『レベッカ』観劇記 その5

 5月17日(土)ソワレ。シアタークリエで上演中の『レベッカ』を見てきました。感想を書いていますが、ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。本音で書いているので、少し辛辣な意見になってしまっているところもあります。ちなみにブログのタイトルは「観劇記その5」になっていますが、これは5回見たという意味ではなく、観劇記として書くのが、5度目という意味です。

 

 今回で、観劇は2度目。席は前回と同じくセンター後方。傾斜がついているので、前の人の頭が全く気にならず、かなり見やすかったです。

 この『レベッカ』という舞台は、帝国劇場に似合うミュージカルだと思いました。舞台と客席の近さは臨場感につながるのですが、むしろ『レベッカ』には、距離感があった方が幻想的で迫力が出るのかなあと。クリエよりももっと大きな劇場で。客席と舞台にある程度の境界線を意識しながら、別世界を覗き見るような形が合うような気がしました。

 自分のすぐそばにあるような物語とは、また違うように思うのです。2度目に見て、それを強く感じました。距離感こそが夢のような雰囲気を盛り上げ、荘厳な空気を醸し出すのではないかと・・・。

 役者さんの熱演を近くで見られるという利点は、たしかにその通りなんですが、演目によってはむしろ、大劇場でこそ活きる物語があると思います。

 たとえば2006年に帝劇で上演された『ダンス・オブ・ヴァンパイア』などは、クリエで見たいと思わないですからね。ちょっと話が逸れてしまいましたが(^^;

 では、今回の観劇の感想を思いつくままに書いていきます。

 山口祐一郎さんの演じるマキシムは、、大塚ちひろさん演じる「わたし」とかなり温度差がある演技だと思いました。

 大塚さんの「わたし」は本当に、まっすぐに愛をぶつけてくる。その純粋さを可愛いと思い、マキシムの心が揺らぐんですけども。やはり若くて綺麗な女の子に、あんな風に慕われたら悪い気はしないわけで。

 ただそれが、本当の愛にはつながらなかった、というのが伝わってきたような気がしました。

 「わたし」は熱い。

 マキシムは冷たい。

 マキシムはやはり、レベッカの影に囚われてましたね。最初から最後まで。

 マンダレイのお屋敷の壁に、ツタの模様が描かれているのがとても象徴的です。ツタは、きっとレベッカの隠喩。シルビア・グラブさん演じるダンヴァース夫人が哀れに見えました。意地悪な人というより、レベッカに囚われた被害者的な面を強く感じてしまって。

 レベッカがまだ小さな女の子だった頃からお世話をしてきて、お嫁入り先にまで伴われた彼女。

 レベッカとはそんなに年が違わないのかなあと想像しました。しかし、生まれながらの身分の差を、実感せずにはいられない日々なわけです。

 そう、ダンヴァース夫人にとってのアイデンティティは、「レベッカが一番信頼しているメイドとしての自分」にあったんだなあと。カリスマ性のある、小悪魔的なところに魅了される一方で、自分が仕える相手が一流の主人であってほしいという、そんな彼女自身の願いもあったのかな。

 どのみち、メイドという身分からは一生逃れられない。間違っても、大きなお屋敷の女主人になどなれるはずもなくて。だったら、メイドの中でも一番上になりたい。自分の仕える主人こそ、一流の、誰からも崇拝される人であってほしいと。主人が皆に評価される人物=その主人に仕える自分は素晴らしい、みたいな思いがあったんじゃないかと思いました。

 だからこそレベッカが不慮の死を遂げたことで、ダンヴァースの自信は大きく揺らぐんですよね。レベッカがいない世界に、自分の存在価値などあるのだろうかという。

 そこへもってきて、新しいミセス・ド・ウィンターとしてやってきた新妻「わたし」は、なんの取柄もなさそうな、ただの女の子。仕えることに誇りを持てる相手ではない。

 こんな子供が、マンダレイの女主人になる・・・。

 ダンヴァース夫人が感じた憤りは、わかるような気がします。

 どうしようもないことではあるし、「わたし」に罪があることではないけれど。ダンヴァース夫人にしてみたら、ますますレベッカへの思いが募る結果になってしまったわけで。

 シルビアさんの演じるダンヴァース夫人の声には、嫌味を感じませんでした。いい人っぽいと思いました。感情を押し殺したような低い声ですが、その向こうには、邪悪なものを感じなかった。

 マキシムの愛を確認してめきめきと強くなり、自信をつけ、ダンヴァース夫人の思いがこもったキューピットの像を割ってしまう「わたし」の前で、ダンヴァース夫人は弱く、儚い人に思えました。

 大塚ちひろさんの演じる「わたし」に関しては、最初からすごく強い人に見えるのが残念でした。後半はそれがぴったりなんですが、マキシムとの出会いから、その愛を確信するまで。もっと自信のない、弱々しいイメージでもいいんじゃないかなと。そうすれば、マキシムからレベッカの死の真相を聞いた後の、劇的な変身ぶりが際立って、もっと舞台が盛り上がるのではと思いました。

 大塚さんは2006年の『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のサラ役よりも、この「わたし」役の方が合ってます。マキシムへの思いを歌い上げる声の力強さは、ぴったりです。

 それから、ヴァン・ホッパー夫人役の寿ひずるさん。素敵でした。セリフのよどみなさ、間の取り方、引き込まれてしまいます。

 ヴァン・ホッパー夫人が絡むシーンは、この舞台の中でもコミカルなシーンが多いわけですが、見事にアメリカンな夫人のキャラを演じきっていました。たぶんヴァン・ホッパー夫人は、世界は自分を中心に回っていると信じきっているキャラだと思うのですが、寿さん、なりきっていましたね。

 マキシムとやりとりするシーンで強く感じたのは、マキシム役の山口さんが、安心して寿さんに委ねているという空気です。寿さんに任せておけば安心、みたいな。

 実際、本当にリラックスして楽しめる場面でした。危なげなく笑ってみていられる。

 寿さんは、ヴァン・ホッパー夫人そのものでしたから。たとえなにか、ちょっとしたアクシデントがあっても、きっとヴァン・ホッパー夫人は動じることなく、その場をうまく回していくだろうなあという確信がありました。

 

 一番最初に登場する場面で、ヴァン・ホッパー夫人が着ているドレス。ターコイズブルーというんでしょうか。とても綺麗な色で、いかにも、ヴァン・ホッパー夫人が好みそうな色だなあと思いました。すごく印象的です。

 最初の登場にあの色を使うことで、視覚的にも、彼女がどんな性格かということをよく表現できていたと思います。

 色といえば、仮装舞踏会のテーマカラーが、赤・黒・白なんですね。この色彩感覚も、いいなあと思って見ていました。仮装だからといって、奇を衒って無秩序になってしまうと、見る方も気持ち悪くなってしまうと思うのです。そこが、赤・黒・白の大枠の中での、バリエーションということになると、全体的に調和がとれていてすっきりしていました。

 パーティーで大騒ぎ、といっても、そこはかとない気品があって、さすがマンダレイという雰囲気です。

 ファヴェル役の吉野圭吾さん。体を横から見たとき、細いのに驚きました。スマートなんですね。でもスマートすぎて、私が想像するジャック・ファベル像の、あざとさが出ていなかったような気がしました。

 私が想像するファヴェル。どちらかというと、恰幅のいい、浅黒い肌の男性なのです。

 ダンスシーンは堪能しました。要所要所で、ピタっと決めてくれて所作が美しいです。バレエを見ているようでした。足を上げる位置も高いのです。あのダンスをするなら、吉野さんくらい細い方が見栄えがいいと思いました。

 それから、フランク役の石川禅さん。前回見たときにはなんとなく、気の弱そうなイメージがあったのですが、歌声が力強く、美声なので驚きました。うーん。これは、フランクというよりは、マキシムのイメージに近いのかも。

 私のイメージするフランクは、朴訥な感じなのですが、石川さんのフランクには、主役的な二枚目の匂いを感じました。

 ベン役の治田敦さんですが、体全体の動きがとても自然で、ベンそのものになりきっているのが伝わってきました。歌よりも、動きに魅入られてしまいました。ベンは、体で言葉を表現しているのかなあと。

 ただちょっと違和感があったのが、最初に「わたし」と出会ったときに、あまり警戒感を抱いていないように見えてしまったのです。最初から、ある程度「わたし」を信頼してしまっているように感じてしまいました。

 ベンはレベッカの件で、初対面の人間に対してナーバスになっている一面があって当然だと思うんですよね。きっと、貝殻を褒められたのをきっかけに、一気に打ち解けたんじゃないかなと。だから、それまでの警戒心をもっと大げさに出した方がいいんじゃないかなあと思ってしまいました。

 長くなりましたので、続きは後日。

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