2014年が終わろうとしています。振り返ってみると、今年は偽物が暴かれる年だったような気がしますね。
さっきテレビを見ていたら、佐村河内さんのゴーストライターだった、新垣さんが出ていました。バラエティーの番組で、ちょっと失礼な演出もあったりして、でも新垣さんは番組のためにオーケストラの曲をかいていて、自らもピアノを演奏していて、それが素敵でした。
新垣さんをみんなで笑う、みたいな感じにならなければいいなあと思っていたのですが。特に壁ドンをやらされてたところはハラハラしてしまいました。
でも大久保さんが、最後新垣さんを抱きしめていて、ちょっと感動です。
大久保さんの心遣いが伝わってきたから。あれは、新垣さん嬉しかったと思うなあ。
私の中で、大久保さんの株がどーんと上がりました。
そして、新垣さんのことも、堂々としていて素晴らしいなあと思いました。バラエティーに呼ばれるっていうのは、たぶん制作側のどこかに、「ばかにする」部分があると思うんですよね。みんなに笑われる画、というのを期待してるわけで。
でも、新垣さんはいつも堂々としてます。声は小さいけど(^^;
決して卑屈ではないんです。それは、自分の中に絶対的な音楽というものを持っているからなんだろうなあと、想像しながらテレビを見ていました。
佐村河内氏は、人を威圧する言動をする人だなあと、会見などを見て思いましたが。たしかにそういう押しの強さに押しきられるように、ゴーストライターを続けてきた新垣さんですが。本当の強さとか、自信とか、そういうものは佐村河内氏には絶対負けてないです。
ゴーストライターを告白した強さ。その背景には、音楽があって。それは、新垣さんにしか作り出せない、オリジナルの強さです。
とても強い人だなと思います。本物の人っていうのは、強いんだと思います。
2014年といえば、STAP細胞の一件も、結局、うやむやのうちに終わってしまって。小保方さんの、きちんとした説明と謝罪がなかったのは残念です。
200回以上作ったという言葉は、なんだったのかと。そして誰も責任をとっていないのが不思議です。理研という組織の倫理が問われるところで。
とりつくろった嘘は、いつかはばれるものです。
偽物が本物を演じても、長くは続かないんだなあと。そんなことを思った年でした。
私自身にとっての今年は。
一番大きかったのは、あるソフトの講義を、3か月くらい受けて、久々に学生気分を味わったことでした。テスト前には必死になって作品仕上げたり、夜中過ぎまでパソコンに向かったり。
私は昔、家庭教師とか塾の講師をやっていた時期があって、教える立場というのに慣れていたのですが、いざ自分が教わる立場になってみると、教師というのは向き不向きがあるなあと、つくづく思いました。
二人の先生から教わっていたんです。二人は、教え方が全然違う。A先生は、どんな質問にも的確に、淡々と答えてくれるのに対し、B先生は、面白くしようとしていろんな茶々を入れてきて、答えを聞くまでにすごく時間がかかる。
私は断然、A先生派でした。
限られた時間に、できるだけたくさんのことを教わりたいから。
B先生は、質問をすると、まずこう言うのです。
「どうしたら、そうできると思う?」
これには閉口しました。自分でいろいろ操作を試してみて、できないから聞いているのに。どうしたらそうできるか?なんて、わかったら最初から聞いていません。
B先生はおそらく、自分で考えさせるために、安易に答えを教えないポリシーなのでしょう。けれど、生徒がどうしてもうまくいかなくて、それなりに勇気を出して質問したことに、なぜすぐ答えてくれないのか。
結局、答えを知る前には、いろんな雑談が入ったり、冗談が入ったり。
私は、だんだんB先生には質問をしなくなりました。B先生は講義している分野では専門家でありたくさんの知識をお持ちですが、教師としては教え方が下手なのです。
私はずっと、なにかを教えるということは簡単で、誰にでもできると思ってきましたが。B先生に会って、教えることもひとつの特技なのだなあと、初めて気付いたのです。
生徒が、いかに効率よく、知識を身につけられるか。それは、先生自身の知識量というよりも、教える能力に、大きく影響されるのだと、身をもって知りました。
今年もあとわずかです。ありがとうございました。
来年も素敵な年でありますように。