泣いた理由が、「そりゃ、わかってもらえなくて当然だろうよ。私がその場にいたって、戸惑っただろうよ」という、忘れられない風景がある。
あれは、小学校に上がる前だったはずだ。あるとき、両親に連れられて兄たちと、親戚の家へ出かけた。伯父と伯母には、子供がいなくて。伯父は大の子供好きだったから、いつも私たち兄妹を大歓迎してくれたけど。伯母は無口な人で、子供の扱いには慣れていないようで。
今思うと、伯母は子供に対して戸惑いがあったんだと思う。特に、子供嫌いというわけではなかったはずだ。ただ、いつも無表情だったし笑顔を見せることもあまりなかったし。小さな子供からすると、なんとなく近寄りがたい存在だった。
夕暮れになり、母が「伯母さんがお汁粉を作ってくれたから、行っておいで」と声をかけた。私は兄達と一緒に、遊んでいた離れから母屋へと向かった。
伯母さんは相変わらず無表情で。作ってくれたお汁粉は熱々の作り立てだった。兄たちは無邪気にあっという間に食べつくして、「ごちそうさまでした!」と元気よく叫んで、両親のいる部屋へ戻っていった。そこに他意はない。別に、私が食べ終えるまで、残っていなければならない理由はないわけで。まして、私の胸中など知るよしもなく。
しかしそのときの私の胸中たるや、今思い出すだけでも、心臓が早鐘を打ち始めるほどだ。
たった一人。普段めったに会うことのない、いわば知らないおばさんと2人きりという、耐え難い状況。もうそれだけで、私の緊張は極限に達していた。そして目の前には、小さな子供には十分すぎるほどの量、湯気の立つお汁粉。
少しずつ、息を吹きかけて冷ましながら。私は必死になってお汁粉を食べた。もう、味がどうとかそういう問題ではなかった。とにかく、目の前のこれを食べつくさねば兄達の元へは戻れない。
伯母さんと一緒でも、兄がいれば心強かった。だけど兄達がいなくなれば、そこには私と、伯母さんしかいない。伯母さんは全く意識していなかっただろうが、私は伯母さんの存在を意識しまくりで、もう心臓が爆発しそうだった。
そのときの光景をもし、第三者が見たなら。
私の葛藤になど、絶対に気づかなかったと思う。伯母は、同じテーブルでなにか、雑誌でも読んでいたような気がする。小さな私は夢中になって箸をすすめ、そしてその場にはゆったりと、ラジオの音声が流れていたような。
ラジオから聞こえるのは、私の胸中とは正反対の、緩やかな音声。耳に入っても、意味などなさない。私はお汁粉を食べた。食べ続けた。熱くて、口の中が痛かったけど、でも食べきらなければ部屋を出て行けない。
伯母さんが、好意でつくってくれたお汁粉だった。別に、冷めるのを待ちながらゆっくり食べても構わないわけで。せかされるようなことは全然なかったのだけれど。それに、食べきれず残したとしても、それを責めるような伯母ではなかったのだけれど。
そのときの私は、「このお汁粉を食べ終えれば、この場を立ち去ることができる」という、たった一つの選択肢しか持っていなかった。それがすべてだった。
熱いお汁粉は、口の中では痛みに変わった。その痛みに耐えながら、とにかく喉の奥へ流しこんだ。食べても食べても、お汁粉は減らない。その絶望的な状況を心中で嘆きながらも、ただ食べ続けるほか、私には道がなかった。火傷の痛みを押し殺して、私は一秒でも早く食べ終えようと、ひたすら口を動かし続ける。
やっとの思いで食べ終えたとき、口の中はヒリヒリと疼いていた。「ごちそうさまでした」急いで伯母にそう言うと、私は次の瞬間、もう部屋を走り出ていた。
やっと母のいる部屋へたどり着き、母の顔を見たとたん、緊張は解けた。私は母に抱きつき、その感触に安心して、胸に顔をうずめた。涙があふれて、とまらない。
急に泣き出した私に驚いて、母は、「お汁粉食べてきたんでしょ? どうしたの?」と当然の疑問をぶつけた。
私は説明しようとしたが、あふれる感情がそれを邪魔して、ひたすら泣き続けた。うまく説明できるほど大人だったら、そもそも伯母と二人きりの状況を、こんなにも恐がることはなかっただろう。
お汁粉を見ると、このときのことを思い出すのである。あの口の中の痛みと、母の胸に飛び込んだときの安心感を。母はびっくりして兄達に事情を聞いていたけど、兄だって、私の気持ちなどわかるはずはなくて。
でも、泣いた理由は、確かにあったのである。