ミニトマトの千果(ちか)とまゆか

ミニトマトの「千果(ちか)」と「まゆか」の苗を、ひとつずつ植えました。実がなったら、食べ比べるのが楽しみ(^^) 農薬と化学肥料を使わずに、自然栽培で育てます。

それにしても、トマトなのに人間の女の子みたいな名前。可愛く身近に感じることで、購買意欲がそそられて、販売元がウハウハという戦略なのか?

自分で作る野菜は、スーパーで買うのとは全く違う新鮮さがあり、おいしさも抜群です。今の季節なら、スナップエンドウ。採ったのをすぐ茹でて、そのまま食べる。マヨネーズもドレッシングもいらない。塩味すらいらない。ほんのりした甘みとシャキシャキした歯ごたえ。

このところ毎日のように食べてます。スナップエンドウ。大好きだ(^^)

雑草とバトル

暖かいのは嬉しい。暖かいのは嬉しいよ。でも雑草の勢いがすごすぎ(^^;

暖かくて雨が降ったら、そりゃ伸びるよね。育ててるイチジクとかポポーが成長するのはうれしいけど、雑草はちょっと遠慮してくれないかなあ・・・無理か。

ひとまず、あまり雑草の背を伸ばさないように、コツコツやっていきます。

生の葉でお茶を淹れる

このところ暖かい日が続いている。陽射しがまぶしいなあと思いながら庭に出たら、お茶の木に新芽がたくさん出ていた。

さっそく摘んで、何の加工もせずに、そのまま熱湯を注いでみる。しばらく置いた後、湯のみに注いだ。

なんともいえない旨みがある、不思議なお茶だった。去年はフライパンで葉を煎ったり、手で揉んだりしたのを飲んだけど、それとはまた違った味。生の葉独特の味なんだろう。飲むと元気が出るようなお茶だ。

日持ちはしないので、摘んだらその日のうちに使わないといけないのが難点だけど、摘んでさっと水洗いするだけ、という手軽さは魅力的。

これからの季節、生葉のお茶を存分に、楽しもうと思う。

『かぼちゃの馬車』破綻に思う

ベッキーをCMに使った時点で、冷めた目で見ていた会社ですが。

(他に好感度高いタレントさんがたくさんいるのに、一番好感度が求められる宣伝にベッキーを使うセンスが終わってる)

破綻と聞いても、そうだろうなあとしか思えません。

シェアハウス、というとかっこよく聞こえるけど。間取りを見たら、部屋が狭すぎる。

部屋の広さは、5畳に満たないところが多いですね。そして、トイレ、洗面所、お風呂が、5つの部屋に対して1つくらいの割合だったり。

かぼちゃの馬車は女性用シェアハウスだそうですが、女性の場合、トイレ、洗面所、お風呂が共用でその割合というのは、かなり苦しいです。もし会社の寮などで、お風呂の順番や使用時間などが細かくしっかり決められていれば、まだいいかもしれませんが、赤の他人同士の共同生活で1つのお風呂を使うとなると、不満が高まるような気がします。

お互い常識のある人同士なら、ルールなどなくても譲り合えますが。もし一人でも勝手な人がいたら。

長時間の占有で、他の人の迷惑お構いなし、なんてことも。その場合、管理人が住み込みで注意してくれるわけではないので、結局はおとなしい人が我慢することになるのでしょう。

いくら家賃が安くても、安心して生活できない家では、誰だって暮らしたくないですよね。

ちなみに私も、いくら安くてもこの物件は選ばないです。私はこれまで何度も引越を経験して、たくさんの賃貸住宅に住んできましたが、衣食住の中で一番お金をかけるべきと思うのが、「住」です。ちなみに「食」も同じように大切ですが、これは外食を減らして自炊することで、良質な食材でもトータルで安くできますね。

「住」に関しては、ある程度お金をかけるべきだと思ってます。洋服や化粧品、その他の雑費をいくら節約してもいいので、「住」に相場プラスアルファを払うと、快適な暮らしができます。「住」は、生活の基礎中の基礎ですから。

シェアハウス的な感じのアパートでも、まだ、大家さんがしっかり管理して、指導してくれるところならいいと思うんですよ。そこには規律があるから。

でも、まったくの赤の他人同士で、管理なしで住む、というのはリスクが大きすぎる。

賃貸住宅は、自分が住みたいと思うような物件じゃなかったら、建てちゃだめだと思う。それに尽きます。

知覧特攻平和会館と鹿屋航空基地資料館に行く

毎日ブログを書くと宣言していたのに、中断していてすみません。

6泊7日の長い旅行から帰ってきました。旅行中、一番心に残ったのが、知覧特高平和会館と、鹿屋航空基地資料館です。旅行についてはまた後日、ブログに少しずつ綴っていこうと思いますが、まずはこの2つの施設を見学した感想を書きます。

どちらも、行ってよかったと思う資料館でした。今の日本があるのは、こうして命がけで日本を守ってくれた人たちのおかげであるということを、あらためて胸に刻みました。

最初に、知覧特攻平和会館の方へ行きました。前日は、鹿児島駅近くのホテルに泊まったのですが、そこから車で1時間くらいです。

もう、入口から、泣いてしまいました。そこには、傷つき亡くなった特攻兵士を、天に導く6人の天女の絵が、飾ってあったのです。

今も思い出すと涙が出ます。現実にも、痛ましい死に、そうした救いがあったことを祈ります。

館内をじっくり見て回ると1日は十分かかります。特攻隊員ひとりひとりに、人生がありました。遺書に残された、彼らの思い。

生まれたときには、どんなにご両親が喜んだでしょう。慈しんで育てたでしょう。そして、戦死の報を聞いたときには、どれほどの衝撃だったでしょうか。

特攻隊員の集合写真。笑顔がありました。その笑顔は、とても静かでした。自分たちの命が、国やふるさと、大事な人達を守るのだ、と。そんな笑顔だったように思います。

館内では、特攻隊員の身の回りの世話(洗濯や繕い物など)をした、女学校の生徒さんのインタビュー映像も流されていました。

もうすぐ亡くなることがわかっている特攻隊員に対して、当時はどういう感情を持ちましたか、かわいそうと思いましたか、とインタビュアーが尋ねると、今はもう、高齢者となったその方は、こんなことを語ってらっしゃいました。

ここ(知覧基地)は戦場だと思っていましたから。(中略) 私たちも、アメリカ軍が上陸すれば同じように、命がなくなるわけですから…

言葉は多少違うかもしれませんが、意味合いとしては、上記のような内容のことをおっしゃっていました。

確かに。かわいそう、という感情などは、後世の私たちが思うのとは、違っていたのだろうと思います。終戦間近。戦局の激化。激しい空爆。

知覧の地に、確実にせまりつつある敵軍の気配。出撃する特攻隊員たちだけが死の淵にいたのではなく、そこにいた女学生もまた、いつ戦闘でなくなるか、それは誰にもわからない。死が、色濃く漂っていた時だったのでしょう。

そんな中で、愛する国を、人を、守りたいという真剣な思いで、特攻し亡くなっていった方たち。その方たちの思いを、裏切るようなことは決してしてはいけない。受け継いだものを、大事に次の世代へ、よりよい国にして未来の子供たちにつなげていきたい。私は、日本人として彼らを誇りに思います。

特攻隊員はもちろんですが、その他にも、日本のためにがんばってきた方たち、日本のために命を捧げてくれた方たち、過去の多くの日本人の思いがあっての、今の日本の繁栄があるんだと。そのことをあらためて感じました。

昔、地図で日本を見たとき、あんまり小さくて、その国が世界を相手に戦った、ということがピンと来なかったのですよね。なぜ、ここまで強かったんだろうと。でもその答えが、この知覧特攻平和会館にありました。

遺書を読んでいて、思ったのです。ひとりひとり、特別なのではなく、これが日本人なんだなあと。いざというとき。

こうした遺書を書く人に、外国は勝てないと思う。日本は戦争に負けたかもしれないけれど、でも、同時に勝ったんだ、と感じました。彼らの心は、現代の私たちに、しっかりと受け継がれている。そして、彼らの気持ちを、私たちはずっと覚えている。時代が変わり、次の世代、また次の世代になっても。ずっと。

知覧特攻平和会館を見学した後、そこから車で10分のホタル館へ行きました。ホタル館の南西50メートルくらいのところに市の無料駐車場があり、そこへ車をとめました。

ここは、軍の指定食堂だった富屋食堂を、当時の場所に再現した資料館になります。富屋食堂を経営していた鳥濱トメさんは、若い特攻隊員たちにとって、お母さんのような存在だったそうです。

トメさん、そしてトメさん家族と、特攻隊員との交流の記録が残されていました。古い建物の中にいると、少しだけタイムスリップしたような、当時の空気に触れられたような、そんな感覚に陥ります。当時、トメさんのような温かい人がいてくださって、本当によかったです。

その後、私は車で1時間走ってフェリー乗り場へ。桜島に渡り、その日は桜島で一泊。知覧特攻平和会館とホタル館は内容が濃いので、しっかり見学すると、一日では足りないくらいです。

翌朝、桜島のホテルを出発し、鹿屋航空基地史料館へ。ホテルからは1時間くらいの距離でした。

鹿屋航空基地史料館にも特攻隊員の資料が展示してあります。そして、他にも真珠湾攻撃の詳しい解説などがあり、とても勉強になりました。

零式艦上戦闘機(ゼロセン)について特集した映像は、見応えがあります。30分弱のビデオでした。

当時の技術者たちの奮闘がどれほどのものだったのか。技術がなければ軍事力にはつながらない。ゼロセンを開発する方も、操縦する方も、作戦を指揮する方も。本当に大変な時代を、それぞれの立ち位置で一生懸命にがんばったのだと思います。厳しい時代の中、日本という国の存続の危機に際し、子孫にバトンをつなげてくれた先人の方々がいらっしゃった。感謝の気持ちでいっぱいです。