ミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイア』についての感想です。ネタバレも含んでおりますので、未見の方はご注意ください。
今日は、ヘルベルトについて語ってみたいと思います。以下、私の空想が延々と続きます(^^)あくまで私の空想ですので、そんな考え方もあるのかと軽く流してください。
なぜ孤高の伯爵に息子がいるのか、という話です。私の勝手な解釈ですが、恐らく実の息子ではないでしょう。
「抑えがたい欲望」の歌詞から推測するに、伯爵の愛情度は、輝く髪の娘>牧師の娘>ナポレオンの供だろうと思うのですが、その3人とも子供をもうけるまでの濃密な関係には至らぬまま、伯爵は愛する人を失ったはずです。なぜなら、愛した人の血を吸ったらその人は死んでしまうから。
知り合ってそう長いこと、一緒にいられなかったのではないでしょうか。
サラが大丈夫だったのは、伯爵がサラを本当には愛していないから。サラは伯爵にとって、久しぶりに味わう少し毛色の変わった獲物にすぎません。
空想ですが、ヘルベルトは、輝く髪の娘の面影を持った孤児ではなかったかと。ヘルベルトが10歳位のときにたまたま伯爵が、墓場で病のため行き倒れていた彼を見て、城へ連れ帰ったような気がします。伯爵は彼の瞳に、娘と同じ純粋な輝きを見て心を惹かれるのです。しかし空腹と疲労、寒さのために子供の体力は限界点を超えており、このままでは死んでしまうということで、伯爵はヘルベルトの首に牙を突き立てたのでしょう。ヘルベルトを吸血鬼化することで、彼を死から救ったのです。
そしてヘルベルトは20才位までは人間と同じように成長し、そのまま時間がとまって今に至るのではないでしょうか。ヘルベルトは孤児であったから、愛情を注ぐ伯爵を本当の父と慕い、また命を救ってくれたことに感謝しているのではないかなあと思います。伯爵はヘルベルトに愛した人の面影を見ています。その愛にも関わらず、なぜ血を吸っても彼は死ななかったのか。それは、異性への愛ではなかったからということでしょうか。
ただ、もしヘルベルトが健康な状態であったなら、伯爵は血を吸うことはなかったでしょう。伯爵は、吸血鬼になることを幸せなことだなんて、絶対考えていないと思います。世界中に仲間を増やそうとしている人ではありますが、自分が愛した人を吸血鬼にしたいとは、全く思っていないはずです。気の遠くなるような孤独は、伯爵自身が一番わかっているのですから。自分の運命を呪ってもいるはずです。どうして同じ運命を、愛する人に味合わせたりするでしょう。
幼いヘルベルトが死にかけたとき、伯爵は迷ったと思います。このまま安らかに死なせるべきか否か。神が実在するならば、この幼子は死後、この世の苦しみから解放され天上へ召される。それが幸せなのか。苦し気なヘルベルトの呼吸音を聞きながら、伯爵はわが身を振り返り、輝く髪の娘の死に様を思い出します。この腕の中で、微笑みながら冷たくなった愛しい人。そのときの、身も凍る絶望感。なす術もなく、ただ見ていることしかできなかった無力感。この子供を助けることが、あの娘を救うことにどこかしらつながるような気がして、伯爵は決心し、血を吸ったのでしょう。
伯爵はヘルベルトを愛しています。彼を自分の息子として迎えました。城の者たちも、彼を伯爵の息子として敬っています。でも血はつながっていない。だから、孤独なんだと思います。もしも伯爵が誰かを愛し、その人との間に子供まで儲けて、しかもその子が吸血鬼なら、あの「抑えがたい欲望」を歌う伯爵はいないはずです。あの歌を聞いた人ならわかるでしょう。彼が独りぼっちだということ。血のつながりって、すごいことだと思います。血のつながりは鎖です。どうしようもなく断ち切れない鎖。目には見えなくても、その命ある限り体に巻きついて離れない。
妄想しすぎという気もしてきましたが(笑)
まだまだ、妄想は続きそうですが、この辺でやめておきます。明日は、観劇記を書く予定です。