舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の中で歌われる「抑えがたい欲望」という曲について。昨日書いたものの続きです。
曲に対して思っていたことをあれこれ書き出してみて、自分の中の曖昧な感情が具体的な言葉になって、それなりに納得していたのですが。
その数時間後にふと、気付きました。
ん? もしかして、だけど。この「抑えがたい欲望」って、吸血鬼になってからの「抑えがたいほどの吸血願望」を指してるのか? と。
あれ、もしかしてこれ、気付いてないの私だけだったのかな。そう考えてみるとそうのような気がしてきた・・・。みんなこれ、最初からわかってて、だからタイトルに違和感とか持たなかったのかな。
あの墓場で。吸血鬼になった我が身の運命を呪う伯爵。あのときみせた悲しみは、「血を求めずにはいられない因果」への苛立ちでもあったのか? そう考えると、あのタイトルはかなりぴったりというか、まさにそのものではないか??
でも。
その後しばらく、あーでもないこーでもないと考えを巡らせたあげく、最終的に、伯爵の胸の内にあるのは、激しい欲望というより悲しみである、という結論に達したのでした。私の中で。あの場面を端的に表すのに「抑えがたい欲望」というタイトルは、やっぱりしっくりこないです。
なぜかというと、もしもそのような激しい欲望。抑えきれない、身を焼くような衝動があるならば、それが満たされたときの幸福感は相当なもので。それは、あの墓場に佇む孤独な伯爵から、感じられなかったからです。
吸血鬼である伯爵の中にある「血が欲しい」衝動がそれほど大きければ、願いが叶ったときの反動もまた、凄いものがあると思うんですよね。
うわ~幸せだ~。もう言葉じゃないや。これこれ、この血だよ~、みたいな。
時間がたてば、そこに元人間としての理性が蘇り、自分の浅ましい行動を嫌悪する、なんてこともあるとは思うんですが。それ以上に、吸血行為の快楽は大きいんじゃないかなあと。それだけ「血が欲しい」衝動が抑えられない欲望で、あるとするならば。
だけど、私はあの墓場でぽつーんと立ってる伯爵を見たときに、伯爵の抱えてる悲しみが、妙にリアルに伝わってきたような気がして。その悲しみの波動みたいなものに共感したんですよね。
それは、抑えがたい欲望、というのではなくて。
悲しいんです。
なにかをしたい、とかじゃないんです。
とにかく悲しくて、苦しくて。運命に答えを求めていたような。
この悲しみはどこから来るのか。
なぜ自分はこんな気持ちでいるのか。
もうどこにも、胸を震わせるような幸福感はない。
あの1617年の娘を失ったその日から。喪失感は消えない。同じ立場であるはずの、城の住人たちはそれを疑問にも思わず、吸血の快楽を享受し続ける。
異端である彼らの中で、そんな彼らにも理解されない悲しみを抱くのは、たぶん伯爵が異端の異端だからで。
いつかまた、あの1617年の娘と同じ存在に巡り会えるのか。
それとも、この静かな悲しみを抱えたまま、永遠に苦しみ続けるのか。
わかりあえる人もいない。慰め合える人もいない。共感できる人もいない。
それなら、自分という存在は一体、何なのだろう、と伯爵は思ったのではないでしょうか。
与えられたものを理不尽に奪われ、苦しみ続けるだけの永劫の生、そこに意味はあるのか? という話です。
伯爵の胸の奥底にある、心からの願いが「血を吸うこと」であるならば、吸血行為で満たされ、疑問の生じる余地はないんですよね。願いがあり、それが叶えられる、それ以上のことなんて、必要ないから。
伯爵が相変わらず不幸なのは、伯爵にとって、血を吸うことが本当の願いじゃないから。だから、叶えられたって満たされない。胸の飢餓感は消えない。
これって、暗示でもある、と思いました。
願いが叶ったはずなのに、何故か心が晴れない、気持ちが沈む。何かが足りない気がする、というのは。
それは「本当の願いではない」のが理由だという、そういうことが世の中には多いのかもしれないですね。
自分が本当に望むことは何なのか。
自覚することは難しくて。
それがわかればもう、幸福へのチケットは手に入れたも同然なのかも。
伯爵の本当の望みは。
欲望と呼ぶにはあまりにもささやかな。1617年。初夏の眩しい光の中で過ごした、娘とのひととき。
これは前にも書いたことがありますが、私はこのとき、夜じゃなくて真昼間を想像してるんですよね。目の前に好きな子がいて。空は青くて、太陽が暖かくて。緑がどこまでも柔らかく広がっていて。手を伸ばせば、その子の存在に、触れることができた。
その瞬間の、圧倒的な幸福感を。
あの1617年。暖かなあの光景を。
静まり返った夜の墓場。
月の光も届かない暗闇の中。伯爵の胸にある感情を、「抑えがたい欲望」とするのには、やはり、抵抗を感じてしまいますね。
うまく言えないけど、あのときの伯爵は本当に、悲しかった、です。