本当は、最初から全部わかっていたのかもしれない

 知人からある相談を受けた。好意を持っている相手だったので、私は心底から役に立ちたいと願って、話を聞いているうちにふと、悟った。

 

 それ、絶対、本当の答えをあなたわかってるはず。

 気になって四六時中頭をめぐらせて、真剣に考え続けたはずだもの。私に聞くまでもなく、なにが真実か、ちゃんと見えているよね。自分に自信がもてないから、人にアドバイス求めているだけで。

 私も真剣に相談に乗ってあげようとして、一生懸命考えた末に、気付いたのです。ああ、そうだよ。答えはこの人自身が、わかっているはず。私よりよほど、当事者なんだもの。

 そして、その方には自分が思った通りのことを伝えたのですが、ふと振り返ってみて。

 うわ~、これ私自身にも当てはまる話だよなあと。しみじみそう思ったのです。むしろ、それを気付かせてくれるための運命的なものだったのかと(大げさか)。

 感情は全部、知っているのかもしれません。

 自分がどうしたいか単純に考えたら、答えは出てきます。

 いろんな条件、全部捨ててしまって無になって。その状態で自分がどうしたいのか考えてみると。答えはたいてい決まってる(^^;

 条件で考えると、たしかに迷うことは多いのかも。

 ただ、純粋な感情のみで考えると、答えは案外単純だったり。

 例えば仕事。どちらを選ぶか悩む、決断の時。

 誰かのアドバイスを受けたり、就業条件を比べてみたり、はたまた占いに頼ってみたり。重要なことであればあるほど、迷うことは多かったりするのですが、よくよく考えてみると。

 自分のやりたいことって、誰よりも自分がよくわかってる。

 それは、誰かに「こうした方がいい」と言われて、変えられるものじゃなくて。それが何かを知っているのは、自分しかいなくて。

 例えば恋愛。本当にこの人でいいのか、決断の時。

 実はとっくに、決着はついてる。自分の心に聞いてみれば、答えは明白。

 

 誰と一緒にいたいか、答えはもう出てるはずで。

 悩むのは、自分の感情以外の外部要因を、頭で計算しているから。心は素直です。

 こういうふうに考えていくと、迷いのほとんどは、解決できちゃうんじゃないだろうかと。人の悩み相談に乗ってあげたことが結局、自分自身の考えの改革につながりました。自分以上に、自分のことをわかってる人なんていない。自分がどうしたいか、わかっているのは自分だけ。

 もちろん、人から見た側面だとか、アドバイスは大事にすればいいと思いますが。でもその人の心の奥底、その喜びとするところを知る者は、ただ自分自身しかいないのだと。

 あなたが望んでいるものは、○○ですね、なんて。

 超能力者でもない限り、当てることはできない。

 でも自分のことなら、自分でわかる。なにが好きなのか。どんなときに喜びを感じるのか。

 そして、他人であっても。

 心からその人を大事に思って、いつもその人のことを考えていたら。なんとなくその人の気持ちが、わかる、ような気がする(^^;

 こういう考え方を、変にねじまげてとらえちゃうと危険だけどね。でも、その人が大事なら、やっぱり、伝わってくるものって確かにあると思う。

 私は以前に1度だけ、とある有名な占い師さんにみてもらったことがあって。そのときは自分でもすごく迷っていたし、答えがわからなかったし。たまたまそのとき友人が、「よく当たる占いに行ってきた」というのでその人を紹介してもらって。

 行ってみたものの、実はあまり信じていなかった。ただ、超常的なものではなく現実的に、「人をみる」能力には長けているのだろうと、その点に賭けていた。

 いわば、人生のカウンセラーみたいな。有名な占い師さんだから、年間に鑑定する人の人数も相当のものだろうし、そういう人の目に、私の姿はどう映るのだろうか、と。人生の先輩からアドバイスを聞くつもりで、出かけたのだ。

 私がその人から告げられたのは、驚きの具体的な日付。「あなたは○月までにこうなります」とズバリ。もっと曖昧な言葉で、複数の解釈が可能な、逃げの占いをされると思っていたので私はびっくり。

 ちなみに、とてもいいことを言われたのです。そして私が、「今は全然そんな予定もないし、信じられない・・・・。だけど、こういうのは信じないといけないんですよね」戸惑ったように笑って、そう問いかけると。

 占い師の方は、ニコリともせずに真顔でこう言いました。

「信じる必要はありません。これが事実だからです。信じようが信じまいが、あなたは○月までにこうなります。ただ、それだけです」と。

 友人に占いの結果を話すと、とても羨ましがられた。友人は、あまりいいことを言われなかったらしい。

 そしていざ、注目の○月が来て。

 占いは見事に外れた。私は苦笑いしつつも、ま、そんなもんだよなと納得して。

 今になって、つくづく思うのだ。

 それはたしかに、「いいこと」なのかもしれない。

 だけど本当に私はそれを、望んでいたのだろうか、と。

 自分の心の奥底を覗いてみると、正直な話、私はそれを望んでいなかったことに気付き、愕然とした!!

 運命とか、よくわからないけれど。でも私の心がそれを、拒絶していたのは確かで。そして現実も、それを否定した。占い師の自信よりも、私がそれを強く拒否する気持ちの方が、たぶん強かったんじゃないかと。その結果が、こういうことだったんじゃないだろうか。

 結局、自分自身以外に誰が、自分の幸せを知るのだろうと思うのです。答えはいつも、自分の中にあるような。ただ、見えていないだけで。 

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