ドラマ『世紀末の詩』 第五話 感想

ドラマ『世紀末の詩』の感想を書きます。以下、ネタばれ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

第五話は、三上博史さん演じる星野と、純名里沙さん演じる留美が繰り広げる、愛と信頼についての物語。

車椅子の星野は、一見優しい似顔絵描きの青年なんですけど、実は過去に、たくさんの前科があり。

昔、彼は犯行現場から逃げる途中、事故に遭って。病院で留美そっくりのマリア様のような人を、夢うつつの意識の中で見てから、自分の過去を反省し別の人生を生きていたのです。似顔絵を書くのも、過去の自分を懺悔するがゆえ。せめてもの、自分にできる善行だったわけで。悲しみや苦しみを抱えた人を、助けるため。絵で元気づけようという意志があったんですよね。

でもそんな中で留美と出会い、留美の大切なエメラルドの指輪を、本物にすりかえてあげようと善意からしたことが、皮肉にも彼女に不審を抱かせてしまう。

結局、星野を疑った留美の行動は、星野を殺してしまうわけですが。

星野がミアの前で独白したように、彼の心は本当にがらんどうだったのか? 心なんてなかったのか?

星野に本当に心がなければ、懺悔はしなかったと思います。

雨に濡れた留美が、初めて現れたときに。お代は結構ですよと優しく彼女を受け入れてあげたのは、恋愛というより、慈愛の心だったような気がします。一瞬で愛した、なんて、星野は一目ぼれを強調してましたけど。

そうは見えなかったなー。むしろあのときの星野こそ、留美にとってはマリア様だったと思うのです。どん底のとき、優しく手を差し伸べてくれた人。無償の愛。

エメラルドをこっそり本物に変えるなんてことは。一歩間違ったら迷惑そのものかもしれないわけですが(^^; 偽物のエメラルドでも、留美にとってはお母さんの大切な思い出がつまっているわけで。

本物にしてあげたら、彼女は喜ぶだろう。偽物なら可哀想だから…という星野の価値観自体が、彼の生きてきた過去を象徴しているように思います。
でも、善意は善意なわけです。
星野にとっての善意。よかれと思う気持ちに、一点の曇りもなかった。

さんざん悪いことをしてきて、逃げる途中で事故に遭い。病院のベッドの上で死ぬかもしれないと思ったときに恐くて恐くて。助けを求めたときの、その気持ち。
星野が一番恐かったのは、自分が死んだとき、地獄におちるということ。
そのとき、マリア様の幻影に救われたからこそ。彼は生き方を変え、贖罪の日々を送ることができた。

ラストで星野は、生きることを放棄して、迫りくる電車の前でとても穏やかな表情をします。それどころか、静かに微笑んでその瞬間を迎えるのです。それは、今死んでも地獄に行くことはないと、信じていたからではないでしょうか。やっとすべての罪を償うことができたからこそ、死ぬことができる、と。
マリアの化身である留美に出会い、その留美によって死の国へ導かれるのなら。もう恐くはないと思ったのでしょう。

キャスティングもいいんですよね~。三上博史さんの、翳りのある目がいいのです。留美でなくても、不安になってしまいます。純朴でいい人だと、単純に信じきれない何か。
私も、この人はきっと結婚詐欺師で留美を騙していたというオチなんだろうなあと思いつつ見ていました。まさかラストであんなドンデン返しがあるとは。

そして純名里沙さんの留美役がまた、はまっていました。なんというか、留美には百パーセントの被害者意識がみえて。それが見ていて、すごく苛々させられるというか。
男運が悪いから、と、今までの不幸な恋愛のすべてを相手のせいにしてましたが。1回ならともかく、何度もそういう相手ばかりを選ぶ、というのは留美自身にも、なにかそうした人を引き寄せるものがあったように思うのです。そして、たとえば婚約者に全財産を奪われた責任は、自分自身にもあったはず、と思います。強盗にあったわけではないんだから。自分の意志で、お金を渡したということで。どんな嘘をつかれたとしても、その行為は異常でしょう。判断能力がない人だったら気の毒かもしれないけれど、留美は十分、それだけの知性を持っていたと思うし。

彼女にはどこか、被害者意識に包まれることで、安心している部分が見えるというか。屈折した精神構造が垣間見えたような。

ほら、私また傷付けられちゃったよ。可哀想な私。可哀想に、可哀想に、って・・・言いながら、酔ってるみたいな。

絶対自分の考えが正しいと証明されたわけでもないのに、人の命を平気で危険に晒す、という傲慢さも嫌でした。星野が悪人で留美を騙している、という確率がいくら高くても。それは百パーセントではないわけで。
星野を悪人と決めつけた留美の結論がもし合っていたとしても。じゃあ、もし、なにか事情があるのだとしたら。車椅子も詐病ではなく、本当に歩けないのだとしたら、あんなふうに線路に彼を放置することは、彼を殺すことになるわけで。どうしてちゃんと向き合わなかったんだろう、と思ってしまいます。
正面から、まっすぐに聞いてみたらよかったのに。
もし、星野にはそうするだけの価値もないと思うなら、黙って去ることだってできたのに。

留美はその後、幻のマリアに出会った星野が改心したように、これからは違う生き方をするのでしょうか。
想像にすぎないけれど、なんとなく、留美は変わらないような気がする…そういう留美だから、二人の最後は、あんな悲劇で終わってしまったような気がします。

留美は、星野の死後に彼の両足が義足だったのを見て驚いていましたが、それすら知らなかった、ということが、二人の距離を表していたような気がします。

二人の間には、男女の恋愛感情みたいなもの、なかったんじゃないかなあと。星野が留美に抱いたのは、この人を救ってあげたい、癒してあげたい、という慈愛めいた気持ちで。一方、留美が星野に抱いたのは、恋ではなくて、助けを求める、救いを求める気持ちで。そう。まるで神様に祈りを捧げるみたいに。留美は今までの傷を全て癒し、今度こそ決して裏切らない、究極の存在を求めてたのではないかと。

留美はだから、星野の足に触れたことが、なかったのかなあ。
恋愛で結ばれた恋人だったら、足には触れていたような気がするのです。当然、そしたら義足のこともすぐにわかったわけで。

そうじゃなくて、留美にとって星野は、「私を助けて。あなただけは私を裏切らないで」という存在だったから、足に触れたいと思うことも、なかったのかなあと。

>愛ってのは、信じることですらないのかもしれん。愛ってのはただ、疑わないことだ。

百瀬の言葉が、重かったです。確かに、信じるということは、疑える余地を残した上での行為ですから。そもそも疑うことすらしないなら、信じる、なんて行為は意味をなくしてしまう。

このドラマは毎回、その回に応じた四行詩が最後に出てくるのですが。この回の言葉がまた、素敵でした。

>ハローベイビー
>泣かないで
>偽物の愛をつかまされたら
>僕がホントのにかえてあげるよ

二重の意味にとれますね。
偽物の愛をホントのにかえる行為は、偽物のエメラルドを本物に変えようとした星野の好意を表すのか。それは、本物のエメラルドこそ唯一の価値あるもの、という、狭い視野での善意であり。純粋ではあるけれど、星野の生きてきた道のりの悲しさをも示唆していて。あるいは。

何度も恋人に騙された留美に、僕が今度こそ本物の愛をあげるよ、という星野の決意表明なのか。

この詩の持つ、言葉の後ろの優しい気持ちが、心に響きました。

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