塵が彗星を想う話

彗星が太陽に近付いたとき、一部の塵(ちり)が放出されて。

その塵が、地球の大気に突入したとき、光を放ちます。

塵の故郷は、遥か遠い彗星。

彗星の公転軌道はさまざまですが、なにぶん宇宙のことなので、

とんでもなく大きいんです。

彗星の落とし子である、小さな塵。

それが光って、流れ星として私達の目に映るとき、

母天体である彗星は、はるか彼方。

再び太陽の近くにやってくるまでに、数百万年かかるものもあるとか。

彗星の軌道は不安定で、二度と太陽のそばへ

戻ってこないものも、あるんだそうです・・・。

大きな彗星から、はぐれてしまった一部の塵。

それが地球の大気に突入したとき、ほんのつかの間、光を放つ。

それを見て、私達は「きれいだなあ」と心を躍らせます。

心の中で、願い事を唱えたりして。

でも光が消えないうちに、3度唱えるのは難しい。

つかの間の、とても美しい光です。

暗い夜空で、私達の目を釘付けにさせる光です。

見た人の心に、暖かな灯りをともすような光です。

たとえ、3度の願いを言い終えるまでに消えてしまっても、

明日はなにかいいことがあるかもしれないと、

そう思わせる光なのです。

塵は、彗星のことを思い出すかもしれません。

自分達を放り出し、そのまま振り返らずに行ってしまった

母天体の彗星のことを。

母天体には、圧倒的多数の塵がある。

わずかな塵がなくなったところで、

大きな母天体、彗星にはなんの変わりもない。

いえ、もしかしたら、塵は自分から飛び出したのかもしれないですね。

太陽に近付いたとき、その光に憧れて。

暗い大きな宇宙空間の中で、太陽の光はまぶしく、

塵を魅了したのかもしれません。

理由がどちらであったとしても。

彗星は、一部の塵を残したまま旅を続ける。

塵は思うのです。

取り残された自分達こそが、マイノリティ、異端者、はぐれ者。

ときに、塵は寂しいような気持ちにもなるのです。

いつ戻るかもわからず、もしかしたら二度と戻らないかもしれないけど、

でもどこかで待ち焦がれ、求めてしまう。

彗星の帰る日を。

いつか、そんな日がくるかもしれない。

去っていくのと、見送る方と。

どちらが寂しいのかなあ、なんてことを考えてしまいました。

私が塵だったら、太陽の傍で、やはり彗星から飛び出したでしょう。

彗星から見れば、去っていくのは塵の方で。

塵から見れば、去っていくのは彗星の方で。

塵が流れ星になって。

それを見た大勢の人がほんわかと幸せな気持ちになったこと。

塵に伝えられたらいいのになあと、そう思いました。

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