オペラ座の怪人~原詩と日本語訳詩、それぞれの良さ

ミュージカル『オペラ座の怪人』について、原詩と劇団四季の日本語訳のそれぞれ好きなセリフについて語ります。劇中のネタバレも含んでおりますので、舞台を未見の方はご注意ください。

私が大好きなこのミュージカル。音楽の素晴らしさも勿論ですが、その妙なる調べに乗せられて観客の耳に届けられる言葉もまた、宝石のように美しく、胸に深く響くのです。

ちなみに私が一番好きな言葉はこれ。

>Why make her lie to you, to save me

この言葉が歌われるのは、舞台後半のクライマックス。ラウルとクリスティーヌ、ファントムが声を張り上げ、それぞれの思いを激しくぶつけあう場面でのこと。これはラウルの台詞。

直訳すれば、こんな感じになるでしょう。

>なぜ彼女に嘘をつかせるのか、私(ラウル)を助けるために

この言葉は、本当に痛い、と思う。

痛い、というのは、ファントムにとって痛い、という意味です。

私は激しく入り乱れる三人の主張、その嵐の中で、ファントムの胸にグサリと柄まで突き刺さるナイフの音を、聞いたような気がしました。

ファントムは十分わかってる。

どれだけバカげたことをクリスティーヌに要求しているか。

俺を拒めばお前の恋人殺すぞ! と脅しているのだから。

ああ、そんな言葉、なんの慰めになるというんだろう。

嘘でもいいから、クリスティーヌの唇からファントムへの愛の告白を聞きたいと?

そんなもの、心のこもらない音の羅列にすぎないのに。

耳に届いた瞬間、虚しく消え去るその言葉と引き換えに、今まで築いたクリスティーヌとの信頼関係がすべて崩れてもいいと?

墓穴を掘る、とはまさにこのこと。

ファントムは自分で、自分が埋まる穴を掘ってしまった。

クリスティーヌが偽りの愛の言葉を口にすればそれは、ラウルを助けたいという真実の心を表すわけで、つまり完全なる失恋。

ラウルのためなら、嘘だってつきますよーという宣言なわけで。

心にもない愛の言葉ほど、虚しいものはありません。

むしろない方がまし。

自分の身に置き換えて考えてみれば、その痛みがわかる。

完全な片思い。その相手の想い人を人質にとり、愛を要求してそれが何になるというのか。

その人が引きつった表情で、偽りを口にすれば。どんなにか、どんなにか惨めな気分になるだろう。

愛のために犠牲になる、美しい恋人同士の姿を、みせつけられるだけじゃないか。

それくらいなら、なにも聞かされないほうがいい。

黙って去って行かれたほうがいい。

でもこのときのファントムの激情は制御不能。獣のように猛る憤怒の炎、我が身を焼いてもとめられないのですね。バカげたこととわかってはいても、偽りの愛でも求めてしまう。

そんな状態のクリスティーヌと暮らすこれからの未来には、絶望しか待っていないでしょうに。

to save me この、me の言葉が一番最後に来るのがまた、深いんですよね。

me はラウルですから。

ファントムが一番憎いライバル、そのライバルを、救うために・・・という。

その他、私が好きな原詩はこの部分です。

>Pitiful creature of darkness . . .

>What kind of life have you known . . .?

直訳すればこんな感じでしょうか。

>暗闇に生きる哀れな怪物

>どんな人生を知っているというの?

私がいいなと思うのは、known を使っているところです。spent ではなくて。

もしここでspent を使ったとしたら、

What kind of life have you spent となり、平凡な台詞になってしまう。

(どんな人生を送ってきたの?)と。

でも、ファントムの人生は。どんなものであったかということに焦点をあてるより、そもそも「普通の人間の人生」というものを想像できないんだと、そこを指摘する方がより、悲劇なわけです。

アブノーマルな人生を送ってきた、だけならまだ平凡な不幸かもしれない。

しかしファントムがファントムであることの本当の悲劇は、「普通の人の人生を頭で想像することすらできない」ことにあるのではないかと、そう考えます。

いわゆる平凡な幸せ、ささやかな幸福を、空想すらできないほどの闇。その中で苦悩し続けたのがファントムなわけです。

だからこそ、ファントムの悲哀が浮き彫りにされる。

そんな中でみつけた、たった一つの希望なのに。

初めて救われると思ったのに、と。

あなたは「人生」を知らない、と、静かに語りかけるクリスティーヌの胸中。

だからこそ、「教えてあげる。私があなたと共に生きるから」というキスに、つながっていくのかなあと思います。

>God give me courage to show you

>you are not alone

直訳だとこんな感じですかね。

>神様は私に勇気をくれた

>みせてあげる あなたは独りじゃない

ここ、劇団四季の訳詞が絶妙なんです。劇団四季だと、こんな風に歌ってます。

>今見せてあげる 私の心

これ、「女の心」と歌ったときもあるそうですが、「女の心」だったら雰囲気ぶち壊しですね。

生生しくて嫌すぎます。

ファントムに媚を売るクリスティーヌが浮かんでくるようで。

ファントムの愛を逆手にとって、優位にたって上から目線の同情を返しているようで。オペラ座の怪人の世界観がひっくり返るような気がします。

それに対して、「私の心」であれば。

これは、原詩よりももっといい言葉だなあと思います。

原詩のように、あなたは独りじゃない、と言うよりも。

私の心を見せます、というのが、あの場のクリスティーヌにはふさわしいのではないかと思うのです。

独り、という狭い言葉の領域ではなくて。

心。そこにはすべての要素が入れられるから。

どんなこともすべて。その心にたっぷりつめこんで、そうしてその心をファントムに見せたなら。

ファントムはきっと、すべてを理解できたはず。

そんな「心」を体現したキス。

だからこそ、ファントムは愛を返す。クリスティーヌに。

クリスティーヌがファントムを慈しむように。ファントムもクリスティーヌを、柔らかな愛で包みこむ。

観客が心をうたれるのは、生まれて初めて愛を知ったファントムの感動に、共鳴するからではないでしょうか。キスされたからといって、ファントムに言葉があるわけではありません。流れるのは音楽だけ。

台詞はないけれど、その音楽に乗って、ファントムの震える感動が伝わってくるから。

私が、原詩よりも劇団四季の訳の方が優れていると思うのは、物語最後の台詞もそうです。

>You alone can make my song take flight

>it’s over now, the music of the night

直訳するとこんな感じでしょうか。

>きみだけが、私の歌を羽ばたかせることができた

>今終わりを告げる、音楽の夜

劇団四季だとこうなります。

>我が愛は終わりぬ

>夜の調べとともに

傑作です。これ以上にぴったりの言葉、ないと思う。

すべての訳詞の中で、一番素晴らしい言葉だといっても、過言ではないと思う。

この中の一語が欠けても、あるいは一語余分なものがついても、この壮大なラストにはつながらないと思います。

音楽がいいんですよね。

幾重にも幾重にも、大きな波が舞台をさらっていく感じで。

終章にふさわしい広がりを感じます。重厚で気高く、そして決して、悲劇一辺倒ではない終わり方。波の中に青空が見えるような。

変なんだけど、波だからそこには青空なんてないんだけどイメージとして。

ファントムの陰鬱な人生、鬱屈した思いのすべてが、昇華されたことを予感させるようなラストなんですよね。

夜の調べ、というところに、ファントムの芸術魂を感じたり。

きっと、美しいものにあこがれ続けた人生だったわけで。

だから一生懸命、美しい音楽を描き続けた。そして愛しい人に捧げ続けた。

それは決して、真昼のまばゆい音楽じゃなくて。

ファントムは夜しか知らないから、その夜の優しさを、暗闇の美しさを懸命に表現したんですよね。その夜の音楽が、圧倒的な暗闇の中で終わっていく。でもそれは敗北じゃない、新しい道である、と。

最後に音が、弱く、弱く消えていくところもツボです。

まるで幻みたいに。

ファントムの存在自体、果たして現実のものだったのか?みたいな。

懐かしい過去の記憶のように、ぼんやりと薄れて、手のひらをするりと滑り落ちるような危うい感覚。

最後の音が消えると、思わず深呼吸したくなりますね。

すべては夢であったのか? と。

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