ドラマ「教場II」感想

ドラマ「教場II」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未見の方はご注意ください。

去年、あまり期待せずに見たら思いの他魅力的だったこの作品。キムタクの新境地ではないでしょうか。こんな雰囲気の出せる人だったんだなあと、木村拓哉さんに対する見方が変わりました。続編の放送を楽しみにしていて、今年はテレビの前で今か今かと始まるのを待って視聴しました。

結果、前作と同じくらい引き込まれる作品でした。続編て、最初の作品が好評だとハードルが挙がって評価が厳しくなるものですけど、前作と同じくらい雰囲気がよかったです。

警察学校の中を垣間見れる機会は、なかなかないですし。もちろん、あれはドラマでフィクションですけど、すべてが嘘というわけではないですから(^^;

まずキムタク。木村拓哉さん。すごいなあ。教官の風間役がぴったりはまってました。これをもし他の人がやったら、魅力が半減すると思う。とにかく不気味というか、冷たいというか、何考えているんだかわからないところがいいです。前作で、実はいい人というのはわかってしまってましたが、それでも今作で漂い続ける不気味さ、ドキドキしました。

風間教官、実はとても優しい人ですね。だって、警察学校はあくまで学校で、そこを卒業して実際に勤務についてからの方が、つらいことも危険なことも多いわけです。学校という温い環境で耐えられないなら、早目に辞めたほうが本人のためでもあり、また社会のためでもあります。どんな人にも、適性やその人にあった職場があります。警察に合わないことが明らかなら、「辞めろ」をつきつけることは、実は優しさなのではないでしょうか。

「教場II」が始まった直後に、前作の出演者宮坂(工藤阿須賀さん)が、落ちこぼれる学生を励ますシーンがあるのですが、私はこれを見た瞬間に、「アチャー」と、思いましたね。宮坂は警察に合っていないと思ったけど、やっぱりなあ、という感想です。

宮坂は優しい。でもその優しさは、強さを伴っていないと思う。前作で、同期に拳銃で脅されてその事実を黙っていた弱さ、やはり性格は変わらないなあと。

警察学校の訓練が厳しかったり、連帯責任があったりすることなど、それはふるい落としに必要なことだと思った。一定の厳しさは必要。卒業後はもっとひどい理不尽に晒される。対峙するのは本物の犯罪者だから。正しく職務を遂行していても、怒鳴られることもあるし、犯人と格闘して怪我をすることも、命を失うこともある。

皆と一緒の訓練で、自分だけできないことがあれば練習するしかない。連帯責任で他の人たちに迷惑をかけるのが情けないなら、努力するしかない。恥ずかしさも、申し訳なさも、耐えるしかない。それができないなら、警察官になるのは無理だと思った。それは、誰かに励まされてどうというものではなく、自分で答えをみつけるしかない。最初の洗礼に、宮坂のよけいな優しさはむしろ、邪魔になるんじゃないかと。前作を見た時に宮坂を卒業させるべきじゃないと思ったけど、この、「教場II」の冒頭で、それを再確認したのでした。

宮坂の仕事は、警察官にふさわしい人材を、卒業させて現場に送りこむこと。落ちこぼれが出ないように励ますことではないはずです。それに、警察官は危険な仕事だから、適性のない人を温情で卒業させれば、その人が命を失う可能性もある。優しさって、ただ、「怒らない」ことではないと思います。励ましてやりたいのをぐっとこらえて、生徒たちが自分で立ち上がってくるのを見守る。それが、警察学校での宮坂の役割ではなかったかと。自分で立ち上がる心の強さも、警察官には必要なことだと思いました。

宮坂が、交通整理の途中で亡くなったのは衝撃でした。でも宮坂は、自分によく似た学生を気遣うあまり、その人に気をとられて注意が散漫になっていた面も否めないわけで、宮坂の性格を考えると警察官になったことが果たしてよかったのかどうか。簡単な挨拶だけにとどめて、後は切り替えて交通整理に集中することができていたら、命を失わなくてよかったのかもしれない、と思ってしまいます。

警察官だからといって、すべての車が指示に従うとは限らないです。突っ込んでくる車があれば、自分も、歩行者も、命を失います。その危機感を持って交差点に立たないといけませんが、宮坂が漆原透介(矢本悠馬さん)を思うあまり、注意が散漫になってしまったとしたら…。風間教官の「死ぬなよ」という言葉の意味。風間は宮坂の性格がはらむ危険性を、予感していたのかもしれません。

職務中に知人に愛想よく振る舞うこと。普通だったら問題にならないけど、でも警察官という仕事上、それが不適切であったり、亡くなることもあるのだと。それくらい、警察の仕事は命と結びついているのだと思いました。

だからこそ、警察学校の役割は重要なのでしょう。風間教官の厳しさは、そのまま優しさです。

風間教官、ふるい落としに関しては厳しいというよりむしろ甘いと感じてしまいました。私だったら、今回200期でエピソードがあった中で卒業させるのは二人だけ。比嘉太偉智(杉野遥亮さん)と吉村健太(戸塚純貴さん)です。私が教官やったら、警察官が極端に不足してしまうなあ(^^;

別に厳しい基準を設けたわけじゃなく、致命的な欠点のない人を残したら、たった二人になってしまったという・・・。比嘉の場合は、副教官に一方的に誘惑されたということで、本人に問題はないと思いますし。

以下、それぞれの生徒に関して、卒業させたら駄目だと思った点を挙げていきます。

鳥羽暢照(濱田岳さん)。図書館で稲辺を見ていないと嘘をついたこと。なぜそこで嘘をつく?っていう。必要な嘘はつけなきゃいけませんが、ここはそういう場面ではなく。日常で簡単に嘘を付く人は、警察官には向いていないんじゃないかと。それに、風間が目を失う事件で目撃者だったのに、たぶんこれちゃんと通報したり、捜査に協力していないんじゃないかなあ。この辺は、映像で細かく書かれていなかったのでわかりませんが。卒業のときの風間の言葉からしても、鳥羽は、なにかありますね。

事件に遭遇したのに、知っていることを全部話していない、保身のために黙っていることがあるのだとしたら、警察官になってはいけないと思います。

ちなみに定職につくために警察官になるというのには、私は全然アリだと思う。非難される話ではない。逆に、そこを悪いなんて言っていたら、それこそ警察官になる人材が不足してしまうのでは? 絶対警察官になる、それ以外の職業なんて考えられません、ていう人の数はそんなに多くないでしょう。

石上史穂(上白石萌歌さん)。なにかあるたびに手がぶるぶる震えてたけど、風間教官のショック療法でそれが完全に克服できたとは思わないから。それに、それまでの描写で、自分で何とかしよう、という努力がみえてこなかったんだよなあ。

あと、車の事故をわざとやったと同期に告白されて、「つらいことは忘れて」とか、その思考は警察官としてはどうかと思う。殺人未遂だよ? 友達だから? 別の職業ならともかく、警察官としてはまずいでしょう。

忍野めぐみ(福原遥さん)。不適格なのは体格と体力。努力でカバーできないレベルだと思う。この先鍛えたからといって、腕立て伏せが20回を超える日がくるんだろうか(^^;

人当たりはいいけど、いざというときに誰かを守れる最低限の力がないと、警察官としての仕事はできないと思う。

漆原透介(矢本悠馬さん)。時間を守れない点と、パニックになってしまう点。これは致命的ではないでしょうか。いくらなんでも、薬物中毒を疑うくらいの錯乱っぷりは、さすがにこの後いくら努力したところで、本人が直せるものではないと思いました。警察官という職務は冷静沈着が求められます。あのパニックを見せられた上で、警察官になりますと言われても心配の気持ちしか湧いてこないです。

杣利希斗(目黒蓮さん)。警察学校の備品盗んで爆発物作ろうとした時点で、卒業させてはいけません(^^; いくら本人が改心したといっても無理無理。

稲辺隆(眞栄田郷敦さん)。傷害事件なので、卒業もなにも、逮捕される案件ですね。

伊佐木陶子(岡崎紗絵さん)。警察官として働く気がない人を、卒業させてはいけないと思う。正義感とやる気がないと、警察官は務まらないと思うから。警察学校在学中に妊娠というのは、卒業できなくても仕方ない。

堂本真矢(高月彩良さん)。盗癖ある人は、警察官無理でしょう。

坂根千亜季(樋口日奈さん)。忍野が二人組に暴行受けそうになっているのに、ちゃっかり逃げた姿は警官失格だと思いました。明らかに不穏な空気で、残された忍野が酷い目にあうのが誰の目にも明らかなのに。自分の身を守るために逃げた。これはもう、警察官としてはありえない。

忍野の指を棒で折ろうとした暴行犯二人組も、警察官になってはいけない人材ですね~(^^; あの二人、ちゃっかり卒業したのかな? あんな人が警察官なんて、世も末です。

私、忍野が脅迫される場面、この先を風間教官がどう裁くのかなあと思って、ドキドキしたんですよね。二人にこんな風に脅されましたって、もし忍野が相談したら、「君は警察官だろう。自分の身は自分で守れ」と一蹴されたんだろうか。

確かに、忍野は自分で立ち向かう勇気をもたなければいけないし、それ以上に、奴らにやられない体力、技術を身につけなければ。いったん警察学校の外に出たら、犯罪者と対峙するわけで。その時に、犯罪者に腕をつかまれて、その腕すら振りほどけないなら、警察官として駄目だと思うのです。

今回、教場IIのドラマの中で、一番強烈なシーンは、副教官の田澤愛子(松本まりかさん)が、風間の命令で窓辺に立たされるところ。田澤は足を踏み外し、比嘉の腕一本で支えられるけれど、最後は落ちてしまう。

エアマットの空気を抜けとトランシーバーで言われた消防の方は、びっくりしてましたけど、リーダーらしき方がうなずいていたところを見ると、風間教官と打ち合わせ済と思われます。ただ、それにしても、一歩間違えたら田澤は転落死。それだけのリスクを冒してでも、風間は田澤と比嘉に何を教えたかったのか。

ドラマ後半で、田澤は以前の上司への恨みを、風間にぶつけていたことが明かされましたけど、それはないな~(^^;あれ、男性への歪んだ愛情にしか見えなかった。誘惑して、従えたい、コントロールしたい、という。それがかなわない、誘惑しても拒絶されるなら、相手を破壊してしまいたいという激情。成績トップとか、総代とか嘘をついたのも、自分をよく見せたい、みんなの関心をひきたいという自己愛。

きれいな人だから、最初はたいていの人が引っかかるだろうけど、それは本当の愛情じゃないし、長続きしない。その繰り返して、傷ついている女性にみえました。

風間教官は、田澤と比嘉の男女としての絆をすっぱり断ち切りました。比嘉は、手を放した。田澤は、どんなに嘆願しても、比嘉にも風間教官にも助けてもらえないことを知った。情のかけらも残らないほどすっぱり、二人を引き離すにはあそこまですることが必要だったのかもしれません。

田澤が警察学校の生徒である比嘉を誘惑したこと。それは、単なる誘惑ではなく、今後の比嘉の命に関わるような重罪であったともいえるのか。心が乱れ、きちんと学ぶことができなくなれば、中途半端な状態で警察官になるわけで。知識不足、訓練不足が直に、命の危機に直結する職業。それが警察官。

風間の凄みを感じました。単なるいい人ではない。教官として生徒を守るためなら、あらゆるリスクをとる。自分も含めて。

そして、なんのかんのいいつつ、結局総代として卒業していく杣の姿には、違和感満載です(^^; 親が警察の偉い人だと、すべて流されるのか~、そうなのか。杣は警察官になっちゃいけない人だと思うけど、風間教官でもそれがとめられない。それが組織だ、ということか。

今回のドラマ、直前で伊藤健太郎の事故があり、編集が大変だったようですが。物語の多少のチグハグさは、そのせいだろうなあと思いました。本当はもっと、繊細に、こまかいところまで計算尽くされた映像になっていたのでは? 199期の話が、なんだかオマケ的な、あまり重要でないものになっているように感じました。

伊藤健太郎には反省してほしいです。事故はともかく、逃げたのは絶対にやってはいけないこと。私はドラマの「アシガール」大好きだったけど、もう見る気が起きなくなってしまいました。もう、私の中では「アシガール」は幻の作品になってしまった。

教場は、今後シリーズ化されるのでしょうか? 見終ってからも、いろいろ考えさせられるドラマでした。

知ってしまったら知る前には戻れないという話

アメリカが大変なことになっています。でも、結局最後にはトランプさんが再選されると思うんですよね。

いろんな疑惑があって、つなぎあわされると今までの疑惑がひとつになる。事は、アメリカだけでなく、日本を含めた世界に関わってくる。今始まった話ではなく、ずっと連綿と続いてきたと言われれば、そうなんだろうなあと思う。

今は、インターネットがあって、情報の拡散は一瞬です。知れば、知る前の世界には戻れない、戻らない。

悪いことは、いつかはばれるし、ばれたらもう終わりなのではないでしょうか。いくら隠そうとしても、誤魔化そうとしても、無理。

2021年は、隠されてきた悪事が、暴露される年になるのかもしれません。そして世界がひっくり返るような、事実が明らかになるのかも。

ツイッターがトランプ大統領のアカウントを永久凍結したそうですが、そんなことをしても、情報の拡散は止められないのでは? 

世界中のインターネットがとまらない限り、情報は拡散し続けるでしょう。

今年は世界の歴史の転換点となる年だと思います。

2021年明けましておめでとうございます

2021年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

ということで、お正月三が日はずっとのんびりしていました。穏やかでいいお正月でした。

元旦、密を避けるべく夕暮れ時に産土神社へお出かけしたのですが、ちょうどご祈祷の祝詞を聞けたり、宮司様に八咫烏のクッキーを頂いたり、新年早々、縁起のいいことが続いて嬉しかったです。

神社は空いていました。寒い季節なので、夕方以降の参拝はみんな避けるのでしょう。

寒いと、空気もピリッと引き締まってより清浄な雰囲気でした。

今年の初夢は、火のついた棒が枯草の上に置かれ、火事になり、電信柱のトランス(変圧器)が爆発するというなかなかバイオレンスなものでした。現実でこんなことがあったら大変ですが、夢でよかったです。

今年の抱負は、TOEICで自分の英語力を再確認すること。去年は結局、試験を受けられなかったなあ。前回受けたTOEICから年数が経ってしまっているので、久しぶりのチェックで何点とれるのか楽しみです。いい点がとれたら、自分へのご褒美で憧れのレストランで豪華ディナーを食べたいと思っています(^^)

今は、飲食店もいろいろ大変ですが、少しでも応援したい。旅行もそうですが、長距離を移動するのではなく、みんなが地元の店を応援すればいいのでは?と思っています。ということで、地元の温泉、地元のお店、たくさん利用しようと考えています。

今年も良い年になりますように。

2020年を振り返る

今年も一年、ありがとうございました。2020年、私にとっては、リフォームトラブル(欠陥工事)に振り回された年になりました。

実は10年以上前に行った家の大規模リフォームに大きな手抜きがあり、それが今年発覚したのです。そのため、修正工事に振り回されました。

自分が実際、欠陥リフォームの当事者になって思ったのですが、あれですね。一度悪徳業者に関わったら、もう終わりなんですよね。とにかく、この手のトラブルを避けるには、業者をきっちり見分けることなのだとしみじみ思います。良心的な、プロの業者さんはたくさんいます。そういう業者さんを選びましょう。

悪徳業者と契約し、そうした業者にお金を流してしまったことは、間接的に自分も悪に加担してしまったということになります。そのお金で、業者は経営を存続し、あらたな被害者をターゲットにするんですから。新築とか、リフォームは、結果が出るまでに時間がかかるので気をつけましょう。見えない部分に手抜きをされていても、不具合はすぐには出ません。

私が先方の業者から言われたのは、「もう10年過ぎてるから、瑕疵担保責任もないし、法的に賠償責任はない」という言葉でした。

たしかに、瑕疵担保責任はそうなんです。瑕疵担保責任で訴えることはできない。

でも、民法709条の、不法行為における損害賠償責任を追及することはできます。不法行為における損害賠償請求権は、知ったときから3年行使しなかったり、不法行為から20年経過したら時効になりますが、我が家のケースはまだ大丈夫です。相手方と話し合いを重ねましたが、実はこの業者、我が家と同じケースの手抜きを、他にも複数の家でやっていたのです。他の家ではまだこの欠陥に気付いていないらしく、業者も私から指摘を受けて初めて気付いた、ということでした。

家は、不具合が出ても、その原因を正しく突き止めることがなかなか難しいですね。うちの場合はたまたま私が勉強して、わかったのでよかったのですが。たぶん他の家では、不具合が出ても、原因がリフォームにあることに気付けない。

いろいろ考えましたが、その手抜き工事の内容が、プロとしてはあり得ないレベル(重要部材を使用しない、仕様書に記載されたのを無視)であったこと、連絡した私に対して、数々の侮辱発言があったこと、我が家以外にも、被害に気付いていない被害者がいること、最終的には業者が、会社としての対応を連絡するといっていたのに連絡なしで、こちらから電話しても無視したこと、などなど。総合的に考えて、社会正義のためにも裁判をおこすことにしました。

このままだと、何食わぬ顔で業者は仕事を続けるでしょう。それは、許されないことだと思ったのです。今、この会社を訴えることができるのは、被害に気付いた、被害者である私だけ。だったら、ここで立ち上がるべきです。

裁判は書類での喧嘩になりますから、しっかり証拠をそろえて、論理的に相手の非を訴えなければ勝てません。今年はコツコツと、ひたすら書類を作ったり、証拠を揃えたり、弁護士の先生と面談を重ねました。

裁判は来年になります。よい結果になることを祈っています。そして、今年一年頑張った自分を褒めてあげよう。よくがんばった。偉かった(^^)

2020年、裁判準備で大変なこともあったけど、それ以上にたくさんの優しい人達に恵まれ、助けられ、勇気をもらった年でした。そして、アメリカでの大統領選、不正と戦い続けるトランプさんの姿にも、感銘を受けました。

なんというか、やっぱり正義の心がなければ、駄目だと思うんですよ。人間、最後はそこだと思うんです。自分の中で、正義を貫く心を持ちたい。それが私のプライドです。

そういえば、昨日見たドラマ「教場」の再放送。あらためて、工藤阿須賀さん演じる宮坂、警察官には向いてない、警官になってはいけない人だということを再確認しました(^^; ※以下、ネタバレにもなるような記述ですので、ドラマ未見の方はご注意ください。

宮坂は、井之脇海さん演じる南原の脅しに屈したからです。もちろん、実際に銃をつきつけられ、命の危険にさらされたまさにその時には、まずは命を守る必要があるし、嘘でもなんでも南原に従うべきだと思いますが。

いったん解放されたとき、なぜすぐに、南原の危険性を教官に報告しなかったのでしょう。警察手帳をとられた、ということは言い訳にならないと思います。脅しの道具として暴力をもって取り上げられたので、きちんと事情説明すれば宮坂が退校処分になることはなかったと思いますし。また、もし退校処分になったとしても、南原が自作の銃を寮に持ちこんでいることは、すぐに報告すべきでした。それぐらい重要な情報だったと思います。

自作の銃を人の頭に突き付けて、脅して警察手帳を奪うような人間が、警察官になったらまずいです(^^; それをとめられるのは宮坂だけ。なのに、保身のために口をつぐむなんて、そんな人に、警察官になる資格はないと思います。教官に言い出すチャンスは何度もあったのに、黙っていた宮坂。警察官には向いてないと思いました。

ああ、ついつい熱く語りすぎました(^^;

ともかく、今年も一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

トランプさんしかできない戦い

日本のテレビを見てるだけだと、バイデン(もはや敬称をつける気にもなれない)が次の大統領に確定だとか、トランプさんが負けを認めないだとか、ひどく偏った情報にしか触れられない。日本のマスコミは、そこまで汚染されてしまったのかと驚く。

気が付かないうちに、情報統制されていたんだなあ。

トランプさんがなぜ、負けを認めないのか。それは選挙に不正があったと主張しているからで、そこには外国勢力の介入があったと言っているわけで、そのことに一言も触れず、証拠についても全く報じないマスコミ。マスコミの役割を放棄しちゃってるなあ。ドミニオンのドの字も出てこないし。

世界は大きな転換点を迎えているなあと思う。だってトランプさんが戦ってる相手は、メディアも司法も抑えてたんだもんなあ。その虚構が崩れたとき、現れるのはどんな真実なのか。

ネットの時代だからこそ、できた戦いなのかなと思います。情報伝達がテレビや新聞だけだったら、そこを押さえたらもう、思い通りだから。

でも今は、そんな時代じゃなく。

一度気付いた人はもう騙され続けることはないし、世界中の目が、それも半端じゃない数が、アメリカに注がれている。アメリカで起きていることは、日本で起きていることにもつながっている。

逃げずに戦っているトランプさんも、それを支える多くの方々も命がけです。お金でも名誉でも個人欲でもなく、国と正義と、そして人間性のために戦っているんだと思います。応援しています。

DS(ディープステート)が、まるでいかがわしい陰謀論のように言われるけど、出てくる事実を重ね合わせれば、言葉は何であれ、そうした悪い企みや犯罪があった可能性は非常に高い。もし違うというのなら、政治家として潔白を主張し証明していくのは義務だと思う。

人それぞれ、その人はその人の立場で、最善を尽くすということ。

私も、小さなことかもしれないけど、できることはしっかりやっていこうとあらためて決意しました。

家と家との距離は絶対にあけた方がいい その3

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

現在、わが家の近所では5軒の家が新築中です。

この辺りの土地は人気あるんだな~と思います。なにより、小学校と中学校が近いこと。学校までの道路が安全である、というのが大きいかな。特に小学生のお子さんがいるご家庭だと、毎日の通学が安全であるというのは最優先事項になりますよね。他がどんなに好条件でも、子供が危険になるような土地では選びたくないですから。

耕作放棄地になった田んぼの跡に、どんどん住宅が建っていくのは、ちょっと寂しい光景ですけど。でも仕方ないか。このまま草が生え放題というのも困りますし、

うっかり野立ての太陽光発電なんて建てられて、延々と除草剤をまかれるのはもっと迷惑ですし。住宅街に太陽光発電は、光害も気になります。小規模な太陽光発電も、反射の光はかなり眩しいです。屋根上ならまだ、高い位置での反射ですので影響も少ないかもしれませんが、耕作放棄地に小規模の太陽光発電っていうのは、遮るものがないと遠くの家まで反射がすごいです。朝の光や夕暮れのギラギラした(特に夏)光は、住環境を著しく損ないます。

そんな、開発が進む我が家の周辺ですが、上棟前の足場を組んだ状態の、新築中の家がすごく気になっています。

なぜなら、隣地の田んぼとの境の擁壁上に、足場を組んでいるからです(^^;

擁壁は、垂直に立っています。もちろん、自分の境界内に建てた擁壁なんでしょうけど。

いいのかな~これ。擁壁上なので、足場はかなり不安定な感じです。普通の擁壁の幅なので、広いわけでもないですし。安全上の問題ももちろんですけど、私が気になるのは「隣地との境に、しっかり空間をとっていないこと」なのです。

建築中の家の壁から隣地境界まで距離がなさ過ぎて、土の上に足場が組めないのです。だから、一番外側の擁壁の上に、足場を組んでいます。今は擁壁でその上にフェンスがないので、その上に足場を組んでしまってますけど。家が出来上がったら次は外構に取り掛かるわけで。当然、その擁壁の上にはフェンスを作ると思うのです。擁壁だけのままだったら、隣地は田んぼなので高低差があって、転落したら危ないですからね。フェンスができたら、もちろん、そのフェンスの上に足場を組むわけにはいかない。

このお宅は、将来のメンテナンス時、屋根や壁の塗装や修理のとき、どうするつもりなのかなーと。現状、隣地に足場を組まないと、足場が組めなくなってしまっているので。

これ、未来のトラブルの元だと思います。たぶん新築時には、少しでも大きな家を建てたいと思って、敷地の幅ぎりぎりの家を設計してもらったのでしょうが、隣地との境には、余裕をもって建築した方がいいですよ。

前にもブログに書いたのですが、こういうちょっとしたことって、案外新築のときには気付かないのかもしれませんね。将来のメンテナンスのことなど、頭にないのかもしれない。本当は、建築会社が施主にアドバイスすべきことだと思いますが、うるさいことを言って他の会社に仕事をとられるのを警戒して、会社も、なるべく施主の希望にあれこれ注意は言わないようにしているのかなと思います。

でも、とても大事なことです。何をするにしても、隣の敷地を踏まないとできないのって、施主のわがままでしかないです。自分の敷地内で、完了するようにしないと。いくら大きな家が欲しくても、敷地に余裕がないなら諦めるべきだと思います。隣地との最低限の空間を確保した上で、自分の好きな家を建てたらいいのです。お隣の好意前提での建て方は、ずるい。

ちなみにその家の反対隣は建売住宅になる予定で、同じように建築が進んでいるのですが。こちらは、しっかり建物と隣地との空間をとっていますね。建築会社の設計なので、無難なものになったのでしょう。

「大きな家を建てたい」という希望がいくらあったとしても、「将来メンテナンスのとき、自分の敷地内に足場が組めなくなりますよ。隣に建てさせてもらうしかなくなりますよ」と一言、建築会社が注意してくれたら、それでも強行するというお施主さんは、いないと思うんだけどなあ。

足場もそうですけど、もともと隣地境界からの距離に余裕がなければ、屋根だって、軒が出れば境ぎりぎりになってしまいます。

将来の屋根の修理、軒の修理。職人さんにいい仕事をしてもらう上でも、空間はきちんと保ったほうがいいに決まってます。

あともう一つ気になったことが。隣地との境に余裕のない状態で、大きな掃き出し窓を作ってしまっていることです。今は確かに、隣が田んぼで見晴らしがよく、大きな窓は気分がいいかもしれませんが。この隣の田んぼ、いつまでも田んぼのままである保障は、どこにもありません。

その新築中のお宅も、元は田んぼでした。当然、その隣地も、同じように宅地として売られる可能性があるわけで。今はいいですけど、隣地が売れて隣地に建物が建ったときのこと、全然考えていないんだろうなあ。

大きな窓の外、すぐの距離でお隣さんの家が建ったら。大きな窓の意味がなくなるというか、逆にデメリットになるというか。カーテン閉めっぱなしになりますよね。大きな窓をつけるなら、その窓の外にある程度の距離を確保しないと、意味がないように思います。もし隣地が、このお宅と同じように、足場さえ組めないほど境に近く家を建てたなら。そして隣に面して、大きな窓をつけたなら。お互いの距離が異常に近すぎて、なにかともめることになるのではないかなあ。

あと、我が家の近所で実際にあったケースですが、電柱を建てるのも、自分が使う電力なら自分の敷地内に建てないとトラブルになります。これはたぶん、建築会社が施主にいい顔をしたくて、(敷地いっぱい有効利用できます、土地をできるだけ広く活用できますと施主にアピールするために)、更地だった隣地に電柱を建てさせてくれとお願いして、電柱が建ったのですが。

その隣地の人が後から、かなり怒ってましたね。頼まれた時点では事情がよくわからず承諾したけれど、よく考えてみればおかしな話。結局電柱を建てるのは、今まで電気がなかったところに電線を引きたいということで、新築する人が自分のところで電気を使いたいという、その人の都合なわけです。いくら自分の敷地内に電柱を作りたくないからといって、隣が空き地だからといって、隣に電柱を建ててしまうのはずうずうしい。

私も、そりゃそうだなあと思います。とはいえ、今さら建てた電柱を移動させるわけにはいきません。結局そのお宅は、たぶん気付いていないのでしょうが、隣地の所有者に恨まれています(^^;

これも、建築会社が気をきかせたつもりで、「電柱がなければ施主が喜ぶ」と単純な考えで、やったことなのでしょうが、将来のご近所づきあいを考えたら、決してこの新築住宅の施主が得をしない話なのです。得どころか、大損だと思います。なにより、ご近所と仲良くやっていくのが一番大事だと思うので。

隣地との境には、十分に空間をあけて家を建てること。電柱が必要なら、いくら隣が空き地でも、自分の敷地内に建てること。

目先の欲にかられないほうがいいと思います。そのときは得をした気分になるかもしれませんが、長い目で見たら損以外のなにものでもない。

私自身、もし自分が家を建てるのに、メンテナンスのたびにお隣に土地を貸してもらわなきゃいけないなんて、そんなことは考えただけで申し訳ないし、憂鬱です。それに電柱のことも。必要なら、たとえ敷地が狭くなっても、自分の土地に建てますね。隣地に建てて、後で恨まれるなんて嫌すぎる。

壁紙や床材は後からリフォームで変えられますが。敷地内で家を建てる位置や、電柱のことなどは変えられません。特に慎重に、考えた方がいいと思います。

トンプソン真理子さん

三浦春馬さんのことが気になって、その後のアミューズ(所属事務所)の対応があまりにもおかしく、調べているうちにトンプソン真理子さんを知りました。

英語も美しいですが、日本語も簡潔、かつ理路整然としていて、トンプソン真理子さんの書いたものを読むうちに、数々の疑念が、「そうだったのか~」と解けていきました。

アミューズの姿勢って、先入観なしに見ても、???なんですよね。なんで?っていう。

多くの人が知る、ということが大事なのかなと思います。日本のマスコミの報道だけ見てたら、見えないことがある。

三浦春馬さんのことを、私はこれからもずっと、忘れないです。

種をつないでいく農業

改正種苗法が可決されてしまいましたけれど。種をつないでいく、という農家の自家増殖が禁止されてしまうのは、とんでもないことだと思う。少しでも植物を育てた人なら、わかるはず。植物はみんな、種や苗で、どんどん子孫を増やすのだ。それが自然なことなのだ。

その自然の営みを、駄目だとするのは人間の傲慢だと思う。

育成者の権利を強くすれば、(これまでにない儲けが見込まれれば)、当然、多国籍企業が参入してくるだろうなあ。この種の市場に。

莫大なお金をかけて開発、市場を席捲、その上で、農家が自家増殖を禁じられれば、種を登録した企業は安定して莫大な利益を手に入れられる。「今は登録品種も少ないから大丈夫。登録されていないものは、自家増殖できますし」なんて、意味のない法案擁護だと思う。

だって、増えるじゃん(^^;これから明らかに、増えるよね~登録品種。だって、新品種の開発促進のために、育成者権を強くしたわけだから。

この改正種苗法って、日本で開発されたブドウやイチゴやサツマイモなんかが、海外で勝手に品種登録されてその国のブランドとして売られていることの対策であるっていうけれど。

自家増殖禁止して、海外の流出とめられるのかね? それは、日本で開発した新品種を、即座に海外でもそれぞれの国で登録するしか、とめる方法なくない? 自家増殖禁止したところで、別に自家増殖した種や苗を、毎年海外に流出させているわけじゃないんだから、抑止力にならないと思うんだけど。

食の問題は、即、命や健康にかかわってくるので、とても心配です。改正種苗法を、また改正しなきゃいけませんね。

だって、以前に巨大企業モンサント(現バイエル)が、海外の裁判で農家を訴えてましたよ。

2004年5月、カナダの最高裁は訴えられた農家に敗訴を言い渡しました。裁判の内容はこうです。提訴は1997年。モンサント社の社員が、モンサントが特許を持つ遺伝子を持つ種を、パーシーさんの農場で発見しました。それで、パーシーさんが種を盗用した、と裁判所に訴えたのです。

パーシーさんはその種を、近所から飛んできたものだ、と主張しました。それに、その種は、モンサント社の除草剤とセットで使うものであり、自分はモンサントの除草剤をまいたことはないと。

モンサントは、特定の除草剤に耐性をもつ種を売る商法、やってますよね。その種を植えて、除草剤をかけると、その種以外の植物はみんな枯れてしまうというやつです。種だけが育ってバンザーイって、自然の摂理を考えたら、リスクは大きいと思いますけども。それも、すぐには顕在化しないリスクが。

そのような除草剤が体に入って大丈夫なのか、また、そのような遺伝子組み換えをした種を食べて、未来に影響はないのか。

パーシーさんにしてみたら、勝手に風にのってやってきた種が、自分のところの作物と混ざって、それを「登録した作物だ。特許がある」だなんて迷惑な話です。それに、モンサントの除草剤を使っていないことも、故意に種をまいたわけではない証明になるはずで。

なのに最高裁では、パーシーさん負けました。

これが、日本で起こらないなんて、言えないです。巨大企業は裁判のノウハウもお金もたっぷり持ってます。日本の中小農家が、「おい、お前のところは俺が開発した登録品種の種を、勝手に栽培しただろう」なんて言われて裁判を起こされたら・・・。農家を続けていけるのだろうか?

種や苗の特許って、芸術や工業製品の特許とは違うと思うのです。種は、気が遠くなるくらいの年月を、先祖が繋いできたもので、ある意味生き物。それを、新品種を開発したから、と。自家増殖を禁じるのは、どうなんだろう? そこまでの権利、あるのだろうか?

同じ品種でも、土地によって多少、味や形の違いが生まれます。そして代を経るごとに、違ってくることもある。そして、露地栽培なら、種なら、自然の交雑もおこるでしょう。

種を支配下に置く権利、どこまでを認めるべきなのか?

少なくとも、国内の農家の自家増殖を禁止することは、間違ってると私は思います。

その土地にあった種を、よりよい品種を、つないでいくのが農家だと思うのです。種は買うものではなく、つないでいくものだと思います。

公正な選挙を行う義務

アメリカ大統領選挙、昨日はBBCでバイデン候補が勝利演説をするのを見ました。そして思いました。分断ではなくひとつにまとまろうと言うなら、票の数え直しや選挙の不正の調査などに協力すべきなのでは? もしも、本当にその気があるなら、むしろ積極的にそれをすべきなのでは?

バイデンさんは何度も何度も、まとまろうということを繰り返し演説していましたが、それだけ強調するわりに、具体的な行動が伴っていないと思います。トランプさんも、もちろんこのまま黙っているわけではなく、これから訴訟など、いろいろあると思いますが、「公平な選挙を行うこと。不正があるなら本当の投票数を出すこと」について、二人が調査機関に全面協力、そして国民も情報提供、もし告発者がいるなら身の安全を保障すること、などが必要になってくるだろうなあと思いました。

バイデンさんの投票数が、あるとき急に増えたり、グラフが、垂直に上がっていることを、不思議に思う人たちが増えてますけど、それに対しての反論をHUFFPOSTで読みました。結果、ますます謎が増えました…。

HUFFPOSTは、バイデンさんの不正をデマと言いきってますが、ウィスコンシン州には360万人の有権者がいて、330万人の投票があったそうで、これが本当なら投票率は90%超えてます。さすがアメリカ、選挙盛り上がってますねーと、感心してる場合じゃないです、この数字。

この1点だけでも、おかしいし、調査が入って当然。

たぶん、どんな選挙でも不正はゼロではないんだろうけど、今回はもう「あからさま」なんですよね。不正が疑われる投票数が、万単位になってます。そしたら、やっぱり調べるべきなんじゃないかなあ。

このまま、「結果は結果なんだから、ぐずぐず言う方が悪い」というなら、いつまでも疑惑はくすぶり続ける。

むしろ、しっかりと調査して、正々堂々、結果を公表するべきじゃないかと。公正な選挙は、民主主義の根幹ですし、公正な選挙がないなら民主主義じゃなくなってしまう。

今回の疑惑。不正が行われたのではないかと疑われている票の数は、決して少ないものではなく。だとしたら、必ずそれに関わっている人の数も、多いはず。

ひとりひとりの良心が問われていますね。本当に公正な選挙が行われたのか。不正を目撃しなかったのか。不正にかかわることはなかったのか。

すべての人の口を塞ぐことはできません。秘密は、関わった人が多くなればなるほど、漏えいする可能性が高くなる。

名乗り出る人が、名乗り出やすい環境を整える必要があります。身の安全の保障は、一番に優先されないと。

私の予想では、紆余曲折あっても最終的に次の大統領はトランプさんで決まるだろうなあと、そう思っています。

リフォーム工事の完了

今日はなかなかハードな一日でした。今、家の一部をリフォームしているのです。1週間前から職人さんの出入りがあり、親方と細かい打ち合わせをしたり、常に電話を気にしたりと、気の休まる時がない(^^;

工事そのものは今日で終わり。明日は親方の最終チェックと説明があります。その後、請求書をくれるので、振り込みを済ませるまではまだまだ、気が抜けませんね。