坂口杏里さんの転落

 タレントの坂口杏里さんがホストクラブにはまり、借金を重ねた末に、アダルトビデオの出演が決まったとのこと。

 有名な女優さんの二世で、テレビでも顔が売れていて。なぜアダルトビデオの出演?と思うけれど、それを言うならなぜホストクラブ?だし、なぜそこまでの借金を?という話になる。

 借金してまでなぜホストクラブにのめりこむのか? 

 やはり愛情を求める、ということなのかなあと思ってみたり。お金と交換に、愛情がわかりやすくもらえる場所だから。お客さんの立場で入れば、初めて会った相手だとしても親しげに話してくれるし、うざがられることもない。優しく微笑んでくれ、また来てねと誘ってくれる。

 寂しい人にとっては、他に代えがたい場所なんだろうなあと思ってみたり。だって、道を歩いているときに好みの人をみつけて、「すみません。お金は差し上げますから今から私とお酒飲みにいってください。おしゃべりしてください」と頼んだところで、頭がおかしい人としか思われないわけで。

 でもホストクラブでは、お客さんだからね。好みの人をある程度選べるし、その人は決して拒絶しないとわかってる。まるで昔からの知り合いみたいに、親しく接してくれる。愛情を求めても変な顔をされないわけです。それが仕事だから。

 私はホストクラブって行ったことないですが。テレビで特集しているのは見たことあります。キラキラゴージャスな店内。髪も服もビシっと決めたイケメンがずらり。

 そうした非日常的な空間で、大勢にちやほやされること。寂しさを抱えた人にとって、それはまさに夢心地の体験だろうなあという、想像はつきます。

 私が杏里さんをとても気の毒だと思うのは、思春期に嫌いな男性が義父(籍は入っていませんが)として、同居していたことです。

 う~ん。これは本当に、キツイ体験だと思う。
 子供には逃げ場がない。離婚したことだけでも傷つくのに、お母さんが知らない男の人を連れてきて、仲良くしなさいという。そしてお母さんとその男の人が、仲良くする姿を見せられる。
想像しただけで、泣けてくるような話です。

 バラエティ番組で、坂口良子さんの再婚を特集したのを見ました。お相手のプロゴルファー、尾崎健夫さんは、とてもいい方だと思いました。一生懸命、本当の父になろうと努力されたのだと思いますし、真面目で優しい人柄も伝わってきました。

 でも、どんなに神様のように完璧な男性であっても。子供が嫌うのなら、同居してはいけなかったと思うのです。

 この件については、尾崎さんというより坂口さんの責任が大きいのかなと。

 借金返済で仕事が忙しく、子供達に構ってやれなかったというけれど、尾崎さんと付き合う時間はあったということですよね。
 でも、仕事の合間の限られた自由時間であったら、好きな異性と過ごすより、子供と過ごしてあげてほしかったです。

 百歩譲って、もし恋人ができたとしても。子供の見えないところで付き合う。家には連れてこない、という思いやりがあってもよかったのではと。

 杏里さんやお兄さんが、尾崎さんを気に入って再婚を望んだなら、また話は別ですが。

 杏里さんは尾崎さんを嫌って、オジサンとしか呼ばず、尾崎さんにはひどい言動を繰り返したとか。そんな状態なのに、坂口良子さんはなぜ、子供達のいる家に尾崎さんを同居させたのか。自分の気持ちを、子供より優先したのは間違いだったと思います。

 杏里さんは当時10歳くらい?でしょうか。それから約10年の同居。
 家に嫌いなオジサンがいるって、どれだけ絶望的な状況だったことか。子供は家を出ていくことができません。ただ耐えることしかできません。

 そのことは、杏里さんの人格形成に大きな影響を与えたと思います。子供にとって、一番大事なよりどころになるはずの家が。杏里さんにとってはそうではなかった。

 坂口良子さんに特別悪気があったわけではないと思いますし、尾崎さんがいい人であることもその通りなのでしょうが、杏里さんの立場になってみれば、孤独を感じたでしょう。

 お母さんは、自分よりも恋人をとったのです。

 子供だった杏里さんは、「大嫌いなオジサン」に物を投げつけたこともあったそうです。そのことを後悔し、詫びる発言もされていましたが、私はむしろ、そこまで杏里さんを追いつめてしまった大人二人の選択を、ひどいと感じました。

 そしてもう一つ。坂口良子さんが、病状の本当の深刻さを杏里さんにきちんと伝えずに亡くなってしまったこと。

 母心として、よかれと思ってやったことはわかります。たぶん、母として、本当のことを伝えたら杏里さんが精神的に耐えられないだろうという、その思いやりが生んだ決断だと思いますが。当時の杏里さん、21歳。
 小学生ならともかく、母が亡くなるのに、それを受け止められない年齢ではないです。

 弱い子でも、可哀想でも、事実として母が死ぬのが避けられないなら、その子なりに耐えていくしかないです。そして、先が長くないことが事前にわかっているのなら、母から子供に伝えたいこともあるだろうし、逆に子供として、母と話したいこともあるはずです。

 母親が亡くなったとき。悲しいのは当たり前ですが、自分なりに「やれるだけのことをやった」という満足感があれば、その悲しみを少しでも和らげることができます。

 でも杏里さんの場合、後悔と怒りばかりが残る結果となってしまったようで、お気の毒でした。なぜ母の病状を黙っていたのかと尾崎さんに対してずいぶん腹を立てたようですが、本当の責任は、母の坂口良子さんにあったように思います。
 尾崎さんにしてみれば、実の子供ではないし、良子さんから病状の口止めを頼まれれば、それを無視してまで勝手なことはできなかったでしょう。

 良子さんは、杏里さんを心配するあまり、見くびっていたのだと思います。この子には母の死があまりに重すぎる、受けとめられないと。でも私は、もし余命わずかを知らされていたら杏里さんは杏里さんなりのやり方で、杏里さんなりに一生懸命にそれを受けとめただろうし、死を乗り越えて成長しただろうと思うのです。

 結局、杏里さんにしてみたら、お母さんに対して思いが残る結果になってしまったような気がするのです。

 義理の父との同居も。お母さんは嫌がる私の気持ちよりも尾崎さんをとった、と心の奥に刻まれて。
 
 亡くなったときも。お母さんは私を信用してくれなかった。私には教えてくれなかった。尾崎さんは知っていたのに、私はなにも知らなかった、と。

 これは寂しいですよ。親の愛情を感じずに育ってしまったら、心にぽっかり穴が開きます。埋めても埋めても、埋まらない穴が。
 
 両親が二人いて、二人の愛情をもらって育つのが普通なら。離婚した場合は、なおさら気を遣わなくてはいけないかと。子供が成人するまでは、自分の気持ちや自分の人生より、子供のことを優先し、考えてあげてほしいです。成人するまでの子供は弱いです。逃げ場がない。家を出て、どこかで1人で暮らしていけない。どんな家でも、そこにいるしかない。

 良子さんは、尾崎さんが杏里さんの後見になってほしいと望んでいたのかもしれませんが、それは無理だと思います。良子さんが生きていたからこそ、かろうじてバランスを保っていた義父と義娘の関係。母亡き後に、尾崎さんの忠告を杏里さんが素直に聞くわけないと、誰だってわかります。

 それよりも、仕事の選択がこれでよかったのかどうか。結果論というわけではありませんが、華やかで誘惑の多い芸能界の仕事が、杏里さんに合っていたのかは疑問で。まして、所属事務所が、あまりいい噂を聞かないところで、真鍋かをりさんや小倉優子さんのトラブルの話もあり、なぜそこに所属させたのかなあ、と。

 多くの人が、杏里さんのことを心配しているのは、この先だと思います。このアダルトビデオの出演が底ではなく、この先もっともっと、転落してしまうのではないかと案じているのです。それを防ぐためにどうするか。お金だけでは救えないですね。もし一時的に大金が入ったとしても、ホストクラブで埋める心の穴は、底が見えない。きりがない。

 できればアダルトビデオ販売が、中止されればいいのですが。その上で杏里さん自身が、借金をしてしまう心の病を自覚し、治す意志をもてたなら。助けてくれる人は出てくると思います。ただ、治す意志を持つところまでもっていくことが、とても難しい。

 義父の尾崎さんが今何を言っても反発しかないだろうし、他人である元カレの小峠さんだって、そこまでの義理はない。身内の方が、自分の人生を賭けて生涯見守っていくぐらいの気持ちがあれば軌道修正できるかもしれませんが、実際、とても大変なことだと思います。

 複雑な家庭環境⇒情緒不安定⇒生活の乱れ⇒ホスト⇒借金⇒風俗
 よくあるパターンですが、どこかでとめることができたなら。

 杏里さんはおバカタレントとして活躍し、通知表のほとんどが1というのも笑いに変えていましたが、実際のところ知的に問題があると、生きていくのが普通の人より大変になるわけで。悪意を秘めた誘惑に気付かない。対処できないままずるずると。

 ホストクラブにのめりこむのには、人とコミュニケーションとれないことの寂しさもあるのかなあと思ったりします。たとえば、友人同士の関係も、「空気を読む」能力はどうしても必要になる。でもそこのところがうまくいかないと、同性の友人ができない。
 友達はボランティアじゃないですから。気が合わなければ、自然と遠ざかる。
 でもホストなら、疑似恋人でなく疑似友人にも即興でなってくれるわけです。お金を介してですけど。お金がなくなれば、消える関係ですけど。

 通知表のほとんどが1というのは、もはや笑えるレベルを越えています。もっともっとひどければ、福祉の助けもありますが。普通と福祉の隙間に、すぽっとはまってしまったグレーゾーン。誰かの支えと見守りが一生あれば、と思いますが。じゃあその役を誰が担うのかというと。

 杏里さんの場合、ここまでくるとなかなか、独りで軌道修正するのは難しいような気がします。

本当にいい不動産物件は、ネット上には出てこない

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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私は趣味で、自分の家の近くの不動産物件をよくチェックしています。そこで気が付いたのは、売買がネットに出てくる物件とそうでない物件があること。
マンションもそうですが、人気ある物件は宣伝しなくても売れてしまうので、ネットに出てこないか、出てきてもすぐに消えます。

たとえば、うちの近所で新築して2年のお宅があったのですが、仕事の事情で引越していってしまいました。引越して1ヶ月も経たないうちに、次の方が入居しました。その間、この物件の売買についてはネット上に一切出てきませんでした。引っ越す前から買い手が決まっていたとのことです。

築浅でもあり、また庭も手入れが行き届いた素敵なおうちでした。大事に住んでいたことが外からうかがえるため、需要は高かったでしょう。家で死亡事故があったわけでもなく、また近隣トラブルがあったわけでもない、お得物件です。公に中古住宅として広告を出す前に、あっという間に買い手が決まったようです。

また、更地で売りに出ていた物件もあったのですが、そこも不動産業者が広告を打つことなく、その不動産業者の知り合いで土地を探していた人がすぐに買ってしまいました。

どちらのケースも、自分でネット上で探していただけでは買えなかったでしょうね。

土地や家を探すときには、信頼できる不動産業者に自分の希望を話して探してもらうのがいいと思いました。ネットで見るのは、補助的なものです。ネット上に出てこない物件も、結構あるのではないかと。本当にすぐ売れてしまうものだと、ネットに出さずに、その前段階で話が決まってしまうからです。

場所や予算をざっくり話しておけば、いい物件が出てきたときにすぐ教えてもらえます。タイミングもありますから、ゆとりをもって探すのがいいと思います。また、不動産業者でなくても、周囲の人に話しておけば、なにか情報があったときに教えてもらえることがあります。

私も友人に頼まれて、近所で売物件が出たときに教えてあげたことがあります。近所だと、引越などの情報が入るので早いのです。そのときは条件が合わず、買うまでには至らなかったのですが・・。ちなみに、買わなかった最大の理由は、新耐震基準が導入された1981年(昭和56年)以前に建てられた家だったから。その友人は、小さいお子さんがいるので安全面を考えると、そこは譲れないと言っていました。

たしかにこの新耐震基準以前か以後かによって、気持ちの面で安心感は違ってきますね。値段も、そこを境にして変わってくるのかなと思います。

そこに住んだ人が綺麗好きだったのか、それともだらしなかったかによって、家の外観や室内の様子、傷み具合はずいぶん違ってきますが、この新耐震基準の導入された年というのは、住む人の住み方に関係なく、大きな節目となりますね。逆に言えば、とてもわかりやすい境目です。住人に関係ない要素として。

ネットで見ていると、なかなか築浅物件というのは数そのものが少ないような気がします。そこでよく出てくるのが、築25年から35年くらいのもの。最大でも築40年くらいでしょうか。それを過ぎると、古屋付きでも更地渡し条件になっていたり。

築34年前後だと、ちょうど新耐震基準導をクリアしているかどうか微妙な線で。しっかりチェックする必要があります。

結局、土地も家も本当にいい物件はすぐに売れてしまうので、ネット上には出てこないことは確かなようです。

『翼を広げて』 DEEN 感想

DEENのヴォーカルは池森秀一さん。声がとてもいいのです。

『このまま君だけを奪い去りたい』も好きな曲なのですが、この『翼を広げて』という曲も大好き。夏の終わりにぴったりなメロディと歌詞です。

冒頭の一節だけで、想像がぶわーっと広がります。夏の間に急速に仲良くなって、あっという間に別れがきたのかなと。なんとなく、長い付き合いという感じがしない。

でも短いから浅いわけじゃなくて。普通に過ごす時間の何倍も、一緒にいて笑って泣いて、いろんなことがあったあとに。彼女のために別れを決意するっていう。そのせつなさが、胸をしめつける歌なのです。

君が飛び立つなら、邪魔はしない。そういう歌なのかな。

エールは送るけれど。でも静かに見送っている。最後の一節もいいですね。

一言に、万感の思いをこめて。二人で過ごした日々の全部。でも過去形。たぶんその思いを、彼女が知ることはないんだろうなあ。

でもそれでいいのです。彼女が気付かなくても。飛び立つ後ろ姿をそっと見送る優しさ。目には見えないけど、その祈りはきっと、未来の彼女を守ってくれるはず。

池森さんの声は独特で。心地よい湿っぽさがある。ただ明るく乾いた声ではなくて。その歌声を聞いていると、懐かしい記憶が蘇ってきたり。誰の心にもある、あの日の空気。

出会いは別れの始まりです。生きていればたくさんの人と出会うけれど、別れは必ず訪れる。そのときの胸の痛みを、思い出させる曲だなあと、思ったりします。

地中埋設物や擁壁は意外な盲点

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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去年、近所の築40年の平屋のお宅が取り壊され、更地になりました。

元々そのお宅は水路沿いに建っていて、水路の側面上に擁壁が作られていました。その擁壁、よく見ると少しだけ(数センチ)上端の部分が水路側に傾いていまして。おそらく40年の間に少しずつ土の圧力で、擁壁が押されたのだと思います。

それは、よく見ないと気付かないほどの少しの傾きではありましたが。そんなに大量の土でなくとも。そして平屋の重量であっても、長い時間をかけるとこうなるんだなあ、と。土の重みというのはあなどれないものです。

さて、更地になった土地にはすぐに買い手が現れ、素敵な三階建ての家が建ちました。

しかしなんと、擁壁の傾きはそのままだったのです・・・。

これ、意外な盲点だなあと思いました。建築業者は気付いていたでしょうが、お施主さんがわかっていたかどうかは疑問です。プロなら教えてあげるべき、と思いますが、擁壁の作り直しとなると大金が動きますので、黙って建築を進めてしまったのでしょうか。

平屋でさえ、傾いてしまったものを。

3階建ての重量が、果たしてどこまで耐えられるものか。ある日突然すべてが崩れることはないでしょうが、少しずつ、少しずつ傾きは加速していくのではないかと思います。

一度傾いてしまった擁壁を、後から戻すことは不可能だそうです。もし直したいなら、根本から作り直さないといけません。建てたばかりの三階建ての家。今後どうなるんだろう、といつも心配しながら、そこを通るときには擁壁の傾きを気にしながら歩いています。

擁壁も、永遠ではないんですよね。年月が経てば劣化する。そして、いままでと建築の条件が変わるなら、なおさら注意が必要です。今まで平屋だったところが三階建てになるなら、擁壁の傾きの念入りなチェックは欠かせないと思いました。

がけ地や、特別高い擁壁でなくとも。そこに土があり、建物が建つ以上は、擁壁の強度も考慮する必要があります。更地でお買い得の土地、と思っても。あらたに擁壁の工事をするなら、何百万の予算が追加でかかる可能性もあり、それらを総合的に考えないと、高い買い物になってしまうなあと思いました。

土地を買うときに、擁壁は要チェックです。

それと、地中になにが埋まっているのかも、きちんと調べないと後で大変な経費がかかったりしますね。

近所で実際にあった話ですが、もともと田んぼだったところを埋め立てた土地Aがありまして。何十年も放棄地だったのですが、最近売られて、家が建つことになったんです。

ところが、いざ家を建てるのに土を掘ってみますと、コンクリートの大きなかけら(土管のかけらみたいなもの)がゴロゴロ出てきたんですね。それらは産業廃棄物ですから、処理にはそれなりのお金がかかります。

おそらく、埋めるときに安い業者を頼んだものだから、ゴミが混じったものを埋められてしまったのでしょう。表面だけきれいな土にしておけば、埋めてる最中を見られなければそれでごまかしがききます。

何十年も経って、土地所有者の世代が変わり、子孫が土地を売った。そして買い手が家を建てようと土を掘ったとき、おそらく売り手も知らなかったであろう、土地の瑕疵がみつかったというわけです。

出てきたコンクリート片などの処理費用を誰がもつか。困った不動産業者は、なんとAと隣接する畑Bの持ち主に、半分負担を求めたとか。AとBの境に多少の高低差があり、畑側(B)が石を積んで境界をつくっていたのですが、不動産業者はその石積みの下にコンクリート片がたくさん埋まっていると主張したのです。

不動産業者は、畑の持ち主に半分負担してもらうことにより、土地の買い手にも負担の話をしやすいと考えたようです。「お隣の境から出てきたゴミですが、お隣も半分負担すると言ってますので、残り半分はお宅で払ってあげてください。今後の近所づきあいを考えたら、それで手をうつのがいいですよ」と。

畑Bの持ち主は、境の下に捨てコンクリなどのゴミがあると言われ、負担を求められてびっくり。石積みの境は、おじいちゃん達が作ったものですが、何十年も前のことだし当時を知る人はほとんど、亡くなっています。石積みの下に、境を越えてお隣にまで進出したごみがあるなら、自分たちの責任だと一度は了承したものの。

Bの持ち主は、唯一当時を多少知っている高齢の親戚のおばあさんを、老人ホームに訪ねました。そして昔の話を詳しく聞き出したのです。

そのおばあさんは言ったそうです。

「そんな変なごみなんて、いくら石積みを安定させるためだって、埋めるということは考えられない。おじいさんはそういう汚い仕事はしないと思う。畑はもともと田んぼだったけど、埋めるときにはきれいな土を入れないといけないと言って、土の搬入にはとても気を遣っていた。ごみを埋めるなんておじいさんが一番嫌がることだ。それに、隣の土地に越境してそういうコンクリートなどを入れるなんて、隣のおじいさんだってそんなことをしたら黙っていないよ。自分の土地の中ならともかく、境界線を越えて変なもの埋めたら、隣の人が怒るよ」

まあ、正論ですよね。

昔のお百姓さんは、境界に関してはうるさいです。境付近に変なものを埋めようものなら、黙っているはずがないのです。

もう一度、状況を整理します。

Aの土地に家を建てるにあたり、Aの土地を掘っていました。そしてBとの境に基礎のブロックを作ろうとしているところでした。境を掘りかけたところで、Bに「廃棄物負担」の話を、不動産業者が持ちかけたのです。

掘り返したAの土地には、土管のかけらを含む、コンクリート片などのゴミが、一山どっしりと並べられていました。かなりのインパクトです。Bの所有者は、そのゴミを見せられ、自分の土地との境からそれだけのゴミが出たのだと錯覚しましたが、よくよく観察すれば、まだBの境界は掘り始めたばかり。それらのゴミは、境ではなく明らかにAの土地から出てきたものなのです。

不動産業者は、Bとの境に、コンクリ片が埋まっている可能性が高いと主張していましたが・・・。

結局、Bの所有者は、境界を掘るときに立ち会うことにしました。その結果、Bの土地からコンクリート片は出ませんでした。その場には不動産業者もいました。目の前で確認したのですから、不動産業者もそれ以上、「払え」とは言わなかったそうです。

(個人が特定されると困るので、多少のフェイクは混ぜてありますが、上記の話は実話です)

こういう経緯があると、その後のご近所関係にも影響が出てきますよね。不動産業者は、たぶんとりやすいところから経費をとろうとしたんでしょう。Bは結局、支払いをしなくてすみましたが、これ、もし払っていたとしたら、いつまでもしこりは残ったんではないでしょうか。

本当にうちが払うべきものだったのか?

本当に境を越えてゴミが埋まっていたのか?と。

立ち会いをして、実際に境の埋設物の状況を見たので、すっきり解決はしましたが。Bの所有者がもし、仕事などで忙しく立ち合いできなかった場合。支払いをしていたら、いつまでももやもやとした気持ちは残ったと思うんですよね。

この件に関して、Aの土地を買った人には、なんの責任もないわけです。悪いのは不動産業者だと思います。きっともめるのが嫌だから、AとBと半分ずつ負担をさせたら、丸く収まると思ったのでしょう。それが一番簡単で、楽な方法だと思ったんでしょう。不動産業者はそれでいいかもしれない。

でも、その後何十年も、お隣同士で暮らしていくだろう、AさんとBさんの関係は? Bさんの立場になってみたら、決して快いものではないと思うんですよ。

そしてAさんにしても。Aさんだって得しているわけではありません。本来、そんな埋設物の処理費用は、土地を売った人が払うべきものですから。AさんはAさんで、我慢するわけですよね。これは本当はBさんのゴミだけど。仕方ない、境近辺にあったものなら、半分うちも負担しよう、と。これから長い付き合いになるご近所さんなんだし、と。

自分たちの知らないうちに、こうしたわだかまりが残る可能性があるというのは、怖いなあと思います。Aさんにしてみたら、踏んだり蹴ったりです。余計なお金を半分負担した上に、Bさんからもよくは思われないわけですから。

じゃあどうすればよかったんだろうというと、やはり地中埋設物の確認をきちんとしておくことですよね。掘ったときになにか出てきたときの責任を、契約書に明記しておくことです。それと、買う前に土地の来歴について、隣地の人の話を聞いておくのもいいかもしれませんね。話を聞くことで、隣の人がどんな人かも確認できますし。

埋める土の良し悪しというのは、業者によって全然違うそうです。悪徳な業者は、安く請け負って、ときには無料という言葉で誘って、こっそりゴミなどを埋めてしまうそうです。それを防ぐには、安すぎない適性価格での取引と。できれば、埋める日は立ち会って、自分の目で確認することですよね。それができれば、一番安心。さすがに、夜中にこっそり、土を入れ替えるとかそこまではしないでしょうから。

以上、目立たない擁壁や、目につかない地中埋設物も、土地を買うときには大切な要チェックポイントだよという話でした。

上棟式はやった方がいいと思う

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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上棟式をやるべきかやらざるべきか、ネットを見ても意見が分かれるところですが、私はやったほうがいいと思っています。家を建てるときの大きな節目になるからです。

自分がもし大工さんだったらと考えると。上棟式はとても楽しみだし、また、お施主さんや関係者が一堂に会する絶好の機会でもありますね。団結心も生まれると思うのです。皆でいい家を建てよう、という気持ちも自然に高まるでしょう。

お金はかかるかもしれませんが、これは生きるお金だと思うのです。払った以上の価値は、必ずあります。

最近はやらないところも増えているようですが。うちの近所では、昔は新築の家で上棟式の日に餅投げをするのが当たり前でした。私もよく拾いに行ったものです。どこかで家を建て始めると、皆それをとても楽しみにしていました。あそこはたくさん投げたねーとか。あそこは少なかったねとか。そんなことが話題になったものです。

でもここ数年は、餅投げする家が激減しています。お施主さんと業者さんで上棟式は行っても、近所の人を集めて餅投げというのは少なくなりました。

まあ、餅投げというのは、時代の流れで省略するのもありかなと思いますが。というのも、敷地に余裕がない場合、あんまり多くの人が集まると餅拾いでケガをすることもありますから。つい夢中になって、もしケガ人でも出たらせっかくのお祝いが台無し。

餅投げに関しては、餅投げのできる広いスペースのあるお宅以外は、省くのも仕方ないことなのかもしれません。拾う側からすると、寂しいですが(^^;

ただ、餅投げはしなくても、紅白のお餅を近所に配るお宅もありますね。うちももらったことがありますが、嬉しかったです。配るならケガ人が出る心配もないし、ご近所への挨拶も兼ねることができて、いい感じです。

お餅を、大工さんへのお土産にしても喜ばれるのではないでしょうか。お弁当だと気候によっては食中毒など心配ですが、その点お餅なら、多少暑くても寒くても気をつかわなくてすみますし。日本人なら大抵の人がお餅は大好物です。

幸せなことがあったとき、幸せを周囲におすそ分けする気持ちが、また新たな福を呼び込むことにつながるのではないでしょうか。

さて、上棟式の前には、もうひとつ忘れてはならない大事な儀式があります。それは地鎮祭。

これも大切な節目で、ぜひやるべきだと私は思っています。特に埋立地などは、そこにもともと住んでいた生き物が埋められてしまい犠牲になっているわけで。小さな生き物だとはいえ、命は命。それを供養し、地の神様に、土を動かすことのご報告をさせていただくというのは、当然の気遣いのような気がするのです。科学的な根拠というものではありませんが、昔から伝えられてきたことにはそれなりの裏付けがあるかと。

先日も、朝8時30分くらいから近所で地鎮祭が執り行われているのを見ました。神主さんと巫女さんの装束や、祝詞の声など、清浄な朝の空気の中でとても厳かな式でした。

決して大人数の大げさな式ではありません。私が見たのは、お施主さん側が3人。業者らしき方が3人。神主さん1人。巫女さん1人。テントがあって、榊やお供えものなどが準備してあって、小さいながらもきちんとした式でした。見ていて、いいなあと思いました。言葉では上手く言えないけれど、感覚として、こうした式の大切さを実感したのです。

やらなかったからといって、目に見える支障があるわけではありませんが。

地鎮祭も上棟式も、やった方が絶対にいいと思っています。