ドラマ『アシガール』感想 その2

前回のブログの続きです。私の好きなドラマ『アシガール』の名場面について語ります。以下、ネタバレ含みますので、ドラマを未見の方はご注意ください。

さて、名場面を語ろう、と思ったのですが。あれもこれも、たくさんあって選び切れない(^^;

一番好きな回で言うと、第8回と最終回の2つが好きです。第8回については、もうこれが最終回でもよかった、くらいの完成度でした。これが最後でも全く構わない。納得の終わり方。

第8回がどうやって終わるかというと、主人公の唯ちゃんが現代に帰っていくのです。タイムマシンがそれを最後にもう使えず、二度と戦国時代に戻れないというのを知らずに…。またすぐ若君と会えると思いこんでいるもので、かなり能天気な唯ちゃんに対し、永遠の別れを覚悟して、それを隠している若君の表情がせつない。

でもさ、まあそうなるよね、と。

若君様は、一度は現代を経験してしまった。そこでご両親や弟や、平和な世の中を見た後で、唯を戦国時代に留め置くっていう選択肢はないわね。

無邪気な唯と、精神的に大人な(さすが家督を継ぐ男子)忠清さまとの差が、せつない。唯には本当のことを言わず、ぐっとこらえて、送り出す姿がかっこよかったです。まさにイケメン。

私が中でも好きだったのは、若君がひとりで馬に乗って帰るときの哀愁かな。ついさっきまでの、唯のまぼろしを見るんだよね。流れる音楽も静かで、なにも特別なものじゃない、特別な夜じゃないって感じでさ。

出会うはずのない二人が出会って、またふっと、離れただけのことっていう。どこにでもあるような、世の無常を思わせるような、だからこそ胸に迫るものがあります。

第8回が最終回でもいいと私が思ったのは、若君が全力を尽くしたのがよくわかったから。やり残した後悔がないからこその、すっきり感があったのです。万感の思いでちゃんと唯にお礼も言ったしね。

悲しいし寂しいけど、でもどうしようもないもの。人それぞれ、背負った運命は違うから。もしあのまま唯と別れて二度と会えなかったとしても、若君はしっかり生きていっただろうなと思う。唯を生涯忘れないで、胸に秘めたまま阿湖姫と結婚し、高山と戦い。羽木家の嫡男として、まっすぐに生きただろうなと思うのです。

唯はどうだろう。あのままもし戦国に帰れなかったら。案外時間が経てば、記憶が薄らいで、若君のいない人生をそれなりに堪能したような気がする(^^; だってドラマの唯にはあんまり、若君への情熱を感じなかったからなあ。コメディだからそういう演出だったのかもしれないけども。

ああ、でも欲を言えば。もう少し、若君を好きな、それが画面からダダ漏れな唯であってほしかった。コメディ要素もいいけど、もっともっとせつないドラマにしてほしかったなあ。

と、第8回が大好きな私ですが、最終回もなかなかよかったです。最後の若君の笑顔がたまりません。ああ、こういうふうに笑えてよかったねえと、しみじみ思いました。こんなふうに笑える相手に出会えたなんて、若君様しあわせ者だよ(^^) 唯ちゃんを大事にするんだよ~と、声をかけたくなりました。

そうそう、他にもうひとつ好きな場面があります。唯の顔に鉄砲の弾傷があるのをみつけて、若君様がとても心配そうにするシーンです。もう、若君の心中が画面にあふれてきて、見ている私もいたたまれない気持ちになり。

そりゃ、自分のせいで好きな女子の顔面に怪我を負わせたら申し訳なくて罪悪感に苛まれるよなあ。痛かっただろうと思うし、傷が残らないかと心配だし。なにより、弾があと少し逸れていたら唯の命はなかった。そのことを思うと、もうたまらない気持ちになるよね。

そのとき、いつもは天然であまり察しのよくない唯が、そのときだけは、若君の心中を敏感に読み取って、嘘をつくのね。傷は、山の木の枝のせいだと。鉄砲の玉ではないと言外に、若君を思いやる。あー、こういうお互いの思いやりっていいなあ(^^) 見ててにんまりしてしまう。若君すっかり御見通しなところもイイ。

このドラマ、どうしてこんなに若君が魅力的なのかな、と思ったのですが、理由のひとつには、表情をあまり出さないということもあるのかなと。無表情っていうのも変ですが、若君は人の話を聞いてぱっと顔色を変えたり、そういう反応がないのね。むやみに心中を悟らせない教育を受けてきたのか、確かに、上に立つ人はどしっと、動じない方がいいんだろうし。そして、寡黙。普通のドラマだったら、相手の言葉にすぐ反応して言葉を返すのに、若君はもどかしいくらい黙ってて、どうしてもという厳選された言葉を口にしてる感じがする。そういうところが、若君の魅力になっていると思います。

若君は殺陣も所作も言葉遣いも美しかったです。時代衣装も似合って。そして若い。若いのに老成してる部分もあって、それは、そうしなければ生き抜けない戦国の世の厳しさをうかがわせて、痛ましくもあり、また、頼もしくもあり。

演じた健太郎さんは当時二十歳ということで、大正解だったと思います。もっと年齢が上なら、全然違う若君だったはず。ドンピシャの配役だと思いました。キャスティングした人すごいなあ。

ドラマ『昼顔』でデビューしたとのことで、ああそういえばあの高校生役か、と。でもあの人を、この若君役に、とは私だったら全然思いつかない。こんなに化けると思わない(^^;

ドラマ『今日から俺は』も何回か見ましたが、若君の片鱗がかけらも残っていないことには驚きました。まさに若君を「演じて」いたのだなあと。健太郎さん自身は、決して若君じゃない(当たり前だけどね)、ということをつくづく思うのでした。

逆に、何を演じてもその人が出る、というタイプの役者さんもいますね。どちらが優れてるとかではなく、それは役者さんのタイプなのだと思います。

たとえば、今回のドラマで言えば、加藤諒さん(宗熊)とか、村田雄浩さん(宗鶴)とか、ともさかりえさん(吉乃)とか、田中美里さん(久)などは、私にとっては、何を演じてもその人の個性が色濃く出る役者さん、に見えます。

宗熊ではなく、加藤諒さん、に見えてしまうのです。今回の宗熊役はよかった~。加藤さんが宗熊じゃなかったら、唯と宗熊のシーンがものすごくつまらないものになっていたはず。加藤さんの個性が、宗熊というキャラを見事に作り上げていました。もはや、宗熊が加藤諒さんなのか、加藤諒さんが宗熊なのか、切り離せない。

村田雄浩さんは、私にとってはドラマ『雪の蛍』の元彦さんで。渡鬼でもなんでも、元彦さんに見えるし、今回もやっぱり「あ、雪の蛍の板前さんだ」と思って見ていました。それだけ強烈な個性なのです。ともさかさんも、私は吉乃ではなく、ともさかさんだ~という目で見ていました。

あまりにも個性がある役者さんは、役よりもその人そのものが出てしまう、というところがあると思います。それが役にはまればOKなのですよね。

あとひとり、いいなと思ったのが、はんにゃの金田哲さん。若君と剣の稽古をするシーンが凄かったです。上手い! これは剣道経験者だからですよね。背筋をぴんと伸ばした姿勢から繰り出される無駄のない動き。若君を圧倒してました。これは指南役だわ~、若君敵わないわ~。

芸人のはんにゃ、でなくて。まさにそこにいたのは、天野家の嫡男。ドラマの中で光ってました。

全体的に、このドラマは映像として、綺麗だったな~。光が印象的に使われていました。朝の光、昼の光、夕暮れの光、月の光、ろうそくの光。それぞれに照らされる唯と若君様の表情、そのひとつひとつが美しかったです。

実は続編の放送を楽しみに待つ反面、自分の中に、もう見なくてもいいか、という気持ちも少しだけ生まれてきています。それは、本編がとても美しく終わっているから。唯や若君のその後を知りたいような、知りたくないような。続編が、あの美しい世界を壊してしまうものなら、見たくはないのです。それくらい完成された、良い終わり方でした。

ドラマ『アシガール』感想 その1

去年NHKで放送されたドラマ『アシガール』。今年のクリスマスイブに続編スペシャルが放送されるということなので、今から楽しみにしている。

とはいえ、私は本放送のときは、見てなかったのよね(^^; 理由は単純に、当時ときどき見かけた予告編がつまらなかったから、それに尽きます。ラブコメ、それも、どうみても子供向けというテイストが、視聴意欲を削ぎました。

あれもったいなかったな~と思います。もう少し予告映像工夫したら、若者だけでなく、もっと大人の年齢層も取り込めたのに。

タイムマシンもの、ということで。設定からしてそりゃあ、あり得ないことのオンパレードなのですが。でもこのドラマの良さは、人物設定がよく作りこんであることと、衣装や言葉遣い、所作の美しさ、そして清忠役と成之役にあると思っています。薄っぺらくないのです。静かに、深い。

以下、思いつくままに語っていきたいと思いますが、ミスキャストだと思う部分についても遠慮なく書くつもりです。ドラマの全部を褒めるわけではなく、熱心なファンの方は気分を害する可能性もあるので、その点ご注意ください。また、ネタバレも含んでおります、お気を付けください。

なによりも、私がこのドラマを好きなのは、伊藤健太郎さん演じる若君、忠清がかっこいいからです(^^) 外面ももちろんですが、内面も素晴らしい。

ただ原作漫画もちらっと読みましたが、原作の若君のイメージとはちょっと違いますよね~。漫画だと、クールな感じの美青年。ドラマ版だとクールという感じでもなくて。私はドラマの方が好きですけど。

ドラマ放映当初は若君のキャスティングについて賛否両論あったみたいですが、無理もありません。漫画のイメージ通りのキャスティングかというと、それは違う。ドラマと漫画は全くの別物、と考えたほうがいいような気がします。設定がほぼ同じというだけで。

私は漫画のファンではなく、ドラマのファンなので、健太郎さんをべた褒めします。うん、素晴らしい。この人が演じていなかったら、私はこのドラマ、こんなに語ることはなかったと思う。

若君様の何が魅力的って、おひさまみたいなところです。まっすぐに、素直に、すくすくと育った人の良さがある。大切に育てられたっていうのがわかる。そして、その恵まれた育ちや容姿を鼻にかけるところがなく、家督を継ぐものとして、私心よりも公を優先しようとする責任感がある。

じいの自慢の若君というのがよくわかります。そりゃ、こんないい子に育ったら、じいやも鼻が高いはず。

このドラマには、もう一人大事な登場人物がいて。それが、忠清の腹違いの兄、成之。演じているのは松下勇也さんなのですが、これまたぴったりなのです。何にもいわないでそこにいるだけで、陰鬱なんだもの(^^; じとーって漂ってくるなんともいえない怨念。

健太郎さんと松下さんをキャスティングした人、このドラマの成功の立役者なのでは? 他がどんなによくても、この二人の役を別の人がやっていたら、こんなに魅力的な作品になったとは思えない。

兄、成之がいるからこそ、忠清という人物が引き立ったのだと思います。兄弟での確執、そこからの和解、二人の成長。二人がとても対照的で、そこが面白い。

若君は剣術も得意で、馬も楽々乗りこなし、戦での度胸もあり、たくさんの家臣に囲まれている。

その一方、先に生まれたはずの兄は、母親の身分のせいで、まるで存在しないかのような扱い。ひっそりと、目立たぬように母と二人、生きてきた。生け花が好きで、物腰も武家というより公家。

兄上さんの目に、忠清はどう映ったか、想像に難くないです。まぶしかったと思う。自分がないもの、すべて持っているように思えただろうし。そして、成之の場合、母親が抱いていた恨みの念も自分が背負ってしまって、合計二人分の復讐心を抱えていたような。けっこう息詰まる生活ですよね。母親が背負わせてしまった負の重さ、あると思うのです。二人きりの生活で、息子は母の恨みつらみを否定できないから。

『ガラスの仮面』の二人の王女を思いだしてしまった。同じこと連想した人、いると思う(^^)

でも兄上さん、基本、いい人なんだよなあ。主人公である足軽の唯を、酩酊させて部屋へ連れ込んだときも。若君が来るのを知って、若君に嫉妬させるべく抱き寄せるんだけど、その抱き寄せ方が優しいのだ。そーっと、宝物を扱うみたいに、遠慮しつつ、という感じで。

酷い人だったら、もっと酷い状態の唯を、若君に見せたと思う。若君を激高させ、恨みを晴らすために。あんなふうに、成之は宝物をそーっと抱くみたいな姿だったからこそ、若君はあんなもん(怒り)で済んだけど。

それと、兄弟で初めて本音で喧嘩し、剣を交えたときも。結局唯の行方をしゃべっちゃってるからね。悪い人なら黙って知らないふりをつづけたでしょう。若君の唯への気持ちをよくわかっているから、つい口をついてしまったのだと思うし、そうしてしまった根底には、どこかで弟を思いやる気持ちがあったのでしょう。

成之がいたからこそ、若君さまがより凛々しく、輝いてみえました。忠清が後半、どんどん魅力を増していったのは、成之あればこそです。

しかしそんな成之が、最終的に恋した相手は、阿湖姫。私はええーー!! とずっこけました。阿湖姫が、私の目にはあまり魅力的に映らなかったから。私からすると、彼女の女性としての魅力度は、歌詠みで若君を辟易させた、あの、ふきさんと同じレベルなのです。なんで兄上さま、阿湖姫なんだろ??

阿湖姫役は、川栄李奈さん。可愛いんだけど、姫というイメージはあまりなかったような気がします。どちらかというと、村娘という感じで。唯役の黒島結菜さんの方が、阿湖姫役は合っていたかなあと。姫姿の黒島さんはとても綺麗だったから。阿湖姫は、可愛いというより、綺麗が似合う役だと思いました。そうでないと、唯と対照的でなくなる。

ここで告白してしまいますが、私は黒島結菜さん、唯役というのはちょっとイメージ違うかなと思っているのです…。ファンから怒られてしまいそうですが、あくまで個人的な意見なのでご容赦を(^^;

走る姿があんまり速そうに見えないのと、唯にしては綺麗すぎるんですよね。足軽の扮装してても、小僧というより少女に見える。

唯が足軽のとき、足軽に見えないというのは決定的で。うーむ。これが、ほんとに男の子にしか見えない感じだったら、女性の着物を着て、「ふく」として若君様と語らうシーンも、もっとずっと活きてくると思うんですよ。そのギャップが。

でも、唯は普段から、普通にきれいな女の子に見えたから。きれいな女の子が、きれいな着物に着替えました、というのを見せられても、感動があんまりなかった。

あと何よりも、黒島さん演じる唯から、若君様への熱量を感じなかったのが、とてもとても残念でした。いやー、唯が唯である一番の証明って、若君様への熱い思いじゃないのかと。それがない唯は、唯じゃない(^^;

一目で若君に魅せられて、あとはただただ突っ走って、己の命すら差し出して守り抜く。それが唯という人物像なら。その原動力になるのは、若君に対する圧倒的な恋心。汲んでも尽きぬ、膨大なエネルギーでもって、唯は若君を追いかけたと思うのですよ。だけど、画面に映る唯は、冷めていたように思えました。

抑えても抑えきれない気持ち。気が付いたら目で追っている。そばにいるだけで、幸福感に満たされる、自然と笑顔になる、言葉でなくても全身から気持ちがあふれ出す…そういうのを一切、感じなかったんですよね、ドラマの唯からは。

単純に、惜しいと思いました。これ、もっと「好き好き光線」絶賛放射中の、無条件に若君様を愛し続ける唯なら、さらに面白かっただろうなあと。それで、演じる役者さんは美形じゃない方がいいなあ。

そうすると、阿湖姫との対比が際立つからね。才色兼備で性格もいい阿湖姫を見て唯が、「若君様が阿湖姫様を選ばれるのは当然、誰が見てもお似合い」と思い、苦しみながら身を引こう、あくまで足軽の立ち位置のままでいようとする過程に、説得力が生まれるでしょう。

実のところ、あまり若君様を好きでない唯、に見えてしまいました。

次回は、私の好きなシーンについて語りたいと思います。

コメントについてのお知らせ

当ブログは、2018年8月に、契約しているレンタルサーバーを通じてJASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)から、複数の記事の削除を求められました。記事の中に歌詞が含まれていたからです。そのため、指摘された21個の記事(ドラマカテゴリーのものも有)はすべて記事ごと削除し、また今回指摘を受けなかった記事も、音楽カテゴリーに関してはすべてチェックし、少しでも歌詞が載っているものは歌詞部分を全部消去しました。

削除した記事にコメントを下さった皆様、本当に申し訳ありませんでした。コメントだけを残すということができなかったため、記事と同時にコメントも削除する形になってしまいました。<m(__)m>

経緯については、著作権を考えるその1著作権を考える その2 をお読みください。

大坂なおみさんとMr. Murasaki guy

全米オープンテニスで大阪なおみ選手が優勝したのだが、その優勝セレモニーが物議を醸していた。さっそくそのときの映像を見てみると、これが予想以上にひどかった。せっかく優勝したのに、あのブーイングはないでしょう(;;)

いたたまれず、サンバイザーのつばを下げて涙をみせないようにして泣いている姿がかわいそうで。

でも、その後がもっとひどい。なんと、全米テニス協会会長がスピーチでセリーナに向かって「これは皆が求めていた結果ではない」だの、「セリーナはチャンピオンの中のチャンピオン」とか言い放ったのだ。

It’s not the finish everyone looking for today

You are a champion of the all champions

英語の聞き取りは得意じゃないけど、でも上記のようなことを言っていたと思う。

 

これは泣くよ。「セリーナこそチャンピオンだ!」という意味であろう観客からのブーイングで涙を流した大阪選手に、とどめの一撃だと思った。だって、会長も暗に、「みんな本当はセリーナに勝ってほしかったんだけどね。試合は負けたかもしれないけど、真のチャンピオンはセリーナよ」と解釈できるような宣言をしたんだから。

そのときの二人の表情が対照的。

セリーナは満足そう。なおみは悲しそう。

司会の男の人、気のせいかなおみに同情するような感じに見えたな。公平でなきゃいけないから、そこは気を付けていただろうけど。でもなおみに対して話しかけるとき、とても目が優しかった。気持ちわかる~。観客や会長からのあの仕打ちを目の前にしたら、なおみを心配せずにはいられなかっただろう。

でもなおみのスピーチは完璧だった。観客に謝ったけど、それは卑屈なものではなく。彼女の気持ちは、セリーナにも、応援した観客にも、十分伝わったと思う。その時点でみんな、ブーイングの愚かしさに気付いたはず。

涙をこらえながら、皮肉になるわけでも、理不尽さに憤るわけでもなく、ただ観客に感謝し、最後にセリーナへの感謝を述べたなおみ。セリーナも、セレモニー最初の方では複雑な思いもあったかもしれないけど、なおみの終始一貫した謙虚な態度に、それ以上エキサイトすることはなかった。気持ちも鎮まったみたい。

あのブーイングを受けていた時。大観衆の、天から降ってくるようなブーイングの中。なおみにとっては、まるで世界中が敵みたいに思えただろうけど。そのことに焦ることも、怒ることもなかったのは立派だったな。周りに流されず、周囲への敬意を忘れないこと。そうすれば、いずれみんな、わかるときがくる。

今回のことはばっちり映像に残ってしまったので。セリーナにとっては恥ずかしい過去になってしまった。試合中の審判への侮辱を見てると、この人は子供なんだなあって思う。負けたくない。負けたくないから駄々をこねる。

私はすっかり、大阪なおみ選手が好きになってしまった。用意されたのではない本音のスピーチがあれとは、なんていい子なんだ(^^)

その後日本へ来たなおみに、さっそく記者会見の場が設けられたのだが、これがまた面白かった!

大事にしている日本語や好きな言葉を聞かれて、答えがなんと「紫」で、その理由がGlass maskであり、Mr.Murasaki guy だと言うのです。通訳さんは「ガラスの仮面」はきちんと訳せたのに、Mr. Murasaki guyを「紫さん」と言いきったのが面白かった。

それ、明らかに速水さんのことだ~(^^) 正しくは「紫の薔薇の人」ですね。でも、なおみは rose って言葉はどこにも使ってなかったし、英語だとMr.Murasakiなのね。そして少女漫画に疎い通訳さんとしては、そう訳すしかなかったのか。微笑ましいです。「紫さん」である速水さんを思うと、笑えてきます。確かに、間違ってはいない。「紫さん」だもんなあ。

会場にいる記者の人も男性が多いせいなのか、「紫さん」にあまり反応していないのが印象的でした。これ、「ガラスの仮面」を知っている人が多い場だったら、なおみの回答で会場が一気に盛り上がったような気がします。

なおみ選手の、今後の活躍が楽しみです。

著作権を考える その2

前回のブログの続きです。読んでいない方は、まずはこちらをお読みください→『著作権を考える その1』

 

著作権は大事です。保護されるべきものだと思っています。ただ、好きな曲の感想を書くのに、歌詞の転載一切まかりならず、という現状は、ちょっと違うんじゃないかな~と、今回、自分がレンタルサーバーのアカウント停止になったケースで、そう思いました。

熱く語った気持ちが、今はすっかり冷めました(^^;

語った歌詞自体に対する「好き」という気持ちが、もうなくなってしまっています。感想を批評としてみてくれないなら、もういいや、っていう。そうまでして語るべき作品でもないか、と。

じゃあ、そういうお前はどうなんだよ、という話ですが。私は作詞した作品を発表したことはないので、ブログの文章に関する著作権についての思いになってしまいますが、自分の文章に関してはこんな風に考えています。

例えば、私が書いた文章を、別の人が書いたようにして記載されるのは嫌です。それと、ただまるごと、感想も批評もなしで、転載されるのも嫌だなあ。

逆を言えば、私が書いた文章であるということを明示して、その文章に対しての感想(批評)を書いてくれるのであれば、全然問題ありません。むしろ、うれしいかも。おお、そういう意見もあるのね~とか、そういう風に捉えたかあ、とか。あんまり罵倒されたらへこみますが(^^; でも、感想はやっぱり、単純に嬉しい。それと、感想を書くのは自由だと、そう思ってます。そもそも、絶対に、誰にも感想を書かれたくなかったら、ネット上に出さなければいいだけの話だと思っています。

JASRACに関しては、今回本当に驚きました。著作権保護は大事な仕事ですが、その範囲が、ちょっと行き過ぎているように感じます。歌詞に関してだけ、強烈な保護があり、感想を書けない、という現状。

人それぞれ感じ方はあると思いますが、私は、JASRACのいう『該当記事に歌詞の記載があることを理由とした、「送信防止措置依頼」』に、強い疑問を感じました。もちろん、何文字以上載せたら自動的にアウト、というような単純な条件が設けられないのはわかっています。でも、グレーゾーンであるがゆえに、JASRACがそう判断したらそうなのだ、という裁定の仕方は、一方的な意見の押しつけになってしまう危険性と、隣り合わせです。

 

私は今日、ブログの音楽カテゴリーの記事をすべて見直し、自主的に引用歌詞部分を削除しました。JASRACの指摘を受けていない記事です。

JASRACから指摘を受けた21個の記事については、歌詞部分を削除して掲載、ではなく、このまま記事をまるごと非表示とすることにしました。JASRACから直接言われたわけではありませんが、JASRACから「送信防止措置依頼」を受け、アカウントを停止する措置にふみきったレンタルサーバーからの指示は、「該当記事を非表示にすること」のみでした。他の選択肢はありません。修正してみてもらう、ということは駄目ということですね。もう、あの21個の記事については、諦めるしかありません。該当記事にコメントをつけて下さった方、申し訳ありませんでした。

今書いていて思いましたが、今後は音楽の歌詞に限らず、小説の感想を書く時の文章の一部引用なども、やめた方がいいのかもしれないですね。結局、言われてアカウント停止になったら、書いた記事をまるごと非表示にせざるをえない。そこに交渉の余地がないことは、今回の件で思い知りました。

今のところ、歌詞についてのみJASRACからの指摘を受けたのですが、今後、小説やドラマのセリフなど、そういうところからクレームが入ったらと思うと、恐ろしいです。時間をかけて書いた記事も、すべて非表示にするしかなくなってしまう。その危険性があるなら、最初から書かない方がいい。

なんだかなあ。もっと言葉は自由なもののような気がするけれど。私がこういう表現したんだから、絶対使っちゃダメ、とか、そういうものでもなく。

まるごとパクる、なんてのは論外ですが(^^; そうでなければ、素晴らしい表現について感嘆したり、熱く語ったり、ということで、広がっていく世界もあると思うのです。

言葉は、誰かのもの、独占されるべきもの、ではないと思っています。