スーザン・ボイルさんの歌声

 歌い手によって、曲の印象が全く変わってしまう、というのを体感しました。

 レ・ミゼラブルの「夢やぶれて」です。

 Britain’s Got Talent というオーデション番組で、審査員3人から、文句なしの合格をもらったスーザン・ボイルさん、47歳。

 見かけは、本当に普通の、どこにでもいそうなおばちゃんなのです。その番組に出演し、舞台の上に立ったとき、審査員だけでなく観客の反応も冷ややかなものでした。どうせ、不合格に決まってる、みたいな。

 まして、何を歌うのかと聞かれて、“I dreamed a dream” ですもん。この難曲を歌い上げることが、この素人のおばちゃんにできるはずがない。会場にいる誰もが、そう考えているようでした。

 でも、おばちゃんは全く動じません。会場の、どこか馬鹿にしたような雰囲気の中でも、卑屈になることなく、まっすぐ前を見ています。

 そして曲が流れ、スーザンさんの声が流れ始めたその瞬間! 誰もが息をのんだのです。私もです。目の前にいるこの人から、この声が出ているのか? それが信じられなくて、ただ呆然と、彼女の表情を見ていました。

 声は、20代の女性のものに思えました。それほど若く、力強いものでした。どよめく会場にも、スーザンさんは全く動じません。ただ淡々と、自分の信じる歌を、自分の歌を、歌い上げるのでした。

 審査員の顔つきが、豹変するのが見ものです。どうせたいしたことはないだろう、と鼻で笑っていたようなその顔が、見る間に、「本物を見た」という恍惚の表情に変わるのです。

 尊敬と、憧れが見てとれます。心を動かす存在を前に、ただ、敬服するしかないのです。特に、サイモンという毒舌で有名な審査員が、笑顔になるのがすごいんですよね。この方は、アメリカン・アイドルという番組でも審査員をしていて、すっごく厳しい批評で有名なんです。

 審査員なんだから、お世辞ばかり言っていられないのもたしかなんですけどね。見てる方が「もう少しオブラートに包んだ言い方をしてあげればいいのに」と同情してしまうくらい、思ったことをポンポン、遠慮なく言ってしまうという。

 アメリカン・アイドルを見ていた方ならわかると思うんですが、過去にはサイモンがあまりにひどい言い方をするので、他の審査員がたしなめることもあったり。

 そのサイモンが、笑ってるんです。とても満足そうに。こんな風に笑うサイモンを、初めて見ました。お世辞を言わないサイモンですから、本当に素直に、スーザンさんの歌が気に入ったんだと思います。

 私はレ・ミゼラブルという舞台を何度も見ましたが、そのときには、あんまりこの“I dreamed a dream” (邦題は「夢やぶれて」)という曲、ここまで綺麗な曲だとは思わなかったんですよね。落ちぶれた我が身を嘆くファンティーヌの、哀しみが伝わってくる曲だ、とは思いましたけど。

 綺麗だとか、優しい、とか、癒されるとか。

 レミゼの舞台のときには、全く抱かなかった感情がわいたのです。

 歌詞は、本当に悲劇なんですが。でもスーザンさんの声が伝えるものは、どこまでも優しい、まるで天上から降る音楽のようで。

 こんなに美しい曲だったんだなあと、その印象の違いに驚きました。そして、曲の途中で、スーザンさんがにっこり笑って、うなずくんですよね。その姿が、なんだか女神様みたいだなあって思いました。いいのよって、言ってくれているような。なんだか、自分の抱えてる全てのものを認めてくれて、許してくれて、いいのよって、そういってくれているようで。

 歌詞は全然、そんな歌詞じゃないんですけどね。

 でもその瞬間、本当に慈愛の表情で、うなずいてくれるスーザンさんの姿に、癒されました。

 震えながら消えていく、最後の音。

 スタンディングオベーション。会場に広がる興奮がリアルに伝わってきて、胸がいっぱいになりました。

 スーザンさんは47歳。未婚で、無職で、猫と一緒に暮らしていて。芸能人という容姿ではなく、どこにでもいる街中のおばちゃんで。

 この声、会場を熱狂させるだけの才能を持ちながら、誰にも見出されることなくひっそりと生きていたその人生を思いました。舞台上に初めて姿を見せたときの、あの、会場の蔑んだような空気は、今までの人生にもきっと、ずっとあったものなんだろうなあと。

 審査員の一人アマンダも、歌う前の会場の空気を指して、“I know everybody was against you”という言い方をしていました。against という言葉に含まれる強い響きは、そのままスーザンさんが生きてきた道のりに、重なるものがあったのかなと思いました。

 それでも、スーザンさんは全然、卑屈じゃなかったのです。自分に自信を持つ姿は美しいです。決して傲慢になることなく、かといって、卑下することもなく。私は私。その強さが、全身からあふれていたような気がします。会場の雰囲気がどう変わろうとも、内側にあふれる自分自身への信頼感は、決して揺らがなかった。

 歌い始めから最後まで、一貫してブレがありませんでした。

 だから、みんな聴き惚れたんだと思います。それはスーザンさんの世界だったから。みんながそれに飲み込まれて、スーザンさんの内面世界を垣間見たような。

 さっそくCNNのラリーキングライブに、ゲストとして呼ばれたスーザンさん。司会のラリーに、「髪形や服装、スタイルは変えるのか?」と問われて、「なぜそんなことをしなければならないの?」と、あっさり切り返していました。

 たしかに、スーザンさんが舞台で着ていたベージュ?金?のドレス、とっても似合ってた。

 スーザンさんが急に、まるでハリウッド女優のように大変身したら、きっと彼女固有の魅力は、薄れてしまうでしょう。

 ラリーキングライブに出ていたときの服装も、なにげない装いではありましたが、お洒落でしたね。落ち着いた茶色が、白い肌を引き立てていて。落ち着いた色だからこそ、大振りのネックレスが華美にならずに、ちょうどいいバランスだったような。

 その人にはその人にしか出せない美しさがある、そう思いました。

 スーザンさんの歌には、悲愴感がなかったです。

 まるでどこまでも、夢の世界のようで。歌詞にある“hell”(地獄)という激しい言葉も、スーザンさんの声にかかれば、淡い色彩の、夢の出来事だった。

 この日のために、この日の輝きのために、全部必要なものだったのかな?と思いました。スーザンさんが生きてきたその全ての、どれが欠けてもこの日はなかった。

 まるで魔法のような瞬間です。 

 この曲でなければ、これほどの感動はなかったでしょうし。その日のスーザンさんの服装も、声も、表情も。

 審査員も、会場の観客も、その全てが絶妙のバランスだった、と思います。

 レミゼを観にいって、聴き慣れたはずのその曲が。歌い手と場所によって、こんなにも印象を変えるのだと、それは新鮮な驚きでした。 

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