ドラマ『白洲次郎』の感想

 NHKで放送した『白洲次郎』のドラマ、第1回と第2回を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

 キャスティングが抜群によかったです。どの登場人物も、それ以外の人が考えられないほどにハマっていたように思います。

 まずは主人公、伊勢谷友介さん。いい役者ですね~。目力が強い。きっと次郎さんも、同じような強い目の輝きを持った人だったと思うのです。そうでなければ、終戦後にあれだけ、精力的に活動することはできなかったはず。

 第1回の少年時代は、伊勢谷さんでなく子役が演じていたのですが。この子がまた、ぴったりでした。

 英語教師に英語で反論し、楯突くシーン。いかにも子供時代の次郎さんぽくて、目を奪われました。幼い胸にエネルギーが渦巻いて、行き場をなくしたその熱さが、体を焼いて痛くてどうしようもない。そんな激しさが、画面を通じて伝わってきます。

 奥田瑛二さん演じる、父の文平。一財産築いた人物の自信と、傲慢さがよく出ていました。破産した後の、妻に対する負い目を、胸に秘めた演技がよかったです。

 原田美枝子さん演じる、母の芳子。良家の奥様というのは、きっとこういう感じの方なんでしょうね。夫の女遊びにも動じることなく。破産の憂き目にも、泣き叫ぶことなく堂々としていて、好感がもてました。

 浮気や破産が、決して悲しくないわけではないんですよね。でも感情的になることはない。その芯の強さが伝わってきます。

 白洲正子さんの役は、中谷美紀さん。美しいです。激しさもあるけれど、その激しさは氷のように静かなもので。赤く燃え上がるのではなく、青白い炎が揺れている感じ。次郎が正子さんを見出したのは、そこに同じ匂いを感じたからですよね。

 周囲に交われない。溶け込もうにも、どうしようもなく異質な魂。

 第2回の、鶴川村の葬列のシーンが印象的でした。

 次郎はプリンシプルを貫く人。自分の信念を、いささかも恥じることのない人ではあるのですが、友人の戦死に動揺しないはずはありません。

 召集令状の回避。そのこと自体には、信念を持っていたとしても、いざ目の前に悲しい葬列を目にして。「息子は立派に死にました」と、骨すら返らない息子の葬列で、深々と頭を下げた母親の姿を目の前にして。

 辰巳栄一の怒号を、ひるむことなく真正面から受け止めた次郎が、友人の母の前で、激しく心を揺らせていました。

 降り続く涙雨。

 次郎にできるのは、ただ帽子をとり、頭をたれることだけで。友人の母にかける言葉は、みつからないですよね。どんな慰めも、力を持たないことがよくわかっているから。字が読めないと言うその母親に、戦死した場所は南の島だということを伝えるのが精一杯で。それしかできない自分の力不足を、どんなにか情けなく思ったことか。

 雨の降る情景。雨音。ぬかるんだ道をふみしめる足音。

 このシーンが、後のGHQでの次郎の奮闘に繋がるのだと思いました。

 生き残ったからこそ、戦後の日本を復興する義務がある。自分がやらなくて誰がやる、きっとその思いがあったはずです。

 従順ならざる唯一の日本人。したたかで、粘り強い交渉。

 我々は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない、という言葉の意味を、重く受けとめました。

 次郎の生涯に関しては、悪く言う人もいますけれども。私は彼が、最後まで名声を求めなかったことが、全てを表していると思うんです。自分の役割を果たしたと考えた後は、きっぱり身を引いているから。栄誉に未練をみせなかった。それが、答えだと思うのです。

 政治や経済、その駆け引き。敗戦国であるという立場、そこにどんな交渉があったか、きれいごとだけではないと思います。だからこそ、細かな揚げ足とりは愚かなことではないでしょうか。

 吉田茂を演じた原田芳雄さん。本人かと思うほど、迫真の演技でした。豪放磊落で、魅力的な人物ですね。次郎がオヤジと呼び、その懐刀となったのは、彼が尊敬できる人物であったからだと思います。次郎がなぜ、彼とタッグを組んだのか。その理由を言葉で語らずとも、まとわせる空気で表現していました。

 近衛文麿を演じたのは、岸部一徳さん。雰囲気がいかにもお殿様っぽくて、名演だと思いました。高貴な育ちの鷹揚さとプライドが、にじみ出ていました。

 死を前にした、心がからっぽになったような表情。忘れられません。本当の近衛さんも、同じような表情をしたのではないかと、そう思いました。

 近衛さんに関しては、工藤美代子さんの『われ巣鴨に出頭せず—近衛文麿と天皇』という本がお勧めです。私は以前に読んだことがあったので、その本に出てきた近衛さんと岸部さんをダブらせて、ドラマを見ていました。

 田中哲司さん演じる河上徹太郎が、おもちゃのピアノを一心不乱に奏でる。その美しい音色に、誰もが心を奪われていく。そして演奏はどこまでも広がり、クライマックスを迎え、そのとき、戦争が終わった・・・この演出はすごかったです。

 戦争を望んだ者など、誰もいなかったと思うんですよね。

 誰だって、美しいものが好き、穏やかな日差しが好き、この世界が好き、だけど。

 次郎と正子の絆の強さにも、感銘を受けました。女性の脚本家なので、よけいロマンチックに描いてる部分があるのかもしれません。

 身を粉にして、忙しく働き続ける次郎に、「私なんてお飾りで、あなたには不要な存在よね」みたいなことを言う正子ですが。

 興奮して、Let me go だったかな? leave me alone だったかな? 吐き捨てて、走り去ろうとした正子に対して、「行かせない。僕には君が必要」みたいなことを次郎が言い、正子が抗えないほどの強い力で抱きしめるところに、感動してしまいました。

 いい奥さんという基準で言えば。世界は広いのですから、正子より家事に長けた人はいくらでもいたでしょうが、次郎には正子が必要だった。

 この感覚、わかるような気がします。

 互いに運命の相手だったんだなあと。それは、いいも悪いもなく、どうしようもなく魂が惹かれあう相手ということで。

 大きなことを成し遂げる影には、必ず、それを支える相手がいる。具体的になにをするわけでなくても、そこにいるだけで。ただ、ときどき話を聞いて、そばにいてくれるだけで。

 次郎にとって、正子の存在は大きかったのだと思います。

 今日、荻窪の荻外荘(てきがいそう)に行ってきました。近衛さんが亡くなった場所です。おそらく、昔はその辺りの一画すべてが、近衛さんの土地だったのだと思います。今は、近隣にマンションが建ったり、当時とは変わってしまっていました。

 現在、子孫の方が住んでらっしゃるので内部の見学はできないのですが、周辺を歩いて、当時のことを偲びました。

 だけど、高い壁の向こうに見える大木の数々。これだけは、きっと当時と変わらない光景ですね。ずっと、歴史を見守ってきたのだと思うと感慨深かったです。その木の高さ、太さが。そのまま歴史の長さなのだと思いました。

 このドラマ。第3回の放送は、8月を予定しているそうです。

 楽しみに待っています。

われ巣鴨に出頭せず—近衛文麿と天皇 (中公文庫)
工藤 美代子
中央公論新社

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