モンサンミシェルとクリソコラ

 先日、Chakra(チャクラ)という雑誌を、衝動買いした。

 「モンサンミッシェルのすべて」という表紙の見出しの文字が、目に飛び込んできたからである。

 私はモンサンミッシェルが大好きなのだ。ある漫画に登場したその地が、本当に存在する場所であることを知ってから、ずっと憧れを抱き続けていた。

 小島にそびえ立つ教会の美しい姿と、潮が満ちると孤立するという立地のドラマチックさに、圧倒された。
 孤立する土地、は、私を魅了してやまない。
 モンサンミッシェル以外にも、人の侵入を拒む高い山の頂上などで、通いではなく寝起きして祈りを捧げる宗教人や宗教施設には、なぜか惹かれてしまう。

 ちなみに、日本で言えば、江の島にも激しく心惹かれるものを感じる。あの地に足を踏み入れたときの新鮮な驚きと感動は、自分でも戸惑うくらいのものがあった。
 江の島も、夕暮れ時、観光客が島を去るとき、なんともいえない寂寞感に包まれるから。
 そこに住む人と、帰っていく人との、明確な違い。
 外界とつながれた道の、頼りなさ。なんとも形容しがたい気持ちが、胸の奥底から湧き上がってくる。

 孤高のモンサンミッシェルに。いつか行ってみたいと思っていた。そんなところに、飛び込んできた雑誌の文字。どういう内容かはわからないし、チャクラというタイトルからして、「ムー」系かなという気はしたけど、とにかく買ってみることにした。

 モンサンミッシェルに関しては、それほど多くのページ数が割かれているわけではなかったけれど、文章よりも島の内部の写真が掲載されているのが嬉しかった。

 修道院の高い天井は、きっと実際にそこに立って見上げたら、眩暈を覚えるだろうな、とか。中庭からの日差しを受け、風や光を感じられる静かな回廊を、いつか自分も歩いてみたいな、とか。ますます、憧れの気持ちは大きくなった。

 たくさんの観光客が訪れていることで、現代化された部分も少なくはないだろうけれど。

 今もまだ、修道院として実際に使われている事実は、素晴らしい。建物の石や木材も、修復を重ねてはいるものの、歴史をそのまま伝えている。古いものが語りかけてくる時間の流れ。体感してみたい。

 というわけで、モンサンミッシェルの特集記事を堪能したのだが、それ以外は、予想した通り不思議記事というよりも、怪しい広告が多くて笑えた。こういうの、昔から変わってない。『ムー』を愛読していた時代から、あまり変化はないと思った。

 弱っているときには、確かな言葉が薬になることもあるんだろうな、と思う。

 これさえあれば、あなたは大丈夫。

 そう言い切れる存在って、ときには必要なのかも。悪徳でなければ。

 ところでこの雑誌、今月号は、なんとパワーストーンのブレスレットがおまけについていた。なんとゴージャスな。二ヶ月に一度ずつ、計6個プレゼントする企画だそう。
 今月号は、ヒマラヤ水晶とクリソコラの組み合わせ。

 クリソコラ・・初めて聞く名前。緑の綺麗な石だ。石の効能を調べてみたところ、心身を深く癒したり、情緒を安定させるとか。ストレス軽減効果もあり、身につけると、恐怖と罪悪感を軽くする手助けをしてくれるという説もあるらしい。

 色も気に入ったし、うわー楽しみ♪と思ってさっそく手首にはめて寝たところ。

 悪夢をみた(^^; 起きてからもまだ、夢の中を引きずるような重さのある夢。

 そして翌日、現実世界でもストレスフルなトラブルが勃発。

 まさかね。このクリソコラのブレスレットはめたときに嫌なことがおきたからって、偶然だろう。そう思ったものの、はめて翌日に結構なダメージを受けたので、なんとなく気味が悪い。すぐに外した。

 数日経って。ふと思い立ち。寝る時に枕元に置いてあったブレスレットを、再び手にとった。そして装着、就寝。

 私はまた、悪夢をみてしまった。
 そして翌日は、再び不愉快な出来事が起き、対応に悩まされた。

 なんなんだ、クリソコラ。見たり、実際触った感触も、全然嫌じゃないのに。このブレスレットをはめていると、あきらかにあんまりよろしくない出来事が起こる。
 偶然かもしれないけど、気持ち悪い。もう使うのはやめよう。

 ほぼ新品だし、もったいないから誰かにあげようかとも思ったが、自分が気持ち悪くて捨てたいと思うものを人に譲るというのも、失礼な話である。それに、譲った先でもしまた不運がおきても、申し訳ないし。自己責任で、処分することにした。

 後日、ネットでクリソコラの画像を見ていたら、急に思いだしたことがある。
 私、昔、確かにこの石のネックレス持ってた・・・・・。おまけのブレスレットに使われていたクリソコラはほぼ緑色で、あまり他の色が混ざっていなかったから、同じ石だとは気付かなかったけど。

 ネットでは、青や黒など、他の色が混ざった複雑な模様のクリソコラの画像があった。例えるなら、宇宙からみた地球、みたいな。

 それを見て気付く。この石、私は確かに持ってた。ネックレス。それも、鷹? 竜? 何物かの三本の爪が、がっしり丸玉をつかんでいる、というデザインのものだ。色が綺麗で、模様を眺めていると飽きることがなくて、すっかり気に入って買い求めたことがあった。
 私がアクセサリーを買うことなんて、滅多にない。なぜか気に入って、買ったものがまさにこれだった。
 そのときは、クリソコラという言葉を知らず・・・。

 そのネックレス。失くしてしまったのだ。失くすはずもないのに、それは、引越しの荷解きが終わって気付いた。どこにもないと。それからもう、長い時間が経って。このネックレスのことを思い出したこと自体、何年ぶりだろう。

 石は、役割を終えれば自然と姿を消すという話を、聞いたことがある。だから、失くしたことをあまり深くは考えてはいなかった。だけど、今回の件で私は初めて、あの石の名前を知った。これも、不思議な縁だ。

 クリソコラのネックレスを持っていた時期の自分を振り返ると。感情的にはひどく乱れていた。

 石のせい、だなんて単純に信じるわけではないが、でも、確かに、穏やかではなかったな。

 捨てた記憶もない。大切にしていたネックレス。どこかにまぎれてしまう可能性も考えづらくて。あのネックレスをなくしたのとほぼ同時期に、私の生活にも、大きな変化があった。
 

 やっぱりそうなのか。私とクリソコラは、相性が悪いのだと思う。

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