映画『美女と野獣』 感想

  映画『美女と野獣』を見ました。以下、感想を書いていますがネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意ください。

 童話の世界が、現代の映像技術でどう表現されるのか、わくわくしながら見に行ってきました。
 結果。圧巻です~~。おとぎ話の世界がリアルに、目の前に広がっていました。野獣の心を象徴するような、荒れ果てた寂しいお城。植物に覆いつくされ、飲み込まれていくような石壁。領土を取り囲む、意志を持った魔法の森。こういうファンタジーや幻想的な色づかい、大好きです。

 この映画を見終って、感想を一言述べるとするならば、これに尽きます。

 古今東西、美しい少女はその美しさゆえに、残酷(^^;

 映画の中のセリフ、すべて完璧に覚えているわけでないので、細かい部分は間違っているかもしれませんが。たとえばこんなシーンがあったんですよ。
 恐ろしい容貌の野獣と、ダンスをする代わりに、家族との面会を要求するベル。たしか、昔読んだ童話では、心優しい少女として描かれていましたが、映画のベルはずいぶん強く、勝気な面を持っています。

 二人きりの舞踏会。私がリードするからと、ベルは最初から自信満々です。その上から目線はどこから来るんだ、と突っ込みたくなるくらいです。どちらかといえば、消極的な野獣と。勝ちを見据えたかのような、余裕のベル。二人きりの舞踏会。

 踊るうちに、あれ、なんだかいい雰囲気です。ベルは、取引とは思えないほどリラックスした表情で。野獣に対しまるで好意を持っているかのように、安心して身を任せ、踊り続けます。まあ、ああいうダンスはそういうものだと言われればそれまでですが、二人の距離はみるみる縮まって、まるで本当の恋人同士みたい。

 当然、野獣は勘違いします。うん。あれは私が野獣でも、勘違いしてます。たとえ始まりがあんなであっても、踊り続けるベルの表情には、親しみと好意があふれていたから。

 野獣の口から、自然に言葉がこぼれるのです。

>愛してくれるか?

 その瞬間、ベルは表情を一変させ、あらん限りの力で野獣を思いっきり突き飛ばします。親の仇に初めてあったかのような、ものすごい勢いで。

 私は見ていて、野獣が気の毒になってしまいました。ないわ~。いくらなんでもあれはないわ~。ひどすぎる。
 野獣が自分を好きなことを知っていて、ダンスを取引の材料にしたあげく。嬉しそうに幸せそうに笑ってみせて。安心しきった表情で、体を預けるようにして踊ってみせたのに。

 野獣は聞いただけです。なにも無体なことをしようとしたわけではありません。ただ、嬉しくなって、期待してしまっただけではありませんか。たとえベルが実際野獣を嫌いだったとしても、あの豹変ぷりは鬼畜です。

 全身全霊で野獣を突き飛ばし、憎悪に燃えた目で見据えたあげく、いくつものひどい言葉で罵ります。

 王子の格好なんてして! だとか。別にいいじゃありませんか(^^; まあ実際王子なのですし。体は呪いで野獣かもしれませんが。そこでさらっとそういう言葉が出てくるベルの方が怖いです。

>残酷で孤独な野獣のくせに!!

 言いますかねえ、そんなこと。つまり、「あんたみたいな野獣が、人間の私に愛されることを願うなんて、身の程知らずも甚だしい!」ってことですよね。なんという特権意識。
 野獣は自分が野獣であることを恥じています。その姿の醜さも、わかりすぎるほどわかっています。その人にこんなこと、言うのか。そりゃひどいわ。心に野獣を持つのは、むしろベルの方です。

 勘違いさせるようなことするなよ~、と思ってしまいました。
 野獣を誘惑して、それに乗ってきたらとたんに手のひら返し、あんまりではないですか。

 この、ベルの残酷っぷりが、物語の前半で存分に表現された上での、ラストシーン。

 死の淵にある野獣の、弱々しい問いかけ。

>いつの日にか、俺を愛してくれるか? 

 私は胸を衝かれました。そうだよね・・・前回思いっきり失敗してるからね。彼女の笑顔に惑わされ、もしかしたらこんな自分でも愛されるんじゃないかと夢をみて、次の瞬間、すべての期待を粉々に打ち砕かれた絶望。

 「いつの日にか」という言葉にこめられた野獣の弱さを、私は思いました。
 愛されていないことはわかってる。でもいつの日にか。遠い未来でもいい。少しでもその、可能性があるなら。約束じゃなくていいから、ほんの少しの希望があるなら、それでいいから。

 そのとき、ベルは前回とは違いました。間髪入れずにこう答えます。

>もう愛してる

 よかったね~よかったね~野獣さん。と、私は思わず野獣に祝福のコメントを、心の中で呟いてしまったのでした。前のがあんまりひどすぎたからね(^^; もう同情するしかなかったですもん。

 野獣役のヴァンセン・カッセルは、王子というにはちと年上? そして王子というには少しワイルドすぎるような気もしました。王子というより、王子のお父さん、王様のほうが似合うかなあ。

 こういうのは、フランス人と日本人の感覚の違いなのかもしれない、と思いました。フランスだとたぶん、華奢で若い役者さんは、浅い印象であまり人気がないのかな。フランス人が魅了を感じるのは、これくらい渋い、大人な俳優さんなのかなあと。

 ベル役のレア・セドゥさんは実年齢よりもずいぶん若く、少女そのものに見えました。あどけなく無垢で、その反面、強か、残酷。
 野獣が用意した心づくしのドレスが、どれもよく似合っていました。私が一番好きなのは、一番最初に用意された白のドレス。清楚で可愛かったなあ。純粋さを象徴するような乙女ドレスでした。野獣はどんな気持ちであのドレスを用意したんだろう、と。

 物語の中で解き明かされた、野獣の秘密は、???とすっきりしないものでした。

 愛した女性が森の精であることに気付かず、自らの手で殺してしまった取り返しのつかない罪。永遠の後悔。

 私は思いました。その森の精(プリンセス)の立場が、ベルの出現によって、おかしなことになってしまってるなあと。あんなにプリンセスを愛していたはずの野獣が、あっさりベルに心奪われ、最後はベルの愛を手に入れてめでたしめでたしって、なんか変じゃないか?
 あなたが本当に愛していたのは、プリンセスではなかったの?
 その人を失ったから、あなたは野獣になったようなものなのに。そして、深い悲しみの中で、閉ざされ荒れ果てたお城の中で、忌み嫌われる姿に変わり果てた姿を呪いながら、荒んだ時間を過ごしていたはずなのに。

 プリンセスにしてみたら、「幸せになってね」ということなのでしょうか。ベルに、野獣(王子様)の幸せを託したということなのでしょうか。私はもうあなたとは生きられないけれど、私のことなど早く忘れて、別の女性と幸せで人間らしい人生を生きてほしいと、そういうことなのでしょうか?

 その辺が謎でした。

 フランス映画なので、全部フランス語で語られる物語なのですけれども。ぼそぼそっと囁くような響きが、物語によく合っていたと思います。

 個人的には、ベルの一番下のお兄さんが、野獣の役でもよかったような気がします。そして野獣は。

 ベルにあそこまで忌み嫌われるほど、醜くも恐ろしくもありませんでした。鼻のあたりは猫科。ライオンぽいです。毛並みがよく整っていて、思わず触りたくなってしまいました。すごく毛並みがいいのです。触れたらきっと、すべすべしていると思います。

 もし私がこの映画を作ったとしたら。野獣の外見をもっと恐ろしく、嫌なものにしたでしょう。そして、ベルをもっと、優しく描いたと思います。到底受け入れられない外観の野獣に、最初は同情から、そして深く静かに惹かれていくさまを、ゆっくり描写したと思います。野獣の秘密は・・・今回とはまた、別の物にして。

 『美女と野獣』は、まるで夢の中でみるような、幻想的な物語、映画でした。

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