散歩の途中初めて通った道で、素敵な建築物を見かけた。見た瞬間、はっと息をのんだ。それは大きなホールのようで、壁面は曲線を描き、並んだ窓からオレンジの光が漏れていた。
特別、デザイン性が高いというわけでもないのだが、なぜか私の心に不思議な感情が湧き上がってきた。
この建物、懐かしいのだ。私、この建物か、あるいは似たところを知ってるような気がする。
そして一生懸命それを思い出そうとして、浮かんできた映像。同じフロアに、廊下に沿って同じ作りの小さな個室がずらりと並んでいる。一定の間隔で並ぶ扉。それを開くと、部屋の中には大きな机がある。私はそこに座って、訪ねてきた誰かと話をしている。
入口そばにある来客用のソファは、落ち着いた赤系統の布張りで。ソファの前には、強化ガラスのテーブルがある。
私がそこでなにをしていたのかは、はっきり思い出せないけど。とにかく一対一で、相手となにか話しこんでいたような気がする。夜だ。途中、廊下に出て別の部屋の誰かを呼びにいったような。廊下には絨毯が敷き詰められていて、足音は響かない。
それ以上は、うまく思い出せなかった。たぶん、夢でみた景色なんだろうな。とても懐かしいというか、心に響く情景で。
建物の周りは、人気がない。外灯がぽつん、ぽつんと見える。そして灯りに浮かび上がる建物の全体像は、私の心をざわざわと動かすものだった。たまにあるんだよね、この、独特の感傷。
この建物も、辺りの景色も。それから空気の生暖かさも、空気の匂いも。なんだろう。どうしてこんなに、惹かれるんだろう。
すっかりその建物が気に入った私は、この道をお気に入りの散歩コースの一つに加えたのでした。そして、川沿いの道へ。
川面に街灯が反射するのが綺麗だった。それを見ながら、歩いていった。基本、水音はしないのだが、途中で一箇所だけ音のする場所があり。そこではしばらく立ち止まって、流水音に耳を澄ませた。
川を見るたびに、思い出す詩がある。橋の上から、川面に跳ねる銀色の魚を眺めていた、という詩。静まり返った真夜中の情景。
私は、実際には見たことがないんだけどね。銀色の魚の鱗。だけどきっと、作者が見たその夜の景色は、どんなにか美しかったんだろうと思う。他には誰もいなくて。ただ月が静かに、川面を照らしていた夜。まるで世界に独り、みたいな安らぎがあったんだろうなあ。
そのとき作者が感じたであろう、穏やかな気持ち。過去も未来もなく、ただそこには、今しかなくて。その瞬間、そこに存在して、ただ目の前にあるものを眺めてる、受けとめてるって感覚。
感情って不思議だなあと思う。なんだろう。認知するということ。反応するということ。人間は意識の底に、どれだけの感情を抱え込んでいるんだろう。行動はコントロール可能だけど、感情は制御不能。
だって、それを見た瞬間に、思ってしまうんだから。思ってしまうことは、とめられないわけで。
自分の感情に真っ直ぐに向き合うことで、新しい世界が見えてくるかもしれない。本当に望むもの、拒絶しているもの。答えは全部、自分の中にあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、家へ帰ってきたのでした。明日も歩こう。