運転免許はもっと厳格な条件をつけるべき

雨の中、投票に行ってきました。私ひとりなら歩いていくのですが、高齢な母がいるので車で行ってきました。

ところが、投票所敷地内の駐車場が大渋滞です。どこかのおじいさんが運転する乗用車が、駐車場を出ようとする車をふさいで動かなかったので(^^;

もともと狭い敷地なので、おじいさんがとまっている場所で二台すれ違うのは無理です。ただ、おじいさんの車が少し先に進めば、ロータリーのようになっていて、ぐるっと回って駐車場には入れるのです。出る車、入る車、そのロータリー状のスペースを使えばいいのですが、おじいさんには最短の道しか目に入っていないらしく。

出ようとする私の車の前に立ちふさがって、指で、下がれ下がれと合図します。もしくは、下がれと言ったのではなく、自分はそちらに行きたいのだと言いたかったのかもしれませんが。

そうはいっても、私の車が下がったところで駐車場自体狭く、おじいさんが駐車するのに私の車が邪魔になってしまう。しかも、私の後ろには、同じく駐車場を出ようとする他の車が続いていて、私が下がるのは無理。どう考えても、おじいさんがロータリーをぐるっと回るのが最良です。

出る車が出なければ、駐車場は空きません。でもおじいさんは、どうしてもこの道を行きたいのだといって、出ようとする私の車をふさぐ。困りました。

仕方なく、私も手で、「ぐるっと回ればいけますよ」という合図をしました。するとそれが通じたのかどうか、おじいさんは先に進んでくれました。私もほっとしてやっと駐車場を出ることができたのですが、おじいさんが立ちふさがっていたため敷地内に渋滞が発生。その先のぎりぎりすれ違えるだけの幅の道を、ずらりと並んだ対向車にかなり気を遣いながら、運転することになってしまいました。空いてれば、対向車はないか、あっても一台くらいで、そんなに大変な道ではないのですが。

後から考えました。あれ、おじいさんが自分で気付いて先に行ってくれたからよかったけど、もしあのまま止まってたら、私が車を降りて説明にいかなきゃいけなかったんだろうなあ。大雨の中。

ロータリーといっても大きなものでなく、ほんの4メートル先にいけばすむ話なのに、おじいさんにはわからなかったんでしょう。助手席に座っているのもおばあさんだったので、同じく状況判断ができなかったと思われます。

こんなに状況判断能力が低下しているのに、まだ車を運転しているのはだめだと思いました。車は高速で走っているとき、一瞬の判断で切り抜けなければならないことが多いのに、これでは事故につながってしまう。ゆっくり考えても他車の妨害をするのに、瞬間の判断が正しくできるわけがない。

たまたま今朝、私が遭遇した一台の車ですが。全国で同じことが起こっているんだと思います。高齢者の運転は、もう一律年齢制限をかける時期にきているのではないだろうか。少し甘く見ても、80歳を越えたら免許を失効してもいいと思う。そうでないと、自分では気づかないまま危ない運転を続ける人が続出でしょう。一定の年齢を超えると、運転をやめる、という判断ですら、つかなくなってしまうのだと思う。

そもそも、運転免許自体、とても甘い取得条件ですね。高齢者に限らず、もっともっと基準を厳しくしていいのではないかと。たとえば、近頃話題になった高速道路のあおり運転、これは一度でも発覚したらもう一生免許とれないようにしないと。こういう運転をする性格は直らないから。一般道でも高速道でも、監視カメラをつけて、危険運転を徹底的に取り締まってほしいです。

よく、監視カメラをつけると個人情報が~と反対する人がいますが、きちんと運転してれば何も怖くないどころか、メリットしかありません。いつどこにいたのか、知られて困ることは別にないし。

何百キロの鉄の塊を高速で走らせるんだから、車は凶器。その自覚がない人に、運転する資格はないです。

運転免許の取得・更新を厳格にすること。喫緊の課題じゃないのかなあ。一度でも重大事故を起こした人は、二度ととれないようにするのは当たり前で。起こすには起こすだけの下地があったと思う。

そういえば高速で煽り運転のあげく相手を無理やり降車させて、そこに後続のトラックが突っ込んだ事故がありましたが。あれ、事故じゃなくて殺人ですね。それが殺人として裁けないなら、法律の方がおかしいし、新たに作らなきゃならない。

ちなみに私は、殺人事件の被害者が一人だと、原則、死刑が出ない状況はおかしいと思っています。一人の命が失われたら、むしろ原則は死刑ではないの?と。そこに、情状酌量やいろんなものが入ってきて、最終的な判断が下されるわけで。

車の事故は、不可抗力なケースももちろんありますが、事故を誘発する危険性をわかっていながら運転を続けたなら、その責任は非常に大きいと思います。

もっともっと、運転免許の取得と更新は厳格化してほしいです。

真夜中の非通知電話の主

先日、久しぶりに会う友人と、とあるレストランへ出かけた。お店を決めたのは私だったのだが、実はそこのオーナーシェフに会ってみたい、というのが理由だったりした(^^; 料理目当て、とかではなく、単純に見たかったんだよね、その人を。

その人は、昔私が短期のバイトをしたお店の社員さんで。その後、独立して自分のお店を持ったのだ。とても素敵な人で、私にとっては憧れの人で、尊敬してて。

その後もずっと、何かと思い出すくらい、私の中でインパクトを残した人だった。最初は行方を知らなかったけど、たまたまネットでお店のHPを見て、驚愕した。その人の写真があった。それからずっと行ってみたいな~と思っていて。ただ、実際に行く勇気がなかなか持てなかった。

友人との会話も楽しかったけど、お店で私はずっと、どこかで緊張していた。本当にあの人なのかなあという不安のような、期待のような。

ちなみに予約を入れずに行ったため、最初にお店に入ったときには満席で、店員さんに名前と電話番号を聞かれた。席が空いたら、電話してくれるという。一瞬迷ったけど、私の名前と電話番号を告げた。

まあ別に、私の名前を告げたところで店員さんとシェフは別人だし、シェフが私の名前を知ることはないんだけど。知ったところで、もう20年以上前のことを覚えているはずもないんだけど。もうその時点で冷や汗をかいてた。

どうしよう、もし覚えてたらなんだか恥ずかしいなあ。繁忙期の手伝いだったから、実質2週間くらいなのかな。一緒に働いたのは。考えてみれば、それだけの人を覚えてるわけないか。もし名前見たところで、なにも思い出したりはしないだろうなあ。

そして、40分くらい近くをぶらついていたら電話があって、私と友人はお店に戻り、おしゃべりをしつつランチを堪能。料理はさすがの美味しさでした。感慨深かったなあ。これがあの人の作った味なんだなあって。

お会計のときには、ちょうどシェフがレジのところに来て、ニコニコしながら私たちを送ってくださるというハプニングが! 顔見られるのが恥ずかしくて、ドキドキしました。あまり目も合わせられず。

まさか覚えてるわけないもんなあ。そんなはずないもんなあ。と思いつつ、帰りました。別に声をかけられることもなかったです。

そしてその日は何事もなく終わり…と思ったら、真夜中に謎の着信が。

スマホを見つめたまま、しばらく固まりました。非通知。このタイミングで真夜中の非通知って、もしかして?

瞬間的に、その人からかと思ってしまいました(^^; そんなわけないのになあ。いくら懐かしくても。こんな真夜中に電話を、しかも非通知でかけてくるような人じゃない。まあそれ以前に、私を覚えてるはずなんてない。

もちろん、私はそんな不審な電話に出るはずもありません。じっとスマホを見てました。電話は、ワンギリではなかったです。長いこと、というほどでもないけれど、明らかな意志を持って、一定時間鳴っていました。そして、ふっと鳴りやんで。静寂。

今でも考えてしまう。ただのいたずらなのか、間違い電話か。でも、今までそんな真夜中の非通知の電話なんてかかってきたことなかったし。その後も、2度とそんなことはなかったし。食べに行ったその日のタイミングでこれって。偶然というにはあまりにドンピシャすぎる。

ちょっとだけ。もしかしたらその人なのかなあ、と思ってみたりもするのです。でも夜中の迷惑電話、するような人じゃないしなあ。もう1回食べに行ってみようかな。今度はちゃんと目を合わせるから、そしたら、その人が私を覚えているかどうかわかるかな。

年内に、もう一度行ってみようと思います。

レイキを体験してみた結果

レイキというエネルギー療法を体験してみた結果、何も感じなかったという話です(^^;

レイキに対して批判的な感想になっておりますので、気分を害する方は続きを読まないでください。

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去年、鞍馬寺へ行ったときに、鞍馬がレイキという民間療法の発祥の地であることを知った。臼井さんという男性が、鞍馬山で断食の末に悟りを得て、レイキを発見したとか。

私は鞍馬山で、空気が澄んでて気持ちいいなあとか、この場所好きだなあ、という感覚は持ったけれど、なにか特別なエネルギーを感じることはなかった。だから、一度その、レイキというエネルギーを体験してみたいなあ、と思っていた。

つい先日、自宅の近所で、一日だけの体験セミナーが行われるのを知り、さっそく応募。とはいえ、別に本格的なものではない。そのレイキというのは回路を開く必要があり段階があるらしいのだが、私が応募したのはそれではなくもっと初歩。レイキの体験講座、というものだ。気楽なので申し込んでみた。

こういうのは、先生選びがとても重要だと思う。スピリチュアルセミナーとなると、変な感じの先生も多いから(^^;

私はまず、その講座に来る先生のブログを読んでみた。ふっくらとした丸顔の、笑顔が優しい女性の先生。写真がたくさんあったのだけど、先生の外観がまず、安心できる感じだった。ただ、ちょっとひっかかったのが、「私はすごい」アピールがさりげなく、そこら中に混ぜてあるところ。

他のレイキの先生より私の方が人格者だ、という意識が透けてみえるのが、少しだけ気になった。

でもまあ、自信があるのは悪いことではないしな。と考え直す。こういう業界は、詐欺みたいなものも多いし、同業者の悪いところが気になるのかもしれない、と。

そして当日、いそいそと会場へ。二つ部屋があって、事前の案内地図にあった方の部屋では、陶芸セミナーのようなものが開かれていた。うろうろしながらそっと部屋をうかがったけど、どう見てもレイキセミナーではなさそう。

でも、案内地図だと、明らかにこの部屋なんだよなあ。迷って、隣の部屋をちら見する。そこは電気がついておらず、暗い部屋だった。人が2人、椅子に座って話しているのが見えた。部屋の前には、「レイキセミナー」の文字。

う~ん。ここなのだろうか。場所は聞いてたところと違うけど、看板はこの部屋の前に出てるし。でも、部屋は暗く、とてもセミナーが開かれる場所とは思えない。例えるなら、なにかを開催する前の準備室?みたいな。人を招くような部屋ではなかった。

さんざん迷った末、聞いてみることにした。ドアは開け放たれていたので、近くまで行って「すみませんレイキのセミナーはここですか?」と、中にいる人に声をかけてみる。

おしゃべりしていた一人が、こちらに顔を向けて、「そうですよ」と一言。

その瞬間、思った。暗い。暗すぎる…なんだこの空間。落ち着くとか、そういう感じではなく、人を迎える感じの部屋ではないのだ。ちょっと引くぐらいの空気感。暗い。こんなに暗い場所に足を踏み入れるのもめったにないこと。

そこにいた二人、おしゃべりをやめて私を見たのはいいけど、笑顔なし。そのおしゃべりも、深刻そうにぼそぼそと低い声でささやいていたので、なんだか中断させたのが申し訳ないような気持ちになる。

私は室内に入り、空いていた椅子に適当に座った。部屋の中には、さっきまでおしゃべりしていた二人と、私だけ。二人はまたおしゃべりを始めて、なんとなく疎外感を感じる私(^^; 深刻な悩みを抱えた二人なのかなあ。とにかく、まとった空気が重いのだ。

しかし、講座が始まってびっくり! なんと、二人のうち一人は、レイキの先生でした。ブログと顔が全然違う。

ブログだと、ふっくらした顔立ちでいつも笑顔、穏やかで優しい先生だが、実物はやせすぎて、健康に不安を感じるくらいの顔、体。眉間にしわこそないものの、あってもおかしくないくらいの険がある。はっきりいって、ブログに登場する人とは別人だ。あれはいつの写真なんだろう。ずいぶん前に撮ったものを、何度も使い回ししているんだろうなあ。

なにより、笑顔がないのが気になった。いつも、厳しい顔なのだ。たぶん自分ではあまり気付いてないんだろうけど、なんというか、ウェルカムの雰囲気がない。いつも何かに不満をもち、苛立っている印象。

講座が始まってすぐ、来るんじゃなかったと後悔した(^^;

だって、レイキの歴史や概要を、延々と読み上げるだけなんだもの~。あと、チャクラの話とかね。そういうのは事前にもうある程度勉強してあるから、読み上げられても今さら、という感じ。2時間の講義中、1時間はそういう、もう今さらの話だった。まあ、これは仕方ないのかな。初心者向けの講座ということだから。

しかし、座学が終わり、いざ体感ということになって、残っていたわずかな希望が消えた。全く、なにも感じなかったから。

先生は、口ではいろいろ言うんですよ。レイキは素晴らしい。レイキは万能。できないことなどなにもない。人間にも動物にも、無生物にもかけられる。でも、いざかけてもらっても、拍子抜けするくらいなんにも感じなかった…。

この部屋も、事前にレイキをかけて浄化してあります、と先生が自慢気に言った瞬間、軽いショックを感じる。うそぉ、これで、浄化した? じゃあなんなんだ、このねっとりと重く、絡みつくような空気は。

部屋の照明が暗い、という問題ではなくね。もう、なんともいえない嫌~な空気なわけです。本当はもう、途中で帰りたかった。だけど参加人数も少ないし、私が帰れば先生も不愉快だろうし、ここは我慢して残りの時間を耐えることに(^^;

そしたら先生が、「緊張してるでしょ、もっとリラックスして」と私に要求。内心、私は苦笑するしかありませんでした。そりゃもう、初対面の人と一緒なんですから、普通程度に緊張はしますが、別に言われるほどのことでもなく。

それからがもう、しつこかった。「緊張しないで」の連呼。なんなんだこの人は。私が「さすがレイキ。巨大なエネルギーが通り抜けていくのを確かに感じました!」とほめないからなのか、緊張するから感じないのよと言いたいのか、とにかく、「緊張しないで」を連発なのです。

ある時点で、私も諦めました。相手に合わせて、「すみません~。緊張しちゃって、エヘヘ」と。先生は満足そうです。「そうでしょう。そうでしょう。いいんですよ、さあ心を開いて。緊張しないで」

でも私は内心思っていました。もし私が本当にすごく緊張してたとして、「緊張するな」なんて言ったら、普通はもっと緊張するんじゃないの?「緊張するな」なんて言わずに、その力なり、言葉なり、態度なりでリラックスさせるのが先生なんじゃないの? レイキは万能というわりに、緊張する相手に「緊張するな」の連発とか、おかしくない?

もう途中で、面倒くさいので全部先生の言葉に合わせていましたが、うるさかったです。何度も、「感じるでしょう?」と確認するので。なにも感じないとも言えず、つないでいた手が温かかったので、「手が温かいです」と答えました。嘘ではないからね(^^;

レイキはすごいエネルギーで、飲食物の味も変えられるのだ、と力説していましたが。参加者(私も含めて二人)の前には水が用意されていたので、なんでそれを変えてくれないのか不思議でした。言葉で語るより、まずはやってみせたら説得力増すのになあ。水に味がついたらすごいことだと思う。でもそれはやってくれませんでした。

そして決定的に、この人ダメだ~と確信したのは、先生のこの言葉。

「私が頼まれて、手術する患者にレイキをやったら、今のところ手術の成功確率は100パーセントです。一度治ったのに、しばらく来なくなった人がいて、そしたら亡くなってしまった。私のところに通い続けてたら結果は違ってたと思う(つまり生きていたと)」

いや~、この発言はアウトでしょう。人の生死をどうにかできるのって、神様のレベルではないですか。端的に言っちゃえば、私を頼らなかったから死んだ、ということですよね。自分をどれだけ大きな存在だとおもっているんだろうか、この人は。

私は不思議な出来事、オカルト、スピリチュアル、そういったことにすごく興味がありますし、たとえば手を当てる療法、気功などで、痛みが軽減したり病が回復したりっていうのも、実際ありうることだと思ってます。

ただし、100パーセントだとか、私がやらなかったから死んだとかいう人は、詐欺師かもしくは、自分を見失った可哀想な人ですね。少なくとも、先生、ではない。そういう人から何かを教わろうとは思いません。信用できない。

講座は二時間の予定が、先生の熱弁で三十分オーバー。その時点で、社会人としてもこの人はないなーと思いました。まずは、いったんお開きにすべきでしょう。その上で、やりたい人だけ残ればいい。決められた時間があったら、決められた時間に終わるのがビジネスのルール。先生は、「私のありがたいお話を無料で聞かせてあげてる」つもりかもしれないけど、私はもう、帰ることしか考えてなかったです。

そして、最終的に先生は、私ではなくもう一人に、営業の猛攻撃。いろんな料金表をみせて、あなたは本格的にやってみるべきだわと、猛プッシュです。そのもう一人の参加者の方は、顔色が悪かったので(先生もそうだったけど)たぶん病をお持ちなのではと思ったし、ぽつりぽつりと家庭の悩みなども口にする方だったので、ターゲットにされたのだと思います。

そうか~こうやって取り込まれていくのか~と、少し気の毒に感じました。弱ってる人がぐいぐい来られると、洗脳されてしまうかもしれませんね。

私もいろんなメニューの料金表を渡されて、また来てね~と言われて帰ってきましたが、当然のことながらその先生を訪ねていくことは二度とありません。別に営業などしなくても、本物なら口づてにどんどんお客さんは増えると思いますし、あれだけ宣伝に必死な姿を見たら、逆に引きます。

そして思ったのですが。

宇宙のエネルギー。確かにあると思うんですよ。太陽だって、すごいエネルギー。でも、そういうものを、お金を払って回路を開かないと利用できないという考え方が、なんか違うような気がする。それこそ、選民意識ではないかなあ。誰にだって等しく、宇宙はちゃんと、愛情注いでくれていると思う。

誰かのために祈ること。そして、痛いところ、苦しい場所に手をあてること。それは、別に習わなくてもできる。

私はレイキの先生だから私から習わないとダメとか。そうでなきゃ病気も治らないとか、そういうのって、典型的な霊感商法だなあと。

セミナーでは全くといっていいほど、なんのエネルギーも感じなかったですし、むしろ部屋の空気の重さが、とても気になりました。こんなことなら、山とか海とか、好きな神社に行く方がよほど、心地いいと感じることができたなあと。

私はもっと、わかりやすい何か、わかりやすいパワー、みたいなものを求めていたけれど、それは違っていたのかもなあ、なんてことを思いました。なぜだかわからないけど気持ちいい、すっきりする、心地よい、そう感じるだけで十分なのだと思います。だから去年、私は鞍馬寺の風が気持ちよかったと感じた、本当はそれだけでよかったんだなあ。感じられなかったわけじゃない。ちゃんと、感じていたじゃないかと。

そして、人はみんな、自分に合ったレベルの人としか出会えない、ということを思いました。きっと世の中には、本物の不思議なパワーを持った人、というのもいるのでしょうが、少なくとも今の私が出会えたのは、この、セミナーの先生だったわけで。

つまり、今の私は、このセミナーの先生と同じ。客観的にはこんな感じなんだな~。そんなことを思った、レイキ体験でした。

お花畑

お花畑でほっとする。植物はいいなあ、と思う。ちょっと疲れたなあというときにはいつも、自然の中に行きたくなる。

お気に入りの植物園は、私の癒しスポット。ベンチがたくさん置いてあって、独りになるのにはちょうどいい。
大木の下で瞑想するもよし、花をぼんやりと眺めるもよし。あっという間に時間が過ぎる。

人があまり来ない、というのも大事なポイントで。
人に疲れたときには、ここで休憩するのだ。

広大な園内のどこになにがあるか、通っているうちにだいぶわかってきた。

帰りには、売店で種や苗を買うのも楽しい。今回は、蓮の種を買った。蓮大好きなんだよね~。

初夏、午前中の蓮池はまさに極楽浄土の光景。そんな光景を少しだけ、家でも再現できたら嬉しい。
家の庭に、コンクリートで固めていない池もどきがある。菖蒲を育てているのだが、そこに蓮も並べる予定。

もしかしたら、レンコンもとれたりするだろうか。楽しみだなあ。
まずは、花を咲かせることを目標にがんばろう。

先日は、蓮が好きすぎてこんな夢をみた。
夢の中で誰かに、蓮専門の植物園があることを告げられたのだ。
「行く行く~!」と大喜びで答えたところで目が覚めた。
どれだけ蓮が好きなんだ、自分(^^;

でも、もし本当にそんな蓮専門の植物園があれば、行ってみたいなあ。
見渡す限りの蓮池。想像しただけでうっとりだ。

ゴミ置き場のマナー

我が家は今週、ゴミ置き場の当番である。当番は、ゴミの分別とゴミ置き場の清掃を担当する。

今日はビンや、かん、ペットボトルなど、資源物の回収日だった。当番は、朝6時に5色のコンテナを並べる。ゴミの種類によって、入れるコンテナの色がそれぞれ違う。

ゴミは8時30分までに出すことになっているから、8時30分になったら当番はゴミ置き場へ行き、分別を確認する。それぞれの色のコンテナに、間違いなくゴミが入っているかの確認だ。収集対象でないゴミが入っていると、業者の方はそのゴミを残していってしまう。その場合、当番はそのゴミをいったん持ち帰り、その種類のゴミが収集される日に、自分で出し直さなければならない。

前から思ってたことだけど、ゴミ収集のマナーが悪い人が多くてびっくり。いや、正確には、「多くて」というのは間違いかも。「一定数」のマナーの悪い人が、いつもゴミ置き場を汚すのだ。

私が8時30分にゴミ置き場に到着し、分別していると、立て続けに6人ほどの人がやってきた。時間を過ぎて出すことに対する申し訳なさ、みたいのは一切ない(^^;

そしてそのうちの一人は、すでにいっぱいになっているコンテナに、山盛りに入れようとして四苦八苦している。山盛りになってこぼれれば、道路を汚す。風が吹けば飛んでいってしまう。それ以上入らなければ、伏せておいてある予備のコンテナを出して入れればいいのに、面倒なのか山盛り。

「もう一つコンテナ出しますね」と声をかけて、私は予備のコンテナを出した。そして思った。

この人、当番がいなかったら、自分のゴミを出すだけ出して、コンテナに収まりきらない山盛りの汚い状態でも、構わずそのまま行ってしまうんだろうなあと。

ある男性が私に聞いた。

「割れたビンはいつ、どうやって出せばいいの?」

自分が出そうとしたビンが割れているので、私に聞いたみたい。すぐに、割れたビンの正しい出し方を教えてあげたけど、当番の私がいなかったら、きっと勝手に置いて帰ってしまったのだろう。当番がいるから、一応遠慮して、置くのをやめて聞いたみたいだ。

私は内心、この男性がゴミを捨てにきたときに居合わせてよかった~と胸をなで下ろしていた。知らない間に割れたビンなんか捨てられていたら、分別にどれだけの手間がかかっただろう。危険だしなあ。

その男性は、車でゴミを何種類も持ってきていた。5分以上うろうろゴミ置き場をさまよい、色別コンテナをそれぞれのぞきこんで、どこに何が捨てられているかを見ながら、迷いながらゴミを放り込んでいく。じっと見ているのも失礼かと思って、ずっと見ていることはなかったけれど、私は内心イライラした。さっさと分別して家に戻りたいのに、時間過ぎて捨てにきている人たちのせいで、なかなか帰れない。

結局、6人ほどの人が、決まりの時間を過ぎて入れ替わり立ち代わり捨てていったのだけれど、その後をチェックしたら予想通りというかなんというか、非常に汚い(^^;

やはりルールの時間過ぎて平気で捨てにくる人は、捨て方が間違っていることが多いのだ。きちんとした人は、ちゃんと時間内に捨てるので。

今日は資源ごみの日なので、中身をきれいにすすいだものしか捨ててはいけないのに、食品の汚れがそのまま入ったビンがいくつか捨てられていた。これは回収されないので、仕方なく私が自分で持ってきた袋に入れて、家に持ち帰る。後日、燃えないゴミの日に出さなくてはならない。

うちは一戸建てなので、持ち帰ったゴミを屋外に保管しておけるのでいいけど、マンション住まいの人は、ゴミ当番のときでも違法ゴミを持ち帰らないことが多い。(さすがに部屋やベランダに、人のゴミを置くのは衛生上ためらうもんね)。そうすると、ゴミ置き場にいつまでもゴミが置きっぱなしで、そういうゴミはどんどん増えていく。

不思議なもので、ゴミはゴミを呼ぶんだよね。ゴミ置き場が汚かったり、違法ゴミが置きっぱなしになっていると、どんどん違法ゴミが増えていく。私は自分がゴミ当番のときは小物の違法ゴミは全部引き取って、きれいに片付けて次の当番に引き継ぐけど。

なにも違法ゴミが置かれていないゴミ置き場は、たいてい綺麗なまま次の収集日を迎える。マナーの悪い、ところかまわず捨てる人も、綺麗なところに自分が一番乗りで何かを捨てるのは、気がとがめるらしい(^^;

我が家がいつも使うゴミ置き場は、近所のおよそ70世帯が使う大きなもので、使う人が多い分、当番がまわってくるのはだいたい9ヶ月に1度。当番は1週間を2世帯で担当する。

小さなゴミ置き場だと、当番がまわってくる間隔は頻繁だけど、その分みんな顔見知りで、あまり常識外れな捨て方はないのがいいところ。うちのように、70世帯以上が使う場所の場合、顔がわからないのをいいことに、けっこういい加減な捨て方をする人が一定数いて悲しい。

そして、おそらくある一部の人は、近所の人ではなく、遠くに住んでいる人だ、そこも問題。本当は、ここに捨ててはいけないけれど、車をとめやすい大きな道路沿いだからとか、そういう理由で来ている。そして、そういう人ほどいい加減に捨てていく。

本当は、会社など、事業で出たごみは別の回収で、このゴミ捨て場に捨ててはいけないんだけど、堂々と近所の会社の車で捨てに来てた、若い女の子もいたなあ。それも、8時半までという時間を守らずにやってきて、45リットル2袋ぶんという大量のペットボトルを置いていった。コンテナはまたも足りなくなり、私が予備を出した。45リットルの袋ごと置いていこうとしたので、「私は今日ゴミの当番なんですけど、袋は持ち帰ってくださいね」と声をかけた。今日は資源ごみだから、袋のままだしてはいけないのだ。

会社に言われて、仕方なくやっているんだろうけど、住民からしたらたまったものではない。当番が8時30分の締め切りの時間に来て、しっかり分別した(違法なものは持ち帰り)その後に、続々とそういう、ルール破りの輩がやってきて、勝手な捨て方をする。そしたら、業者の回収後、違法ゴミとしてごみ置き場に残されてしまうものが出てきてしまうではないか。それに、コンテナの中にちゃんと置いたペットボトルは風に飛ばされにくいけど、山盛りで放置されたら少しの風でも飛ばされたり崩れたりしてしまう。

8時30分のゴミ出し時間を絶対に厳守せよとまでは言わないけど、当番はその時間にきちんと分別、整頓をするんだから、その後に出すときはよくよく気を付けて、業者が収集できないような違法な出し方は、してはいけないと思うんだよね。

なんのかんので8時30分の締切時間後、6人ほどの人たちが入れ替わり立ち代わり、マナーの悪い出し方をしたので、私は結局、ごみの収集車がくるまで、1時間近くその場で待機していた。この後もぞくぞくと、そういう輩が来るんじゃないかと思って(^^;

一台、ゴミ置き場近くに停車しようとした車がいて、たぶんゴミを捨てようとしたんだろうけど、私がいるのを見て、去っていった。通りすがりに捨てるには、ちょうどいい場所なんだろうね。いつもやっているんだろうけど、今日は人がいたから、遠慮したのか。まあ、実際のところは別に確かめたわけではなく、わからないけれど。

1時間、収集車を待つ間、ゴミ置き場におけるマナーの悪さを考えていた。なんとかならないかなと思って。きちんとルールを守って捨てている人がほとんどだけど、ある一部の人たちはたぶん毎回、勝手なことをやっている。そしてその後始末は、まじめな誰かの仕事となる。

本当は、当番がずっとゴミ置き場に立って、ゴミ出しをチェックすべきなのではと感じた。管理する人がいれば、変な捨て方はしないから。誰が捨てたのかもわからないゴミを、違法ゴミで収集されなかったからといって、いくら当番だからといって、持ち帰るのは正直、嫌なんだよね。かといって持ち帰らなければ、違法ゴミはどんどん増えるし。

住民が当番でそこまでやるのが負担なら、お金を出して人を雇うのも手だと思う。1世帯当たり月に2000円出せば、70世帯で月に14万円。人が雇える。この金額できれいなゴミ置き場が手に入り、気持ちよく暮らせるなら、安いものだと思うし、そういう話があれば私なら喜んで賛成する。

ただ、まあ、本来はお金で解決とかじゃなくて、自分たちのゴミ置き場くらいは、自分たちの手できれいにすべきだとは思う。自分が捨てるものだもんね。当番で苦労すれば、捨て方にも気を遣うようになるもんだと思うけど、マナーが悪い人はそもそも当番が回ってこない遠くの人(そこに捨ててはいけない人)だったり、当番回ってきてもなにもしない、無視して次に回すだけの人なのかもなあ。

集団回収は効率的だけど、各家ごとの、個別回収というのにも憧れる。それぞれが、それぞれの家の前に出せばこれは自己責任。もし違法な出し方をして回収されなくても、自己責任で自分の家の前に放置されるだけ。

以前、他県に住むいとこAと話したとき、その子の住んでいる地区では戸別収集をしているということを聞いて、うらやましく思った。燃えるごみは、それぞれ自分の家の前に出せばいいらしい。ビンやカンなどは、指定日に指定場所に当番がずっと立っていて、出すのをチェックするとのこと。だから違法に出されたゴミが放っておかれることもないし、当番が残された違法ゴミを持ち帰る、なんてこともないそうだ。

きちんとルール通りにゴミ出しをする、ということ。そんなに難しい話では、ないと思うんだけどなあ。

きれいに暮らす、ということは大切なことで。

自分の家を清潔に、整頓して暮らすのは勿論のこと。近所の、ゴミを出させてもらう不浄になりがちな場所は、汚くなりやすいからこそむしろ、自分の家以上に気を遣うべきだと思う。

自分の家さえきれいならいい、汚いゴミが、自分の家からなくなればそれでいい、ということではなく。

自分が使わせてもらっているゴミ置場は、自分の家以上にきれいにしたいなあと思う。