1993年放送のこのドラマ。今あらためて見ると、昔と感想が違います。
以下、ネタバレ含んだ感想ですので、ドラマ未見の方はご注意ください。
昔見たときは、いろいろありながらも純愛の話だと思ったんですよね。
でも今は違う。
今、改めて見たときに、、桜井幸子さん演じる二宮繭と、持田真樹さん演じる相沢直子の、「ずるさ」を感じてしまう自分がいました。
同時に、脚本を書いた野島伸司さんの、強烈な女性不信感も伝わってきたような…。こんなふうに女性を見ていた人が結婚できた、ということが不思議に思えてしまい。その後の人生で、なにがあったんだろう。聞いてみたいです(^^;
キャスティングはぴったりでしたね。
羽村隆夫を演じた真田広之さんは正統派二枚目で。だけど画面を通して見る羽村先生はとにかくダサく。
これ、上手いな~と思いました。
本当に洗練されてない人がこの役をやったら、惨めすぎて見るのがつらくなってしまうと思うから。真田広之さんだからこそ、羽村先生になれたというか。
不本意ながらバスケ部顧問になり、運動神経のなさを生徒から批判されるシーンとか、見てると本当に運動一切駄目な人に見えて、すごいと思いました。実際にはスポーツ万能だろうになあ。
羽村先生は、ぎりぎりのバランスが重要だと思いました。
果てしなくダサいってのも困るのです。誰にも見向きもされない、視聴者から見てもなんの魅力もない人であってはならないという。
かといって、モテすぎてもダメ。婚約者を失ったときの悲壮感が出なくなってしまうから。生徒からキャーキャー言われてたら、繭につけこまれる心の隙が生まれなくなってしまう。
つけこまれる、とか言ったら言い過ぎなのかもしれませんが。
今、あらためてドラマを見ると、繭をひどいなあと思ってしまうのです。
実際、繭の立場だったら。本気で羽村先生を好きになればなるほど、近づけなくなるのが自然ではないのかなあ。
助けてって、無記名で手紙を書くのは、まだわかる。
でも、あんな風に明るく積極的に、大胆に近付くことが、果たして愛なんだろうかっていう。
自分が女子高生だったときのことを、思い返してみました(^^;
当時のことを思い出してみると、高校生ってもう立派に、大人みたいなことを考えていて。相手の立場を思いやるってことも、十分できるわけです。
繭が羽村先生に近付けば、羽村先生はどんどん立場をなくして。
そして繭は、羽村先生が弱ってるところに、すっと入りこんだのがずるいなあと思ってしまったり。
真面目な先生ですから、たぶんどんな誘惑をされても、プライベートが順調なら決して一線を越えること、なかったと思うんですよね。そもそも、女子高生と二人きりでデートとか、ありえない。
それが、ずるずる繭に押しきられる形になったのは、自分が傷ついていたところに優しく近付いてきたひとだった、というのが大きいかと。
本当に好きだったのか? それは愛なのか? それよりも同情と、たまたまそこに、彼女がいた、というのが理由だったのでは?
羽村先生が繭に向けた感情は、恋愛というよりももっと、別のものだったような気がするのです。
繭のそれは、恋愛感情だったのかもしれないけれど。
でもそこには、羽村先生への立場を思いやる、気遣いのようなものがなくて。私は繭を好きにはなれませんでした。
好きになればなるほど、だから動けなくなるっていうのがなかったような。
繭はあくまで、自分中心のように見えてしまい。
「助けて」「あなたが好き」「助けて」
繭の心中は、すべてそれで占められているようで。
助けてほしかった? でも、羽村先生のことは思いやれない? 子供だから? 十分大人に見えるのに?
誘惑すれば、きっと羽村先生は自分を選んでくれる。そんな繭の気持ちが透けて見えたのは、私が汚れた大人になったからなのでしょうか(^^;
相沢直子に関しても、共感できないところが多かったです。
被害者になったのに、京本政樹さん演じる藤村先生をまだ、慕っているようなふしが見える部分とか。
うーん、それはないと思う。ああいう事件がおこってなお、先生への愛情が勝る、とか。あり得ないなあと思いつつ見ていました。脚本を書いた野沢さんが、そういう目で女性を見ていたとしたら、女性不信もいいところで。
直子はあんなことがあった後で、藤村先生への愛情を残していただけでなく、赤井英和さん演じる新庄先生にたやすく、なんの警戒心もなく近付き、心を許してしまうとか、そのへんがすごく不自然に思えました。本当なら近付けないと思う。むしろ以前よりももっと。
藤村に生理的な嫌悪感をもよおすようになってなお、脅迫に屈せざるを得ない悲劇、ならまだわかるのですが。
藤村先生を演じた京本政樹さんのキャスティングはぴったりでした。美形で、生徒から大人気で、でも目の奥に闇があって何かが壊れてる。
優しい顔で正論を説く、その裏の顔のギャップがすごかった。
赤井英和さんの新庄先生と、見事なまでに対照的なのがいいんですよね。最初は新庄先生が偏屈で嫌味な人物かと思いきや、実は誰よりも生徒思いで、熱血漢で。
無骨だし口下手だし、特別かっこよくもない新庄先生が一番、教師としてはまともだったような。
高校教師。1993年には、普通に22時から放送されていたんだなあ。内容はかなり重いし、本当は深夜枠でもおかしくないかと。うっかり子供が見てしまったら、かなり影響を受けそうです。
電車に乗り、繭にもたれるように、目を閉じた羽村先生。はっきりしない最後も当時、話題を呼びましたが。
私はあれを、心中だと思いました。
もう死ぬしかない、と決めたのは、繭のような気がします。主導権は、繭にあったような気がするのです。繭が生きようと訴えたら、羽村先生もきっと、そうしたはずだと。たとえ罪人になったとしても、です。
結局、羽村先生は繭に引きずられてしまったのだと思いました。いろんな意味で。もちろん大人なのだから、羽村先生にも大きな責任はありますが。
でもこれは、純愛のドラマではない、と、思いました。
自分が羽村先生の立場だったらどうしただろうか、と考えてしまいます。