今日はミュージカル『オペラ座の怪人』の、音楽の部分について書きたいと思います。ネタバレも含んでおりますので、舞台を未見の方はご注意ください。
私はあの、the point of no return が始まって、怪人が最初に”Past the point of no return
“と口にするときに流れる、ズンズン、というひそやかな弦楽器の低音が好きなのです。
あの、ドンファンの勝利。劇中劇の場面です。ズンズン、という擬声語も変かもしれませんが、他にうまい表現を思いつかず・・・。
それは、ひたひたと押し寄せる夜の波のイメージです。
波は弱く、水は透き通り、手ですくってみれば、ただの海水でしかないのだけれど。
重なっていく波は、破滅を予感させるような、暗い力を持っていて。潮はどんどん満ちていくけれど、それは押し寄せるばかりで、一向にひく気配がない。
月の出ない砂浜を想像します。
果てのない、真っ暗な闇。
さあ始まりますよ~っていう、あの不穏な感じがいいのです。
またもう一つ、別のイメージを挙げるなら。中世貴婦人のドレスの裾。
重たく厚い生地が微かに床を擦り、陰謀うずまく宮廷へ突き進んでいく、ような。
空気に人々の感情が溶けている、それも暗黒面の、です。
裾を引く貴婦人の、能面のような表情。
薄暗い城の中。
陰鬱なドレスの色。冷たい石の床。
さあ悲劇が始まる。
悲劇とわかっていての、ファントムのあがき。
勝利はなくても、いざ踏みださずにはいられない、悲しい怪物の、最後の舞台。
いろんなイメージが、音楽の始まりと共に、どっとあふれ出すのです。
あと好きなのは、ラウルがジャイアンみたいに、単純な音の波を力任せに歌い上げるところ。
不器用で、あきらかに音楽面ではファントムに遅れをとっていて、でも精一杯の思いをこめて、力技で歌い上げるところ。
劇団四季訳だと、この部分。
>命はここで消えても 君への愛に生きる
詞はともかく、このメロディラインがいい。武骨で素朴で、衒いがなくて。
この辺の、ラウルとクリスティーヌ、ファントムの三重奏は、いつ聴いても胸がつまる。それぞれの思いがあふれて、濁流となり渦を巻く場面だから。
そしてそんな場面でファントムの旋律は上下に激しく揺れ、ラウルとの格の違いを見せつけるから。
複雑で難しい音の流れを、ファントムはこれでもかとばかりに容易く、軽々と歌い上げるのだ。そして、クリスティーヌに問いかける。
わかるだろう、君ならば。
ラウルには理解できない。あの朴念仁には到底想像もつかない、音楽の極致。選ばれたものしか許されないこの世界に、君は今、背を向けようとしているのだ。
さあ、聴くがいい。私の音楽。私の世界。
ラウル、あの若造には永遠にわからないだろう。
君の感じたこの陶酔。天上の世界。
ラウルには決して、手をかけることのできない私たちだけの音楽。
クリスティーヌ。考え直すのだ。
君は音楽を知っている。私の音楽を、世界を。ほらこんなにも、妖しく美しい。君に捧げた音のすべてを。
必死、とも、露骨、とも思えるほど、ファントムは全力でクリスティーヌを揺さぶりにかかるんですよね。
ここは詞よりも、音楽の力を強く感じます。
見事に、三人の感情がそのまま、音で表されているようで。
劇団四季の訳で、この部分の音楽もいいです。
>クリスティーヌ、許してくれ
>君を思ってやったのだ
このときの、「君を思って」で、急上昇する音がたまりません。
見えないけど、ファントムの魔法の縄が、ラウルの首を締めあげてるのがわかるから。
ラウルは死を意識しながら、それでもクリスティーヌを守ろうと必死。
そして、感極まっているのが伝わってくるのです。
最後のときが近づいた、と。
死を覚悟した瞬間に、爆発するクリスティーヌへの思い。
それがそのまま、この跳ね上がるメロディラインに表されているような。
一気に放出された感情は、凝縮された分、純化されていると感じます。
隠すこともためらうことも、照れることもない。
ラウルは正々堂々と、ファントムに宣戦布告しているのだと感じます。
オペラ座の怪人、大好きです。