川沿いを自転車に乗って走ると、風が気持ちいい。私は横目で、またあの家を見た。
いつも、気になるあの家。
私は勝手に、「魔女の家」と呼んでいる。人さまの家を魔女の家だなんて呼ぶのは失礼なことではあると思いつつも、どうしても見るたびに、心の中でつぶやいてしまうのだ。
川沿いの道は、田園地帯。田んぼに囲まれた、一区画だけ小高い土地の上に、その家はある。風変わりで、初めて見たときから強烈な印象を残した家。
真っ白な壁の色は、ケーキに使う生クリームだと思った。その上に乗っかったのは、主張の強い緑の屋根。外国によくあるような、原色のお菓子の色を連想させる。目を引くけど、おいしそうなんだけど、うっかりつまんだら甘くて甘くて、思わずお茶を一気飲みするような、そんな緑。
窓の位置は、均一ではない。壁も、あちこち引っ込んだり、出っ張ったり、複雑な構造になっている。これだけ外側のデザインに凝ったのなら、きっと部屋の中も、忍者屋敷のようになっているに違いないと思わせるような形。
その家には生垣も、柵もない。堂々と、田んぼの中に建っている。平凡な田園風景の中に突然現れた、童話の世界。まるでおとぎ話に出てくる、魔女の家だなあと思う。洋風だ。日本の家、の感じが、まるでない。
どんな人が住んでいるのかなあ、と気になっていた。
きっと個性の強い人だろうなあ、と想像していた。これだけインパクトのある家に住むんだから、きっとそういう人なんだろう。
新築のとき、周囲を圧倒するかのようにピカピカで、そして田んぼの中で、周りを圧倒するかのように目立っていたその家に異変が現れたのは、半年もしない頃。長雨がいけなかったのか、真っ白な壁に黒っぽい汚れが目立つようになる。最初は点々にすぎなかったその汚れが、日を追うごとに面積を増していくのを、私は散歩のたびに確認していた。
あの、生クリームのような輝くばかりの白さが、こんなときには皮肉にも、家の衰えを一層際立たせる効果をもたらす。きっと家主も、それを気にしたのだろう。しばらくたつと、あの生クリームの壁は塗りかえられた。なんと、一転して目立たない茶色へと、変わってしまった。
たぶん、山小屋風、ログハウスをイメージしているんだと思う。単色ではなくて、不均一なグラデーションがついていた。天然木をそのまま使ったような、ナチュラルなイメージを醸し出している。確かに、汚れは全く目立たなくなった。しかし、以前の家の個性は、どこにもなくなってしまった。
屋根もそうだ。いつの間にか、あの生き生きとした、目にも眩しい緑は、しだいにくすんで、黒っぽく変色してしまった。
地味な色目の壁、年代を感じさせる屋根。
初めてみたとき、思わず息をのんで「魔女の家だ~」と見上げたときのあの衝撃は、もう感じることができない。
平凡な家になってしまったなあ、と、私は少しがっかりしていた。家は、普通に周囲の景色に埋没してしまう。こういう家なら、他でもよく見かける。どこにでもある、建売住宅の均一デザインのようなものだ。
だが二階を見て、私の考えは変わった。やっぱりここは魔女の家なのである。どこにでもある家ではなく、ここにしかない家なのだと実感する。
二階の大きな窓。カーテンがかけられる代わりに、そこには絵が飾ってあるのだ。絵は、窓の外に向けて表が向けられているから、目を凝らせば何が描いてあるか、認識できる。
とても不思議な絵だった。一本の木。幹を見れば、樹齢何百年という感じの老木で、葉っぱは一枚もついてない。枯れているのか、冬だから落葉しているのか。乾燥した枝が、奇妙にねじれた形で四方に広がっていて。
背景には荒野が広がっている。空気は暗い。草なんてほとんど生えてない。石がごろごろと転がっていて、後は土。それも、豊穣という言葉からは程遠い、恐らく、人間が長らく足を踏み入れたことのないような、不毛の土地を思わせるような、大地のさま。
地平線の上に広がる空は、不安をかきたてるような暗い色で。夜明けなのか、日暮れなのか、それとも年中曇天なのか。太陽の光が射さないのは、今だけでなく過去も未来もそうなのでは、と、思わず絶望するような混沌の色だった。
それは、この世の果て・・・とタイトルをつけたくなるような、そういう絵だったのである。
やっぱりこの家は魔女の家なのだ、と、私は妙に納得した。どんな人が住んでいるのか、ますます興味がわく。こんなに寂しい、荒涼とした風景を描く人の心の内は、どんなものなのだろうか。
建てたばかりの、お菓子の家のような甘ったるさにも心惹かれたけれど。こんな風に目立たない風体に形を変えた後でさえ、そこには強烈な個性がある。
この世の果てか。はたまた異世界か。
寂しさを感じさせる絵ではあったが、どこかノスタルジックでもあり、その場所に行ってみたいなあ、と私は思った。架空の場所だろうか。モデルはあるのだろうか。あの絵の場所に立ったら、いったいどういう気持ちになるだろうか。
私は、これからもその家をこっそり「魔女の家」と呼び、その絵を遠くから、楽しみに鑑賞するだろう。