。これ以上のインパクトを受けるシーンは、以後なかったです。

 長くなりましたので、続きは後日。

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