ドラマ『世紀末の詩』 第七話 感想

 ドラマ『世紀末の詩』の感想を書きます。以下、ネタばれ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 第七話は、大江千里さん演じるパン屋さんのオーナー、石田が、なんともいえない雰囲気でした。

 なにより、目の奥に狂気があるから。この人は狂ってるんじゃ?と、得体のしれない不安に襲われる目でした。

 そして実際、石田はある意味狂っていたわけですが…。
 この結末には、既視感があり。そう、いつか世界びっくりニュース的な番組で、これに似たケースがあったような。

 愛する人を失ったら、正気ではいられない。正気で生きていくのには、この現実はつらすぎる、ということなのでしょうか。それにしても。やっぱり理解はできないし、実行している石田自身がちっとも幸せそうでなく、毎日泣き暮らしているところが、悲しいというか救いがないというか。

>とても美しいが、一方愚かな犯罪です。

 百瀬(山崎努さん)の態度は、いつになく優しかった。人に対しては基本、厳しい感じの人なのに。それは、正気を失った相手をなんとかこちら側の世界に引き寄せようとする、真摯な姿勢であったのでしょうか。
 幼子をあやすような大人目線でもありました。
 対等であれば厳しくもなるでしょうが、百瀬は石田が正常ではないと思っていたから。

>あなた正気なんですね。
>当たり前だ。
>どうやら誤解していたのかもしれない。苦しんでいたとは。

 痛切な表情の百瀬。うーん、その気持ち、わかるような気がします。いっそ完全に狂っていたら、痛みも苦しみも感じずにいられたでしょうに。
 毎日毎日、どんな気持ちで愛する人と、向き合っていたのだろうと。魂の抜けた、その体と。
 石田の中に残った、理性の部分は。

 想像すると拷問です。
 毎日、見せつけられるということではないですか。その人がもうこの世にはいないということを。

 これ、絶対、うれしくてやってたんじゃないだろうなあと。石田本人も、苦しくて、つらくて、でもそうせざるをえなくて、やっていたということなのでしょうか。
 毎日、自分の心を痛めつける儀式のように。もうその儀式そのものは、自分の意志ではどうしようもない、強い力に操られていて。自分では抜け出すことができなくて。

 だから百瀬に暴かれたことを、心のどこかではほっとしていたと思うのです。

 誰かがとめてあげなかったら、拷問は永遠に続いていた。それを考えると、百瀬が気付いて本当によかったと思います。その儀式さえなければ、いつか記憶は薄れていくから。その毎日の儀式だけが、つらい現実をまざまざと、まるで今日初めてわきあがった痛みのように、日々、新しくしていたと思うので。

 これでやっと、石田は楽になれたんだと思います。とまった時間は少しずつ、また流れ始めるでしょう。

 この七話の最後で、亘(わたる)と里見(木村佳乃さん)がしんみり語り合うシーンがあるのですが。このときの亘(竹野内豊)さんの表情は、とても深いです。

 憧れていた里見が、コッペパンの伝説を言い訳にしつつ、自らキスをしてくるという、亘にとっては最高に嬉しい状況のはずなのに。

 実際キスされた亘の目に浮かぶのは、一瞬の戸惑いと、喜び以外のなにか。複雑な、一言では言い表せないような、いろんな思いがごっちゃまぜになった表情を浮かべるんですよ。

 それは、「嬉しい」という顔ではなかったように、私には思えました。

 一番近付いたときに、その人に対する本当の気持ちがわかることって、あるのかもしれません。遠くから見ていたときには、確かに好きだと思っていたのに。触れた瞬間、あれ?と違和感を感じる寂しさみたいな。

 二人とも美男美女で、夢のように美しいシーンではありますが。亘の瞳の奥にある戸惑いが、とても印象的でした。里見を見送るときにも、あふれだす愛情ではなく、別のなにかがそこにはあったような。

 この亘の表情が、最終話の決断に、つながっていくのかなあと思いました。

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