昔住んでいたマンションを偲びつつ、考えたことなど

 私が今の地に引越すまで住んでいた以前のマンションは、隠れ家のような静かなところだった。構造上、私の部屋は他の部屋と隣接していなかったので、まったく音に悩まされたことはない。
 都会だから、土地の形がちゃんとした長方形じゃなかったのだ。
 オーナーは、少しでも多くの部屋を作ろうと思ったのだろう。法規制と土地の形の間で綱引きが行われた結果、誕生したのはちょっと変わった形の建物。

 その部屋で、私は息をひそめるように、静か~に5年、暮らしていた。
 自分で言うのもなんだけど、本当に地味で、静か~な暮らしだったと思う。引越しが多い私としては、ずいぶん長く住んだ方である。

 独特の形の小さなベランダは、エアコンの室外機が多くの部分を占めていて、狭かった。
 ごちゃごちゃと建ち並んだビルやマンションのせいで、ベランダから見える空は365度視界良好とは言えず、星を見るには不利な状況。

 流星群を見るときには、深夜にこっそり非常階段で、7階の踊り場まで上がった。遠くには、西新宿の高層ビルの夜景が見えた。たいていの住人はエレベーターを使うので、階段で(まして7階)誰かと鉢合わせする可能性は低いと思ったのだが、一度だけ深夜にも関わらず誰かが階下から上がってくる音が聞こえて、非常にあせった。
 もし鉢合わせしたら、向こうもさぞかし驚いたし、怖かったろうと思う。真夜中に非常階段に佇む人影なんて、不審者すぎる(^^;

 私の部屋から唯一よく見えたのは、隣のマンションの一室。
 永谷園の景品?と思われる、バスタオルがよく干してあった。あのおなじみのパッケージそのままのバスタオルは、目立ってた。

 5年間、そのバスタオルは使い続けられ、風にはためくその色は、順調に経年劣化していった。色褪せても、部屋の持ち主は大切に、そのバスタオルを使っているようだった。
 それを見るたび、「ああ、まだ同じ人が住んでるんだ」と、なんとなく親しみを覚えていた。洗濯物を干すその人を見たことは一度もないので、いったいどんな人が住んでいたのか、とうとう最後までわからなかった。
 あの人は、今もあそこに住み続けているのだろうか。

 私の部屋は、当時不動産屋さんに最初に勧められた物件で、即決したのだったが直感に間違いはなかった。「暗い部屋」と思ったけれど、静かに暮らしたいと思っていたから、それがよかった。

 ほら、こんなところに間接照明がありますよ~、オシャレでいいじゃないですか、という営業さんの笑顔が記憶に残っている。
 たしかに、壁にはなぜか、間接照明がついていた。だが、その照明のスイッチを押すことは、五年間で一度もなかった。

 その部屋を引越す、一年くらい前からは、管理人室の前で封書やダイレクトメールをまき散らす、迷惑な人(一回も顔見たことないけど)とのバトルが始まった。

 その人は、郵便受けの前で封書やダイレクトメールを読んだ後、必要なところだけを抜いて、それ以外のチラシを、ぽいぽい辺りに捨ててしまうのだ。

 みんなが使う、共用部分である床や、管理人室の棚の前に、チラシの類がしょっちゅう汚く散らかっていた。宛名の部分もそのままポイ捨てしてあったので、何号室の誰か、ということはすぐにわかった。外国の人らしき名前だった。チラシを捨てるゴミ箱も常備されていたのに、その人はいつも、ポイ捨て。

 私はいつも、そのチラシを拾って、ゴミ箱に捨てていた。
 その人が捨てる→みつけた私が、ゴミ箱に捨てる。それが毎日の日課になった。

 不毛な追いかけっこは、いつまでも続いた。いつか、その人が気が付いて、ちゃんとゴミ箱に捨ててくれる日が来るんじゃないかと思っていたが、とうとう、引越す日まで、その人が改心してくれることはなかった。
 (ちなみに、引越したのはその人とは全然関係ない、別の事情である)

 今も、ときどきあのマンションの事を考えることがある。
 私が拾わなくなったから、また、チラシは散乱しているんだろうかと。そしたらその人は、「この頃チラシが片付かないな~」なんて、少しは不思議に思うんだろうか。
 いや、思わないだろうなあ(^^; 散らかっていることに、不快感なんて覚えないだろう。無関心だから、できたんだろうから。

 そして、三年前に引越してきた、この、地方のマンション。単純明快、地震に強い長方形。
 まず、明るい。日の差し込み具合が、段違いだ。そして、両隣とはベランダで、仕切り一枚でつながっている。(非常時の際は、ここを破って避難して下さい、というあれである)

 ベランダでつながっているということは、日常生活がある程度、わかってしまうということにもつながる。窓を開けていると、隣の声が響いてくるから。

 当初、私の両隣は女性だった。どちらの部屋の女性も、恋人がいた。時折、明るい笑い声やおしゃべりが聞こえてきたが、幸せそうで微笑ましかった。やがてその女性は二人とも、引越していったけれど、私は「結婚したんだろう」と勝手に想像している。

 そして、新しく引越してきたのは、ちょっぴり迷惑なギャル(^^;であった。

 なにが迷惑って、とっかえひっかえ、男性を部屋に入れて大騒ぎすることなのである。最初は、かなり面食らった。まあ、あれよね。引越したばかりで、浮かれてるのよね、きっと。などと、いいほうに解釈しようとした。

 引越しパーティーで、浮かれているのだろうと。時間が経てば、日常に戻るだろう、と甘く考えていたが、状況は時間がたっても、あまり変わらなかった。

 

 一時期よく来ていた男性とは、何度か、大喧嘩していた。そりゃあもう、凄まじい物音と怒鳴り声と、女の子の泣き声と。大丈夫なのか、と心配になったりもした。しかし、男女の仲はよくわからない。大喧嘩の数時間後には、窓全開で、なんの恥じらいもなくエロい声が響いていたり(^^;
 せめて窓は閉めてほしい・・・・というか、閉めるだろう、普通。頼まれても、そういう声なんか聞かせたくないだろう、と思うのは、私が古い人間だからなのか。

 しかしさすがに、朝五時に、その手の声で目が覚めたときにはさすがに、私もブチ切れた。こちらが窓を閉めているにも関わらず、聞こえてくるほどの音量。これが続くのなら、おちおち眠ってもいられない。
 後で管理会社に電話すると、即「すみませんでした。すぐ、職場に連絡しますから」との回答。
 どうやら、私以外にもずいぶん苦情の電話が入っていたとみえる。しかし、職場に電話って、すごいな。普通は、まず全部屋に騒音注意の紙を投函するとか、そういう穏便な方向だと思っていたけど。

 迷惑な隣室の、真上の部屋の人は、ほどなく引越していきました。連日の騒音に、とうとう耐えられなくなったと思われます・・・。

 ある日、隣室でまた、大喧嘩があった。翌日。私が帰宅したところ、なんと隣室のドアの前で、男がひとり座りこんでいるではないか。ギャルを待っているのだろう。喧嘩したから、入れてもらえないのか?

 しかし、私にとっては気持ち悪いことこの上ない。遅い時間でもあり、内心かなり動揺したものの、部屋に入らないわけにはいかないので、平静を装いつつ、解錠してドアを開けた。
 そして、万一を考え、そのとき使っていた電子錠の暗証番号は、即効変えた。解錠の際の音で、番号の解析は可能だから。気にしすぎかもしれないが、とにかく気持ち悪いのは確かで。

 その日からしばらく。ギャルは部屋には帰ってこなかった。大喧嘩して、あの男性と切れるために、引越したのかな、と勝手に想像していたのだが、甘かった。しばらくたつと、ギャルはちゃっかり戻って来た。それまで部屋に戻らなかったのは、その男性と縁を切るために、一定の時間が必要だったのだろう。

 ギャルが戻ってきた、ある日の早朝。彼女はベランダで、洗濯物を干しつつ、大声で携帯電話をかけていた。ベランダの声は、そこらじゅうに響き渡るということに気付いていないようだ。
 その声に起こされる私。勘弁してくれよ~と眠い目をこすっていると、内容が丸聞こえになってるのにも気付かない彼女の、長電話が耳に飛び込んでくる。

 びっくりした。
 恐らく相手は男性だろうけど、お金を要求してたから(^^;
 それって売春だよね・・・とドン引きする。しかし、なんというか、すごい子だな~と。
 恥ずかしい、という感覚は、本当に人それぞれなんだなあ。私だったら、そんな内容、絶対に隣人になんか聞かれたくないけど。部屋の中でこそこそ話すならともかく、あっけらかんとベランダで大声で話す、その神経が凄い。

 そして、彼女の甘い声に引かれ、やってくる男性もまた凄い、と思った。

 需要あるんだな。なんだか、すさまじい。古今東西、遍く存在する職業であることを、実感する。

 男性は、美人局の心配は、しないのだろうか。
 ギャルの部屋に、男性の出入りは絶えない。彼らは、怖くはないのだろうか。おそらく、飲み屋で知り合った可愛い女の子に「うちに遊びに来て」と囁かれ、ほろ酔い気分でやってくるんだろうけど。
 部屋に上がった瞬間、怖いお兄さんに「てめえ、オレの女に手を出しやがって」と凄まれる展開も、まんざら確率が低いわけではないと思うのだが。

 知り合ったばかりの女性の部屋に安易に上がれば、美人局ではなくても、前彼とのトラブルにまきこまれたり、以後その女性に執拗に依存されたり、恐ろしい可能性のパターンはいくつもあると思う。
 だが、甘い蜜に惹かれる蟻のように、男性はギャルの部屋へ、次次とやって来る。彼らは、ギャルが不特定多数を相手にしていることを、知っているのだろうか? 
 それとも、自分だけが特別だと、甘い夢を見ているのだろうか?

 

 プロのお店ではなく、素人の女性と遊ぶのはひとつのファンタジーでもあるのだろうか、などと想像した。たとえその女の子が、時折お金を要求したとしても。それは、商売とはまた無縁で、これもひとつの恋愛の形だと、脳内では納得するのだろうか。

 正直に言えば、できれば隣人は、普通の職業であってほしいなあと思ってしまう。贅沢かもしれないけど。それと、静かな人であってほしいなあ。

 だが、ギャルが隣人になったのも、なにかの縁なのだろう。人は、縁のない人間とは、決して知りあうことはないと、そう思うから。ギャルの姿を通じて学ぶことが、きっと何か、あるんだろう。などと、無理やり自分に言い聞かせている、この頃である(^^;

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