ドラマ『相棒』元旦スペシャル「アリス」 感想

 2013年ドラマ『相棒』元旦スペシャル「アリス」を見ました。以下、感想を書いていますがネタばれしていますので、ドラマを未見の方はご注意ください。

 ドラマ『相棒』の人気は知っていましたが、私は今まであんまり見たことなかったです。たまたまテレビを見て、なんとなく見たのが2011年の「聖戦」だったりするのですが。

 そのときの感想は。

 右京(水谷豊さん)に、あんまりいい印象を抱きませんでした。

 犯人を追いつめればいいってもんじゃないでしょーっていう。罪は罪とはいえ、犯人に同情できる点もあったため、見ていると右京さんが非道にも見えてしまって。
 見ているうちに、犯人に同情してしまっている自分がいました。

 必殺仕事人じゃないけど、法が人を裁かないというなら、遺族が実力行使にでることを誰が、咎められるだろうかっていう。
 反省しているならともかく、被害者が失った幸せな生活をのうのうと送り、良心の呵責もみられない加害者と、悲しみを一生背負って生きる遺族と。

 

 たしかに。復讐の連鎖は不幸であるとはいえ。

 

 難しいですね。確かに、憎むことも恨むことも、幸せには続かないけれど。

 それと、以前に劇場版の「警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」も見たことあります。映画館にふらっと行ったとき、たまたまやっていたので。そのときの印象も、やっぱり右京の、得体の知れなさというか、全面的に信頼しきれないというか、冷たさを感じてしまってあんまりいい印象はなかったのです。

 よくあるタイプのヒーローじゃないんですよね。遠山の金さんとか、大岡越前とは違って。
 少し反発したくなる部分を持ってるというか。

 そんなわけで、あまりドラマ『相棒』にハマる、ということはなく来たわけですけれども。今回のお正月スペシャル「アリス」はよかったです。

 まず、冒頭の回想シーンから胸をしめつけられました。

 昭和初期建築?の、クラシカルなホテル。セーラー服の女学生二人。流れるショパンのノクターン。この音楽センスも凄いと思いました。

 ドラマが全部終わったときに、なぜこのピアノ曲が選ばれたかが、わかるようになっています。

 これは「終焉」なんですね。ショパンの「遺作」を、少女たちの幸福な子供時代の終焉と、重ねているのだと思いました。だからあの、甘く悲しい、そして懐かしさを呼び起こす音を、選曲したのだと。

 タイトルが「アリス」であることは、今回私が、ドラマを見たいと思った理由の一つであります。
 私は、アリスが好きなのです。といっても、あの文学のアリスではなく、アリスとドジソン先生の物語に、心惹かれました。

 忘れられない映画『ドリームチャイルド』。
 名作の生まれた「金色の午後」の描写。なんて平和で、なんてかけがえのない、二度と戻らないからこそ美しい、永遠のピクニック。

 ドジソン先生の優しい視線と、アリスを演じたアメリア・シャンクリーの可愛らしさは、今も色褪せることなく私の胸に残っています。
 ドジソン先生じゃないけど、劇中の「髪の毛一筋も変えたくない」的なセリフには、思わず共感してしまったり。

 大人になることをとめるだなんて、それはものすごく失礼で、残酷な話であると知りつつ、それでも、永遠に切り取ってこのままとっておくことを願ってしまうほどの、無邪気な美しさ、であったり。

 それは、たまたまレンタルビデオ店で借りた作品であったのですが、私にとっては忘れられない記憶となりました。以来、「アリス」の文字を目にしたり、耳にするたび、その日の映像がセピア色で蘇るのです。

 いかん。話が脱線してしまった(^^;

 『相棒』の話に戻ります。

 全体的に見れば、つっこみどころもあって、完璧なドラマではないかもしれませんが、雰囲気は抜群でした。

 57年前、神隠しに遭った少女が物語の鍵を握ります。
 枯葉の散る美しい森で、友人と笑いながら駆けて行った少女が、突如失踪。そして同じ日に、残された友人の家が経営するホテルが火災で焼失。

 時は流れ、今は老婦人となったその友人が、死の間際に残した謎の言葉。

 旧家に一人、高齢の使用人と暮らす二百郷(におごう)家の跡取り、茜(波瑠さん)の身に危険が迫ります。

 映像がノスタルジックで、本当に素敵でした。夢をみているような回想シーンは見応えがあります。

 茜役の波瑠さんは、透明感が強すぎたので、もう少し個性のある女優さんでもよかったかな~と思ってしまいました。瞳の奥に、翳りを帯びていたら、もっと雰囲気がでたかも。
 庇護欲をかきたてるような、華奢な感じがあっても面白かったかなあと思います。甲斐(成宮寛貴さん)が思わず恋におちてしまうほどの雰囲気があれば、さらに物語に深みが出たと思います。

 そしてこのドラマで一番いい演技だったなあと思うのは、元子爵の令嬢、瑠璃子を演じた広瀬アリスさん。おお、芸名がアリスなんて、すごい偶然です。

 瑠璃子が久造(中原丈雄さん)に追いつめられ、手にしていた石を落とし、川に仰向けで身を投げるシーン。凄かった。瑠璃子の表情に、吸い込まれてしまいました。

 死ぬしかない、という絶望。華族の誇りと、搾取する側である自分の生い立ちへの負い目と。深い印象を残す、最後の姿でした。

 瑠璃子は、もし追いつめたのが久造でなかったら。自分から死のうとは思わなかったと思います。ただ、久造に追いつめられたら、反論する言葉を持たなかったような気がするのです。

 ブルジョワのお嬢様が、プロレタリアの青年に、返す言葉などあろうはずはありません。少女らしい潔癖な正義感に、なんとか折り合いをつけた直後の正義の糾弾。それはもう、「死ぬしかない」状況だったのだと思います。

 いつも優しかったポーターの、豹変する姿も、ひどく瑠璃子を傷付けたことでしょう。そうまでして、自分たちは憎まれるべき側にいるのだと。

 57年後。すべてが明らかになったとき、久造は自害してしまいますが、これは可哀想だと思ってしまいました・・・。確かに追いつめたのは久造ですが。もし瑠璃子が身を投げなければ、久造は彼女を殺すことはしなかったと思うんですよ。そんなこと、できなかったと思う。

 一瞬かっとなったとしても。
 相手はまだ、女学生ですもん。怒りに震えても、彼女を殴ったり、まして殺すなんてことは、できなかったと思うのです。せいぜい、罵倒するくらいではなかったかと。

 殺人ではない、ような気がしました。瑠璃子は自殺です。久造に全くなんの責任がないとまでは言いませんが。少なくとも瑠璃子が死んで、一番驚いたのは久造ではないでしょうか。殺すつもりなどなかったのに。途方に暮れたのは想像に難くありません。

 右京さんが冷たいなあと思うのは、久造が自死を選ぶことを予想していなかったわけでもないのに、何の手だても講じなかったところです。これ、間接的に久造の自殺を手助けしたと、言えなくもないかなあと。
 そうまでして追いつめるほどの、罪だったのでしょうか。
 久造は、瑠璃子のことを忘れたことなど、なかったと思います。いつも罪の意識に苛まれながら、恩ある名家のお嬢様をお守りすることで、綱渡りのようにかろうじて生をつないできた、その最後がこれ、とは。あまりに哀れで。

 瑠璃子さんだって、久造に死を望んではいなかったような気がする。そんなことより、親友の朋子さんの血筋である茜を守り続けてほしいと、そう望んだのではないでしょうか。

 このドラマの、もうひとつの核であった「国枝文書」に関しては。つっこみどころ満載だなと思いつつ見ていました。
 これ、本当なら右京さんはひとたまりもなく抹殺されてる気がする(^^;

 出店と呼ばれる裏部隊は、そんなに甘くないと思うのです。警視庁が警察庁に貸しを作る、とかではなく。警察庁の方が、断然力は上かなあと思うし。

 あと、国枝氏に右京さんがそっくりだったという設定は、これ、伏線だろうなあと思ってみたり。そこまで似ている他人という確率よりも、血がつながっている可能性の方が大きいでしょう。
 要人の子孫、であるからこそ、右京さんは身の安全を保障されているのかな? もしかしたら警視庁や警察庁の上層部はそれを知っているからこそ、彼に手出しをするなと、実働部隊に命令をしているのだろうか、なんて深読みをしてみたり。

 「アリス」は、音楽と映像が雰囲気にぴったりの、心に残るドラマでした。

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