目黒雅叙園の百段階段

 目黒の雅叙園で、国の登録有形文化財指定の「百段階段」を会場に、人形師、辻村寿三郎さんの作品が展示されることになったので、さっそく行ってきました。8日(日)は展示会の最終日なのです。16時過ぎに行けば、終わりがけで空いているかなと思ったのですが、予想していたよりもずいぶん多くの人で賑わっていました。

 私はそもそも、この百段階段が好きなのです。

 雅叙園創始者の、細川力蔵さんとは、どんな人物だったのか・・・と思います。この百段階段と、そして各部屋の装飾の凄さ。

 私がこの、百段階段を訪れるのは3度目です。去年の夏に、テレビドラマ「大奥」の衣装や小道具が展示されたときが、初めてでした。そして今年に入ってから、レストランでの食事と、百段階段の案内がセットになったコースを、体験しました。

 なぜそのときにブログに書かなかったかと言えば、あまりに感動したので、言葉がみつからなかったのです。この気持ちを、うまく言葉にできる自信がなかった。それくらいなら、いっそ書かない方がいいだろうと。

 そして3度目の今日。やはり、百段階段は素晴らしかった。

 なにが凄いって、99段続く階段も圧巻ですが、各部屋の贅を尽くした造りは、この世というよりはまさに桃源郷、そして竜宮城そのものなのです。

 もちろん、年月を経て色彩は褪せていますし、建具も傷んでいる部分はありますけれども。部屋の中に立ち、豪華な浮き彫り彫刻、組子障子、床柱、日本画、螺鈿、等々、それらに囲まれているとタイムスリップできます。

 どれほど多くの作り手の思いが、宿った部屋でしょう。

 職人の誇りを感じます。出来上がったばかりの部屋は、どんなにか光り輝いていたでしょう。

 この世に竜宮城を作ろうとした細川さんに、興味を持ってしまいました。今生きていたら、いろいろ質問してみたいです。きっと細川さんの頭の中には、色とりどりの楽園が広がっていたのだと思います。

 私は「千と千尋の神隠し」という映画を見たとき、、湯屋の描写に憧れを抱きました。八百万の神々が集う大宴会場。絢爛豪華な部屋から漏れる笑い声、忙しく立ち働く人たち、贅を尽くした料理の数々、歩いても歩いても、部屋は限りなく続く。

 あの湯屋は、この目黒の雅叙園がモデルだったんですね。もちろん、他にも着想の原点になったものはあるとは思いますが。それでも、在りし日の雅叙園は、まさに千と千尋の世界そのものだったのでしょう。

 お膳を運ぶ人たちが、ひっきりなしに行きかう階段。部屋ごとに繰り広げられた宴の数々。笑いあり、涙あり。どれほどの人生が、この雅叙園の百段階段を通り過ぎたのかと思います。宴会場としては使われなくなり、展示としてのみ、時折公開される静かな日々。

 けれど、部屋の中に立ってみれば、その日のざわめきを感じ取れるような気がするのです。時間を巻き戻せば、この場所にはたしかに、人の息づかいがある。

 特に好きなのは、漁礁の間。浮き彫り彫刻と、その彩色が見事です。部屋に足を踏み入れた瞬間、心を奪われてしまいます。

 それは、極彩色の世界です。ここまでゴージャスだと趣味が悪い、という人もいるかもしれません。金に糸目をつけず、最高のものを、派手に作ったのだということがうかがえます。侘、寂の世界とは、真逆ともいえる華美な色の洪水。

 だけど、悪趣味、その一歩手前のバランスが素敵なのです。これ以上、一歩でも踏み出せば悪趣味になってしまう、そのギリギリで踏みとどまった微妙な加減。

 細川さんは、誰もがお金さえ出せば、一晩だけのお大尽になれる空間を作ろうとしたそうですね。その夢が現実の形となって、ここにある。その発想には、細川さんの強い意志を感じます。

 昔は今以上に、庶民と上流階級に身分差があったと思うんですよ。時代の流れの中で、にわか成金になっても、上流階級が昔から贔屓にしているような遊び場では、お金など役には立たない。

 一見さんお断り、あるいは会員制のような、紹介がなければ出入りが許されないような場が多かったのではないでしょうか。

 そこでは先祖だとか、その階級同士の横のつながりが大事にされただろうし。

 だから、細川さんは考えたんだろうな。お金でお大尽になれる空間。身分とか、過去とか、全く関係なく。ある意味、平等な世界。

 当時その雅叙園の噂を聞いて、一度でいいから行ってみたいと訪れた人もいるかもしれない。そしてその一晩の夢を、大事に抱きながら、その思い出を宝物のようにして死んでいった人もいるかもしれない。

 たくさんの人の夢がつまった空間。いろんな思いが入り混じった部屋の中。時代は流れても、作品と人の思いは残り、語り継がれていくでしょう。

 事業で成功した細川さんが、それぞれの部屋に膨大な時間と経費をかけ、職人達に思う存分腕をふるわせた、その姿勢を尊敬します。こういう場がなければ、埋もれてしまった職人技って、あったと思うんですよ。

 芸術家に輝けるステージを用意した。それは、個人的な思いだけではなかったと思います。その作品は、時を重ねてずっと受け継がれていくものだから。細川さんの名の元に、多くの天才が集い、その天才同士がいい刺激を受けあって、また新たな才能の発掘へとつながる。

 美しいものを見たときに、人の心は震えます。

 その人が受けた感動は、他の人の目に見えるものではないけれど。たしかに、美しいものには人の心を動かす力があるのです。

 この百段階段と各々の間が人々に与えた感動は、今も昔も大きいものです。

 私は静水(せいすい)の間と、星光(せいこう)の間をつなぐ階段と廊下の、左手にある立ち入り禁止の扉が気になってしまいました。

 おそらく、今は物入れとして使われているのでしょうが。構造上、その先に新たな部屋などないとわかっていても。扉をあければ、ひょっとしたら笑い声の絶えない全盛期の百段階段、その宴会場へトリップできるのではないかという気さえ、してしまうのです。

 清方(きよかた)の間の廻り廊下から、見下ろす景色も好きです。今のガラスと違って、斜めから見ると、少しだけ景色が歪んで見えて。それがまた風情があるのです。

 木の枠と硝子。その組み合わせだけでも、懐かしい感じがします。下方の軒樋を埋める落ち葉を眺めていると、時間を忘れてしまいます。

 この百段階段の世界に、寿三郎さんの作った源氏物語の人形はよく合っていました。企画した人のセンスがいいですね。源氏物語の人形の他にも、戦国時代の実在の人物を模した人形もありました。顔の表情もよくできていますが、衣装が精巧に作られているので、そこもまた見応えのある展示でした。

 源氏物語の展示を見て、あらためて思ったことがあります。

 帝はなぜ、桐壺を守り通せなかったんだろうと。そもそも、帝が桐壺をちゃんと守ってあげられたら、彼女は精神的に追いつめられて死ぬこともなかったし、光源氏の運命は、全く違ったものになっていたのでは?

 その立場上、最後まで守ってあげられないなら、情熱は胸に秘めておくべきでした。他の女性からの嫉妬なんて、たやすく予想できたはずなのに、理性を感情が上回ったということでしょうか。

 それは、愛というより、エゴなのでは・・・。

 百段階段は、名前は百段ですが、実際には99段しかありません。そんなところも気に入ってます。一歩手前。わざとそうしたところが、粋ですね。本当に素晴らしい、一日中そこにいても飽きない建物です。

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